仏教の法話の意義
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教を学んでみたいという方に向けて、インスタグラムでフォロワー数2万人超えの総量、私、かんどう和尚が、1から仏教を解説していくプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。今日はですね、いつもとはちょっとテイストを変えまして、【法話編】ということでお送りしたいと思います。
法話って、みなさん聞かれたことありますかね。法っていうのは、法律の法に話を書いて法話と言います。
この法っていう言葉が意味するものは、仏教の場合はいろいろな意味があるんですけども、一つの大きな意味としては、お釈迦様、仏陀が説いた教えのこと、これを法というふうに言います。
ですから、この法話、法の話って言った場合には、仏陀が説いた教えの話ということになります。
いつもはですね、仏教の歴史とかをお話ししているんですけれども、今日はこの伝統的なですね、この仏教の法話をね、お送りしたいなというふうに思います。
まず最初に、これもまあ仏教の伝統なんですけれども、この仏陀と、そして仏陀が説いた教え、さらにはこの教えを守っていく仲間たち、
この三者に対する信頼を表するために、三喜悦というものをお唱えをします。ちょっとご清聴いただければなと思います。
はい、ありがとうございました。では始めていきたいなと思いますけれども、皆さん何かこだわられるものってあります?
人それぞれね、こだわりってのは終わりかなと思うんですけれども、年を重ねてくるとですね、だんだんと水とか、あと食事にこだわる方って増えられますよね。
これはそれだけ人生の中で多く行っていることだからですよね。そういうものの質を高めていくということ、人生の支えを占めるものの質を高めること、これが人生に直結をするって皆さんやっぱり思われてるんですね。
だからそういうものにこだわって大事にしていく。それがひいてはね、健康とか寿命の伸びていくことにもつながっていくということですね。
では、そんな私たちが人生の中で最も多く行っていることってなんだと思いますか?
皆さん、心の中で呼吸と思われたんじゃないですか?違います?
確かにね、呼吸も多く行っていることではあるんですけども、実はね、人生で一番多く行っていることは呼吸ではないんです。
では何か、それは判断です。皆さんが思い浮かべられる判断ってどういうものがありますかね?
例えば女性であると、主婦の方であるとですね、買い物とか思い浮かべますかね?
今、物価高ですから、お米も高いですしね、卵も高いですね。
だから皆さんそれぞれ、スーパーとかもね、卵はあそこのスーパーが安いからあそこで買おうとか、お米はここが安いからここで買おうっていうふうに判断をされていると思うんですね。
でも、物事を判断するっていうのは、そういう心の働きっていうのは、何か特別な時だけに起こっているんじゃなくて、実は常に行われているっていうものなんです。
で、これ一説にはですね、判断っていうのは、1日に3万5千回以上行っているって言われるんですよ。
これどれだけ多いかというと、呼吸の数がですね、大体1日に2万回くらいって言われてますから、1万回以上判断する方が多いっていうことなんです。
仏教もこの判断っていうのは、人生で最も多く行われているものの一つだって数えてるんです。
この辺はね、瞑想を仏教やりますから、その辺りから得られた知見じゃないかなっていうふうに思うんですけど、判断がどれくらいのスパンで行われるかというと、
仏教の場合はですね、ひと刹那ごとに行われているんだって考えるんです。
ひと刹那ってどれくらいの時間の単位かというと、これ刹那って時間の最小単位のことを言うんですが、100分の1秒ぐらいですね、だいたいひと刹那が。
ですから、ひと刹那に行われているってことは、1日にもう相当な数の判断が行われている。
だから3万5千回で多分多くなるんじゃないかなと思うんですけど、仏教の計算になればですね。
でも、こんなふうにたくさんやっぱり行っているっていうことをね、仏教でも考えるんですね。
