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みなさん、こんばんは。かんどう和尚のはじめての仏教。
この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムですごくたくさんの方からフォローしていただいている、私、かんどう和尚が1から仏教を解説していこうという番組です。
すごくたくさんって何人なんだっていう話なんですが、あんまりこういうことを自分で言いたくないんですけど、
ただ、私、どこの馬の骨とも知れないお坊さんですから、少しでも説得力を持たせると言いますと、
みなさんに耳を傾けていただけるよう、すごくたくさんの方にフォローしていただいているという事実を申し上げました。
一応少しだけ申し上げますけれども、運満人の方からフォローしていただいております。
それはいいんですけれども、今日は第1回ということで、仏教の歴史からお話をしていきたいと思います。
仏教を語るときに、それを創始された、始められた、ブッダが誕生されたところから始めるというもの、これしばしば見かけますね。
でも、私はその形は取らないんです。
なぜかと言いますと、仏教というのは何の脈絡もなく、突然現れた思想ではなくて、
インドという土地、そしてその土地における時代廃棄を受けて生まれた、誕生した思想なんですね。
だから、ちゃんと仏教を学ぼうとするのであれば、まずは仏教が生まれる前のインドの姿、ここを見ていくべきなんですね。
皆さん、最近インド映画流行ってますよね。数年前もRRR流行りまして、日本のいろんな番組で特集されてましたけれども、
インド人の方の顔って頭に浮かびますか?
インド人の俳優さんとか見てみると、皆さん目がぱっちりされてて、鼻が高くて、掘りが深い顔立ちをされてる、そういう特徴があられます。
この顔の特徴って、ヨーロッパの人そっくりなんですよ。
なんでそっくりかって偶然じゃないんです。先祖がもともと同じなんです。
ヨーロッパの人たちの先祖っていうのは、中央アジア、数年前に日本でビバンってドラマ流行りましたね。
あの舞台が中央アジアです。昔でいうとシルクロードが通ってたところです。
あの辺りと南ロシア、その辺りで遊牧民として生活をしていたって考えられるんですね。
やがてヨーロッパであったりとか各地に移動を始めるんですけれども、今から3500年くらい前になると、その中の一部がイランとインドに進出をするんです。
その集団のことをアーリア人って呼びます。
このアーリアっていうのは、高貴なとか聖なるっていう意味なんですけど、このアーリア人が自分たちのことをどう考えていたかっていうのが、この言葉からもよくわかるんじゃないでしょうか。
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その後インドに進出したアーリア人たちは、土着のインド人たちと交流をしながら定着をするっていうことになります。
もともとインドに住んでた人たちってモンゴロイド系だったって言われるんですけども、現在のインドの南、スリランカのドラビダ人っていう方たち。
この方々がインダス文明を築いたって言われるんですが、このアーリア人がインドに侵入したことによって南に追いやられたって考えられています。
だから交流っていうのは、私たちが一般に考えるとすごく仲良くしているように見えるんですけども、そういうものだけじゃなくてですね、ちょっと言い方がきついですけど侵略みたいなところも含まれていたんだろうと思われます。
実際にその証拠の一端と言いましょうかね、インドではバラモン、クシャドリア、ヴァイシャ、シュドラっていう4つの階級で構成されるカーストって呼ばれる身分差別が存在します。
これカーストって我々日本人は学校でも習いましたけども、これもともとカスタっていうポルトガル語から由来するんです。
ポルトガルの人がインドにおいてこの身分差別を見たときにカーストって名前をつけたんですね。
インドではカーストって呼ばれているのかって呼ばれていなくて、バルナっていうふうに、ジャーティーっていうのも言うんですけどもね、バルナっていうのが基本的にはこのカーストの意味になります。
このバルナってどういう意味かというと肌の色っていう意味なんですね。
そしてその上位の身分はコーカソイド、白色人種であったアーリア人が大半なんです。
そしてもともとのモンゴロイド系土着のインドの先住民の人たちっていうのは、その階に組み込まれていくんですね。
特に上位3つのカーストに奉仕する身分とされる一番下の最下位にシュードラっていう階級があるんですけど、このシュードラっていう名前、これはインドの先住民の部族の名前だったって指摘されてるんですね。
そういうところからもわかるように、カーストっていうシステムはインドの先住民をアーリア人たちが支配下に組み込む、そういう戦略に起因するものだったって考えられています。
