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2025-04-09 16:00

【仏教誕生編#2】ブッダとは、誰のこと?「お釈迦様」「如来」「仏」その名前に隠された物語

【今回の内容】

ブッダの名前は?/


ガウタマ・シッダールタとゴータマ・シッダッタ/


シッダッタは創作?/


佛は「ヒトデナシ」?/


悟る前は菩薩


【アフタートーク】

戒名の話


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仏教を学びたい初心者の方に向けた『かんどう和尚のはじめての仏教』


今回は上記のテーマでお話ししました。



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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、
インスタグラムでフォロワー数2万人超えの臨済宗の僧侶、私、かんどう和尚が、一から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。今回から、ブッダの生涯についてお話ししていきたいんですけども、
まずその前にですね、仏教を創始した、ブッダの名前の話からさせてください。
なんで名前の話からしなきゃいけないのかっていうのは、これは後々お分かりいただけるかなと思います。
伝承によるとですね、ブッダのお名前はパーリ語でゴーダマシッタッタ、サンスクリット語ではガウダマシッタルタであったと言われています。
聞き慣れない言葉、パーリ語とね、サンスクリット語って出てきましたけど、これは何かって言いますと、パーリ語っていうのはスリランカとかインドのですね、南に伝わった仏教で使われる言語になります。
向こうではお経というのはこのパーリ語で記されています。
もともとはですね、インドにおける方言のようなものだったと言われているんですけども、
ブッダ自身はこのパーリ語の親戚になるバガダ語という方言を話されていたと推定されています。
日本で言うとですね、京都弁と大阪弁みたいな違いでしょうかね。
一方、サンスクリット語の方は古代インドの公用語であったものです。
私はですね、この方言であるパーリ語を少しだけかじったことがあるので、そちらの方に馴染みがあります。
だから今日もですね、ゴー玉知ったったっていうパーリ語の表記の名前の方でちょっと説明をしたいんですけど、
まずゴー玉のゴーってこれ何だと思います?
これはですね、英語でカウってありますよね。
カウは何?
はい、牛ですね。
ゴーもそうなんです。
インドに進出してきたアーリア人とヨーロッパの人々の先祖って一緒なので、ヨーロッパ語とインド語って語源を共有しているんですね。
だから似たような言葉ってものすごく多くてね、こういう例は随所に見られます。
次、タマっていうのは優れたっていう意味です。
だから優れた牛さん。
インドにおいて牛ってすごくね、神聖子されててですね、
もともと牛によっていろんなものをもたらされるっていう意識があったんですね。
例えば草とかって我々人間はね、ほとんど食べれませんけども、この牛ってのは草を食べてね、それがミルクとかに変わる。
そのミルクを絞って牛乳を飲んだりとか、さらにはそこから加工してチーズとかバターにしたりとかですね。
そういうところから私たちにはできないことをやっているっていう、そういうものを牛の中に昔の古代インドの人は見出したんですね。
だから牛ってのはちょっと我々より上なんじゃないかみたいな。
神聖子をされたっていうふうに言われてます。
だからこの名前に牛っていう名前がつくっていうのはね、これすごくいいことなんですね。
高貴な名前なんです。
そして次にですね、問題となるのがですね、使者の名前、知ったったっていう名前ですね。
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これは目的を叶えたっていう意味なんですけど、何が問題かと言いますと、古い仏教ですね、には明治である、聖である五菱しか出てこないんです。
知ったったって名前全然ないんですよ。
これ時代が結構新しくなった経典、記録から後になって出てくる名前なんですね。
仏陀っていう人はですね、この生涯は悟りに至りたいという目標を持ってやっていったわけですよ。
その目標を叶えたから悟れたんですよね。
ちょっとそういう出来事があるので、その上にですね、知ったった、目的を叶えたっていう名前はちょっと出来すぎなんじゃないかってことが言われるんですね。
だからこれは後世の人々によって創作された名前じゃないかって疑われてます。
ちなみにですけども、五菱っていう姓の方、苗字の方、これはですね、仏陀は王族の出身、王族のことはクシャトリアっていう階級だってことを以前お話ししましたけども、この王族の出身の人の苗字じゃないんですね。
王族より上の階級であるバラモン階級の人々の苗字だって言われてます。
じゃあなんでバラモン階級の人たちの苗字がクシャトリアの仏陀の苗字になっているのかっていうと、それいろいろ考えられてて、仏陀の先祖がバラモン階級から王族に養子に出されたんじゃないかっていう説があるんですね。
これなんか私面白いなと思うんですけども、そういうことがその辺りから見られるんです。
