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こんにちは。このチャンネルでは、つぼらミニマリストのかいほが、ご機嫌に暮らすための、ちょっとした知恵や、30代の生き方や悩み、家事・育児のこと、美容のこと、いろいろお話しするチャンネルです。どうぞよろしくお願いします。
今日は、ママの何か役に立つお話とか、仕事とか、そういうお話ではなくて、今のね、ママそのままでいいんだよっていうようなお話をしてみようと思います。
ちょっと育児に疲れているママだったり、産後のママだったり、自分の育児に自信がなかったり、自分の時間がなくて、余白がなかったり、
あとは、いつもね、イライラしがちになっている状況のママさんだったり、いろんな方に向けてね、ちょっと一つの詩を、ちょっと今日は紹介しようと思います。
よかったら聞いていってください。
皆さんは、育児に疲れたり、余裕がなくなったり、そういう時にね、何か立ち返るみたいな本だったり、あとは映画だったり、音楽だったり、そういうのを持っていますか?
あとはね、詩とか、そういうのも持っていますか?
私にとっては、一つね、そういう詩がありまして、なんかとても子育てにおいて、余裕がない時に、
あとは、余白がなくてとか、子供が可愛いと思えなかったり、あとはもう辛い、早く子供育ってほしい、早く自分の時間が欲しいとかね、逃げ出したいとか、そういうふうに思っている時に、
自分のね、一人の時間を持つということももちろん大事なんですけど、その時に読む詩があるんですね。
とても有名な詩なので、もしかしたらね、読んだことあるよ、という方もいらっしゃると思います。
今日はそれを読んでみようと思います。
ちょっとね、私の言葉ではないので、これをね、ブログを転用してね、とても有名になったものになりますね。
私の言葉ではないんですけど、ぜひぜひもうシェアして、今余裕がないとか、今ね、辛いよ、という方とかね、
あとは、今はとても楽しんでいるけれど、気づきとしてね、聞いておきたいよ、という方いれば、ちょっと長いんですけど、読ませてください。
ママの毎日っていうことですね。読みますよ。
独身の頃、ヒールの靴が好きだった。
お酒は苦手だったけれど、友達と過ごすお酒の場の楽しい雰囲気が好きだった。
好きな音楽はミスチルで、いつもウォークマンに入れて好きな時に聞いていた。
電車の中でゆっくり本を読むのも好きだった。
お風呂では安心浴をして、病院には2ヶ月に1回は必ず行っていた。
お化粧するのも好きだった。
一人で行く映画館が好きだった。
流行りの雑誌を買い、流行りの曲を聴き、流行りの服を着て、流行りの場所へ好きな時に出かけた。
そんな私は今、泥だらけのスニーカーを履き、子供たちの着替えやおむつが入った大きなバッグを肩にかけ、
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ちゃんとした化粧もせずに髪を一つにくくり、毎日子供たちの手をつないで公園へ散歩に行っている。
聴く曲はミスチルからアンパンマンマーチに変わった。
眺めているのはファッション雑誌から子供の母子手帳や幼稚園からの手紙に変わった。
考えていることは、今日の夕飯のメニューと長女が幼稚園から帰ってきた後のおやつ、お風呂、夕飯の流れの確認。
今日の天気で洗濯物が乾くかどうかと、明日の長女の遠足が晴れるかどうか。
最近眠くなると激しくぐずる長男を、昨日つい怒ってしまったから、今日は早く寝かせてあげよう。
今日は怒らないでお休みをしよう。そんなこと。
毎日押し流されるように迫ってくる日常があるから、きれいに片付いた部屋も、台の字で朝まで眠れる夜も、しっかり濡れるマスカラも、なんだかもう思い出せない。
そう、思い出せないから私たちはつい忘れてしまうのだ。この毎日がずっと続かないということを。
一人でゆっくりお風呂に入れるようになったら、湯船の中、あなたと向き合い、数を数え、柔らかく響いたあなたの声を、私は思い出すのでしょう。
一人で好きなだけ寝返りを打ち、眠れるようになったら、どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを、私は探すのでしょう。
好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら、この部屋の中にあふれていたあなたの笑い声を思い出して、私は泣くのでしょう。
好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら、私の洋服を引っ張り、膝の上にぬじ登り、私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して、私は泣くのでしょう。
