山本輝太郎の紹介
はい、始まりました。今日はゲストの方にお越しいただいて、対談をお送りしたいと思っています。
今日のゲストは、山本輝太郎先生です。山本さん、今日はどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。僕は今、金沢からしゃべっていますけれども、
ひそやさんはドイツですもんね。
そうですそうです。金沢ドイツで。
時差何時間くらい?
時差は7時間なので、今これ収録時点では朝の8時ですね。
ああ、そうなんですね。それは結構早いですね。
でも、子供が生まれたら早くなりますよね。
いや、もう全然5時とかに起きてますね。
ですよね。うちもそんな感じになって、ベビーが生まれてからだいぶ早くなりましたわ。
そういう繋がりもありますが、まずは自己紹介をいただいてもよろしいですか?
はいはい。山本輝太郎と言います。
今、金沢政良大学という、日本の金沢市、石川県の金沢市にある私立大学で、
情報関係全般の教員ということで、大学にいます。
元々の研究の話はまた後でするんでしょうけど、
出身は明治大学の情報コミュニケーション研究科というところで、
分野が違う人というか、違う分野の方とか一般の方にはよく、
怪しい情報に騙されないようにしましょうねみたいなことを、
全般に研究しているみたいな、そういうふうな説明をしたりしますね。
もうちょっと具体的に、イジ科学とかね。
科学っぽく見えるけど、実は科学的とは言えないとかっていうような言説だったりとか、
あと最近は陰謀論であったりとか。
そういう、ちょっと不合理に見えるような、
何かに落ちてしまう信念みたいなものを、
ちょっと研究しているという感じかな。
適当ですけどね。
疑似科学の研究について
僕、ポッドキャストで毎日喋ってて、
今日の収録時点では今朝、山本さんの本を紹介したんです、実は。
ありがとうございます。
予習みたいな感じで。
これが早ければ明日とかにも流したいんですけど、
そこでちょっとこう、疑似科学っていう言葉とか、
ちょっとね、馴染んでいただいてから、
今日の話を皆さんに聞いていただきたいなと思って。
プロデューサー的なことを一人でやってるからそうだよね。
そう、全部一人。
やってるんですが、
せっかくなんで、
なぜ今の研究をしようと思ったかみたいなところからいきたいなと思うんですけど、
どうですか、明治大学に戻るのかな、話は。
そうですね。
すごく興味があってやってるというよりは、
なりゆきでしょうがなくて始めたっていうのが、
本当にそんな感じなんですよ。
自分のずっと今も仕事してる指導教員、
明治大学の石川雅人っていうんですけど、
当時研究費でやっていた研究のお手伝い、
バイトみたいなことを、
そこからスタートって感じですね。
全く何も興味どころか、
それが何かとすら分かっていない状況、
明治大学が何かとすら分かっていない状況から
飛び込んだというのがスタート。
そうだったんですね。
その前は何やりたかったんですか。
別にオープンにしてることだからいいんですけど、
僕21歳ぐらいのときから3年間ぐらいほとんど引きこもりというか。
病気病。いわゆる精神病。
病気療養期間で、
たまたまそのときゼミが石川先生のゼミで、
何とか卒業はしたんですけど、
そこからちょっとプラプラしてる時期があって、
じゃあ何か手伝ってみるみたいな。
リハビリみたいなことかな。
リハビリだけを逆に、
この理事科学の界隈ってすごくいろんな人がいるんで、
非常にメンタルやられ、逆にやられることが多かったですね。
そうです。
この後も詳しく聞くかもわからないですが、
先に出しておくと、
文章書も書いて、もちろん朗読も書いてらっしゃるし、
その上で、
何かこう議事科学ドットコムやってますか。
議事科学ドットコムかな。
そうっていうサイトも長らく運営されてて、
その議事科学を信じてる人だけじゃないのかな。
でもそういう人たちとのコミュニケーションをし続けてるっていうのも、
すごく山尾さんに引き付けられた一つの要因なんですけど、
それのことを言ってるんですかね、
そういうコミュニケーションというか、
この理事科学界隈の人たちの。
20代後半それに費やしてしまいましたね。
今から考えたらちょっと別の人生があったのかもしれませんが、
まさに研究のバイトみたいなので、
自分の指導教員が議事科学に関する
ウィキペディアみたいなサイトを作りたいみたいな、
そういう発想がまずあって、
特に今はそれこそフェイクニュースであったりとかね、
