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2025-08-16 18:15

【仏教創業編#4】ブッダにそっくりな生い立ちの青年の出家。彼の出家が意味するものとは?

▼今回の内容


今回のエピソードでは、ブッダと似た境遇を持つ青年ヤサの出家と悟りを通して、仏教が組織として広がっていく初期の物語をご紹介します。


ヤサがブッダをロールモデルとしてスムーズに悟りに至る様子や、初の在家信者の誕生、三帰依の始まり、出家に関するルール制定の経緯など、仏教初期の大きな転換点が語られます。


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サマリー

このエピソードでは、ブッダと似た生い立ちを持つ青年ヤサの出家物語が描かれています。ヤサはブッダをロールモデルとし、すぐに悟りを得る一方で、出家に関連するトラブルや親の同意の重要性など、仏教の教えの発展について語られています。また、ブッダに似た生い立ちの青年の出家と異なる地域での仏教の広がりが描写されています。さらに、食事のタクハツに関するルールや出家のプロセスも詳しく説明されています。

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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けて、インスタグラムのフォロワー3万人超えの総理も、私、かんどう和尚は、メタ的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。前回は、ブッダが5人の仲間たちを弟子にして、仏教教団3が成立したところをお話ししました。
これ、現代でいうと、仲間たちと一緒にベンチャー企業を立ち上げたような感じですね。それが、やがて数万人、数億人という巨大組織に成長していくと。
現代で、わずか数人でスタートした大企業って、GoogleとかAppleとかですね。それが思い浮かべると分かりやすいかなと思うんですけどね。
これ、前にお話ししたかな。このブッダの電気、仏伝、これって一本だけじゃなくて、何本も時代を経て制作されていくんですけど、
一番最初に作られた仏伝っていうのは、ブッダの悟ったところから話が始まって、弟子が増えたところで終わるんですよ。
すごく中途半端に見えるんですけど、でも、中途半端じゃないんですね。
これ、もともと仏伝っていうのは、参画、組織の成立地として制作をされたんですよ。だから、そういう始まり方と終わり方をしているんですね。
そういうところから、だんだん人々の興味が、仏教組織の成り立ちではなくて、その創業者であるブッダの個人に移っていったんです。
そこで、ブッダが生まれてからどういう風な生涯を辿っていったか、そしてどのように亡くなっていったか、そういうブッダの生涯を一貫して描く物語に、仏伝というのは変わっていったんですね。
その辺も、私はすごく興味深いなと思いながら見ているんですけども。
ヤサの出家のきっかけ
さて、5人の弟子と共に参画を立ち上げたブッダは、ある日、早朝に森の中を歩いていると、1人の青年が近づいてきました。
彼の名はヤサといいます。大富豪の息子です。
ヤサはお父さんから長愛を受けて、3つの宮殿を与えられて、たくさんの女性をはべらせるような生活を送っていました。
しかし、ある宴の夜に目を覚ますと、普段美しい女性たちのあられもない姿を見て、余を厭う気持ちが生じてきて、出家しようと思ってバラナシに来たんですね。
バラナシというのは、ベナレスですね。そういう修行者が集まる聖地みたいな場所なんですね。
このヤサの生い立ちを聞いて、誰かにそっくりだなと思いませんでした?
そう、ブッダと同じなんですよ。豪華な暮らしもそうですし、出家のきっかけも全く同じなんです。
明らかにブッダを意識した生い立ちです。
ただ、ブッダとは大きく違う点が一つだけある。
それは、ブッダにはロールモデルがいなかった、先達がいなかったんです。
でも、ヤサにはブッダというロールモデルがいるというところなんですね。
思い返すと、ブッダはロールモデルがいなかったことから散々苦労しましたよね。
全く成果が出ない苦行に6年取り組んだりとか、すごく苦心をしましたね。
でも、ヤサは違うんですよ。
