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2026-01-24 16:16

【ゲスト編】日本とインドの二拠点生活をするお坊さん清水良将さんに聞く。話の中で見えてきた日本人のある問題(前編)

▼今回のトピック


日本とインドを往復するお坊さんの二拠点生活/


海外旅行の経験ゼロから、いきなりインドへ渡った意外なきっかけ/


お釈迦様が悟りを開いた「聖地」に世界中から人が集まる理由/


「お坊さんの修行を応援する」ことが、自分たちの喜びになる文化/


「お布施(おふせ)」はチップじゃない?日本人と海外で違うお供えの感覚


お坊さん任せにしない、みんなで支え合う仏教のコミュニティ


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サマリー

浄土宗の僧侶である清水良将氏が、インドと日本を行き来しながらの生活や仏神寺の役割について語ります。また、異文化の中で修行する日本人と、その際の心構えの違いや問題点についても掘り下げます。清水氏は、日本とインドの二拠点生活を通じて、日本人の信仰心の薄れや仏教への理解不足について考察します。特に、徳を積むことの重要性や日本のコミュニティの問題が浮き彫りになります。

清水良将さんのプロフィールと活動
かんどう和尚のはじめての仏教。今回は素敵なゲストにお越しいただいております。
インドと日本を往復するお坊さん、浄土宗僧侶清水良将さんです。
良将さん、どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
まず最初に私の方から、良将さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
1984年生まれ、福井県出身。仏教大学を卒業。現在、福井県禅道院ご住職。
2008年に初めてインドに個人で渡航され、翌年から日本とインドを往復する生活を続けられておられます。
現在は禅道院ご住職とともに、仏陀が悟りに至った聖地・仏陀谷において、日本人によって混流されたお寺・仏神寺の管理を担われておられます。
ついですね、4日前に日本に帰国されたということですね。
はい。村上くんの買い足りです。
これはどれだけ行かれたんですか?
今回は短かったです。合計で6日間ですかね。
6日間?
はい。
普段はどれくらい行かれるのですか?
今は長い時で約1ヶ月半が一番長いですかね。
年に何回くらい行かれるんですか?
1ヶ月半まで1回だけですね。
1回だけ。
あとは短いので2、3週間行ったり、あと1週間、たまにイレギュラーと言いましょうか。
何か呼ばれたりする時があったら行くという感じですね。
インドに行かれるようになったきっかけというのはどういうところですか?
きっかけはすごくね、発信があったとかそういうわけではなくて、
先ほど説明プロフィールで言っていただきましたけれども、
インドのブダガイにある仏神寺というお寺ですね。
そのお寺自体が2001年に出来上がっていたんですけれども、
日本の方々が作られた。
その作ったメンバーの1人というのが私の父親だったというのがあります。
ただ別に主要メンバーとかそういうことではなかったんですけれども、
昔からお寺があるというのも知ってましたし、
お寺の楽敬奉養の時にもインドに行ったということもありますし、
知ってはいたんですけれども、やっぱり作った後、維持をしていくとかがやっぱり大変ですね。
遠い国ですし、習慣の違いもありますから。
そういう時に、私父親のお寺におりましたので会議をしてたりとか、いろんなのはしてたんです。
ある日、これは私は覚えてないんですけれども、何でかわからないんですが、
インドに行こうかと父親に一言を言いまして、
じゃあ行ってこいよと。というのが始まりです。
すごい。
本当にそれだけ。
だから、それまで一人で海外旅行なんてもちろん行ったことないですし。
初めての海外旅行がインドなんですか?一人で行く。
そうですね。
すごいですね。
本当にすごく発信があるとか、すごい思いを持って行ったというよりは不思議な感じです。
だから何で行こうかって言ったかっていうのも自分でもわからないです。
導かれた感じですね。
本当に縁だと思いますね。
本当不思議です。
ブッシンジさんに来られる方達っていうのは、何かご縁かってお越しになると思うんですけども、
どういう方々が多いんですか?
来る方は、国によってまた違っては来るんですけれども、
宿望がありますから、宿望に泊まりたいという方も来ますし、
フラートお寺なので立ち寄る方もいらっしゃいますけれども、
まず海外の方に関しては、やっぱり修行として来る方が多い。
聖地ブダガヤでございますので、お釈迦様が悟り開かれた場所で、少しでもその場所の土地の縁、
その場所で修行をすることによって、やっぱりこの修行が進むと言いましょうか。
喜びと言いましょうか。
それで1週間とか1ヶ月、長い方で半年、毎年来る台湾の方もいらっしゃいますし、
一方で日本の方が多いのは、どっちかというと修行のためっていうよりはバックパッカーさんとか、
ちょっと仕事の合間に旅に来ましたとか、
仏教の聖地に行ったら何かきっかけがあるんじゃないかとか、
そこに行くことによって何か仏教を学べるんじゃないかと、