ファクトチェックみたいなので、
ファクトチェックでも、
いろんなこういう情報に気をつけましょうみたいな基準がある、
背景化されてきていると思うんですけど、
10年以上前だったので、
当時はまだそういうのもあんまりなかったんですよ。
そういう中で、
科学と議事科学の線引きってのは、
そもそも難しいっていうのが前提としてあるんですけど、
そういう中で、
世の中にあるようないろんな説や情報みたいなものを、
これはどれくらい信用できてみたいな、
そういうのを詳しく解説するみたいな、
そこには一般の人からも、
閲覧している人からもコメントがバーってきたりとかして、
そのコミュニケーションの中で、
新しい情報を更新していくみたいな、
そういうまさに、
Wikipediaがやっているようなことだと思うんですけど、
そういうような形で最初をスタートしたという感じですね。
情報の信憑性と科学リテラシー
話し手1は、コメントとかも来るんですよね。
話し手2は、
議事科学とされる事象に対して、
解説と評価みたいなものを載せて、
それに対して、例えば異議がある人がいたら、
いや、ここはおかしいんじゃないかとかね、
こういう最新の研究があるとかね、
というので、新しくどんどん知見を更新していくというのが、
最初のコンテンツだったんですね。
ただ、実際その通りになったことはほとんどなくて、
ほとんどなくて、
実際は、結構どんな議事科学、
それはそもそも知らなかったんですけど、
いろんな設定も、それを支持している人たちはいますよね。
人たちって言うとちょっと特殊な感じがしますけど、
それが支持を受けているっていうのはあって、
その中で、当時ネットのコミュニケーションって、
まだ若干SNSとかも今ほどポップではなかったと思うので、
結構そういうコアなネット、
年齢で言うと我々よりもだいぶ上世代の人たちで、
ネット連携から活動してた人とか結構いるんですよ。
そういう人たちが、
そもそもサイトの出来自体が最初は全然良くなかったので、
内容のクオリティがあんまり高くなかったので、
そういうのでバーンと、
ああでもない、こうでもないっていうようなコメントが来たり、
逆に評価されたりしたんですけど、
そういうのが2014年か15年くらいですね。
本当にたぶん10年くらい前。
はい。
じゃあちょっと戻ると、
トピック自体に個人的な興味があったわけじゃなくて、
そういう応援的なところで始まり、
でもそれを仕事に10年以上研究と仕事にされてるっていうのは、
何なんですかね。
やっぱり饒舌みたいなのがあるんですかね。
なんか調べて、
これはそうなんだっていうのを書くのは割と好きだったんでしょうね。
おそらく。
仕事ってローカルスクの中で書かなきゃいけないじゃないですか。
そこは訓練もあるし、
僕もそんなに得意とは思わないけど、
好きか嫌いかで言ったら好きだったとは思うので、
いろいろ、
それこそ論文を読んだりとか本を読んだりして、
結構だから、
巷ではこう思われてるけど、実はみたいなところをいろいろ調べていくみたいな。
その漠然と調べるんじゃなくて、
調べるポイントみたいなものは、
まさに今我々のウェブサイトでやっているような、
見るべきポイントみたいな、
そういったところがあって、
それに対応する形で調べていって、
いろいろ例えば、
日本だと水素水も流行ってましたしね。
あとはマイナスイオンとかフルから言われる。
デトックスとかいろいろありますけど、
そういう感じでスタートしたかなっていうところですね。
個別の何かに僕はこだわりがあるわけじゃなくて、
特にいろんな事例って、
あんまりそれまでの技術科学の界隈って、
そういうふうに幅広く事例を集めてるサイトってあんまりなかったんですよ。
そういうのもあって、
いろいろ調べてみようみたいな、
そんな感じのマインドでした。
なるほど。ありがとうございます。
なんかそういう、
アモンさんの背景知識みたいなのを聞かせていただいたところで、
個別の研究で、
たくさんやられてると思うんで、
どれをっていうのは結構難しいんですが、
これはちょっと一押しですみたいな、
自分がやった研究で。
結構これはもうむずいなと思うんですけど、
自分が言われても嫌だなと思うんですけど。
ご紹介いただけないでしょうか。
むしろしつわりさんにも聞きたいんですけど、
しつわりさんって割と正当的な研究の、
美しさの研究とかっていうので、
結構認知科学とかの中では主流派なんですか。
それともちょっと暴流というか。
