はい、ではここからの時間は、前回に引き続きゲストとしてお越しいただいている、京都在住の哲学者谷川芳郎さんを引き続きゲストにお迎えしてですね、
後半戦、特にですね、Jam Sessionzがメタファーとしてよく使っている、協奏という言葉についてお話をしていきたいなというふうに思っておりますので、谷川さん、引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっとね、収録前にもお話をしていたんですけど、Jam Sessionzがですね、
Jam Sessionzっていう会社名自体が即興演奏っていう言葉から取っていたりですとか、我々全然音楽とかやらないんですけど、
メタファーにジャズとか即興演奏とか、あと共に奏でる、協力して奏でるっていう協奏を使ってたりとかっていうことをしてまして、
それを我々の事業活動だったりとかに反映していきたいねというふうに思ってですね、名前をつけているんですね。
今すごいど忘れしちゃったんですけど、我々のJam Sessionzのビジョンみたいなものがありましてですね、
忘れがちなんですけど、今谷川さんにも見ていただきたくてチャットに貼るんですけど、
ガサツーもね、本当に不思議な立ち上がりをしてやってきてますんでね。
誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界を作るっていうのがビジョンでして、それの補足として、誰かが即興で奏で始めた新しい音が重なりあり、
自由でありながら調和の取れたセッションが生まれ続ける、そんなすべての命が響き合う協奏社会の実現を目指しますという言葉をですね、我々起業する前に作りまして、これを大切に活動しているんですけれども、
この協奏っていうものを聞いて、谷川さんがどういうふうに感じられるのかとかです。
我々もこの言葉を1年ぐらい使い続けてきて、言語化しきれてない部分もあるなっていうふうに思っていてですね、そこの深掘りみたいなのを一緒にさせていただけると嬉しいなっていうふうに思っていて、
ちょっとそこら辺からスタートしたいなと思うんですけど、もう少し補足すると、協奏っていう言葉って、いわゆるコンペティションですね。
ビジネスの世界では競合相手とかっていう意味の協奏っていうところから、最近使われているのが、共に作る、共に創造するっていう意味の協奏っていう言葉があって、
そっちで結構使われていると思うんですけど、私個人的に共に作るの方のハードルが結構高いなって感じてしまって、作るって01で作るってことを私は感じてしまって、共に作るなんて誰かと作るんだけど、とは言ってもちょっとハードルが高いなってずっと思ってたんです、この言葉を聞いて。
だからその前段階でもっと気軽に何か行動できないかとか、何かをできないかっていうことをずっと考えてて、それをセッションを作るときに、みんなとディスカッションしてたときに、共に奏でるっていう意味の協奏で、もう少し気軽に軽く始められるからいいよねっていう話になって、この協奏を使っているんですね。
なので、そういった意味での協奏っていうのを、まず谷川さんが聞かれて、どう思われたのかっていうところからスタートしてもいいですか。
なるほど。だからやっぱ最初に聞いたら共に作るの協奏かなっていうのはパッと思ったところですよね。
共に奏でるの協奏で、ジャズのインプロみたいなもんなんだよみたいな話を聞いて思い出したのは、そういえば私もスマホ時代の哲学の最後で、ディスカバーから出てる本なんですけど、最後で唐突に音楽の話したなっていう記憶がありまして、
なんかここでは、主人のアマンダゴーマンっていう人、ちょっと遥か懐かしいかもしれないんですが、バイデン政権が誕生するときに警官主人として若き、まだ多分この頃10代だった主人が登場して、詩を読み上げるんですよね、祝福するように。
そこで、フォーム、形作るっていう英語とコンポーズっていう作曲するっていう用語を使って対比していて、特にはフォームするのではなく、コンポーズするんじゃない、ものなんじゃないかっていう表現を使って。
まあそのなんか対比の仕方はいいよね。なんか作り上げるものと、なんかこう奏でるもの、なんか曲を作るみたいなイメージを対比して終盤に書いてたんですよね。
つまり相手がどんな感じで来るかとか、そういうのを聞くっていう印象を組み込むことができるし、音も一種類じゃないし、
なんかそういうか、あとちょっと探り合ってるようなね、印象も出るかなと思って使った覚えがあって、まあそのことを思い出したなっていうのが最初の一つでしたね。
多様なやつがそこにいるみたいな。そういうのはまあ大きいのかなっていうのが最初ですかね。
ありがとうございます。最終的に作られるとか結果として作られるっていうのがなんか自然なのかなと思っていて、最初からこういうのを作りたいって思って始める場合もあるかもしれないですけど、
