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  2. #24 自己理解を経て抜け出した..
2025-06-30 33:31

#24 自己理解を経て抜け出した人生の闇についての対話(ゲスト:長尾コーチ)

月末配信回では、ゲストをお迎えして心理学雑談をお送りします。今回のゲストは、株式会社ジコリカイの長尾裕士(ながお・ゆうじ)コーチです。


(ゲスト紹介)

大学卒業後、大手物流企業に入社。その後、2度の転職経験から「誰と働くか、どこで働くかは大切。人生の大事な選択を手伝う仕事がしたい。」と感じ人材エージェントでキャリアコンサルタントに。マネジメント職を経て、新規事業立ち上げに従事する中「自分がやりたいことはこれだったのか?」と道を見失った時に自己理解プログラムに出会う。プログラムを通し、「20年探し続けていた本当にやりたいこと」「25年見失っていた自分自身」を手に入れプロコーチとして独立。コーチ紹介ページはこちら


(配信者紹介)

兵庫県出身、京都府在住。一児の父。ひふみコーチ株式会社認定 プロフェッショナルコーチ。大学卒業後に大手ビール会社へ入社、現在はクラフトビールを始めとした酒類全般の営業に加え、2023年より自己理解コーチとして活動開始。プロコーチとしては通算100名以上のクライアントに対して、累計500時間以上の有料セッションを提供。複業家の友人との共同Podcast『パラレルワーカーの本音』も配信中。ストレングスファインダー®の1位は最上志向。自己理解コーチとしての自己紹介やnote・Instagram等のSNSについてはこちら


(番組詳細)

このPodcastは、「個性のウラオモテを認めて味わう人を増やす」ために、株式会社ジコリカイで“自己理解コーチ”として活動する配信者が、自身やクライアントの「自己理解」を深めるべく探究し始めた「心理学」をテーマにお話しする番組です。毎月ひと桁目に1がつく日の朝に配信、月末はゲストをお迎えして心理学に関する雑談をお送りします。テーマに興味のある方や同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば嬉しいです。「自己理解プログラム」に興味をお持ちの方はこちら


※株式会社ジコリカイが運営する番組ではございません


サマリー

このエピソードでは、長尾コーチが自己理解の重要性や自身の過去のトラウマについて語っています。彼は心理学の視点を通じて、聞き手に希望を与えることを目指しており、特に自身の暗い過去や親としての苦悩を明らかにしています。長尾コーチは、自己理解を通じて自身の幼少期の経験や家族との関係から生じた闇を振り返り、その過程で見つけた自己愛と再生の重要性について話しています。特に、両親の離婚や孤独感が彼の人生に与えた影響について深く考察し、自己理解プログラムとの出会いがどのように彼を変えたのかを探求しています。長尾コーチを迎えた対話では、自己理解がどのように人生の変化を促進したのかが語られています。また、人間関係や家族との新たな信頼の構築についても触れられ、自己理解の重要性が強調されています。