心理学の中では絶対に暴流なんですけど、
認知科学ってあまりにも広すぎて、
心理学はそうなんですけど、
認知科学って暴流が全部暴流に見えるというか。
なるほど。
それの結集みたいな感じなんで、
あんまり認知科学、
この間お話があった認知科学界の学会とかだと、
そんなに浮かないというか、
みんなそれぞれ好きなことやってるよね、
みたいなコミュニティだと思ってるので。
なるほど。
そういうスタンスの違いがあるかも。
心理学界だと明らかに社会心理学とかの人が多い、
みたいなのはあるけど。
僕なんかだから、
どちらかというと実践から入ったって言うと変ですけど、
大学院の後に大学院に入学してるので、
そういう意味で言うと、
実践から入ったってわからないんですね。
どこにどういうディスクリーンがあってとかっていう。
自分が書いてるこれまで書いてるものとかも、
他の人から言わせると、
結構山本さんはいろんなことやってますよねって言われるんですよ。
自分なんかそんなに幅が広いと思ってないんですよ。
もっとできればいいなとか、
例えばなんか、
公募の情報とかを見てても、
まるまる学を研究されてる人とか、
そっちのほうが逆に広いと思うんですよね。
なんかね、
そういう、
正当派の漫才とかね、
ホントとかじゃなくて、
汚れ芸人だなみたいな風に思ってます。
どちらかというとそっち派だなと思うから、
そういう中でそこの、
これまでの自分の研究も、
あんまり、
根っこにあるのは技術学のウェブサイトであったりとか、
そこに関連するような、
ざっくりベースでいうと、
教育に関するものとか、
コミュニケーションに関するものですけど、
これっていうのがあんまりない。
めっちゃいいと思います。
あんまり区分けするのも、
理系、文系が一応分かりやすいですけど、
不要といえば不要だし、
必要な時があるから作ってるのはそうなのだと思うんですが、
別になくてもいいなっていうのは多いというか、
僕もどっちかというとそっちよりの意見だな。
いやまあそれで、
でも七戸さんぐらい成果を出せればね、
僕もそんな偉さを。
僕はめっちゃ技術科学とかやってる割には、
権威とかに結構弱いので、
権威とかに結構弱いので、
いく師匠とかね、
どうやったら取れんのとかって思って。
ありがとうございます。
誰もあんまり拾ってくれないことを拾ってくださって。
いく師匠はね、相当すごいと思いますよ。
あれってだって賞金とか出るんですよ。
こんな風に聞いていいのかな。
100億万円。
あ、思いました。
一番嫌な言い方で終わっちゃった。
聞こえます、聞こえます。今ね、聞こえました。
いくらか聞こえました。
聞こえてない、聞こえてない。
研究と打ち消し表示の効果
僕が一番聞きたかったの。
あ、もらえるんだというかお金出るんだ。
調べたら100万円って出てきます。
結構いいじゃないですか。
こういう学術系ではなかなかないですよね。
ないですよね。
しかも若手で。
ないと思います。ないと思います。
こないだ、
先週から論文奨励賞みたいなのをいただいたときに、
初めて得る賞金みたいなのをもらいましたよ。
珍しいですよね。
そもそもこういう界隈って。
ないですからね、あんまりね。
僕の話でいいんですよ。
そっちにはいいなんだよね。
その奨励賞を取ったお話聞かせてください。
研究の話。
最近のやつは、でもちょっと前にやった実験で、
広告に打ち消し表示ってあるのわかります?
打ち消し表示って個人の感想ですみたいな。
それってあんまりそもそもあんまり意味がないというか。
あれは商品販売者の側から、
申し訳程度にやっているというか。
あれを見ても一般の消費者が、
これは個人の感想なんだなとか、
効果には個人差があるんだなとかっていう認識をしている。
かと言われるとそうじゃないっていうのが、
消費者庁が2017、18年頃に結構大規模に厳密にやった調査があるんですけど。
それを見て、
即興力がある打ち消し表示って逆にどういうことすれば即興力があるんだろう?
みたいなのをちょっと考えたっていう感じ。
言ってもそんな複雑なことはやってなくて、
本当に普通にナッチみたいな考え方で、
心理学ですね、選択的注意を促すために、
あなたには効かない可能性がありますとかね。
っていうのと、通常の効果には個人差がありますみたいなので、
模擬的な広告を作って、それで実験したとかっていう、
そんな感じのものですけどね。
なるほど。
あなたには効かないみたいなのは、結構効果があったんですか?
