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2025-12-20 15:24

【ブッダの最期編#2】ブッダの死の原因となった一皿。謎の食べ物スーカラマッタヴァ

▼今週のトピック


ブッダの死因につながる出来事とは/


パーヴァ―到着後、チュンダのマンゴー園に滞在するブッダ/


鍛冶職人チュンダと仏教の“包摂性”/


チュンダの恭しい礼拝作法(右回りに三度回る由来)/


ブッダ一行が招かれた食事会/


謎の料理「スーカラマッタヴァ」とは?(諸説:豚料理説/キノコ説)/


ブッダがその料理を弟子に食べさせなかった理由/


スーカラマッタヴァによる食中毒と激しい症状/


ブッダが腐敗を察しつつ口をつけた背景/


インド的死生観と「いのち至上主義」ではないブッダの価値観/


現代の命を最優先する価値観との対比/


歴史的価値観を現代基準で裁かないという姿勢


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サマリー

このエピソードでは、ブッダの死の原因となった食べ物、スーカラマッタヴァについて詳しく探求しています。ブッダはその料理を食べた後に苦しむことになりますが、その背景には彼の生死に対する独自の考え方が関係しています。物語にはクシナーラへの旅や異教徒とのやりとりも含まれており、ブッダの痛みと苦悩が描かれています。