この後、ブッダの下で出家したヤサは、ブッダの手ほどきによって、速やかに悟りに至ることができたんです。
だから、この話は、ブッダとヤサの対比によって、
ブッダとヤサのような出家の動機を持った人は、仏教に入門すればすぐに悟れますよということを言っているんです。
そして、それに加えて、ここでも苦行を否定したいんですよ。
この話がなかったら、このヤサの話がなかったら、
ブッダは苦行を否定したんだけど、あの経験も決して無駄じゃなかったはずだという意見が必ず出てきます。
これ、現にそういう意見が未だにあるんですよ。
だから、仏伝の作者、当時の仏教徒たちは、
ブッダと全く同じ境遇のヤサを登場させて、
苦行を経験せずに悟りに至るということを見せておかないとならなかったんです。
だから、作者は苦行の可能性を積んでおく必要を感じていたんですね。
これは正しいなと思いますね。
親の同意と出家の影響
この後、ヤサの両親が在家の信者になりまして、
この両親は三喜永を唱える初めての仏教徒になりました。
このシリーズの1話目で、タプスタとバリリカという初めての仏教信者の話をしましたね。
この時にはまだ仏教参加組織ができていなかったので、
この最初の2人の仏教信者というのは、
ブッダとブッダの教えという2つに帰会するだけでよかったんです。
でも、もう今回は参加ができている、仏教相談ができているので、
ブッダと教えに加えて、参加にも帰会するようになるんですね。
これ以降は仏教徒になるためには、
この3つに帰会する、これを三喜永って言うんですけど、
これをお唱えするということが必須になっていきます。
ただですね、ヤサのお父さんもお母さんも、
後取息子であったヤサが出家することに関して抵抗があったようなんですね。
でもですね、ブッダから、
ヤサは以前のように欲望を満たすことに喜びを感じることはありませんよって諭されまして、
それで、まあそうかということで勝負をしたんです。
ヤサはですね、ブッダの話を聞くことによって、
欲望の性質がどういうものであるかを知ってしまっているんですね。
それを嫌悪するようになっていたんです。
だから以前のように素直に欲望を満たすことを喜べない。
そういう状態になってしまうと、これまでのような暮らしをしても全然幸せになれないんですね。
それまでとはもう価値観ががらりと変わってしまったんです。
それでヤサの両親は、
そうだなと、確かにもうこれまでのように欲望を満たしても幸せ肝心だろうなと、
ということでヤサの出家を認めるんですけど、
ただね、こんなふうにちょっとブッダはですね、
後先を考えずに出家をさせてしまうというところが初期の頃はあったんですよ。
これが後々、波紋を呼ぶことになります。
一つはですね、親の許可を得ずに出家させてしまうということ。
ヤサの両親はですね、祝福してくれたんですけど、
祝福しない親もいたんですよ。
それ誰だったかというと、
ブッダの実のお父さんであるスッドーダナ王です。
ブッダはですね、悟りに至ってしばらくしてから故郷に帰るんですけど、
その時にですね、親戚一同を次々に出家させてしまうんですね。
みんな王族の跡取りですからね、ブッダの親戚っていうのは。
そういう人をジャンジャンの出家させてしまって、
極めつけが、ブッダはですね、早くにお母さん亡くしましたよね。
それでお母さんの姉妹であったマハーパシャパティっていう、
義理のお母さんに育ててもらったんですけど、
この義理のお母さんはですね、
お父さんのスッドーダナ王と再婚するんですね。
そこで子供が生まれてるんですよ。
だからブッダがいなくなった後は、
その子が王子として、次期王としてね、
期待をされてたんですけど、
それがナンダっていうんですね。
このナンダを出家させちゃうんですよ。
あれと、お父さんとしてはね、スッドーダナ王としてちょっと待ってくれよというわけですね。
しかも、それにとどまらなかったんですね。
ブッダは子供がいましたね。
ラーフラっていう。
このラーフラもブッダは出家させちゃうんです。
これにはですね、さすがのスッドーダナ王も立腹するんですね。
それでブッダに対してこんなことを言ってます。
私はあなたが出家した時もすごく辛かったと。
そしてナンダが出家させられた時も同じように辛かったと。
でも、孫のラーフラはさらに辛いと。
親の結果を得てないものを勝手に出家させないでくれ、