好きなだけヒールが履けるようになったら、笑い転げるあなたを追いかけ回して、泥だらけになって遊んだあの空を思い出して、私は泣くのでしょう。
自分とパパの洗濯物だけを回す日々が訪れたら、砂まみれの靴下も、おしっこを失敗したズボンも、牛乳をひっくり返したシャツも、洗濯かごにないことを知って、私は泣くのでしょう。
あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら、粉々になったビスケットの食べこぼしも、小さなおもちゃの部品も、あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り、私は泣くのでしょう。
一人で好きなことを好きな時に好きなだけできるようになったら、どんな時もママ、ママと私を呼び、どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して、私は泣くのでしょう。
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一体いつまであるのかな、一体いつまでここにいてくれるのかな、そしてそんなことを考えているうちにまた今日も終わってしまった。
私たちの日常が、日常は子供がそばにいる今だから、子供から離れて一人になれた瞬間が特別に感じて、好きなことを堪能できる喜びをかみしめるけれど、
でも自分の人生を考えてみたら特別なのは、本当は子供がそばに生きているこの毎日の方、でも私たちはそれを忘れてしまう。なんだかずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど、大変に思えるこの毎日に数え切れない愛しいが散りばめられていることを私たちはいつか知るのです。
子供たちがこの世に生まれてから今日まで、ママとパパのために全身を力いっぱい使って思い出をまき散らしてくれていたことに私たちは過ぎてから気づくのです。
ママの毎日はママでいられる毎日です。
私たちはこの命が尽きるまで、どんなに子供と離れていても子供を想い、心配し愛し続ける子供たちの母親だけれど、でも子供たちのそばでママでいられることのできる日なんて、なんて短いことかをいつか思い知るのでしょう。
今日もあなたは、くったくのない笑顔で振り向き、ママーッと言って、両手を広げてこちらに飛び込んでくる。忘れるものか。絶対に。絶対に。
あなたの前髪を切りすぎて笑った昨日を、あなたを怒って自分に涙が出た今日を、あなたの寝相に笑った夜を、あなたが積んでくれた白爪草の白さを、
あなたに許された私を、あなたがいてくれるこの毎日を、私は絶対に忘れない。
っていう歌詞ですね。あ、歌詞じゃないや。っていう詩ですね。皆さんどうでしたか?
もうこのママの気持ちがものすごい自分と重なるというか、この世のママの気持ちが全部ここに集約されているようで、
とても子供に対して愛おしい気持ちを思い出させてくれる詩なんですよね。
なのでちょっと辛いことがあったりとか余裕がなくなった時に、この詩に私は立ち帰るということをします。
この間の日曜日に夫が会話の中で、子供と過ごす時間っていうのは大抵小学生に入るまでにもうすでに30%は過ぎているっていうのを言っていたんですね。
全部で100%。一生のうちっていうのが100%で、そのうちの30%っていうのはもう小学校入る前に30%はもうすでに過ぎている。
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そして小学校卒業の時には50%を超え過ぎているんだよっていうのを話していたんですね。
それを聞いたら数字で突きつけられると、今もうすぐ長女が小学校入学来年するというタイミングで、
この子と過ごす一生のうちの時間の30%がもう過ぎたんだなと思ったら、
なんだか本当に濃くて、ひつい一人になりたいとか思ってしまうけれど、
もっと愛おしいこの時間を大切にしたいっていうふうにやっぱり思いますよね。
それとのせめぎ合いなんですけど、そんな余裕がない時にこういう詩を読んで、
私は子どもとの時間を愛おしい時間をありがたく、当たり前じゃないんだっていうのを楽しもうっていうふうに考えたりしているわけです。
原文はブログの方なので、ここにリンクを貼っておこうと思うので、文章で読みたいよという方はぜひそこからクリックして読んでみてください。
とてもとても素敵な詩なので、よければ見てみてください。
皆さんも子育て、いろいろなことが本当にありますけれども、
一緒に頑張って、楽しんで、大切に一緒に過ごしていきましょう。
素敵な一日をお過ごしください。
かいほでした。