でもそれぐらい強く言わないと、効果があったんですよ。
効果があったんですけど、
逆に議論の方向性としては、
これだからすごい即興力のある打ち消し表示が考えられたっていう方向性と、
もう一個はあなたには効かない可能性がありますって相当強い表現じゃないですか。
実際聞いたって感じる人も当然いるし。
だからある意味広告としては、
そんな表現をそもそも使いたい会社さんは多分このようにゼロだろうと思うから、
現実的ではない。
それぐらい現実的じゃないぐらいめちゃくちゃ強い表現を使わないと、
そういう広告における体験談、
もともとその体験談型広告の打ち消し表示っていうことを前提としてたんですけど、
広告って相当強い効果を持ってるっていうことが、
改めてわかったっていう感じですかね。
美しさと相対化の議論
なるほど。
そうですよね。
なんかその、
ご聴聴者さんに見えないけど、
Kindleにご注目をさせていただいて、
打ち消し表示への注目度を上げたいみたいなところが割と多くの印象に残ってて、
これどういう例で書いてたんですか。
だからアンチェイジング、効果、絶対みたいなのがまずバンって出てて、
その下に効果に個人差ありますとかっていう例のことですよね。
アンチェイジング、効果絶大の方があまりにも強すぎて、
個人差ありますってところには別に誰も何も気にしてないみたいなことですよね。
そうですね。気にしてないし、見たとしても認識変わらないんですよ。
いやー。
見たパターンで認識変わる。
そうですよね。
広告物側の企業とかからしたら結構ありがたいというかラッキーって感じですよね。
これ書いておけば。
そういう話も業界の人としたことあるんですけど、
やっぱりそういうノウハウが相当蓄積されているということですよね。
広告の消費者行動に関して。
逆にアカデミーってそういうのってほぼないみたいなんですよ。
そういうのは確かに消費者問題の温床になったりするんだろうなとは当然思いますけどね。
知ってますね。
企業側のAPテストとかたくさんされてて、
あっちはもう知っててやる程度やってるってことですもんね。
それはもちろんですよね。
名文化はもしかしたらされてないのかもしれないけど、
ノウハウとしてはかなり蓄積されているということだと思います。
確かに確かに。
いやー面白いですね。
それはなかなか相当強い表現を使わないと多分ダメみたいな。
でもそれって誰も使いたがらないし、別に法律違反してるわけじゃないから、
そういうところで規制は及びにくいというところですね。
いやー面白いですね。
結構だからそういう感じなので、
割と研究者同士で話してアイディアがっていう時ももちろんあるんですけど、
事業者の方だったりとか行政の方に
注目されるというか、そっちからかかることの方が割と多いですね。
それは割と勉強になったりするんで自分の中でも。
割と研究者って結構盛りがちというか、
コミュニティも研究者に限られちゃったりするのはしょうがないと思うんですけど、
意外と外からの刺激みたいなのは、
自分的には楽しいなって思うときが結構ありますけど。
なるほど。
講演とかお願いされるときってどういうことを話してほしいみたいなオーダーなんですか?
もうそのパターンによりますけど、
僕が今までやった中で多いのは、
例えばそこに所属する職員さんのリテラシー教育みたいなことだったりとか、
あとは幅広く一般のっていう意味で言うと、
やっぱりそういうリテラシー関連で話してくれるみたいなパターンが多いですね。
そうですかね。
企業とか学校とかでそういう研修とかがあるとすごいいいなって思うんですけど、
僕の中で永遠の課題みたいなのがあって、
例えば陰謀論とか分かりやすいと思うんですけど、
そういうのを信仰している人たちにこそ、
こういう科学的なこととかって届きにくいし、
彼らの目には山本さんの絶対は言い過ぎだ、
本の存在とかって届きにくいわけじゃないですか。
目についてもスルーするものじゃないですか。
議事書くと思ってないだろうし。
そうです。
っていうのって山本さんどう考えてます?
鋭い質問で、結構よく聞かれることもあるんですけど、
スルーする人はまだ良い方というか、
まだ大丈夫というか良い方かなっていう。
むしろ抗議であったりはね。
訴えられたことは僕はないですけど、
知り合いの同じような科学関連やってる先生で裁判になってるとかって話も聞きますし、
そういう抗議文とか批判反論みたいなのは結構、
そういうのに叩かれるのはまあまあ慣れてるんですけど、
そこはだからウェブサイトを始めて最初の2年ぐらいで、
コミュニケーションの次元でこれを解決するのは無理だっていう風に
自分の中で思ってました。
最初はだから、いわゆる伝承法的なね、
こういう意見もあるけどこういう意見もあるみたいなね、
高め合っていくコミュニケーションみたいなのをちょっと理想にしてたんですけど、
それはちょっとあまりにも理想で、
このベースとなるような、
リテラシーであったりとか知識みたいなものも一方では必要かなっていうところで、
それはね、そこの話はむしろしつわりさんに聞いてみたいんだけど、
美しさとかって相対化できるものなんですか?
究極に相対化しちゃってもいいものなんですか?
美しさの感じ方とかって、
なんで言うかっていうと、
議事会とかの場合だと完全に相対化して、
例えばこういう意見もあるから尊重しましょうみたいな、
それを完全に相対化できないところが結構多いんですよ。
その根本的なところだと僕は思ってるんですけど、
美しさって別に感じ方は人それぞれでいいと思う一方で、
それを完全に相対化してしまったら、
してしまうという見方で、
そういうことが、
その業界系と変かな、
そういう感じで考えていいものなのかどうなのかっていうのを
ちょっと上がってみたいなと思うんですけど。
難しいですね。
難しい?
