1. ともに奏でるラジオ
  2. #55 IVS2025サイドイベント振..
2025-07-25 45:26

#55 IVS2025サイドイベント振り返り会 with 葉山さん後編: ともに奏でるラジオ

spotify

ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。
今回は、前回に引き続き、京都市の葉山さんとともにIVSサイドイベントの振り返りを行いました。

京都という特殊な場所で育まれる創造性について、また長期的な視点からの文化の重要性について京都が果たす役割についてや、その中でジャムセッションズの理念や役割、提供できる価値などについて語りあいました。


銭湯や喫茶店などのオワコンと呼ばれる産業が残り続ける意味、それは京都だからできるのかな〜という話や、京都独自のコミュニケーションスタイルがコレクティブインパクトに繋がっているのでは、という興味深い話がたくさん出てきました。

後編も是非お聴きください〜✨

---
ともに奏でるラジオは、毎週金曜日(たまに水曜日)に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨

◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

このエピソードでは、IVS 2025の公式サイドイベントを振り返り、銭湯や喫茶店などのオワコンビジネスの文化的価値について語っています。また、コミュニティにおける孤独や自然との関係性が創造性に与える影響に触れています。京都における創造性の育成と、長期的な視点からの文化の重要性についても語られています。特に、アグリゲーターとしての役割を果たすジャムセッションズが、サムウェアの人々に価値を提供できる可能性について考察しています。このエピソードでは、京都における新しいコミュニケーションスタイルと、それが多様な価値を生み出す背後について語られています。集合知やコレクティブインパクトの重要性が強調され、京都の環境がそれを支えていることが取り上げられています。IVS2025のサイドイベントを振り返り、京都での交流会の重要性と楽しさについて語り、今後の企画に期待を寄せています。