そういう形で来る方が日本の方は多いですかね。
長い方でいうと半年っていうことをおっしゃいましたけど、何のお仕事をされているんですか?
半年来る方はお坊さんです。
ビクビクにですね。
だから二相さんとお坊さんが来られて、
その方々は3人だいたい半年毎年、もう10年以上来てますね。
やはり信者さんたちもおられて、
そうやって自分のお師匠さんとか教えを教えてくださる方が、
やっぱりちゃんと聖地に行かれて修行されるっていうことがすごい嬉しいわけですよね。
それをサポートできるっていうこともまた嬉しさでもあり、
自分ができないことを代わりにしてくださっている、
その苦毒もあるということで喜ばれますよね。
この支援の体制というか、我々日本のお坊さんから見るとちょっと違いますよね。
違いますね。
やっぱりお坊さん、もちろんお寺にいてくださいっていう信者さんもいらっしゃるんですけれども、
一方でやっぱりお坊さんがご修行してくださるというのが、
やっぱり私たちの、自分たちにとってもいいことだっていう、
それは教えを教えてもらえるとか、
自分ができないことをしてくださっているから、
やっぱりそれはすごくいいことだと、一生懸命後押しをするということ、
それができることですね。
自分はできないけれども、それを代わりにしてくださっているからという喜びとして支えるっていうんですかね。
来られる方では海外、どこの国が一番多いとか傾向は出てるんですか?
日本人の寺院文化と問題
うちのマブシン寺に関して言うと、今一番多いのはやっぱり台湾の方ですかね。
台湾の方が多いってどういう?
台湾の方、つながりですかね。
だから初めたまたま、今毎年来られる方が、
初めに来たのはちょっとはっきり覚えてないんですけれども、
でもそこから口コミ口コミで、
例えばその信者さんが1ヶ月だけ来られるとか、
友達のお坊さんがまた半年、2ヶ月、3ヶ月来るとか、
やっぱり日本のお寺っていうのできれいとか、
やっぱり安心して泊まれるっていうこと。
そういうことで、ここがいいよ、ここがいいよっていうのが形で広がっていきますかね。
マブシン寺以外にもそういう役割のお寺っていうのはブッダ会の周辺にはあるんですか?
お寺っていうのはその修行者を助ける役割であるんですよね。
だからどのお寺も基本的には修行者を助けてくれる。
そういう場所で皆さんどこでも泊まれます。
泊まる時の宿泊費用って言い方はあれですけども、
それはもう志になるんですか?
それはお寺によっても違いますし、
あとはお坊さんか在家の方かによっても変わってきます。
それは全部のお寺がそれぞれ違ってまいりますね。
以前私がまた聞きなんですけど、
東南アジアのタイとかの僧依において、
瞑想寺院みたいなのがありますよね。
日本人のバックパッカーの方とかが行った時に、
お伏せっていう仕組みがいまいちわからない。
自由意思で払うってことがよくわからないから、
ちょっと信じられないような少ない額しか置いていかないとか、
そういうことがちょっと問題になっているってことを聞いたことがあるんですけれども、
その辺はやっぱり日本人は分かってないって方はあるんですけど、
そういう人だったりしますかね?
同じ体験はしてるので、
だから仏神寺も私が行き始めた頃は、
はじめはもうドネーションでということでやってたんです。
ただ、なかなかそれを理解してもらえなかったのが日本の方でしたね。
ちょっと言い方悪いですけど、日本の方だけでした。
他の国の方々は、じゃあ自分がこれを例えば、
これだけの広さ、これだけの施設に泊まるとなったら、
いくら以外かかるだろうかっていうのをちゃんと想像をして宿泊される。
でも日本の方々っていうのはやっぱり、
安くいかに済ますかっていうこと。
で、お伏せっていうのをお再生と勘違いしているっていう方が本当に多い。
ですので、それでうちは、
もうなんていうんですかね、
ドネーション制っていうのはやめました。
本当にいろいろありましたし、
言われたこともありますし、
お伏せなんだからいくらでもいいんでしょうって。
はっきり言われたこと、その時まだ20前半でしたから、
24、5、6あたり。
やっぱり若手なので、
若いお坊さんとしていろいろやっぱり言われましたし、
本当にお伏せに関してもよくよく言われましたね。
でも海外の方は、
一つは宿泊に泊まるっていうのは、
一つは泊まってお寺を助けることができる。
それによって徳を積むことができる。
だから喜んで泊まるし、喜んでお伏せすると。
だからお伏せは安いんじゃないですか。
高い、言い方悪いですけど高いと言いますか。
そういう感覚。
かなり違います。
そこの徳を積むっていう考え方ですね。
これが日本人の場合は、
たぶん今かなり薄くなっていると思うんですよ。
目に見えるものっていうことはすごくわかりやすいですけど、
日本人の仏教に対する理解
来世とかそういうところに対しても
日本人は薄くなっているじゃないですか、意識が。
なっています。
そのあたりがお伏せの考え方にももろに出ているんですかね。
そうですね。
やっぱり出てきていると思いますね。
日本の場合は触れたことがない方が多いので、
本当にわからない方もいると思います。
どうしていいかわからない方もいらっしゃるので、
その辺ははっきり伝えていかないといけないのかなというところもありますし、
