ディスカッション会の開催
それでは、【ディスカッション会】の4月分の開催です。
今日は、自分の価値と向き合おうということで、スタートしてまいります。
まず、今回からオンライン開催をしていますので、ご参加いただける方はぜひ参加いただければと思いますが、今のところまだ誰もおりません。
もし、入ってきた方、いらっしゃいましたらというか、初めてお聞きの方にもお伝えしたいので、今回のディスカッション会の趣旨をお伝えしてからスタートしたいと思います。
今回、ディスカッション会を始めたきっかけというか、趣旨としては、日ごろなかなか自分の意見を言葉に伝えたりとか、人の話を聞いたり、何かそれを元に考えたりとか、そういう機会がなかなかないのかなというふうに考えました。
それを主催というか、事務局の2人なんですけど、私、岡部と相方の香里さんと今始まっているんですけど、それを何か形にしていこうとして始めているのがこのディスカッション会で、かれこれ2月から始めて何回目?
4回目?
4回目?
2、3、4、3回目?
3回目です。
3回目になります。
その中で3回目として、今回私が講師というかキーパーソンとしてテーマを提供させていただいて、ディスカッションをするという形でスタートしていきたいと思います。
自分の価値を考える
ではディスカッション会をスタートしていきますが、今回のテーマは自分の価値と向き合おうというテーマでスタートしていきます。
早速なんですけど、自分の価値となりますとだいぶ重い、固いような雰囲気を感じるかと思うんですけど、どうですか?
どうですか?直球すぎますかね?
ちょっと答えにくいですね。
何を聞きたいかというと、自分の価値を考えたことがまずあるのかなというところで聞いてみましたが、今回出席されている河森さんは自分の価値を考えたことはありますか?
自分の価値については、自分では何なんだろうというのは常に考えていることで、価値という言葉に含まれる分野が広いので、何をどうというのが明確には言えないので、
自分にフォーカスを当てたときにどういう立ち位置なんだろうか、ポジションなんだろうか、そういう多角的視点を持って自分というのは考えていますね。
いいですね。ありがとうございます。
自分を今おっしゃられたように、多角的に自分の外から考えたりすることというのは、なかなかやれてそうでやれてない人が多いんじゃないかなと思っているので、その辺もディスカッションできたらなと思います。
では、今日のキーパーソンの私、岡部ですけども、ちょっと簡単に自己紹介をしたいと思います。
私、岡部明と申しまして、出身が福島県古都の町出身です。職業は現在フリーランスとして、オンライン記者の仕事をメインにしております。
公務員として19年勤めてきましたが、それを昨年退職しまして、今はオンライン記者の仕事をメインに活動しておりまして、
インパク施設の清掃スタッフの給与計算ですとか、あとは不動産業務ですとか、あとは法人の代表理事の専属秘書をやらせていただいたりしておりまして、オンラインでの仕事はそんな感じの仕事をさせてもらっています。
その他にオンライン誌と言いつつもオフラインで高齢者サポートとして、例えばスマホの使い方相談とか、そういったものを受けたりしながら仕事をしておりまして、オンラインオフラインそれぞれ動きながら、人の困りごとに寄り添う形で仕事をさせてもらっています。
次がですね、簡単に地元の紹介の写真を作ってきたので、こんな感じの桜、今は桜、山桜がありまして、こちらが地元ですと見ごろだったり、ヤブサムというお祭りもありますというご紹介です。
早速ですが、自分にはどんな価値がありますかという投げかけをしたいと思って、今日は準備してきました。
では早速投げかけられますが、河森さんにはどんな価値がありますか、ちょっと漠然としていますが、
では簡単に長所とか短所とか、人の役に立てそうなスキルとか、そういうのって言うと具体にどんなのが思い浮かびそうでしょうか。
長所、短所って、自分が思う長所は、人とのコミュニケーションを得意としていて、短時間でその場の雰囲気に馴染むことができたりとか、
いろいろな人に声をかけることができるっていうのが長所かなと思います。