IVS 2025サイドイベントの振り返り
はい、ではここからの時間はですね、前回に引き続きですね、7月3日に行われたIVS 2025の公式サイドイベントに
参加してきた3人プラスですね、そのイベントを企画してくださった葉山さんと一緒にですね、
このイベントの振り返りをしていく後編になりますので、皆様引き続きよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
なんかすごい盛り上がりすぎてて、このまま行ったら1時間コースだなと思ったのでちょっと無理やり切っちゃったんですけど、
はい、ちょっとこう続きをですね、話をしていきたいなと思っているんですけど、前回話していたのがですね、
なんかそれぞれ多様なゲストが来ていると、はい、京都でオワコンビジネスみたいな感じで言われている
銭湯だったりとか喫茶みたいなビジネスを頑張って続けていらっしゃるお二人と、あとVCである小池さんと、
あと批評家、評論家である宇野さんですね、あとは入山先生ですね、というゲストで様々な視点からですね、
余白とか終わりとか、そんなところの重要性みたいな話をしていたりとか、コミュニティーみたいな話とか、コモンズみたいな話も出てきたかなというふうに思いますけれども、
そうだな、ここら辺から行こうかなと思うんですけど、
けーたさん、さっきの港さんとか山崎さんが価格をあえて上げないみたいなところ以外で、なんか聞いてて面白かったなみたいなところだったりとか、
ここら辺ちょっと掘り下げたいなみたいなところがあれば、なんかそこら辺からスタートしたいなと思うんですけど、どうかありますか。
でもそれで言うと、さっきもちょっとちらっとで聞いてたんですけど、その的な話が残ればいいみたいな話があって、それがすごい印象に残ってるんですけど、
銭湯とか喫茶店もそうですけど、いわゆるオワコンと呼ばれるビジネスとか事業がある中で、
事業として終わっていくかもしれないけど、その中で大切にされているようなこと自体が残ればそれって文化だよねっていう話があったと思ってて、
それが僕は結構印象に残ってそうだよなと思って、銭湯とかも確かに時代が進んでいく中で、
一家に一台も風呂がついてる中で、昔と違う中で残っていて、
でも銭湯で育まれてるちょっとした共同体、共同体っていうほど固定化されてないけど、
地域との繋がりみたいなのは昔あって、それがまた再注目されてて、銭湯文化自体はまた盛り上がりを見せてると思うんですけど、
でも銭湯という形ではなく、銭湯が大切にしてた文化自体が残っていく形があれば、
全銭湯でなくてもいいんだなっていうのを、例えばの銭湯の例で話されていて、
そうだなっていうのをちょっと思って、あそこが結構印象に残ってますね、僕。
銭湯でいうと、なんだろうな、全員裸の付き合いなわけで、
例えば大企業の社長さんであっても市市民であっても、銭湯行ったら裸の一人の人間であって、
かつ、もちろん常連だったりとか行ったら喋る仲間みたいな人もいるかもしれないけど、
別にあそこ一人で銭湯を楽しんで黙ってお湯に浸かったりとかしててもいい。
だからそこら辺が許される、どんな過ごし方をしてても許される空間っていうのが銭湯的なものなんですよね。
だから銭湯みたいなものがなくなったとしても、そういう空間だったりとか、
同じような位置づけのものがあればそれでいいっていうことなんですよね。
多分その適なものが残ればいい。
それが公営みたいなところなのかもしれないし、また別の何か公共空間なのか、でも受け継がれたらいいっていう感じですよね。
大事なことは、また宇野さんの方にも出てくるかなと思うんですけど、
安心して孤独でいられるっていうところ、あるいは何者でもないことに対して不安を感じないっていうことが銭湯とかでも感じられるのかなっていう気がしますね。
孤独する人は銭湯っていうのは、セッションでも出てましたっけ、なんかすごい常連さん同士ですごい恋付き合いをしてるみたいな、全然そんなことないっていう話じゃないですか。
むしろ自分が、また宇野さんの話に寄っちゃうんですけど、宇野さんが再三言ってるのが、結局今の時代っていうのは市場に評価されるか経済として評価されるのか、それともプラットフォームでの承認を受けるのか、
銭湯文化の重要性
その2つに、このすごい人間性というのは絡めとられてるよねっていうことを宮野の話では一貫して言っておられるのかなと思っていて、そういったものから解放される場所の一つが銭湯なのかなっていう感覚は感じましたけどね。
そういう場所が残る意味っていうのが、文化を残すっていうだけじゃなくて、その文化を作っていく人たちの多様性も残すっていうような意味もあるのかなっていうふうに。