ちょっとよくわかんないけど、とりあえず奏でてみようかなっていう、なんかその気軽さみたいなのが結構必要な時代なのかもしれないと私は思っていて、
なんかまず一歩踏み出してみるみたいな意味を音楽に例えてみたっていう感じが私はするんで、
そこら辺を我々の事業活動でもしてみたいなっていうふうに思ったっていうところからスタートしましたよね、りょうこさん。
あともう一つユニックなのがあれですよね。会社とか事業活動って言ってますけど、
実は私たちはこのさっきお伝えしたこの協奏社会っていう方向性はだけを決めただけで、何をするか事業としてドメインとして何を使って決めずに走り出しましたよね。
めちゃくちゃ珍しいですね。そうなんですよ。だから最初の1年何の会社なんですかって言われたときに全く説明ができないっていうね。
何もプロダクトもないしサービスもないっていう状態から始まったので。でもなんか面白かったのが、コアバリューみたいなものだけは同時に作ってたんですよね。
まだ気づいてない価値に引き出すとか寄り添うとか4つぐらいコアアクションみたいなのだけは置いといたんですよ。
今ね、シェアしましたけど。面白いのが、1年間振り返ってみんなで振り返りの合宿ミーティングをしたときに、こんなことも言われたねとか、この人と話したら次こんな展開になったねとかっていうのを整理してたら、
あ、なんか一応全部これ、引き出す、重ねる、生み出す、広げるに、ちゃんとなんかひも付くねみたいな。後から先に置いといた言葉に、後から一応関連付けられたっていうね。
なんか普通の会社とは逆のことをやってみたんですけど、っていうところも実はユニークニスとして持っている。だから私、会社ですって言ってないかもしれない。なんかチームですとか、なんか実験の舞台ですとかっていう言い方でジャムセッションズのことは紹介しているかもしれないです。
なんか人とか方向性だけ先に決まってて、みたいなのかなかなかさいげんせいがなさそうで、すごいなーって思いました。
再現性、果たしてあるんだろうか。
なんかね、人の組み合わせとか相性のおかげでできているだけで、たぶん同じようなことを例えば、わかんないですけど、大学生が言い始めたらたぶん止めますよね。
まあそうですよね。
若干、私たち活動しててサークル活動みたいだなって思ってるんですけど、ただ我々、それがさっき谷川さんもおっしゃいましたけど、10代とか20代だったら本当にサークル活動で終わってたかもしれないんですけど、
それなりに社会人経験があったりとか、いろんなコネクションがあったりとか、いろいろそれぞれの強み、各自の強みみたいなのがあって、
その同じサークル活動みたいなことをすると、なんかそれがちゃんと事業になったりとかプロジェクトになって成果が出るっていうのは、なんか実際やってみて感じたことですね。
なんかそれは仕事にならなくてもいい気はするんですけど、つまり収益化しなくてもいい気はするんですけど、大人が自分たちのスキルを持ち寄って遊ぶって普通に楽しいですよね。
普通のこと言ってますけど。
楽しい。
もちろんね、繰り返しになるんですけど、仕事にしなくてもいいんですけど、なんかある種自分が持っているものを持ち寄ったり、あるいは持ち寄らなくてもいいんですけど、
なんかこう必要のないこと、まあ言わばやらなくたって多分皆さん生活できるとは思うんですけど、
そういうのをサークルのようにあえてやってみるっていうことが大人になってからあえてできるのってすごく普通にいいことだなと思いましたね。
なんかやっぱりこう大人になると普通に過ごしてたらコミュニティって減っていくじゃないですか。
ある時はあってコミュニティが広がるんだけど、あの大学に入った時とか就職したタイミングとか転職した時とか、
まあなんかそういった動きで放ってたらなんか少なくなっていくっていうか、
うん。
まあなんか付き合う範囲とかも変わっていったりするもんですけど、つまりなんか遊びがなくなっていくっていうことだと思うんですけど、活動にね。
なんかそういうことができる環境を持ってるっていうのがすごくいいなって思いました。
今のコミュニティっておっしゃってくださったので、少しあの私のちょっと関心テーマを重ねるんですけど、
いわゆるオープンイノベーション的なね、リビングラボみたいな、
多様なセクターが重なり合ってイノベーションが生み出されるプロセスみたいなことが結構最初の関心の入り口だったんですけど、
なんか今まではA社とB社のコラボとか、あるいは大学と行政と民間と市民っていうそのセクターのコラボみたいな、どうしても、
なんていうのかな、枠がある前提のコラボが語られてた気がするんですね、オープンイノベーションの系譜の中で。
