00:05
こんにちは。このチャンネルでは、週6日勤務のワンママかいほが、今よりちょっと自由になるための思考のヒントや家事・育児のこと、美容のこと、キャリアのこと、平日毎日6時に配信するチャンネルです。どうぞよろしくお願いします。
今日は不安や迷いは思考を変えても変わらないっていうようなお話をしようと思います。よかったら聞いていってください。
私はボイシーフェスの2023年のチケットを購入して対談を聞いているんですが、その中から印象に残った対談と、あと自分が今学んでいるヨガ哲学の中で勉強している内容が繋がったので、そのお話をしようと思います。よかったら最後まで聞いていってください。
どなたの対談かというと、精神科医の家具俊先生という方と、あとは大愚玄生さんという仏教のお坊さんの方で、YouTubeとか、あとは本の書籍を出したりとか、そういう活動もたくさんされている方の対談を聞いたわけですよね。
なので、その中でどういう感じだったかというと、漠然とした不安を対処する方法についてお話しされてたんですけど、一方は精神科医という西洋医学のお話、もう一方は仏教という宗教的なところでの話なんですけど、その2人の不安に対するアプローチの方法が実に似ている、共通しているっていうようなお話だったんですね。
もうただただそれだけでも結構感動するお話ではあったんですが、それと勝手に聞いている私は今ヨガ哲学を勉強しているんですが、そのヨガの中の考え方とも共通していたんですよね。
だからどんな時代でも、現代でも、昔でも、なんか本当に悩んでいることってどの時代も一緒なんだなっていうふうに思ったんですよね。
で何かって言うと、まずその精神科医の角寿先生が不安障害で、そういう不安を抱えて受診される方っていうのがこのように何百万人といるというふうに言っていて、
その中からどういうふうにその不安と立ち向かうかっていう中の精神科医的目線の方法の一つに、その大きなお化けみたいな不安を一体何なのかっていうそれを輪郭を書き出すっていうことをするらしいんですね。
もうなんだかわからないぐらいの、なんかもうお化けみたいなのが、一度自分の脳から書き出してみたら、あ、なんだ?形が見えてね。
あ、こんなもんだったのかっていうふうに俯瞰して見えるみたいな客観的にそれを見ることができるっていうところから、不安や迷いからそこから逃れる方法の一つとしてそういう手法があるっていうふうに言ってたんですね。
じゃあ仏教的にはどうかというと、仏教の中でもその不安とか迷いとか、そういうことって結局は自分の頭で作り出しているストーリーであって、
03:01
自分の頭が作り出している思考であって茶番なんだよっていうふうに言っていて、その中でそれに気が付くための方法の中で座禅ということがある。
その座禅はイコール、瞑想ですね。瞑想をすることで自分自身がそれを考えているのは自分の妄想であったことに気が付く。
それイコール自分ではないことに気が付くみたいなところの方法としてね、瞑想っていう座禅ですよね。
そういう話があったんですよ。で、これが今自分が学んでいる苦悩になる考え、苦悩にならない考えっていうところの項目でね、
何かやっていることと一緒っていうふうにね思ったんですよ。このヨガ哲学の中で心は5つの機能がある道具だっていうふうに言っていて、
心の一つ目は知覚、二つ目は間違い、三つ目は想像、迷いということがあって、
5つのうちの3つだけお話しするんですが、なぜその最初の3つをお話しするかというと、
この心の5つの機能があるうちのこの3つがね、知覚、間違い、想像、迷いっていうのが苦悩の原因になりうる機能だからってことなんですね。
この本の中での例えってね、ロープがちょっと遠くに落ちていますと、
あ、ロープが落ちてるなって近くまず認識しますよね。で、それを次間違いっていう、あ、もしかしたらヘビかもしれないっていうふうに間違いを起こすわけですよね。
