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2025-05-16 24:12

お米が高い!その原因を探る ep.17

今日はお米の値段と米政策について考えました。米価が高騰している理由は複数あれど、これは大きい要因だと思います。


備蓄米問題よりも、ね。

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サマリー

今回のエピソードでは、減炭政策がどのようにお米の価格に影響を与えているかを探ります。戦後の食料不足から始まったこの政策が、現在の農家や消費者にどのような影響を及ぼしているかについて考察します。日本の米の価格上昇は、長年の減炭政策の影響を受けた結果であり、農業の競争力が低下したことが原因とされています。供給不足や外的要因が重なり、今後の食料安全保障に対する懸念が広がっています。

減炭政策の背景
農家の嫁で白志望持ちのCHIEです。何でも農学の脳みそで考えてしまう私が日々の生活で感じたことや学んだことを農学系の研究と合わせて紹介していくポッドキャスト番組です。
本日もツイキャストでライブ配信しながら収録しております。
本日は減炭政策とお米の値段についてお話ししたいと思います。
減炭政策と聞くとちょっと難しい話かなと思うんですけど、
毎日食べるお米の値段、それが今上がってきてますよね。
そのことについて考えたんですけど、それに触れるには減炭政策っていうのも私は触れたいなと思ってて、今日はこういったテーマにしました。
それでは参りましょう。
皆さん、毎日食べるお米ありますね。
このお米が作りすぎないように国がコントロールしていた時代があったということをご存知でしょうか。
実はかつて日本では減炭政策と呼ばれる政策が実施されてきました。
簡単に言うと、お米の作付け面積を意図的に減らしていくことで生産量を調整していくっていう政策なんですよね。
お米食べ物なのにどんどん作った方がいいじゃんって思うんだけど、でも作る量を減らすような政策が長年されてきたんですね。
今日はこの減炭政策について背景から、そして現在までの流れっていうのを触れながら、今のね、お米高いなーっていうところまでお話ししたいなと思いますので、身近なお米の歴史について一緒に考えていきましょう。
まずはじめに1、減炭政策とは、なぜその減炭政策が始まったのか、歴史的な背景について触れていきたいなと思います。
まず減炭政策が始まった背景なんですけど、戦後ですね、日本の食料、お米も含めて全体的に食料の生産というのが減ってきます。
それはさっきの戦争によってですね、農民が減って、農業の生産というのが減って、食料っていうのがなくなって貧しい時代が戦後ありました。
で、国民を飢えさせないために、どんどんお米を作れって推奨してたんですね。
で、高度経済成長期になって、日本人の食生活っていうのがどんどん欧米化していきます。
1960年代、先ほども言いましたが、食料不足だったので、とにかく米っていうのを増産していこうっていうことが優先していきました。
それで高度経済成長期、経済が発展していくと生活が豊かになっていきますね。
で、米以外の食品、パンとか麺とか、そういったものも食べる機会というのが増えていきます。
これね、なんでパンが日本の食文化に根付いていたかっていうことも、いつか話したいなぁとは思うんですけれども、ちょっと今日はそこカットで。
いつかね、小麦についても触れたいなと思いますが、まずは今日はお米、そして減炭政策について考えたいと思います。
日本人の食っていうのは、1960年代以降ですね、高度成長期を経て、小麦とかも食べるようになってくるんですね。
で、実際1960年代前半に、日本人1人が1年間に食べるお米の量っていうのは、約118キログラム。
お茶碗だと1日5杯強だったらしいです。
ですが、2020年には1年間に食べる量は50キロぐらい、1日2杯くらいまで半減していきました。
要は、お米の需要が減ってきたってことですね。
このような米離れによって、どんどんお米が余ってくるようになりました。
戦後でお米をたくさん作れっていう供給量の増加と、今度は需要っていうのが、麦とか入ってくるにつれてどんどん需要が減っていくっていうので、供給型になっていったわけですね。
お米が余るっていう状況ができたわけです。
でなると、今までは飢餓や飢えっていうのが問題だったけど、今度は別の問題が出てくる。
お米が余るっていう問題。