自己理解の重要性
ようこそ、自己理解を深める心理学ラジオへ。このポッドキャストは、個性の裏表を認めて味わう人を増やすために、株式会社自己理解で自己理解コーチとして活動する配信者が、自身やクライアントの自己理解を深めるべく探求し始めた心理学をテーマにお話をする番組です。
テーマに興味のある方や同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば幸いです。
なお、この番組は株式会社自己理解が運営する番組ではございませんのでご了承ください。
はい、今日はですね月末会ということでゲストをお迎えして心理学雑談をお送りしていきたいと思います。
今日のゲストは株式会社自己理解の長尾裕二コーチです。長尾さんよろしくお願いします。
長尾さんよろしくお願いいたします。
ご出演ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
長尾さんはですね直近まで自己理解コーチのチームではですね秀穂というですねチームを組んで週に1回自己理解のコーチングについて相談し合ったり
検算し合うような会があるんですけどもそこの私のチームリーダー的なものをやっていただいてたコーチでしたね。
そうですね。今ちょっと離れちゃったんで寂しいですね。
そうですね。すごく短い時間でしたがそんな中でねラジオやってることを知っていただいて出ていただいたという形になります。
じゃあ長尾さんの自己紹介をお聞きの皆さんに向けてお願いいたします。
ありがとうございます。改めまして自己理解コーチの長尾と申します。よろしくお願いいたします。
簡単に経歴をお伝えをしたいなと思っていまして僕は大学卒業してですね
最初に大手の物流企業に入りました。
いろいろありましてその後2回転職をしていまして最終的にはヘリアコンサルタントのお仕事をしてたんですよね。
その中で自分が目標とするマネジメント職であるとか新技術を立ち上げにあるとか
そういういろんな経験をさせていただく中で自分がやりたいことこれだったのかなっていう風に
道を見失ってしまって実は打つ状態にもなりました。
そこでどうにかならないかなと思って探しているときに自己理解プログラムに出会ってですね
自己理解コーチをさせていただいているとそんな背景でございます。よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。一度打つになられたんですね。
なっちゃいましたね。
その時の感じは今でも覚えてます?
かなり覚えてますね。
大体何年前ぐらいですか?
これは約4、5年前ですね。
なるほど、なるほど。心理学のラジオなんでそういう気分の波とかね、
好天的な打つみたいなこともこれまでに少し触れたこともあるんですけど
なった人にしかわからないものなんじゃないかなと思いますけどね。
そうですね。
いやいやそんな中で今日はどんなお話をしようかとこの収録の前にね話していたんですが
暗い話が多かったですよね。
いやー闇ですね。
闇をもうこの際ね自己開示して聞いてる人が楽しいかは一回置いといてですね。
同じようにこう闇をね経験している方とか
闇の中にいらっしゃる方が聞いてるかわかりませんが
まあそんなね方に少しでも心理学的なところで希望になればなという発信になるのかならないのかというところで
そうですね。
やっていきますか。
ありがとうございます。
なんかお互いのね共通点みたいなことを話してたんですけど
まず一つは人の親であるということですよね。
そうですね。
こんな未熟な自分が親でいいのかって思うことが私はあるんですけど
永尾さんはなんかどうですか?親としては。
俺はもう開き直ってますね。
どういう風に開き直ってるんですか?
あの僕は子育てに関してはもう自由にしろっての決めてるので
はいはいはいはい。
3つのこと以外は何も言わないぞって決めてるんですよ。
あ、なるほどなるほど。
一つは食事なんですよ。
はいはい。
でもう一つは礼儀なんですね。
最後の一つは言葉なんですよ。
食事、礼儀、言葉ですか?
そうなんです。
もうすごいシンプルなんですけど
食事はね本当大事なので
食事を粗末にすると本当に僕怒るんですよね。
永尾さんがなんか耳だけで聞いてる方はイメージつかないと思いますけど
むちゃくちゃ爽やかで怒ってる顔が想像できないイケメンなんですね。
プロフィールページを見ていただいたら分かるんですが
怒ったらどうなるんですか?永尾さんは。
どうなるかは皆さんの想像にお任せするんですが
僕は一度食事に関して子供に怒った時は
子供がビビりすぎて吐きました。
怖っ。
普段温孔だからこそ怖いやつやんこれ。
いやー多分そうだと思いますね。