私、京都でこういう実験的な会社にジョインしたりとか、自分もいくつかプロジェクトやってみたりしながら思ってるのが、
一人の人、ショウさんはショウさん、私は私の、Jam Sessionz以外のコミュニティをみんな持ってるんですよ、複数。
複数そのコミュニティに属している、その間にうろちょろしているような私たちが、一回ちょっと一つ会社を作ってみたことで、
それで生み出されているものがあるなっていうのを思っていて、なんかね、頑張ってね、オープンイノベーション4.0みたいなね、ちょっとモデル化できないかなって今ね、ちょっと目論んでるんです。
まだね、材料足りないですけど。なので、種川さんから見てもそう可能性を感じていただいたので、嬉しくなっちゃって乗っけました。
なるほどね。
なんかそれをついて、ソーシャルイノベーションですね、その研究者たちの間でも、最近はやっぱり頭で捉えようとするとか、
これまでの過去の延長線上で経験則から何かを生み出そうとしている限り、イノベーションは生まれないんじゃないかという考え方が結構今増えてきてまして、
それでまさに作りながら、何ていうかブリコラージュ的にその場にあるものから、
あえて目的も置かずにね、これをコラボで生み出そうとかじゃなくて、手元にあるとかちょっとちっちゃくやってみたものから感じ取ってとか、
身体勢を使ってっていうようなことが言われ始めているので、
その辺の作るっていう、頭よりも手を動かすだったりとか、やってみたものを観察して、またそこから何か感じ取ってみるみたいなやり方の重要性っていうのが、
どの領域でも結構共通して言われてるのかなぁなんて思いましたけど。
普通にそうなんじゃないかなっていう気がしますけどね。
わかんないですけど、例えば建築を作るときに図面を描きますとか、文章を書くときになんか、
とりあえず描き始めますとか、何だってそうなんじゃないかなっていう気がしますよね。
とりあえずスケッチしてみてとか、とりあえずなんとなく描き始めてみて、違うかって。
これ描いたから慣れるんですよね。完璧に最初から最後まで考えてから描くってことって、あんま普通はなくって。
ちょっとずつパーツを描いていったりとか、試しに描き始めていったりすることで見えてくるものがあったりするので、
やっぱ、そういうちっちゃなやってみるの連続でしかないのかなっていう気がします。
そうですよね。いつの間にか私たち、何かとりあえずやってみるっていうことのハードルを勝手に上げてたのかなっていう気もしますよね。
これはなんか、めっちゃちょっと話ずれるんですけど、言語化って最近すごい去年ね、賛成どうかなんかの今年の言葉に選ばれてましたけど、
言語化もマジでそうだと思ってて、言語化ミニシリだと思った方がいいんですよね。
その発見が大したものかどうかって、長期的に見ないとわかんないから、
この言語化がすごい良い言語化かどうかって、今しっくりきてるっていうその実感に任せるべきではないと常に思っている。
世の中の人マジで言語化が張り切りすぎてるのをちょっとどうにかしたいなっていつもね。
なるほどね。
ビッグシーンを目指しちゃうんですよね。
確かにそれに向けた取り上げ方な気がしますよね。言語化っていうのかって言ってるのって。
究極の言語化がどっかにあるはずだってなんか思ってそうなんですよね。
あらかじめあるような答え、表現みたいなものを言い当てないと言い当てられるんじゃないかっていうか。
結構あらゆる領域に当てはまることかなっていう気がします。
言語化、めちゃくちゃいろんなところで使われてたりとか、本もたくさん出てますけど。
言語化するなって言われますもん、私だから。
ソーシャルイノベーションの師匠にね。
簡単にわかったふりするなと。
まさにネガティブ・ケイパビリティにつながるかもしれないんですけど、わからなさとともにしばらく過ごしてみようみたいな。
そういう態度っていうのも必要なんだろうなっていうのもちょっと感じたりします。
それは私は二路線あると思って、わからなさにとどまるっていうのも一個だし、
とりあえずバンバン言語化するっていうのも手段。
やっぱ1回が重いっていうのがとにかく良くない。
なんか張り切って正解の一発を出さないといけない。
ここで困っちゃうんじゃなくてってことですね。
そうですね。
気軽に言語化する習慣が普段からあればもう困らないんだろうなっていう気がします。
あ、違うかった。なるだけ言語化したものを捨てられるぐらいの軽い言語化ができるようになったらいいんじゃないか。
なるほど。
まさにまず叶えてみるっていうところからスタートして、
なんかそれがね、別にちょっと音外してたりとか、誰も乗ってこなかったりとかしたとしても、
それぐらいのノリでまず叶えてみるっていうのが本当に即興演奏のスタートだったりとかもするから。
音を外すってこと自体も大事な気がしますね。
なるほどね。
