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2025-11-15 10:46

【晩年のブッダ編#6】幸せも悟りも、3つのステップから。ブッダが説いた「人生の設計図」

▼今週のトピック


ブッダが「終活」をはじめた理由/


アーナンダ尊者を貶める疑惑の記述/


ブッダが説いた修行の3ステップ/


3ステップは一般化可能/


集中力が文明を生んだ/


智慧=判断力が人生を左右する/


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サマリー

晩年のブッダは、人生の終活をし、自らの教えを弟子たちに伝えています。そして、悟りへの3つのステップについて説いています。このステップは戒、譲、知恵から成り立ち、幸せを追求するために必要な道筋を示しています。

ブッダの終活
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けて、インスタグラムのフォロワー3万人超えの少女、私、かんどう和尚が、目立的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。6話にわたってお送りしてきた【晩年のブッダ編】ですけれども、今回で最後となります。
前回は、ブッダが悪魔との対話を通して、3ヶ月後に自らの人生に幕を下ろすことを決意した場面をお話ししました。
ここから、ブッダは、現代風に言うと、終活、終わりの活動を開始されることになります。
このブッダの様子を見ていると、終活というのがどうなきゃいけないのかということが、よく見えるんですね。
私たちは、自分に関することをコントロールしたいという欲望を持っていますよね。
だから、それがこうじてしまうと、亡くなった後の自分の在り方もコントロールしようとする、そういうことになってしまう。
これはね、去りゆく身としては、すごくきつい、良くない傾向じゃないかなと思うんですね。
でも、ブッダはそうではなくて、自分のためにやられないんですよ。
残された人たちが困らないように、いろいろと配慮をして、手配をされるということをされていかれます。
これはですね、そういうところを見ていくと、私たちもいろいろと学べるところがあるんじゃないかなと思います。
まず最初にブッダは、自らが死を決意したことを、月人のアーナンダ尊者に告げます。
それに対してアーナンダ尊者は、ブッダに死を思い留まるようにお願いをするんですね。
でもブッダはそれを知りづけまして、こう言われるんです。
以前望むなら長生きすることもできるとほのめかした時、あなたはほうげていて私にお願いしませんでした。
それはあなたの落ち度、過失ですよと、こういうふうにブッダはアーナンダ尊者を責められるんです。
このあたりがアーナンダ尊者を、ちょっと貶めているように映るんですね。
私も経典を毎日読んでいるんですけど、普段のブッダはこういうことを言われるような方ではないんですね。
突然こういうことを言われる印象があって、なんかカットインされているような印象があるんですね。
このあたりは、後世の過失をちょっと匂うんですね。
前回申しましたけど、アーナンダ尊者を貶めたい人々の恩枠みたいなのが見え隠れします。
そしてブッダはアーナンダ尊者に弟子たちを集めるようにと指示をして、
そして集まった弟子たちに、自らの教えをちゃんと実践をして、なおかつ人々の利益のために教えを広めるんだよということを説きまして、
最後に自分の人生に幕を下ろすということを宣言をします。
悟りへの3つのステップ
このようにしてベーサーリーという場所で過ごされたブッダは、続いてバンダ村という場所に異動をします。
この村においてブッダは悟りに至るための3つのステップを書いて、これを説かれます。
これを東アジアの仏教では3つの学びと書いて三学と言います。
その内容は戒、譲、戒という3つのステップです。これ順番に説明をしますね。
まず最初に戒、これは戒律の戒、生き物を殺さないとか盗みをしないといった5つのルールがね、以前もお話しさせていただきましたけれども、
この5つのルール、誤戒をはじめとする戒律を正しく守りながら生活すること。
これによって織り目正しい日常生活が確立をされる。これが大事なんですね。
そしてそれを土台として次のステップとして譲というものが書く。これ譲というのは定めと書いて譲と読むんですけど、これは精神集中のことを指します。
日常生活が整ってくると落ち着いた環境というのが整えられることになります。
その上で瞑想、精神集中を行うということなんですね。
この2ステップ目が来ると次はですね、これによって判断能力が磨かれていって、自分の良くない心の働きが是正されることができるようになる。
これが3つ目の知恵というもの、えですね。
このようなですね3つのステップを踏んだ結果、悟りに至ることができると仏陀はここで弟子たちに説かれています。
ここちょっと私強調したいんですけど、これは一般化できるんですね。
悟りというものを目標にしなくても、皆さん幸せというものを一つ目標にされるかなと思うんですけど、幸せというものを目標にしても、やっぱりこのステップは踏んでいくんですよね。
例えば最初に戒というもの、これ日常生活を整えるということ、ここに願目が置かれているんですけれども、幸せというものを目指していく上でも、やっぱり日常生活をちゃんと織り目正しいものにするということ。
