2025-08-20 33:55

#231|責任感は誰のため?ビジネスで当たり前の等価交換は罪かもしれない

霊性開花の専門家
リアルスピリチュアリスト®︎
橋本ゆみです

この番組は
ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて

エンタメでもファンタジーでもない
リアルなスピリチュアルを
なりわいとしながら

人生をガッツリ切り開いてきた
「ゆるっと覚醒マインド」をお届けします。


「今回のテーマは、責任感は誰のため?ビジネスで当たり前の等価交換は罪かもしれない」


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サマリー

今回のエピソードでは、責任感や等価交換の概念について考察し、ビジネスや人間関係における無償の愛の大切さが強調されています。また、責任感や義務感が幸福感や心の交流に与える影響についても触れられています。このエピソードでは、ビジネスにおける責任感と等価交換の関係について考察されており、特に松下幸之助のエピソードを引用し、心からの交流やサービスの重要性が語られています。単なる責任感ではなく、情熱や思いやりがもたらす価値についても掘り下げられています。さらに、ビジネスにおける責任感と等価交換の問題が取り上げられ、プラスとマイナスの共存やそれらの行動が与える影響について深く掘り下げられています。特に、心の制限を解除することで得られる自由についての議論が展開されています。

責任感と等価交換の探求
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、
エンタメでもファンタジーでもない、リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、責任感は誰のため?
ビジネスで当たり前の等価交換は罪かもしれない、
というお話で、前回のお話の続きというか、
関連するような話題になります。
前回は、尊徳感情と従心のビジネス、おさらばという話をしたんですけど、
ちょっとふわっとした話になるかもしれません。
人との関係とか、生きていく上で、責任感っていうのがあるじゃないですか。
責任感ってそんなに必要なのかなっていう疑問が湧くときないですか?
私は昔、よくわからない責任感で生きてたんですけど、
やっぱり苦しいんですよね。
責任感と恥とかっていうのは、結構自分を苦しめる要素だなぁなんて思います。
前回の尊徳感情というと、
徳するか損するかっていうのを別の言い方にしたら、
プラスになるかマイナスになるかっていう話なのかなと。
パソコンとかコンピューター、SNS、この世界は0と1の世界。
そこにマイナスが加わる、そんなイメージで持ってもらえればいいのかな。
ちょっとそこを挟むと余計に混乱する方は今の話はなしにしてくださいね。
やっぱり投下交換というか、
してもらったらお返ししなきゃ文化あると思うんですね。
これが責任感、義務感から来ていると、
何も生まないんですよね。
何も生まない。ゼロにしかならない。
もらって返す。つまり天秤が揺れない平行の状態。
ゼロってなかったこととも言える。
やってもらったことに対してお返しをしているから、ゼロっていうことですね。
無償の愛の価値
例えば1万円もらって1万円分のお返しをした。ゼロだよね。
それがビジネスではよく起こるところですよね。
でも、そこに一つ正しいって表現変だけど、
そういう考え方とか、それはそれであるよねと。
正しいとか良いとかじゃなくて、
そういうシチュエーション、そういう気持ちになることあるよねと。
ただ、やってもらったら絶対返さなきゃが強いと、
これただの義務感になっていくので、
何にも心の交流がないというか、
何にもないという言い方変なんだけど、
この関係性って人っ気がない、愛がないという言い方をすると極端かもしれないけど、
分かりやすく、この単語を使うなら愛がないわけですね。
作業というか、
その同じ等価の価値があるものを流しただけ、以上みたいな。
何かを責任感、こうあるべきだっていうロジックで考えると、
必ずそこには何か縛りがあるので、
人っていうのは違和感を覚えたりするわけです。
例えば母と子になった時に、
お母さんは無償の愛で子供を育てるわけだよね。
簡単に単語で言うなら無償の愛と表現できるけど、
お母さんにとっては別に無償とかいう単語をつけることすらおかしいぐらいに、
自然と自分が自発的に、
あえて言葉で言うならやりたくてやってるわけですよ。
やりたくてやってる。あえて言えばね。
WANTもあればWILLもあるんだけど、この表現の中には。
あえて言うなら、これはもう自発的に自然にそうしたい気持ちが湧いてきて、