そういう自分の長所をある程度考えたことがあるから、今ちょっと出てきたという感じですかね。
こんな感じですかね。ありがとうございます。
多分価値ってなると、そういった自分の中でのこれまでの経験をもとに、こういうのが得意だったり、こういうのが人の役に立つこととして使えるとか考えたことがあるのかなと思います。
ちなみに、私もちょっと考えてみたんですけど、私は人の話を聞くのが好きだったり、言語化が得意、パソコンが使えるとか、そんなことをパッと自分の価値ってなんだろうなって思ったときに考えることがよくあって、
そもそもホームインを辞めてフリーランスになる、転職をするっていうときに、自分の価値ってなんだろうって結構考えてました。
なので、そういった中で自分の価値を掘り下げる機会、時間を取ったので、そういう意味では、だから自分に目を向けることができたのかななんて思います。
今回はディスカッションなので、この今の自分目線だとあくまで自分の中で完結してしまうので、逆に今度、相手目線、外から自分を見たときにどうだろうっていうのも大事なのかなっていうふうに思いまして、
自分が自分の価値を探していたときに、参考になった外から相手目線での自分をちょっと並べてみたんですけど、それはこんな感じで、
言われたのが笑顔が素敵だったり、いるだけで安心するとか、そもそも生きていること自体が価値ですよっていうふうに言ってもらえたことがありました。
なので、自分の中でさっき挙げた人の役に立てるような価値と、相手から見る自分の価値っていうのは全然違うものが上がってきたっていうのが私の中の分析というか、自分を掘り下げた中であった気づきだったんですね。
なので今、例えば河合さんが話をした自分の価値も、それは自分の中から出てくる価値として定義されていると思うんですけど、これも違う人から見ると意外と違った意見が出てくるんじゃないかななんて思いまして、
その辺をなんかこうディスカッションして、それぞれの価値を自分だったり相手から見て話し合えるといいのかななんて思っておりまして。
今日は受席2人なんで、それぞれ自分に話すしかないっていうのはあるんですけど、そんな感じでお互いの価値を自分目線と相手目線でそれぞれ比較してみると、なんかその差が面白いのかなっていうふうに感じていまして、
そこを掘り下げるだけでも多分自分って自分で思っている価値と外から見た価値の違いがこんなにあるんだな、そこで意外とそこ自分の価値だったんだっていうふうに気づける、なんていうかな、きっかけになるのかななんて思っています。
相手の視点と自己理解
はい、どうぞ。
自分の価値っていうよりは、自分がどれくらい役に立つかっていう、世の中に役に立ててることがあるのがあるとか、またその自分の、自分が思う自分の値打ちみたいなふうに置き換えると自分の価値ってどれくらいあるのかっていうふうに考えると、
自分の価値っていうワードに落とし込みやすいんじゃないかなと思っています。
なるほど、自分の値打ちです。
で、出てくるからね。
そう考えたときに何か思い浮かぶ自分の価値ってありますか?
だから自分が大切にしている思いとかっていうのもね、一番一部になったりすると思うし、自分が何を大切にしているかっていうことがイコール価値であるっていう可能性もあるんですね。
そうしたときにやっぱ自分はこういうふうなことに動きを置いている。
だからこういうふうになったらいいなとかっていうふうな目標ができて、そこに向かって自分が一撃、自分が携わることができる部分ってどういうところなのかなみたいなふうに考えていくと、
スキルだったり端緒だったり長所だったりっていうのを洗い出されて、生きやすくなるのかなって思うよ。
うん、なるほど。
そうすると、それを見つけるにもやっぱりディスカッションは必要なんですかね。
これはやっぱり自分が思うだけの目線じゃなくて、相手目線もあったほうが絶対いいと思うし、でもそれを短時間でこの時間の中でお互い初めてこう集まった会の中で会えるっていうのはやっぱり限界があるので、
限られた時間の中でどこまで立ちに気付けるかっていうのはやっぱりそれぞれの自分目線を共有するだけでもいいのかなって思います。