それでなんかちょっと気持ち悪いよねみたいなことを、それきっかけでなんか共通認識ができたりするじゃないですか。
そうなんです。とにかくハードルを下げたいなっていう、まず自分の思いからスタートしたんで、
朝に話してた言語化みたいなところにもつながるなって思いましたし、
あの、谷川さんジーン作られたじゃないですか。
ご自身でも作られたし、キャンプのテーマになってたりとかもするし、
ジーンを作るっていうこと自体も、なんかミニCが、一人のミニCが仲間と一緒にちょっとまとまって、
制作物になるっていう意味で言うと、協奏から始まって作られているものになるんだろうなって思いましたね。
そうですね。だからジーンも、最近ちょっとみんな良いものを作りすぎてて、
作るからには張り切りたくなるのは当然なんですけど、
絵って本当に何でも良くて、手描きだけで作ったっていいし、量産するって言ってもね、そんなに数作らなくたっていいんですよね。
3部だけ作りますとかでもいいし、なんか手紙の便箋に変えてそれをコピーして増やすとか何でもいいんですよね。
なんかそれぐらい気軽に物を作ったり、人と一緒に何かやったりするってことが、
ジーンでも生きたらいいのになっていう気がしますね。
難しい気がするんですけどね、喋りながら。
やったことなかったら、やっぱやってないことだから、それがどれぐらいの張り切らなくていいことなのか、わかんないですよね。
まあそうですよね。
ジャムセッションズでも協奏パートナーは誰でもなってもらって大丈夫だし、
ジャムセッションズっていう会社はただの協奏のステージでしかないので、このステージを使ってくださいっていうことをよく言ってるんですけど、
とは言っても、やっぱり一歩踏み出すとか、この会社を使い倒してやろうっていう人がめちゃくちゃたくさんいるかっていうとそんなこともなくて、
でも我々が自分たちでそれを見せていくというか楽しそうにやってるっていうところをいろんな人に見せていくことが一番周りにそういう人を増やす、つながるのかなって思ったりとかもしますけどね、そこの難しさはありますね、確かに。
なんかでもかといって、日本国民が全員集まれたら困るわけじゃないですか。
確かに。
なので、なんか別に選んでるっていうほどじゃないにしても、寄ってくる人で自然に選ばれてたりとか、じゃあ一緒にっていう、そのじゃあがこっちから言いやすかったりするかとか、そういうのはある気がするんですよね。
私も陣を作るときに、暮らしは言葉でできているっていう陣を作ったんですけど、私一人で主催したくないって絶対思ったんです。
もう一人共同主催者を置こうって思って、それは直感ですけど、絶対この人だなっていう人に声をかけて作ったんですよね。
で、その上でじゃあ他の人に誰に書いてもらうかっていうのも一緒に相談したり、この人が選ぶんだったら大丈夫だろうって言える人をやっぱ選んではいるんですよ。
何て言うんでしょう、別に選別してるって言うほど選別してるわけじゃないんですけど、じゃあ一緒にやろうって言えるような人っていうのもある気がするんですよね。
なんかそういうの選んでるって言うほどではないにせよ、寄ってきたり自分が近寄ったりする人ってどういう人なんですかね、セッションズは。
確かに。
一概には言えない気がする。
でも誰でもいいっていうわけじゃないっていうのは確かにそうだったなと思うし、自然にこう。
一緒にセッションしたいっていう人ですからね。
でも今のプロフェスと同じだなって私は思いました。
私は声をかけてもらった方なので、しょうさんともう一人の平田さんという二人がまさに谷川さんともう一人の陣を一緒に始められた方の関係のような気がしてて、
こういう実験的な会社をやってみたいけど一人じゃなくて誰かとみたいな感じで多分しょうさんと平田さんが立ち上がっていて、
その二人が直感的になのかこの人ならっていうのでそれぞれ声をかけて集まったのが5人なんですよね。
だからそこは一緒ですよね、と思いましたけど。
まさに。なんか一人だったら起業してないし。
お互い言ってましたもんね。
二人でやるんだったら一緒にやる仲間だったら誰か周りに思い当たる人いるかなって言って、それぞれ声をかけていったのが最初の5人。
私は平田さんは知らないまま最初のミーティングに行って、でもしょうさんが声をかけている人だからっていう、
もうそこの一種の、選んではないけど一種の安心感をあるみたいな空気感だったなっていう気がします。
なるほど、人の判断ならお互いにいけるよねっていう人に無意識に声をかけてるんですかね。
お互い別に打ち合わせてるわけじゃないんでしょ、誰に声をかけたとか擦り合わせてなかったって聞きました。
スキル面とかはどうですか?人柄っていうか、この人が選ぶならっていうのはそうかもしれないですけど、スキル面で遠い人を呼んできたとかそういうことなんですか?
