ようこそ、自己理解を深める心理学ラジオへ。このポッドキャストは、株式会社自己理解で自己理解コーチとして活動する配信者が、自身やクライアントの自己理解を深めるために探求し始めた心理学をテーマにお話しする番組です。
毎月一桁目に1がつく日の朝に配信してまして、月末はゲストをお迎えして心理学に関する雑談をお送りしています。
テーマに興味のある方や同じく対人支援をされている方、自己理解を深めたいと感じている方の参考になれば幸いです。なお、この番組は株式会社自己理解が運営する番組ではございません。
はい、今日も聞いていただいてありがとうございます。今日は月末のゲスト会ということで、自己理解コーチおよび自己理解の修了制コミュニティというところのマネージャーとされている渡辺昭さんにお越しいただいています。渡辺さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
はい、じゃあ簡単に自己紹介をお願いできますか。
はい、先ほどご紹介いただきました渡辺昭と申します。私は自己理解コーチと修了制コミュニティのマネージャーですね。コミュニティができたときからずっとさせていただいておりまして、そんな活動をしながらですね、フリーランスとしていろんな事業をしております。
いろんなというところをちょっと簡単に言うと、ゲストハウスの運営の仕事だったりとか、あとは自己理解のボードゲームを作って、そのボードゲームの活動、そして最近は月1回スナックのママをやっております。はい、こんな私ではございますがよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
すごいですね、コミュニティマネージャーとボードゲームとスナックのママですか。
はい、ありがとうございます。
いろいろパラレルですね。
ママっていうところがすごい気になったんですけど、どんなスナックをされてるんですか。
ありがとうございます。スナックっていうと一見おじさんというか、年配の方がすごい飲んだりカラオケとかしてそうなイメージで考える方も多いんじゃないかなって思うんですけども、
どっちかというとですね、一部そういう人もいるにはいるんですが、私にただの話をしに来る、もしくは相談に乗ってほしいみたいなね、そんな方々が結構来られてて、
ありのままの状態でいろんなことをボール投げてくださるんで、それを高速球で返していくっていうね、そんな会話を繰り広げられるようなそんな場所となっております。
なるほど、結構早く球を投げ返す系のママなんですね。
そうですね、なんか私の才能が結構そういう話してたら思いつくっていうね、きらめきが結構才能としてあって、なので話振られたら振られるだけ、もっとこないやったらいいんじゃないみたいなのがどんどん出てくるので、
スナックのママ調の話し方で会話をさせていただいているような、そんな場所となっています。
いいですね、じゃあ今日はその高知県ママの渡辺さんと雑談をしていきたいなというふうに思います。
渡辺さん、今日お話ししてみたい心理学関連のテーマとかお話ってあります?
ありがとうございます。そうですね、心理学を難しい言葉で語ることは私はちょっとできないんですけども、
今までたくさんの方、自己理解のフランスサポートさせていただいたりとか、あとは修了制コミュニティのメンバーというところで言うと、おそらく延べ400人とか500人ぐらい見てきていると思うんですけども、
そういった方々のこととか、あとは周囲の私の友達のこととか、そういったところを含めた上でちょっと感じる点というところで、
ちょっとテーマとしてですね、今日は肩書きを捨てろっていうそんな話したいなと思っています。
ちょっとドキッとするタイトルですね。
すいません、じゃあ河中さんはどんな肩書きを持ってますか?
僕もパラレルワークをしていて、一つがビール会社員、大手のビール会社の営業、今は営業という肩書きで働いているし、
自己理解コーチという肩書きもそうだし、趣味の延長でライクワーク的にやっているのがティーウェリストっていうお茶の教室の先生みたいな肩書きもあるし、
一人の一パパとしての家族の旦那パパみたいな肩書きもあるし、みたいな感じですかね。
そうですよね、そうですよね。まさにおっしゃる通りで、もっと言うとご両親の子供っていう肩書きとかもありますよね。
確かに、誰しもあれいますよね。
そうなんです、そうなんです。みんなね、やっぱり肩書きっていうものを持って生きてると思うんですけども、
それ捨てろって私言ってますけど、本当に捨ててほしいとかっていうわけではなくてですね、損なしちゃったら人間関係全部切ってくれみたいな話なんで。
専任みたいになりますね。
そうそう、なんかね、そういう話ではないんですけれども、
今日のお話のテーマというか結論のところからお伝えすると、
その肩書きが自分を苦しめる思い込み作ってないですかっていうそんなお話となっております。
なるほど、思い込みに肩書きがつながってるんじゃないかと。
そうそう、なんかよくこういう話聞きません?