で、そこから迷うわけですよ。あ、あれもしかしたらヘビかな。いやでもロープかもしれない。どっちだろう、どっちだろうって思って、
じゃあどうするかというと、きっとヘビじゃないはず、きっとヘビじゃないはずって思考、自分の中で言い聞かせようとするわけですよね。
でも結局そういうふうに自分の中でいくら思考を変えようと頑張ったところで、その不安から逃れることはできなくて、
その不安から、不安とか迷いから逃れることができるのって、実際ね自分がそのロープのそばまで行って、自分の思考が間違いだった、自分の認識が間違いだったってことに気がつく。
なんだこれロープだったじゃんって言った時に、確かめた時の、自分の誤解を解いた時の安心感って、最初にね自分の思考を何とか変えようと、きっとロープのはず、きっとヘビじゃないはずって言い聞かせた時、言い聞かせてた時と全然違った結果がね、そういう安心感があると思うんですよ。
その確かめる、マインドを変えるんじゃなくて、その間違いである自分のその思考の間違いを訂正していく、それが自分の脳が作り出した茶番であることに気がつくって、そこに行動するっていうことが不安から逃れるための方法っていうのがね、
その精神科医の株主先生が、まずその不安障害で来た方が、その不安が一体何なのか、取り出して書き出して、それを俯瞰してみるっていうことのやってることがね、いやこれヨガと一緒だなっていうふうに思ったんですよ。
06:08
だからヨガは効果があるんだとか、でその仏教でいうところの座禅と瞑想っていうことが、その自分とその心の迷いとか間違いっていうのがイコールではない、自分の感情とその自分自身がイコールではないっていうことに気がつくための方法として瞑想が行われているっていうこともヨガと共通してるなっていうふうに思ったんですよ。
いやーこれがね、自分の中ではすごく腹落ちというか、いやーみんな共通していたんだっていうふうにね、はーって思ってちょっと感動したんですよね。
じゃあこれって、自生活においてどういうふうに応用したらいいのかなっていうふうに思うと、その思考を変えるのではなくて、行動を変えるっていうことが自分の不安や迷いから逃れるための方法だと思うんですよね。
そのさっき言ってたロープが落ちている、きっとロープじゃない、ヘビなはず。
あ、ごめんごめん、反対ですね。
ヘビじゃない、きっとロープなはずって言い聞かせるんじゃなくて、確かめに行くっていうことで、自分のね、安心感、その不安から逃れることができるんだったら、
例えば皆さん、将来に対しての漠然とした不安ってあると思うんですよね。
例えば、分かりやすいところで言うと、お金の不安、老後は2000万円あれば足りるのか、どうなんだろう。
自分がもしそれ以上に長生きしちゃったらどうしようとか、いろんな不安があると思うんですよ。
それって、100%取ることはできなくても、例えばフィナンシャルプランナーの方にお願いして、
見える化してもらう自分の収入と資質と資産を見える化してもらって、このままのペースでいけばきっと大丈夫ですよっていうふうにコンサルしてね、言ってもらえたら、
その時の安心感って、きっと大丈夫、きっと年金がどうにかなるから大丈夫って言い聞かせようとしても、そこの不安から逃れることはできなくて、
結局そういうふうに見える化してね、行動を起こして不安を解消するっていうふうにすれば、そこは一度クリアになるわけですよね。
だから脳のそこのスペースがね、それを不安で閉めているスペースが開くわけですよね。
そしたらもっと未来にワクワクすることができるじゃないですか。
それ以外にもね、健康の不安って誰しもがあると思うんですよね。
例えば、下痢と便秘を繰り返しているとか、ずっと胃が痛いとか、そういうことも、きっと自分は病気かな?