結構、
割と雑にやってるなって、
自分もそうだし他の研究者もそうなので、
完全にフォローしてるんですけど、
定義とかあまり言わないですね。
美しいって何かみたいな。
なるほど。
だから本当に結構人それぞれってなっちゃってるのかもしれないけど、
その人それぞれの中に、
例えばその人のパーソナリティとか、
実験分とか分けたりして、
ある程度の傾向とかルールを見つけたいっていう風な感じなのかなって
思ってるんですけど。
なるほど。
例えば俳句とかでも、
プロに近い先生とか専門家の人がいるじゃないですか。
そういう方たちが評価したものっていうのが、
美しさの基準のやっぱり一つになったりするって感じですか。
それとも何かもう、
何でしたっけ。
種田さんとかでしたっけ。
何にもこってことかも何も関係ない。
みたいなものも見てみましょう。
そこの線引きって美しさってどうしてるんだろうなってちょっと。
確かに難しいところって。
でも結構やっぱり熟達度によって美しいっていうか、
いいと思う俳句って結構違うなっていうのは、
変わるなっていうのは結果示したりしましたけどね。
それこそ自分は曖昧さみたいな観点でやってたんですけど、
熟達はある程度曖昧な俳句を授業して、
それがいいと思うんだけども、
初心者とかだともう曖昧で何かこう、
詐欺的な解釈ができるような俳句っていうのはあまり、
好まないっていう結果とかは示したりしたんですけど、
そういう違いは結構属性とか熟達度もそうだし、
パーソナリティもそうだし、
いろんなものによって変わっていくなっていう受け入れが増えました。
教育と疑似科学の関係
なるほど。
ごめんなさい。
ごめんなさいね。
僕が聞いちゃってたらダメなのに。
聞かせてくださいね。
ヤマンさんのコミュニケーション難しいなっていうところで、
新たな作戦というか、
どうやっていったらこういう科学的であるものの知見が広まっていくとか、
リテラシーが広まっていくのかなっていうのは聞いてみたいなっていうのがありますね。
教育の効果ってある程度あると思っていて、
すぐに解決するとか改善するとかじゃないですけどね。
10年後とか20年後とかの話ですけど、
かもしれないけど、
そういうところで草の根的にやっていくっていうのがまず一つ。
あとはどうかな。
たぶん完全になくなるとか、
これで全員がっていうところはなかなか難しいんだろうなとは思うんですけどね。
別にそうじゃなくてもいいですしね。
ちょっと気になってるのは、
学校教育とかで、
基本的には科学に沿ったものを教えてるわけじゃないですか。
算数であれ、理科であれ、社会であれ。
教科書でちょっと間違った疑似科学っぽいものが使われたみたいな例とかがあって、
すごい面白い知らなかったと思ったんですけど、
そういう教育を受けた上で、
陰謀論とか疑似科学に行ってしまうのって、
どういうことなんだろうっていう。
確かに確かにね。
それはみんな、そういう方ももちろんいて。
特に、
そこをある意味極めすぎて、
いわゆる科学マニアみたいなところまで行くと、
結構、科学マニアの人って、
いわゆる不思議現象みたいなものに、
肯定的であったりするんですよ。
まだ未知なもので、
今のことでは解明されていないっていうところに、
期待とか憧れを持つっていう。
そこはだからちょっと、ある意味紙一重というか、
先端的な科学、サイエンスの知見って、
全般そうですよね。
それこそ、筆割りさんの研究、
美しさの研究が、
筆割りメソッドみたいな形で、
バーって世に広まったとしても、
ちょっと先行きすぎてるみたいなところもあったりしますよね。
たぶんね。
そこの、
いわゆる再現性とかに近いのかもしれないですけど、
再現的なもので、
それがどれくらい一般化できるかって、
実は正当的な先端の科学でも、
それは全く同じ問題があって。
確かに。
そことの、ある意味紙一重みたいなところではありますよね。
疑似科学の信仰
それは本当にそうです。
なんか、
エビデンスは、
有無ではなくて強弱で語るべきみたいなのも、
すごく共感だし、
科学者こそ、はっきり物を言わないみたいな、
研究者というか、
すごい同意だなと思ってて、
やっぱりその、
モヤモヤとした結論を言ってくれないみたいなことを、
研究者がそういう態度じゃないですか。
たぶんそうあるべきだと僕も思うんですけど、
その中でやっぱり結論メーター、
すごくはっきりした何かがあると、
人っていうのは飛びついちゃうというか。
空白の状態を作っていたくないんだ、
というところなんだと思うんですよね。
そこの心理的な空白みたいな。
ちょうどまさにこの夏の、
日本心理学会で、
名古屋工業大学の田中祐子先生が、
そういった発表されてましたけど、
心理的なボイド情報というふうに、
さらに言われてました。
伝えられないというか。
なので、
田中先生たちの研究では、
