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2025-09-27 15:25

【ダイジェスト編】新規リスナー必聴!15分で振り返る、仏教誕生前のインド編と仏教誕生編

▼今回のトピック


ブッダの名前知っていますか?


アーリヤ人のインド進出の話


バラモン教の教えとは?


農業の発達によるインド社会の変動


ブッダの故郷はネパール?


天上天下唯我独尊の意味


出家と苦行の話



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大忍貫道(臨済宗妙心寺派僧侶)

サマリー

このポッドキャストでは、仏教誕生前のインドの歴史や文化が振り返られ、アーリア人の影響やバラモン教の重要性について語られています。また、ブッダの出身地やその思想が形成される背景についても探求されています。このエピソードでは、ブッダの生誕に関連する重要な出来事や、彼の成長過程での苦悩が描写されています。また、仏教誕生前のインドの状況についても言及されています。

インドの歴史の背景
かんどう和尚のはじめての仏教。この番組は、仏教初心者の方に向けて、インスタグラムのフォロワー3万人超えの総量、私、かんどう和尚がメタ的な視点から仏教を解説するプログラムとなっております。
皆さん、こんにちは。今回は、これまでの第一シリーズの仏教誕生前のインド編と、第二シリーズの仏教誕生編をコンパクトに振り返る、ダイジェストするような回となります。
思い返してみると、私、これまでずっとポッドキャストで配信を続けさせていただいたんですけど、それぞれの話を一貫してお話しすることってなかったですね。
いろんなエピソードをパツンパツンと切りながらお送りしていたので、一つの流れとして皆さんにお話ししちゃうことがなかったなと。
なかなか、これでは全体をつかみづらいなと思いましたので、次の新しい第5シリーズを前に、一回全部をまとめてお話をして、復習を皆さんにしていただいて、また新しく聞き始める方もおられると思いますので、
そういう方にはここから聞いていただくと、すんなりと次の話に入っていけるようになると思いますので、初めての方にとっても、これまで聞いていただいている方にとっても、いい内容になるんじゃないかなと思っています。
まず最初に、仏教の階層、ブッダの名前って皆さんご存知ですか?覚えておられます?ゴーダマシッタッタ、もしくはガウタマシッタルタと伝わります。
これらはそれぞれ仏教にゆかりの深い古代インド語のパーリ語という言語とサンスクリット語の発音になっています。
2つの言語の関係というのは、方言と標準語みたいな関係ですね。パーリ語の方が方言みたいなもので、サンスクリット語が標準語みたいな形になっています。
苗字がゴータマ、ガウタマという部分になるんですけど、この苗字に入っているゴ、ガウ、これどちらでもいいですけど、この単語ってどんな意味だと思われます?
これは牛です。これ聞いてですね、あ、もしかしてと思った方おられるかもしれませんね。英語に似てるなと。英語で牛はカウですね。
これは偶然ではないんです。英語とパーリ語並びにサンスクリット語、これは兄弟の関係にある言語なんです。
もともと共通した言語があって、そこから枝分かれしたものが英語だったりパーリ語だったりサンスクリット、もしくはヨーロッパの諸言語になるんですね。
これどういうことかと言いますと、かつて中欧アジアから南ロシアにかけて遊牧民として生活した人々がいまして、彼らはやがて各地に移動していきます。
現在の西ヨーロッパに移動した人たちはヨーロッパの人々の先祖になっていきます。
また別のグループは今から約3500年前インドとイランに進出をして、彼らはアーリア人と呼ばれるようになります。自らはそういうふうに呼称したんですね。
このアーリア人たちは肌の色が白かった。ヨーロッパの人たちの先祖と一緒ですから。
肌の色がちょっと浅黒かった先に住んでたインドの人たちと自分たちを区別をしました。これがインドのカーストの始まりとされます。
そしてアーリア人たちは先に住んでた人々の文化を取り込みながらインドに定着をしていったんですね。
その中で出来上がったのがバラモン教と呼ばれる宗教です。
当時の人たちは自分たちが宗教を信仰しているとは思ってなかったんですね。
宗教というのは後から現代の我々が言い出した、カテゴライズしだしたものなので、当時はそんなことを思ってなくて、本当に自然に日常に入ってた、根付いてたものになると思うんですけども。
現代ではバラモン教とそれを呼んでるんですね。