要は、一般的に中心部にいるような、コミュニティがあったらその中心に振る舞っている人たちじゃなくて、外れているように見えるけどちょっと面白い着眼点を持っているような人たちが、
その街で営みを行っていく上で、かたみ狭く生きていかずに住むっていうような環境が大事なのかな、その一つが銭湯なのかな。
前半の話でもあったコミュニティみたいな話ともちょっと近い話なんですけど、僕、コミュニティかそうでないかの基準みたいなのっていくと、
僕はいかにありのままでいれるかみたいなところはちょっと思ってて、さっきの安心して孤立でいられるっていうのとちょっと近いんですけど、
運営もそうだし、参加する人も本当にただの存在なので、いかに自然体でいれる場になるかみたいなのが結構重要だと思ってて、
さっきの常連さんの話で雑に雇われるとかも、あれ多分雑って表現してると思うんですけど、多分対等とかそっちの意味の方が強いと思ってて、
どっちが偉いとか偉くないとか、お金を払うとか貰うとかっていう関係じゃなくて、もっとフラットな関係性を大事にするみたいな話なのかなと思ってて、
そうなってくると少し閉鎖性がちょっと減ってきて、もちろん出るのもいいし、外に離れるのもいいし、中にいるのもいいしみたいな、
世界観をいかに作るのかっていうのが結構大事になってくるのかなっていうのはちょっと思っているっていう感じですね、Jam Sessionzのあり方とか。
特別扱いしないっていう言葉がファンベースの中にあったのかな。
常連さんを特別扱いしないみたいな表現が大きく分かってくるなと思いましたね。
自然体にいられるってすごい大事ですよね。
確かケイターさんもJam Sessionzを始める時に心のままでいられるような環境に自分の身を置きたいっていうような話をしてたのが記憶に残ってたりしてて、
それってすごい難しいって思うんですけど。
そうですね。
でもそれは、それができるような場がどんだけ街にあるのかっていう。
結構大事ですよね。
京都はそういう意味ではすごい多いなっていうふうに思ってるんですよね。
そのままでいれる関係性。
もちろん人にもよるかもしれないんですけど、そういう場が多いなっていう感覚はちょっとありまして。
ラジオのゲストにも出てくれた、とびらの運営をされてた中木さんが作るバーとか。
どっちでもいいじゃないですか。何も強制はされないけど楽しいからいるし、もちろんしんどくなったら別に出なくてもいいみたいな。
そういう緩やかな繋がりみたいな。
あとアグディの斎藤さんが作るアクアベースとかもそれに近い感覚を僕は覚えてないですけどね。
どうですか、みなさん。
僕この宇野さんの庭の話に寄せたいんですけど、
コミュニティっていうのがどうしても結局ある特定の人たちだけで集まっちゃうとか、
やっぱり外部と内部を隔ててしまうみたいなところに陥っちゃうのが一つの理由として、
人間だけでやり取りをしてるからっていうことを言ってるんですよね。
人間以外のものが開在するとか、人間以外とコミュニケーションを取るっていうことが必要なんだっていうことを
宇野さんは言ってて。
だから庭という自然界のもの、人間ではないものも開在する場所が必要なんだって言ってるんですよね。
実際Jam Sessionzも京都アーバンファームプロジェクトやってるじゃないですか。
一応あれはコミュニティファームとかコミュニティガーデンっていう風に言ってて、
実際いろんな人たちが集まって一緒に畑作業しましょうねとか、
その中で生まれるつながりみたいなことを楽しみましょうねっていうコンセプトなんだけど、
実際私二次ファームっていうところに平日の朝とか夕方とかに一人で行って水とかやって、
ちょっと草のりたりとかしてるんですけど、結構あの時間もすごい貴重な時間だなって最近思ってて。
自然と一対一で補読に向き合う時間。
これね、近代、現代においてそういう時間っていうのがいかに少ないかっていうのを実際やってみるとですね、
めちゃくちゃ実感してて。
めっちゃわかります。
豊かな時間ですよね。
めちゃくちゃ豊かな時間ですよね。
生かされてる感がありますよね。
そうそうそうそう。
あとそのコントロールしきれない。
そうそうそう。
なんか虫に食われてるわとか、こんなに先週水やったのになんか枯れてるわとか、
なんかそういうところとかも、なんかこう人間同士のやり取りとは違う、
こうね、一人の時間っていうの結構大事だなっていうのを、
僕はその京都アバンファームの一人の時間に感じてるんですね。
だから何だろうね、公園で過ごす時間とかもそうかもしれないし、
なんかね、こう人間だけではない空間っていうところが大事だなっていう、
宇野さんの主張をすごくわかる。
