悟りの余韻と瞑想
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワー数2万人超えの僧侶、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していくプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。今回から、新たなシリーズとして、悟るに至った後のブッダが、どのような行動、挙動をとったのか、ということについてお話をしていきます。
このシリーズも、ブッダの前期、ニラーな方に基づいて説明していきたいと思います。
ブッダが外に至るまでって、すごく長い道のりでしたね。
10代の半ばの頃に、人生の苦しみというものを見て、出家を志す。
ただ、王様の息子という立場でしたから、なかなか出家できなくて、出家できたのは29歳の頃ですね。ようやくですね。
しかし、いろんな修行をしても、全く成果が上がらない。
もがき続けて、その末に35歳の時に、ようやく悟りに至りました。
この年齢からするとですね、すごく早く悟りに至ったように見えるんですけども、実際には人生が苦しいなって感じてから、20年近く経ってるんですね。
だから、そういう中でようやく悟りに至って、長年の苦しみが解消された。
悟りに至った後の仏陀って、そういう状態なんですよね。
だから、すごく感慨深かったので、しばらくの間は、悟りに至った余韻を楽しむということをなさるんですね。
まず最初に、適当な樹木を見つけて、その木の下で1週間瞑想をするんです。
1週間経つと、また別の適当な木を見つけて、その木の下で1週間瞑想をする。
これを繰り返して、計7つの木の下で1週間ずつ瞑想をしたというふうに、仏陀の方には書いてあります。
1週間って7日ですよね。7×7つの木の下で7。7×7、49。
つまり、49日間、この余韻を楽しまれたということです。
よく生き物が亡くなってから、次の生を得るまでの期間として、49日ってものが言われます。
皆さん、49日知ってますよね。亡くなってから49日にお勤めとか、皆さん参加されたことあると思うんですけど。
この49日っていうのは、生き物が亡くなってから次何に生まれ変わるかの空白の期間を49日って言うんですよ。
この49日と、これと悟りに至った仏陀が49日間瞑想されたっていうこと。
これ何か関係があるのかっていうこと。直接的には関係はないと思うんですけど。
私も本当に色々調べるんですけど、ここら辺はよくわからないんですね。
何か意味がありそうな気もするんですけど。
初めての信者との出会い
ただ、我々のやってる習慣、49日の時の習慣に、この仏陀が悟りに至ってから余韻を楽しまれた49日間の習慣がちょっと混ざっている、関係しているような部分が見られるんですよ。
これは地域にもよるんですけども、49日の時にお供えに白いお餅をお供えするっていう地域結構あるんですよね。
もしかしたら昔は日本全国でやってたのかもしれないんですけども。
このお餅って、これは仏陀が悟りに至ってから49日の間に、スジャータという近くの村の娘からヤギのミルクで作ったお粥をもらったって話を以前にしましたよね。
この時に、この団子を全部食べきれないから、ペースト状のものだったらしいんですけど、これを団子状にして、悟ってから49日の間の食べ物にしたっていうふうな記述がね、結構チラホラ見られるんですよ。
これと49日の時のお供えにお餅をあげるっていうのは、ちょっとリンクしてるんじゃないかなって私は見てるんですけどもね。
判断はっきりそうだとは言えないんですけども、ちょっと関わっているように見えるところもありますね。
そんなふうに瞑想している、余韻を楽しんでいるタイミングで、商人が通りかかるんですね。
おそらく行商ですね。いろんなところを行ったり来たりしている商人だと思うんですけども、その商人のタプサっていう人とバッティカっていう2人組の商人がいたんですね。
この人たちが仏陀を見てね、お伏せをしまして、寄付をしまして。お伏せって寄付のことですよ。大金とか謝礼のことじゃないんですよ、本来はね。寄付をしまして、信者にしてほしいって言って。
ここで初めての信者っていうものを仏陀は獲得をするんですね。
仏教誕生前のインド編の第4話でお話をしたんですけど、仏教っていうのは商人を支持基盤にした宗教なので、そのあたりが象徴されたエピソードじゃないかなというふうに思います。
