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2025-08-01 23:11

第103回「すべての始まりは米。新潟競馬場の歴史を知って過ごすアイビスSDとクイーンS」

雑談 / 懐かしの新潟の地 / 新潟競馬場の歴史 / 川の近くに競馬場 / アイビスSD / クイーンS⁠について話しました


BGM : MusMus


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サマリー

新潟競馬場の歴史は、江戸時代の米の産地としての新潟の発展と共に始まり、1901年に初めて競馬が開催され、1937年には日本競馬界の管轄下に入ります。その後、戦争を経て1965年に現在の場所に移転し、観光資源としての役割を強化しています。新潟競馬場の歴史とその変遷について詳しく語られ、新潟ならではの直線競馬やアイビスサマーダッシュ、クイーンステイクスの魅力が紹介されます。競馬が地域に根付いていく過程や、これからの気象条件への注意喚起も見どころになります。

新潟競馬場の誕生
こんにちは、ダルマー競馬場です。
いやー、夏休みが終わってね、通常営業していこうかなーって思ってたら、めちゃくちゃなんか忙しくなっちゃって、うわーってなってたね、1週間でしたね。
この1週間どうお過ごしでした?
7月もね、終わり、8月が始まって、2025年がもうね、どんどん終わりに近づいておりますけど、
予定していたものが予定どおりにならないなんて、当たり前のように起こるっすよね、本当に。
ということでね、今回は、歴史回でございます。本の紹介できなくてごめんなさい、本当に。
読み終わったらちゃんと紹介しますので、よろしくお願いいたします。
私ですね、母が新潟県出身でございまして、なぜか新潟の地を踏むとちょっとね、心のどこかというか、
なんか遠くの方ってすごい懐かしい気持ちになるんすけど、なんかそういう場所ってないですか?
例えば実家であったりとか。
まあね、もともと慣れ親しんだところっていうのは、今住んでるところと違ってね、そういう場所に帰ると懐かしいみたいな風にあるとは思うんですけどね。
なんか私はもう新潟がそうなんですよ。
で、新潟県に帰るともうね、DNAがもうね、懐かしんでる感じがしておりまして、
あの新潟競馬場に初めて行ったのに、もうワクワクがすごい勝ってるんですよ、初めての競馬場って。
なのにもう遠くの方にね、「あ、ただいまー。」みたいなね、なんかそういう感じをね、持ってね、行った記憶がございますね。
なんかあの、昔その土地に帰ったら、なんか先祖代々続く家に帰ったら、
なんかめちゃくちゃそこの家って、先祖代々守り続けてきたところで、なんか疫病となって出てくるんだぜみたいな感じの、
なんかシッピングニュースっていうね、映画がね、ありましたけどね、ケビン・スペイシー主演だったの。
ケビン・スペイシーだったんですよ。
映画の話は一回置いておいて、今回は新潟競馬場の話でございますね。
戦争と競馬の影響
どうして新潟に競馬場ができたのかというところから、今の場所に移るまでのことをちょっとお話ししたいなというふうに思っておりますので、よろしくお願いいたします。
新潟といえば米の産地ですよね。この米の産地として新潟県が有名になったのは江戸時代のことなんですよ。
江戸時代に神殿開発によって田んぼがうわーって広がったんですけど、
そこで作ったお米を運んだりとか、田んぼを耕したりとかするのを手伝ってもらうために、わーって広がった田んぼと一緒に馬がわーっといたんですよ。めちゃくちゃいたの。
で、それだけではございません。日米州交条約って言って、新潟にも港を作りましょうみたいな感じになって、1869年に新潟港が開港するんですけど、ちょっとね、川の河口が狭かったんですよ。
で、これをですね、船が通れるように河口を広くしたりとか、あと深く大きい船が通ってもいいように深く掘り直したりとかして、外国人の技術士とか、あと船乗りがね、新潟にめちゃくちゃ集まったんですって。
新潟川の河口に、日本海流れ込む河口を見たことある方だったらわかると思うんですけど、めちゃくちゃ広いですよね、あれね。もうばっかりでかいんですよ。
これはね、そういった経緯もありつつ、川の大きさっていうのももちろんあるんですけども、うわーって人がその周辺に集まったんですよね、新潟川の港町。新潟川の港町?違うな。新潟川周辺の新潟港の港町にね、集まったんですよ。
