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かんどう和尚のはじめての仏教。
この番組は、これから仏教を学んでみたいという方に向けて、
インスタグラムでフォロワー2万人超えの私、かんどう和尚が
仏教の教えを一から優しく解説していく、そんなプログラムとなっております。
さて、番組の本編に入る前にお知らせです。
もしかすると、すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
かんどう和尚のはじめての仏教のホームページができました。
ポッドキャストの内容をテキスト化した記事も掲載しておりますので、
耳だけでは聞き取りづらかった部分とか、ちょっと私、滑舌があまり良くないので、
あとは早口になってしまうので、自分でも後から聞いて、
何言ってるかわからないなという時が多々あるんですけれども、
こういう部分がありますので、もう少し理解を深めたいなというところとかあれば、
読み返していただければ、よりわかりやすくなるかなと思います。
このリンクはですね、ポッドキャストの概要欄に貼っておりますので、ぜひご覧ください。
それでは本編に参りましょう。
菩薩の出家と修行の始まり
このシリーズでは、仏陀の伝記とされる二大な方に基づいて、仏陀の生涯をたどっています。
これまでと同様に、悟りに入る前の仏陀の言葉、菩薩と呼んでまいります。
前回は菩薩が出家を決意し、実際に出家されたところまでお話ししました。
日本では出家っていうと、どこか罰ゲームのようなイメージついてしまってますよね。
例えばタイガドラムとか見てたら、敗軍の将、敗れた武将が出家する場面がしばしば登場しますね。
あれは仏教が世間とは切り離された世界って見なされていたからで、
出家によって反逆の意思がありませんよっていうことを示す、いわば政治的なジェスチャーでもあったわけです。
でも古代インドではそうではなくて、出家っていうのはむしろ当時の最先端のトレンドだったようです。
実際にお坊さんたちに何で出家したのかって、今でいうアンケートを取っている記録が残っているんですけど、
最も多かった理由って何だと思います?
これは友達や家族が出家したからなんですよ。
つまり当時はすごくかっこいい生き方として憧れられていたっていうことですね。
菩薩が出家した当時もやっぱりそんな空気があったんだと思います。
さて、菩薩は出家はしたものの、当時はまだずぶの素人の状態です。
そこでまずは修行方法を誰かから学ぶ必要がありました。
いろんな人に情報を聞いて情報収集をしていく中で、
アラアラカラーマっていう瞑想の達人がいるらしいって聞くんですね。
そこでその人のところに行って弟子入りをします。
瞑想っていうのは、ざっくり言うと精神を集中させることになるんですけど、
瞑想と達成感
この瞑想にはこの集中の具合に応じて段階があると言われてまして、
最初のレベルが諸禅っていうやつ。
これは前にもお話ししましたけど、
菩薩が幼い頃に木陰で自然と瞑想している中で入ったのが諸禅でしたね。
覚えておられますか。
そこから二禅、三禅、そして四禅と続いて、
ここからはちょっと名前が変わるんですけども、
空無変諸、四気無変諸、無諸無諸、非相非非相諸っていう八つの段階がある。
名前覚えなくて大丈夫です。
嫌になりますからね。
物によっては八つじゃなくて、さらにその上、
滅神状っていう九つ目があるとも言われるんですけども、
これはもうどちらでもね。
このアーララカーラーマさんは、
その中で七番目の無諸無諸というレベルに達していた人だったと。
その人の下で菩薩もやり方を教わりましてやってみるんですけど、
やっぱり才能があられるんですよ、菩薩は。
わずか数日でそのレベルに到達をするんです。
この無諸無諸のレベルにですね。
その才能を見たアーララカーラーマは、
こんなことを言うんですね。
弟子たちを一緒に率いていきませんか?って。
これね、やっぱり私なかなか言えないことだなと思うんですけど、
菩薩も後々に仏陀になった後にですね、
アーララカーラーマは私の師匠ですけども、
弟子である私を自分と同じ立場に置いてくれたっていう風に
振り返っている場面があるんですね。
菩薩もやっぱりアーララ先生はすごいなって
多分思われたんだと思いますね。
自分の弟子がいくら優秀であっても
同格に扱うってあまり聞いたことないじゃないですか。
だからこのアーララカーラーマっていう人の