仏教の成立とサンガ
この2人が初めての仏教徒となって、仏陀と仏陀の届いた教え、これを仏法って言いますけれどもね、この仏陀と仏陀の届いた教えに寄会すること。寄会っていうのは寄りどころとするということですね。
字は帰るって書いて、あと絵は依存性の意。これを絵というふうに仏教読むんですね。これできえっていうふうに言うんですけど、信頼をして心の寄りどころとするっていう意味ですね。これがきえ。
よくね、ナムアベタベツとかの時にナムって使いますね。これナモーっていうインド語で言いますけどもね。ナマステのナマもこのナムですね。これがナマった言葉ですね。
このナムっていうのもこのきえっていうのと同じ意味になっています。この2つに対して仏陀と仏陀と仏陀の届いた教えにきえします。この2つを心の寄りどころとしますよっていう宣言をすること。これがこの場面では仏教徒になるために必要なことだったんですね。
これ後々ね、もう一つ必要となる要素が出てきますから、これは後でお話ししたいと思います。この後、仏陀には多くの弟子ができて、仏教の組織が形成をされていくんですけども、この組織のことをサンスクリット語、インドの言葉ではサンガっていうふうに言います。
サッカーをお好きな方とか、あと京都にお住まいの方ならちょっと聞いたことあると思うんですね。京都を本拠地にするJリーグのサッカーチーム、京都サンガってありますよね。このサンガはここから由来しています。
もともとはお坊さんの集団のことは言うんですけどもね。でも京都らしい名前ですよね。いい名前だなと思うんですけども。このサンガができてからはですね、仏教徒になるための要素がもう一つここに加わってくるんですよ。
さっき言ったのは、仏陀と仏陀の説いた教え、これが仏教徒になるためにはこの2つに寄与するのが必要だったんですけども、サンガができてからはこのサンガにも寄与するということが必要とされるようになってくるんですね。
でもね、すごくシンプルだと思いません?仏教徒になるためには何もややこしい煩雑な手続きって本来はないんですよ。仏陀と仏陀の説いた教えとそれを守る集団、この3つに寄与するって宣言をするだけでいいんですよ。
これはね、また余談になってくるんですけども、仏教の組織であるサンガっていう言葉、これは中国に伝わってくると漢字が当てられるんですね。その漢字がですね、僧偈っていうふうに表記されるんです。僧っていうのは僧侶の僧です。僧侶って本来ここから来てるんですよ。僧っていう言葉は一人のお坊さんを指すんじゃなくて、サンガのこと、お坊さんの集団のことを指すんです、本来は。
それがね、ちょっとだんだん意味が変わってね、僧って言ったら一人のお坊さんのことを意味するように捉えられてしまってるんですけど、本来は違うんですね。僧偈の僧偈っていうのは、お伽話とかの伽の字です。これで僧偈、これサンガに無理やり漢字を当てて僧偈っていうふうになったんですね。
この僧偈の他にもですね、正代っていうふうにも中国語では翻訳されるんですね。正代の正っていうのは招き猫の招くですね。代っていうのは提案する、物事を何か提案するって言いますね。この提案の定義を代っていうふうに読むんですね。これで正代。
なんかこれピンときた方おられません?正代って言葉。奈良にお住まいの方はわかりますね。東正大寺ですね。あれはですね、中国唐の元人和帳を中心としたお坊さんの集団のために混流されたお寺っていうことで、唐の正代のためのお寺っていうふうに名付けられたんです。これご存知なかった方多いんじゃないかなと思うんですけどね。
ぜひ覚えておいてください。話ちょっと元に戻しますけども、この後タプサとバッディカっていう二人の商人はですね、ブッダに対してあなたのことをあがめたいので、あなたの代わりになるものを何かくださいってお願いをするんですね。それで髪の毛をもらったそうなんです。
そして彼らは故郷に帰りまして、ブッダの髪の毛を家に収めた塔を混流します。塔っていうのはタワーのことですね。ここからですね、1200年ほど後の時代に西暦7世紀ですね、中国のあるお坊さんがインドを旅するんですね。
そのお坊さんが旅する中で、このタプサとバッディカが混流したブッダの髪の毛を収めた塔をお参りしたって記録してるんですよ。これすごいですよね。これは神話の出来事じゃなくて、現実にあった出来事なんだなというふうに思って、感慨深いんですけども。
この中国のお坊さん、誰だと思います?
