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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、
インスタグラムでフォロワー2万人超えの臨在心の僧侶、私、かんどう和尚が、仏教を一から分かりやすく解説していく、そんなプログラムとなっております。
仏陀の禅旗である二打穴方に基づいて、仏陀の生涯を立てるシリーズの続きとなります。これまでと同様、悟りに至る前の仏陀を菩薩と呼んでお話を進めたいと思います。
菩薩の苦行の始まり
出家して間もない菩薩が、二人の修行者から瞑想を学んだところまでお話ししました。ここで少し補足を加えたいんです。
仏教では菩薩、仏陀は師匠を亡くして仏陀となった、これを無視、独語というふうに言うんですけど、師匠なしに一人でに悟ったということですね。
実際には、瞑想を他人から学んでいますし、最初の先生であるアララカーラーマのことは、仏陀自身が師匠と語っているんですね。
だから、師匠はいたと言っていいと思うんですけど、それでも菩薩は、この瞑想修行だけでは自分が目指している悟りには到達できないと判断をして、彼らのもとを離れて旅を続けます。
そしてウルベーラーという土地にたどり着きました。そこは密林があって、程よい距離も卓発に行ける村がある。まさに修行に快適な場所だったんです。
そこで、5人の修行仲間と出会って、共同生活を始めます。この時に菩薩がやった修行というのが苦行と呼ばれるものです。苦しい行と書いて苦行ですね。身体に過酷な制限を課す修行です。
実際に経典には、ブッダとなった後に、あの時はこういうことをやりましたよっていうのを振り返っているのがあるんですけど、かなり過酷でして、まずは裸で過ごす。これはできそうですね。
次は牛糞を、牛のうんこを食物とする。これもできないですね。髪やひげを自分で抜く。これ相当痛いから、これもできないですね。
素晴らずに立ち続ける。いや、これもかなり辛いですよね。そして次が針のむしろの上で生活をする。よく針のむしろのような状況って、たとえで言ったりしますけどね、実際に針のむしろの上で生活をする。いや、これもできないですね。
あと呼吸を止め続ける。これをやるとどんな風になるかっていうのもブッダが言われているんですけど、呼吸を止め続けると、実際に耳の中からすごい風の音がビュービュービュー鳴るって言っているんですね。これ本当に窒息しかけているんだと思うんですけど、そういうことをやった。
そしてすごく激しい断食をする。この断食は結構種類があって、1週間に1食だけ取るとかですね。あとは毎日食べるんだけども、米粒1個しか食べないとかですね。あとはもう完全に断食を長い間するとかいうことですね。
この断食がやっぱりかなり厳しかったらしくて、お腹の皮をつまもうとしたら背骨に触れてしまったっていうふうにブッダになったと言われているんですね。すごく痩せ細ってしまったから、トイレしようと思って、和式便所はないですから、外の道の端っこでしたんだと思うんですけど、
かがんでね、まるまるまる座りをするわけですよ。ヤンキー座りみたいなね、あれですね。それで座って用を足そうとしてたら、もうかがむ力もなくて、そのまま舞のめりにつんのめて倒れてしまったっていうふうに語られています。
それで、肌もですね、冷たくなってたらしくて、蘇生させようと自分で思って、体中を手でさすったらしいんですけど、さすったら次は全身の毛がボロボロボロボロ抜け落ちたって言ってるんですね。こういうふうな状況、ちょっと自分がなったことないので想像がつかないんですけど、本当に過酷に体を究極に追い込んだら、そういうふうになるのかもしれないですね。
すごくリアルなので実際にやったんだろうと思うんですけども、こういうふうな徹底的な苦行をどれぐらい菩薩はやったかっていうと、6年間もやってるんです。6年は長いですよね。でも全く悟れなかったんです。
苦行を放棄する決断
そこで菩薩は、これはもうダメだなって考えて、苦行をやめる決意をします。そこで近くの村に行きまして、普通に卓発をして、そして普通の食事もとるようになるんですね。
そんなある日、木陰で座っていると、近くの村に住む少女が、ヤギのミルクで作ったお粥を供養してくれました。
お坊さんと思ってなかったらしくて、木のところで座っているから、木の精霊って勘違いしたらしいんですけど、何でもいいんですけどね。そういうふうにして供養をしてくれた。
このヤギのミルクで作ったお粥を供養してくれた女の子の名前がスジャーターって言います。聞き覚えある方おられませんか?