相手のことはわからないから、人を会った人に対してあなたこうですよねっていうのはわからない部分が多いから、
だから私はこういうふうに生きていますとか、こういうふうな感覚でこんなことをしていますとか、
そういうのを自分が発信する、自分が大切なことを発信するだけでも向き合うことになるのかなって。
いいですね。
そうした時に自分の思いを発信する、相手とシャペルにしても、そこには言葉で伝えなきゃいけないっていうのがあって、
そこってディスカッション会の趣旨にもつながるんですけど、結局自分はこんな人間ですっていうすごくいいものがあったとして、
それを相手に伝えようとした時に、うまく言葉で伝えられるか、それが苦手な人だと伝わりにくいし、
お金を招いて伝わってしまう可能性もあるとなると、自分の価値を分かって伝えるにも言葉って大事なんだなっていうふうには思うので、
ぜひこういう場でいろいろ練習してみると、こういう価値の伝え方も伝わりやすくなるだろうし、
あと自分が考えて、頭の中で考えていたり、何かイメージしていたものが、実際言葉に出してみると何かちょっと違ったりとか、
逆にもっと深まって、もっと自分こういうこと思ってたんだなとかっていうふうにブラッシュアップされたりすると思うので、
そういう意味ではこういう場をもとに訓練してもらうといいのかなっては思ってますけども。
やっぱりみんながみんな言語が得意っていうわけでもないし、頭の中のものが言葉に出るっていうのはなかなか難しいので、
それは大きい子さんであるお母さんだったりが投げかけ的な投げかけをすることによって引き出されるものなのかなって思う。
そこで相手目線がいる人たちによって生まれて、やっぱり情報が少ないと判断というかこの人決めつけられないし、
そういうものといかにその人から情報を引き出すかっていうのが大切なのかどうかだと思いますけどね。
そうですね。いいと思います。
自分の価値を知るには自分の価値を話したり、相手の言葉を聞いて、こういう人もいるんだなとか、いろんな価値に触れる?
いろんな価値観とかに触れると、自分の価値観との違いだったり、同じ例だったり、そういうのも気づけて全然いいんじゃないかなって思うんですね。
はい、ありがとうございます。
じゃあ、そんな感じで、次のテーマというか投げかけですけど、
そもそも自分の価値について話そうというテーマを作ったんですが、なぜ今価値を考えるのでしょうかという、作った側からの質問なんですけど、
価値の探求
ちょっとみんなで考えたいなと思って、そもそも価値なんて、昔から言われていることで、小さい時にも長所短所を自分で探したりとか、それこそ就職の時に履歴書に長所短所を書いたりとかあったんじゃないかなって思うんですけど、
それってこれまでずっとやってきて、でもここで私が今この価値というものにフォーカスしてテーマにしたっていうのが思いはあるんですけど、それは何か皆さんで感じるものってあるかなと思ってちょっと聞いてみたいなって思ったんですが、
ちょっと聞きたいのが分かるかな。
何か聞きたいんだろう。
なに、昔より今の方が考える時間が少ないよねっていうことを聞いたような。
ざっくりとそんな感じですね。
なるほど。
例えば長所短所だけじゃなくはやっぱり今、大家族から家族になった時点でそのコミュニケーションの頻度は親と子ぐらいにしかなくなってしまって、
その他のじいちゃんばあちゃんだったり親戚だったりっていうのが昔よりも遠い存在になってしまったから、距離的な問題っていうのもあるんじゃないかなって、物理的な。
だから親と子だと、あなたはこうだよねとかお母さんもこういう人だよねっていうのはそこで完結するからそんな考える必要がない、まず。
でも今なぜこういうふうに話をするのかって言ったときもやっぱり家族から外に出るタイミングが必ずあるから。
それが就職なのか面接なのかわかんないけど、そういうときに改めて考えたときにあれどうやって考えるんだろうとか、何なんだろうみたいな。
考えながらわかんない。勝ちって何だろう、そもそも何だろうみたいなのが起こっちゃってるのが今なんじゃないかなっていう。
