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2025-03-26 12:40

【仏教誕生前編#6】死んだらどうなる?古代インドが見つけた「生まれ変わり」という答え

▼今回のトーク内容


インド思想の目的が変わり出す。出家主義の流行


史上の目的とされる解脱とは


知覚の裏側にあるもの。アートマン思想の成立


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今回は下記のテーマでお話ししました。


#6 仏教誕生前夜 人生の目的の転換


▼アフタートーク


ウパニシャッドの二大哲人について


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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワー数2万人超えの臨済宗明信司派の僧侶、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。前回は、インド思想の始まりとなった、ベイダーを中心としたバラモン教についてお話をしていきました。
バラモン教の時代においては、自らの願望を叶えることとか、また、現世における幸せを享受する、これが目的とされてきました。
人は、それぞれ社会的な義務を果たして、家を繁栄させること、これが推奨されたんですけれども、時代が経つと、だんだんとそれとは別のものが、人生の目的として進められるようになっていく。
その目的とは何かというと、家から出て、世俗から離れて、下脱すること。これこそが人生の目的であると言われるようになるんですね。
一気に、仏教の匂いがしてきますね。要するに価値観が変わったんです。
まず、下脱というところから話をしていきたいんですけれども、ベイダーとかバラモン教の時代においては、人は亡くなるとどうなるのかということについては、中心的なトピックではなかったんです。
でも、時代が下っていくと、亡くなった後にどうなるのかということについて、関心が向けられるようになります。
そのことが明確に言及されるのが、ウパニシャットという文献たちにおいてです。
今、初めての言葉がまた出てきましたから、あんまりカタカナが登場すると、頭に入ってこなくなるから、使いたくないんですけど、インドの話をするのにカタカナが出てこないのも逆におかしいですから、ちょっとご容赦いただきたいんですけれども、
ウパニシャットというのは、ずっと言っているベイダー、このベイダーに付属する文献というものなんですね。
哲学的な内容のものになっていまして、この名前の語源、ウパニシャットという、これは弟子が師匠の近くに座るという意味だと言われていて、
これ、要するに、師から弟子が教えを受けている様子なんですね。そういうふうにして伝えられてきたものがウパニシャットですよということになるんですね。
ただ、ウパニシャットというのは一つじゃなくて、いろんな文献があるんです。
〇〇ウパニシャット、〇〇ウパニシャットというのがたくさんあるんですよ。しかも作られた時代もバラバラなんですね。
だから一概には言えないんですけども、一番古いものは紀元前7世紀、ないし6世紀まで遡ると言われていて、これはブッダが生きた時代よりも1世紀、2世紀前になるんですね。
ただ、これも同じ時代じゃないかと言われたりもするんですよ。この辺も難しいんですけどね。ただ、一般的にはブッダよりちょっと前じゃないかなと言われているんですね。
このウパニシャットの中で、人の死後について語られている場面がありまして、それがですね、ウッダーラカアールニという哲学者がある王様から教えを受けるという、そういう場面において語られているんですね。
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そこでですね、人は亡くなった後、様々な経過をたどって生まれ変わるという話も王様からウッダーラカアールニが聞くんですね。
こんなふうに、生まれ変わるということをしっかり説かれたのはここが初めてだと言われていて、この生まれ変わるという思想のことをリンネというふうに言います。
リンというのは一輪車の輪、車輪の輪ですね。
ネというのは回るという字、回転するの回転。
でもね、これ信仰みたいな、信仰じゃないですけど、これなんて言うのかな、武士、そういうものが作るやつです。
ちょっと調べてください。
この字の通りですけども、リンネというのはですね、私たちというのは生まれ変わり死に変わりを延々とぐるぐると繰り返すと考えられているんですけども、
生まれ変わるところから抜け出すということ、二度と生まれ変わらないようにすること、これこそが思考の目標なんだって考えられたんですね。
なんでね、二度と生まれ変わらないような状態を目指すのかというと、ここはですね、背景としてこの世、また生存することというのは苦しみなんだという共通した認識がこの時代にはあるんですね。
この時代って言わずですね、ここから先ずっとその認識がインドの思想の中ではあり続けるんです。
人生は苦だっていうやつですね。
仏教もやっぱりそういうことを言いますけども、これ仏教だけじゃなくて他の思想でもそう言うんですね。
そういう前提があるということ、ここを抑えていただけると、二度と生まれ変わらないということを目指すということがちょっと理解いただけるかなと思うんですけれども。
そのリンネから離脱するから下脱なんですよ、出るからね。
ここから先のインドの思想においては、リンネの原因が何なのか、そしてどうすれば下脱できるのか、これが中心的なトピックになっていきます。
ただいろんな人がですね、いろんなことを主張するので、インドではこういう見解が統一的な見解がありますというのは出せないんです。
本当にバラバラです。
リンネの原因についてもですね、いろんな人が、俺はこう思うということをずっとバラバラで言うし、
下脱の方法も、または下脱というものが何を意味するのか、この下脱の内容ですね、これもバラバラなんです。
よく我々仏教で悟りって言うじゃないですか。
この悟りっていうのと下脱っていうのは同じことを言っています。