まだ1年かかってもまだよくわかってないからね、自分たちのこと。
谷川さんに今日は贅沢にも壁打ちに付き合っていただいてるっていう。
ありがたい話ですけど。
合ってくる楽器打ち合わせずに声をかけてるっていうね。
すごいですね。
なんかすごいサックスが多くなったりしかねないですよ。
太鼓だらけになったりする。
たまたま上手くいってるっていう感じ。
サックスいっぱいになっちゃったらそういう音楽ができるかもしれなくて、それがニーズがあるかどうか置いといてっていう考え方かもしれないですね、もしかしたらね。
面白い。
なんか今の話と全然つながるかわかんないんですけど、
りょうこさんが谷川さんにぜひ聞いてみたいって思ってることがあるって知ったんで、
もうちょっと強引にそれを投げ込みました。
話の流れが合えばいいよと思ってましたけど、じゃあ強引にで良ければ。
強引ってこれでもないんですけどね。
なんか前半で話してた、
哲学者が京都にいるっていうことの意味みたいなところにちょっと近いんですけど、
最近、会社企業経営にもですね、いわゆる経営のプロではなく、哲学者を経営陣に迎えるっていうグローバル経営が増えているというふうに言われてます。
で、私の周りの先生とか師匠的な人も迎えるべきだと、哲学者を企業に。
そうすることで絶対イノベーションは生まれるんだっていうですね、説があるんですけども、
もうほんとやぶからぼうで恐縮なんですが、
三河さんはどうですか?
どうですかって。
経営に入ってほしいって言われたらいけますかっていう、じゃあ問いにしてみようかな。
はい。
なるほど。
それこそ、すごい昔ですけど、事業しようと思ったことは何度かあって、
そうなんですね。
まあでも、まあでも充足できちゃったんですよね、しなくても。
別の仕事で。
忙しくなったりしてとか、っていう感じですね。
なんていうか、そうですね、私がどうするかっていうことはちょっと考えながら喋るとして、
一般論で言うと、哲学的な知見を持ってる人とか倫理学的な知見を持ってる人が企画であるとか、
経営に参画するってこと自体は、私の知ってる範囲でもそんなに珍しいことではなくなっているなっていうのが思うんですよね。
むしろそういったことって全然日本、日本だとニュースバリューになるけど、
海外だと別になんかもうあれあれだよねみたいな、哲学者に限らず人類学者だったりとか、
いろんな専門家を持った人が参加しているわけなので、むしろ何だろう、その人を解雇したとか、
なんかそっちの方がニュースになるぐらい。
はいはいはい。
なんかそういうことがGoogleで昔、何年か前にあったんですけど、Googleが倫理学者を解雇したとか、
解雇の仕方とかが結構微妙だったっぽいとか、それはニュースになるっていう。
だからそういう意味では、なんかアメリカが進んでるかどうかはさておき、
ちょっと違うトレンドが流れているっていうのは言えるだろうなと思いますね。
で、なんかどういう哲学者も役に立つかっていうと、そうではないと思うんですよね。
これはあらゆる人類学者が役に立つのではないのと一緒で。
あらゆる哲学者が役に立つわけではないと思うんですよ、企業にとって。
なんかまず、何というか大事なのは、専門性を持っている人間は基本的に専門用語で喋る生き物じゃないですか。
これ哲学者とか研究者に限らず。
経営の専門家とか、分かんないですけど経理の専門家とか開発の専門家はやっぱそれぞれの用語で喋るんで、
哲学者急に呼んできたら、すぐにはコミュニケーションできないんですよね、お互いに。
で、それを踏み越えて、いわばちょっと雑に喋ってくれる哲学者がどうかっていうのが一つと、
同じように相手の言うことや、相手から急にいい話が聞けなくても、
多少は待てるぐらいの能力が雇う側にあるかっていうのはすごく大事。
日本にはそういうカルチャーがないから、立ち回り方もお互いに分かんないわけなんですよね。
だから、しばらくお互いに様子見ながらどういうふうにこれを活かせるんだろうねっていう距離感で、
