福島の馬文化の始まり
こんにちは、ダルマー競馬場です。さあ、今週からですね、福島、小倉、函館ということでね、競馬界はね、ひと足早く、シーズンインザサンでございますね。
いやぁ、チューブ的なね。そう、チューブ的な感じでございますけども、まぁそんな中ね、やっぱりね、ちょっと最近気になることが多いんすよね。
この前の、こいわい農場とかを探ってた流れで、あれ?東北でJRAの競馬場あるのって、なんで福島なんだろう?
そう、あれだけ、馬産のね、歴史の深みがあるところじゃないですか、岩手って。しかも、馬文化もありますよね。
そう、なので、なんで岩手じゃなかったんだろう?みたいな感じで、じゃあちょっと今回福島かな?みたいな感じで、福島競馬場ってなんでできたんですか?
ということでね、そこをちょっとね、掘ってみたいなというふうに思っております。
はい、よろしくお願いいたします。ということで、まずはですね、福島には競馬がやってくる、ずっと前の話なんですけど、そもそも結構ね、馬と人が一緒にいる生活っていうのがもうすでにあったんですよね。
例えば有名なのは、もうやっぱり相馬の馬追いじゃないですか。甲冑を着た武士たちが野原を駆け抜ける。このお祭りがね、もうね、千年以上の歴史を持ってると言われておりますので、もうそれ聞いただけでも、もうね、お祭り、馬と人のお祭り、ただのイベントではなく、もう千年以上続いてるんだったら、もうそれ文化ですっていう感じですよね。
それからもう一つですね、あの郡山市の近くにある三原という町にですね、江戸時代から明治にかけて、馬さんがね、盛んだったんですって。えー、そうなんだみたいな。福島、まあまあ、なくはないっていうか、まああるんでしょうねみたいな感じなんですけども、あ、そうだったんすねっていう感じなんですけども。
で、その馬たちはですね、あの三原駒と呼ばれていて、もともとその土地の特産物だったの、木彫りのおもちゃ。これね、別の名前だったんですけど、これも、あのー、この有名なね、馬さんが有名な三原の三原駒。ここで生まれた馬たちを三原駒って言うんで、じゃあこれも三原駒でーっていうことでね、そんな簡単な感じではないとは思うんですけど、まあね、あれも三原駒として親しまれるようになったそうでございます。
ねー、あ、あのー、最近はいらっしゃらないですけど、福島競馬場のゴール板の上に鎮座してたのが、あれが三原駒でございますね。あのー、行ったことある方とかね、あのー、まだオブジェクトがあるのかな?
ちょっと行ってないんでわかんないですけど、まあ、それも見れたりとかすると思いますね。
競馬場設立の経緯
いやー、あのね、こうやって馬のお祭りがあって、馬さんも盛んで、なんてもうさ、馬あり手なんですよ。福島はもう馬あり手でございます。
言い過ぎかな?すごい言い過ぎかな?なんかちょっとあの最近、あの選挙カーの演説ばっか聞いたんで、あの馬あり手でございますみたいな、よろしくお願いいたしますみたいな、もうそんなんばっか耳に入ってるんでね、まあそんな感じじゃなかったのかなというふうに思っております。
けどもですよ。文化があって馬さんをやってたのはわかるけど、じゃあなんで福島にJRAの競馬場ができたんですか?という疑問ですよ。これはですね、1910年代に静岡県にあった競馬場がですね、経営になりまして、その移転先を探したんですよね、競馬場の。
で、あー誰か買ってくれないかなーって思ってたら、その話を聞いた福島にね、いらっしゃるもう重鎮たちですよ。はいはいはいはいはいはいはい!言うて、名乗りをあげたんすよ、伊藤渡さんという方とか。
あとはですね、日本三大金山の一つ、高玉金山の経営者、日田錦一郎さんとか、あとは大島洋蔵さんという方々。この方々を中心とした福島県の方々が、ちょっとちょっとその静岡の競馬場、福島でどうですか?みたいな感じでね、やってたんですよ。
で、この人たちが相場会という団体を立ち上げて、これが福島相場会って言うんですけども。
で、この福島相場会がですね、自ら、自分たちでも土地を、競馬場の土地ってこのぐらいでいいですか?