食事と何でしたっけ?
礼儀ですね。
礼儀も怖そう。
例えばどんな時に怒るんですか?
でも礼儀も
メイン結構食事の食べ方とか多いですけど
なんか肘ついてるとか
周りがちょっと不快になったりとか
そういうのよくないなと思ってるので
そこは怒らないんですけど注意はしますね。
それで最後は?
言葉ですね。言葉はかなりいますね。
どんなところを注意されるんですかね?
うちの子は今8歳なので
まだちっちゃくてこういろんな言葉を覚えて
意味もわからずに使うんですけど
そうですよね。
やっぱりそこで棘のある言葉とか
あんまり綺麗じゃない言葉を使うこともあるので
それは注意しますね。
小学校の男の子だったらもういろんな言葉を
仕入れてくれるんじゃないですか。世の中から。
しますよね。
どんなふうに使わせない関わりをしていらっしゃるんですか?
本当毎回同じことしか言わないんですけど
言葉を使ってたら
それは使うなよという注意をするのと
自分の使ってる言葉で
自分が決まるよという話を毎回するんですよ。
すごく哲学的なお話を
小学校のお子さんにされてしまうんですね。
でもおっしゃる通りですよね。
使ってる言葉で品格が決まるというかね。
いやいやありがとうございます。
この話が本題かと思いきやですね。
過去のトラウマとその影響
本題が他にはあるんですが
もう一つ心理学的なところでいくと
幼少期、育ちの過程でね
意味がお互いにあると。
今日はそんなところを少し自己開示を踏まえながら
お話ししていきましょうか。
じゃあ僕からちょっと開示をすると
いつからだったかな。
割と父親がタバコを吸ってたんですけど
禁煙をするみたいな過程で
情緒が割と不安定になって
結構もともと切れやすい性格だったらしいんですが
それが子育てのストレスとか
事業がうまくいってなかったのかはちょっと分からないですが
いろんなことが重なって
あんまり感情が安定しなかった時期があったと
母親から聞いてます。
最初僕そのことをあまり覚えてなくて
自己理解プログラムを
自分がこっちになる前に受講して
事実をいろいろ洗い出す。すごく抑え込んでた。
自分の中で見ないようにしてたことに
気づいたというところがありました。
そんな情緒が不安定だった父親から
直接的な暴力ではないんですけども
灰皿投げたり壁蹴ったり
何かあるごとに導火線に火がついて切れる
みたいなことを日常的に凝ってたらしく
それに怯えていたり
いつしか諦めて避けるようになっていたり
そんなことを幼少期経験して
その経験はすごく自分の中の
人格形成というか
悪いところで言うと逃げ癖とかですね
相手の感情とか気持ちが触れた時に
すぐ避けてしまうとかですね
あとは面倒なことからは結構見ないようにして
避けて通るとか
そういう性格に効いてきたなという感じが
ありますが
私の自己開示はそんな感じですね
金岡さんはあれですかね
あまり覚えてはないというような
表現もあったのかなと思うんですけど
本当に覚えてはないんですか
覚えてなかったんですが
事実を母親に教えてもらって
そうすると思い出してきたというか
蘇ることも出てきましたね
それまでは本当にそんなに
本当に意識したことが
なかったんですかね
あんまり認識意識をしてしたことがなかったですね
すごい共感がありまして
僕も過去の記憶は薄くてですね
物覚えがよくない方なんですけど
ここも共通点だなと感じましたね
そうですね
やっぱり心理学的にはね
自我を守るために人がよく取るパターンって
結構人によるんですけど
防衛規制って言うんですけどね
自我が崩壊を防ぐために
心理的な防衛策を取っている中の一つに
抑圧っていうのがありまして
不愉快な体験とか記憶を
無意識の領域に押し込んで
忘れようとする心の動き
まさに今我々が言ってるのって
過去のつらかった経験とか
不条理なことを抑圧して
無意識に押し込んでたんじゃないかなと
でも自己理解をする過程で
これ避けては通れないので
こう出てきて健在意識に上がってきたってことを
なんだろうなと思いますね
これ1個聞いてもいいですか?
健在意識に思い出して
出てきたときに
金岡さんはそれをどう受け止めたんですか?
いやー結構それは衝撃でしたね
自己理解プログラムを受けている過程で
モチベーショングラフって言うんですけど
経験と感情を一切洗い出すワークをする中で
一周目書いた中では出てこず
母親に電話をしたときに
そういえばこういうこともあったよ
そうなんだそうなんだ
出てきたときに違和感があったというよりも
すごく納得感があったんですね
なんかこう
欠けていた記憶というか
父親に対しての謎の感情
正体のわからない自分の中にあったものが
恐れだったんだとか
そういうものが見えてきたという感じでしたね