この人柄が忍ばれるエピソードだなって思うんですね。
でも瞑想によって無諸無諸の境地には達したんですけど、
それでもなお、老い、病、死の苦しみっていうのは消えてなかった。
つまり悟りにはいたらなかったんです。
そこで菩薩はアーララカーラーマの元を離れて、
次の先生を求めるんですね。
次の先生誰かっていうと
ウッタガラーマプッタっていう別の瞑想の達人です。
別に名前覚えなくていいんですよ、これもね。
この方はですね、先の先生、前のアーララ先生よりも
一つ上の八つ目のレベル、非層、非非層所のレベルに達していたって言われています。
でも菩薩はね、ここでもすぐにその境地に達するんですね。
それを見たウッタガラーマプッタは
こんなことを言うんですね。
自分の集団をあなたが率いてくださいって。
私もあなたの弟子になりますって言うんですね。
これも言えないですよ。
この人もやっぱりね、すごい人だなって思うんですけども、
やっぱり菩薩も後でこんな風に言ってますね。
彼は私を死の立場に置いたって。
でもちょっとニュアンスが違ってまして、
アーララカーラーマのことは師匠って呼んでるんですけど、
ウッタガラーマプッタのことは師匠って呼んでないんですね。
同じ道業、修行所の人だっていう風に呼んでますね。
つまり菩薩にとっては、生涯唯一の師匠はアーララカーラーマだけなんですね。
ウッタガラーマプッタさんは仲間ぐらいの意識だったんでしょうね。
このあたりのエピソードっていうのは、
仏典にはあんまり詳しく載ってないんです。
未来の方には。
でも中部経典って言われる、古いお経の習性があるんですけど、まとまりが。
その中の聖具経っていうお経があるんです。
聖なる求めのことと書いて聖具ですね。
その中に記されているので、
もし興味のある方は読んでいただければなと思います。
ということで、
二人の瞑想の達人の下で最高のレベルの集中力を得た菩薩でしたが、
それでも悟りには至らなかった。
つまり、いくら高い精神集中ができても、
それだけでは悟れないっていうことですね。
瞑想は悟りに必要なスキルではあるんですけど、
それだけでは足りないんです。
じゃあ何が足りないのか。
悟りへの道を探求する菩薩
菩薩はそれをここから探し求めていくことになります。
次回は菩薩が次に取り組んだ修行についてお話ししたいと思います。
ここからはアフタートークです。
今日は瞑想についてお話ししましたけど、
瞑想って、さっきも言ったように精神を集中することですよね。
これ実は私たちの日常でもたくさんあることですよ。
車の運転だったり、仕事とか勉強とか、本を読むとか、
こういう時って集中力が絶対必要じゃないですか。
だからそういう集中力が必要な行為は、
ある意味瞑想と同じって言えるんですよ。
ここが肝なんですけど、
人間以外の動物って長い時間集中することができないって言われてるんです。
例えばサバンナにいるシマウマが何かに集中するとどうなると思います?
これすぐに天敵に襲われるんです。
でも人間の場合は約10万年くらい前だって言われてますけども、
植物連鎖の頂点に立ってから、
そこからは外敵に襲われる天敵ってものがなくなるんですね。
だから集中する余裕が生まれたんです。
そこから文明を築いて技術を発展させることができました。
数学の計算とかでもそうですし、
火を扱うこと、料理とかもそうですね。
集中力がなかったらできないことってたくさんあるんですよ。
もっと言うと集中力があるから文明ができてるんですね。
本当に集中力って大事なんですよ。
それを思った時に、
今の私たちの生活は集中力あってのものなので、
自分の集中力をどのように高めてどう活かしていくのかっていうこと、
それが人生を大きく左右する大事なテーマになってくるんじゃないかなってことを思うんですね。
今日は最後までお聞きいただきありがとうございました。
データを見てますと、
フォローせずに聞いてくださっている方結構いらっしゃるようなんですけど、
フォローしていただけると新しい配信の通知が届くようになって、
とても便利になるんです。
加えてこれはポッドキャストの特徴として、
フォローしている人が人数が多いと、
より多くの人に届けようと拡散する作用があるので、
大変厚かましいお願いなんですけど、
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なお、来週より水曜日の配信から土曜日へと変更となりますので、
よろしくお願いします。