土地を用意して、そこにかかる資金を出して、さらには誘致交渉まで自分たちでする。
どうですか?静岡県の藤枝競馬クラブっていうところが運営していた競馬場の移転先を探してたんですけど、藤枝の方々、藤枝の方々どうですか?と。
あーもう福島いいとこありますんで、ぜひに、ぜひにお願いいたします!って言ったら、ついに1917年に開催許可が降りるんですよ。
いやー!ってなりますね、そりゃね。もうあの、サッカー日韓ワールドカップパリにビッカムー!みたいな、もうあのぐらい盛り上がるぐらいの、福島県の人たちは。
そのぐらいの盛り上がり方だったと思います、当時は。ちょっと言い過ぎかもしれないですけどね。
でももうね、その相場会の人たちなんてもううわー!なるわけじゃないですか。
で、1918年6月28日に初めて福島競馬場で開催がね、競馬の開催が実現するんすよ。
ちなみにこのね、あの2025年、今年ですね、2025年は6月28日土曜日でございますので、この土曜日、6月28日土曜日がですね、あの福島競馬場で初めて競馬が開催された日でございますね。
まあこれはね、もう嬉しいっすよね。相場会の方々なんて、もう実際に呼べちゃったわけですからね。呼びたいって呼べちゃったから、もうあのクリステル的なね、おもてなし的なことをやってオリンピック呼んじゃったみたいな。
あのね、決まった瞬間のジャパーンってなった時の皆さんの喜び方、たぶんテレビでご覧になった方多いと思うんですけど、たぶんあんな感じ。
言い過ぎかな?言い過ぎたかな?ちょっとね、ちょっと言い過ぎましたね。すいません。
で、話は戻って、その馬文化とかね、その馬の生産とかっていうのは、それ言わても負けてませんよというところでございまして、
もちろん森岡とかね、水沢にも競馬場ありましたし、伝統的な文化もあります。
100年続く福島競馬場の魅力
そして小岩井農場もね、馬産の歴史が深いわけですから。
でも、なんで福島だったのかというところでございます。これはですね、枠組みの問題だと思うんですけど、
公認競馬でやってたか、自治体でやってたかの競馬の違いなんですよね。
で、一番わかりやすいのは、いろんな面はあるんでしょうけども、
これが一番わかりやすい理由なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
で、公認競馬で残った競馬場が後のJRAの競馬場になって、
公認競馬じゃない競馬場どうなってたのかっていうと、
地方競馬に組み込まれていくんですよ。
なので福島は公認競馬を誘致したってことが最大の、
福島にJRAの競馬場ができた最大の要因なんですよね。
なのでこの公認競馬ですよ。
静岡から誘致したこの福島合馬会の皆様の功績っていうのはやばいんですよ。
とんでもなくあるんですよ。
で、この福島競馬場っていうのは、周りが住宅地でもありますし、市街地からも近いんですよ。
なんですけどもめちゃくちゃ人気なんですって。
本当に開催してたときが。
今でもそうですけどめちゃくちゃ人気で開催しますって言ってたら、
それまで近くでやってた競馬の3倍とか4倍ぐらいの売り上げを誇るんですって。
すごいっすねと。
なんならどんだけすごいかっていうと、この福島競馬場。
言ってしまえば東北玄関口じゃないですか。
東北地方ですよね。
これ関東からも福島競馬に行きたい言うので、開催日の前日に上野から臨時列車が出てたらしいんですよ。
そこまで?みたいな。あれ?慶応戦ですか?みたいな。
東京競馬開催のため?みたいな。
そんなぐらい人気だったらしいんですよね。
でもそこから時代を重ねてね、
福島競馬場2018年に開設100周年を迎えるわけでございますよ。
100年同じ場所にあるって結構すごいなって思うんですよ。
どんなに人気があっても、どんなに売り上げがあっても、どんなに大事な場所であっても、
なかなか難しいんですよ。100年その場所にあるって。
ちなみにこの1918年っていうのは、大正7年。
第一次世界大戦が終わった年。
今これを聞いてくださっている皆様に、自信を持って私問うことができます。
前世で何してました?っていう。それを自信持って言えるぐらい。
今の人たちは絶対に100年前はいないわけですから。