いいですね。ありがとうございます。
まさにその通りだと考えていて、家族の外に出るとか、自分で何かを切り開くとか、そもそも自分って何だろうとか、そこを考える時間って今あんまり優先度が下がってきちゃってるんじゃないかなって思っていて。
安全で平和でないものがないじゃないですか。何でも望めば手に入る時代に今なっていて。
でも一方で以前、昔はなかなか欲しいものが手に入らなかったり、大学に行きたくても行けなかったり、そういう中で自分は何で社会に貢献できるんだろうとか、それすらも考える余裕がなかった。
例えば、もう長男なんだから農家を継ぎなさいとか、そういう自分を押し殺してでも家にいなきゃいけなかったりとか、そういう中で自分はこういうことがしたいっていうすごい内なるものはみんな持っていたりしたんじゃないかなって思っていて。
それが今、本当に何でも手に入るので、別にそこまで思わなくても、スマホ一つで何か情報が手に入ったり、何か欲しいものもボタン一つで届いたり、お金もある程度裕福な家庭も多くなっているので、望めば手に入ったりっていうのが今比較的良くなってきたというか、それだけ過去の日本を作った人たちがそういう時代を作ってきてくれたっていうのは
ありつつも、だからといってそこに甘んじてしまうと、本当に自分の本質ってなんだろうってなった時に、それをまず考える時間すらないと、そこが抜けていってしまうのかなってちょっと思ったんですよね。
これまで就寝雇用だったり、とにかくもういい大学とかいい会社に入れば安泰だなんて言われていた時代はそこにあって、でも今は大手の企業ですら就寝雇用はなかなかちょっと約束できないとかそういう時代にもなってきていて、そうなるとじゃあ安定の中で生きていた人たちが今これから不安定の世の中に出されようとしていて、
その時にじゃあ軸になるというか、自分を導くものって自分の価値ってなんだろうっていうところに気づけるか気づけないかなのかなって思っていたんですね。
そこで今、この価値を考えるということをする必要があるのではないかなと。
と考えておりまして、テーマにしてみました。
選択肢と自由
あんまり好きじゃないかもしれない価値っていう言い方が強みだったり、
昔は昔でよかったけど、さっき言ったみたいに農家に生まれたから農家っていうのは必然だったけど、そこにやりたくない人は絶対いただろうし、
それが今こういう時代が変わって、農家に生まれたからって別に農家やる必要ないよねっていう多様な選択ができるようになったのはすごくいいことだと思うし、
自分たちのやりたいような自由になったのが今の時代だとしたら、
昔は不自由だったっていうね。
不自由だったけど、そういう大家族だったり地域の祭りだったり、
そういうのが合うことによって、人との繋がりはロープでたたくとどうなったのかなみたいな。
でも今時代が移り変わっていく中で、便利さと豊かさを発展させていただけた家族になったり、自由な就職の選択だったりっていうのを手に入れたけど、
それと引き換えに人との繋がりっていうのが糸のように細くなってしまったっていう状態があるので、
今考える、なぜ考えるかっていうときには、自分って何のために生きているのかって思わないと、
若い人、生きていけちゃうから。
別に誰も怖くないし、こんなに若い人が生きているんじゃないのかなって思っちゃうけどね。
スマホがあったり、男女長女を自分で分析していくっていうのは、昔でいうと、
感覚で、親に言われたとか、自分はこう思うんだけど周りはこういうふうに思うとか、
そういうのが情報交換が常に出てきていたから、なんとなく自分はこういうふうに立ち回ればいいんだなとか、
こういうのが得意だから、そんなことしたらみんな笑ってくれるのかっていう感覚が自然に出てきていたけど、
スマホはそういうことがないから、なんとか診断とか、
そういうデジタルツールでも完結してしまって、
それはそれでいいんだろうけど、その人がどういうふうに自分が思うか、
いつ何を感じるかなのかなって思っております。
そうですね。そのきっかけがあるかないかというか。
そうだね。そのきっかけがあればいいなって感じなのかな?
