札幌競馬場の始まり
こんにちは、ダルマー競馬場です。
いやーもうね、最近は、暑い暑い言わないようにしている今日この頃でございますよ。
JRAもね、各競馬場でミストとかシャワーの設置推進してて、
初熱対策拡大していってるみたいなんですけども、
急に吹いた風に悪気を感じたりとかして、
もう9月頃の気候だなみたいな、9月後半ぐらいじゃねーとか思ったりしたりしてね。
まあ寒さ暑さも悲願までとか言いますけども、
9月前に今だいぶ落ち着いちゃってるんじゃない?みたいな感じで感じたりしますけど。
ここ最近、新潟とかで中京の競馬場ができるまでの話してきたんですけども、
札幌仲間外れにするわけにはいかんだろうと。
ということで、今回は札幌競馬場ができるまでのお話でございます。
札幌の競馬の始まりはですね、1872年、明治5年ですね。
戦後の復興と変化
札幌神社、今の北海道神宮のお祭りで、
市街のですね、道を馬が直線で走る草競馬からスタートしました。
で、1878年に札幌育種場場競馬場っていうのができるんですけども、
これが北海道というか日本における近代競馬、スタート地点になるわけなんですけども、
この時代の北海道といえばこの方が出てきます。
エドウィーン・ダーン!
アメリカから来たお雇い外国人のエドウィーン・ダーンさんでございますね。
この人がですね、日本に落納とか農業とか馬術とか競馬の文化を持ってきた人なんですけども、
これはですね、札幌というか北海道を開拓のために政府がアメリカから連れてきた方なんですけども、
北海道を拠点に動かれてますので、札幌にそういう馬術とか競馬文化も一緒に持ち込んでくれた重本人の方でございます。
さっき言った通り、アメリカから来たお雇い外国人、エドウィーン・ダーンさんですので、
当時はですね、札幌育種場場、アメリカ式の左回りでございます。
そしてですね、この競馬場が北海道にできたぞということで、札幌にできましたよということです。
なんと、明治天皇が1881年に見学に来るんですよ。
このエドウィーン・ダーンさんが持ち込んだ競馬っていうのは、地元の人、日本の人からすると、
今までやってた、お祭りとかでやってた、祭児でやってた草競馬とは違って、もう本当にレースなんですよね。
なのでこの日本の国のトップ、明治天皇が見に来るぐらいの、近代スポーツじゃあれですけども、新しいスポーツ。
天皇陛下が見に来るぐらいのスポーツ、競馬ってすごいんじゃないみたいな。
今でもほら、天皇陛下いらっしゃるってなったら、みなさんわーって手振りに行くじゃないですか。
あれぐらいやっぱり盛り上がるんで、当時の地元民、札幌地元民からしたら、競馬ってなんかすごいものらしいぜみたいな感じで、わーって広がっちゃうんですよ。
で、このイクシュバ競馬場ができた9年後には、中島遊園地というところに移転するんですよ。
これは市街から近くて便利にするためにここに移転してるんですけども、やっぱり規模があんまり大きくはないんですよね、市街から近くなって。
なので時代が進んでいくにつれて、もうちょっと本格的な競馬場を作りたいねみたいな感じの流れになっていって、
1907年に草原エリアに新しい札幌競馬場というのを完成させるんですよ。
これ来ましたよ、札幌競馬場は。
当時は右回りと左回り両方できるっていうまさかの珍しい仕様なんですけども、主に左回りでやってました。
アメリカから競馬という文化を取り入れたのがきっかけで、やっぱり競馬といえば左回りでしょみたいな感じで、これが昭和の初めぐらいまでは続いていくような感じでございます。
時代は進んでいきまして、太平洋戦争になるんですけども、太平洋戦争中はもちろん開催はストップして、場場は畑になっちゃうわけですよね。
戦後ですね、1946年7月4日、アメリカの独立記念日ですよ。戦後1年ぐらいですかね。
新中軍がですね、アメリカ独立記念日だからって言って、もちろん敗戦国ですからアメリカに負けちゃって、アメリカ人たちが右上にいるわけですよ。
そこでちょっと、僕たちの国独立記念日だからお祝いに競馬やってよーということで、
なんとこの草原にあった、畑になってた札幌競馬場なんですね。1日で場場を整備して、左回りのレースを開催したんですよ。
おほほほほーみたいな感じで、競馬やってるぞ競馬やってるぞみたいな感じで、これはもう地元の人だけじゃなくて、アメリカ軍の兵士とかもいたりして、
結構お祭り騒ぎ、お祭りみたいな雰囲気だったらしいんですよね。これが戦後の北海道、札幌の競馬の再開のきっかけになっていくわけなんです。
ここから戦後しばらくは国営競馬。1948年に札幌で国営競馬として初めてレースが開催されて、
その後1954年JRAが発足して、札幌も中央競馬の舞台になっていくわけです。