例えば、誤情報みたいなものが、
誤情報だったって、
最初にこれは誤情報だったってことを知ってから、
ニュースを知ることってあるじゃないですか。
そのニュース自体を知らなくて、
これは定点報道が最初にあって、
そこで知るみたいな。
そういったパターンでも結構、
訂正を最初にしているにも関わらず、
誤った方を信じてしまっている、
というような、
そういった実験結果が示されていたりして、
曖昧さへの耐性
だから、
空白の状態に、
苦手なんですよね。
それは認知的な不感でもあるでしょうし、
そのあたりは、
我々からしたら、
ある程度、
一般常識かな、みたいな感じですけど、
本当に一般の方からすると、
なんでって思われるところかもしれませんね。
そうですね。
ここでちょっと関係なく、
自分の研究と寄せて話したいんですけど、
曖昧さがすごく、
自分のキーワードで、
曖昧さって表現自体すごい曖昧で、
科学的には微妙なところもあるんですけど、
ちょっと一旦思いといて、
曖昧さとか、空白って言ってくださったそれとか、
それに対する人の態度、
みたいなところって、
曖昧さ体制だったりとか、
ネガティブ・ケイパビリティとか、
そういう言葉があるわけじゃないですか。
実は知っていて、
すごく重要だと思っているんですよ。
そういう陰謀論に
飛びつかないということもそうだし、
クリエイティビティに関連するという意味でも
研究しているんですけど、
曖昧さとか空白に、
ちょっと耐えられる人を増やしていきたい、
みたいな気持ちがあるんですけど、
全く同意感じだし、
すごくいいと思います。
難しいかもしれないけど、
やる価値というか意義はすごく多いです。
曖昧さに関連するか分からないですけど、
偶然というものがそもそもあまり嫌いですよね。
これはある意味なんだろうな、
統計データみたいなものとかの
偶然というものが
こっちの領域で言うと、
偶然とか統計的にはこうなんだけど、
みたいなところって結構やっぱり
苦手というか嫌われる傾向にはあると思うので、
曖昧さもちょっと近づくことがあるかなとは思いますよね。
偶然はあまり認めたくない。
やっぱり理由が欲しいんですよね。
理由が欲しい。
理由が欲しいっていうのは、
それだけ性格診断とかね、
今うちの学生とかMBTI大好きですけど、
若い子は。
自分が何者か知りたいという欲求がありますよね。
やっぱり人間みんな。
性格診断みたいなものとはある意味逆で、
あなたは曖昧な状態なんですよとかっていうのは、
苦手な人の方が多そうですよね。
そうだよな。結構難しいですよね、
そう考えるとね。
そうなんですよね。
自分を曖昧な状態に置くのは結構抵抗がある人が多いかもしれないですよね。
なんでだろうね。
でも他の人とか、
自分以外のものだったらできそうな気もするんですけど。
確かに。
ニュースとか見せられたときには、
多分答えがないもののほうがほとんどだと思うんですよね。
世の中の問題も原発にせよ、環境問題にせよ、
これやってたら全部まるまる解決みたいなのほとんどないわけじゃないですか。
その時に自分の意見とかを過度に偏らせて、
絶対どっちか選ばないといけないみたいな感じじゃなくて、
何かこう、
結構大事なのかなって思ったりするんですが、
確かに。
いやー、ちょっと言ってても分かんなくなってきましたね。
自分の意見を持つことも大事だっていうのもあるしな。
そうですよね。
曖昧さを許容するとか、
これは曖昧な状態にしておいた方がいいっていう、
モードに自分のマインドをチェンジするみたいな。
そういうのができればいいのかもしれないですね。
これは意見をある程度持つときみたいな、
これは曖昧なままでいるときっていうモードチェンジが。
モードチェンジね。面白いですね。
なんか、
いや、俳句とかはまさに曖昧なので、
許容しない。
許容するのを楽しむみたいなところはあるんじゃないかと。
そうですそうです。
自分が研究してきた中で、
それこそさっきの嫌な質問あるじゃないですか。
お気に入りの自分の推し研究ありますか?みたいな。
あれですよね。自分の中で推しが、
その何か、俳句を干渉したりとか、
創作をすることを経て、
その曖昧さ体制がちょっと上がるっていう研究結果があるんですけど。
ああいう何か曖昧な創作とか芸術って、
やっぱそれ体験すると結構、
何か物の見方変わるなって思うんですよね。
何か解釈も一義に定まらないし、
自分が作るってなった時も、
17文字にしようと思うと、
めっちゃ何か削らないといけないし、諦めないといけないですよね。
その時に、
これって曖昧なままでいいや、みたいな認知になるのかなっていう、
そういう考察とかをしたわけなんですけど。
だから、
曖昧さを好きな人増やしたいってなった時に、
俳句とか、もしかしたら他の芸術作品もそうなんですけど、
芸術っていうものが割といい、