苗字でカーストがわかるっていうのは、これはインドに住んでないとなかなかわからない、インドに詳しくないとなかなかわからないことなんですけど、
私の知人が以前飛行機に乗ったらですね、隣の席になった人が、全く初対面の人なんですけど、いきなり自己紹介をしてきてですね、
で、なんか律儀な人だなと思ってたら、苗字聞いたらバラモン階級の人だったって言ってましたね。
だからおそらくやっぱり自分がバラモンであるってことが、ちょっと誇りがあるんだろうと。
だからあえて苗字を伝えて、私はバラモンなんだぞってことを言ったんじゃないかってことを言われたりしてましたけどね。
この辺りはインド独自の文化と言いましょうかね、宗族だなと思いますね。
私は基本的にブッダというふうにお呼びをしてますけど、このブッダっていうのはもともと固有名詞ではなくて、
インドの言葉では目覚めた人、悟った人のことを意味する普通名詞だったんですね。
それが時代が下っていくと、ブッダといえばゴーダマさんのことだよねっていうふうに指すようになりまして、固有名詞化をするんですね。
そしてブッダという語が中国に伝わると、そこで発明される漢字があるんですね。
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それが仏っていう字です。
それまで仏っていう字はなかったらしいんですね。
それに阿弥陀如来のダっていう字が当てられてブッダと表記されると。
でもこのブッダの表記も中国の中でもですね、揺れがあるんですね。
古い中国のですね、官訳された中国語に翻訳されたお経を読んでいくと、このブッダっていうのがですね、
ブがですね、浮くっていう字、宙に浮くっていう字がありますね。
この浮くっていう字に、あとね、屑って書いてブッダって呼んだりしてるんですね。
ただね、ちょっと響きが良くなかったりしますよね。
ちょっとどうかなってなったんでしょうね。
それでやがてほどけっていう字が作られて、それにダが付けられてブッダと定着をしたと。
で、このブスっていう字の作りがですね、すごく面白くって。
これは諸橋哲史っていう日本の漢字辞典とかを作った有名な言語学者がいるんですけど、この方の説でですね、
このブスっていう字は沸騰の沸という字と同じ作り方なんだって言うんですね。
水を沸騰するとね、お湯になります、蒸気になりますけれども、この沸騰の沸っていう字は山水ですよね。
で、それに右側がね、これね、ならずって読むんですよ。
だから山水は水のことを言うので、水でならずっていうのが沸騰の沸なんです。
で、これ何で水でならずかっていうと、水は沸騰すると蒸気になるから、水であって水ではないものっていうことなんですね。
すごく絶妙な表現なんですよ、この沸騰の沸は。
それと同じだって言うんです。
この沸騰の沸っていう字は人便にならずなんですよ。
だから、これ人でなしっていう意味じゃないですよ。
そうではなくて、普通の人を超えたものっていう、悟った人ってことをこの沸っていう字で表記してるんだって言うんですね。
これすごくね、うまいこと作ったなと思いませんか。
私これ聞いた時、初めて聞いた時、すごく感動したんですよ。
そういう字だってことですね。
あと日本人に馴染み深い呼び方とすると、これお釈迦様ですね。
これはブッダがですね、シャーキャ族っていう部族の出身であることに由来してます。
このシャーキャっていう音にですね、漢字を当ててシャーカとなったんですね。
でまたね、シャカムニっていうふうにも言いますけど、ムニっていうのはこれインドの言葉で悟った人、聖者、聖者のことね。
聖なるものって書いてね、これ聖者と呼ばないですね、聖者っていう文ですね。
そういうね、人のことをムニって言うんですね。
だからシャカ族のムニってことで、シャカムニとかね、シャカムニ仏っていうふうにブッダのことを呼びするんですね。
以上がよく知られている呼び方かなと思うんですけど、お経を読むとそれ以外にも、如来とか世尊とか、多くの呼び方が出てきます。
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でそれらをですね、十の仏の呼び方があるっていうことで、仏の十五っていうふうにね、まとめて言ったりするんですけど、
なんでこのように多くの呼び方があるのかっていう、こういう話ですね。
この呼び方っていうのはですね、その人の在り方を示すものだから多くの呼び方があるんですね。
例えば先生っていう呼び方ありますね。
これは先に生まれて人を教えることをするから先生と呼ばれるわけです。
それと同様に、ブッダに関して言うと、ブッダっていうのは様々な一面が現れるんですね。
ある時はまるで優れたお医者さんのように、その人にあった薬、教えを施す、そういうことをされたから、立派なお医者さんを意味する大仁王って呼ばれたりするんですね。
でまたね、世間の人のことがよーくわかってたので、それを意味する世間がわかる世間下って呼ばれたりもしてるんです。
こういうふうに見ていくと、いろんな呼び方があるっていうのは、それだけ徳があるって言ってもいいかもしれませんね。
実はこれから紹介する仏伝の序盤では、ブッダのことをこれまで紹介したいずれの呼び方でも呼ばないんです。
じゃあなんて呼んでるかっていうと、ボーディ・サッタって呼んでます。
ボーディっていうのはこれ悟りのことです。そしてサッタは生き物のことです。
