アンネ・フランクハウスの訪問
おはようございます、心理学者のじんぺーです。
普段は心理学のキーワードを毎日一つずつ紹介しています。
今日は、雑談をしたいと思います。
そんな自信を持って雑談とか言わなくてもいいかなと思うんですけど。
オランダに行ってきまして、その話をまたさせてもらいたいなと思います。
またといったのは、先日生放送でもいろんなアートの話をしたんですけど、
今日は最終日に行ったアンネ・フランクハウスの話をちょっとしてみたいなと思いました。
そこで何を感じたのかとか、アンネ・フランクについて、皆さんの方が僕より詳しいかなと思うくらいなんですけど、
もし知らなかったということもあるかもしれませんので、簡単にシェアしたいなと思います。
本題に入る前にお知らせをさせてください。
今日は対談があります。
一つは武田雅文さんと17時、夕方5時から。
もう一つは夜の8時から、小谷瑞希さんと話すことになっています。
武田さんの方は5時からね、武田さんのチャンネルでやると思います。
多分30分くらいなんじゃないかなと思います。
まだ予約してないから、この撮ってる時点では。
もしかしたらYouTubeになるかもしれませんので、
もしどうしてもリアルタイムで見たいという方は、
ボイシーとYouTubeどっちも貼っておいてもらえるといいかなと思います。
小谷さんとの対談は僕のチャンネルで8時からやりますので、ぜひこちらで集まってもらえればと思います。
よろしくお願いします。
では、アンネ・フランクハウスの話をしたいと思います。
実はね、アンネ・フランクとかアンネの日記というものについて、
あまり詳しくないんですよね、今でも。
小学校のね、中学生とか特にひどかったと思うんですけどね、
本をほとんど読まない。
国語が一番苦手だし、あまり好きでもないみたいなね。
アンネ・フランクとかアンネの日記くらい読んだときだと思うんですけど、
そんなに読んでない。
多分ね、チラッと教室にあるのをペラペラめくるくらい押してたと思うんですけど、
全く印象に残ってないような、そんな人です、自分は。
この間の週末にオランダに行って、アムステルダムと言ってる人はちょっと飽きてきたんですけど、
アンネ・フランクハウスというのがアムステルダムの市、
結構中心地の近くにあって、
なんでアムステルダムにあるかというと、
アンネ・フランクはもともとドイツで生まれたって言ってたね、フランクフルトかな。
ユダヤ人ですと。
第二次世界大戦が始まる前くらい、
ナチスが政権を取ったときくらいに、
身の気を感じてというか、亡命をしようとしてアムステルダムの方に来たと。
そこの家があったわけです。
家というよりも隠れ家ですよね。
があるのがアムステルダムだったと。
その隠れ家、実際に2年くらいかな、住んでいた、というより隠れていた場所を、
今はミュージアム、博物館とも美術館ではないね、
博物館の方が近いかな、になっている。
大きな場所ではなくて、1時間くらいでね、1時間もかかってないかな、
音声ガイド付きだったんですけど、それでも1時間弱くらいで見て回れるくらいの場所なんですけど、
多くの方がね、フランクが実際にいたという場所に訪れると。
そういう場所です、まずね。
空想の力と人間の思いやり
いろいろと思ったこととか感じたことはあるんですけど、
あまりメモとかでまとめてもないんですけど、
思いついた順番にしゃべりたいと思いますが、
まずね、何かを書くっていうこと。
あとは、アンネは空想の力がとても強いというふうに言われてますというか、
そういう文章を読めばわかると思うんですけど、
空想の力というのが、ニアリー・イコール生きる希望みたいな感じだなというのを強く感じるミュージアムだったなと思います。
2年間、いつ見つかるかわからない。
日中はね、隠れ家の1階のところが授業所みたいになってて、
人が出入りするんですよね。
その中には、アンネたちを匿ってるというか、
存在は知ってるけど黙っててくれてる人もいれば、
もう全然そんなことも知らない人たちもいて、
だからその人たちが働いてる間は静かにしないといけないっていうね、
それを2年ぐらいの間やっていたっていう、
本当に想像を絶するような、
毎日怖いし、外にも出れないし、
娯楽がある方いればそんなにないしね、
ラジオとかがあったりとか、
本を読んでたりとかっていうのは書いてたけど、
それでもとても閉塞的な時間、
それを乗り越えるための日記をつける。
短編小説とか書いてたとかって言われてましたけど、
空想するっていうことの力がすごいなと、
空想の友人みたいなキティを作って会話していたとかね、
そういうのも含めて、
こんなに恐怖を乗り越えたりとか、