ですから、悟りって何ですかって言った時に、これもやっぱりインドで統一した見解は出せないんです。
結局下脱の内容がバラバラだからですね。
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もしこの辺知りたい方がおられればね、またどこかでお話ししてもいいかなと思うんですけれども。
あと大事なことなんですけど、先にお話ししたウッダーラカアールにですね、
この弟子にですね、ヤージュニア・バルキアっていう、何度も言いづらいし聞き取りづらい名前になるんですけど、
このヤージュニア・バルキアっていう人がいまして、その人はですね、こんなことを考えたんですね。
私たちが見たり聞いたりする、知覚ですね、いわゆる目や耳や鼻とか舌とかを通して私たちは外界のものを知覚しますよね。
この知覚する裏側には何か主体的な存在があるんじゃないかって考えたんです。
それをアートマンって言います。
これね、日本人にはちょっとわかりづらいかなと思うんですけれども、
例えるのであればね、ガンダムのパイロットみたいなイメージですかね。
ガンダムって、ロボットのガンダムを操縦士のパイロットが動かすじゃないですか。
あんな感じで、我々の中にもですね、何かこう、そういう主体的な存在があるんだと。
我々を支配して動かすようなね。
そういうものをアートマンっていうふうに呼ぶんです。
このアートマンが生まれ変わりの主体となるっていうのが、このヤージュニア・バルキアの時代に確立をされるんですね。
これね、この後の仏教を理解する上ではですね、このアートマンが前提になる。
前提っていうのは、ここでいう前提というのはですね、
このアートマンという思想を乗り越える形で、ブッダは思想を展開するんですね。
だからこのアートマンがわからなかったら、
ブッダの言っている今後大事なことを言っていくのが全部わからなくなるので、
このアートマンというところはね、ちょっとしっかり覚えておいていただきたいなというふうに思います。
次回はですね、いよいよ仏教についてお話をしていきたいと思いますので、お楽しみに。
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ここからはアフタートークです。
アフタートークでは、本編にまつわる話や、私が個人的に気になった話をしていきたいと思います。
今日はですね、本編にも出てきました、
ウパニシャットの二大鉄人と言われる。
鉄人というのは、鉄学の鉄人、人で鉄人ですね。
この二大鉄人と言われているウッダーラカ・アールにと、ヤージネ・バルキアのお話をしたいなと思います。
日本ではね、全然知られていないと思うんですけれども、
この二人はインドではすごく有名人なんですね。
この二人は指定関係、師匠と弟子の関係にあったと言われていまして、
ウッダーラカの方が師匠、ヤージネ・バルキアが弟子なんですけれども、
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その性格はですね、両者の性格は全然違うんですよ。
本当に180度違うんですね。
師匠のウッダーラカの方はですね、家柄もめちゃくちゃ良くて、
バラモン階級の中でもですね、名門と言われる家の出身なんですね。
彼が論争をするために地方に赴いていくと、その地域のバラモンたちは震え上がったほどだと言われるんですね。
ああ、あの名門の、あの家のバラモンが来たって言ってですね。
でもね、彼ね、人格者だったんですよ。
すごく謙虚で、知らないことははっきり知らないと言える人だったんですね。
本編の中でも、リンネの話をしましたよね。
あれは王様にウッダーラカが教えてもらったっていう話なんですけど、
王様っていうのはですね、やっぱりバラモンよりカーストが下なんですよ。
でも彼はですね、知らないことであれば、自分より低いカーストの王様にも頭を下げて教えをこうという謙虚さがあったんですね。
で、まあこれ別の場面にもですね、王様からですね、洒落を渡されようとした場面があったんですけど、
それも彼はね、いらないって誇示する、そういう謙虚な人だったんです。
その一方で、弟子の方のヤージナ・バレキアは、師匠のそういうところを見てきたと思うんですけど、
全くそういうことがないんですね。
彼の弟子のヤージナ・バレキアの方は、すごい自信があったんですよ、自分に。
有名な話で、王様主催の討論会があったときに、
王様がですね、勝った人への賞品として戦闘の牛をやるという、戦闘の牛ですよ、すごいですよね。
で、柵の中に囲ってたんですよ。
で、まだ討論が始まる前にですね、他にもたくさん討論相手のバラモンがいるんですけど、
そういう人たちがいるのに、労働とですね、このヤージナ・バレキアはどうせ俺が勝つんだからっていうね、
討論する前にその牛を持ち帰ろうとしたというエピソードがですね、
すごいでしょ。
しかも、その後ね、みんな止めたわけですよ。
いやいや、ちょっと待てよって言って。
止めて待ったんですけど、最終的にね、やっぱり勝ったんですよ。
で、その通り持ち帰るっていうね、漫画とかに出てきそうな自信満々のタイプなんですけどもね。
死のね、うったらかにも容赦なくって、ヤージナ・バレキアは。
論争にやった時に師匠を打ちまかすってこともやってるんですね。
ある意味で師匠を乗り越えるってことも言えるんだとは思うんですけれども。
ちょっと近くにいるとね、あんまり仲良くなりたくないというか、
怖いですね、そういう人が近くにいたらね。
うったらかの方がちょっと教えてもらいたいなという気持ちに私はなりますね。
そういう対照的な二人ではあるんですけども、
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今日まで続いているインド思想の基盤っていうのは、
この二人によって作られたと言っていいほど、この二人に追うところが大きいんですね。
なのでね、そういう部分も今日はちょっとご紹介したいなと思って、
アフタートークでお話しさせていただきました。
今回は以上となります。
私、観道神は、仏教を多くの方に伝える活動をしております。
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