ある意味新しい自分との出会いというか
そういう体験だったんですかね
まさにですね
ありがとうございます
中尾さんはどんな闇があって
そこにどういうふうに気づいていった感じなんですか
そうですね
闇があることを認識していまして
記憶はすごくあったわけじゃないんですが
幼少期の影響
断片的な記憶ですよね
この出来事があってそれが影響してるなとか
その時の環境が影響してるなっていうのは
すごく認識があったので
そこは自分の中で元々持っていた闇っていうのは
認識してたかなって感じですね
なるほど
どの段階で認識してた大人になってからってことですか
これは幼少期の10歳ぐらいの時から
闇がありまして
そこから
この自己理解プログラムの
出会って自分でやりたいことをやる
35歳の時ぐらいまでほぼほぼ闇にいましたって感じでしょうかね
かなりその闇の間が長かったんですね
長いですね
もうちょっとね
どういう闇だったかを言える範囲でね
そうですね
まずきっかけになったその10歳の時
っていうのがまず両親の離婚がありまして
そこから家庭環境が大きく変わりました
という生えことがありましてね
元々の実の
父親と母親がいて
私は兄が1人いて
4人家族で暮らしてたんですけど
よくわからないうちに父親からですね
母親の方についていきなさいという風に決められまして
母親を守ってあげてねというメッセージとともに
急に家が変わったというのがありましたね
それが
何歳の頃
これが10歳の時でしたね
小学校ですよね
そうですね4年生ぐらいでしょうかね
なるほど
お兄ちゃんとも当然離れ離れですよね
そうですねそこから一緒に暮らしてないですね
そういう経緯があったものですから
じゃあ母親との2人暮らしが始まるのかなと
いう風に思いながら
しっかりしなきゃなとうっすら思っていたところですね
3日後に新しいお父さんが来ると
そういう経験がありまして
3日後に来た
そうなんですよ
そこから謎の3人生活が始まってですね
いったというのと
もともと先天的に
ネガティブに捉えるという才能があったんだと思うんですが
そういう自分の傾向と
あと両親のすごい熱血教育というか
100点以外はゴミだという発言をするタイプの
両親でもあったので
新しい両親
これは母親がもともとそうだったんですが
母親が
母親が
もともとそうだったんですが
それがもともと兄に注がれていたけど
私だけになったので私に来るようになったという
タイプで
そこも含めて
生活も全部変わったということがありましたね
なるほど
いろいろ辛いポイントがある
一番グッときたのはどんなところだったんですか
そうですね
一番加速させたのは
人との関わりがなくなったということだと思っていて
もともと
友達とすごく遊ぶタイプの子供で
毎日のように遊んでて
家に10人ぐらい連れてくるぐらいの
感じだったんですが
転校して環境が変わり
勉強しなければならない
自己理解の重要性
という風になりまして
誰とも遊ばなくなり
勉強する時間だけになり
両親への不信から両親との関わりがなくなるということで
一人で過ごす時間が
全部になりましたね
なるほど
お兄さんもそばからいなくなり
両親もそれぞれ信用できない部分があり
友達と遊ぶ時間もなくなり
それはもう孤独になりますよね
孤独を感じましたね
それが結構続いたってことですか
そうですね
それもずっと続いていまして
その感覚から抜け出し切れずですね
小学校時代はそのまま
長いトンネルの中を進んでいるような
感覚でしたね
なるほど
ちょっと天気があったとしたら
それはどのタイミングだったんですか
天気があったのはですね
中学生になった時に環境が変わったというのと
ある意味リセットされるというか
ということがあったので
とはいえね
35歳くらいまで闇が続いていたって話でしたが
どんな風に闇は続いていったんですか
やっぱりこの幼少期の
両親への不信というところで
自分の存在みたいなものを
価値がないと思う
癖がついてしまってたんですよね
その価値がない自分に
その価値がない自分が
未来を描いていいはずがない
みたいな感覚になってたと思うんですけど
全く未来を描かずですね
何もせず
大学卒業を迎えて
今考えると変な話なんですけど
全く就職する気がなくてですね
はいはいはい
アルバイトでもして省べていければいいかなみたいな
感じだったんですが
それを思い直してですね
10日くらいで就活を終えまして
就職活動したんですね
それは何でしたんですか
周囲からの友人とか
両親とかも含めてなんですけど
強い反対もあり
どうでもいいやってなってるけど
周りが言ったからっていうことだったんですかね
そうですね
本当に何も考えずに