この会話?そうですそうです。そういう思いではいいですね。
自分、自分がいろんな人を。
そうそうそう。そういう人がこういうのをきっかけに、ディスカッション会をきっかけに、
その迷子な自分、まず迷子なんだなっていうのも気づいたり、
それに気づいて自分の価値、強みとかを見つけてみて、
あ、意外とここと強みだったんだなとか、ここなんか弱いんだなとか、
でも弱いからといってダメではないし、弱いところが逆にそこが強みにも変わることがあるので、
そういった今ある潜在的な強みっていうか、
もっと自分ってすごくいいものを持っているけど、
それにすら気づいていない人がたくさんいるんじゃないかなって、
自分の周りではそういう人がたくさんいたので。
気づいて、気づいた人に何を求めるの?
自己理解の重要性
気づいた人に求めるのは豊かさですよね。
おせっかいかもしれないけど、
例えて言うなら、仕事をしていてすごく疲弊していたりとか、
今の仕事がつまらないなとか、
でも一方でつまらないなら、別に今の仕事に固執しなくても、
次の仕事を探せばいいという選択肢もあるじゃないですか。
でもあえてそれを選ばずに今その場に続けるっていうのは、
何かしら自分で選択をしているからっていうふうに思うんですけど、
そこに外から見たらこの人すごくいいものを持っているのに、
なんでそんなに疲弊しているなら違うところに行かないんだろうって見えていても、
本人からすればその次に行くステップとか、
行った先での自分の立ち位置だったり、自分がどう輝けるのかとか、
そこをある程度見えない限り次の行動に移しにくいのかなっていうふうに
思える人が結構私の周りにいるんですけど、
だといって自分がそれを何か伝えたとして、全員に響くわけでもないし、
ただ何人かに響いて行動に応募してくださる人も多少はいて、
でもそれは本人が決めることなので、絶対ではないんですけど、
自分の中ではただ見ててすごくもったいないなっていう人が多いなって思っていて。
でもそれはやっぱりその人の今の置かれている状況だったり、
背景だったりっていうのをよく知らないと、
単にこの今じゃあやめて、こういうスキルを持っているんだから、
こっちに行ったらどうですか、的な、こういう道もあるんじゃないですかって言って、
選択肢を広げてあげたいっていうはずなのかなって今聞こえたんだけど、
そうであるとしても、例えばだけど、相談相談して終わって、
今の状況を変えたいと思っていても、変えられないっていう状況もあって、
変えられない中にも変えたくないっていうものもあったりして、
そこに何の動きを置くのかによって、やっぱりアドバイスする側としては、
こういうものもあるけれど、あなたの強みはこういうものがありますけど、
とかっていうふうに言ったとしても、行動するのは本人なので、
そこのアドバイスを無責任に聞こえるようにしてはいけないなって思う。
うん、そうですね。
広い人に、やっぱりなかなか全てを本音に話せるっていうのが、最終では難しいから、
さっき初めて時間をかけて、初めて話してくれるっていうこともあったりするから、
これはたまにお互いの信頼関係も作りつつ、こういうふうに話ができる、
聞くだけでも全然いいと思うし、こういうことの中に出る範囲があるんだなみたいなね、
ちょっとこう、広がってもらえればいいんじゃないかなって。
まあ、そうですね。
全てが正解だから、何とも難しいテーマね。
そうですね。
どうにも答えが見つからないけれど、やっぱり私の求めるものは、
豊かさっていうのを大事にしたので、別にお金があるから豊かかとか、
何だろうね、そういうことじゃなくて、自分の豊かさって何なんだろうっていうふうに、
別の視点で考えてくると、やっぱり今の価値とか強みとか、
そういうふうなものもそれはあるんじゃないかなって思います。
ありがとうございます。
そうですね。
やっぱりそういう、何だろうな、思ったのは、
その人が持っている選択肢が、結局豊かさって人それぞれだけど、
ある程度選択肢を薄持てるといいのかなっていうふうにもちょっと考えていて、
なんかもう今の会社だけってなっちゃうと、選択肢があるけど、
あえてその人は1個だけで判断しちゃってるけど、
例えばディスカッション会とかで自分を客観的に見てみたり、
今回のテーマじゃなくてもいろんなテーマで出てみて、話をしてみたり聞いてみたりすると、
自分にないものだったり気づかないものに出会ったりすると、
