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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、
インスタグラムでフォロワー数2万人超えの臨済宗明信司派の僧侶、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していく、そんなプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。これまでですね、仏教が誕生する前のインドの歴史についてお話をしてきましたが、
前回で大体その歴史の部分はお話し終わりました。ということで、ようやく仏教についてお話ししていくということにはなりませんで、
歴史的な背景を見てきたので、歴史はもう話したんです。でもね、仏教に先行する思想についてはまだ話してないんですね。
これもやっぱり抑えておかなきゃいけないんです。なので、今回からですね、2回ぐらいに分けて、仏教が生まれる以前のインドの思想について見ていきたいと思います。
それが終わると、ようやく仏教に入っていきますので、もうしばらくお付き合いいただければなと思います。
現代のインドの思想というのは、ヒンドゥ教が主流になるんですね。
皆さん、日本人は仏教に親しみを持っているので、仏教が一番だと思っているんですけど、実はインドでは違うんです。ヒンドゥ教がもう断トツです。
その始まりとなったのは、今から3500年ほど前に、中央アジアあたりから南下してインドに侵入したアーリア人たちによって編纂されたベイダと呼ばれる聖典になります。
これはね、再三もお話をしてきましたね。ベイダには4種類があるということも話したかと思います。
その中で一番古いリグベイダというのが、紀元前1200年頃に編まれたと推定されています。
これ以前にも話しましたけれども、アーリア人の宗教観は素朴なものとして、自然現象を深刻化して、それらの神々を崇拝するということをやったんです。
具体的には、神々を儀礼の場において呼び寄せて、そして神々を称える歌と供物、お供え物でもてなすというものです。
それに対する対価として、神の力を借りるというものにあるんですけど、ここが普通の我々が想像する関係性とは違うので、
普通、神様にお願いするとなったら、無力な人間が神様お願いしますと言って懇願をするような形だと普通は考えるんですけど、
ベイラーのアーリア人の宗教観は違うんですよ。
そうじゃなくて、神よ、これだけのものを用意したんだから、何時やまるまるすべし、みたいな、命令系なんですよ。
後世のヒンドゥー教になったら、バクティーと呼ばれるような神への絶対的な信仰というのが説かれるんですけど、ベイラーの時点ではそういうのは全くないんですね。
ベイラーというのは、神々を称える歌、詩ですね。これが入っているものなんです。
これは、専門的な教育を受けていないとできないんですね。
これ、私たちに置き換えると、漢詩を想像するとちょっとわかりやすいかなと思うんですけど、
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みなさん、学生時代、漢詩を習われましたよね。
作り方までは、たぶん習った方はそんなにいないかな。
訓読する方法、礼典とか、乖離典、ああいうのを習って、漢詩を読むとか、ああいう勉強はされたと思うんですけども、
私たち全宗、私、臨済宗ですけども、葬儀の時に漢詩を唱えるんですよ、我々。
どこで唱えているかというと、臨済宗とかの葬儀に参列されたことがある方は、お聞きになったことあると思うんですけど、
葬儀の終盤に、大声で、「勝つ!」って大声でやりますよね。
あれ、聞いたことある方はおられるかなと思うんですけど、
その前に唱えているのが、個人を贈るために作った漢詩なんです。
それを読み上げて、その締めに勝つって一括するんですね。
この漢詩のことを、引導法語って言って、引導を渡すって言葉あるじゃないですか。
この引導はそこから来てます。
そういうふうに、我々は漢詩をやらなきゃいけないので、
一通りの漢詩の作り方というのは、基本的なものを勉強するんですけど、
まあ、難しいんですよ。
ご存じない方もいらっしゃると思うので、ちょっと簡単に説明しますけども、
例えば、七言絶句という形、七号をひとまとまりの一句として、
それを起承転結、起承転結の四句で構成をするんですね。
だから、七かけ四で、ひしし二十八か、の文字でやっていくんですけれども、
この基本的なルールとして、起承転結のそれぞれの句の末字には、
音を揃えなきゃいけないんです。
音というのは、漢字には、それぞれの発音の響きによって音というのが決まっているんです。
陽音とか千音とかね。
その音を全部揃えて使わなきゃいけないんですね。
起承転結の転の部分、転句だけは揃えなくていいんですけども、
それ以外のところは音は絶対揃わないといけないんですね。
じゃあ、書く一句が七字って言いましたね。七号って言いましたけれども。
じゃあ、その七号の一番末号はね、そういう風に音が定まっているとして、
じゃあ、その上の六号はね、好き勝手につけていいのかというと、それもダメなんですね。
漢字というのは、大きく分けると、その音の響きに応じて、表と側という二つに分かれるんです。
これを細かく分けると四つになって、これを四声という風に言うんですけども、
この表と側の二つに分かれたものが、ちゃんと決まっているんですよ。
七号の上から六号の部分ですね。陰の末号以外ですね。
以外の六号はですね、上から順番に表側、表側という風に決まっているんです。
ここは表の字しか入れませんよ、ここは側しか入れませんよというのが決まっているんです。
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それに当てはめてやらないといけないので、すごく縛られるんですね。
使いたい字とかがあっても、表側が合っていなかったら入れられないんです。
そういう縛りとか制限の中で、字を作るってことはされるんですね。
今、例として監視を挙げましたけども、
ベイラーに指示される人もやっぱりそうで、陰を踏まなきゃいけなかったりとか、特定のルールがあるんですね。
そういうものは専門的な訓練を受けないと作れないんです。
