奈良の仏教の歴史
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けて、インスタグラムの頃は3万人超えの僧侶、私、かんどう和尚が、メタ的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
みなさん、こんにちは。今回は【番外編】として、夏休みにならぬ寺院を参拝してきましたので、そこで感じたこと、いろいろ思うことがありましたね。それをお話ししたいというふうに思います。
これは先般、インスタライブでもちょっとお話ししたんですけど、お盆明けに2日間お休みいただきまして、奈良に行ってお寺を参拝させていただきました。
休みをいただいてもですね、結局お寺に行ってる、参拝してるっていうのが、本当に仏教が好きなんだなーって我ながら思うところなんですけど、その折にですね、それぞれのお寺でいろいろと学ぶものというかね、感じるところがありました。
みなさん、お寺っていうと京都を連想される方が多いかなと思うんですけど、京都のお寺って禅宗、隣在宗であったりとか、私がそうですけどね、あと浄土宗であったり、鎌倉時代に起こった仏教宗派のお寺が多くて、これ比較的に新しい仏教なんですね。
では、それ以前の日本の仏教はどこを中心にしていたのかっていうと、それが奈良なんです。
リツナーの皆さんも学生時代に習われたと思うんですけど、仏教が日本に伝わった、伝代したのは、6世紀頃、朝鮮の九太良の国王から使者が使わされて伝えられた、これが公のものとしては最初とされます。
ただ、当初は仏教を受け入れるかどうか、これで大和政権、当時の政権ですね、内部で蘇我氏と、そして蘇我氏VS物述氏、中富氏のこの連合、この2つの勢力で対立があったって言われてるんですね。
しばらくこの諍いが生じたんですけど、最終的には蘇我氏が勝利をしまして、そこに陽明天皇の息子であった聖徳太子が合流をした。このあたりは政治的な争い、清掃の匂いも強いですね。
そういうふうにして始まっていったのが日本の仏教であって、その始まりの地が奈良になるんですね。
ただ恥ずかしいことにですね、私はこれまで奈良行ったことなかったんですよ。京都でずっと住んでたにもかかわらず。それでこれはいかならんなというふうに思いまして、それで京都でレンタカーを借りて行ってまいりました。
まず最初に行ったのが幸福寺です。京大に隣接する駐車場があるんですけど、そこに車を停めまして参拝させていただきました。ただね、鹿が多いですね。
この話したらいろんな人から、いろんな人から必ずね、絵妻流ですか?私よく知らないんですけど、YouTuber?一時期なんか炎上してたんですか?
今は議員さんになられたみたいなことをニュースでチラッと見た気がするんですけど、あの方いましたか?みたいな。あの方奈良で何かしたんですか?鹿に。ちょっと私知らないんですけど、それよく言われましたね。
とても鹿が多いですね。本当に多い。テレビで多いのは知ってたんですけど、想像の100倍くらい多かったですね。幸福寺の境内にも鹿が大量にいましたね。
それもね、ちょっとびっくりしたんですけど、この幸福寺というものを簡単に説明させていただきますと、この幸福寺は藤原家の始祖、始まりの人である藤原の父人によって、もともとですね、この父人の宇寺寺、菩提寺が山品寺って言って京都にあったんですよ。
これを奈良に移して、またちょっといろいろして幸福寺っていうふうに名前を改名、改称をされたんですね。この幸福寺は鳳凰宗の本座にありまして、京都の清水寺ってありますよね。清水の舞台、有名な。あの清水寺とかはもともとは幸福寺の山下にあるお寺だったんです。今は違いますけどね。
この鳳凰宗っていうのはインドで起こった唯識っていう、唯識っていうのは唯っていうのは唯一の唯ですね。唯一無二の唯。それに識っていうのは物事を認識するとか識別するの識ですね。これで唯識。この唯識という仏教思想があるんですけど、これを研究するグループなんですね。これが鳳凰宗なんです。
このグループの唯識の起こりっていうのは、インドの北西部、ガンダーラとかカシミエルとかあのあたりですね。あのあたりでアサンガっていうお坊さんとバスバンデューっていう二人のお坊さん、この兄弟なんですけど、この人たちによって体制されたという思想なんです。
その後これは中国の方に伝わっていきまして、そして最悠季のモデルになった。最悠季に玄奘三蔵で出てきますよね。夏目雅子さんがされてた。あの玄奘三蔵、リアルの玄奘三蔵がいましてね、モデルになった。その男性ですけど、この玄奘三蔵がインドを旅して、これはお経を取りに行くっていう旅なんです。玄奘三蔵、本当の話はね。
それでインドで留学して、何年間かね、十数年だったと記憶しますけども、インドに滞在して仏教を学んで中国に帰るということをされたんですけれども、この玄奘三蔵がどのお経を取りに行ったかというと、これが有識思想のお経なんですよ。これを取得するために、当時はそのお経が中国なかったんですね。だからインドに行って留学するということをされています。