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かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けて、インスタグラムのフォロワー3万人超えの総量、私、かんどう和尚が、目立的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。最近、このポッドキャストを続けてきて、ちょっと音質というものにも意識が向くようになってきたんですね。
皆さんによりよく聞いていただくために、音質にこだわっていきたいなと。
まだマイクが、そんなにいいマイクを使ってないので、そこが一番大きいとは思うんですけども、それ以外で自分でできることを整えていこうということで、
部屋の反響をしないように、旧音材代わりに毛布をいろんなところに配置していたりとか、音を吸収してくれるようにですね、やったりとか。
あとは、暖房とか入れると、暖房音が音質にやっぱり影響をするらしいんですね。
だからあんまり入れないほうがいいということで、今入れてないんです。
この部屋、すごく日当たりが良くないので寒いんですね。
今回3本撮りしてましてね、1本2本で、これ3本目なんですけど、1本2本目はまだ良かったんですけど、かなり今冷えてきて寒いんですけれどもね。
皆さんにより良い音だけするために、寒い中耐えてお話をしていきたいと思います。
ブッダの教えと死の予感
前回は、ブッダが自身の教えとそうでないものを判定する方法について、弟子たちに語られた場面をお話ししました。
あれは、ブッダが自分が亡くなった後のことを意識されたんだろうと思うんですね。
ブッダが生きてた時から、自分が言ってないことを自分の教えて留守されるようなことがたびたび現れているんですよ。
経典でね、「いや、そんなこと私言ってませんよ。」みたいなことをブッダは結構言われるんですね。
そこも念頭に置かれてたんじゃないかなと思うんです。
間違える方法も決して悪意によって間違えるものばかりではなくて、単純に勘違いとか、あとは理解が足りていないということもあっているんですね。
人というのは間違えるものなので、そういうリスクを想定して回避するための方策と、こんな風に見ることができるかなと思います。
さて今回は、ついにブッダの死の原因となる出来事についてお話をしたいと思います。
前回訪れたボウガ市というところを訪れて、次はパーバーという都市にブッダは辿り着きます。
そこでカジ職人のチュンラという信者のマンゴー園に滞在します。
これカジ職人って翻訳されているんですけど、具体的には金属を採掘する職人だったんじゃないかと推定されたりしています。
こういう職業というのは、古代インドの既存の枠組みの中には別資、あまり良く思われていなかったと言われているんですね。
でも、もともとの体系では排除されるような人々も仏教は受け入れるんですね。これ仏教の特徴なんですよ。
だからチュンダの存在というのは、そういう一つの証拠になるんじゃないかなと思います。
チュンダは自分が所有しているマンゴー園に敬愛するブッダが滞在しているんだということを知るんですね。
それでぜひお会いしたいということで、早速ブッダに会いに行きます。
そしてブッダに訪話をしてもらって、すごく満足して、ブッダとその弟子たちにどうぞ食事を振る舞いたいので、明日来てくださいというふうに招待するんですね。
ブッダはこれに沈黙でもって同意をします。
ブッダの意思を確認したチュンダは、ブッダを来拝した後にブッダの周りを右回りに3度回って帰宅しました。
チュンダ以外にもこういうことをみんなしているんですけど、これまでちょっと触れてこなかったんですけど、ちょっと触れますね。
右回りに3回回るというのは、ブッダを中心に右回りに3回回るんですね。
これは古代インドにおいては相手に敬意を示す最高の来拝の形なんですね。
日本でもお葬式の時とかに取り入れられていて、最近やらないところがかなり、都市部とかはもうたぶんやらないと思うんですけれども、地方ではまだこの風習が残っているところもありますね。私のところも残っています。
奈良の寺院とかでも、本尊の周りを回れるようになっているところが多いですよね。東大寺とかもそうですね。ビリシャノ仏の周りを回れますよね。あれは右回りに回れるようになっているでしょ。
あれはこのスタイルを踏襲しているんですよ。
家に帰ったチュンダは翌日のために用意できる限りの食事を支度して、そして明朝ブッダ一行を招待します。
スーカラマッタバと死因の探求
もう来られた席に弟子たちと共に着いたブッダは、その中の一つのある料理をこれは私にくださいって要求をするんですね。
それ以外の料理は弟子たちに食べさせてくださいっていう風に頼むんです。
このブッダが要求した料理、これをスーカラマッタバって言うんです。
これ現代のインドでは残ってない食べ物の名前なので、何かわかってないんですけれども、スーカラマッタバっていうのは、これ諸説ありましてね、直訳すると柔らかい豚っていうことになるんですよ。
だから豚料理なのかなって言われたりもするんですね。
でも豚以外にも豚を使って獲った食材の可能性もあって、豚を使って獲る食材ってトリュフとかがそうらしいんですよ。
豚がクンクンクンクンによってて、トリュフがあるところを犬がここ掘れワンワンってありますけれども、あんな感じで教えてくれるらしいんですね。
ちょっと私トリュフ食べたことないし、それ探してるシーンも見たことないので、ちょっと違ったら申し訳ないんですけど、そういうものがあるらしいんですよ。
だからキノコ料理の可能性もあるんじゃないかって言われてるんですね。
だからどっちかちょっとわかんないんですけれども、でもそのスーカラマッタバっていう食べ物をブッダは食べるんですけども、全部食べれないんですよ。
残すんですね。そしてこの残ったスーカラマッタバをチュンダに地面に穴を掘って埋めなさいって言うんです。
その後にブッダは出血を伴う激痛に襲われて激しい下痢に見舞われるって書いてあるんですね。
これね、スーカラマッタバによる食中毒なんですよ。これがブッダの死の原因になるんです。
おそらく最初から臭いがしてたんだと思うんですね。
だからブッダはこれは自分しか食べれないって言ってるんです。
だから弟子には食べさせないでくれって言ってるんですね。
でもせっかく用意されたものに口をつけないってこともブッダはされなかったんですね。
だからこのブッダの人となりっていうのが伺える場面でもあるなって私は思うんですけれども、
もし自分であったらどうするかなって考えるんですけど、
さすがに腐ってるのは食べれないかなと、匂いが非常にきついのは食べれないかなってやっぱり思いますね。
ここちょっともう少し掘り下げたいんですけれども、
ここね、ブッダの死性感というか命に対する感じも結構見えるんですよ。