それをこのベイラーの中ではバラモンと言われる神官たちが、親から子にその教育を施して、
そして修練を積んでいくことで、一年前の神官になれる。
だから神官というのと同時にですね、詩人でもあるんですよ。
そうやって作られた詩とか言葉というものには、神を動かす力があると信じられたんですね。
日本でも言霊玉って、言葉には霊力があって、発した通りにそれを実現させる力がある、そんな信仰がありますよね。
我々が知るところで言うと、神社で唱えられるノリトというのはその典型になるんですけども、
日本で言われている言霊はですね、神の領域にある力を我々人間がお借りするみたいな、そういう形態になっているんですけども、
ベイラーにおける言葉の力ってそうじゃなくて、神々よも従わせる、そういう力になるんですね。
こういうふうにベイラーを中心とした信仰の体系、これをバラモン教と言います。
ベイラーとかはあんまり覚えなくていいんですけど、このバラモン教ということは覚えておいていただけると、あたたも理解しやすいかなと思います。
このバラモン教の栄えた時代というのは、自らの願望を叶えることであったりとか、
あとこの現世における幸せを享受するということが目的とされました、人間のね。
それにこうして、男子はですね、課長として社会生活の中に組み込まれて、社会的な義務を果たすこと、もっと言うとですね、家を繁栄させることですね。
こういうことが人間としてやるべきことなんだというふうに推奨されたんですね。
でも時代が経っていくと、だんだんとそれとは別のものが人生の目的なんだって進められるようになっていくんです。
次回はですね、その別の目的が何なのかということをお話ししていきたいなというふうに思います。
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ここからはアフタートークです。アフタートークでは本編にまつわる話や、私が個人的に気になった話をしていきたいと思います。
今回はですね、本編にまつわる話になるんですけども、自動車メーカーの松田を切り口にしてお話ししたいと思います。
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松田って自動車メーカーありますよね、日本の。英語表記どうなっているかご存知です?
MAZDAなんですよ。これ何でZなのかというと、これは古代ペリシャで起こったゾロアスター教ってあるんです。ゾロアスター教。
ここで信仰されている最高の神様、最高神のアフラ・マズダというんですけど、この神様が文化交流の象徴なんだというふうに松田の上層部が解釈をしまして、社名の英語表記に採用したんです。
このゾロアスター教っていうのは日本人にはあまりなじみないかなと思うんですけど、有名なクイーンってグループがありましたよね。
もう亡くなったボーカルのフレディ・マーキュリー。このフレディ・マーキュリーの家はゾロアスター教だったということが知られています。
このゾロアスター教っていうのは、バラモン教の兄弟みたいな宗教なんですね。
期限とか世代を考慮すると、ゾロアスター教はバラモン教の老いっ子みたいな形で言った方が正確かもしれないですね。
バラモン教を作ったアーリア人というのは、中央アジアから移動してきたということを言いましたけれども、まずはイラン辺りに入るんですね。
そこで留まった人たちの子孫が作ったのがゾロアスター教なんです。
そこからさらにインドに入ってきた人たちが作ったのがバラモン教なんですね。
だからこのゾロアスターとバラモンというのは共通の習慣というのが結構残っていて、火を拝むという習慣、ゾロアスターもめちゃくちゃやるんですよ。
だからそういうところで共通性が見えやすいんですけど、神様も同様ですよね。同じ神様が出てくるんですね。
その筆頭になるのがゾロアスターで最高神とされているアフラマズダです。
でもこのアフラマズダの立ち位置というのが、バラモン教では180度変わっちゃって、ゾロアスター教では最高神なのにバラモン教では悪い神様なんですよ。
アスラと呼ばれるんですね。
バラモン教ですごく人気だった神様というのが、良い神様でインドラという、これ日本だとタイシャクテンというんですけど、インドラがアスラを成敗するみたいなことがニグベイダとかでは書かれているんですね。
その反対にゾロアスターの聖典、アベスターといったかな、あの中にはインドラは悪い神様として描かれているんですね。
で、アフラマズダがそのインドラをやっつけるみたいな、そういう話になるんですね。
これ真逆なんですよ。
これ何を表しているのかなって、これいろいろ書説で言われるんですけど、これは私の完全な推測なので、実際にそうなのかはわからないんですけど、
おそらく私が思うに、このバラモン教を作ったアーリア人たちとゾロアスター教を作ったアーリア人たちは仲が悪かったんだろうと思うんですね。
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このゾロアスターにとってのアフラマズダというのは、ゾロアスターの人々、それを信仰する人々、そこのアーリア人たちの象徴だと思うんですよ。
一方で、バラモン教にとっての象徴はインドラなんですよね。
この両者が戦っているというのは、それぞれのアーリア人が戦っているという見立てができるんじゃないかなと思うんですね。
だから、やっぱり仲が悪いからですね、自分の方が当然正義になりますよね。
だから、バラモン教ではインドラが正義、自分たちが正義で、アスラが悪いと、悪神だというふうにされて、
ゾロアスターではその反対というふうに描かれる。
こんなふうに見れるんじゃないかなと思いますけれどもね。
実際はちょっとわかんないですね。
完全に私の推測なので、これはそういうふうに私が言っているだけだということは、徐々にご理解いただければなと思いますけれども。
ちなみに、このアスラというもの、これは仏教にも取り入れられておりましたよね。
そこではアシュラと呼ばれる。
みなさんご存知ですね、アシュラ。
このアシュラというのはアスラから来ていて、このアスラというのはさらに言うとアフラマズダという神様から来ているんですね。
マツダの話から思わぬところまで話が展開しましたけれども、今回は以上となります。
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