行動に移しているから、
いくらお父をあげたり、おトイレの世話をしたりなんだりかんだりしても、
その子から何かを返してほしいなんてこれっぽっちも思えないわけですよ。
むしろ存在して元気に育ってくれる。さえすればそれでいいっていうことになると、
10日以上の価値が交換されてるわけね。
でもその価値の交換って言うとおかしいけれど、
プライスレスってやつですよね。
お金には換算できない心の交流というか、
愛の循環っていうことが起きているわけです。
ビジネスと心の関係
それが大人になって恋人同士とかになると、
彼氏なんだから、彼女なんだから、
彼女としての責任、彼氏としての責任、
夫としての責任、妻としての責任みたいなのが加わると、
こんだけやってるのにっていうものが出るわけですね。
そこにはこれをやったら何か返ってくるだろうという期待とか、
期待が先にあって、それが前回の孫徳館長ですね。
相手にこうしてほしい。
相手がそうしてもらうために自分の何かを与えていく。
それがお金とか物質、物とか、
自分がこれが愛情表現だと思っている何らかの言動とか、
それは人それぞれ違うんだけど、
そういう何かを得たくて何かを与えているっていう、
交換の考え方になっていくと、
ちょっと私の表現だと何か貧しいよねって思っちゃうんですね。
何か貧しさを感じる。
それは自分自身がやっぱりそういう世界に縛られて生きてた時期がやっぱりあるからですね。
そこから抜けて、そのもう孫徳とかでもなく、下心でもなく、
純粋にああやろう、してあげたいな、
あげたいっていうのがもうすでにおこがましいんだけど、
何か困っている人がいたら、困っているって聞いて何か手伝おうかみたいな。
もちろんそれはね、自分に余裕がなきゃできないんです。
だからこそ自分にいかに余裕を持たせるかっていうことが大事だなって私自身は思うんですけど、
余裕がある人でも、お金に余裕がある、自分は余裕がある、自信もある、
だけど前回のような孫徳感情、下心で動いている人は自信がないので、
そして余裕というか、人間の器という表現をあえてしたらわかりやすいかな。
器がちっちゃいって言い方してしまうとね、何かちょっと極端なんだけど、
その余白がやっぱりない。いっぱいいっぱいになっている。
自分のことでおそらくいっぱいいっぱいになっていると。他の人が入る余地がない。
そうするとでも他の人に認められたい自分の中で、自分ではいっぱいだけど、
人から満たされたい何かは空っぽで、それで過剰に何か自分が奉仕をするというケースに陥る場合もあれば、
お金という結果がわかるものを数字として結果を出すことによって、
自分は満たされているという幻想の世界で生きると、相手はその世界に入っていないので、
まあまあ問題が起きるということがね、往々にしてあります。
いつも言ってしまうが、良い悪いではなく、そういう仕組みが働くよ、
そういう考え方が働くよっていう話なだけです。
私個人はそういう等価交換的な責任感とか義務感っていうのが非常に根強くて、
それで踏ん張って生きてきた、戦争を生きたおばあちゃんに育てられているもんだから、
ものすごいプロ意識っていう言い方に偏観はされていたけれど、
まあね厳しかったと思いますよ、私昔本当に。
その厳しさがかっこいいって言って友達になってくれる人はいたけどね、
たくさんの友達はやっぱりできないよね。
やっぱりそれでこのままじゃいかんなって思って、
処生術を好かれる人を見て真似してみたいなことがね、
大学生とか社会人とかで身につけていって、
なんとなくコミュニケーションがうまくいくっていう体験をするんだけど、
でもやっぱり根っこにある厳しさがほどけてないので、
やっぱり恋愛関係とかではまあもうこじらせ女子ですよ、典型的な。
そこから本当にね、なんだろうな抜けていくとまあまあ滑稽で可愛らしかったなと思いますけどね。
まあまあまあ話をね戻すと、やっぱりね責任感ってゼロにするかマイナスにするかしかないんですよ。
プラスがないんですよ。何もプラスが、何も生まれないんですよ。
消費のバランス、消費となんかね、その出すと入れるのバランスを常にゼロにしている状態なんですね。
そこをプラスにしていくのって何かって言ったら、やっぱりその心とか、もうちょっと言うと愛とかになっていくんだけど、
愛っていうのはちょっとね、なんか大きい概念すぎて、ちょっと勘違いを生む気が生むなぁと思うのでね。
自然と能動的に自分が相手に対して誰かに対して世界に対して、あえて言うならしてあげたい。
自分から率先してしたい。だからあげたいではないんだけど、言葉でわかりやすく言うならしてあげたいが、本当に自然に何の見返りも期待なく出てくる時。
こういう時にいろんなものが回り始めるんですよね。