クレームを入れるんですね。
これはですね、さすがのブッダも反省されたみたいなんですね。
これはさすがに良くないと。
この一件以降は、ブッダはルールを決めまして、
親の結果を得ていないものは出家させちゃならない。
こういうルールを制定したんですね。
これは大事ですよ。
それともう一つですね、
ブッダが出家をさせたことで生じたトラブルがあって、
アングリマーラのトラブル
それがですね、殺人鬼であったアングリマーラを出家させたことなんですね。
このアングリマーラっていうのは、
現代で言うと猟奇殺人鬼になると思うんですけど、
殺害した後にですね、その殺した人の指を切り取って、
それを糸で連ねて首飾りにしてたんですよ。
アングリマーラって名前、これはあだ名なんですけど、
アングリっていうのは指っていう意味です。
マーラっていうのは輪っかっていう意味なんですね。
すごい名前ですね。
油断ですけど、我々ジュズって付けますよね、皆さんも付けますね。
このジュズも輪っかなので、ジャパマーラって言うんですね。
マーラっていうのはそういう輪っかっていう意味がある。
アングリマーラは999人を殺していて、1000人目にブッダを狙ったんですよ。
でもブッダに悟されて、改心して出家をしたっていう人なんですね。
ただこの出家が非常に問題で、
本来であれば、王様によって裁かれて刑罰を受けなきゃいけない立場ですよね。
でも出家をアングリマーラしちゃってるんですね。
しかもこの王様がですね、ブッダの信者だったんですよ。
それで結果的にアングリマーラは罰を受けるのを免れてしまったんですね。
これを受けてですね、世間の人たちはやっぱりすごく批判するんですよ、ブッダと仏教さんが。
あれどういうことなんだと。
アングリマーラがお坊さんになったからって、罰も免れてるじゃないかと。
なんでブッダはあんな奴を出家させたんだって言ってね、避難豪豪なわけですね。
ブッダっていうのは、元来的にはですね、やっぱり世間の人たちから
お伏せというものでね、自分たち食べさせてもらってるっていう自覚がものすごく強かったので、
世間の人からどう思われるかってものすごく気にされた方なんですね。
だからそうやって避難されたってことはやっぱりブッダ自身もすごく受け止めてまして、
このアングリマーラの出家で避難を受けて以降はですね、
殺人を犯した人は出家させちゃダメだよっていうルールを定めるようになったんですね。
こういう出家にまつわるトラブルっていうのもあったので、
出家のプロセス
現代の出家っていうのはすごくね、いろんな書類が必要になってるんですね。
だから儀式もすごくしっかりやるんです。
ただね、ヤサが出家したときはやっぱりそういうのはまだなかった。
トラブルがなかったのですごくシンプルなんです、出家するのが。
だからブッダが一言ね、来たるよ、びくよと。
びくってのは男性のお坊さんのことですね。
そういうふうに一声かけるだけで出家ができたんですね。
これが一番古い出家のやり方です。
後々に手順が増えていって、現代みたいになるわけですね。
この後、ヤサだけじゃなくて、ヤサの友達が計54人がブッダの下で続々と出家しまして、
次々と悟りの最高段階であるアラカになるんですね。
悟りのバーゲンセールみたいになってて、
ちょっとやりすぎじゃないかって言われたりするんですけども、
こうやってね、どんどんとお坊さんが増えていくと困ることも出てくるんですね。
何に困るかっていうと食事ですね。
仏教はタクハツに行きますね。近くの村に行って、
そこで食事を分けてくださいって言いえいえにお願いして、
食事を分けてもらうんですけども、
お坊さんがたくさんいるとですね、それだけタクハツに回る村の負担になりますよね。
そういうところがあったので、
ブッダはですね、増えていった相談がね、
賛同が大きくなったタイミングで、
解散命令じゃないですけど、ちょっとバラバラになりましょうって言うんですよ。
みんなそれぞれ遊行しなさいって。遊行ってのは遊ぶに行くって書くんですけど、
いろんなところをですね、修行の旅に出なさいっていうふうに各地巡りなさいって言うんですね。
2人以上で行くなら1人で行けっていう指示まで出してます。
これはどういうふうに受け取るのかなっていうのが、
いろんな地域で仏教が広がるっていうところかなと思うんですけれども、