で、そういう人が集まってくると、なんかすることないかねーみたいな感じで、外人もいますしね、船乗りの方々もね、いっぱい人がいるわけですから。あれ?馬めっちゃいるじゃん。なんか暇だからちょっと比べ馬やろうかみたいな感じになって、おーやるべやるべーって言って、1901年の9月にですね、新潟川の左岸にある関谷っていうところに、
仮設のですね直線コースができたんですよ、比べをするためのね。ここでの競馬っていうのが大盛り上がりしたんで、これはちょっといけるかもしれないって言って、港で稼いだ商人たちがお金を出し合って、1908年に一周1600メートルの関谷競馬場っていうのを作るんです。
で、この競馬場が港町の観光資源になって、人がめちゃくちゃ集まるから、おーじゃじゃじゃって言って鉄道まで来ちゃうんですよね。鉄道で来るわー、船で来るわー、そこにいる人たちで大盛り上がりするわーで、動員数10万人規模ぐらいに発展するらしいんですよ。
東京ドームの満員2daysですか。このぐらいの規模に発展していくわけでございます。そんな大盛り上がりを見せていた関谷競馬場なんですけども、1937年、日本競馬界直の管轄になって、
日本競馬界だと当時は国の管轄というか、今でもそうですけど、国管轄になって、当時競馬ってちょっと軍事的な意味を込めて、馬って戦争で使う道具じゃないんですけども、そういった意味合いを込めて生産っていうのが日本にはされていったので、
軍事的な資金調達の側面みたいなのを、関谷競馬場でやってる競馬が、そういった側面を持つようになってきちゃうんですよ。
ちょっと軍隊の、軍人さん多くない?ちょっといるねみたいな感じの、そんな感じになってきて、
1937年ですから、ジリジリと第二次世界大戦の足音をしてる時ですかね。
1943年、戦況が悪化するに伴って、関谷でのレースは中止。
関谷競馬場は陸軍の倉庫に転用されて、この関谷の地域での競馬の雰囲気っていうのは一旦リセットされちゃうんですよ。
しかし、戦争が終わって落ち着きを取り戻すと、関谷競馬場で競馬が再開されるわけですよ。
で、この再開されたときに、日本競馬会主催のレースと、
自治体、新潟県の自治体の主催のレースが開催されるようになるんですよ。
これが結構後まで続くんですけども、
同じ競馬場でJRAと地方競馬が開催された要因っていうのはここにあるんですよね。
一つは、自治体の競馬っていうのは開催してめちゃくちゃ盛り上がった経験があるんですよ。
関谷競馬場で10万人規模の、鉄道まで来ちゃうぐらいのみんなで大盛り上がりしたっていう。
経済効果はすごいですよ。
復興しようとして、みんなで頑張っていこうぜっていうので、人を外からも集めたい。
資金を集めていっぱい、いろんなところを復興していきたいってなると、
もう一回競馬を盛り上げた方がいいんじゃないかと。
そういう経験あるし、経験値あるからやってこうよと言って県はやるんですけども、
ただね、新しく競馬場を作るお金はないんですよ。
戦争が終わってすぐなんて、そんなにお金も持ってないんです。
だからもうすでにある競馬場を曲がりするような形で、競馬を開催するっていうふうになるんです。
ただ、ご存知の方がいらっしゃると思うんですけど、
新潟県にもう一個三条競馬場っていうところが、1920年代ぐらいからずっとありまして、
ここでも競馬場はあるんですけども、ここの収容人数だいたい5000人ぐらいなんですよ。
1万人いかないぐらいだったので、もう全然違うんですよね、規模感が。
競馬はやってるんですけど、盛り上がりは赤矢だよねっていう感じだ。
もちろん鉄道も来てるし、交通の便もいいわけで、集客もしやすいわけだから。
そこでいっぱい頑張ろうぜと、復興に向けてやっていこうよというような形で曲がりしたのがきっかけ。
もう一つは、1948年にできた新しい競馬法で、
国営の競馬と地方での競馬っていうのは分けなきゃいけない。
自治体でやる競馬っていうのは分けなきゃいけなくなっちゃったんですよ。
これに伴い、新潟競馬場、赤矢競馬場で行う競馬は、国営、現JRAですよね。
これが行う競馬と、あとは地方自治体が行う競馬と、
2つの組織が運営する競馬が開催されるようになったっていうことなんですよね。
新しい時代の競馬場
で、じゃあもうこうやって、しっかりと体制も整いました。
競馬やっていこうぜと言ってね。
オチオチやってらんないっすよ。
えー?みたいな感じなんですけど。
で、これ何が起きたかって、赤矢競馬場の横ってさっきも言った通り、品の川があるんですよ。
で、この品の川がですね、
うわ、めちゃくちゃ水ヤバいんですけど、みたいな感じで、
氾濫するんですけど、まででは言ってないかもしんないですけど、
ちょっと水はけ悪いっすね、とか、
ちょっと水通り良くないっす、それはしないっす、
どうにかしてください、みたいな感じになっちゃって、