正しい食生活であったりとか、ある程度朝織り目正しく起床して、夜もですねある程度早くに寝るということは健康にもいいですしね、こういうことをちゃんとやっていくということは幸せを目指す上でもやっぱり大事、寄与してくるものですよね。
人生の知恵
そして次、精神集中というもの。精神を集中するという営みは人間の特徴だというふうに言われています。
これ動物と比べるとわかるんですけど、動物って基本的に長い時間集中できないんですね。
害的に襲われる可能性があるからです。いつも四方八方に気を配りながら動物って生きています。
犬とか飼っている方はよくご存知かなと思うんですけど、犬って少しの物音ですぐキョロキョロして落ち着きがなくなるんですね。
空港の麻薬探知犬とかも長い時間働けないから、こまめに休憩を取るということをするんですね。それぐらいやっぱり集中ができないんです。
でも人間の場合は、大体10万年ぐらい前だと言われていますけれども、食物連鎖の頂点に立ちましたね。
それによって害的に襲われるということがなくなっていきます。その過程において徐々に集中力が持続するようになっていって、計画を練ったりとか、細かな作業をしたりとか、
もっと言うと高度な思考、計算、こういうものが可能になっていったんですね。だから文明っていうのは集中力の賜物なんです。
私たちが普段当たり前に使っているスマホとかテレビとか自動車とか、こういう便利な道具っていうのも全部集中力の結果、それによってもたらされた産物になります。
そして普段の日常生活で行われている料理であったりとか、車の運転であったり、読書も勉強もそうですね。
こういうものは全部集中力がないとできないことです。だから集中力をどのように養って活用をしていくのか、これによって私たちの人生は大きく左右されていくんですね。
そして最後のステップ、知恵。この知恵っていうものの本質は判断能力だと言われています。人生というのは選択の連続ですよね。
だからこの判断能力の良し悪しっていうのはすごく重要なファクターになっていきます。
そしてこの判断能力が集中力を土台としているっていうのは、これ皆さんの日常生活でも思い当たり節があられるはずです。
だから皆さんもですね、幸せというものを目指すために、ぜひこの3つのステップというものを意識されてみたらいいんじゃないかなと思います。
ということで今回のシリーズの総括にまとめに入りたいと思います。
このシリーズでは大パリニッパーナ教というお経に基づいて、ブッダが晩年どのように過ごされたのかをたどってきました。
その中で見えてきたのが、人間の成熟というもの、そして終わりをどう生きたらいいのかという、そういうふうな普遍的なテーマみたいなものを感じることができました。
ブッダはですね、人生の晩年っていくつもの喪失と別れを経験されていますね。
信頼してた弟子も亡くなっていますし、故郷の部族も亡くなっていますし、弟子たちもですね、ちょっとどうも苦悶息が怪しい状態にあるんですね。
でもそういう状態にあっても、ブッダは薙刃にはなられてないんですね。ずっと自分のやるべきことが何かってことを淡々とやられ続けます。
その最初は、バッチの国の人々が守るコミュニティの鉄則、これを話しをされていましたね。
どれも2500年経った今でも通用する、普遍的なこれもテーマになっていましたね。
さらにブッダは、戒というものを通して、仏教とか守るルールですけれども、自分を守るルールというものを説かれました。
誰かに強制されるものではなくて、自分というものを悪や混乱から遠ざけるために教えを説かれていました。
これも現代の私たちが、自分を整える習慣として捉えることができるんじゃないかなと思います。
そして、自らを法を拠り所とせよと、この言葉からはですね、人生で起こるいろんな出来事に対して一気に一憂することなく、フラットに生きていくということを学ぶことができたんじゃないかなと思います。
ブッダはですね、最後までこうやって歩み続けるんですけれども、その様子からですね、私たちがどういうふうに晩年を過ごしていくのがいいのかということ、その一つの模範みたいなものを読み取れるんじゃないかなと思うんです。
普通、年を重ねていくと、だんだんと気力というものが慣れていくものです。
でもそうではなくて、やっぱりずっとやるべきことを目の前のことをこなしていくということ、丁寧に生きていくということ、
こういう姿が見れたんじゃないかなというふうに思います。
私たちも人生もですね、やっぱり終わりに向かって歩む旅ですから、その過程においてですね、何を育んでいくのかということ、これは私たちそれぞれがテーマとして考えていかないといけないことじゃないかなと思います。
次のシリーズはブッダの最後編をお送りしたいと思います。
このポッドキャストは皆さんからの寄付によって運営をされています。
月額500円からお申し込みいただけますので、番組、仏教の発展のために皆さんのお力をお貸しいただければなと思います。
次回は、華麗坊主の名で知られる浄土宗僧侶、吉田仏さんをお招きしたゲスト回をお送りします。
全2話になっております。
改めまして皆さんに申し上げたいんですけれども、今回ゲストをお招きすることができました。
これはサポーターの皆さんのおかげなんですね。
この場をお借りして熱く恩礼を申し上げたいと思います。
今回もご視聴いただきありがとうございました。
ぜひ次回もお楽しみにしていただければなと思います。
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