その中でそういう考えもあるんだなとかっていうふうに触れたときに、
そっちもちょっと気にしてみようかなっていう選択肢の目が出てきて、
それを興味があれば掴んで育っていけばいいし、
ディスカッションの自由さ
それが別にそっちを選ばなくても、そっちも選択できるんだなっていう余裕が生まれたときに、
少し安心して、いつかそっちも選べるんだなっていう余裕をもとに、
豊かな人生につながるのかななんて思うんですけど、
それが今の本当に目の前の、分からないけど疲弊した職場しかないんであれば、
ぶら下がるしかないのかもしれないけど、
でも一方でそういった違う視点とかつながりとかコミュニティとかがあれば、
また違う広がりがあっていいんじゃないかなっていうふうにも思います。
うーん、そうね。
でもあまりに選択肢を与えるのもどうなのかなって問題するし、
だって分かんないから、その人の生きてきた人生を。
だから簡単に言えないなっていうのもあるけど、
ただ一例として、こんな生き方がありますっていうのは自分の方の、
自分の人生経験から発信はできるから、
その部分だけを丁寧に気になった部分があるんであれば答えてあげるといいかなって思うし、
自分のこういう感覚で価値観で生きてきましたっていうのを捉えるのは相手だから、
だからどう捉えるかっていう捉え方の違いが何かにあって、
やっぱり相手の立場になって物事を言うっていうのも大切だけど、
相手のことを何も知らないからやっぱり自分のことしか正確に伝えることができるのかなって思いますね。
そうですね。
そういう意味でも強制とかではなく、本当に自由に話せる場としてのこういうディスカッション会が一応予定しているというか開催しているので、
気軽に参加しての思いを話すなり聞くなりっていう中で、
本当に自分の自然体で自分のスピードで入ってくるといいのかななんて思っています。
価値の再評価
そうですね。
そんな感じです。
はい。
何を用意したんだっけ?
いいですよ。
なぜ今価値を考えるのでしょうかというテーマというか質問に対して、
自分が考えていたのは、さっき言った、
明日の仕事、今の仕事があるのかどうかということ。
就寝雇用の崩壊だったり、今生きてはいるものの生きづらさと向き合うっていう、
生きづらさから逃げるというか、それをどこかに遠ざけて生きている人も中にはいると思うんですよね。
制限されているけど、でもそこで生きなきゃいけないんだっていうふうに言い聞かせている人もいるんじゃないかなって思っていて。
でも、これを受け入れて、今生きづらいよねって自分に言い聞かせるのもいいんじゃないかなって思って。
生きづらいかなって感じることは、生きづらい、生き苦しいなみたいなふうに思うだけでもいいんじゃない?
自分苦しいのかもみたいな。
でも、それをあえて気づかせないように自分に強いているっていう人も感じられるので。
だから、そこで自分の価値っていうのとか、強みだったりを考えたり、
人の強みを聞いてみたりとか、そういう場っていうのも意外といいのかなって。
その時に相手が今すごく生きづらいんですとかってなった時に、
例えばそれがとある知り合いはすごく自分を受け入れて、いろんなカミングアウトをしてフリーに生きていて、
すごく生きやすそうだとか、そういうのを聞いて自分もいいなって思ったんですとか。
そういう人も中にはいたりして、そういうのも聞いてみると、
自分もじゃあもっと生きやすく生きれるのかなとか、そういうふうに考えるとか、
生きやすく生きるにはどうしようとか、そういうのを本当に自分と向き合うきっかけが、
やっぱりディスカッションする中で出てきたりするんじゃないかなって思っていて。
それが一人だけだと、やっぱりなかなかそれに気づきづらいんじゃないかなっていうふうに思ったので。
そうしてっていうパターンがあるよね。
そうです。
毎日お金でいれば考えることもないし、また明日も同じ仕事をして同じルーティンを行っては、
月にいっぱい給料もらえるし、そうしていれば家族は生活できるし、
っていうふうに考える時間がないのを作らないっていう人もいるよね。
それで自分の身体がまた心がついてかなとか、
っていうふうになって初めて気づくのかもしれない。
だからその時にこういう言葉を見せるようなのが心の場だったり。
そうですね。
何かできるわけでもないけど、とりあえず分かる分かるって。
生きづらさなんて、生きづらいなっていつも思うけど、