周りに住んでる人たちがね、もうどうにかしてくれと。
これじゃあ生活していけないよ、という感じになって、
新潟県と国がね、話し合って、よしと。
放水路を作る。放つ水の道って書いて放水路ね。
放水路を作ろうという計画が浮上するんですよ。
で、これがですね、なんと赤矢に作ろうっていう話になって、
その放水ルートがですね、競馬場がどん沼であったんですよ。
ちょい、ちょい、ちょい、ちょい、ちょい、みたいな。
競馬はなくせん、競馬はなくせんよ、みたいな感じになったんですけども、
国と新潟県が競技した結果、
じゃあ競馬場引っ越そうか、っていうことになって、
1965年の7月10日に、現在の場所にですね、
新潟競馬場が開場するわけなんですけども、
もともとあった赤矢にはですね、今は競馬場踏切っていう場所が残っているみたいで、
そこに競馬場があったっていうことを今にね、
地名で伝えてくれてるそうなんですけど、
東京だと目黒にある、元競馬場っていう交差点があるんですよ。
これと同じような感じですよね。
なんか競馬場あったんだよね、昔ぐらいだとだいたい想像つくんですけども、
知らない人からすると、なんで競馬場なん?
今でもあるのかな?みたいな感じだったりはするんですけど、
ということでね、そういうところがありますよという、
今に赤矢に競馬場があったっていうのは、
踏切、競馬場踏切っていう場所が残っていることによって、
今につながっていてくれてる感じですね。
で、この1965年に今の場所に移った新新潟競馬場なんですけども、
1990年代後半に新潟空港が拡張されたりとか、
あとは港がターミナル化したりとかして、
結構新潟に人が来るだろうというか、来るような環境になっていったので、
もともと新潟の競馬のあり方っていうのは、
観光資源の一つっていうのもありますから、
これはこの観光コンテンツとして競馬場もアップデートしていかなきゃいけないだろうと。
昔のまんまじゃダメだと。
新しくしていこうということで、
これは競馬場の大規模工事を行うしかないでしょうということになって、
じゃあどうする?みたいな。
工事するのは分かりましたけども、じゃあどうしていきます?みたいな。
言ってしまえば新潟ってローカル競馬場と言われるので、
地方じゃないんですけども、
中央競馬の中でもG1競争が行われない季節によって開催される競馬場っていう感じですね。
東京、中山、阪神、京都みたいにG1レースでめっちゃ盛り上がりますみたいな感じではなくて、
他のレースもやるのに。
ちょっと季節によって開催したりしなかったりみたいな競馬場なんですけども、
ただ普通のローカルだとちょっとお客さん来なくない?みたいな。
競馬だけだとちょっと厳しい感じで、時代的に。
もう2000年に差し掛かるところですから、ちょっとなってきてるんで、
これはちょっと新潟競馬場ならではの、
新潟ならではの特徴を出していきたいという形になって、ちょっとルーツ調べてみようかと。
あれ?何?最初は新潟って直線競馬だったの?
あ、ちょっとそれってニューマーケットみたいでかっこよくない?みたいな感じになったのかどうかわかんないですけども、
新潟競馬場の歴史と変遷
そんな感じになって、よしじゃあ直線競馬作っちゃおうということになるんですけども、
でもこれ今のまんま直線競馬作ると、
4コーナーがスタンドに近すぎて直線で走ってきた時に、
ゴール板がスタンド前じゃなくなっちゃうよ。
遠くて見えないけど誰勝った?みたいな感じになっちゃうから、
これどうしよう?みたいな。
誰?
そうだ。
今、右回りだけ。
これ左回りにしちゃえばいいんじゃない?と。
これで全て解決するじゃん。
しかも、東京競馬場と同じ左回りってことは、
もし東京競馬場が使えないパターン、
中京競馬場はあるけど、
中京が開催する時期じゃなかった場合、
うちできるじゃん!というふうになって、
これでいろんな番組編成、競馬の番組の編成の幅が広がるよね。
よし!左回りだ!というので左回りに変更したかどうかはわかんないですけど、
これ全部想像というか妄想ですからね。
そういう経緯はわかんないですけども、
4コーナーのスタンドが近すぎてゴール盤が見えないんで、
左回りになったっていうのは本当です。
で、こうして2001年に新スタンドが完成して、
周回コースが右回りから左回りに変更され、
直線1000mのコースが新設された。
もう噛みすぎ。何?コースって。ごめんなさい。
ちなみに戦後すぐ始まった、
現JRAと新潟県競馬が新潟競馬場を使って開催するっていうこのスタイルなんですけども、
これはですね、新潟県競馬の業績悪化に伴って2001年にさっき言った3乗競馬を廃止して、