なんか、お母さん喜ばせるためにこの会社入社しましたとか。
確かに子っていう肩書きと会社の肩書きどっちも関わってますね。
そうなんですよね、なんでそうなのってなったら、その肩書きなかったらきっとやってないと思いません。
確かに会社の看板がないとそこに入ってないかもしれませんね。
そうですよね、あとはお母さんを喜ばせなあかん子供みたいなとかがあったりとかね。
そういうのって皆さんもちろん誰もが持ってて、
またどちらかというとそういう自分の肩書きっていうのが、
自分の居場所だったりとか役割とかを得ることができて、
なんか承認欲求とか所属欲求みたいなね、
心理学的にはそういったところにつながっていくっていうところもあると思うので、
そういったメリットみたいなところももちろんあるし、
あとは心理学的にそれを得られることによる安心みたいなところっていうのもあるんじゃないかなと思うんですけど、
なんかそれによって縛りが起きているとするなら、
触れてちょっと気づけなあかんのちゃうかなっていうそんな話ですね。
確かに確かに、なんか心理学的な用語で言うと、
自己理解でも使われてますけど、
マズローの五段階欲求説の中に承認欲求とか、
社会への所属欲求みたいなのがありますもんね。
でもそれを解いてみるとどうなるんでしょうね。
結論その肩書きと自分がどううまく向き合っていけるか、
みたいなところなのかなっていうふうに思うんですよね。
なんかそのデメリットに皆さん気づいてますか?みたいなところで、
例えば先ほどお伝えしたような、
お母さんに喜んでもらうためにこの会社に入ったとか、
そういうのもお母さんに褒めてもらいたいみたいなね。
なんかそういったのもあるかもしれないですが、
まずはその関係性っていうと、
自分の肩書きとか役割をマットしなきゃっていうところの方向が、
完全に自分の矢印じゃなくて、
向こうの相手を満たすためにみたいなところが強くなってるんかなって思うんですね。
例えば会社とかだったら、会社の部長さんだとして、
部長だからしっかりしなあかんなとか、
例えばこういう仕事を任されてる私以外にこれできひんから、
この仕事を完璧にしなきゃいけないなとかって、
その役割を与えられながらも苦しめられるような、
そういう思い込みを植え付けられてるような、
そういったのってないですかっていう話ですね。
いや、むちゃくちゃあるなと、
僕の働いてる会社の先輩とか上司とか見てて思う一方で、
こういう言葉もあるかなと思って、
役割が人を作るとか立場が人を作るみたいな、
会社は多分そういうことを期待して肩書きを付けるのかなって思ったりするんですけど、
メリットデメリットどっちもありそうですね。
そうなんですよね。
なので向き合い方かなっていうふうに思っててね。
そうなった時に、例えば母さんが、
親がおってまず子供っていう役割を持ってて、
子供さんがおるからパパっていう役割を持ってて、
会社の営業マンっていう役割を持ってて、
最近パーってたじゃないですか。
それ全部なくなった自分に何残りますかっていうところなんですよ。
いやーマジで想像できないですね。
すごい肩書きで生きてたのかもしれない。
でも結局そういうもの自体がなくなった状態っていうのがまさに自分であり、
本当の自分に矢印を向けると、それそのものが自分であって、
その声っていうのをやっぱり普段ちゃんと丁寧に聞いてあげることっていうのがすごい大切なんだなっていうふうに思うんですね。
いやー間違いないですね。
なんかすごい外そうと思ったら、
一個一個自分の中である意味負荷というか手間というかね、
ものが発生するなって今問われて思いましたね。
渡辺さんがでもそういう発想に至ったのって何でなんですか。
ありがとうございます。
これはですね、私の実際にサポートさせていただいているクライアントさんとか、
そういったもちろんあるにはあるんですけど、
すごい個人的な話なんですけどね、
同級生とか、私40代、私はバッツイッチなんで独身って感じなんですけど、
周囲に同じぐらいの年代の方っていっぱいいるんですけどね、
みんな何々ちゃんのママみたいなのとかわかります?