とりあえず東京に行きまして
その時に
企業説明会をやっている企業のところに行きまして
その中から
とりあえず進んだところに入ったという感じですね
なるほどなるほど
その段階でもまだあれですよね多分
価値のない自分には
別に何かをする理由もないみたいな状態で
就職に進んだってことですよね
そうですね
そこからその期間は
どのくらい続くんですか
もう自己否定期間はもうこれは
本当に35歳くらいまでずっとやってましたね
おー
就職して10年以上っていうことですかね
そうですね
本当に10年以上その状態でしたね
とはいえでも結構仕事でもね
成果を残されていると
プロフィールなんかにも書いてありますけど
その過程もやっぱり自己否定は変わらず
今振り返るとなんですけど
その当時はガムシャラにやっている感覚なんですが
自分の存在価値を
出さないと
居場所を失うという恐怖がですね
ものすごくありまして
まさに厳しいお母さんのことで
勉強してないと存在できないみたいな
そういう感じですかね
そうですね
その時はもちろん両親との仲も
回復はしてないので
そこに居場所はないという前提があって
なるほど
自分で生きていけなかったら
もう生きていけなくなるので
会社仕事という場所を失うわけにはいかなくて
なるほど
そんな感覚でやってましたね
それ常にがけっぷちじゃないですけどね
それが天気になったのは
どういう出来事だったんですか
天気は冒頭で少しお話をした
35歳の時の宇宙なんですよね
なるほど
これは仕事をやっていて
家の最寄り駅に着いて
家まで歩いて
20分くらいの距離のところに住んでたんですけど
終電で帰ってきて
駅から歩いて
深夜ですよね
半分くらいまで行ったんですよ
そこから動けなくなりまして
その場で2時間くらい経ってたんです
なるほど
気づいたんですね
これはこのままでは危ないと
気づいたのがきっかけだったかなと思いますね
その日は帰れたんですか何とか
帰れましたね何とか
それ気づいて
その後なんか言える範囲でいいんですけど
どう動いていったんですか
でもこれも
先ほどの居場所がなくなる感覚がずっとあるので
その原動力で
いつも通り働きはするんですよ
その日の後もですか
そうです
精神状態はもうその状態のまま
やっていて
あまりうまくいってないじゃないですか
そうですね
本当に仕事の中でも
一番自分がやりたくないことをやってしまったという
自分の会社の利益のために
顧客に無理をさせてしまったという
やってしまった自分
もうちょっとこれは
愕然としまして
本当にこのままだと
居場所すらなくなるかもしれない
と思ってどうにかならないかなと探し始めて
ヤギさんと出会うのがきっかけですね
そういうことを
病院と出会うじゃなくてヤギさんと出会ったんですね
そうなんです
そこから自己理解に出会っていくわけですか
おっしゃる通りですね
新たな道へのステップ
自己理解である意味あれなんですかね
弱いところを言語化できた
認められたってことなんですか
そうですね
弱いところを認めていいと
自分に許可を出せた
なんで出せたんですか
これはやっぱり
自己理解プログラムを講座してくださった
なるさんの影響が大きいかなと思いますね
本当になるさんは
めちゃくちゃ需要してくるので
そうなんですよね
大きいですね
なるさんの生き様からも勇気をもらったので
そういうところが影響したのかなと思いますね
なるほどですね
お聞きの方で
なるさんって誰やねんっていう方がいらっしゃるんですか
自己理解コーチでね
片田なるとしさんっていう方がいらっしゃって
彼も生きづらさを経験する中で
そういった人を救いたいっていう思いで
校長されていらっしゃる方に
まさに長尾さんが救われたっていう
そんなところですよね
そうですね
そうですか
今結局お仕事
会社員というのは離れられたんでしょうか
そうですね 去年独立をしてますね
そこに至るまではどういったお話があったんですかね
すごい闇から抜け出した後ですね
闇から抜けまして
まず自分のやりたいことの一つである
自己理解コーチというものに慣れて
その活動を通して
価値を届けることができて
っていう体験をしていって
同時に会社員の中では自分の苦手を
さらけ出すことができたので
マネージャー当時やってたんですけど
自分からマネージャーを辞めさせてくださいというのに
伝えることができまして
移動願いを出してですね
自己理解の変化
全く別の仕事に入ることができて
そうですね 新規事業をやらせていただいて
新しい他の方との
人間関係ができて
新しい環境で働くということになった時に
初めから苦手を出して
やることができたので
非常に楽な状態で仕事ができたというのが大きかったですね