ただ、難しいですね。
先ほど言ったようにお伏せイコールお再生っていうイメージの方も多いので、
それがやっぱり先ほど言われたように
徳を積むっていうところに直結してないと難しいですよね。
じゃあ日本において、
本当に全員で仏教を成り立たせようと思ったときに、
例えば歌詞とかのファンクラブで得点がついてきて、
それをモチベーションにファンクラブを入ったりされる方もいらっしゃるじゃないですか。
そうですね。
そういうふうな形しか今のところ日本の仏教は、
日本の仏教に限らずですね、
日本ではなかなか来ないのかなみたいな。
徳があるんですよと、徳を積むんですよと言っても、
それ、来世を信じてて初めてできることなのかなと思ったりもするんですよ。
でも来世を信じるかどうかって一生一石ではできないじゃないですか。
やっぱりどこかで生きながら実感することがあるかもしれないですけど、
言われたからはい、信じました。できないじゃないですか。
そしたらそういうことができないっていう現状があるときに、
じゃあお伏せの原理を別に持ってくるのか。
今言ったような何かしらの見返りがあるという形にしてしまうのか。
それとも愚直に、本来的には来世というものがあっての、
それの投資としてお伏せをするんだよ、
という仏教本来の形をずっと言い続けるのがいいのか。
これどう思われますか。
両方なんですけど、
個人的にはお伏せっていう、伏せ行っていう行を
一から学ぶと言いましょうか。
例えば掃除家とかでもいいと思うんですよ。
何かその伏せ行なので、何か例えば、
もう直端ですけど、いいことをしたらいいことが起こる。
悪いことをしたら悪いことが起こるっていうところからも
快感してもらうと言いましょうか。
そういうところかなと、例えばお寺の掃除をするとか、
そういうところからお伏せっていう形、もちろんお金だけじゃなくてですね、
伏せ行としての伏せを体感していけば、
自然とお寺が大切に、もっと何ができるだろうかっていうところに
徐々に徐々に近づいていけるのかなというのは思いますね。
単純に来世だけじゃなくて、今世でもやっぱり
善因善果悪意悪果、そこに繋がってくるっていうのをもっと
ちっちゃいところから体感してもらうっていうんですかね。
あとは、どの東南アジアの国もそうなんですけども、
お坊さんも言うんですけど、お坊さんが言うよりも
おせっかいなおばちゃんとかがいるんですよ。
在家の方が在家の方同士で喋るんです。
これがちょっと日本はないと思います、今。
僕たちはどうしてもお坊さんが説くんです、伏せとか何かとか。
でも、東南アジアの方々見てると、お坊さんはもちろん説くんですけれども、
それ以上にもっと身近な、おせっかいな、
おばちゃんって限定したら悪いですけども、おっちゃんでもいいんですけども、
熱心なおせっかいな方がいらっしゃらないのが日本の現状なんですよ。
在家の方同士の交流、そこがもうちょっと
徳信者さんって言うんですかね。
そこがしっかり僕はしていくところが大切かなと思ってます。
私が今いるお寺でも、昔そういう方がいらっしゃったんですよ。
でも、もうやっぱりそういう方が御高齢になられて、
お寺来れない状況とかもう亡くなりになられたりして、
そういう次の方はもう育ってないというか、いられないんですね。
今後やっぱりそれは個人の資質動向じゃなくて、
私コミュニティってもの自体が日本は解体されていってるので、
そこなのかなと思ったりしてるんですけど、
なかなか難しいですよね。
インドの仏教の現状
難しいと思いますね。
だから本当にちょっとずつ積み重ねだと思うので、
だから個人的にはさっき言ったように、お寺の掃除とか、
何かそのちっちゃいことからのスタート地点としての不正行っていうところの
積み重ねを体感してもらうことかなとは思ったりもしてますけども、
私もまだ難しいなとは思っておりますね。
今、日本の方の特徴的なところでお話を聞きながら、
インドの方たちっていうのは、
徳を積むとかはやっぱり皆さん常識的に思われてるんですか?
インドってくくるのがちょっと難しいんですけども、
例えばインドの仏教って言っても、
いろんな仏教がまだインドって実はあるんですよね。
ナーグプールのところであったりとか、最終的には有名ですけども、
他にももうちょっと東の方に行くとベンガルっていう地域の
ベンガル仏教教会、そういうところの古くの仏教もありますし、
あとはもっと北の方に行けばヒマラヤのところに行くと
チベット仏家圏になるので、
チベット仏教が伝統的に残ってる地域っていうのも、それもインドなんですよ。
でもインドなので、これが難しいところではあるんですけれども、
でもやっぱり、そうじて言うと、やっぱり徳を積むってことは
皆さんされます。
それは仏法そのに経営してるっていうこともありますけれども、
やっぱり皆さんそれはもうしっかりとされますね。
なるほどですね。
もうあっという間に時間が過ぎますね。
今回はこのあたりにさせていただいて、
次回はインド国内の仏教の現状についてお伺いしたいと思います。
では、今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
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