1. 競馬けんぶんろく
  2. 第96回「夏の始まりに感じる、..
2025-06-13 23:51

第96回「夏の始まりに感じる、馬産の始まりを見てみたら行きたくなった東京JSと函館SSと宝塚記念」

夏の始まり / 北海道開拓 / 日本のサラブレッド生産 / 歴史的背景 /  二大巨頭 / 東京JS / 函館SS / 宝塚記念

について話しました


BGM : MusMus


#競馬#競馬けんぶんろく#ポッドキャスト#Podcast#競馬カルチャー#カルチャー#小説#ダルマー競馬場#馬事文化

Summary

夏競馬の始まりを迎え、特に北海道における馬産の歴史とその重要性について探っている。明治時代からの北海道での馬産の発展を辿り、競馬界での役割や競争馬の生産の変遷について詳しく解説している。今回のエピソードでは、夏の始まりと共に開幕する競馬シーズンについて、特に東京JS、函館SS、そして宝塚記念に焦点を当てて語っている。北海道の馬産が日本の中心になった歴史的背景も掘り下げられ、各レースの特性や戦略についても詳しく説明されている。

夏競馬の始まりと北海道の馬産
こんにちは、ダルマー競馬場です。
さて、今週から函館開催がスタートということで、
夏競馬、始まりますねー。いや、まじで。
あのー、この、すごい雨降ったら急に暑くなるみたいな、この梅雨入り前みたいな時に、
あの、この函館開催とかが始まってくるんで、
夏競馬イコール梅雨みたいな感じのイメージが結構ね、あったりするんですけども、
夏競馬始まるわーと思ってね、色々調べてたじゃないですか。
調べてたじゃないですかっていうか、調べてたんですよ。
で、あのー、夏といえばやっぱり北海道シリーズよねーと思って、
で、考えてたら、あれ?なんで競馬って北海道で育てられてるんだろう?
って思ったわけですよ。
もちろんね、日本全国でバサンっていうのは行われておりますけども、
なんで北海道なん?みたいな。
まあまあまあまあまあ、気候とか、あとは広大な大地があるからか?みたいな感じで、
ちょっとね、思ってたんですけど、これなんでだろう?と思って調べ始めたら、
これはちょっと見聞録で喋ってもいいかも?と思って、
今日はですね、そこをちょっと掘っていきたいなというふうに思ったので、よろしくお願いいたします。
北海道の馬の生産歴史
北海道のバサンを遡ると、スタートはですね、明治時代でございます。
明治政府が掲げた食産工業っていう産業を振興して、
国の経済力を向上させることを目的としていて、
主には軍事力を強化して、西洋の国々と肩を並べていきたいよっていう、
日本政府の思惑の下、そういう食産工業っていうのが行われていた。
一種の施策ですよね。
それが北海道で行われていて、その一環として、
食産にも力を入れていたっていうわけなんです。
これがですね、北海道の開拓の始まりになるんですけども、
ここで出てくる、一人のアメリカ人。
エドウィン・ダンという人物なんですけども、
このエドウィン・ダンさんはですね、1870年代に日本政府に招かれて、
北海道の食産指導を行った人でございます。
このダンさんの助言で、1872年にニーカップ牧場が開設されるわけでございます。
これがですね、北海道で最初の大規模な洋式牧場になるんですけども、
最初は農耕用の馬を育てていたんですよ。
これが北海道における馬の生産と飼育の始まりになるんです。
1907年には、日高芝牧場っていうところが浦川町に設立されて、
群馬の育成がここで始まるんですよ。
このあたりからですね、日高地方が馬の生産地として動き出していくわけなんですけども、
まあでもね、この時点でまだ北海道がサラブレットというか、
馬の生産の中心地っていうわけではなかったんです。
明治から昭和にかけて、日本の競争馬の生産になってたのは、
千葉県にある下尾佐護漁牧場と岩手県にある小岩井農場だったんですね。
これってどちらも渾州にあるんですよ。
この2つの2大巨島の牧場はですね、海外からサラブレットを輸入してきたり、
日本のサラブレットの生産を例名機からリードしてきた、
本当にこの2つしか牧場ないんじゃないかぐらい競馬の歴史にたどっていくと、
そのぐらいよく出てくる牧場、2大巨島が岩手と千葉にあったんですよ。
この2大巨島がですね、サラブレットの生産をリードしている中、
1932年に日本ダービーが始まるんですけども、初代ダービーは若鷹を始め、
最初はこの下尾佐護漁牧場と小岩井農場の生産馬が猛威を振るってたんですよ。
もうどっちか生産馬が勝つみたいな感じで、
本当に今で言うと車代と農座みたいな。