アーリア人っていうのは、独特のいろんな文化を持ってたんですけども、その中の一つにベーダって呼ばれる聖典を持ってました。
このベーダっていうのは、キリスト教でいう聖書みたいなものですね。根本的なものになるんです。
それにベーダに書かれていることに基づいた信仰というのを持ってました。
これどういう信仰かと言いますと、いろんな自然現象を神様だとみなして、そしてそれを崇拝するという多神教です。
日本の神道によく似ていると言われるんですけれども、この聖典であるベーダに述べられる祭祀、儀式ですね、これを執行することで神の力を借りることができる、加護を得られるということですね。
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この儀式、祭祀というのが、神言宗でゴマ行ってやるじゃないですか。これはベーダの祭祀に由来するということが言われています。
これ数年前ですけれども、現代のインドの人たちが神言宗のゴマ行を見たときに、これ自分たちのところでもやってるっておっしゃってましたね。
インドという国のことを聞きますと、私たち日本人は仏教が主流だって誤解をするんです。仏教の国でしょ、ブッダが生まれたところ。それはまあそうなんですけれども、でも仏教というのはインドという場所においては異端派なんですよ、マイノリティです。
何がインドで正当派、マジョリティなのかというと、これはベーダなんです。ベーダこそがインドでは正当派の思想なんですね。日本で馴染みのあるベーダというと、皆さん何か浮かびます?ベーダ。
アーユルベーダって聞いたことありませんか?日本でも伝わってますね。これはインドの聖典のベーダに由来するというか、ベーダから生まれた伝統的な医学なんです。それがアーユルベーダですね。
ブッダという人はこのベーダが作った世界観、枠組みを受け入れながらも肝心な部分は否定するという形で教えを説かれていきました。例えばリンネ。これは仏教では生き物は生まれ変わり死に変わりを繰り返すんだって考えるものです。これをリンネと言います。
これは仏教が独自で考え出したことではなくて、ベーダで説かれていたものを受け入れたんです。でも肝心なところで、ベーダでは我々には主体があると考えるんです。この主体のことをアートマンと言います。原理と言いましょうかね。コアみたいなものが我々の存在にはあるとベーダは考えたんです。
そして生まれ変わるというのは、このコアが生まれ変わるんだということですね。それをずっとこの中心的なものがあって生まれ変わり死に変わりの主体になっていくんだって考えたんです。それに対して仏教はどうかというと、いや、そんなものはないと。我々には主体となるようなものはないというふうに主張したんですね。
こんなふうにベーダで示された枠組みを乗り越える形を仏教は提示をしていくんです。だからベーダ、もっと言うとアーリア人がインドに入ってきてなかったら仏教は生まれてないんですね。こういう背景をちゃんと抑えてないと、ブッダが説いたことが、なんでそんなことを言ったのかわからないというところがたくさんあるんです。ベーダがわかってて、ブッダがこういうことを言ったのが初めてわかるというものが非常に多いんですね。
だからブッダが生まれたところからお話するんじゃなくて、ブッダが生まれる前のインドの姿からお話をしたかったんです。
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少し話が合戦しましたけれども、正統派であるベーダ聖典に述べられる祭祀、儀式、これを執行する神官のことをブラフマナというふうに言います。
それが生まれまして、アーリア人の信仰をバラモン教と呼ぶんですね。ブラフマナ、ブラフマナ、ブラフマナ、バラモン、バラモン、バラモン、バラモンということですね。本当ですよ。
これは今日のヒンドゥ教の原型となっています。
このベーダの中の特徴的なもの、何があるのかなというと、これ現代に続くもので言うと、先ほど申し上げたようなカースト、これを肯定する言葉というのがベーダの中に入っているんです。
これを肯定するというか、ベーダの中にカーストについて書かれているんですね。
これによると、カーストというシステムは人間が作ったんじゃなくて、神が作ったんだってアーリア人が主張したんですね。
現代でもヒンドゥ教がマジョリティなんだと。ベーダをついているのはヒンドゥ教ですからね。
そういうインドにおいて、カーストってやっぱりなくなってないんですね。
じゃあ、そのカーストがインドの中でどういうふうに影響して定着していったのか、これを次回はお話ししたいと思います。
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ではまた次回お会いしましょう。