これはビジネスもそうです。どんどんにお金稼いでいても、
私がずっとお世話になってたコンサルタントの方が、著名な方なんですけどね。
その方がね、なんて表現してたかな。
いい会社となんか儲かる会社の違いみたいな話をしてくれた時があって、儲かるのがいいわけじゃないと。
いい会社、わかりやすく言うと、例えば経営の神様と呼ばれる松下幸成さんとかだといい会社ってやつなんですけど、
同じように言ってわかんないけど、そこまで規模が大きくなれるっていうのは、
本当に値段、ビジネスっていうゼロとマイナスから抜けたプラスを生み出す、
そういうものが含まれてないとやっぱりそこまで大きくはならないし、
みんなが尊敬する対象にもならないわけですね。
どんなに能力が、ビジネスの能力が高くても、マーケティング能力、コピーライティング能力、何でもそうですけど、
そういうね、能力が高くても、どこかにプラスがない、マイナスとゼロしかない、
投下交換、責任感、やったらこんだけ頂戴みたいなやつですね。
やったらこんだけ頂戴は全然当たり前なんだけど、
当たり前なんだけど、そこにハートがないとプラスを生まないわけです。
プラスを生まないわけです。
責任感の重要性
これがやっぱり昭和、私がね、昭和で下町育ちなもんだから、
なんかそういう商人、商人がそんな感じでね、商人の気質みたいなね、
昔はやっぱりね、よく分かんなかったけど、今ならやっぱりすごくよく分かります。
それがなぜ大事かと、それがあったからこそ、
あの、なんていうのかな、発展してたんだなーっていうのがね、
本当に今ならよく分かる。
責任感で生きてた時は全く分かんなかったですね。
全く分かんなかった。
なんかの本で読んだ、何の本だっけな、
そのプラスマイナスの話の時に、
ちょうど松下幸之助さんのエピソードでその話がされていて、
印象に残ってるのは、
なんか宗教に誘われて松下さんが断ってたけど、
人のつながりだから、
この人との関係性のためにというかね、この人のためにという感じになったのかな。
まあまあ、尊徳抜かして、人のつながりっていうところで、
じゃあ行きますと言ったんですって。
宗教のところで工事中だったと。
多分教会とか施設を建てているところだったんでしょうね。
そしたら現場がゴミが落ちてなくて、えらい感動して、
その工事をやってた人はみんなボランティアだったと。
それにすごい感銘を受けたっていうエピソードを読んで、
ああこういうことだなって私はすごく思ったんですね。
あえてそれを説明するなら、
今の話でね、ピンと来た人はピンと来ると思うんだけど、
あえて解説的に、
これ言わないほうがいい気がするんだけど、
あえて言うならばね、
宗教の建物っていうことは何か信仰されているその信者さんたちなわけじゃないですか。
そういう人たちが神様の親しろを建てるなのかわからないけど、
それすらも心地というか、心からやりたいというところでやっているわけですよね。
そうすると細部にその精神を宿っていくわけで、
もちろん工事だから専門家しかボランティアって言ったって、
知識と技術がなかったらそりゃあできないわけなのでね。
やっぱりその現場すらもね、プロセスすらもすごく大切になさっている。
おそらくね宗教という施設、ここもまあ想像だけどさ、おそらくね。
宗教という施設を建てるってことは周りの環境、周りの方ももしかしたら反対があったりとかあるかもしれないじゃない。
そうするとね周りからね、あいつらはって言われないように丁寧に場を整え仕事を、
例えば音とかなんか配慮するとか、そういうことをなされてたんじゃないかなっていうふうにそのエピソードから感じたわけです。
これって責任感でやってたら絶対生まれないんですよね。
農機までにこの金額もらってるからやるみたいな。
何の仕事でもそうだけど、農機が決まっていて金額が決まっていて、
でも求められるのは労力はそれ以上のものを求められると人は不満が出るわけですね、当たり前だけど。
その不満って何かって言ったら責任感、義務感でお金がもらえるから働いていて、
自分の時間を使ってる分お金をという対価を得ている。
だから続かないし、そういうやり方してる仕事っていうのはやっぱりなんだろうな、分かるよね。
なんか分かるよね。
だからなんかアルバイトでも何でも自分がやりたくてやってる人が働いてると、
いろんなことがあるけれども、そういう人が自分で考えてやっぱり動くから、
やらされ感も義務感も責任感も、最低限の責任はもちろんあるわけですけど、
それだけで動いているっていうことがなくなるので、やっぱりいいものが流れるよね。
交流されていく、それは波動とか木っていう表現でもいいし、心の交流。
やっぱり何だろう、作業のように仕事をしている人。
物を売るときレジとかでも作業みたいにただピッピっていくらですってやっている人と、