わかります。
保育園に送っていったらそういう呼ばれ方しかしないんですもんね。
あなた名前ありますよね。
でもその肩書きが何々ちゃんのママなわけですよね。
どこどこの先生とかあるじゃないですか。
そういう世界観がすごい垣間見えた時に、
その役割で全うして生きられてることは素晴らしいことだなと思うんですけど、
この人の名前でも呼ばれへんねやなって思っちゃったんですね。
なるほど、なるほど。
そう、ちゃんと自分の名前あって、自分の本来の自分があって、
そこにたまたまそういう肩書きがかぶさってるだけやのに、
なんか名前も呼んでもらわれへんようなこう、何て言うんですか、
世界があるという、みたいな考えた時にちょっとゾッとしたというか。
確かにな。
なんか僕の例で言うと、保育園に行った時に息子の名前のパパって呼ばれるわけですけど、
保育園の先生からしたら息子が主体であって、
パパはあくまでお迎えに来る人っていう付属品なわけですよね。
そうですよね。
そこまで全部覚えられへんわっていう、そういうことなのかもしれないですけど。
ね、なんかそうなんですよね。
みんな一人、自分一人の人として存在してるわけであって、
そう、なんかそれを思ったっていうのが一つありました。
あとはですね、なんかすごいこれも残念なお話かもしれないんですけどね。
なんかそれを理由にできないとか、だから無理なんですっていうような言葉を聞いた時ですよね。
なんか今日はこれ仕事やらなあかんから、仕事があるから無理なんですとか、
これ子供のためにこれしなあかんからいけないんです、みたいなのがあった時に、
いやなんか主語自分でしゃべれよみたいな、わかります?
なるほど。仕事が主語でできない自分みたいな順番なわけですか?
そうなんですよ。自分が行きたくないから行かないとか、
そっちが大事だからって言うんだったらめっちゃわかるんですけど、
なんかこう、そっちの肩書きの思い込みとか、だからしなきゃいけないんですよっていうものに
まとわれてる人ってめっちゃ多いなって思った時に、
それが否定的な表現、できないとか、否定系に出てきた時に主語が自分じゃない、
まさにその覆われたものが前に出てくるみたいになった時にね、
なんかすごい損してるなあっていうのに見えちゃったんですよね。
なるほどね。また思い浮かぶこと言ってもいいですか?
どうぞどうぞ。
例えば僕ビール会社の営業マンなんですけど、
ビール会社の営業マンだから夜遅く帰っても仕方がないとか、
そういうことはやっぱりどうしても詰まっているコミュニケーションの中で
言ってしまっている自分がいるなあと思うんですけど、
なるほどね。
心理学的なところにつなげると、所属欲求とか承認欲求は人は持ってると自然に。
だからこそ、ある意味組織とか社会はそれを利用してその肩書を与えることで、
その人を意のままにじゃないですけど、ある程度コントロールすることが多分今起こってるんでしょうね。
となると、そこから又上さんのおっしゃるそこをある意味捨てて、
自分で判断をして捨てるなら捨てる、選ぶなら選ぶをするためには、
どんな発想というか考え方が必要なんですかね。
そうですね。まずは自分の中の思い込みみたいなことに気づくことからがまず大事かなっていうふうに思うんですね。
いつも私、子供のせいにしてるなとか、自分主語で喋れてないなとか、
それにさえも気づいてない人ももしかしたらいるかもしれないんですけど、
自分の思い込みに気づくと、絶対そうじゃなきゃダメなんてことは世の中には絶対ないし、
って思いません?私もマネージャークラスの仕事とかしてたけど、
別に辞めたからって誰も困ってないですよねっていう。
知らないですよ。本当は困っている人いるかもしれないですけど、
別に誰も死ぬこともないし、世界は平和じゃないですかっていう。
絶対そうじゃないとダメとか絶対ないわけであって、
自分の軸で物事を選んで、その行動をしていくことが人生を作っていくかなって思うから、
選択していくっていうことを、こうだからこれを選ぶじゃなくて、
私がこうだから私がこれを選ぶっていう、そういうふうにみんながなっていったらいいんじゃないかなと思いますね。
なるほどなるほど。じゃあまず一つそのためにできることとしたら、
思い込みに気づく、自分の普段言っていることを客観的に聞いてみよう、書き出してみようみたいなことですかね。
そうですね、なんかそういったのもあると思うし、なんか私たちが提供しているような自己理解っていうところの、
自分の価値観をちゃんと確認してみるとか、そういったことは改めて日々が終わったときにちょっと振り返ったりとか、
自分に矢印を向けていくということを是非やってほしいなというふうに思います。
確かに価値観、僕らコーチもね、自己理解プログラムで大事なこと価値観って明らかにしていますけど、
価値観をちゃんと明確に言語化していると、その肩書きでは出てこないわけですよね、その価値観ってね。
そうですよね。
肩書きじゃないその自分の中の大切なことが言語化されるから、
そっちの方が大事じゃないってやっぱりなりますよね。
そうなんですよね。だから自分に矢印向いてるか向いてないかで使う言葉も絶対変わっていくし、
その選択基準が絶対変わってくるはずなので、そこを自分の軸でできるようになったら、
そんなネガティブな言葉とか誰かのせいにするとか、そういうことって絶対ないはずなんで、
みんながなっていくといいなっていう意味での肩書きをしているわけです。