だからこれは悟りを求めるものっていう意味なんですね。
最初は悟ってませんから、生まれた時はね。だからブッダとは呼ばないんです。
ちゃんと区別をするんですね。悟った時と悟る前とでですね。
このボーディ・サッタの方を中国語に翻訳すると、菩薩ってなるんですね。
なんとか菩薩ってありますよね。これは悟る前のね、ブッダのことをそう呼んでたことから由来をしてるんですね。
この辺がね、ちょっとこう、仏伝を読む上ではね、すごくややこしくなってくるので、だからどうしても最初に名前の話をさせてほしかったんですね。
次回からはですね、ブッダの生涯についてお話ししていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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ここからはアフタートークです。
今日は本編にまつわる話で、名前。
そうですね、カイミオの話をしましょうか。
お葬式の際にですね、亡くなった方にカイミオをつけますよね。
このカイミオの由来っていうのは、仏教において出家をした時に名前を改める習慣に由来をしてます。
いつ頃からこれが定着したのか分かってないんですけども、
インドの昔のお坊さんの名前を見るとですね、仏教が始まって、
わりと早い段階で名前を改める習慣が定着したというのが伺えるんですね。
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なんで分かるかというと、明らかに仏教的な名前になっているんです。
一般の人にこの名前つけないでしょうっていう名前がもうついてるんですね。
それで仏教がですね、インドから中国に伝わると、
次はですね、一般の在家の人、お坊さんじゃない人でも仏教徒になった時点で、
仏教的な名前に変更したりとか、仏教的な名前を授かるということをやるようになるんですね。
これは中国の皇帝が一番最初の例として記録が残ってます。
そういうふうになったものが日本に伝わってくるんですね。
特に日本の場合は仏教徒になる儀式、これ儒会って言うんですけど、
これを人が亡くなる直前に行うっていうことを鎌倉時代あたりからやるようになるんです。
これは源頼朝とかもやってます。
なんでそういうことをやるのかというと、仏教徒になる時には仏教のルールを守ることというのが推奨されます。
このルールのことは戒っています。戒律の戒ですね。
生き物を殺さないとか、嘘をつかないとか、盗みをしないとかですね、こういうものがあるんですけど、
これを守っていくと自然と良くないことから体と心を遠ざけることになると。
これを仏教徒たちは戒にそもそも悪いものを遠ざける、
悪いものから自分を守ってくれるご利益があるって考えたんですね。
だから自分たちの大事な人が亡くなるときには、
黄泉の世界においてですね、悪いものからその人を守ってほしいと思ったんです。
だからそういう儒会をすると、戒を守ると、戒にはそういう働きがあるから、
亡くなった人が仏教徒になっていないときには、この戒を授けてどうかご冥福になってくださいと、
そういう目的でですね、いわばお守りを授けるような気持ちで仏教徒になる儀式をやるようになったんですね。
ただ、亡くなる寸前にそれが間に合ったらいいんですけど、
人が亡くなるときって予期できないものなので、間に合わないときも当然出てきますよね。
そういうときには亡くなった後にですね、その儀式をやるようになるんですね。
これが現代の仏教のお葬式なんです。
私はかいみえもこの文脈で理解されると思うんですね。
これ実際に古いインドの神話にはそういう考え方がたびたび出てくるんですけど、
名前が与えられていない状態っていうのは、無防備の生身の裸のような状態っていうふうに古代インドの神話ではみなしているんです。
そこに名前をつけることで、鎧を纏うじゃないですけど、
この防御ができるようになって、悪いものから身を守れるようになるっていう考え方が古代インドの神話では結構たびたび見られるんですね。
だからたくさん名前をつければつける分ですね、悪いものから身を守れるようになるとか、そういう逸話もね、神話の中には残っています。
だから私はですね、そのような観点からかいみえを理解しているんです。
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だからたかが名前じゃないんです。やっぱり名前つけるってものすごくいろんな思いを込めて、子供が生まれた時でもつけるじゃないですか。
それと同様に亡くなった後に名前をつけるっていうのも、すごく表面的なものではなくて、そういうものすごくいろんな思いを込めた上で、私たちはかいみおというものをつけているんです。
でもね、普段なかなかこういうお話を皆さんにする機会はありませんから。
だからね、ちょっとかいみおの意義であったりとか価値であったりとか、現代の方にはなかなかね、理解がされにくいのかなと思ったりするんですけれども、そういうふうな思いがね、込められております。
はい、今回はこのあたりにいたします。
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よろしくお願いします。
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