なんだろうな、その品物をさ、野菜とか刃物とかだったら最後にしようとか、考えるじゃない。
なんか重いものからかごを移そうとか、なんかそういうの全く何も考えずに、
目の前にあるものをパッパッパッパってやる人もいれば、やっぱり順番を考えてくれて、
重いものを刃物下にやって、上に牛乳とか置いたら、葉っぱがペチャってなっちゃうじゃない。
簡単に言うと。そういうのを考える人と考えない人っているわけで、
やっぱり考えてくれてる人、丁寧に接客してくれる人、
なんかスーパーとか行っても、あのお姉さん並んでるけど、あのお姉さんがやっぱりいいなって時ありましたからね。
やっぱりね、同じやってもらうんだったら、なんかいい人がいいなって心地いいなって思うから、
待ってでもその人がいいなって思ったりするわけです。
でもそれってさ、その人にとってはある種ね、なんか列が並んで負担をかけるかもしれないんだけど、
やっぱりそのちょっとしたやり取り、お金払う時にありがとうございますってこっちからも言うとか、
やっぱりなんか思いっていうのは人間ね、動物だからとはいえ伝わってるわけですよね。
やっぱりね、その本当にね、ビジネスをやってるとここの境目がめちゃくちゃ見えてくるんだよね。めちゃくちゃ見えてくる。
言い悪いじゃないんですよ。当然だったりする。
例えば、フリーランスでやっぱり生活かかってたりすると、それはねシビアになる。そんなの当然じゃんっていう。
それは当然だから、そこは、あの、例えばね、こっち側っていうか、
例えばフリーランスの方に何かお願いする時っていうのは、やっぱりそういうところまで考えることがあるわけですよ。
あるわけですよ。特に従業員とかになったら、本当に従業員の家族のこととかまでもお視野に入れて、
やっぱやってくんだよね。やってくんだよねって。それが当たり前だと思っていたんだよね、昔ね。
でもやっぱり人数多いと、細部までは行き届かないので、自分がね、やっぱり分かる範囲、できる範囲までで、
そのさらに先っていうのは、やっぱりね、直続というか、マネージャークラスにそういうものをお任せしていくっていうのもまた大切なことなので、
全部一人でやらないっていう。まあまあこの課題はもうね、結構その時期からずっと私にはあるんですけど、
ついついついついやれることをやってしまうっていう。まあまあそれはちょっと個人的な話なので置いときますがね。
やっぱりなんかね、その等価交換の考え方って昔はいいと思ってたんだけど、若い時はね、30代前半ぐらいは当然だと思ってたんだけど、
なんかそれが当然だと思わせる社会だったり、思わせる企業だったり、そういう上司だったり、
それってちょっとなんか罪かもしれないなって、今はほんのり思ってます。ほんのり考えたんだよね。
なんだろうね、その自分の、例えば子どもとか若い人たちにね、いつか接していくことになっていくと思うんですけど、
そうなった時に、やっぱり本当に大切なものを伝えられない大人って嫌だなって自分が思う。自分がね、自分がそういう大人であることが嫌だなって思って。
やっぱりどうしてもこういう仕事をしていると、心のこととか、その先のこととか、それを見越して何を伝えるか、何を教育したらいいのかっていうのを常に考えてしまう。
でも、手のいいことを言ってて、自分の尊徳と下心で動いている人っていうのがやっぱり見受けられるので、それは別にそいつらがどうとか言いたいわけでもないし、変わってほしいとも別に思わないし。
本当にそういう人たちに対してどうこうっていう思いはないんですけど、ただ願わくば自分のその世界を疑うという姿勢は持っていていただきたいなというのを願わくばという感じですかね。
やっぱりね、自分の考えを疑えなくなったら終わりだなって、私自身が自分に対して思います。
等価交換の考察
ある程度ね、これだって思ったらそこの世界にいることはあるんだけど、あの螺旋階段の踊り場の状態ですね。
一つの何かしら答えや形が作ったら、言っときはそこでこれいいもん作れたな、なるんだけど、これもっと良くなんないかな、つまり疑うってことね。
これで完成じゃないんじゃないかな、もうちょっともっと伝わりやすい表現とかなんかあるんじゃないかなとか。
やっぱりそうすると、また次説明するときにわかりやすくなったりするんですよね。
だから常に自分を適切に疑えるっていうのは、自分に自信がないとそれでできないんですよ。
だから自分に自信がない人は、これがいいでしょう、こういうもんでしょう、以上みたいな感じになって。
これでいいんでしょう、こういうもんでしょうは間違いじゃないからこそ、なんか周りは違和感を覚える。
違和感を覚えるわけです。