もしかしたら100歳の方が聞いてたらごめんなさい。ごめんなさいけども。
ほとんどの方々は前世何してたんですか?ぐらいの。
そのレベルだと思います。100年ね。
同じ場所にあるってそれだけすごいんですよ。
まあでもやっぱりこうやって競馬とか競馬場ってやっぱりただのギャンブルだったり、ただの建物じゃないんですよ。
同じ場所に100年間あるっていうことは、馬と人と街が一緒にならないとできないんですよ。
これね、できなかったところがねやっぱりね、あるんすよ。
目黒だってそうですからね。
あれだけすごい売り上げを誇ってみんなわっさー言ってね、スタンドに人が入らないぐらい人を集める競馬場だったのに、目黒競馬場っていうのは
周りの住人からちょっともうすいませんけどもみたいな感じになっちゃって、じゃあちょっと移転先探すしかないねみたいな感じになって、府中に移転するんですけど。
そういうこともやっぱあるんすよ。
だから100年間その同じ場所にあるって福島の人たちもすごいですし、
やっぱりね、その土地にことがあるってことはやっぱり人があってっていうことなんじゃないかなというふうに思っておりますね。
ということで、最後なんかうまいこと締めたなって思ったんですけどダメですか?
ということでね、なぜ福島にJRAの競馬場があるのかっていう疑問はですね、そこに文化があってもともとね、その歴史があって、馬さんの歴史だったりとかいろいろ馬と過ごしてた歴史があって、その上に公認競馬を迎えに行った人たちがいたからっていうことだったんですよね。
あーそうだったんすねー、言ってね、この夏の福島開催を見るときにね、そんなことをちょっとね、そんな背景あるんだなっていうのをちょっとでも思い出してもらえたらね、ちょっと嬉しいなっていうふうに思ってますね。
もちろん今回もですね、ノートのほうを出させていただきますので、福島競馬を得意とした馬だったり騎手とかね、いろいろなことがピックアップできたらなというふうに思っておりますので、そちらのほうもぜひご覧になっていただければなというふうに思っております。
そう、そうなんすよ。これね、収録してからノート書いてるんですよね。なので、結構一週間忙しい。だから忙しいんで、ちょっとなんか頑張ってるんで、見てもらえるとすごい嬉しいっす。応援してくれると嬉しいっす!っていうことでございましてね。
はい、ポッドキャストとノートのほうをやっていきますのでよろしくお願いします。ということでございます。
ラジオ日経賞の歴史と特徴
いやーね、でもまあそうやってね、馬と一緒に歩けたりとかね、馬と一緒に文化を積み重ねていけば少しはね、気持ちが馬の気持ちがね、分かるようになるんじゃないかしらということで、今週のJRFでございます。
いや別に適当に言ってない、適当に言ってないですよ。なんかちょっと想像だったらいいなと思っているだけでございます。
で、最初も言いましたけども、今週からですね、開催地が夏仕様になっておりますので、2回福島、2回小倉、1回函館の3畳開催となっております。
日曜日に福島競馬場でG3ラジオ日経賞が行われて、函館競馬場でもG3農林水産省書店函館記念ですよー。
函館記念が行われますということで、順に見ていきましょう。
ラジオ日経賞はですね、今年で74回目を迎えますG3競争でございます。
まあもうね、ラジオ日経賞といえばもう福島っていうイメージなんで、あの福島開催1択かなと思いきや、違うんですよ。
その始まりなんと、さつき賞の前哨戦でございます。
えー!みたいな、ああそうだったんですね、みたいな。
ああそうですか、え、なんすか、弥生賞とかスプリングステイクスとかそんなノリですか、みたいな感じで。
1952年に創設された中山4歳ステイクスっていうのが前身にあるんですよね。
なので最初は中山競馬場スタートだったんですけど、だったんですけど、わずかその2年後には、
あのさつき賞のトライアルじゃなくて、春のクラシックシーズン終了後の6月下旬から7月上旬に行われるように番組が移動されるっていう。
えー!みたいな始まり、あれ始まったの?前哨戦として始まるって言われたんで、あの構えてきたんですけど、もうすぐそっちに移動すか、みたいなね。