2002年に新潟競馬場での競馬を廃止して現在に至るということなので、
今はJRAでの開催しかやってないよというような形になるんですけども、
こうやって現在に至るわけでございますと。
ということでね、こうやって見るとね、
やっぱり港ができたことをきっかけに人が集まって、
もともといた馬たちを使って競馬が始まって、
そしたらさらに人が集まって経済効果があるよねってなって発展していった。
こういうあり方もね、ありですよねというか、
そのもともと競馬の文化というか馬の文化がすごい根付いてるところではないんですけど、
こうやって経済効果があることによって競馬がその場所に根付いていくというようなこともね、あったりしますよね。
余談ですけど、昔からある競馬場って結構川の近くにあることが多いですよ。
これはやっぱり川が昔は交通になっていたので、
まあ人が集まりやすかったっていうことに由来するんですけども、
今でいうと高速道路とか、
あとは鉄道の近くにある競馬パークとかね、商業施設があるようなそんなイメージでございますので、
いろいろな要因で川の近くからね移転した競馬場も多いですけども、
歴史をたどっていくとわかることっていうのはね、いろいろありますねというところで、
これからの時期、ゲリラ豪雨とか台風が多く発生する時期ですから、
皆さんも川の近くにお住まいの方とかに十分お気をつけいただければなという、
思っているところで、今週のJLAでございます。
アイビスサマーダッシュとクイーンステイクス
今週もですね2回新潟、3回中京、1回札幌の3場開催となっております。
日曜日に新潟競馬場でG3アイビスサマーダッシュが行われて、
札幌競馬場ではG3クイーンステイクスが行われます。
アイビスサマーダッシュはですね、今年で25回目を迎えますG3競争なんですけども、
言うまでもなく、日本で唯一の直線競馬での駐車となっており、
現地で見れば外立ち沿いの馬が全速力で走っていくのも迫力満点なんですけども、
この迫力ね、結構ね、私見たことあるんですけど直線競馬、新潟で。
迫力すごいんですけど、生命力を感じるというか、
なんかすごい野生みというか、何て言うんですかね、
ただ全力で走ってるだけじゃないような、もうちょっと先の何かちょっと、
心揺さぶられるようなことを感じられたりとかするのがこの新潟直線競馬。
現地で見たりするとそれを感じられたりとか、
あとはテレビで見てみたらね、唯一無二のカメラワークが楽しめますからね。
もうあの馬と一緒にバーって、同じスピードでカメラがダーってね、
あのー、走るんじゃないんだけども、こうやってカメラが馬と一緒に追いかけてるっていうね、
そんなね、カメラは楽しめますからね。
これ見れるだけでもね、だいぶ面白いですでございますね。
そして、クイーンステイクスですよ。
今年で73回目を迎えますG3競争でございます。
意外と長いんですね、ところなんですけども。
あの札幌開催のイメージめちゃくちゃ強いと思うんですけど、
このレース始まったの、実はなんと東京競馬場っていう。
これクイーンカップじゃないですよ。
クイーンステイクスが始まったのは東京競馬場なんですよ。
そう意外っすよね。
この後、中山でやったり東京でやったりとか、
結構コロコロ開催場所が変わったりするんですけども、
1980年からようやく中山開催で落ち着いて、
1991年からはですね、エリザベス・オーファーへの優先出走権が与えられるようになって、
その後、あのー、週賀賞トライアルとかにもなったんですけど、
2000年、ミレミアムの年に、夏の競馬番組の改編があって、
ここから札幌開催に変更されて現在に至ると。
いうことでございまして、今週も皆様に、
あれ?買うレース間違えちゃったよ、マジかー。
いや結構自信あったのになー。
まぁ一応払い戻しね。
なんか当たってるかもしれないからね、入れてみようかなー。
えっ?当たってんだけど。嘘でしょ。
えっ?っていうぐらいの会心の的中があることをお祈りしております。
会心?会心ではないか。会心の的中ではないですね。すいません。
そして最後になりますけども、この番組への感想・質問などありましたら、
メールフォームからご連絡いただくか、コメントもお待ちしております。
そしてこの番組がいいなと思っていただけたら、
ぜひ番組のフォローもよろしくお願いいたしますと。
いうところで、今回も最後までご拝聴いただきありがとうございます。
また次回の競馬研文録でお会いしましょう。
さよなら。
23:11

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