はい、玄奘三蔵法師です。西遊記ドラマ皆さんご覧になったことありますか?西遊記の三蔵法師のモデルになったお坊さんです。西遊記の話っていうのは、あれは元々のノンフィクションの話を小説にしてるんですよ。
だからあれはフィクションです。西遊記はね。
元々は玄奘三蔵という中国のお坊さんが、一人で中国からインドに行って、中国に帰ってくるっていう話。これ実際の話ですよ。玄奘三蔵が7世紀に実際に旅行をしまして、その時にいろんな記録をちゃんと残してるんですよ。
それを種本にして、これ大統西域記って言うんですけどね。この大統西域記を種本にして作ったのが西遊記っていう小説。この西遊記の方はかなり脚色されて、面白おかしく書かれてるんですけども、そういうものなんですね。
この三蔵法師のこと、皆さん女性だって誤解されてるんですけど、これは夏目雅子さんのイメージに引っ張られてますね。
本当は男性です。でも、玄奘三蔵はすごくイケメンだったらしいんですよ。最初は日本で西遊記やる時にも、玄奘三蔵といえばイケメンっていう風になってたので、歌舞伎役者の坂東玉作郎さんだったかな。最初オファーを受けたらしいんですけど、断られたらしいんですね。
それで、美しい人ってことで夏目雅子さんにオファーが入って、それがあまりにはハマったので、それ以来日本では西遊記の玄奘三蔵は女性がやるようになったんですね。だから皆さん、玄奘三蔵のことを女性だって思われてる方が非常に多いんですけど、本当は男性です。
話はまだお題をしましょうね。もうずれてばっかりですね。すみません。
ブッダの信者との出会い
このブッダの代わりに髪の毛をもらって塔を建ててあがめるっていうこと。これちょっとね、今の私たちの感覚からすると変わった行動に見える、キーに見えるんですけど、今であればブッダをあがめようと思ったら、真っ先に拝む対象は仏像なんですね、御孫像。
でも、なんでこの時仏像じゃないかというと、まだ仏像がなかったからなんですよ。仏像が作られるようになったのは、これ考古学の話とか美術的な話になるんですけど、ブッダが生きてたのが今から2500年前ですけど、仏像が作られるようになったのは今から2000年くらい前だって言われてるんですね。
だから今見つかっている一番古い仏像もやっぱりそれぐらいのものなんですね。だから空白の500年があるんですよね。なんでそんな風になってたかっていろいろ言われるんですけど、一説には、ブッダの姿を如実に表すということは、ブッダに失礼にあたるという考え方があったんじゃないかと言われています。
だから、ブッダそのものではなくて、ブッダの代わりになるものを拝むという習慣があったと。その一つの代表例が、ブッダの髪の毛であったりとか、あとブッダのお骨ですね、ブッシャリ。こういうものを埋めて、そこに塔を建てて、それを拝むということをやったと。
その塔がですね、段々と時代が経っていくと、塔の代わりに仏像が作られるようになりまして、一時期は仏像も一つのお寺があると、仏像とこの塔、この二つは両方とも絶対にあるというものだったらしいんですけども、いつしか塔の方はなくなりまして、仏像だけが残るという形になって、現代になってきたんだというふうに言われたりしますね。
このあたりはね、今後研究でね、また変わってくるかもしれませんけども、そういう流れがあるということです。
このようにして、ブッダは信者を得るんですけども、この後にですね、自分の教えをですね、他者に解き広めるということを躊躇するんですよ。
意外ですよね。もうバンバンバンバン解き広めるのかなと思いながら思うものですけども、それはしなかったんですね。
なんで躊躇したのかというと、これね、理由が大変深くてね、仏教の教えの性質を表すものなので、これは今回じゃなくて、次回にじっくりお話をしたいというふうに思いますので、ぜひ次回もお聞きいただければなと思います。
はい、それではアフタートークです。
今回から新たなシリーズ始まりましたけどもね、いかがだったでしょうか。
余談ばっかり話しましたね。半分が余談だったかな。
前回のシリーズはね、ちょっと仏教の教理に関わるもので、難しかったと思うんですよね。
でもね、このシリーズからはそういう傾向はほとんどないので、割と入ってきやすい話が続くと思いますのでね、ぜひフォローをした上で、なおかつ番組を支援するサポーターにもなっていただけると嬉しいです。
概要欄にリンク貼っておりますので、そちらからお申し込みいただければなと思います。
それともう一つ、告知と言いますかね、お知らせです。
今回から概要欄のリンクに質問フォームを貼っています。
この私の話でね、わからなかったところとか難しいところとかあると思うんですけど、
そういうところの質問であったりとか、これどういうことだったかちょっとわかりませんでしたという質問だったり、
あとは仏教でこういうのはどう考えるんですかみたいな、そういうご質問があられましたら、そのフォームに記入して送信をしてください。
全部いただいたものにお答えできるかはわからないんですけども、
定期的に番組の中で取り上げていってお話をしていきたいなと思いますので、ぜひそちらのほうもご利用いただければなというふうに思います。
それではまた次回お会いしましょう。