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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワー数2万人超えの臨在寿命信者派の僧侶、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。前回は、インドの身分制度として知られるカーストの起源と、その内情についてお話をしました。
このカーストというのは、現代においても様々な圧力、問題を生じさせているんですけれども、なんで無くならないのか、これ、不思議に思う方が多いと思うんです。
なので、今回は、なぜカーストが無くならないのか、ということについてお話をしたいと思います。
以前に、カーストには、常、不常、綺麗と穢れですね、その観念が関わっているという話をしましたけれども、下位のカーストの人々ほど穢れているから、上位カーストの人は、接触を避けるという話をしました。
これをお聞きの方でも、おかしいと思われる方が多いと思うんです。
でも、頭でわかっていても、体の中に刻み込まれている部分が強いんですね。
例えば、私たち日本人であっても、お遺体に触れた手をそのままにしておくということに、抵抗がある方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
実際は、汚くも何ともないと、頭ではわかっているんです。
でも、生理的に厳しい。
それを想像すると、インドのカーストが無くならない理由というのが、少しわかるんじゃないでしょうか。
しかも、それは、昨日今日にできたんじゃないんです。
数千年間にわたって、インドはそれをやってきているんですね。
だから、なおさら難しい。
そういう一面がある。
そして、もう一つ、カーストが無くならない理由を挙げると、
カーストというものが、人員的に作られたものじゃないとされてきた。
そういうことも挙げられるんですね。
カーストを歴史的に見ると、これは前回も申しましたけれども、
中央アジア辺りから移動して、インドに侵入してきたアーリア人という民族が、
先住民族を自分たちの支配下に組み込む、そういう戦略の一環となっていますけれども、
カーストについて記された、カーストの根拠とされるアーリア人の聖典、
これベーラと言いますけれども、
このベーラによると、このカーストというもの、ベーラというもの自体が、
聖戦によって監督されたものだとされるんです。
聖戦というのは、理士というふうに言ったりするんですけれども、
苦行とかを通して、人智を超える力を手にした聖者、聖なる人のことなんですね。
その聖なる人が監督するというのは、
瞑想とかをしていたら、バチッとインスピレーションが湧いてきたみたいな感じですね。
この聖戦がやることというのは、詩を読むことなので、
瞑想というか、この時代の詩を読む人たちって、
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相馬と言われる、今で言うとハーブの一種だろうと言われているんですけれども、
そういうものを使って、気分が高揚して、
それで、心の内から詩が出てくるみたいな、
そういうことをやられていたんですけれども、
そういう中でバチッと出てきたもの、
天からの啓示というのか、
天からの啓示というと、上から降りてくる形になるんですけれども、
この場合、天からの啓示というよりも、
自分が天に行くみたいな、そういうイメージがベーダーの中にはあるんですね。
どっちにしても、天の啓示ですから、
人間によるものじゃないというふうにされるんですね。
これがすごく大きいんですよね。
人間が作ったものであれば、いくらでも変更ができると考えられますけれども、
そうじゃないんだよと。
天からね、神様が決めたものなんだよ、
そういうところがあるんですよ。
だから、なかなかひっくり返らないんですね。
ベーダーに説かれているこの宗教観というのは、
これは素朴なものでして、
自然現象を神様として見るんですね。
代表的なものでいうと火ですね。
火というのは神格化されると、
アグニという神様として信仰されるんですけど、
このおうちごとに火を祀る壇、火壇を設けて、
そこに穀物を投げ入れるんですね。
この儀式のことを穀物投げ入れることを
ホーマというんですけど、
これが神言宗で行われるゴマ行の由来です。
ホーマという言葉が、
その音に漢字を当てはめれたゴーマというふうになるんですね。
また日本の仏教でもですね、
ろうそくに明かりを灯すということをやりますよね。
