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2026-01-17 12:58

【ブッダの最期編#6】自分がいなくなったあと、遺された人々はどうなるのか?ブッダのリスクヘッジ

▼今週のトピック


クシナーラーで迎える最期/


最後の直弟子スバッダ/


スバッダに説いた悟りへの唯一の道/


ブッダの遺言/


問題児チャンナへの梵罰/


ブッダ最期のことば/


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サマリー

このエピソードでは、ブッダの最期の瞬間における彼の教えと、残された人々への影響が探求されています。ブッダの示すリスクヘッジの考え方は、人間関係の変化に対する警告につながっています。ブッダは自身の死後に遺された人々への影響を考慮し、リスクヘッジを行いました。特に、彼の教えと存在の重要性について深く理解され、師としての役割が強調されています。

ブッダの最期の教え
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けてインスタグラムのフォロワー3万人超えの総量、私、かんどう和尚が目立的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
皆さんは、自分が亡くなった後に家族がどうなるかって考えたことありますか?
これ、家族が多い人ほど考えた方がいいと思うんですけど、一人一人の存在って本当に大きなもので、
いろんな人とのハブになってたり、人間関係のパワーバランスの重しになったりすることがあるんです。
だから、自分がいなくなることで、残された人たちの関係がギクシャクするってことが結構起こるんですね。
そのあたりのことに対して、ブッダがどのような手を打たれたのかについて、この後、触れていきたいと思います。
今回で、このシリーズは最終回となります。
前回は異性に対する接し方の指南もブッダがなされた頃、あとブッダの遺体、遺骨の供養について、
そして泣いているアーナの存在をブッダが慰めるところまでお話ししました。
この日のうちにブッダは亡くなられますので、刻々と最後が近づきつつあります。
さて、ブッダが滞在しているクシナーラの地は、クシナガーラというふうにも呼ばれるんですけれども、
ブッダの故郷の途中にある町だったと言われていて、
ブッダはもしかすると故郷を目指されたんじゃないかと言われたりするんですが、
このクシナーラ自体はあんまり大きな町じゃなかったそうです。
なので、アーナの存在はブッダに対して、こんな田舎で亡くならないでください。
もっと都会で亡くなったら、王様とか富豪とかがブッダの供養をしてくれますと、こういうふうに進言をします。
弟子の気持ちとしては、より盛大にブッダの葬儀をしたいという思いがあるわけですね。
それに対して、ブッダは、そんなことを言うなと言われるんですね。
このクシナーラという地は、昔は高いでて、優位所のある場所なんだと。
そんなことを言わなくていいから、近くに住む仏教信者を集めてきなさいと、最後のお別れをしたいと。
そのようなタイミングで、スバッタという名前のバラモンがクシナーラに滞在しておりました。
バラモンというのは、カーストの最上位、司祭階級の人ですね。
彼は、ブッダが間もなく亡くなるということを耳にすると、ブッダに長年の自分の疑問を解消してもらいたいなと思って会いに行きます。
ただ、ブッダは、間もなく亡くなるというタイミングで、大変衰弱しておられますので、
つきびたのアーナンド尊者は、「いや、それは無理です。師匠は疲れておられます。」ということで、ブッダとの面会を拒否します。
しかし、スバッタは諦めないんですね。
そのやりとりを聞いておられたブッダは、アーナンド尊者に、「やめなさい。スバッタは私を困らせようとしているわけではありません。純粋に疑問を解消したいだけなのです。私はその期待に応えましょう。」と、面会を許可します。
このあたりも、ブッダが誰のために、何のために生きておられたのかというのがよくわかります。
一人でも多くの人の苦しみを解消してあげたい、そういう利他の気持ちしかこの時点ではあられないんですね。
そうやってブッダと面会できたスバッタは、次のような質問をします。
この近辺においては、多くの弟子、信者を抱えた宗教家がたくさんいます。
彼らは、自分こそが悟っていると言いますが、本当にそうなのでしょうか?
彼らはみんな悟っているのですか?それともみんな悟っていないのですか?
それとも一部の者は悟っており、一部の者は悟っていないのですか?と。
これに対してブッダはこう答えられます。
八つの正しい道、八聖道を実践するものこそ、正しく悟りに至ることができるんだと。
この八聖道というのは、これまでお話ししたことありましたかね?
ブッダが説かれた悟りに至るまでのプロセスを概念化したもの、まとめたものになっています。
この内容はちょっと今お話しすると本編からずれていくので、これまたどこかで詳しくお話ししたいなと思います。
要するに、自分の教え以外は悟れませんと言われているんですね。
それを聞いたスバッタは、「じゃあ、あなたの弟子にしてください。」ということを願い出まして、ブッダもそれを認める。
このスバッタがブッダ最後の直接の弟子、直弟子、直弟子になるんですね。
遺言とリスクヘッジ
このようなやりとりを終えたブッダは、最後に遺言をアーナの尊者に託します。
いくつかあるんですけど、まず最初に、自分が亡くなった後は法と律を師匠としなさいと。
法というのはブッダが説かれた教えのこと、これが後々まとめられてお経となります。
そして律というのは、これはお坊さんの組織の中で生きるお坊さんの守るべき行動の規範、規則ですね。
そして次に、今はみんなお坊さん同士で呼びかけるときに、お互い友よと呼びかけてますが、あれはやめなさいと。
年長のお坊さんは、年下のお坊さんに対しては名前で呼んだり、友よと呼びかけてもいいですと。
でも、若輩、年が下のお坊さんは年長のお坊さんには、尊者よと尊い者よと呼びかけなさいと指示されます。