こんなふうに、物事の良し悪しを見極めて判断をしていくっていう心の働き、これを仏教では判断って言わないんです。
なんて言うかっていうと、知恵って言います。
知恵っていうのは、仏教で言うときにはですね、皆さん聞いたことあると思うんですけど、三によれば文字の知恵っていうふうに言いますよね。
あの知恵ですね。
一般の言葉で知恵ってなったときには、生活の知恵みたいな、そういうふうなイメージが持たれている方多いかなと思うんですけど、
知恵っていう言葉の本来の意味はそちらではなくて、さっきも言いましたけど、物事の良し悪しを見極めて、
判別していく、仕分けしていく、判断していく、これが知恵っていう働きの本質なんですね。
だからこれがね、仏教では悟るためには絶対に必要だっていうぐらい大事にしている。
これはもう悟るためだけじゃないんです。
今ここまでお話ししてきたことからわかるように、皆さんの日常生活においてもものすごく大事なんです。
だって絶えず行っているものですからね。
だからこの知恵の能力がちゃんと働いているか、もっと言うと磨かれているかどうかで人生が大きく変わっていくっていうことになるんですね。
野口健の登山経験
さっき申し上げた買い物でも判断ミスが積み重なっていくとどうなるかっていうと家計が良くない方向に行きますよね。
逆に買い物をちゃんと判断できているお家は節約それだけできるってことですから、他の場所にお金を回したり貯蓄とか遊びに行ったり旅行行ったりするところに回せるってことですよね。
だから判断ミスによって家計に大きな損失を与えることもあるし、逆に判断が良ければ家計にプラスに働くこともあるということ。
家計だけじゃないですね。もっと重大な局面というのも判断っていうのは行われてますから。
例えば、飲酒運転で事故を起こして最悪の場合に人を死なせてしまうってことにもなりますけども、飲酒運転するっていうのもやっぱり判断を間違えてるんですよ。
お酒を飲んだらもう車に乗らないっていう判断が正解なのに、大丈夫だろうって思ってしまって車に乗って事故を起こす。これはもう判断を間違っている以外に何者でもないですよね。
仏教ではお酒っていうものも良くないものだっていうふうにしますけども、それは一つはこの知恵が働かなくなるからです。
お酒飲んだら判断能力って落ちますよね。
私飲まないんですけども、やっぱり昔、本当に若い頃、お酒を足し撫でた時期もありましたけれども、やっぱりその時、物事の判断能力が全くなくなっているのを実感しました。
これ皆さんもお酒を飲まれる方は多くおられると思うんですけども、そういうふうにあるものだからお酒は良くないよねっていうふうに仏教は考えていくんですね。
判断の出来不出来、この優劣によってすごく大事な局面を迎えてしまうっていう代表例みたいなお話があるんですね。
これは登山家の野口健さんのお話なんですけど、皆さん野口健さんご存知ですかね。
テレビとかでよく出られますよね。エベレストに登庁された方ですね。
初めて登庁した時のお話っていうのがあるんですけども、エベレストってすごく高いですね。富士山の倍以上ですよね。
標高が8849メートルですね。それだけ高い山なので、登山に挑戦してもですね、登庁できるかどうかって本当に賭けみたいなところがあるそうなんですね。
これもね計算いろいろあるんだと思うんですけど、10人挑戦すると3人しか登庁できないって言われてます。
そして登庁できないだけならまだいいんですけど、これね、やっぱり命がけなんですよ。
だから本当に多くの方が亡くなっている。ここ数年だけでも数百人の方が亡くなっているっていうのをデータで見たこともありますけれどもね。
それだけ険しい山なんですね。
こういう風な標高が8000メートル超えるような山っていうのは、一気に登山、登るってことをしないらしいんです。
低酸素で体が持たなくなるから、上がったり下がったりっていうのを繰り返すらしいんですね。
それで体を慣らして、じゃあもうちょっと高いところに行こうと。だから一歩歩いて半歩下がるみたいな感じでしょうかね。
そういうことを繰り返すらしいんです。だから登庁するのに大体2ヶ月ぐらいかかるらしいんですね。