自分がこうやってきたよっていうのが伝えられるかなって思うから。
生きづらいって思うのは変わらない。
私は変わらないからいつの時も生きづらいなって思っているけど、
やっぱり生きる、生きていくためには生きる目的目標だったり。
だからやっぱり生きるにこだわってみようかなって思えたから、
そういうのを考えることもあるし。
何か何にこだわりたいのかなっていうのを探すのもいいかもしれないね。
そうですね。
車が好きなら車をいじるのに徹底したい。
だったら今の生活無理だよねみたいな。
だから何にこだわってるかっていうのを見つけると、
逆に応援していくと、生きづらさっていうのは解消されたりするかもしれない。
確かにそうですね。
そのためにも言葉にしてみたりしないと見えてこないところがあるかもしれないですね。
誰かが楽にしてくれることはないから、
自分から変わらない行動に、考え方でも行動でもそうだけど、
食べ物でも乗り物でもそうだけど、
自分が選んでいるから自分の選ぶものを変えていかないと、
なかなか総評層に届かないのかなって思う。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ではでは。
そうですね。投げかけとしてはそんなことでして、
もう自分の中ではまとめになっちゃうんですけど、
今これまでの平和だったり安定がある中で、
ただ今そういう中心雇用が揺らいだりとか、
明日何が起こるかわからない不安定な世の中に今変わりつつあって、
これまでの常識が常識じゃなくなっていくことも多々出てくるんじゃないのかな。
少々出てきていると思うんですけど、
そんな中でやっぱりこれまで話してきた自分の価値の強みだったり、
どう生きたいかとか、そういうのを今考えて、
人生これからまだあるという中で、
じゃあ自分がどこに進みたいのか、
ではその組織に属してこのまま定年までいけばいいんですとか、
定年になったらどこかに行きたいんですとか、
旅行に行きたいんですとかっていうのももちろんいいと思うんですけど、
それまでずっと思考停止でいるのか、
思考停止じゃないにしても同じ環境で、
それが揺らいだ時に自分はどういう体制を立て直せるのかとか、
そこまで考えた、要するに自分がどう生きたいかっていうのを持っていた方が、
この先いいんじゃないかなという中で、
その後悔に例えるなら、要はコンパスがあってこそ、
未来への選択
自分が進む道が自分で作れるのかな、示せるのかな、
今、生きづらいのであれば、これからまだまだ人生あるわけですから、
生きやすい未来を自分で選択して生きてみてはいかがでしょうかっていうのが、
今日のテーマで皆さんにお伝えしたかったことでした。
明日も来る系だね、それはね。
明日が来るよね、この話は。
明日何が起こるかわからない人だね。
今何が起こるかわからない人だね。
もうちょっと聞いたら思ってみると、やっぱりもっと充実した毎日になるんじゃないかなって私は思うけど。
後悔、やらない後悔の方が大きいじゃなくて、
明日で食べようと思ってたのに、みたいなもんね。
思ってても誰かが食べられてるかもしれないですけど。
やっぱりわかんないよね。
そういう意味では今なんでしょうけど、
今すぐ自分を変えれるかっていうとそれもなかなか難しいので、
明日っていうのも使ってみたんですけど。
別に変わる必要はないよ、今変わる必要はない。
ただ今全力、今考えるすべてを今出した方がいいんじゃないっていうぐらいかなって私は思う。
明日わかりだと思ったら、明日考えればいいんじゃないっていう。
まあそうですね。
そんな繰り返しで日々変化し続けていっていえば、
どこか自分の価値に気づけたり、生きやすい環境が整っていたりっていうのが来るかもしれない。
だからやっぱそれを掴むためにも日々考えましょうっていうことでいいんですかね。
そうでもないですか。
そうだね。
今を生きた方が楽しいかもよ、みたいな。
そうですね。
でも基本的に私の考え方が変わったから、明日できることは明日やろうっていうぐらいになってきたから、
今本当に大切なものってなんだろうっていうのに、
積み落とされると今日できることっていうのがあるよねっていうふうになるから、
別にそれでいいなって私は思う。
明日できれば明日やればいいぞっていうのもある。
そうですね。
そうですね。
まあ分析があったらね、臨機応変に動きましょうってことなんですかね。
うん。
大切にしているものは何ですか?