そんなぐらい2大巨島としたなんて、岩手と千葉にあったんです。
ようやくですね、日本ダービーでも北海道出身の馬が勝つんですよね。
それが1944年、海藻っていう馬なんですけども、
ダービーが始まって13回もかかるわけですよ。
今じゃ考えられないですよね。13年連続北海道出身じゃない馬が勝つみたいな。
今では絶対考えられないんですけど、
そういうところが当時の本州にあった2大巨島の牧場のすごいところなんですよ。
しかもこの1944年海藻が勝った年っていうのは、戦時中でございましたので、
レース自体は能力検定競争という形で行われていて、無観客。
ここ最近あった無観客とは違って、一般人が入れないだけっていう感じで、
馬券も販売されずに、軍関係者だけが見守る中で日本ダービーが実施された。
無観客と言ってる能力検定競争なんですけども、
このダービーを最後に2年間ほどダービーが止まるわけです。
ダービーというか日本の競馬がちょっと止まるんですけども、戦争でですね。
戦争が終わった後、GHQの占領政策の中で、
リーディングサイヤーと北海道
本州にあった五稜牧場であったりとか、あとは小岩井農場っていうのが、
徐々に馬の生産っていうのが限られてくるわけでございます。
それはそうですよね。
日本にとって馬は軍事力だったわけですよ、当時。
もちろんね、昭和の時代ですから、明治とか、日清戦争、日露戦争とか、
あの辺の時代とはまたちょっと違ったわけなんですけども、
サラブレットの生産というのはちょっとやめていってくれよということで、
GHQの政策の中、どんどんサラブレットの生産というのは
本州でできないようになっていくわけでございます。
このGHQの政策の中で、競馬の運営の仕方もいろいろと言われたらしくて、
各自治体、ここのレースクラブが運営してる競馬場、
ここのレースクラブが運営してる競馬場みたいな感じで、
各団体がバラバラにやっているのはどうなんだいということで、
これはもう一括にまとめて、国で運営しなさいと。
私たちの支配下にある、目の届く範囲で、
あなた方が運営しなさいよというところで、
通称国営競馬としてやっていた時期でもあるわけでございますね。
そんな中、サラブレットの生産であったり、馬の生産をやっている関係者は、
いや、馬の生産どこでする?これもうダメって言われちゃってんじゃん。
ダマでやってたら何されるかわかんないでしょみたいな感じで、
言ってたところ、あれ?そういえば、ここ本州じゃなくて、
馬の生産できるとこあるじゃんって言って、
みんなが一斉にバッと北を向くわけですよ。
あそこだと。北の大地があるぞということで、
みんな北海道にブラッと目を向けていくわけですよ。
それはそうですよ。北海道には広い土地もあるし、
馬に適した寒冷で乾いた気候があったわけですからね。
しかも二大巨島が猛威を振るっていたにも関わらず、
ずっと粛々と馬産は続けていたわけですから。
下地もあるわけです。
これはと。みんな北海道で馬の生産やるぞってことで、
うわーってみんな北上するんですよね。
で、徐々に徐々にそうやって、
北海道へ馬の生産っていうのがシフトしていくわけなんですけども、
ここでびっくりなのがですね、
北海道って下地があったとか、
全然細々とやってましたみたいな感じで言いましたけども、
違うんですよ。
日本で初めてリーディングサイヤーの集計が始まった、
1924年から6年連続でリーディングサイヤーになった、
イボアという日本で最初のリーディングサイヤーはですね、
なんとトカチとヒダカで形容されていましたので、
あとはですね、北海道で馬産が始まった明治時代ですよね。
その頃にはですね、
ネギ市とか神戸とかの外国人居住地で行われていた競馬にもですね、
カチウマを出していたという記録もありますので、
五稜牧場と小岩井農場に次ぐ産地みたいな感じではいたとは思うんですけども、
その二大挙動がやばすぎて、
北海道があったわーみたいな感じになって、
みんなうわーって行くようになると、
みんな北海道やるべーってうわーって行くんですよ。
これで北の大地でサラブレットの生産がこうやってね、
ファイヤーしていって、
70年代には特にですね、
日高地方ではですね、
日本の競争馬の約8割から9割が生まれるようになっていくというわけでございましてね、
こうやってその、なんていうんですかね、
GHQの施策もありましたし、
もともと馬産をやっていて、
馬の生産、飼育に関わる気候とか条件が整っていたということで、
北海道っていうのはただの広い土地じゃなくて、