このバラモン教では、いろんな様々な自然現象を神様として捉えて、それらを崇拝するということを行いました。
これ日本にも仏教を通じてその習慣が入ってきてまして、例えば我々仏前で、御仏壇とかでロウソクに火を灯しますよね。
これはバラモン教で火を神様として崇拝をしていた、この影響が入っていると言われます。
またバラモン教の流れを受け継ぐ思想というのは、いくつかの認識が共有をされていくんですけど、
例えば、生き物は生まれ変わり死に変わりを繰り返すということ、これ輪廻というふうに言いますけど、この考え方というのはバラモン教の流れを受け継ぐ思想で入ってくるんです。
そして私たちの生きる世界というもの、これは苦しみなんですよという認識、これもバラモン教の流れを組んでいく思想で出来上がっていく共通の認識なんですね。
これらの思想を考え方というのは、後に現れてくるいろんなインドの思想があるんですけど、
インドの思想、哲学って言われたりもしますけどもね、そういうものの土台になるんですね。
ここでもう枠組みが、フレームがガチッとできてしまって、ルールが出来上がっているような状態ですね。
スポーツでもルールができると、あとはそれにのっとってやってくださいねって形になりますけども、インドの思想というのもそういうところがあって、この辺りでガチッとルールが出来上がった。
そしたらその次の段階になると、そのルールの中でどうしようかということを考えるようになっていくんですね。
インドの思想というのは、このバラモン教の流れを継ぐ思想が基本的にあって、いろんな他の思想はその上でいろんなことを考えるようになっていきます。
このバラモン教というのは、日本の神社、神道にもすごく似ていると言われるんですけど、神道と決定的に異なる点というのもあって、
日本の神道の場合は、神に祈りを捧げることができる、お願いできるのは、我々庶民もできますよね。神社に行ってお祭せを入れて合格祈願とかみんなできますね。
でもバラモン教は違うんですよ。バラモン教ではバラモンと呼ばれる宗教家だけがお祈り神にお願いすることができるんです。
だから、たとえ王様であったり、すごく有力なお金持ちであっても、バラモンを通さないと自分の願望を叶えることができなかったんですね。
その結果、インドにおいてはバラモンが一番地位が上がっていくんですね。
ブッダの出身と思想
だから王の次じゃないんですよ。王よりもバラモンの方が上になるんです。
これがカーストと呼ばれるヒエラルキーの形成にどんどんつながっていくんですね。
最初は肌の色で区別されたものが、それに職業であったり、そういうものも入ってくるようになるんですね。
でも今から2500年ほど前になると状況が変わり始めるんです。
その頃何が起こったのかというと、農業が発展をします。
農業が発展するとどういうことが起こるかというと、作物がたくさんできますから、余剰の作物ができるんですね。
余剰の作物ができると、それを他の地域の余剰品と交換をするということができるようになります。
これが広域というものです。
この広域が活発化をするようになると、次は村だったものが、
村だったものが、次は人が集まるようになって都市に発展をするんですね。
こういう流れの中で、その結果として村を治めてた村長は王様になるんです。
そして王様になって、そこにはたくさんのいろんな財産が入ってきますから、大きな権力を持つようになりまして、
バラモンを頂点とした、それまでの既存の権力体制に疑問を持つんですね。
おかしくない?自分の方が偉いんじゃないの?って王様たちは思うんですね。
そこで、これまでのバラモンを頂点とした既存の権力構造が由来でいくようになるんですね。
そのような社会背景が、この2500年前に生じてた背景になるんですけれども、
そういう中でですね、それまでの思想とは大きく異なる思想を持った人々というのが一気に現れてきます。
その筆頭になるのが、シャーキャ族という王族の出身であったブッダなんです。
ブッダはカピラバストゥという町の出身者と言われるんですけれども、この場所というのはですね、いまだに特定されてないんですね。
全くどこかわかってないわけじゃなくて、有力な候補地が2つあるんです。
一つはインドのピプラワーという場所、そしてもう一つはネパウルのティラウラコットです。
これは決着がついてません。
ただね、ブッダが生まれた場所っていうのはわかっていて、これルンビニーって言うんですけど、これは現在のネパウル領内になるんです。
だからブッダがネパウル生まれっていうのはわかっているんです。
現在の国境で言えばですね。
でもこれインド生まれじゃないってことはすごく皆さん意外に思われるんですね。
ブッダ誕生の背景
