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2025-04-02 12:00

【仏教誕生編#1】小さな新興宗教が世界三大宗教へ。ブッダの人生がもたらした奇跡とは?

【今回の内容】

ブッダの生涯をざっくりと説明/


ブッダの伝記「仏伝」/


仏伝はなぜ作られるようになったのか/


仏伝のニーズ


【アフタートーク】

敬虔な仏教徒の姿


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仏教を学びたい初心者の方に向けた『かんどう和尚のはじめての仏教』


今回は上記のテーマでお話ししました。


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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワー数2万人超えの臨済衆の僧侶、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。今回から、いよいよ仏教誕生編ということで、ここまで来るの長かったですね。
まず最初にですね、ブッダについてざっくりと説明したいと思いますが、ブッダという方は、今から約2500年前にインドにおいて活躍した宗教家、思想家と言ってもいいですね。
インドという土地は、ブッダが生まれる1000年ほど前に、アーリア人という民族が進出をしてきまして、その人々がその後のインドの基本となる世界観を作り上げました。
そういう世界観のもとに、ブッダも生まれてきています。
ブッダはですね、シャアキャ族という王族の恩像師として生まれたんですけども、29歳の時に出家をしまして、そして6年間にわたる修行生活の末に、35歳で悟りに至って、80歳で亡くなるまでの間、約45年間にわたって、ガンジス川周辺の地域において遍歴して教えを解き広めました。
その間に、多くの弟子を育成して信者から支持されて、当時にしてはなかなかの規模だったようですけれども、ただ歴史的に見ると、ブッダ在世の頃というのは、仏教はですね、ガンジス川周辺で信仰される小さな信仰宗教に過ぎなかったんですね。
しかし、ブッダが亡くなって数百年経過しますと、インド全土を席巻する巨大宗教へと成長していきます。
これにはですね、マウリア朝といって、インドを初めて統一する王朝が出てくるんですけれども、その3代目になるアショカ王という王様、この人が仏教を信仰したということが非常に大きかったんですね。
さらには、その後、仏教はインドを飛び出して、南に行くとスリランカとかミャンマーとかタイの方に伝わって、そして北はですね、シルクロードの開通を待って、開通してからはですね、中央アジア、そして中国、チベットもそうですね、朝鮮、日本と東アジアの方にも仏教は広がっていきまして、
今日ではですね、キリスト教、イスラム教に並んで、世界3大宗教の一つに数えられるようになりました。では、なぜそこまで仏教は広がって、そして今日も続いているのか、これ考えてみると不思議ですよね。そのヒントは、仏教の創始者であるブッダの人生に隠されています。
このブッダの人生を語るものが、ブッダの電気というものですね。皆さんもですね、子供の頃にライト兄弟とかエジソンとかですね、異人の電気って読まれたことあると思うんですけど、私、子供の頃あれがものすごく好きでして、学校の図書館にある異人の電気、全部読み漁った記憶がありますね。そういう風な電気本というのが、ブッダにも存在するんですね。
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ブッダの電気っていうことでしてね、仏伝って言われるんです。そのまんまですね。ただ、図書館にですね、置いてあるような異人の電気本もですね、出版社、もっと言うと作者によって内容が微妙に違ったりしますよね。
仏伝、ブッダの電気も同様なんです。時代を経てですね、何回も作られているので、作者の違う仏伝がですね、たくさん存在しているんですね。私たちが知っているもので言うと、手塚治虫さんの漫画でブッダってありましたよね。あれもね、その中の一つに数えていいかなと思います。あれは手塚版の仏伝なんですね。
そのようにたくさん作られた仏伝の中でも、最も古いと思われているのが、これがお坊さんのルールブックっていうのがありましてね、これはしていいですよ、あれはしちゃいけませんよっていう生活の中のですね、決まりごとが書いたものが立像というルールブックがあるんです。
この中に収録されているので、マハーバッカっていう仏伝があります。ただこれはですね、ブッダが悟りに至った時から物語がスタートして、そしてブッダの二大弟子って言われたサーリブッダ尊者とモッカラーナ尊者っていう、この二人を筆頭とする大勢の人々がブッダの弟子になったっていうところで話が終わるんですね。
すごく中途半端な印象を抱くんですけど、これはですね、仏伝っていうものがもともとブッダの生涯を説明するものではなくて、仏教教団の成立史であったってことが伺われるんです。
企業でもありますね。社員向けに会社の遺書遠隔を記した創立史みたいなのありますよね。それの仏教版ですね。これが仏伝の始まりだったんです。
しかしやがて仏教が広がっていくと、一般の人々からもブッダのことを知りたいっていうニーズが生まれます。そこでブッダの生涯を描く仏伝が登場するんですね。
このブッダの生涯を知りたいっていうニーズはですね、これ私が想像で言ってるわけじゃなくて、これ結構いくつかね、証拠が残ってます。
その一つの証拠として有名なのが、ブッダの遺骨を収めるお墓、これストーパって仏教で言うんですね。