パワーを持ってるんじゃないかっていうのは、
思ってることだし、
一つだけですけど、研究結果は出したって感じですね。
それいいですね。
それは何か、ある程度そういう方向も、
今、何だろうな、
こういう情報ツールとかシステムとかは、
どちらかというと、そういう曖昧さからは、
離れていってるような気がしているんですね。
AIって言ってもそうだけど、
AIって言ったら、曖昧じゃなくてちゃんと教えてくれるから。
確かに。
そういう意味で言うと、
ちょっと話し取れるかもしれないけど、
GPT-5って、
あんまり僕好きじゃなくて、
3.3ぐらいの時の、
それこそ曖昧じゃないけど、
ちょっと分かってんだか分かってないんだかみたいな、
半分ポンコツな回答みたいな、
そういうのの方が、
ある意味人間味があって、
科学的発信の重要性
結構面白かったなとか。
それに対応の仕方とか、
曖昧さを生み出すこととかできそうですよね。
確かに。
コミュニケーションの自由ができそうですよね。
確かに。
結構、
Keep 4.0みたいな、
1個前のモデルに戻ってっていうのは、
よく聞いたんですけど、まさかの、
山本さんを3とかに戻りたいっていうのは、
ちょっと、
1個衝撃だったんですけど。
そう、変な回答ってあるけど、
その回答を読んだ時の面白さっていうのが、
何て言うんですか。
確かに。
でも、
山本さんとかが言うのってあれですよね、
それこそリテラシーめっちゃ低い人とかがそれ見たら、
めっちゃフェイクな答えを返したとしても、
信じちゃうとかっていう可能性があるかな。
あれですよね、
曖昧っていうのは、
チャットGPTとかがまず第1言目に、
ちょっと佐田くんがわかんないんですけど、
みたいな言ってくれるみたいな。
そうそう。
それはいいかもしれないですね。
そういう言葉、理をつけてとかね。
それで、これがどれくらい曖昧なのかみたいなことを、
わかる?
完全に曖昧の中にもグラデーションありますよね。
めっちゃ本当にまっすぐわかってないことと、
ある程度はわかってることと、
もうだいぶいいとこまで来てるみたいな。
そういうグラデーションがいいかもしれないですよね。
面白いですね。
だんだん曖昧じゃなくなっていく過程ってことかな。
確かに。
それを段階で把握できると結構楽しいかなって思ったりします。
確かに。
この話で思ったんですけど、
チャットGPTの回答だと思うんですけど、
クロードとかで、
回答を間違ってることがありますみたいな。
そういう意味で、
あれ打ち消し表示ですよね。
あれ打ち消し表示ですね。
打ち消し表示じゃないと思う。
めっちゃ打ち消し表示意味ないと思います。
それよりは、
返してくれてる本文で、
ちょっと自信ないんですけどみたいな。
そういう意味で。
そういう意味で。
ちょっと自信ないんですけどみたいな。
そっちの方が、
研究が繋がった。
今これは。
繋がりました。
まさにそんな感じですよ。
これ結構やりたいな。
AIっていう今のトレンドとも合ってるし。
曖昧さは
確かに段階があって、
これ自信ないんですけどとかって、
人間同士のコミュニケーションだと、
他の情報を見られますよね。
文字以外の相手の顔の表情だったりとか、
手草とか質感みたいなのを見て、
どれくらい自信がないかっていうことを多分、
判断してると思うんですけど、
だからそういう
文字ベースになってしまうと限界がありまして、
それは最初の
擬似科学のコミュニケーションはまさにそうで、
文字の限界みたいなところは。
話し手2はね。
おっしゃる通りですね。
すごい文字で自信ないとかって言われると、
たまたま通例の審査医だったりとか、
文字で自信ないとかって言われると、
たまたま通例の信頼度が下がる
逆になっちゃいそうですよね。
そうなんですよね。
それを上手いこと
合間差を演出してるんですよね。
すごい良い俳句は多分そういうことができない
ということですよね。
そもそもフォーマットに限りがあるってこととか、
俳句っていうもののスキーマが
それぞれ皆さんあると思うので、
ああいうのはずるいですよね。
そもそも全てが分かると思ってないというか。
うちらだって論文とかで
同じこと書けないですよね。
そうそう思います。
それは結構普段から思ってるんですよ。
大学って
我々もそうだけど、
論理的なところを訓練していくっていう。
そうですね。
なかなか
そこにギャップがあるなみたいな。
いろんな話
聞いてもらいたすぎて、
いろいろあるんですけど、
終盤なんですけど、
聞いてもらいたい話が
いろいろあるんですよ。
今これポッドキャストで配信してるんですけど、
ポッドキャストって
すごいいいなって思うんですよね。
科学的な発信に。
そもそも尺が長くても
聞いてくれる人は聞いてくれるし、
今も1時間ぐらい話してるんですけど、