でも、もしね、カピラバストゥがネパウルであればですね、ネパウルのティラウラコットであれば、生まれた場所と出身地って違うじゃないですか。
これブッダのお母さんも里帰り出産をされているので、皆さんもね、あの里帰り出産って現代の日本でもありますよね。
福岡に住んでたとしても実家がですね、長崎とかであれば長崎で出産をして、そしたら生まれは長崎になりますよね。
でも出身地は福岡ですよね。福岡で育つから。
そういうふうに出身地と生まれってのは違いますけども、
生まれがブッダは間違いなくネパウルで、出身になるのはネパウルなのかインドなのか、今のところ決着がついてないという状況。
皆さんね、ご存知ないので、かなり意外に驚かれるポイントなんですけれども。
ちなみになんですが、このブッダが出身のですね、土地っていうのは、タライ盆地という盆地に位置するんですけれども、
ここはですね、昔はマラリアの温床だった場所なんですよ。
インドってイギリスの植民地になりますよね。
この時にイギリスの人たちたくさんこの辺りも行くんですけども、
もう本当に皆さんね、これでマラリアにかかって亡くなったって人すごく多いんですね。
そういう場所をブッダは頻繁に行き来されてたんですね。
だから現代ではこのブッダはマラリアの体制を持ってたんじゃないかって言われたりもしてるんです。
これは豆知識なんですけども。
こういうふうなブッダ誕生の際、色々出来事があったんですけれども、
ブッダの修行と悟り
有名な偽ってのがありますね。
これ皆さんもお聞きになったことあるかなと思うんですが、
ブッダは生まれた直後に北に7歩歩いて、
そして周囲にいた神々、これバラモン教ですごく偉いとされてた神様がたくさんいたんですね、周囲に。
そういう神々を見渡した上で、天上天下唯我独尊と語ったんだっていうふうに知られてます。
天上天下唯我独尊っていうのは、もともとインドの言葉を漢訳、中国語に翻訳したものですね。
当たり前ですね。漢字をね、ブッダが話されるわけないんですけれども。
これ翻訳するとこうなるんですよっていうことですね。
これは現代の仏教学においては、この言葉の意味っていうのは、
バラモン教よりも仏教が優位であることを主張したい、
このブッダの伝記の作者が、ブッダの口を通して語らせたんだっていうふうに理解されてます。
こういう幼少期を得まして、ブッダは青年へと成長していくんですが、
このブッダはですね、王族っていうのは言いましたけど、もっと言うとこれ王子だったって言われてるんですよ。
お父さん、すっとうだな王って言うんですけど、この王子という立場で誕生しているので、
当たり前ですけど後継者なんですね。
だからすごく大事に、今で言うと家保護に育てられたって言われてます。
ただですね、だんだん成長していく中で、自分がやがては老いて、また病になって、
この世を去っていくんだっていうことを知ってしまうんですね。
そのことを理解してから、だんだんと塞ぎ込むようになったんです。
それらの苦悩をなんとか克服したいと思って、29歳の俺に出家をするんですね。
出家した当初のブッダっていうのは、当たり前ですけど、まだ全然何もわからない状態なので、
手探りの状態なんです。
そういう中で、いろんな当時流行ってた修行っていうのを取り入れて、取り組んでいくんですけれども、
中でも一番ハマった修行っていうのが、苦行なんですね。
苦行っていろいろやるんですけど、後にですね、ブッダがこういうことをやったというのを経典でいろいろ言われてるんですけども、
断食ですね、本当に食事を取らない、本当に厳しい節制した食生活を送ったりとか、
あとは茨の上で寝るとかですね、あとは立ったまま寝るとかですね。
その結果、もう肉体を極限まで追い込むということをされているんです。
これを6年間やったというふうに言われています。
でも全く悟りには至らなかったんですね。
もう自分のこの煩悩、良くない心はさっぱりなくならないし、いつまで経っても自分が老いて病になって死に行くということが恐怖でしかなかった。
そういう中でですね、ものすごく悩んだんだと思うんですけれども、
ついにですね、苦行を諦めるんです。これは正しい方法じゃないと。
そして諦めた末でですね、ブッダは適切に食事を取って、肉体の健康というものを取り戻します。
そして心地よい木陰の下で瞑想に取り組んで、ついに悟りに至ることができました。
今回はですね、仏教誕生前のインドの様子と、仏教誕生の話をしていきました。
次回は、ブッダが悟りに至ってから、仏教の組織が形成されていくまでの話を振り返りたいと思います。
また次回お会いしましょう。
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