スイスからのゲストとの交流
夏休みの宿題その3です。
よろしくお願いします。
前回はですね、初めてのゲストがスイスからやってきたという話をしまして、
おもてなしをどうしたらいいかというのはよくわからなかったんだけど、
トライとして、いきなり突撃みたいな部屋にピンポンって鳴らして、
来ていただいて、ウェルカムドリンクを、ビールか、飲んでいただいて、
それで、そこでいろんな約束事を決めたのか、
メールとかはどうしたの?
私たちの、これはやったらいいんじゃないかっていう中にさ、
朝、コーヒーにお誘いして、フリーで、ゲストはフリーでコーヒーが飲めるっていうね、
私たちの建物に併設しているカウンターのあるバーでね、
朝、コーヒーを一緒するっていうので交流しようっていうのがまず一つあったじゃない。
そこでもし仲良くなったら、夜の部っていうのを、
カラオケを一緒にやったりとか、ビール飲んだりとかっていうね、
二段階あるんじゃないかと思って、
初めてのスイス人のご夫婦は、初日の夜にね、突撃ご招待して盛り上がったから、
朝、コーヒー飲みに来ないよとか言って、
彼らが毎朝、多分飲みに来てたと思います。一週間の間。
なるほどね。
で、それを、たまたま突撃して、ご在宅だったというか部屋にいたので、
うまく誘えたけれども、必ずしも当時は二人とも働いてたので、
基本的には朝出勤して、夜帰ってくるまでいないわけで、
それを、だからゲストといつ交流できるかっていうのは分からないので、
お手紙を置いたり、
Airbnbのメッセンジャー機能を使って、お誘いをしたりしてたということですよね。
ちょっと思い出すために言うと、
とにかく当時は、ゲストハウスを含むこのバーのスペースを、
とにかく私たちはこの場所を手に入れたから、
MAXで活用したいという気持ちが強かったんだよね。
だから、もちろんゲストとの交流もそうだし、
このバーを自分たちのお知り合い、お友達たちと何かイベントをやるっていうのを、
とにかく会社に行って仕事をしなきゃいけない、会社にいなきゃいけない時間以外は、
もうMAXで使いたいっていう、寝る間を惜しんでみたいなところがあったじゃない。
だから、私はとにかくゲストの部屋にチラシを置いたりとか、
私たちは朝コーヒーやってたりとか、夜一緒に飲んだりとかできるよとか言って、
チラシ作ったら私置いてましたよね、一生懸命。
交流の工夫と挑戦
置いてたか。
置いてたよ。
こんなんでどう?とか言って、また私チラシを作るの大好きでさ、
カラオケナイトみたいな感じで、
一緒に盛り上がろうぜみたいなさ、
そういうチラシ作って置いたり、
基本的には大体手紙を置いておいて、朝のコーヒー来ませんかって言って、
今みたいに家にほとんどいなかったので、昼間はね。
だから彼らと会うチャンスをどうクリエイトするかっていうのは一つの課題だったよね。
交流のポイントをね。
なんかチラシとか置いたり、
エアビーのメッセンジャーで連絡したりして、
それも来るか来ないか分かんないのに、朝8時とか7時とかに待機してたもんね。
そうなんですよ。
約束、アポイントメント取れた時はまだいいんだけど、
誘っておいて、じゃあ行くよとか言って、
ゲストにとっても負荷になる。
変にリラックスして楽しみに来てるのに、
朝の時間、この決まった時間帯にコーヒー行かなきゃっていうのがプレッシャーになったら悪いから、
だいたいこれくらいの時間にいるから、来たらどう?ってすごく仕立てな感じでお誘いしてましたよね。
だから、だとすると自分たちで言った手前、
このバーに待機するっていう時間が結構あって、
もう会社行かなきゃ、じゃあ今日は来なかったね、残念、じゃあ会社行こうみたいな感じで、
そういう日も多かったですよね。
それはそれで楽しかったけどね。
はい。ただ、待ってるみたいな感じもあったんで。
非効率であったけど。
非効率だったよね。
でも、すごい楽しかったよ。
でも、一応このタイミングで言うのはあれなんだけども、
その後、こちらもゲストとの対応がこなれてきた時は、
もうある滞在中に1回コーヒーをご一緒できれば、
もうそれ以上はあんまり、夜誘ったりとかして、
それ以上毎日朝コーヒーっていうルーティーンは、
民泊の法律とその影響
我々にとっても相当負荷なのでやめたんだけどね。
初期の頃はそれはやってましたよね。
そうだね。
初期の頃はこの予約を受け付けたら、
一組目のスイスのゲストもそうなんだけども、
とにかく予約が入ったんだよね。
時差があるから、私たちが使っているエアビーっていうシステムの
予約が入ると通知が来るんですよね。ピロリンって。
それは夜中中、鳴り止まないみたいな雰囲気で、
結構入って、もうえーっていう感じだったんだよね。
そうか。
そう。
それが何年前ですか。コロナの前ですよね。
2019年です。
2019年の。
6年前です。
2019年の何月に開いたんだ?