馬を生産して育てる場所として適していたというわけでございまして、
現在というね、ことでございます。
いやー、あのね、ずーっと生産、馬産はね、やっていたんだけども、
二大巨島、下坂漁牧場と小岩井農場のパワーが強すぎて、
歴史調べてもなかなか顔出してこないですよね。
北海道生産の馬って。
もしかしたらその1924年以前ね、
そのリーディングサイヤーとか、
なんかいろいろと集計が行われていたら、
もしかしたらもうちょっと早い段階で、
日本競馬界に名前を出す、
北海道三馬というような感じになっていたかもしれないですよね。
まあでもね、この二大巨島って、
でもやっぱり貧馬のイメージじゃないですか。
繁殖貧馬、起草貧馬ね。
これのイメージがあるんで、
もちろん主母馬の輸入とかもしていたんでしょうけども、
この時はですね、リーディングサイヤーの統計、集計ですよ。
っていうのはですね、勝利数で争ったんですよね。
そうなんだ、これどれだけ勝ったかみたいな。
えー!みたいな。
じゃあ何回勝ったかでリーディングです、みたいな感じだったの。
そう、じゃあ別に賞金が高いレース勝っても
1しかカウントされないんだみたいな感じだったんですけども、
実際そうだったらしいですよね。
これは何でかっていうと、
理由はいくつかあるそうなんですけども、
提出誤賞点なんかは賞金が出なかったりするんで、
賞金でカウントしちゃうとちょっと難しいよねみたいな感じ。
があるんで勝利数でカウントするようになったっていう話もね、
あーあるっていう噂は聞きましたね。
まぁちょっとこの辺定かではないですけど、
そういうことも要因の一つとしてあるんじゃないかというところでございます。
まぁでもね、北海道にいたイボアがですね、
日本で最初のリーディングサイヤーっていうのはお伝えいたしましたけども、
その後はですね、戦前、
しっかりとリーディングサイヤーを取っていっておりますので、
もうほんとにね、
イボアが6年連続の後が、
チャペル・ブラムトンっていう下坂漁牧場が輸入した
シュボバがリーディングサイヤーになっていますし、
戦後はですね、戦前、
戦前にリーディングだったダイオライトという馬が、
戦後1回リーディングサイヤーになった後は、
これも下坂漁牧場だったかな、確か。
で、その後はですね、1947年がですね、
セフトという馬がリーディングを獲得するんですけど、
この馬が北海道で経営をされておりましたので、
このセフト以降、現在に至るまで、
北海道で経営をされているシュボバが
リーディングサイヤーになっているということで、
北海道の馬産とその背景
こうやって馬さんが写っていたっていうこともね、
このデータを見てわかるっていうような形になりますね。
で、話をまとめると、
北海道も馬さんはしていたんですけど、
二大巨頭がすごすぎたという話でございました。
いや簡単すぎた。簡単にまとめすぎたんだけど、
まあまあそういう感じでございますね。
まあでもね、やっぱり本州も土地がないわけじゃないですけど、
やっぱ気候ですよね、北海道って。
北の独特の乾燥していて、
寒冷がね、しっかり整っていてっていうところで。
で、日高なんていうのはね、やっぱり
雪がそこまでバカみたいに積もらないところですからね。
やっぱりそういったところも適していたんでしょうね、
というところでございますけども、
歴史的な背景はありますけども、
いずれにしても本州ってやっぱり人が住むことでね、
結構その都市がどんどんどんどん大きくなっていくんで、
馬さんに関しては施策がなかったとしても、
もちろん人が住むことでね、
人が住むことでね、
施策がなかったとしても、
もしかしたら北海道に移っていったかもしれないですね。
ということで、今回は何で北海道がですね、
日本の馬さんの中心になっていったかっていうのを掘ってみました。
夏の競馬シーズンのスタート
掘ってみると二大巨頭がやばすぎたという話なんですけども、
今回の話の補足はですね、ノートでも公開しておりますので、
そちらもぜひご覧いただければなというふうに思っております。
ということで、
夏競馬、最初も言いましたけど開幕しますよと。
北海道シリーズ始まりますよと。
ということでいきましょう、今週のJRAでございます。
はい、今週からですね、
函館開催がスタートいたしまして、
3回東京、3回阪神、
1回函館の参上開催となっております。
土曜日に東京競馬場でJG3、東京ジャンプステイクスが行われ、
函館競馬場でG3、函館スプリントステイクスが行われます。
そして日曜日に阪神競馬場でG1、
第66回宝塚記念が行われます。
