ゴシップと社会の反応
おはようございます。心理学者のじんぺーです。
普段は心理学の研究の紹介をしております。
今日は雑談ですね。
なかなかバタバタした毎日を過ごさせてもらっているんですけど、
歩きながら撮らせてください。
本当に雑談なので、興味のある方だけで大丈夫なんですけども、
SNSを見て思うことがちょっとあって、
少し自分の考えとかを整理してみたいなと思っている次第です。
あまりまとまってもないかもしれないです。ご了承ください。
何の話かというと、今に始まったことではないんですが、
ゴシップネタがたくさんあるわけですよね。
最近、別に具体名を出す必要はないのかもしれないんですけど、
芸能人の方がグリーン関係にあったかもしれないと。
多分、本人たちは否定をしていたりするので、
それを確定させることは難しいと思うし、
別にどっちかということにあまり興味がないんですけど、
それを取り巻く社会というと主語がやや大きいんですけど、
そういう人たちの反応とかにすごく違和感があります。
この違和感というのが、
何でそういうことに興味があるんだろうとか、
何で批判するんだろうということでもないんですよね。
というよりも、そういう人の不幸的なこととか、不祥事とかに、
不祥事っぽいことですね、今回でいうと。
特にネガティブなことというのは、
興味を引き付けるというのが人の心からしてそうなっているはずなので、
そういったことは別にいいんじゃないのかなと思わないけど、
理解はできるというか、
そういうふうになるよねっていう人ってそうだよねっていうことはあるんですよ。
だけど、それ以上にすごく違和感があるというか、
ギャップを感じるのが、
自分の周りとか自分のフォローしている人とかで、
そういった問題があったときに叩いたりとか、
そういうのについて言及する人ってほとんどいないんですよね。
全く、本当に全くと言っていいと思うんですけど、
全くそういうのを叩かない人たちが僕の周りではマジョリティなんですよ。
そうあるべきというか、そうだよねって別に個人の問題ではねということで、
片付けて自分のやっていることとかに集中すると言いますか、
他人は他人、自分は自分というふうな人が圧倒的に多いと思うし、
自分もそうだと思うしそうありたいと思うんですけど、
そういう自分が見えている世界と、
ツイッターとかで見ている世界とがあまりにもギャップがありすぎて、
そういう投稿とかについているコメントとかってだいたいネガティブなもので、
なんでまだ顔を見せているんだとか、早く退場してくださいとか、
今回も結局活動自粛みたいなことになったと思うんですね、ご本人たちが。
ちょっとあまりこういうのさえ最新情報できたらいいんですけど、
僕の知っている段階では否定をしていたと思うんですよね。
にも関わらず、もう出てくるなとなる。
最終的にそうなってしまうと。
いうことに、すごくこのギャップがあるなというところに、
違和感というか、変だなって思っているというのが、
今日ちょっと言いたかったことですね。
足の引っ張り合いの影響
自分の見えている世界というのがすごく狭い、
むしろこっちが特殊なんだろうなって思うぐらい。
例えば西野さんとか美奈子さんとか、
僕すごく昔からフォローしてますけど、
絶対そういうことに加担しないというか、
むしろゴシップを取る側については批判はたくさんされていると思うんですけど、
そういう人というのがよく見えるはずなんだけど、
僕の中では全然そうではないんだなというのを改めて今回ね、
やっぱり今回もフェードアウトさせていってしまうんだなという、
この社会の人たちというか、声というのは思いましたね。
僕は芸能人とか全然わからないところもあるんですけど、
でも映画とかドラマとかすごい好きなので、
そういった才能ある人たちがこういった理由で見れなくなってしまうというのはすごく悲しいなというのは、
それも含めてプロ意識と言われればそうなのかもしれないんですけど、
個人的にはそういう気持ちでいますかね。
もう少し話を膨らませてみるというか、
こういうところから考えたいなと思うのは、
この間尾形さん、尾形社長のボイシーのね、
かぐしゅんさん、サボさんたちの対談を聞いてたんですけど、
その中でも尾形さんよく言っている話だと思うんですけど、
アメリカとかは政治とかビジネスのニュースがよく見られるんだけども、
日本というのはゴシップとかスポーツのネタばっかりだと。
今回の研文はそういうのの一環だと思うんですけど、
この一発退場の場所で頑張りたいって思えなくなると思うんですよね。
僕は結構そうなんですよ。
これは僕がそんなに有名人なわけでもないし、
そうなるとも思わないですけど、
顕著な例なだけであって、
小さいことで言うとすごくたくさん既に起こっている。
ちょっと抽象化して言うと、
足の引っ張り合いみたいなことだと思うんですけど、
別に気にしなくてもいい。
ちょっと離れた他人の行動を気にして、
石を投げると、足を引っ張るということがね、
大抽象様々あって、
今回の文春の話を聞いていると、
すごい大きな例だと思うんですけど、
そうじゃないこともたくさん起こっていて、
そんな場所で頑張りたいって、
若者は思えないんじゃないのって僕は思うし、
僕はだからこそ、
ドイツに来た理由って別に一つじゃないというか、
100個ぐらいあるとしての、
多分50位ぐらいの理由ではあると思うんですけど、
全然その、
不可的な理由の一つではあるはずですが、
一つには多分入っていると思うんですよね。
足を引っ張られるところで頑張ろうと思えないというか、
これは大きな社会の話だと思いつつも、
身近な話題としても捉えられるような話だなと思って、
今回まで聞いていました。
ドイツ移住の理由
ちょっと移動しました、バスに乗りました。
だからといって何か変えるってことはね、
すぐにはないんですけど、
変えたというか、
そういうことへの反応の一つでもあったのかなというのをね、
ちょっとだけ思ってますかね。
VCとか、こういうプラットフォームに依存するところもあって、
ここにいる、聞いてくださっている方とかね、
パーソナリティの方というのは、
自分の活動に誇りを持っていたりとか、
何か人がやっていることにね、
過度にちょっかい出すというか、
気にするというよりも、
自分の道を進んでいるような感じがする。
それがすごく好きだし、
いざそれが応援が欲しいとなったときに、
応援をしてくださる人もいるしね、
こうするという人もいるし、
今は僕が応援する番で、
でも今は逆に応援される番でというか、
そういう関係性がすごく好きだなと思って、
ここでもう少し頑張りたいなと思っているという感じですかね。
あまりこういうネタに突っ込む必要はないのかなと思いつつも、
ちょっとだけ抽象化しながら考えてみると、
また新しいことも見えてくるかなと思って話してみました。
そろそろ大学に着くので、切りたいと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今日もいい1日をお過ごしください。
じゅんぺいでした。心を込めて。