いやでも大丈夫、きっと病気じゃないはず。病気じゃないはず。
見て見ぬふりするんじゃなくて、気になるんだったら一度人間ドックに行って、エカメラを飲むとか、体調検査するとかってして、
行動して、そこであ、やっぱり大丈夫だったんだって思ったら、すごくね、そこの不安から逃れることができるじゃないですか。
全部が全部、そういうふうに解消できない悩み。
例えば私だったら、子供が成人するまで元気でいてくれるんだろうかとか、このまま幸せに子供たちが育ってくれるんだろうかっていうことは、今解決することはできないんですよ。
09:03
でも、その思い浮かんだ不安、漠然とした解決できないことでも、一度その脳から取り出して、書き出すということですね。
それが、まあ、認識して、それで間違いが起きていないか、自分の認識の間違いが起きていないかっていうことを確かめるっていうことがすれば、そこの不安っていうのは、やっぱり解消されていくんだろうなというふうに思うわけです。
なので、今日の自分の中でのまとめは、不安や迷いから逃れるためには、思考を変えるんじゃなくて、行動を変えていく。
その行動は、自分が本当に不安になって思っているのは何なのか、書き出して、それの輪郭をはっきりとさせること。
そして、それを解消させられることがあるんだったら、解消するために何か手段、お金だったらフィナンシャルプランナーの方とか、健康だったら人間読に行くとか、検診をするとか、なんかそういう行動に移していけば、その漠然とした不安から逃れることができるんだろうと思うんですよね。
解決できない問題も、その迷走、座禅的な迷走によって、ヨガで言うところも迷走なんですけど、本当の自分自身、答えを持っているのは自分自身で、今自分が抱えている悩みや不安って、結局自分の脳内で作り出している茶番で妄想なんだよということに気がつくことができれば、非常に心が前向きになれるんだろうなというふうに思って、
この西洋医学と仏教とヨガ哲学の繋がったところがね、いや、ますます楽しいなというふうに思ったというお話でした。
ここまで聞いてくださってありがとうございます。気軽にいいねやフォロー、コメントなどいただけるととっても嬉しいです。
最後ちょっと雑談なんですけど、昨日ちょっと娘のしつけ、ちょっと間違ってたかなーなんてちょっと不安になったという放送をしたんですけど、
昨日ね、夜寝る前に家族4人でパズルをしてたんですよね。4人で一つのパズルを完成させるぞっていう時に、最後のピースが、最後1個見つかんないとかって言ってたら娘がね、上の娘が、見つけたって言って最後のパズルのピースをはめたんですよね。
で、そうすると下の3歳の息子が、自分が最後完成させたかったって言って、わーって泣き始めちゃって、
まあまあこういうことはね、よくよくあるんですよね。自分がやりたかったって言っていやいや気なので、結構そこでわーってすごい泣いてて、
で、そういう時に、私はまあ大丈夫だよとかそういう慰めるとかそれぐらいはするんですけど、そこで上の娘が何をしたかというと、
ごめんねとかって振ったら謝るんじゃなくて、謝りもせず、あ、1個空いてたって言って、1個やっぱなかったよっていう風に言って、
一度自分が最後のピースを完成させたピースを1個抜いて、息子がわかるような位置に机に置いて、1個ピースないんだけどとかって言って、
12:03
最後息子がそれを、お姉ちゃんが一度抜いたそのピースを見つけて、あったよねねって言って、その息子が最後のピースをはめるっていう成功体験をね、
息子ができて、みんな笑顔でパズルを終えることができたんですよ。なんかその想像力、娘の5歳にして、
ただ最後のピースはめちゃって息子が泣いちゃったな、みたいな気持ちで終わるんじゃなくて、そこからすごく優しい嘘を、
こういう風にしたら息子が喜んで、パズルのピースを最後はめることができるっていう風に想像を膨らませて演技をしたっていう風なところが、
いやこの子はすごいなっていう尊敬と、なんか自分が間違ってたかなと思ってたことも、この子を見たら全然私のおかげでもなんでもないんですけど、
この子はきっと大丈夫ってなんかね、昨日は安心した夜でした。もうブレブレ、母の心ブレブレなんですけど、そんなことだらけですね。ちょっと今日長くなっちゃった。
ここまで聞いてくださってありがとうございます。
素敵な1日をお過ごしください。カイホでした。