あれちょっと、聞いてた話となんか違うなー、みたいな感じなんですけども。
まあそうやって開催時期がずれて、でそこからはですね、もうオールドファンの方はご存知だと思うんですけど、
1977年だけ異常に異様に有名な日本単波賞っていう名前になって、その後にラジオ単波賞になって、
ダービーに出れなかった馬たちが出てくる残念ダービーみたいな名前をつけられて、
2006年からは世代別で行われる競争で唯一のハンデ戦。
2歳場はハンデ戦ないので、だから3歳だけですよね。3歳で唯一のハンデ戦となったのがこのラジオ日経賞でございますので、現在はJRAで唯一無二のレース形態となって現在に至るというわけでございますね。
函館記念の開催と戦略
コースの方はですね、ほぼスタンド前からのスタートになりますので、
1回登って平坦になって緩やかに登って残り400で下って最後に坂がニュッと出てくるっていう、ニュッと出てくる感じでございますね。
過去のデータとかご覧になっている方はもうご存知だと思うんですけど、セオリー的にはやっぱり逃げ先行から買いたくなるんですけど、
2024年のオフトレイルの例もあったりするので、それだけ買ってればいいのかというわけではないとは思うんですけども、
四角はなるべく前の方にいたいなっていう感じですよね。
あとね、このラジオ日経賞って面白いのは、春に重症戦線を戦った馬達を強いと見るのか、
いやいやいやいや、その重症戦線、クラシック戦線には乗らなかったけども、ラジオ日経賞といえば白百合ステイクス組でしょ?みたいな感じで見るのかというところでございます。
表舞台を走った馬達なのか、裏街道を走ってた馬達なのかの激突の場ですか。
これもまた面白いんですよね。どっちが今年は勝つのかというところでね。
そしてね、最初に言ったんですけど、ハンデ戦なんですけど、金量が軽いからとか重いからとかっていうのはあんまり考慮しなくてもいいのかなっていうふうには思っております。
もちろん考慮する材料の一つになるんですけど、大きくは考えなくていいのかなっていう感じでございますね。
そして、函館記念でございます。今年で61回目を迎えるG3競争でございます。
1965年にこちらもハンデキャップ競争として、ハンデキャップの重症競争として創設されたんですけども、最初は2400mだったんですって。
なんですけども、創設からわずか3年後に2000mに変更されて現在に至ると。早いんだよ判断が。
早いなーみたいな感じなんですけども、一応ね2009年からは国際競争になってますので、外国版の出走っていうのも可能でございます。
さすがにこの時期のこの開催地なんで、全て函館記念は函館競馬場で行われてるだろうと思いきや、
なんと2回ほど札幌で開催してる。もうパニック。
うわー何だっけ、えー函館競馬場でやってる札幌記念だっけ、えー何だっけみたいな。
函館記念が札幌競馬場でやってるんだっけみたいな。もうねわけわかんなくなっちゃう。
そしてね、コースの方はですね、用紙場を考慮しつつも、極端な客室だとね、逃げだったり追い込みとかっていう極端な客室だとちょっと難しいんじゃないかなというふうに思ってますね。
で、ご存知の通り直線もあまり長くないので、まあよんかく10番手以内にはいたいところでございます。
まあさっきのね福島のねラジオ日経賞と一緒でございますけども、
なるべく前目にはいたいなというところでございますよねというところで、今週の皆様に。
え、車?いやいや、え、新幹線?いや、福島とかさ、小倉とかさ、函館だったら全部飛行機で行っちゃおうよっていうぐらいの会心の敵中があることをお祈りしております。
はい、そして最後になりますけども、この番組への感想・質問などありましたら、メールフォームからご連絡いただくかコメントもお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら是非番組のフォローもよろしくお願いいたしますと。
いうところで、今回も最後までご拝聴いただきありがとうございます。また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。さよなら。