お互いに歩み寄れるような人じゃないと、そもそも向いてないだろうなっていう気がします。
これは哲学に限らなくても言えること。
それこそ何か速攻性のあるものを期待して採用するみたいなことは、
はなからフィットしないっていうことですよね。
なんかこれ昔似たようなこと聞かれたときに使った例えなんですけど、
あることをやりたいから哲学者に話を聞いてみようみたいなときに、
いい哲学者にフィットすればいい話が単純に聞けるんですけど、
哲学者があんまりどうすればいいか分かんないときって、
ビジネスにもそんなに通じていないわけだし、
普段やってるのは教育と研究と大学の上だけなんで、
そういう人に声をかけたとき、どの引き出しを開けて喋ったらいいか分かんないんですよね。
だから、哲学者からいいレスポンスが引き出せないときに、
なんか一方では哲学者の問題でもあるんですけど、
一方ではプロンプトーカク側の問題でもあるんですよね。
だからやっぱりお互いにある程度使い方を勉強しないと、
使い方や使われ方を、やっぱりいい関係にはなかなかすぐにはなれないんじゃないかなっていう気がしますね。
確かにですね。
一番分かりやすいやり方は私は地蔵のように置いておくってことだと思って。
お地蔵。
学習能力が高いんで、哲学者って大体多言語使えるし、
世界で一番わけわからん文章を書いてる人たちのことを読んでいるので、
コンテクストを理解する能力っていうのはすごくあるんですけど、
学習量がある程度いるんですよね。
AIの話をしてるような感じなんですけど、やっぱり教えやりじゃないと学習はできないんですよ。
会議に連れ回してみるとか、業務をしばらく見せてみるとか、
そういったことがお互いに許容できる、置かれちゃえば、
哲学者がすごく企業の中で活動するってことができるかなって思うんですよね。
これが一つと、
専門家になった大学に属してる人をピッてピックアップしてくるパターンなんですけど、
哲学のスキルをちょっと持った人って企業に実はすでにいっぱいいる可能性ってあって、
特に大企業だと。
確率的に文学部のやつとか雇ってるわけですよね。
そうですよね。
そういうやつを、改めてそういう人の持ってるナレージみたいなものを活用したりするっていうことが、
もっとやりやすいやり方かなと。
そういう人をもっとちゃんと哲学者にするっていうんですかね。
そうですよね。
会社に入っちゃうことで、
閉じちゃってた、使ってない技を出し彫りにかけてみるみたいなことでもいいのかもしれないですね。
そうですね。
日本企業で流行るとしたら、
哲学者がたまたま就職してるパターンの方が、
割と実は実現しやすいんじゃないかなと思っていて、
社会人大学院じゃないですけど、
就職した上でしばらくして就職まで行って採用したような人が、
博士に行くのを支援するとか、
一番やりやすいんじゃないかなっていう気はちょっと韓国にはします。
いろんな企業を応用しやすい気はします。
それぞれ専門性深めすぎちゃった後だと、
さっきおっしゃったような、
まずはカルチャーを乗り越えるところに時間が要するからってことですよね。
そうですね。
いったんサンドウィッチのように行き来してらっしゃるかと。
もう一個はわかりやすい応用としては、
私はコーチングの代わりに使うっていうことかなと思うんで、
確かに。
しゃべり相手にするっていうのが一つだったりしますかね。
哲学対話を導入するっていうイメージですかね。
コーチングで。
それと合意の問題でどっちに振るかなんですけど、
ただコーチにするには多分我が強いので、
わかんないですよ、人によるので。
コーチングってあなたの中に正解がありますっていうスタンスを取りがちだと思う。
そうですね。
でも哲学はむしろ逆で、
フィロソフィーを、地を求めるってことなので、
地は外側にあるんですよね、常に自分。
ない動きによって駆動されるのが哲学だから、
つまりなんかあなたの中に正解はないかもしれない。
私の中にもないかもしれないみたいな。