ここから、この頃から、函館と札幌の北海道シリーズっていうのは、夏の開催地として定着していくんですよね。
その後1965年に札幌記念がスタートしまして、最初はダートの2000mだったんですけど、これが後に芝のG2に昇格して、今週行われる札幌開催の顔となっていくわけでございます。
戦後ずっとあった草原エリアの札幌競馬場ですね。そろそろちょっと新しくしたいよねということで、1971年に3階建ての新スタンドを完成させて、収容人数1万人規模。
当時としてはだいぶ近代的なスタンドができたみたいですね。
その後1975年についに右回りへ統一されるわけでございます。
長年左回りの伝統はここで終了していくわけなんですけど、ずっとエル・ウィン・ディアンが札幌に競馬を持ち込んでからずっと左回りでやってた。
明治時代から左回りだったんですけど、ここでようやく右回りになる感じでございます。
理由としては全国の主要競馬場とのバランスだったりとか、コース整備のしやすさみたいなのが主な理由だったと言われたりしますね。
実は1980年代まで札幌には芝コースがなかったんですよ。
それ理由はなんでかっていうと、冬になると芝枯れちゃうんでみたいな。
そりゃそうっすねーみたいな。確かにーっつって。
で、なんですけども、それじゃあちょっといけないでしょと。
同じような寒さを持っているイギリスやアイルランド、ヨーロッパの国芝でやってんじゃんと。
ということで、これは日本の芝じゃダメだと。の芝じゃダメだ。すぐ枯れちゃうということで、洋芝の研究を開始するわけです。
で、ここでケンタッキーブルーグラスとか、トールフェスクとか、ベレニアルライグラスとか、
いう名前だけでもめちゃくちゃ強そうな芝たちを配合させて、もうね、サラブレット作るようなもんっすよね。
この芝とこの芝を掛け合わせてこれをしてみたいな感じで、研究に研究を重ねた結果、ついに1989年、100%の洋芝コースが完成して、
で、翌1990年から本格運輸を開始していくわけでございます。
現在の札幌競馬場
この1990年にようやく札幌記念もダートから芝へ変更されていくわけなんですよねー。
で、ここで芝コースができたことによって、夏の北海道開催の札幌競馬場をね、もっといっぱい楽しんでいこうよということで、
芝のレースもダートのレースも両方楽しめるようになっていって、この北海道開催の幅がグッと広がっていったというわけでございます。
で、先ほど言った通り1971年にスタンドを改装してから、カリカリ40年以上経ってようやく2012年、
ちょっと古くなってきたんで、スタンドリニューアルしますということで、5階建ての新スタンド。
場外発売用のパークウィンズ棟を2つ作ったりして、2014年にグランド。
屋上のテラス、もいわテラスからですね、北海道札幌の街並みであったりとかもいわさんに一望できるし、
パドックからババに向かう花道はですね、もう本当に観客との距離感がゼロぐらいという感じで、
もう拉致というか、一本で隔てている感じでございまして、
ご存知の通り夏の間しか札幌競馬場開催は行いませんので、
ババ内にはジャブジャブ駅が作ったりとか、ポニーリンクだったりとか、ミニ放牧場まであったりとかして、
半分ぐらいはテーマパークにしちゃってるんですよ。
ほぼほぼ競馬開催しないから、維持費とかかかるわけですよね。
それを補填するために言っちゃあれですけども、競馬開催以外でも集客をしなきゃいけないよねということで、
こういうふうにテーマパーク化していくのが今の流れというか、そういう形ですよね。
現在はですね、夏の北海道シリーズのメイン会場として、
札幌記念だったりとか、クイーンステークス、金ランドカップ、札幌2歳ステークスとかね、
夏競馬の花形レースが勢揃いしているわけですし、
半分ぐらいテーマパークにしちゃってるもんだから、ファミリー層が来たりとか、観光客も来たりして、
競馬場イコールギャンブル場みたいなイメージでは、いい意味ではなくなっていってる感じですし、
非常時には広域避難所として使えるようになっているらしいので、地域のインクラとしての役割も果たしているということで、
これが現在の札幌現状ということでございまして、
明治の草競馬から始まってね、戦争も乗り越えて、
札幌競馬場の魅力
寒い土地ならではの芝居への挑戦もあったりとかして、今では観光も楽しめる、いろんな人が楽しめる競馬場になりましたよということで、
こういう背景を知ってからレースを見たりすると、
ただ本当に馬が走って何番が何倍だからいくら着いたみたいな感じだけじゃなくて、
その場所の歴史とか、一緒に味わえるような感じがすると思うので、
この夏ですね、あと4週ぐらい、今週入れて4週ぐらいの開催、札幌でありますので、