7月です。
7月。だから約半年間だけだったんだよね。
そうそう。コロナになる前に。
当時は日本もインバウンドを力入れるって言ってたんですけども、
ちょうど東京オリンピック2020のオリンピックの1年前で、
これからインバウンドをさらにやっていくぞっていう風に国が挙げてたのと、
当時のゲストは結構長くいた。
1週間とか2週間とか普通だったよね。
そうすると、こちらもその滞在中どこかで会えるだろうみたいな感じになったし、
それで比較すると、コロナの後っていうのは、
2泊、3泊とか4泊とかすごく短い人もいるし、
随分変わってきたなという風には思いますよね。
コロナ前の半年間、予約がバンバン入ったのは、
やっぱりそれなりに料金も安かったと思うんだよね。
安かったのと、あとは今ほどホテルやエアビー&ビーのような民泊も、
数としてもほんと少なかったと思います。
民泊申報になって、我々は申報以降のオーナーというか、
コストなんだけど、申報になって随分と辞めた人はたくさんいたんだよね。
そうなんですよね。申報になったのが確か2018年なんですけど、
私たちは2017年から具体的にゲストハウスのある建物を建てるというプロジェクトを立ち上げるんだけれども、
確かあれは2018年の1月に民泊の法律が変わりますっていう、
私たち2人で勉強会に出たんですよね。
会社の帰りに行ってね。
で、行ったら既に旧法っていうのはほとんどルールのない無法地帯でやってたわけなんだけども、
その時のオーナーが出ててね。よく覚えてるけどね。
前の方に座ってたね。
割とご高齢というかね、のおばさまたちが出てて、
もうこんなんだったら辞めようとかって言ってたもんね。
もうこんなんじゃやったなよ!みたいなね。
要はやっぱりルールが厳しくなる。法律が厳しくなる。
自分たちの宿泊したゲストの数を国に報告するとかね。
いろんな縛りがある。
ただ、ちゃんとある一定の基準で届出の番号をもらった。許可というかね。
届出制なんだけれども、それのクリアした宿泊施設が運営できるっていうことなので、
そこまでしなくてもいいわよ!って言いながら、
すごいなんかこう、今までせっかく儲かってたのに!みたいな感じだったよね。
邪気を感じたんですよ、相当。
でも私たちは全く元々のルール知らないから、
もちろんね、ルールが変わるんだったらその辺に則ってやればいいっていうしか思わなかったから、
非常に前向きでしたよね。
そうですね。一歩一歩やるしかないみたいな。
使命感が別にあったわけじゃないんだけど、とにかく民泊がやりたい一心だったんで、
とにかく何でもいろいろクリアしていこうみたいな、力強い意志があったような気がしますね。
そうですね。
一旦切りますかね、これで。
じゃあ、ナンバー3終わります。