これは、火を拝む習慣があったアリア人、
その習慣が仏教の中に入ってきてやっている
って考えられています。
日本人が知っている他の神様でいうとですね、
ベンザイ天もそうですね。
このベンザイ天というのは、
もともとインドに流れていた
サラスバティという川があったんですけど、
これ、今現在は枯れている川なので存在しないんですけども、
昔あったその川が神格化されたんですね。
それが仏教を通じて日本に入ってきました。
このサラスバティ、ベンザイ天ですね、
何の神様かというと、
日本人にとってはですね、
音楽とか芸術の神様というふうに
信仰されるのが今は強いんですけど、
それはね、
後世そういうふうに性格が変わったんですね。
神様って性格が変わっていくんですよ。
これちょっと面白いなと思うんですけど。
もともとですね、
じゃあ何の神様だったかというと、
論術、おしゃべりです、
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の神様なんですよ。
インド人って議論がすごく好きなので、
すごくインド人らしい神様だというふうに言えますね。
だからベンザイなんですよ。
ベンというのはベン形のベンですね。
ベンのサイがある神様だからベンザイですね。
こういうふうないろんな神々がですね、
自然現象が神様化して神格化して、
それを儀礼の場において呼び寄せて、
そして神々を讃える歌と、
そしてお供え物で寛大、もてなす。
こうやってお供え物を捧げる儀式をやるんですけども、
このお供え物を神様に捧げることを、
これプージャーって言うんですけど、
これ実はね、現代の日本語でも、
皆さんもね、必ず使われたことがある言葉になっているんです。
これ何だと思いますか?
はい、分かりませんね。
これはですね、供養っていう言葉のもともとの言語なんです。
プージャーが翻訳されて供養とされて、
そして私たちは今日ではですね、
いろんなお勤めしたり亡くなった方のことを
弔うことを供養って呼んでいるんです。
もともとはですね、神様にお供え物をあげることを言っていたんですね。
こんなふうなですね、儀式を通して、
このベイダー・アーリア人たちはですね、
神々をコントロールをして、
そして様々な願望を実現させようとしたんです。
ただここが一つミソになってくるんですけど、
この儀礼っていうのは、誰にでもできるんじゃないんです。
特定の家系に生まれて、
そして幼い時から専門の教育、訓練を受けてきた神官にしかできないんです。
これ例えるならですね、近いものだと、
日本の歌舞伎でですね、
市川断十郎家ってありますよね。
前の海老蔵さんですね。
このお家にだけ揺れされた、
にらみっていうみえがありますよね。
片目を寄り目にして、
もう片方の目で中央を見るっていうやつです。
これご覧になった方、結構おられるんじゃないかと思うんですけど、
この構図に似てますよね。
特定の家だけでずっと揺れされるものなんです。
ベイダーの神官というのもそういう形なんですね。
そうなってくるとですね、
どれだけ権力を持った人でも、
例えば王様であっても、
願いを叶えようとするのであれば、
神官に儀礼を依頼するしかないんです。
そうなると必然的に神官の地位が向上していきます。
この神官のことを何と言うかというと、
バラモンって言うんです。
ですからカーストの最上位に来るバラモンっていうのは、
こういう人たちなんですね、もともと。
この地位を担保する、
バラモンの地位を担保するものっていうのがちゃんとありましてね、
先ほどからベイダーベイダーって言ってますけれども、
このベイダーっていうのはアリア人の聖典ですけど、
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主に4つありましてね、
その中で一番古いベイダーがリグベイダーって言います。
この中にですね、万物のもととなる
ゲンジンプルシャからいろんなものが生まれてきたと述べられています。
ちょっとわからない言葉が続いたと思うんですけども、
これね、簡単に言うと創世神話です。
日本でもイザナギとイザナミからですね、
日本列島が生まれたっていう国生みの神話がありますよね。
これいろんな国でありますね。
なんか一つのものからいろんなものが派生して生まれてきたっていう、
そういう考え方ですね。
インドもこれ結構あって、
いろんなバリエーションがあるんですけど、
その一つがいろんなもののもととなる、
ゲンジン、人なのかな、よくわからないんですけど、
それにプルシャっていうのがいて、