ということで順に見ていきたいと思います。
まずは函館スプリントステイクス。
こちらはですね、もともと
札幌スプリントステイクスとして1994年に創設したんですけども、
この時のですね、北海道シリーズは北海道開催じゃない。
うん、流れ。
札幌開催が先で、その後に函館みたいな感じだったんですよね。
なので札幌スプリントステイクスっていう名前だったんですけども、
1997年から函館開催が先になって、
函館、札幌っていう流れになったので、
実施競馬場が変わったので函館スプリントステイクスになったそうでございます。
で、春競馬って、春競馬って2回言いましたけど特に理由はないです。
あの短距離戦って高松の君や記念が終わったら、
あれあとなくない?みたいな感じじゃないですか。
なので結構ね、ここを勝って重傷戦線、
そのスプリント戦線で重傷を沸かしていくみたいなスプリンターっていうんです。
こっから結構出てたりするんで、
歴代のカチューマ見ていただくとわかると思うんですけど、
この馬知ってる、この馬知ってる、この馬知ってるみたいな感じもあったりするんで、
これから重傷戦線とかG1戦線に沸かしていくような馬を見つけるっていうのも一つだと思いますね。
で、コースはですね、平坦コースだと思われがちなんですけども、
スタートしてから4コーナー途中までは緩やかな上りで、
そこから緩やかに下っていくというような感じになるので、
スタートポンと出ちゃった先行馬がそのままスルスルスルーッとゴールまでたどり着いちゃうみたいなこともあったりするので、
結構ね、先行争いが激しめになったりしますね。
もちろんその先行争いを制するスピードっていうのがね、重要になってくるんですけども、
忘れちゃいけないのが養子馬でございますからね。
それに対応するパワーというのも必要になってくる感じですよね。
さあ、決闘標語を見なきゃいけないぞーみたいな感じになりますけどね。
まあ基本的には決闘とかね、あとはその実績を見て、
養子馬に適応できるかどうかみたいなところを見ていくのがいいんじゃないかなというふうに思っております。
そして宝塚記念でございます。
今年で66回目を迎えましたG1競争春のグランプリでございます。
こちらはですね、上半期の締めくくりを飾る競争として、
あとは関西地区の競馬を盛り上げていこうぜという趣旨で企画されて、
1960年に創設された競争でございます。
2011年からは優勝場にはブリーダーズカップターフへの優先出走権と
出走登録料および輸送費の一部負担の特権が付与されて、
2019年からはコックスプレートへの優先出走権が付与されておりますと。
出走登録料言えたー。
いやすいません。
宝塚記念といえばですね、やっぱり思い浮かべるのはオリジナルファンファーレなんですよね。
これはですね、1999年から使用されておりまして、
なんと一般公募で選ばれたものでございます。
すごいこれを一般で作れる人がいるんだと思ったらですね、
作曲者は早川大会さんというしっかり音楽活動されている方だったというような話でございます。
そしてコースの方はですね、阪神の芝コース内回りなんでね、
先行場が有利かと思いきや、コース自体は意外とそうでもなくて、
どの客室の馬にもチャンスがあるっていう感じなんですけど、
宝塚記念に限っていえば先行した馬の方がいいイメージはありますよね。
あとは天気ですよね。
去年みたいにシャバダバナババではないとは思うんですけど、
一応雨予報は出ておりますので、
4コーナー出口で比較的前目の方、10番手以内にいないとちょっと厳しいのかなというイメージはありますかね。
どちらにせよね、枠順が確定して、レースに近いタイミングで予想するのがいいんじゃないかなというふうに思っておりますというところで、
今週も皆様に2強だと思っていたけども、ずっと頑張っていたね。
別の馬を信じたら、勝ったんだよ。やっぱね、続けるって大事だよなーって。
思えるほどの会心の的中があることをお祈りしております。
そして最後になりますけども、この番組への感想、質問などありましたらメールフォームからご連絡いただくかコメントお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら是非番組のフォローもよろしくお願いいたしますというところで、
今回も最後までご拝聴いただきありがとうございます。また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。
さようなら。
23:51

Comments

Scroll