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こんにちは、かいほです。毎日1%の習慣で好循環に変わる。
このチャンネルでは、週休2日未満で働くわぁままの私が悪循環を断ち切り、思考も行動も好循環に変えていくためのヒントを共有するチャンネルです。
今日は、「泣いた子供は外であやしてください」という貼り紙について、私が考えたことについてお話ししていきます。
よかったら最後まで聞いていってください。
わが家は先週夏休みをとっておりまして、福島と那須に行ってきました。
旅行の振り返りもなかなかできなくて、対談をいっぱいさせていただく機会がこの2週間くらいあったので、本当に楽しかったですね。
対談が続いていたので、今になって旅行の振り返りをしようと思っているんですが、
旅行楽しかった。もちろんすごい楽しかったんですけど、旅行楽しかっただけの振り返りだと、誰の何の身にもならないなぁと思ったので、
私が旅行の時に飲食店に入ったんですけど、そこで見た、「泣いた子供は外であやしてください」っていう貼り紙にすごくもやもやしたっていうところから、
そこから対談などをさせていただくにつれ、ママさんと対談することが多かったので、子供のしつけについてもちょっと考えるきっかけがたくさんあったので、そんなことをつなげてお話ししていこうと思います。
まず、泣いた子供を外であやしてくださいっていう貼り紙があったのは、うどん屋さんだったんですね。旅行で行った先のうどん屋さんでした。
特にコース料理が出てくるようなうどん屋さんではなくて、民家がやっているようなアットホームなうどん屋さんだったんですね。
ご家族とパートナー方とかが行くようなうどん屋さん。そこのキッズうどん、子供用のうどんは500円という破格のめちゃくちゃ安い値段で、
子供用のうどん、天ぷら、ちくわの天ぷら、デザートがついて、それで500円ですよ。めっちゃ安くないですか。
それを500円って言ってたら気づいたんだけど、すごく美味しいうどん屋さんだったんですね。
人気のうどん屋さんだったので、待ち時間が少しあって、そこの待っているスペースのところに、
泣いたお子さんは外であやしてください。他のお客様のご迷惑にならないようにご配慮お願いします。っていう張り紙がしてあったんですね。
それをふんって眺めてたんです。いざ店の中に入りますと。
入ったら、一テーブルに一つその盾札が置いてあるわけです。泣いたお子さんは外であやしてください。
我が家の子供たちは4歳と6歳という年齢なので、泣いたお子さんというのはおそらく0歳、1歳のもう少し小さい年齢の子を対象している文言だと思うんですけど、
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みなさんどうですか?一テーブルに一つその盾札が置いてあるというところで、私はすごくもやもやしたんですよね。
なぜかというと、うどんというのは子供を連れて入れるお店って限られているから、
ちゅるちゅるが子供が大好きだから、うどん屋さんに行きたいわけですよね。
きっと地元の方とかでも、500円でキッズうどんがそれだけ食べれるんだったら、きっと地元の方たちにも愛されているようなお店なんだろうな。
だからこそ賑やかになりがちなんだろうなというふうに思ったんですけど、
コース料理で出てくるようなお店というよりは、みんな地域に根付いているようなうどん屋さんで、
そういう盾札、お子さんを外であやしてください。外はもう30度超えの猛暑ですよね。
そんな中で泣いたら外であやさなくちゃいけないんだなという盾札が、待合室だけに置いてあるんだったらまだしも一テーブルに一つ置いてあるということで、
自分が地元のお母さんだとしたら結構プレッシャーだと思うんですよね。
私の家は4歳と6歳ですけど、でもその盾札を見てあんまりうるさくしたらいけないお店なんだろうなという雰囲気は感じますよね。
だから息子が旅行中ですごい楽しかったからキャキャキャって笑うんですよ。
キャキャキャって笑ったらちょっと声が大きいから、私はまた調和性が高いから、
人の迷惑になっているネガティブな意味で注目を浴びるという状況があんまり好きじゃないので、
すごい楽しそうにしているけど、もうちょっと小さい声にしようかというふうに言っていて、
それはもちろん人様の迷惑になったりとか、そういうのはいけないから、
どんなお店でも声を小さくして大きな声で笑ったりもいけないんだけれど、
なんかすごい切ないなって思ったんですよね、単純に。
4歳の子供はしつけということがもちろん必要な年齢になってきますが、
泣いたお子さんを外であやすという段階の子供ってやっぱりゼロ1歳。
もう泣くのがしょうがないじゃないですか。そんな中でこの炎天下でね、
泣いたら外に連れ出さなきゃいけないんだっていうふうな状況がなんだかね、切なかったですね。
で、なんかそこからミキティって有山るミキさんとの対談とか、
あとはカナさんとお金の教育とか、そこから少ししつけみたいな話が出てきたときに、
なんか本当に必要なしつけって何なんだろうなって自分の中ではすごくまだ迷っているし、
答えはないしすごく難しいんだけど、なんか少なくともその必要なしつけの中に、
そのゼロ1歳の子が泣いたらすぐ外であやすっていうことを、
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一テーブルに一つ縦札をつけなきゃいけないような日本じゃない、
そんな自分がそういう未来を作りたくないなっていうふうに思ったんですよね。
で、きっとそのお店の人が悪いんじゃなくて、
まあ憶測でしょう、私の完全なる憶測ですが、
それだけ良心的な価格で出しているうどん屋さんだから、
いつもいつも賑わっていて、常連のお客さんからもしかしたらクレームが入って、
何度もこういうことがあると困るというふうに言われて、
お店の人としてはしょうがなくその縦札を一テーブルに一つ置くことにしたのかもしれないなというふうに思って、
悪っていうのはね、お店の人が悪でもないし、
どこに悪がいるのか、本当の黒幕はどこなのかっていうのは私にはわからないですが、
自分が子供たちに引き継ぐ未来は、
なんかそういうことも許容する、泣いた赤ちゃんを許容するような未来が来てほしいなというふうに思ったわけですよね。
今いる場所のライフステージによって本当に見える視界って全然違うなというふうに思っていて、
私は結婚するまでパートナーがいる人の生活、視野っていうのは全然持てなかったし、
ましてや子供がいるお母さんとかお父さんの気持ちも全然わからなかった。
あとは、死を目の前にした患者さんの気持ちを本当に理解することがやっぱり難しかったし、
自分が今子供を産んで子育てをしているというライフステージで見える視界っていうのが本当にね、一気にガラッと変わったんですよね。
その度にちょっと階段を登って、少し見える景色が少し広いところまで見えるようになったのかもしれない。
だからここから死ぬまでどんどんどんどん階段を登っていくと、
もっともっと広い、斜め上から世界を見れるようになって、大きな心が持てるようになるんじゃないかなというふうに思っていて、
それがヨガでいうところの、本来の自分が大きな空でそこからみんなを眺める。
流れている感情や流れる感情、雲、それを眺められる大きな自分に階段をどんどんどんどん登っていきたいなというふうに思うと、
今、子供がいないに関わらず、そういう自分に目指して進んでいけたらなあなんていうふうにも思っているわけです。
ここまで聞いてくださってありがとうございます。
それでは皆さん、今日もいいサイクルで過ごしていきましょう。
いってらっしゃい。かいほでした。