そうすると何が起こるかっていうと、市場価格が下がってしまうんですよ。
でなると、農家の収入ももちろん減っていきますよね。
当時は、1960年代は食料管理制度ってあって、政府が農家から米を買い上げるんですね。
でその価格調整っていうのを政府が介入していったんですよ。
で政府の倉庫に在庫を抱えて、米が少なくなった時に出してとか、
そういった価格調整、価格調整というか、当時は違うね。
その国民の食料をちゃんと守って、みんな飢えさせないようにっていう制度ですね。
今となっては価格管理のために備蓄米とかってありますけど、
食料管理制度ってあったんですけど、
1960年代後半には、生産量が消費量を上回ってしまいですね、
逆座屋という事態にまでなっていたと。
だから買い値より売り値の方が安いっていう、経営としては意味のわからん状態になったと。
それが1960年代後半、政府がお米を買い取りすぎて赤字になるっていう事態が起きるわけですよ。
これを何とかしたいと。
当時の農林省、農林水産じゃないのかな、名称は当時は。
農林省と与党である自民党が動きまして、
1970年前後から、米の作付け面積や生産量を強制的に調整する政策が始まります。
これが減炭政策の始まりです。
正式には生産調整って言いますね。
減炭の炭なんですけど、これは面積の単位ですね。
面積で言うと約10Rを指すんですけども、まあいいでしょう。
要は田んぼの面積を減らしていこうっていう政策になります。
政府は生産量を減らす代わりに、農家に補助金を出すんですね。
決められた面積分の稲作をやめれば、その分お金を国が支払うという仕組みにしました。
農家をやめろってわけじゃなくて、転作っていうのを奨励していったんですよ。
例えば飼料用の作物だったりとか、あとは当時輸入に頼っていた大豆、麦などに、
その水田を転作させるっていうことを奨励していって、
米が余ってるからその分自給率、大豆とか麦とかの自給率上げていきましょうっていう、
そういった意図もあったようですね。
1970年、昭和45年頃から本格的に減炭政策っていうのがスタートしていきます。
発足当時の目的は、米の作りすぎを防いで米価を安定させることでした。
米の価格って書いて米価って呼んだりしますけど、米価を安定させようっていう目的でやってましたね。
お米の受給バランスをとって価格の暴落を避け、農家の暮らしも守っていこうと、これが減炭政策を始めた理由です。
農家と減炭政策の影響
次にどんな影響があったのか。
減炭政策が実施された約50年間、農村部や農業にはどのような影響があったのかっていうのを考えていきたいと思います。
まず農家の視点でいくと、私も調べた限り、インターネットで当時の人の声とかって見たんですけど、
減炭政策のもとでは各農家が作付け面積を減らすかどうかっていうので収入が変わるわけじゃないですか。
それによって補助金が出るわけだから。
例えばだけど、田んぼ全部に米を作ってしまうとそれは作りすぎになるから、田んぼのうち2割は米を植えないでね、その2割分補助金出しますよっていう形で補填されてたわけですけれども、
減炭政策が始まった当時っていうのは米を減らしてお金がもらえるっていうのは変な感じだったと。
で、せっかく育ってた稲を途中で刈り取る、青刈りっていうらしいね。
あの私まだ生まれてないので、その風景わからないんですけど、青刈りっていうこともして、もうとても虚しい気持ちになったとか、そういったインタビュー記事もありましたね。
減炭政策の初期には、育成途中の青い稲を刈り取って処分する青刈りということまで行われたんですね。
もったいない。本来なら金色にね、実った稲穂を収穫できるっていうとこだったのに、収穫前に刈り取る。
お金はもらえるけど、まあなんとも心苦しい政策ではありますよね。
あ、ようこそ。北海道から2年前に東京に移住しました。あら、私は埼玉から北海道へ移住しました。
逆転してるね。やばい、台本書きすぎて終わんないこれ。
では農村全体ではどんな変化が起きたのか。
青刈りまでしてね、お米の生産量っていうのを減らしてきたわけですけれども。
これね、減炭政策の影響で長期的に見ると、日本の稲作農家の数っていうのは大幅に減少しました。
はい、そりゃそうだよ。
米作りでは必要以上に作れないから、副業を始めたり、後継ぎに都会の仕事を進めたりするっていう例も増えたわけですよ。
その結果、その結果というかそれだけじゃないんだろうけど、減炭政策も踏まえて農家の高齢化、後継者不足っていうのがどんどん進んでったわけですね。