そのプルシャの口からバラモンが生まれてきて、
腕からクシャトリアが生まれてきて、
ももからヴァイシャが生まれてきて、
足からシュードラが生まれてきたって書いてあるんです。
上の方がいいわけですよ、当然ね。
だからバラモンが一番いいんだって言うんですね。
一番下のシュードラが足からっていうからね。
だからシュードラはバラモン、クシャトリア、ヴァイシャの階級の人々に
奉仕をしなきゃいけないんだと。
こういうふうにロジックがつけられてしまっているというかですね、
そういうふうになっているんですね。
これがカーストの根拠としてずっとあり続けているんです、今もなおですね。
でも今から2500年くらい前になりますと、
仕様目が変わり始めるんです。
バラモン史上主義だったインドにおいてですね、
ちょっと流れが変わるんですね。
それが仏教の誕生につながっていきます。
次回はですね、2500年前にインドで何が起こったのか、
これについてお話ししたいと思います。
これから仏教を学びたいと思う初心者の方に向けて
仏教を解説するポッドキャスト、
感動賞の初めての仏教、
Apple PodcastやSpotifyなど、
ご利用されているポッドキャストプラットフォームの
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ここからはアフタートークです。
私が話したいことや、
個人的に気になったことをお話ししたいと思います。
今回はですね、カーストについて触れましたので、
ちょっと仏教とカーストの絡みのお話をしようかなと思います。
これは日本の方はほとんどご存じない話でして、
今からする話。
お坊さんもね、結構ご存じない方多いんですけども、
実は仏教にはですね、
お坊さんに対して、
何で出家したんですかって、
この出家の理由とか、
あと出家以前のことを質問しちゃいけないっていう
不分立がインドの仏教ではあったんですよ。
これは実際にですね、
立像っていって、
仏教のルールブックみたいなのがあるんですけど、
その中にそういうことがちょっと触れてあるんですけども、
これは何でそういう出家する理由とか、
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出家以前のことを聞いちゃいけないかっていうと、
これはカーストを仏教の組織なりに持ち込ませないためだっていう風に考えられてるんですね。
実際にですね、これは仏教の組織の中であったことなんですけど、
すごくいいカースト、
例えばバラモンカーストとかですね、
あのあたりから仏教のお坊さんに出家をした人とかがですね、
それまでの自分のカーストをすごく誇りに思っててですね、
自分より下のカーストの人を見下したりとか、
俺の方は上だっていうようなことをやったんですね。
でも仏教って、
仏陀はですね、
カーストっていうものをそんなに絶対視してないんですよ。
カーストが上かどうかよりも、
悟るかどうかの方が重要だって仏陀は考えておられたので、
だからそういうのを持ち込むなっていう風に言われてるんですね。
カースト、悟りの前ではみんな平等なんだっていう風に言われたんですね。
たとえ生まれがですね、
カーストで一番低いと言われてるシュードラであろうと、
もし悟ったのであれば、もうその時点で価値があるんだと、
こういう考え方を仏陀はされたんですね。
だからこの出家したお坊さんに対してですね、
なんで出家したんですかとか、
出家する前に何されてたんですかとか、
こういうことを聞いてしまうと、
カーストっていうものが、前のカーストがバレちゃったりするわけですよ。
インドはね、仕事とカーストがものすごい密接に結びついてるんです。
だから仕事を聞いたら、カーストが何かがわかっちゃうんですね。
そういう風な事情があるので、
出家以前のこと、また出家した動機、
こういうことを質問しちゃいけませんよって、
こういう風に分立ができたんですね。
日本の場合はですね、そういうことはありませんから。
カーストっていうのもないですし、
仕事がそういう風に結びつくってこともないので、
割と皆さん、ご存知でなかったりとか、
気軽に聞かれたりするんですけども、
でも実はそういう部分がありますので、
今後ですね、皆さんが、
もしお坊さんに出会ったりする際があればですね、
出家したり、なんで出家したんですかとか、
そういう質問だけはね、
お控えいただけるといいかなという風に思います。
今回は以上となります。
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