言ってること正しいし、なんかいいこと言ってんだけど、この人の中身は責任感と義務感と尊徳感情と下心で、自己愛と愛着障害があんだな、みたいなのを裸で感じるわけです。
裸で感じるわけです。
これは鏡だから、自分にあるという可能性もあるわけです。
自分にあるという可能性もある。
でも最初は人のことは人のこと、自分のことは自分のことで分けていくと混乱しにくくなるので、
相手の嫌な部分を見たら、一回相手の嫌な部分を全部吐き出して書き出して、そこから客観的に自分のことを見ると、
これね、整理しやすくなるのでおすすめです。
おすすめです。
だからね、等価交換という表現をしたんですけど、
等価交換はゼロかマイナスなんですよ。プラスが生まれない。
心の交流の大切さ
でも自分から、ああやりたいな、こうしたら良さそうだな、これはね、プラスを生むんですね。
ただこうした方が良さそうだなが、やっぱり自分の世界観から相手に押し付けるになると、なんちゃらハラスメントみたいになって、マイナスに作用します。
全部プラスはないんです。プラスとマイナスは同時に存在していて、
ただ等価交換思想だと、孫徳環状思想だと、プラスは絶対に生まれないってことです。
プラスは生まれない。そこまでってことね。
そこまでって言うかね。プラスをね、やっぱり生んでいきたいじゃないですか。
私はそう思っていて。
で、やっぱりね、その思想、思考の切り替えはいかに制限を解放するかな。
ここにやっぱりちょっとそれ以外の言葉も考えるけど、
いろんな意味を含めて、制限、リミッターっていうことなので、やっぱりそれを解除する。
制限を解放、解除する、ブロック解除する。
このね、心と、心のブロック、ブレーキ、制限、それをね、やっぱり解除、解放していくと、
魂の制限っていうのも解放されていくので、
まあそうすると本当にね、本当に楽しいですよね。
楽しいって表現変だかな。楽になっていく。
無駄に悩まなくなっていく。悩みは消えないと思います。
不安も別にゼロにはならないけど、ゼロにはならないけど、
なぜならそれがあることによって、暴走しなくなるから。
ずっとアクセル踏みまくってたら、エンジンいつか切れちゃうじゃん。
そしてずっと踏みまくってたら、止まるべきところで止まれなくなっちゃうじゃん。
それは危ないんですよ。
心の制限の解除
不安とか恐れっていうのは、適度にブレーキとして必要なんです。
でも、ブレーキ踏むべき場所で踏まない、ずっとブレーキ踏みっぱなしとか、
ずっと中途半端な半暗状態。
これ通じるかない?これ通じるのかな?
半暗状態でずっと行ったらマモするわけですよ、クランチが。
ダメだ、もう笑ってしまう。もう古い人間すぎてどうしよう。
クランチがわからない人は、なんだろう、他の例えがわからない。
自転車でずっと坂道ブレーキかけたまま降りるみたいな。
そうするとタイヤとブレーキのゴムがマモするじゃん。
あれです、あれです。あれのことです。
自転車ならみんな体験があるでしょう。
いやいや、私はもう半暗が好きすぎてですね、疲れすぎて怒られるっていう、
まあトラウマまではいかないけど、
いや怒られたなーっていうのをね、よく思い出すわけですよ。
もう乗らないけどね。
乗らないけど。
ちょっとね、ちょっとね、
乗らないけど。
ちょっとね、例えがもうほんと古いよね。
昭和、昭和もね、60何年も続いてますから、
昭和も3段階ぐらいに分けないと、
戦争時代を体験した昭和と、
そうだよね、昭和と、
あと戦争を開けて高度経済の昭和と、バブルとかの昭和と、
まあ最後、昭和後期ですよ。
前期中期後期ですよ。
そうするとまあ後期に当たっていくわけなんだけど。
そうね、まあそうね。
そうね、とか言ってね。
もうすごいだんだん変な笑いのツボ、ごめんなさいね、
本当にね、笑いのツボがおかしいのでね、
なんでそこで笑ってるんだろうと思われる方も多いかと思うんですけど、
なんか面白いんだな、箸が転がっても面白いんだなみたいに、
微笑ましくね、聞いてもらえたら嬉しいです。
ちょっとお聞き苦しかったらごめんしてください。
というわけで、
今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
ポッドキャストのラジオ番組、魂に目覚める魔法の知恵袋も
合わせて聞いてみてください。
というわけで、ぜひぜひご感想、質問など、
説明欄のフォームにありますので、どしどしお寄せください。
そして11月の声援会報ワークショップ、
これ参加されると必ず参加されるので、
これ参加されるとかなり、
2026年以降の人生がらりと変わりますのでおすすめです。
というわけで、また皆さんお会いいたしましょう。
それでは。
33:55

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