ようこそ、自己理解を深める心理学ラジオへ。このポッドキャストは、個性の裏表を認めて味わう人を増やすために、株式会社自己理解で自己理解コーチとして活動する配信者が、自身やクライアントの自己理解を深めるべく探求し始めた心理学をテーマにお話をする番組です。
テーマに興味のある方や、同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば幸いです。
はい、今日も聞いていただいてありがとうございます。
今日のテーマはですね、発達心理学の分野から、発達過程で子どもが身につけるものについて認知発達理論を紹介しながら、自己理解を深める視点でご紹介したいと思います。
参考書籍は変わらず、図解心理学用語大全を使わせていただいていますが、前回まではね、第一テーマが認知心理学というものだったんですけども、今回からは発達心理学というテーマを取り扱っていきたいと思います。
今日はね、そんな発達心理学の中でも初回になる、ジャン・ピアジェさん、スイスの心理学者で、1896年から1980年まで活躍された方が提唱された認知発達理論について取り上げていきたいと思います。
このピアジェさんの認知発達理論はですね、発達心理学の祖となった非常に重要な考え方です。
子どもの思考に関する認知だったり発達を4段階に分けて考えて理論化されたのが、このピアジェさんの説になります。
私は収録時点で4歳半になる息子がいるんですけども、まさにこの発達段階を踏んできているなという、そんな感覚があって、
お子さんのね、いらっしゃる方は、自身のお子さんの年齢に対する発達の様子なんかを思い出していただきながら、聞いていただくと文に落ちるんじゃないかなと思いますし、
お子さんいらっしゃらない方なんかは、子どもっていうのはこういう風に発達をしていくんだなという風に聞いていただけると嬉しいなと思います。
全体で4段階ありまして、1段階目が感覚運動器というものです。
これは書籍によると0から2歳頃となってまして、見えるものや触れられるものを通して下界に適応していく時期がされています。
例えばですけども、ぬいぐるみなんかを使って一人で遊ぶような感じですね。
この頃は子どもが知覚できないものは、世の中に存在していないものという風にされるということです。
ちっちゃい子どもって本当に目の前のことしか見えてないし、それが全てっていう感じありますよね。
なので、突然目の前からお母さんの姿が消えたら、人生が終わったみたいに大泣きするような、あの様子も私の息子については見られたかなと思いますし、
それがかわいらしかったりするなという風に思います。
そして第2段階、全操作器です。
これは2歳から6歳頃の時期とされていまして、
言語を用いて物事を考えられるようになる時期で、自己中心性が生まれる時期とされています。
例えばですけども、子ども同士でおもちゃの取り合いが始まったり、
2人ともあれですね、自分のだという風に思って、誰のものでもない保育園のおもちゃとかを取り合ったり、
例えばリンゴが1つのものと半分に割れたものがあって、2つだからこっちの方が多いから、これが僕の食べる方っていうそんな感じで、
まさにうちの息子なんかもリンゴを切り分けて朝ごはんで出したりすると、一番大きいやつがこれ僕のっていう風に、
自分のことだけを考えて、自分が一番得するように動くというそんな時期かなと思いますね。
この自己中心的ってすごく大人の世界では良くないことというか、我がままの象徴として言葉で言われますけども、
発達の過程では非常に重要な自分を中心に考えられる時期が来ないと、次客観的だったり他者への配慮みたいなことが身についていかないと、
そんなことが言えるということですね。
そして第3の段階ですね。これが具体的捜査機と言って、7歳から11歳ごろに訪れるとされています。
これは客観的、論理的に考えられるようになる時期ということです。
例えば先ほど全捜査機、2歳から6歳ごろには保育園のおもちゃを取り合っていた子どもたちも、
この具体的捜査機になると、先に遊んでいいよ、ありがとうみたいな、ちょっと親子的なやり取りっていうんですかね。
客観性が生まれて、自分が全てではないというそんな状況になってきます。
あとは保存の概念というものが生まれたりして、
例えば1個のリンゴ、同じ大きさのリンゴを半分に割った時に、
全捜査機の子どもは2つの方がこっちの方が多いというふうに答えるのに対して、
保存の概念が身についている具体的捜査機の子どもは足したら同じ体積だから、量は同じだというふうに論理的に考えられるということですね。
これ結構すごいことですよね。
うちの息子はまだ具体的捜査機の年ではないので、まだなんですけれども、
通っている地域のところの教育の一環で、これとこれって同じ違うみたいなことが先生から投げかけられているのを目にします。