そこ、うん、そうだよね。
大切にしているものは何ですかっていうのに向き合ったり見つめ直したり改めてみると、
私のおかず世界の色が入り込むんじゃないかなって。
うん。
そうですね。
だからなんだろう。
本当に重要なものが分かってくれば、それは今日とか今ってなるんでしょうけど、
意外と今やってることがあれちょっと重要度低いかもって気づければ、
じゃあ明日でもいいかとかってなるだろうし、
その辺の取捨選択は多分自分の考えで優先順位を変えられるはずなので、
それをただただ日々を過ごすんじゃなくて、
考えた上で選択して日々を過ごすっていう風にすると、
また違って自分の未来が変わっていくのかななんて思いました。
そうだね。
考えてばっかりいて行動するのが怖くなっちゃって、
何もしないほうが今のほうがいいみたいになっちゃうかもしれないね。
うん、確かにね。
それもありつつ、
でもやっぱり人と関わらないで生きてはいけないから、
という風に今日朝目が覚めたらまた同じメンバーの顔を見るのかもしれないけど、
今日は何が起こるかなみたいなくらいの楽しみで、
行ったほうが生きやすくなるんじゃないかなと。
そうですね。
そんな感じで自分の居心地の良さというか、
絶対はないよっていう決め。
絶対、正解?これが正解とか。
ではないよっていう風に思う。
確かに。
全部正解だから難しい。
そうですね。
ディスカッション会の締めくくり
やっぱり考えてみてはどうでしょうかなんですかね。
いいですね。
ありがとうございます。
そんな感じで、話題提供としてはだいたい終わりましたが、
最後に何かありますか?
最後の5分です。
今50分くらいだけど、だいたい終わりで大丈夫です。
とりあえず、だいたいいいかな。
だいたいいいです。
いいですかね。
全然朝までおしゃべりってやられるの。
そうですね。このままだとずっと喋ってられちゃうので、
時間もあるのでこの辺でだいたい終わりにしたいんですけど、
そんな感じでディスカッション会はまた来月もやっていきますので、
そんな感じでディスカッション会はまた来月もやっていきたいと思っています。
こんなやりとりが楽しいなと思ってもらえる人がいたら、
そうですね。
何かテーマが流れが出ないので、そこで2人でコモリするっていうのもいいのかもしれない。
いいと思います。
次回は18日日曜日にまた同じ時間で2時から開催しますので、
福島市です。
同じくオンライン開催もやろうかなと思いますので、
また気になる方はご参加いただけたらと思います。
はい。
詳しくはいつごろ詳細が出てくるのかな?
詳しくは5月ぐらいに出しますかね。
連休明けぐらいかな?
連休前ぐらい。
わかんない。
近々出しますので、ホームページだったりに上げたいと思います。
そうだね。
はい。
そうですね。
はい、そんな感じで終わりです。
テーマですね。
来月のテーマは、
ちょっと待ってください。
来月のテーマ、
来月のテーマは里親についてなんですけど、
頑張って。
ちょっと待ってくださいね。
里親について考える時間にしたいと思います。
テーマは、里親って何?聞いたことはあるけど、もっと聞きたい。
というテーマでお伝えしたいと思います。
キーパーソンの方は、高木優樹さんにキーパーソンとなっていただきます。
この方は東日本大震災をきっかけに里親に登録された方で、
血縁はないけれど、みんな家族という楽しくたくましく、
現在は6人の里ごらと暮らす肝っ玉母ちゃんです。
楽しそう。
親と暮らすことができない子どもに暖かい家庭との思いで、里親仲間を募集中です。
素敵ね。
楽しみだわ。
ということで、来月はまたディスカッション会がありますので、ぜひご参加いただければと思います。
以上で本日のディスカッション会終了いたします。
いいですかね。
ありがとうございました。