これは自分という存在が失われることで、組織内のパワーバランスが乱れるということを危惧されてるんですね。
今でもこれよく見られるんですけど、家族間でもありますね。
お母さんやお父さんが亡くなったことで、パワーバランスが乱れてしまって、子どもたちの仲が良くなくなる、不和が生じるというケース。
親御さんたちは、自分が言わなくても子どもたちは、誰に従っていくべきか、ちゃんとわかっているだろうと思われるんですけど、案外そうでもないんですね。
例えば皆さんね、今でも長男が一番というお家もあると思うんですけれども、長男にみんなが従っていくだろうと思ってても、
実際親御さんのこととか、おうちのことをやってきたのは長女の方だったりとかね、こういうケースがあるわけですね。
そういう時に長女の方からすると長男に従っていくって言っても、これまで自分が見てきたじゃないか、この家を。
こういう思いがありますし、でもまた長男の方は長男の方で、自分は長男だからって思いも表れたりするわけですね。
そういうところでギクシャクするってことがやっぱり起こりますので、そのあたりをちゃんと親御さん自身がですね、パワーバランスが崩れるってことを予見して、手を打っておかないとならないように思うんですね。
そしてこの次にブッダが言われたのが、律に定められているこのお坊さんの規則ですね、これに定められている些細な条項、項目は廃止してもいいと言われます。
この些細な条項って何なのっていうのが後々揉めることになるんですね。
そして最後に言われたのが、チャンナに凡罰を与えなさいと指示されます。
凡罰っていうのは、これ神様の凡典ですね、この凡に罰当たりとかの罰で罰、凡罰。
これ何ですかってアナンダが尋ねるんですけど、無視をしなさいと、話しかけられても答えちゃいけないし、教えてもいけないってことなんですね。
このチャンナって誰なのって思われたかもしれませんけど、これ出てきてるんですよ。
ブッダが出家する時って覚えておられます?
ブッダは夜中に家族を残してこっそりとお城を出ますね。
その時に馬に乗っていくんですけれども、その馬を引いてくれる付き人、従者がいましたね。
この従者がチャンナです。
彼はブッダが出家する時に一緒に出家してるんですね。
だからお坊さんとしてはすごく古いお坊さん、子さんのお坊さんなんですね。
でも問題児だったらしいんですよ。
ブッダの教えの終焉
だから仏伝にはこのチャンナがやらかした話っていうのが山ほど出てきます。
すごい問題児ですね。
でもこの時点においては、チャンナに注意できるお坊さんもほとんどいないんですね。
子さんのお坊さんはことごとく亡くなっているんですよ。
そういう状態において、このチャンナを何とか良い方向に変えさせようとすると、
手段はほとんど残されていないですね。
暴力もダメですし、誰かが何か言ってももう物を言える人間はいませんから。
その状況でじゃあどうしようかなってなると、やっぱり彼を無視するっていう苦肉の策しか残ってなかったんだろうと思うんですね。
なんだか小学生のいじめみたいなやり方に見えるんですけども、
でも己の存在がまるでないものかのように周囲に振る舞われるって結構効きますよね。
だから手応えがないっていうこと、これ人間のメンタルを削るので無視されるっていうのはかなり効くんですね。
実際にチャンナにもこれかなり効いたらしくて、彼はこの後戒心をして悟りに至ります。
このような指示をされた後、集まったお坊さんたちに最後こう言われます。
いかなるものも移ろいゆきます。
怠ることなく努めなさい。
これがブッダの最後の言葉でした。
ブッダのリスクヘッジ
そしてブッダはこの後瞑想に入られて、そのままお亡くなりになられます。
ついにブッダがお亡くなりになられましたね。
とうの昔にブッダはお亡くなりになっているんですけれども、
これまでブッダがご誕生されてからずっとブッダの生涯をお話ししてきましたので、
どこかブッダが生きておられるような、そういう心地もあったんですけれども、
こうやっていざお亡くなりになったってことを見るとですね、
まるで今亡くなったかのようなですね、
そういう悲しみみたいなものがありますね。
これ実際に今ふと思い出しましたけど、
ブッダが亡くなった後にですね、
アショウカ王っていう有名な王様が出てくるんですけど、
この王様はすごくブッダのファンでして、
ブッダが生まれた場所とか亡くなった場所って聖地を巡られるんですけど、
何回もそういう場所を巡っているんですけど、
ブッダが亡くなった場所に行くたんびに悲しくて泣いてたらしいんですね。
でもちょっとその気持ちはわかりますね。
今回のシリーズ、特に感じたのが、
ブッダが残された人たちに思いを巡らせておられたっていうところですね。
自分が亡くなった後にどういうことが起こるのであろうかって、
さまざまなことを予見されてましたけども、
ブッダは自分という存在の大きさ、よくわかっておられたんですね。
ブッダは仏教という組織において重しだったんです。
このブッダという重しがあったからこそ、
人間関係とか教えとか教義についてのバランスが取れてたんです。
でもその重しが取れたときにどんな問題が起きるのか、
これをちゃんと想定してリスクヘッジをしているんですね。
仏教はこの後2500年経って今日も続いているわけですけれども、
ブッダがこの時点でリスクヘッジをしたということがかなり大きかったなと思います。
次回からはブッダが亡くなられた後の弟子たちの様子についてのシリーズ、
ブッダ亡き後の仏教、仏滅後の仏教をお届けしたいと思います。
ただ新シリーズが始まる前に、
3回にわたってゲストをお招きしたゲスト会をお送りします。
今回はインドと日本を往復するお坊さん、
浄土宗の清水良祥さんにお話を伺いました。
インドブッダ会の様子や海外の仏教との話であったり、
大変聞き応えのある内容となりましたので、
お楽しみにしていただければと思います。
このシリーズを最後までお聞きいただき、本当にありがとうございました。
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それではまた次回お会いしましょう。
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