これって保存の概念を論理的に学ばせてるんじゃないかななんて、この参考書籍を読んだ時に感じました。
そして自己中心性が離れていく過程みたいなところを少し補足すると、
例えば5歳の子ども、全捜査機にいる子どもはですね、保育園の先生が右と左に別の図を持って、
こっちから見える景色はどっちみたいなことを、何か立体的な積み木なんかを前にして指し示すと、
あくまで自分から見えている景色を他の人も見えていると思って、目の前の景色と同じものを選ぶんだけれども、
7歳、8歳の具体的捜査機にある子どもは、向こうから見た絵は自分から見た絵と違うということが論理的に認識できるので、
自分から見ていない方の図を指さすみたいな、そんな実験があったみたいですね。
自分の立場からだけで見たり考えようとするかしないかみたいなところは、
この自己中心性から離れて正常に発達しているのか、みたいなところがポイントになりそうです。
そして最後の第4段階、形式的捜査機、これは11歳以降に訪れるとされていますけれども、
具体的なものではなくて、抽象的な概念、目に見えないものなんかでも論理的に考えられるようになる時期というふうにされています。
例えば、もし地球が存在していなかったら、僕も存在していないとか、
自分の外側の世界とか目に見えない世界についても思い馳せられるというのが、この形式的捜査機の特徴なのかなというふうに思います。
今、0歳から11歳以降まで、感覚運動機、全捜査機、具体的捜査機、形式的捜査機と4つの段階を簡単に紹介してきましたけれども、
ペヤジェさんが言っているのは、この段階を一つ一つ上っていく、
ここで得られる視点を一つ一つ獲得していくことが非常に重要だというふうに述べているんですね。
1つ目の感覚運動機では体感とか知覚、2つ目の全捜査機ではある意味自己中心的な主観、
そして3段目の具体的捜査機では自己中心から離れた客観性、論理性、
4つ目の形式的捜査機では抽象的な概念、考え方みたいなところをそれぞれ獲得していくことが重要だということを述べていたり、
あともう一つペヤジェさんが名言を残されているのが、子どもは小さな大人ではないというそんな言葉を何度も残していて、
つまり子どもの思考というのは大人と根本的に違って発達段階によって正解とされる、
その子が見ている世界が大人とはそもそも違うんだと、
だからこそ子どもならではの世界観を大切にして関わっていくべきだというふうに主張をしたんですね。
これを見て本当に一親としてすごく大人の理論とか大人の基準でついつい子どもに接したりしてしまいますけれども、
例えば今4歳半の息子ですけれども、この段階では第2段階の全捜査機、自己中心性が生まれて、
その自分中心の見方しかできないはずなのに、
全体のこととか親のことを考えて動いてよとか、先に今ここで服を着ておかないと間に合わないでしょみたいな、
そんなことをついつい急いで家を出る時とかは大人って私も含めて言ってしまうなというふうに思って、
彼は今自分から見た視点を身につけている最中ですし、そこを体得しないままに次に次に進ませようとしても、
自分の主観で生きられない人生をたどることになってしまうのかなということを書籍を読みながら思ったので、
子どもの関わり方は非常に注意が必要だなというふうに思いますし、
段階が写ってきているなという兆し、例えば少し客観的に見れるようになってきたななんていうことを子育ての中で発見したら、
次の関わりをストレッチして試してみるということが積極的にやっていきたいなというふうに思いました。
あとは自己理解につなげる観点でいくと、この体感、知覚、主観、客観、中傷みたいなところのどこが少し弱いのかというところを、
ご自身の発達過程を振り返ることで、その当時身につけてきたのか、しっかりとというところを振り返ることで、
自己理解が深まるんじゃないかなと思っています。
例えば話し手である私の例でいくと、客観的なところが少し弱いなというふうに思っていて、
そうするとこの7歳から11歳の具体的捜査期のところですね、論的に考えることは結構できるんですけれども、
やっぱりまだまだ主観が強くて客観的に考えるということが結構苦手だなという感じがあります。
なのでこの時の育ちみたいなところに、例えばおもちゃをね、先に遊んでいいよありがとうみたいな、
自分だけじゃない人との関わりを通して、自分だけの世界じゃないんだみたいなことをしっかり身につけられていたのかなとか、
社会性って体得できてたのかなみたいなことを振り返ってみると、
自分への理解がなんでそういう性質を今持っているのかというところが、
少し構っていくんじゃないかなと改めて思いました。
ぜひ皆さんの自己理解を深める視点に参考にしていただけたらなと思います。
今日はこの辺で終わりたいと思います。
ここまで聞いていただいてありがとうございました。また次回の放送でお会いしましょう。さよなら。