もちろん一人ではやらないです。チームを組んでやるんですけども、そういうふうにして野口さんも登っていったんですね。
この時に野口さんが挑戦した時っていうのが、世界最年少でのエベレストの登庁の記録がかかってたらしいんですね。
そういうプレッシャーを抱えてやっていったんですけども、7000メートルを超えたあたりで、それまでとは光景が一変したそうです。
どう一変するかって言いますと、あちらこちらにご遺体が見つかるような状態らしいんですね。
途中で亡くなってしまって、それだけ高いところで亡くなると、やっぱり遺体を回収するということも容易ではないんですよね。
それを見ているうちにだんだんとですね、野口さん怖くなったらしいんです。自分もそうなるんじゃないか。
それでその恐怖から逃れたくて、一気に登ってしまおうと思ったらしいんですね。
でもさっき言ったように、こういう高い山に登る時っていうのは、登ったり下ったりを繰り返して体を順応させないといけないのに、
それをしなかったから体が順応せずにですね、気絶をされたそうです。
それでもう、それ以上気絶したら無理ですからね。チームのみんなから下山するということで、
本当に身の虫が包まれるような状態で、みんなから担がれるとか引っ張られて降りていったそうなんですね。
そういう状態で寝てしまったら本当に死んでしまうので、チームメイトからですね、何回も何回も顔を引っ叩かれてね、
寝るな寝るな寝るなって言われながら、やっとの思いで下山をしたと。
普通であればね、もう二度と登らないっていう風になるかなと思うんですけど、やっぱり野口さん、生命力というかバイタリティ、挑戦する気持ちがすごく強い方なので、
そこから数年後にですね、また挑戦されるんですね。
1回目の挑戦の時にはスポンサーとか世間の期待を背負ってたので、それに応えようと思って無茶な登山をされたんですね。
その結果、本当に死にかけるような状況になってしまったんですけども、その経験を踏まえて2度目の挑戦をするんです。
それで順調に登っていった野口さんなんですけど、残り400mのところで、とてつもない猛吹雪に襲われるんですね。
この時もですね、まだ世界最年少の記録がかかってたらしいんですけども、それに加えて、スポンサーから資金を集めてて1000万円提供されてたらしいんですね。
だからここで諦めてしまったら、すべてが台無しになるという状況なんです。
理性での判断の重要性
どうしようかな、どうしようかなと思った時に、その当時お付き合いをしてた恋人の方からですね、何か辛いことがあったらこれを私だと思ってって言って、彼女が使ってた香水を一瓶渡されたらしいんですね。
それをちょっと買いでみようと思って買った時に、彼女のことを思い出して帰りたくなった。また会いたいなという気持ちになって。
それで辞めようと、アタックはここで辞めて下山しようと決断をされるんです。
この時チームメイトにもう一人ですね、登山をアタックするチームメイトがいたんですけども、彼はですね、自分は残ると、降りないという風に決断をして。
で、じゃあ幸運をということで別れたんですけども、彼はですね、その後遭難してしまいましてね、奇跡的に救助をされたそうなんですけども、戻ってきた病院に入院した彼に会いに行ったら、両目は失明してて、手足の指は頭症で真っ黒になってて、本当に変わり晴れた姿で帰ってきてたんですね。
それを見た時に彼からも言われたのが、ケント、あなたの決断は正しかったよ、こんな風に言われたということを野口さんはね、いろんなところでお話をされてますね。
これもね、やっぱり判断能力だと思うんですよ。
知恵の重要性をすごく如実に語るお話だなって思ってね、今回ご紹介させていただいたんですけども、私たちの判断を誤らせるものって何なのか。
これはね、仏教では煩悩だって言うんですよ。煩悩って心の良くない働きの総称なんですけども、この主要なものとしては、とんじんちってものが言われます。
とんっていうのはむさぼりって書く。どん欲のどん。これは好ましいものに対する欲求です。これいいなーってものをですね、手元に引き寄せようとする。