ブッダは現代の日本みたいに命死状主義ではないんですね。
ブッダだけじゃなくてですね、インドは伝統的に死性感としては、
生き物っていうのは生まれ変わり死に変わりを繰り返すっていうふうに考えますね。
仏教もその考え方を踏襲してますし、ブッダもやっぱりその考え方を踏襲されてるんですけれども、
その延々と続く繰り返されるループ、ここから抜け出す、
二度と生まれ変わらないようになること、これを下達って言ったり、涅槃って言ったりする。
これをブッダも目指すし、ブッダ以外の思想家も同時期の人たちはこれを目指すんですね。
このことは何回も言及したかなと思うんですけど、その中で生まれ変わりの原動力になるもの、
これは心の良くない働き、これ煩悩と言いますね。
これなんだっていうふうにブッダは見極めるんですね。
そしてこの煩悩を解消するってことに成功するんです。
これが悟りっていうものですね。
だから後は死を待つばかりっていう状態に入っているんです。
何が何でも生きたいわけではないし、そこに価値も置かれてないんですね。
そういう背景もここで腐っている食べ物を食される理由の一つになると思うんです。
もちろん他人の命を奪っていいとか、そんな主張をブッダとか仏教がしているわけじゃないんです。
仏教というのは不摂生、生き物を殺しちゃいけないってことを言いますよね。
それをちゃんと旨とするんです。
でもこの生きるということ、ただ生きるということよりも重要なものがあるというふうにブッダは捉えていて、
それが下達というものなんだっていうこと、これがブッダの価値観なんですね。
現代の日本においては命、生きるっていうこと、これが何よりも優先されるっていうこと、
これが寿命だというふうに私たちは考えているんですけど、
世界史を眺めるとそのような価値観って割と最近のものなんですよね。
私、世界史も結構好きで、いろんな本も読むんですけれども、
世界史だけじゃなくて日本史でもやっぱりそうですよね。
例えば日本の武士って、自らの誇りを守るために命を投げ出したりとか、
切腹するってことを割とやるんですね。割とどころじゃないですね。
こっちの方が明らかに自分の誇りを守ることの方が重いんですよ、彼らにとっては。
あとは主君が亡くなるとね、それに応じてその家臣の人たちも腹を切るみたいなことも結構やりますしね。
世界に目を移してもそうですね、命よりも優先されるものがある時代ってかなりあるんですよ。
そういうものを私たちは現代の価値観でもってニハッタッタとか野蛮だって判断をしがちなんですけど、
それは違うんじゃないかって思うんですね。
私たちもその時代に生きてたらきっとそういう価値観で生きてたと思うんですよ。
だからそこに優劣や聖者を、正しい間違いですね、これを持ち込まずに、
当時の時代背景や思想を丁寧に見ていく、そして判断をしないということ、
これも大切な態度じゃないかなと思うんですね。
ブッダの死の原因
次回はこのような痛みに耐えながらも、
ブッダはクシナーラという土地に向かわれます。
そこで異教徒とのやりとりをされるんですけど、
それをちょっと面白いのでご紹介したいなと思います。
ここからはアフタートークです。
最近、冷や汗をかいた話というのがありまして、
それをちょっとお話ししたいなと思うんですけど、
私が今預かっているお寺っていうのは、
元々江戸時代まで大名だったお家の母大寺の一つなんですね。
お殿様が混流していたので、それ以降もね、
ずっと大名の人たちがパトロンという形になって、
お寺に対していろんな支援をしてくださっていたという歴史があるんですけれども、
そのお家が今も、江戸時代が終わってもですね、
現代も続いていてですね、本当に名家なわけですね。
そこのお家が主催されるお茶会に呼ばれたんですね。
それで伺ってきたんですけれども、
本当に偉い人たちがいっぱい来ていて、
すごく気遅れをしたんですけれどもね、実際にね。
その中でちょっと会ったのがですね、
外国の方々がいらっしゃってましてね、
それをアテンドされているご夫婦がいらっしゃったんですよ。
そのご夫婦の女性の方がですね、
休憩時間の時にちょっとお話をされまして、
話しかけられましてね、世間話してて、
どこから来られたんですかっていうふうに尋ねると、
ある九州の地方都市から来られたっていうことが分かりましてね、
どこどこですよと。
ああ、そうなんですねって言った時に、
ふとですね、その地域の代表する有名な会社、企業があるんですけれども、
その企業のことが頭に浮かんだんですね。
でもちょっとね、最近その企業も業績が時代とともにですね、落ち込んでて、
あんまり思わしくないっていうふうなことがあったので、
それをちょっと世間話の一環として挙げようかなと、
話題作りに言おうかなと思ったんですけれども、
初対面の方にいきなりそういう話をするのも、
ちょっとムシつけかなと思いましたので、やめたんです。
で、その後、茶会の方が進んでいきまして、
最後茶会が終わった時に主催されたお家の方が、
それぞれに挨拶をされたんですね。
今日はありがとうございましたということで、
一人一人名前を呼んで挨拶されたんですけれども、
その私が喋った方のところでね、挨拶された時に、
〇〇さん、今日はありがとねって言われた時に、私はハッとしたんですね。
何をハッとしたかって言いますと、
その私がさっき喋った方は、
その地方都市を代表する企業の社長さんだったんですよ。
私、テレビで何回もお顔とお名前をお見かけしたことがあったんですけど、
いざ目の前にあるとわからなかったんですね。
でもそこで名前を聞いた時に、一気に顔と一致したんですね。
ハッとして。
それ、本当に冷や汗。
ここ数年で一番冷や汗かきましたね。
だからもう言わなくてよかったなと、
本当に余計なこと言わなくてよかったなと思いました。
ブッダはね、人間、人というのは口の中に斧を持って生まれてくるんだ、みたいなことを言われるんですけど、
自分のことを傷つけるって言うんですけど、やっぱり人も傷つけますよね、言葉っていうのはね、口というのはね。
だから、本当に言葉っていうものは大事に、惜しみ惜しみね、あんまり軽口言わない方がいいなということを思いました。
今回も最後までご視聴いただきありがとうございました。
最近スポーティファイのユーザーの方がたくさん聞いてくださってて、フォローしてくださる方がすごく増えてるんですけれども、
Apple Podcastの方もお聞きの方がおられましたら、ぜひフォローの方をしていただければなと思います。
それではまた次回お会いしましょう。
感動賞の初めての仏教。
この番組は仏教初心者の方に向けて、インスタグラムのフォロワー3万人超えの総量、
私感動賞がミラ的な視点から
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