このストーパの周りにはですね、ブッダの生涯を彫刻で刻んだものがあるんです。絵じゃなくて図形化したんですね。
それを見ていくとですね、見に来た人たちが、ブッダは誕生した時こんなんだったんだとか、悟った時はこういう情景だったのかっていうのが目で見てわかるようになってて、
なおかつですね、そこにはガイドみたいな人がいたんじゃないかって言われてるんですね。
このガイドがお坊さんだったのか、それとも一般の信者だったのかっていうのはちょっとわからない議論があるところなんですけれども、そういうふうなニーズがその時存在してたんですね。
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そういう中で、この仏伝の基本形となるものが、ジャータカっていう物語に収録されるニダーナカタっていうものになるんですね。
これが誕生した時から話がスタートします。その後にも仏伝ってたくさん作られるんですけど、このニダーナカタが原点と言っていいかなと思います。
次回からはですね、このニダーナカタを軸にブッダの生涯をお話をしていきます。
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ここからはアフタートークです。
今日のアフタートークは、お寺にお参りするということについてお話ししたいと思います。
お寺にお参りするというのは、拝観というふうに言いますけれども、先日ですね、知人が住職を務めるお寺に中国系の観光客の方がお越しになられて、お参りさせてほしいとやってこられたそうなんですね。
ちょうどそのタイミングで、そのお寺の団家さんの奉仕が始まるっていうタイミングですね。
そのちょっと前に来られたので、団家さんもちょっとだったらいいですよということで、観光に来られた中国系の方々がお参りされたそうなんですけども、その方々がお参りするスタイルが五体陶寺の来拝をされたそうなんですね。
五体陶寺ってご存知ない方も多いかなと思うんですけど、これはですね、五体っていうのは両手、両膝、そしておでこ、額ですね。この5つを地面に投げ伏して行われる来拝のスタイルを五体陶寺って言うんです。
日本だとですね、これ一般の信者さんがこれをやるっていうのは私は見たことないですね。我々僧侶はそれをやるんですけれどもね、でも一般の方はほとんどやられないので、その時に会わせたお寺の団家さんはですね、そうやって信者さんがですね、五本尊に対して五体陶寺の来拝を行うっていうのを見てすごくびっくりされたそうですね。
それはやっぱりそうだろうと思うんです。でもこれ海外ではですね、日本以外の仏教国の仏教徒においては、このやり方がスタンダードなんですよ。だから逆にですね、海外の仏教徒の方が日本に来てですね、日本のお寺に行って、日本人の方がお参りされてる時に五体陶寺をしないっていうことに驚かれるんだそうです。
古代インドのお寺の記録とかを見てても、お参りされる仏教徒の様子ってすごくね、経験なんですね。
一つ、私なんかはですね、心が動かされる部分、描写っていうのがあるんですけど、これは古代インドの創印の記録にですね、あるもので、お参りされた方がですね、もうお釈迦様は亡くなっているので、お釈迦様の代わりに仏像を祀ってあるんですね、お寺の中に。
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これがね、現代の御本尊のルーツになるんですけど、そのお像があって、その部屋のところにですね、太陽が差すと影ができますよね、部屋の。するとですね、そのお参りに来られた方々は、その仏像が祀ってある、お釈迦様が祀ってあるところの部屋の影だからということで、その影を踏まないように歩いたそうなんです。
これなんとなくこう日本でもありますね、人の影を踏むのがちょっと失礼みたいな、そういう、最近はないですか、こういう価値観はね。少し前まではね、日本でもそういう価値観もありましたけれども、そういうふうに歩いたっていうことが記録されてるんですね。
これがね、やっぱりこう本当の意味でね、お釈迦様を尊敬するということになるなというふうに思うんですね。
これもう一つありますね、もう一つ言いたいのがありましてね、これはお釈迦様が生きてた頃なんですけど、お釈迦様がですね、生きておられた頃に、ある国の王様が信者でおられまして、その王様の家来、優秀な家来が2人いたそうなんですね。
で、この2人っていうのは王様から食べさせてもらってるわけですよ。王様が給料をやってますから。でも、この2人もものすごく敬虔な仏教信者だったらしくて、寝るときにですね、王様と同じ空間にいたときに、王様の方に足を向けて寝てたらしいんです。
なんでかっていうと、お釈迦様の今住まわれている方角に足を向けちゃいけないと。そう考えたときに、立地的に、方角的に、もう王様の方に足を向けるしかなかったそうなんですよ。本当はそれはめちゃくちゃ失礼なことだからしないんですよ。
でも、お釈迦様の方が上だと思ってるんですね。王様よりも。自分たちの生活を見てくれている王様よりもお釈迦様の方が大事と思ったわけです。だからお釈迦様の方に足を向けられない。これも王様は感動したらしいんですよ。
あいつらはね、ちゃんとしとるなと。自分に足向けて失礼と怒るんじゃなくて、お釈迦様に足向けんようにしとるんやなと。それがね、本当の仏教徒だよねっていう風に王様も褒めたっていうのがあるんですね。だから今もね、私たちにお尻を向けないとかね、そういうことを結構気を配ったりするんですけどね。そういう風な姿っていうのが、仏教徒として求められるなという風なお話でございます。
ではまた次回お会いしましょう。
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