なるほど
いいですね 鎧を脱いだ状態でというか
武装した状態でじゃない状態から
入れたということなんですね
そうですね
今まででもそういう生き方したことなかったわけじゃないですか
なかったですね
どうでした?
本当に重さが違うと言いますか
感覚は変わっていて
これまでは自分の存在価値
居場所を守るために
必死でしがみついていたという感覚だったんですけど
その時は
居場所なんてどこにでもあるし
別にここに依存しているわけでもないから
フラットな自分でやろう
みたいな感覚で
軽やかに仕事ができましたね
なるほどですね
家庭の中ではそういう変化がありましたけど
家庭みたいなところでの
永尾さんも何か変化ってありました?
家庭の変化は非常に大きくて
これは後ほど神奈川さんにも聞いてみたいんですけど
うんうん
僕は非常に仲が良くなりました
僕自身がやっぱり
家族というものを信頼しないという
そうですよね
家族に対しても
本当に結構一線を引いていたというか
正直言うと家族は僕のことを
これはもうATMだと思っていると思ってたんですよ
うんうん
いわゆるお金が出てくるみたいな
それぐらいの存在価値だと思ってたんですけど
自分で自分をね
その線を引くことがなくなってすごく良好になったなという感覚ですかね
うわー
そこの変化も起きそうですね
もちろん会社もそうですけどね
いやー
なんか自己理解に救われたみたいな話になりましたね
いやーでも本当に救われてますね
うん
まるっきり違う人生になっていると思いますね
過去との関係性
世界を経てこう
人生少し良い方向に向いてはいるんですけど
終わりはないなという感覚があって
自分と向き合うとか人と向き合うということに
長尾さんの感覚ってどんな感じですか
これは僕も終わりはないっていうのは
すごい共感しますね
ちょっと変わってくるとすれば
僕自身は元々その
自分の中にすごくその
大きな課題があって
そこを超えられていてっていう現状にいるんですけど
そこから
自分を理解する場所が
人を通して理解するっていうフェーズに変わってきたなっていう
感覚ですかね
人を通して
理解するっていうのはどういうことなんですか
自分の大きな特性とか
大事得意好きみたいなところは
理解していてるんですけど
あるコミュニティにいた時の自分と
違うコミュニティにいる時の自分と
なんか違うなとか
この人と話してる時と違うなとか
仮にクライアントがAさんとBさんに対しても
僕はやっぱ違ったりしてて
関係性の中で新しい自分を見つけることが
できているっていうのが
まだ続いてる自己理解だなって感じますね
それもなんかめちゃくちゃ面白いですね
平野圭一郎さんの
軍人主義じゃないですけど
そもそも人の性格っていうのは
存在してなくて
人と人との間に出てくるものが
人間性とか性格であるよ
人の間と書いて人間でしょみたいな
この考え方があるんですけど
そんなことに気づかれていってるような感じがしますね
そうですね
そこも踏まえて
もともと自分が闇の対象にしてた
両親とか
親族家族というものとも関係性を繋いで
生きていきたいなってところが現状ですかね
わーめっちゃわかる
私もトラウマであった父親
もちろん会えなくはないんですよ
会ったら普通に喋るしご飯も食べるんだけども
自分の心の中にはまだわだかまりがあります
収録時点ではね
長尾さんもやっぱり同じ感じですか
そうですね
あまりというのは消えたなという感覚はありますね
消えるもんなんですか
今の自分から見ると
自分が子供の時の両親のことも
理解しているというか
あーわかるわかる
そういうこともあるよなとか
むしろその判断をしてくれてよかったなとも思えてきている
なるほどね
これはもしかしたら
自分の今の状態から自分の過去が
宝物になったじゃないですけど
意味を見出してきたからなのかもしれないし
わかんないですけどね
そこまで僕も行き切れてはないですけど
確実に過去の捉え方は
変わっているなという感じはすごくしますね
いやー深いですね
自己理解だったり
広い意味では心理学
人の心とか関係性みたいなことについて
知るとか
それを自分に適応して
自分と見つめ合ってきたことで
我々二人は変化をしてきたよみたいな
そんなお話でしたかね
ありがとうございます
そうですね
ありがとうございます貴重なお時間いただいて
こちらこそ
じゃあ改めて名古屋さん今日は
あのゲスト出演いただいて深いお話を
一緒にお付き合いいただきありがとうございました
ありがとうございました
お聞きの皆さんもここまで聞いていただいてありがとうございました
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