そしてその玄奘三蔵の直系の弟子っていうのがおられましてね、この方が来日をして、幸福寺で有識を教えたんです。この有識の研究センターになったのが幸福寺だということなんですね。
この幸福寺では最初にですね、国宝が展示されている国宝館っていうところを拝観したんですけど、もうね、ここだけで奈良に来た甲斐があるっていうぐらいの内容でしたね。もう私も帰っていいと思いましたもんね。あまりの素晴らしさに。本当素晴らしかったですね。
まず館内に入っていきますと、薄暗い通路、細い通路があるんですけど、そこをちょっと進んでいくとメインの展示エリアがバーンって見えてくるんです。ここがメインかと思った瞬間に、いきなり頭、頭部だけの釈迦如来像が目に飛び込んできました。もうね、頭の大きさだけで1メートルほどあって、すごい巨大ですよ。
胴体は欠けてるんですけど、でも頭だけでそれぐらいの大きさなので、もともとどれだけ巨大な仏像だったかっていうのが察せられるんですけど、プラス台の上に展示されてたので、かなり見上げるような高さなんですよ。それでバッと飛び込んできて、すごいなと思って横に目をスライドしていくとですね、同じ高さに仏像の足が見えたんですよ。
わかります?この凄さ。見上げるような高さなんですよ。まずその頭部だけの仏像で。すごいなと思って、その目線でスライドしてたら足の足首ぐらいが見えるんですよ。
うんと思って、その足首ぐらいが見えたからそのまま次はスライドした目線を上に移動させていくと、とんでもない千樹観音菩薩像が真ん中にバーンと鎮座されてるんですよ。さっきの大仏の頭よりはるかに大きいですよ。5メートルぐらいあるんですよ。千樹観音。すごい存在感ですよ。
こんな近くで大仏見たことも私なかったんですね。骨格がすごいというかね、骨太な感じの仏様でしたね。立たれてますしね、座ってるんじゃなくてね。
うわーこれすごいなーと、本当にびっくりした。またね、これ何がすごいのかっていうとね、プラスしてでかいっていうのも当然あるんですけど、この千樹観音菩薩像っていうのはお坊さんたちが食事を取る、これ直堂って言うんです。食堂って書いて直堂って仏教で呼ぶんですけど、直堂の御本山だったってところなんですよ。
こんな大きな観音像を鎮座するようなそれぐらいの規模の直堂があったっていうことなんです。今はないんですけど、その国宝館っていうのはその直堂の跡地に建てたお堂なんですね。建物なんですね。
そういう規模の直堂があった。だから、往年の幸福寺ってそれだけの大勢のお坊さんがいたっていうことですよね。加えて、大勢のお坊さんがいる直堂、広い直堂でも他のお寺の直堂の温存って全然大きくないんですよ。
よく鎌倉の大仏とか地名を付して〇〇の大仏って言うじゃないですか。大仏作るのってとんでもない費用。仏像一体作るのにも数百万とか当たり前に今でもかかるんですよ。だから大仏になったらもっと当然かかるわけです。多分億とかだと思うんですけど、現代の貨幣価値になるとね。
それぐらいのものですから、〇〇の大仏ってそれぐらいすごいんですよ。だから〇〇の大仏って呼ぶんですよ。地名を付して。それがですね、幸福寺には直堂でも〇〇の大仏って呼ぶクラスが鎮座してるんですよ。しかもこれが直堂だけじゃないんですね。
その後私いろんなお堂、幸福寺の境内の中でお堂行ったんですけど、ほぼ全て大仏なんですよ。これはね、ちょっと私もこれまで京都のお寺とか本当にいろんなお寺参拝させていただいたんですけど、初めての光景でしたね。全部が大仏みたいなのはなかったですよ。
東大寺の訪問
幸福寺に栄えてたっていうのはね、私も仏教の歴史を学ぶ上でもう十分知ってるつもりだったんですけど、実際にその光景を目の当たりにするとですね、本当に栄えてたんだなと。これちょっとすごいなと。他に見ないようなレベルだなっていうのが感じられましたね。
仏教っていうのはスポンサーありきの宗教なんですね。支えてくれる信者の人たちがいて成り立つ宗教なんですけど、どれだけ強力なスポンサーがついてたのかっていうのはよくわかりますね。やっぱりそういうところに我々目が行くんですけどね。それがわかりやすく示された典型例だったというふうに言えます。
次にですね、幸福寺から歩いて東大寺に行きました。この道中も至る所に鹿さんがいましたよね。途中に地下通路があるんです。結構でかい地下通路です。交差点のところにね。コンクリートとかで作られている地下通路なので、ここにはさすがに鹿はおらんやろうなと思ってたらね、いましたね。
これ見た時もね、痛いと思って思わず声を上げてしまったんですけど。暑かったからね、涼しいところに鹿さんもいたかったんでしょうね。そんなこんなで10分ほど歩いてましたら東大寺の方に着きます。
この東大寺っていうお寺、これは8世紀の初頭なので法律とかに比べるとね、ちょっと時代が経ってから混流されてるんですけど、聖武天皇によって国家の安寧のために建てられたお寺になります。