そうですね、そこにもないかもしれない。
なのでそれはコーチングとの大きな違いで、
その上でじゃあ一緒に勉強しましょうとか語り合いましょうとか、
知識を交換したら何か出てくるかもねっていうのを、
時間を重ねてやるっていうのが、
コーチングの代わりになる何かとしてあるかなって思ってて、
壁打ち合いですよね。
そういえばアリームルか。
でも最後おっしゃっていただいたのを聞いて、
いくつかパターンがあるにせよ、
なんというか、やっぱり、
最近地の探索みたいなことも言われていて、
やっぱり外側に出てみて、
普段いる囲われたところから出てみて、
出会ったものとちょっとずつ実験して、
それを持ち帰るみたいなやり方も言われているぐらいなので、
それの方法論の一つになれるのかなっていうのを思いましたし、
あとはカルチャーという言葉でおっしゃってくださいましたが、
企業陣の方の組織に染まってしまった企業陣の方の態度を開くというか、
そういう一つのトレーニングの機会にもなるのかなっていうのを
なんとなく思ったので、
引き続き、今日の会話をきっかけに私も深めていきたいと思いました。
贅沢に使わせていただいて、ありがとうございました。
問答の時間に。
はい、しょうさんお戻しします。
私、止まらなくなっちゃいそうなんで。
ありがとうございます。
でも、こういう話って、
実際、世の中で哲学ってちょっと流行ってるじゃないですか。
哲学を含めたリベラルアーツ的な。
でも実際、哲学者の人とか、
私もなんか今度企業の方のね、
その相談に乗る場とかも多いんですけど、
なんかそこに入っていただくのもいいかなって勝手に思っちゃいました。
なんかモヤモヤを一緒に。
はい。
なので引き続きまた、
ありがとうございます。
まだまだ語り足りないんですけど、
時間が限りがあるので。
はい。
はい。
いつものコーナーに行きたいなと思ってまして、
ゲストの方にはお勧めの一冊もしくは一曲を
ご紹介いただいておりましてですね、
棚川さんはいくらでも紹介いただける本があるので、
お勧めの一冊もしくは一曲をご紹介いただいておりますので、
棚川さんはいくらでも紹介いただける本があると思うんですけど。
何が出てくるんだろうってすごいね、
沈黙しちゃいますよね。
すごい迷ってるんですけど、
本だと今2、3冊迷ってて、
あんまり繋がってないやつを。
全然繋がってなくても。
迷ってるやつと曲が一曲あるんですけど。
とりあえず名前だけあげましょうか。
はい。
フレッドシャーメンっていう人が書いた
宇宙開発の思想詩、ロシア宇宙主義からイーロンマスクまでっていう本。
宇宙開発の思想詩。
思想詩です。
ちょっと意外なやつが来た。
先坂くじらさんっていう人の
群れからはぐれて生きるための自学自習法。
めっちゃよかったです。
群れからはぐれて生きるための自学自習法。
自学自習法。
ちなみにチューヒチョルさんっていう。
別学者で経営に参画する、経営には参画しないか。
別学者で企業に所属しているか。
これはネガティブキャパビリティと対談されてた方ですね。
そうですそうです。
はいはい。
が帯を書いてます。
なるほど。
いいなります。
この宇宙開発の思想詩を谷川さんが
あげて読まれたのって
どこら辺にピンときて選んだんですか。
元々こういうなんて言うんでしょうね。
テクノロジーとか開発とかに
テク系に影響を与えている思想って
結構今大事だなって思っていて。
イーロンマスクだけじゃないんですけど。
そういうのを結構掘り下げる必要あるよなという風なことを思っていて。
社会事象を連載しているのもあるんですけど。
なんか彼らの発言の背後にあるかもしれないものを
冷静に評価するっていう必要があるだろうなっていう風に思っていて
買った一作ですね。
アメリカの話だけじゃなくてロシアの思想とか。
ロシアからイーロンマスクまでっていうのがね。
結構面白いですね。
ボイサーツが夏ユートピアノっていう漫画で
大沢幸之さんっていう人が書いたやつ。
読ました漫画。最高。
金川さんは年間何百冊?