乗り越えなくても耐えるっていうことに直結してるなというふうに感じました。
これはね、自分のとても好きな
夜と霧っていう本があるんですけど、
そのフランクル、ビクトル・フランクルっていう、
彼はね、生き延びてそういう本を書くに至ったんですけど、
フランクルが言ってるようなこととも繋がるなと思いますと、
っていうのが大きいかなですね。
あとは結局、母親とか家族が見つかってしまって、
強制収容所とかに移されて、最後は亡くなってしまう。
夫とフランクというのはお父さんだけが生き残る。
それはそれでね、とても辛かったと思うんですけど、
家族が亡くなったってことを知った時とかね、
でも生き残る。それはとても尊いことですよね。
この写真とかね、映像もまさにアンネたちが写ってたわけじゃないんですけど、
当時のこのヒトラーの映像とかがあって、
割とリアルにね、想像できるところとかもあって、
そのやっぱり、例えば隠れ家にいたんだけども、
そこに人なのか、とにかく連行する人たちが来た時の恐怖とかをね、
想像するともう、言葉にもできないね、
想像を絶するような恐怖というか、
絶望感みたいなことがあったんだろうなと想像したりとか、
あとは収容所に運ばれる列車の中はもちろん人権がないですよ、
もう牛乳詰めでみたいなことを想像したりとか、
数日間それで移動してね、
その間に何考えてたんだろうとか、
オッド・フランクとお父さんとアンネとね、
アンネのお姉ちゃんがマルゴーと言いますけど、
別れる時に何を思ったんだろうとかね、
一つ一つ想像すると悲しいしね、
ギュッと目が締まるようなね、締め付けられるような思いでした。
それは、もちろんアンネの日記とか読んでもそうだと思いますけど、
場所に行って生々しさを感じれたなというふうにも思っています。
あとはちょっと方向性を変えるというか、
また別角度で考えたいなと考えたことがあって、
隠まっていた人たちのことが本当にすごいなと思いました。
自分も隠まっていたことがバレたらどうなるかわからない状況ですよね。
何人かいらっしゃって、その人たちは全員だろうかな、
刑務所に入れられたけど殺されたりはしなかった。
その人たちのインタビュー映像とか残っていましたね。
何でそういうことをしたのかというところに対して、
大切な人たちが困っている、
その人たちを助けられる手段がもしかしたら自分にしかないとするんだとしたら、
やらない小道はないよねということを言っていましたね。
何てすごい人なんだろうと思いましたね。
自分がそういう状況に、もしわからたときに同じようにいけるのかということも考えましたね。
同じくらい恐怖があったんじゃないのかなと思いますね。
虐殺のこととかナチスのこととかヒトロのこととか考えると、
人間の愚かという言葉だけれども、これも進めできないんですよね。
複雑だし、1個の事象で進めできることではないんですけど、
残酷なところが多いなと思うこともあるんですけど、
でも一方で目の前にいる人を、自分の命とかが危なくなってまでも助けたいと思う人がいるという、
そういうのは希望も感じますし、そういう人になりたいなと思いましたね。
だからそう考えると、今日は心理学の話をしているつもりではなかったんですけど、
人の心にとても関連するような話にもなったかなと。後付けですけどね。
空想の力とか、自分の研究とか関心ごとにもっと寄せて言うと、
アートの力とか、美しいものの力ということかもしれない、
はアンネ・フランクを通して感じましたし、
人が人を思う力というか、それを行動に移そうとする力というのが尊いなと思いました。
映画とアンネの影響
なかなか行く機会はないかなと思うんですけど、日本からだとね。
もしアムステルダムとかヨーロッパに来る機会があれば、
ぜひそういう場所もあるんだということを覚えておいてもらえると嬉しいなと思います。
ちなみに今回アンネの日記はね、実はまだ読めてないですけど、読まないとなと思ってます。
あとは映画を1個見ました。
これもアンネの日記っていうタイトルとか、ルイージの映画はたくさんあるんですけど、
サクッとと言うとあれですけど、予習で見たいなと思って見た映画があって、
割と最近、5年くらい前かな、アニメですね。
アンネフランクと旅する日記というのを見ていきました。
これも面白かったですね。おすすめです。
ちょっとフィクションなんですけど、でも当時のことがわかるし、
アムステルダムの街も結構出てきて、ここかという感じでね、街に行った時に思ったので、
これはもうぜひおすすめです。
そんな感じかな。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今日もいい1日にしていきましょう。
じゅんぺいでした。心を込めて。