コーヒーフレッシュとか、新幹線の中で車内販売で売ってたアイス、あれスジャーターっていう会社ですね。あの会社の名前はここから来てます。
でも、あの会社はスジャーターって区切るんですよ。でも本当はそうじゃなくて、女の子の名前はスジャーターって伸ばすんですね。これが正しい発音なんです。
変わらないじゃないかって思われるかもしれないんですけど、大違いなんですよ。インドの言語は、女性の名前は語尾を伸ばすって決まりがあるんです。伸ばさなかったら、それ男性の名前になってしまうんですね。
だからスジャーターって言ってしまったら、これ男性のことを言っていることになってしまうんですよ。だからね、私はひそかに、まあひそかにじゃないな、結構言ってるんですけど、スジャーターじゃなくてスジャーターって言っている人を見たら、
ああ、それ間違ってますよ。スジャーターが正解ですよっていうのをこっそり教えて取り締まってます。スジャーター警察やってるんですね。さて、ここまでが菩薩が苦行を始めてから、それを放棄するまでのエピソードですね。
ここの苦行を放棄するエピソードって、いろんなことが学べるなって思ってるんですね。まず一つが、引き際を見極める勇気をここから学べるんです。6年間続けたことをやめるっていうケースが、これ本当にすごいことですよね。
企業とかに例えてみると、会社の肝入りで立ち上げた新規事業に何年も時間とお金を投資した、でも成果が出ない。じゃあそこでスパッと撤退を決められるかっていう話なんです。ギャンブルも多分似てると思いますね。
多くのコストをかけた分、辞めるのが難しくなりますよね。ここまでやったんだから、もうちょっとやれば、もうちょっとやればってやっぱり思いますよね。こういう感情が判断を鈍らせるんです。それを菩薩は断ち切っているんですね。
だからこのエピソードは、この引き際を見極める目を持たなきゃいけないということと、こういう無駄な努力になってしまうこと、サンクコストって言ったりしますけど、そういうサンクコストを恐れない姿勢っていうもの、これを学ぶことができるなって思うんです。
そしてもう一つの教訓があって、それは目標に正しく向けられた努力の大切さです。ただ闇雲に努力しても意味がないんですね。苦行っていう努力は悟りっていう目標には向いてなかった。別のべき取りを向いてたんです。
仏教でいう悟りっていうのは、心の中の愚かさ、怒り、欲望っていった煩悩が二度と起きなくなる状態です。しかし苦行を通しても、むしろそうした煩悩が強くなってしまうことすらあったんじゃないかと思うんです。
実際に苦行をやめた菩薩を、5人の仲間と修行したって言いましたよね。この5人の仲間たちは苦行をやめた菩薩のことを憎だすんですよ。あいつは落雷者だ、贅沢者になってしまったって言うんですね。これは慢心、つまり悟りの障害そのものですよね。
極端な例えをすれば、東大に合格したいって言って、毎日筋トレしてるようなものなんです。努力の方向がずれてたら、やっぱりどれだけ頑張っても結果には結びつかないですよね。私たちも、程度の差はあると思うんですけど、目標から外れた努力をしてしまうことがやっぱりあります。
だからこそ、自分の努力が本当に目標に向かっているか、時より転勤をすること、振り返ることが大切になってくるんです。次回は、いよいよ菩薩が悟りを開く場面に入っていきます。悟りとは何かについても詳しくお話しする予定です。
ただ、今回までの内容で一区切りとしまして、次回からは悟り編という新シリーズでお届けしたいと思いますので、どうぞお楽しみに。
今回のエピソードはいかがだったでしょうか。興味深い点は、この苦行の失敗談ですね。これがブッダの伝記にしっかり載っているというところなんです。
普通、偉大な宗教家ってスーパーマンみたいに描かれると思うんです。日本の信仰宗教の教祖とか、おそらくほとんどそうだと思うんですけれども、失敗談なんて入れなくないんです。やっぱり権威が落ちてしまいますから。
それなのに、なんでこんな失敗エピソードが入っているのかというのをちょっと私たちは見たいなと思うんです。それは、苦行では悟れないんだということを明確に後世に伝えておきたかったからではないでしょうか。
これを言わなかったら、もしかして苦行でも悟れるんじゃないのっていう人が出てくる。その誤解を防ぐために、これはちゃんと入れなきゃいけなかったんです。
実際に仏教と同じ時代に現れたライバル宗教にジャイナ教というのがあるんですけれども、このジャイナ教の修行って苦行なんですよ。苦行によって悟れるってしてるんですね。
だからすごく似た宗教と言われるんですけど、その思想と仏教を差別化する意図もあったんじゃないかなと思ったりします。
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見つけるところが結構難しいんですよ。私もね、どこにあるのかなってフォローとか評価とかレビューのところですね。
いろいろ見たらね、わかりづらいんですよね。
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それではまた次回お会いしましょう。ありがとうございました。