その反対にしん、しんっていうのは怒りっていうこと。好ましくないものに対する怒りです。だからこれは嫌なものがあると遠ざけようとしますよね、私たち。これはしんなんです。
そしてちっていうのは、これは愚かさのこと。道理がわからない根本的な愚かさ。こういうものを私たちは持っているんだっていうことなんです。
こういうのが元でになって判断を間違いさせる、誤らせるんですね。これね、何を言ってるかっていうとですね、要するに私たちは好き嫌いの感情で物事を判断しがちなんだっていうことなんです。
だからブッキーはそういう好き嫌いをなくそうということをしているっていうふうに言ってもいいかなと思うんですけども、ただね、なかなかこれっていうのは途方もないことですよ、こういうことをやっていくっていうのは。
だから最初は自分がそういう好き嫌いを基準にしていろんなことを判断しているって自覚することが大事、第一歩になると思うんですね。
そういうふうにやっていくことで、なるべく感情は排除して、理性で判断をしていくようになっていく。これがね、仏教の階段を上がっていくことの本当に最初のステップなんですね。
三国志の教訓
一つね、我々が感情ではなく理性で判断していくための教訓になることがありまして、これも最後にご紹介したい話なんですけども、
三国志のお話、皆さんご存知ですかね。この中で、三国志っていうのはですね、二大国家があるんですよ。現代で言うとGoogleとAmazonみたいな感じですか。
そういうところに信仰のベンチャーの諸君っていう国がガッと登っていって、二国状態を三国にしていく、並んでいく、そういう話なんですね。
その諸君の原動力になったのが諸葛孝明なんですよ。この孝明の有名な話、古事にですね、内手馬触を斬るっていう話がありますよね。皆さんも聞いたことあるかなと思うんですけど。
この内手馬触を斬るってどういう話かって言いますと、馬触っていうのは、これは孝明の部下であり、さらには親友の息子なんですね。
右腕みたいな存在だったらしいんですけども、すごく優秀な存在だったんですが、この馬触がある時、軍法違反をしまして、まだ攻めるなって指示が出てないのに、孝明の指示を無視して攻めたんですね。
その結果大敗をしてしまってるんです。その時に孝明はものすごく悩むんですね。やっぱり情もありますし、さらには優秀な人物ですし、親友の息子の馬触ですから。
やっぱり許してやろうかなと思うんですけど、でもここで許してしまうと軍法ってものがもうなし崩しになるんですね。
この後どういうことが待っているかっていうと、誰も孝明の言うことを聞かないってことになってしまう。
それではね、もう蜀っていう国が成り立ちませんから。そこで本当にね、もう何回も何回もすごく考えたすぐにですね、馬触を処刑するっていう判断を下すんですね。
この判断によって軍法を守るってことが何よりも大事なんだ、決まりを守ることが大事なんだってことをみんなで知らしめるんですね。
その結果、蜀っていう小さな国がどんどんどんどん登っていって、三国の状態まで行くようになるんですね。
もしここで馬触を許してたら、おそらく蜀はそうなってないですね。三国地はなってないですね。二国のまま終わっていると思うんです。
だからこの話もですね、やっぱり感情を排除して理性で物事を客観的に合理的に判断をしていくってことの大切さがね、よく学べる話なんじゃないかなっていうふうに私は思ってるんです。
皆さんの人生においてもいろんな判断、本当絶えず行ってます。大事な判断もたくさん行われるんですけども、やっぱり節目節目の大事な判断の時にはですね、自覚的に意識的に感情じゃなくて、
合理的に客観的に物事を見るっていう意識、これもしていただいたら、皆さんの人生の中でも大きな利益になるんじゃないかなというふうに思っております。
今日の話はですね、こういうところですね。またね、次回からですね、いつも通りの話としてね。次回のお話は、何だったかな。
次回は新しいシリーズになりますから、悟った後のですね、ブッダがどういうふうな挙動を、動きをしていったかっていう話をね、させていただくんですけど、これもね、すごく面白いのでね、楽しみにしていただければなというふうに思います。また次回お会いしましょう。ありがとうございました。