1時間って短い方で2時間3時間の番組あるぐらいなんで、
もごもごすらも伝わるというか、
さっきの文字情報だけじゃない、
僕も常に何か言った後で、
いやこれはこういう人に限られてるんですけどね、
サンプル少ないんですけどね、
注釈をどんどん喋りながら変えていくみたいなのを
許されてるメディアだなと思ってて、
もう少し科学的な発信と
疑似科学の信念の背景
ポッドキャストみたいなメディアの
伝わればいいなみたいなのを
1発信者としても
聞いてもらいたかったです。
それは鋭い質問ですね。
僕も別の理由で
音のメリットって
結構多分再注目される時が
来るんだろうなって思ってて、
っていうのは
今自分がやってるプロジェクトの1個で、
牛乳とか乳製品業界の
業界に働いてる人たちに
ちょっと科学リテラシー、情報リテラシー
みたいなもののコンテンツを
提供しようみたいなことをやってる。
その時に
例えばラクノオカさんで牧場で働いてる方が
映像でいちいち
映像を確認する方はしないし
そんな暇ない方が多いから、でも
音だったらなんとなく聞けるそうだな
とかって思ったりして。
音がいいの、それで
今みたいにこういうダラダラ話してる
たりとかっていうことも
含められるっていう良さも
あるし
例えば
こういうトークというか
コミュニケーションを取ってるという
過程が面白かったりしますよね
人の話を聞くとかって
そういう意味で言うと
こういうポッドキャストは初めてですけど
ラジオ番組に近いですよね
ラジオ番組に近いけど
もうちょっと生のコミュニケーションの
側面が強いみたいなのは
需要はめっちゃある感じがしますよね
それを
上手いこと使いたいんですよね
僕も
その辺りとかで
山本さんとコラボできたらすごい
嬉しいですね
いいかも
どういう話
輸入業界の人にも
どういう感じのコンテンツを作れば
それを見てもらえるかっていう
そこに結構悩んでて
今だからそういう意味で
ポッドキャストに限らず
ちょっと模索してるって感じですね
そうですね
ありがとうございます
1時間経っちゃったんですけど
山本さんとは遠いように見えて
やってらっしゃることへの
興味とか
市民の方ともコミュニケーション取ってきた
すごいリスペクトしていて
いろいろと
意見交換をさせていただきたいなと
ポッドキャストじゃなくて
普通にいろいろ
勉強になるので
ポッドキャストでもいいけど
せっかくだから公開しながら
科学リテラシー向上のアイディア
そういう風に
重なる部分とかあるので
最後に感想を聞かせていただいていいですか
ポッドキャストをやっているというつもりは
全然ありませんでした
それぐらいが嬉しいかも
そのほうがいいですよね
プロじゃないから下手になっちゃうし
これぐらいの
だらだら感で話せると一番いいですね
普通にオンラインデビューをやってる感じで
話しまして
ありがとうございます
自分がオンライン形式で
例えば講演とかを
一般の方が演出するときは
前途は全然違いますね
それは何が違うのかって今思ったら
Zoomとかと
みんな名前でリアクションが見えないから
当然相手側の声も聞こえない
基本一方通行になっちゃうので
それはね
毎回緊張するんですよね
やってて感触がつかめないから
ボケても笑ってるのかどうかわからない
確かに
そういう不安がいつもある
聞き手が一人いるだけでも
もしかしたらしゃべり方とか
伝え方とかも違うかもしれない
違うと思いました
個人的には
ポッドキャストとか研究者みんなに
やってほしいなっていう
運動をそろそろしたいなっていう
大学の授業全部聞いていいよね
大学の授業
研究者同士があるトピックで
話してくださいっていうのを
それでいいじゃんっていう
いいですよね
そう思います
山本さんのポッドキャストも
近々聞けることを楽しみにしまして
他なんかありますか?
宣伝というかお知らせなど
せっかくなんで
ネットで疑似科学って調べていただければ
多分うちのサイトが上のほうに来るんですけど
ちょっと今あんまりそっちのサイトの
何て言うんですか
重りというか
いろいろたくさんたまってることがたくさんあって
そこはね
ひとわり先生を見習って
寄付を募ったりとかね
そういうのをしていかなくて
労力がないんですよね
ちょっとそのあたりが
頑張りますので何かしらご意見とかアイディアがあれば
ぜひお気軽に連絡いただければと思います
本当にでも
ぜひそれもお願いします
っていうのとあとは
ご著書もとても面白かったので
皆さんにぜひ読んでいただきたいなと
思いますね
そうなんだ100円
悪くないっすね
商業出版なので
素晴らしい
ぜひ皆さんそっちもチェックしていただきたいなと思います
という感じで今日は山本北郎先生に来ていただきました
山本さん今日はありがとうございました
とても楽しかったです
またしゃべりましょう
ぜひお願いします
ありがとうございました