機会があったら是非ね、札幌の風と芝の空気と、
洋芝ってこんな感じなんだみたいなのを是非ね、感じてみていただければなというふうに思っております。
この札幌競馬場のメイン競争と言っても過言ではございません。
スーパーG2札幌記念が今週行われますので、
まあもうこの流れで行っちゃいましょう。今週のJRAでございます。
今週も変わらず3畳開催となっておりまして、
2回新潟、3回中京、1回札幌の3畳開催となっておりまして、
土曜日には新潟競馬場でJG3新潟ジャンプステイクスが行われ、
日曜日には中京競馬場でG3中京記念が行われ、
札幌競馬場ではG2札幌記念が行われます。
新潟ジャンプステイクスですけども、今年で27回目を迎えますJG3競争でございます。
障害コース、障害専用コースがない競馬場での障害レースって結構面白いなと思って、
イギリスのハードル競争みたいな感じで、結構スピード感を感じれる障害レースな感じがして、結構見応えあるなと。
もちろん障害専用コースで難しい障害を比喩するのもすごい楽しいと思うんですけども、
ああいうスピード感のある比喩を見えるっていうのも面白いなと思って。
あと障害専用コースじゃないので、スタンド前で比喩してくれるので、これ見てたりすると結構臨場感あっていいんじゃないかと思ってたりします。
そして中京記念でございます。今年で73回目を迎えますG3競争でございます。
ここ最近ね、全然中京で開催しない中京記念みたいな感じのイメージですけどね。今年は安心してください。
中京競馬場で開催でございますのでね。中京市は1600メートルでございますから、2コーナーの引っ込み戦からのスタートでございます。
前後半のラップ差が少ないということ言われてたりして、持久力が試されるみたいな感じで言われてたりしますけども、
意外と後ろからの馬も全然馬券に絡んでたりはするんで、データだけでは何とも言えないなと言いづらいなというふうには思っているので、
ちゃんと展開の予想をしてから馬券決闘するのがいいんじゃないかなというふうに思っております。
そしてスーパーG2。札幌記念でございます。今年で61回目を迎えますG2競争でございます。
さっきも言った通り、スタートから柴になったり、左回りから右回りになったり、判定戦から別定戦になったりとかね、G3からG2に昇格したりとかして、
様々な変更を経て今に至るスーパーG2でございます。言うてますけど、こうやってスーパーG2言うてますけども、全然一番人気勝たなかったりするんで。
これはでもね、洋柴適正がどうとかじゃないと思うんですよね。もうそれだけじゃないというか。やっぱりその時の状態が一番出るんじゃないかなというふうに思っているので、
その馬にとって、その陣営にとって、この札幌記念がどんな意味を持ったレースになるのかというところもですね、検討材料にしていかなきゃいけないなというふうには思っていて。
例えば春、大きいレース使って、ちょっと疲れたから夏、放牧に出てて、秋に向かって1回レースを使っておくっていうこのステップレースなのか、
一昔前だとね、ここから外戦猛暑に行くんで、前哨戦として走りますみたいな馬もいましたし、
逆に春から徐々に力をつけてきて、この夏の大舞台として、大目標としてこの札幌記念を目指してましたとか、
っていう馬ももちろんいるでしょうしというところで、あとはここで賞金を加算しておかないと、秋の大きいレースに出られなくなってくるみたいなのもあったりすると思うんで、
どういった思惑でここに出走してくるのかっていうのも、反映すると馬の状態っていうのももちろん見やすくなってくるのかなというふうに思ってたりするので、
ここが結構注目ポイントな気がしてますね。ということで、今週も皆さまに、
いや、仲間外れはさ、さすがに可哀想だからとかって、友達と話して、本当に不純な理由で勝った馬券がまさかの万馬券になるぐらいの戒心の敵中があることをお祈りしています。
はい、そして最後になりますけども、この番組への感想・質問などありましたら、メールフォームからご連絡いただくかコメントもお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら、ぜひ番組のフォローもよろしくお願いいたします。
うわー、ここで噛んだということはフォローしてくれてる人が少なくなっていってしまうような気がする。もちろん新規のフォローなんてしてもらえないということで。
これを聞いていただけたということは、最後までご拝聴いただきありがとうございます。また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。さよなら。