農林センサスの統計を見ると、2010年で農業従事者の平均年齢は約70歳近くになっていますね。
年々若い担い手が減っております。
これは皆さんご存知かと思いますが、米も牛乳もそうですよね。
どんどん減ってきたというわけなんですけれども、
これね、日本全国でもちろん人口も減ってるんだけれども、農村部、この減炭政策の影響結構あるんじゃないですかね。
私ごめんね、米の研究者じゃないから、米の生産は不得意ではあるんだけど、
減炭政策が始まった1970年頃には専業農家っていうのがたくさんいたわけですけれども、
専業農家っていうのは農業だけで食っていけてる人たちってことね。
基本的には兼業農家が多いけど、日本はね。
でもまだ70年代には専業もいましたよ。
だけど高齢化とともにどんどんリタイアで田んぼを貸したり手放したりするケースっていうのがどんどん増えてきます。
この専業兼業っていうのも今度話したいですね。
専業と兼業の移り変わりっていうのも今度やろ。
メモっとこ。
経済的な面でいくとね、2本3枚の価格っていうのが高めに維持されるという結果になりました。
まあそりゃそうですね。
生産量を絞ってるわけだから市場に出回る米の量っていうのが少なくなるわけですよ。
だから需要よりちょっと少ないぐらいに保つ。
それで米の価格っていうのが高止まりするように調整された。
結果として米の価格は下がりにくくなったと。
これは農家にとっては収入が安定するからね。
メリットではある。かつて米余りの時代っていうのは価格が暴落しちゃうわけですから。
だけど消費者にとっては常にやや割高な米を買わされているっていうことも捉えられるよね。相当も捉えられる。
さらにその減担を支える補助金っていうのは税金から出ていますよね。
だからすごい変な構造なんだけど我々国民、農税者が負担するその税金で農家に補助金を出してお米の生産量を減らしてきた。
そして我々は高くなった価格の米を買っていたっていう構造になっていました。
米不足の歴史
でこれが何年?40何年だ?
あ、ごめん引き算しないと。40年以上続いたわけですよ。
だから都会に行って農村行ったことないから関係ないって思うかもしれないけど都会で暮らす皆さんも知らず知らずのうちにお米の価格維持政策に協力して貢献してきたわけですよ。
でね、この減担政策でちょっとトラブルもあったわけですね。
それはね、記憶にある方もいらっしゃるかと思うんですけど1993年これね日本は記録的な冷化になってお米がね作れなくなっちゃってるんですね。
で収穫量が激減しまして政府の備蓄前を放出しても追いつかないっていう米不足となったわけです。
これがいわゆる平成の米創造。ご存知の方ね、記憶にある方いらっしゃると思うんですけれども
日本は急遽タイやアメリカからお米を緊急輸入しました。これがタイ米。タイ米はまずいみたいなことをね言う方もいらっしゃいますがその記憶っていうのはこの時期のことです。
なんで備蓄前が不足したのか。これは平時から米余りを防ぎすぎたためにギリギリの生産量でやってたからいざ冷化になったときに備蓄前が少ないから足りなくなったってことですよ。
これが平成5年のことらしいです。だからさこういった米の製作っていうのは非常時のことも常に頭に入れながら考えなきゃいけないんだよ。
というか日本に住んでいる以上そうなんだ基本的に。米は保存の効く作物ですから非常時当然多いわけですよ。日本は地震大国で台風も多いからね。そういった時に備蓄しとかないといけない。
多めに作れる国民の胃袋をちゃんと支えられるっていう量を担保しとかなきゃいけないんだよ。なんだけど価格が落ちるからとか。そういうのでどんどんどんどんと米を減らし続けたんだよ。
長年に続いた減炭政策でありましたが制度としては2018年平成30年に終了しました。約50年にも及ぶ政策に枠が下ろされたと。
終わった理由いくつかあるんですけど大きな理由としてはこれ以上生産調整続けても生産調整というのは減炭しても農業の競争力の向上にならないという判断があったためと。
政府は2013年に減炭政策の廃止を打ち出し農家ごとに生産量を割り当てる仕組みをやめました。で農家自身の経営判断で自由に作付けできるように切り替えることにしました。
これで自由に作れるぞと。たくさんお米が作れるぞとなって。じゃあ以前のように米余りになるぐらいお米ができるかって言ったらそんな簡単な話じゃないと。
50年もやってきたんだよ。作りすぎるなと言って。簡単に増えるかよ。増えないよ。