そういうふうにね、バラバラにして、
仏教がそこから広がっていくっていうふうになるんですね。
タクハツのルール
さっき言ったように、ブッダはね、家々の負担になるってことをすごく気にされてたので、
タクハツとか食事をもらうときにはですね、いろんなルールを設けてました。
タクハツはまず午前中に1回しか行っちゃいけないっていうルールを設けてましたね。
あとは家計が苦しい家からはもらっちゃいけないっていうルールも作ってましたね。
そういうタクハツの心得を説いた有名な言葉っていうのもあって、
これすごく私好きなんですけど、
三ツ鉢は花の色化を損なわずに汁を取って花から飛び去る。
少女、これお坊さんですね、が村に行くときもそのようにせよと。
決して家に負担を強いるなよって言われてるんですね。
ブッダの一般の方に対する接し方、気持ちっていうのはよくわかる。
本当に私もこれはすごく肝に銘じているというかですね、
気をつけなきゃいけないなって日頃から思っている言葉ですね。
次回はさらに組織が拡大をしていく中で、
当時のインド人の生活の一端が伺える非常に興味深い話がありますので、
ぜひ楽しみにしていただければなと思います。
ここからはアフタートークです。
少し前に質問を募集させていただきましたが、
本当に多くのご質問をいただきました。
一気に全部回答することはできませんから、
このアフタートークの時間を使って、
毎回一個ずつ回答をさせていただきたいなと思います。
記念すべき最初のご質問はですね、
ラジオネーム、かんしけつさんからいただきました。
はい、ありがとうございます。
大変良いご質問をいただきました。
目の付けどころがいいというか、
こういう言い方はちょっとおでからな感じがしますね。
本当にね、
ちゃんと私の話を聞いてくださっているんだなというのがよくわかります。
ついついここらへんとか、流しそうなところ、聞き流しそうなところなんですけどもね。
ちゃんと学ぼうという意欲があられるんだなと思って、
質問を見ながら嬉しいなと思ったんですけども。
瞑想というもの自体はですね、
これは仏教以外でも取り入れられているものなんですね。
ただ、仏教の瞑想というのは2種類あります。
一つは、さまた瞑想といいます。
これはですね、漢字にすると、
止めると書いて、死というふうに言います。
この瞑想はですね、ガンガン集中力を高めるというもの。
仏陀が最初に教わった瞑想ってこれなんですよ。
アララカーラーマとかウッダカラーマプッタが教えてくれた瞑想はこのさまた瞑想です。
もう一つはですね、ビパッサナー瞑想といいます。
これは、洞察力、観察力を養うというもの。
現代でも南方の仏教では、集中力を養うさまた瞑想と、
この洞察力を養うビパッサナー瞑想、この2つが実習されるんですけど、
悟りというものは、このビパッサナーの方じゃないと得られないと言われています。
ビパッサナーはこの仏教独自の瞑想と言われていて、
仏陀の時代にはまだ体系化されていないんですね。
ちょっと仏陀が亡くなってしばらくして、徐々に形作られて体系化されていったんですけども、
仏陀が悟りに至った時の瞑想も、このビパッサナーに属する瞑想だと考えられています。
さまたの瞑想というのも、良い瞑想なんですけども、
どんどん集中力を上げていって、さまたの上のレベルになるような深い瞑想というのは、ちょっと深すぎるんですよ。
深すぎる瞑想というのは、鋭い洞察力を失うんですね。
だからこの洞察力、観察力、これが知恵なんですけど、
これがあるかどうか、これが養われているかどうかというのが、
アーララカーラーム達の瞑想と、悟りに至る時の仏陀の瞑想の違いなんですね。
だからこの知恵の有無というのは、そういうことですね。
ビパッサナーのような瞑想をやっているかどうかで違うということですね。
本当に良いご質問をいただきました。
学びが深くなるようなご質問ですよね。
これからもまだまだご質問をいただいておりますので、
次回以降もこういう形で回答をしていきたいなと思います。
また引き続き、番組についてのご質問を受け付けておりますので、
概要欄の質問ホームよりご質問いただければと思います。
あとフォローとレビューもよろしくお願いします。
ではまた次回お会いしましょう。
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