さっきは、先ほどはですね、仏教が日本に伝来した時の話っていうのをさせていただいたんですけど、日本の仏教の導入っていうのは個人のレベルじゃなくて、朝鮮のクダラ国の国王から大和政権へと国と国の外交として行われてるんですね。
元々の仏教というのは、これまで私が話してきたように、修行によって個人の苦しみが救済をされるという教えになるんですけど、だんだんそういうのが変わってくるんですね。
この頃の奈良の仏教というのは、そういう個人的な修行じゃなくて、たくさんのお坊さんと、それを支える人々によって儀式というものが行われる。儀礼ですね。
この儀礼というものには不思議な力があるんだ、エネルギーがあるんだって考えられてたんです。天皇というのは、その儀礼を通して国家を安泰に導く、そういう存在なんだというふうに考えられていたんです。
だからこの東大寺というのは、天皇主体として、そして仏教の力を通して国を統治していく、国を安全にしていく、そういう場として作られたお寺になるんですね。
そういうふうな仏教の利用のされ方がしていたので、奈良における仏教というのは国によって統制をされて、お坊さんというのは国から給料をもらう国家公務員としてスタートをしているんです。
こういう枠組みのことを国家仏教と呼ぶんですけど、その象徴的な政策になるのが東大寺の混流になるんですね。
そして東大寺というのは、東大寺だけじゃなくて国分寺というものの一つが東大寺になるんですけど、この時、正武天皇というのは全国に国が直接管理をするお寺、国分寺というものを混流して、その要にならに東大寺を混流するんですね。
東大寺を中心として全国の国分寺とで見えない糸のようにネットワークが形成されるわけです。それらで行われる義礼の力によって日本全体を守護しようと考えたんですね。
だから現代で国を守ろうと思ったら防衛費を上げたりとかそういうところで考えていくんですけど、この当時は大仏を作るっていうことだったんです。その総仕上げが東大寺の大仏、ビルシャノ仏の混流なんです。
私は既に幸福寺の大仏を見てきたので、かなり目がこいてた。大仏としての目がこいてたんですけど、東大寺の大仏はちょっとひじゃなかったですね。本当に腰を抜かしそうにやるっていうのはこういう時に使うんだなっていう、それぐらい大きかったですね。
東大寺の大仏、大きさが15メートルあるんですよ。すごくないですか。これをその時代に作ったっていうことですよ。どうやって作ったのって。これだけのものを作る労力と費用を思うとすさまじいですよ。
当然ですけど、さすがに聖武天皇も一人でこれはできないですね。それを制作する費用は作れない。だから、あるお坊さんに目をつけて、その人に費用とか人材を集めるっていうことを一任するんです。
そのお坊さんは行貴です。みなさんもたぶん行貴聞いたことあるんじゃないですか。授業で習うんじゃないかな、行貴はですね。この行貴さんに任せて、その結果、行貴さんは全国をあんやして、いろいろ巡って、多くの人々から寄付を集めるってことに成功するんですね。
その功績によって大仏ができあがったと。でも、この大仏っていうものも被災を何回もするんですよ。それで何回も顔の部分が焼け落ちたりとか、消失の危機というのを迎えるんです。
でもそのために、いろんな人々が大仏のために寄付を集めて、本当に自分たちのリソースを使って、そのおかげで今日私たちは大仏をこうやって拝むことができるんですね。
それを思うとですね、配管料、そこそこするんですけども、いいかなと思いましたね。
先人たちへの感謝
後世の人々が同じように大仏を拝めるのであれば、やっぱり私たちが石ずれというか、それを紡いでいくためにお金も納めるということ、その資源にしてもらうってことは、私はもう全然いいなというふうに思いましたね。
これは2、3年前になるんですけど、私の預かっているお寺でも仏像がありまして、そしてその仏像の調査に専門家の先生がいらっしゃったということがありました。
それでその先生がおっしゃっていたのが、今私たちがこうやって仏像を拝めて、そして心が清められたりとか、信仰の念を起こすことができる、それは先人たちが自分たちのリソースを割いてこの仏像を修理したりとか、保管してくれたそのおかげなんですよと。
今生きている私たちは、そのことをちょっと忘れているんじゃないかと、やっぱり後世の人たちがちゃんと私たちと同じように仏像を拝むことができるように、今私たちはその仏像のためにコストを払っていかないといけないんじゃないかと、こういうことを言われていました。
これは私自身本当にそうだなと思いながら、ちょっとそういう部分に思いが至っていないところが私がありましたので、反省をさせられた部分が大いにありますね。
やっぱり大事なものを残していこうと思ったら、それに対して何らかのリソース、自分のリソースを割いてシェアしていく。
オフィスって本来そういうところもあるんだと思うんですね。
私がやっているこの番組も皆さんからの寄付で成り立っております。
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ではまた次回お会いしましょう。