70とか80ぐらい。
ぐらい漫画を読まれる。
その中でも最高の一作ですね。
夏ユートピアノ。
ピアノの調律師さんのお話ですかね。
ピアノの調律をやっている楽器店を継ぐために帰ってきた子が
世界的ピアニストの引きこもりの娘と交流する話。
あともう一つ、2つ短編があるんですけど、もう一つは
宝塚音楽学校に4回受験して落ちたところから始まるっていう話。
2つの作品が載ってる。
めっちゃいい。
ペースして音楽つながりとか。
音楽つながりの作品を出してみた。
ちなみに曲だけ言うと、曲はユルシカのアポリアですね。
ユルシカさんですね。
のアポリア。
じゃあ夏ユートピアノにしましょう。
はい。
決まりました。
夏ユートピアの紹介を。
なんかこれ僕、どっかで聞いたことあるのは
他のところでもお勧めしてたからなのかな。
私はそうですね、あちこちでお勧めしてます。
そうですね。
まだあんまり単行本出してはらなくて、
俺がデビュー短編集でもう一冊出してるぐらいですかね。
アフタヌーンっていうあまりと渋いところの四季章っていう
当時毎季、毎季節やってた新人章、短編の新人章でデビューした方なんですけど。
まあなんか、どっちもやや入り口が暗いんですけど、
読んでて全然暗くないっていうか、
しんどくなる暗さじゃないんですよね。
割と淡々と進んでいくっていう感じがあるし、
一方でなんていうか、心の中に残るものはそんなに悪くないっていうか。
なんか結構いい話だなっていう感じがしますね。
なんか帯文を確かテレビプロデューサーの佐久間信之さんが書いてるんですけど、
これまで名付けられなかった感情に名前を付けられるみたいな漫画だみたいな表現を確かに。
あんまり確かに触られたことないような感情をわき起こさせてくれる。
関係性が結構特殊なので、
父親がやっている、
ぶっちゃけ多分父親は自分の代で廃業してもいいかなって思ってそうな楽器展に、
わざわざ戻ってきて継ぐって言ってる、しかしまだ腕が足りない娘と、
国際的ピアニストでバンバンなんか、
世界中を回っている母の下でピアノを習っていたが、
プロにはならなかったし、家からも出れてない人の協力関係みたいな。
つまりどっちも何か足りないんですけど、
その中で交流っていうほどの交流があるのかどうかもちょっと微妙なラインなんですけど、
ある種の工作が生じたり。
高原塚の方も4回落ちた後、別の大学を受験する予備校に通いながら、
北海道の田舎に主人公が住んでるんですけど、
田舎に住んでいる時に、田舎に唐突に引っ越してきた母子家庭の子が、
高原塚を目指したいって言ってるからアドバイスしてあげてくれって言われて、
引き受けちゃったっていうところから。
高原塚を忘れようとしてるのに、引き戻されるんですよね。
引き戻された感じですね。
でも付き合うことで忘れられるかもって思って、
アドバイスしようってなるっていう。
ここにもちょっと実際には掘り下げていくと、
向こうにも何か足りないものや欠けたものや複雑な感情があったり、
アドバイスする側にももちろんあったりっていう、
そういう2人のウェットじゃない交流みたいなのが非常に良いですね。
結構ドライなんですよ。重たい話で。
感情の工作もあるんですけど、ドライな感じがあって非常に良いですね。
気になりますね。
もう今ポチりましたけど、私は。
早い早い。
でも今のお話聞いてるとすごく、
独語感が良いというか、
重たい話から始まるけれども、
爽やかというかサラッとしてるっていうような。
バランスが絶妙なのかなって聞いただけだと思いました。
テーマとか設定はどうかするとシリアスになりがちなのが、
ウェットじゃなく描き切ってらっしゃるっていうところが気になりますね。
あんまり私も類書が思い浮かばないんですよね。
千冊近く読んで、多分類書が思い浮かぶ。
設定もめっちゃ上手いし、展開も上手いし、
あとセリフに結構力がありまして、
力があるセリフって文脈込みで面白いだけじゃなくて、
文脈抜きでセリフだけ見ても面白いっていう傾向がある。
この漫画もそうなんですよ。
ピアノって音を届かせるってよく言う。
ピアノに限らず言うんですけど遠くまで。
音をちゃんと届かせるような調律をするので、
ダメだったら殺してくださいみたいなことを調律師が、
自分に葉っぱをかけるために言ったりするっていうシーンが。
結構印象に残るシーンがいっぱいあるので、本当にお勧めです。
ありがとうございます。
素敵な作品をご紹介いただきまして、私もポチりましたし、
リスナーの皆さんもリンク貼っておきますので、
ぜひ見ていただければなというふうに思います。