もうね50年も減炭やったおかげでその政策が功を奏して農業人口っていうのが順調に減っていったわけですよ。
減炭が長く続いたことで日本の米農業には良くも悪くも細く長く作るという体質が染み付いているわけですね。
で農家の数は減って一人当たりの経営規模も小さいまま高齢化していきました。
減炭が終わってねこれから自由に作れるぞってなってももうね肝心の作り手がいないんだよ。
だからね減炭政策終了してねこの数年もう作り手がいない。供給量が足りない。
作る人いない。技術もない。お米の供給バランスはあっという間にピンチになりましたと。
食料安全保障の懸念
で2022年から23年ぐらいお米の在庫が減少傾向になって、
でねあとは環境のことだったりとかあとは原油価格の高騰とかねそういった外的要因もあるんだけど
そういったいろんな要素が重なって2024年にはお米の小売価格が急倒し令和の米騒動とまで呼ばれる状況があったと。
米余りだ米余りだって言われてきたんだけれども結局ねその政策をしたが故に今は農家自体が減って米不足ですよ。
なんかねー。でさーこれもさー例えば海外で麦が余ってたらどうしますか?輸出するでしょ?なんでしなかったかなぁ。
あーでもこれ話しすぎるとまとまらないので終わりますね。
次!
ということではないぞと都心都会に住んでいる人々ここまで聞いてさ農家の話多めにしてきちゃいましたが自分は東京に住んでるから関東に住んでるから関係ないかなぁと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが
減炭政策っていうのは都市生活者にとって決して他人事ではありません。
まずね第一に減炭政策には全金が投入されてきたわけですよ。
でその税金によってお米を作らないためのお金を一生懸命払っていたとこれは都心の人影響あるでしょ?
二つ目スーパーで買うお米の値段高くなりましたからお米の価格大きくね暴落することはなくなったけど裏を返せば常に高めの価格に維持されていたっていうのが減炭政策ですよ。
三つ食料安全保障や非常時のリスク例えばタイ米を輸入した1993年の米不足これは霊化によるね災害でしたけれどもこの時に非常時に対応できない食料安全保障があるかよ。
これね平成の米騒動と令和の米騒動は質が全然違いますからね平成の米騒動はまあその年だけだからさいいんだよまだ令和の米騒動はねもう作り手がいないんだよこれからずっと続きますからやばい。
4文化環境面ですね日本の農村田園風景これは文化としても作り上げられたわけですけれども和食おにぎりねあとは酒かうんそもそもねこういった文化っていうのも作り手がいなければ私たちが口にすることなくなってしまうわけですね。
こういった文化面でも危機ですねそして5つ目田んぼっていうのは寒用地下水を貯める機能がありますねだから生物の多様性とか洪水を防いでね水を貯める機能があるからそういった機能もあるわけですよそういった防災機能生態系のサービスっていうのも失われていくとでは簡単にまとめ
元旦政策について歴史から現在までざっとお話ししました振り返ってみると日本人の食生活の変化に合わせて生まれた政策であり農家を守るためには必要な政策でもありましたしかし同時に長く続ける中で陽気性に副作用も生んできましたそして今危機的な課題を残しています
都会に暮らしていると普段は意識しませんが私たちの食卓やお財布そして暮らしの安全はこうした農業政策と密接につながっているんですはいだからね農政のことっていうのは選挙の時にあまり見ないかもしれないんですけど皆さんの生活に直接つながる問題が農政にもあるんですよね
だから選挙だったりとか政策を見るときに農政の方もチラッと見てくれたら嬉しいですそして私も勉強していきます農政っていうのあの今回ねなぜ自分の不得意な米政策について話したかというと自分も勉強したかったからですねはいだから私と一緒に皆さんも一緒に勉強して日本人のお米の文化だったりとかあとは食料安全保障っていうのを考えて
いきたいなぁと思います
そろそろ終わりのお時間となってまいりました
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本日は米政策そして減炭政策についてお話ししました
私もまだまだ勉強中ですが皆さんと一緒に新しい知識を増やせたらいいなと思っています
それではまた来週お会いしましょう
またね
24:12

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