コミュニティに居ながら孤独を味わえるとか、
味わってても別に誰も気にしないみたいな、
空間をどう作れるのかみたいなところは大事かなって思いましたね。
創造性と孤独の価値
なんかその時間から生まれてくるものっていうのが、
一つはやっぱり創造性だと思うんですよね。
例えば先、自分がコントロールできないっていう部分って、
本当に自然と向き合ってるとめっちゃあるじゃないですか。
その時に自分以外の、自分じゃない自然の立場から見た状況みたいなことで、
少しだから自分の目線以外の視点で物事を考えるきっかけになったりするのかなと思うんですよね。
それってすごい創造性の始まりだなって思ったりしてて。
コミュニケーションすることから、もちろん何か生まれるものもあったりするんだけど、
何か自分が一人で、例えばコミュニケーションしたとか、
何か得た情報っていうのを自分の中で少し内静化していく時間っていうのは、
何かを作り上げていく上で、何かを作り出す上ですごい大事な時間だと思っていて。
最終その創造性っていうものも、実はこの前のセッションのキーワードを、
自分の中ではキーワードにしたいなと思ってたところだったんで、
それにつながる話だなと思いました。
創造性みたいな話って、実際、本番の場で話の中で出てきましたっけ、
なんか私がちょっとパッと出てこないんですけど、
そういう歯食いの話になってたのか、そのエピソードってもしあったら、
ちょっとそこら辺深掘りできればなと思ったんですけど。
えっと、ダイレクトには創造性みたいなところとかは出てなかったかなとは思うんですけど、
間接的に言うと、宇野さんが強調していた京都っていうのは何者でもない。
要は奇人変人みたいなのがたくさんいて、
京都における創造性の土壌
その人たちが変な目で排除されない環境っていうのは京都にはあるよねっていうのを言っておられたじゃないですか。
だからそれっていうのは、みんな右ならえっていうか、
みんな割と同じ振る舞いをしてるほうが安心だよねっていうのは、
日本人のある意味メンタリティーでそういったところもあるんですけど、
一方で、自分が好きなことをそれがいいと思ってやってるっていうの自体を許せる環境っていうのもあるっていうのは、
それは一人一人が自分の創造性を信じていいっていう環境なのかなと思っていて、うまく説明できてるかな。
だからそういう意味では、誰かに合わせて何かを自分を取り繕うとかじゃなくて、
自分が信じるままに自分が作る世界を信じれるみたいなことが、
創造性を育む環境を作ることにつながっているのかなと思ったりしてたんで、
直接言葉出てなくてもそういう意味があるのかなとは思ってました。
みなさんも学生時代は京都で過ごされて、卒業してもブラブラしてた時もある、京都でブラブラしてたこともあるって言ってたし、
本の中にも1年ぐらい昼ぐらいに起きて、
ブックオフ行って本読んでから図書館行って本借りて、漫画喫茶で漫画読んでから帰ってきて、
家で映画を見るみたいな、それを1年ぐらい続けてきたけど全く孤独じゃなかったし、
すごく有意義な時間だったみたいなことを書いてあったんですけど、
まさにそれが許され、かつたぶんそういう時間があったからこそ宇野さんは今、
ああいうふうに活躍されたりとか、いろんな部員でいろんな知識を活かして発信されているのかなという気がすると、
それを育む土壌が京都にはあって、それを大切にしないといけないよというか、
大切に生きたいねという話になってたような気がしますね。
アグリゲーターの役割
それってどういうところから来るんでしょうね。ある意味それって京都の文化っぽいところだと思うんですけど、
言っていることも伝わるじゃないですか。数字で示せとかでは分からないけど、
おっしゃっていることもすごい分かるし、それらしいな。だからこそ自分も何者でもなくいられるみたいなの。
それってどこから来るんだろうみたいなのも、多分学生さんが多いっていうのも一個あるんでしょうけど、
それ以外に何かあるのか、今までずっと培われてきたものなのか、何かがそうさせているのかみたいなところで、どうなんですかね。
京都になぜそういう土壌があるのかってことですよね。
そうそうそう。鴨川の存在とかもちょっと大きいと思ってるんですけど、
街の中心にあれだけ開けた場所で、しかも鴨川って場所自体が公園、何て言うんですかね、不思議な空間というか、
開けてるし、けどあの場所を共に楽しんでる平和の空間みたいな空間性も持ち合わせてるし、不思議だなと思って。
そうですね。あそこは紛れもなくパブリック空間なんですよね。河川なので。
だけどめっちゃプライベートな空気が共存している。自分が好きなようなことを振る舞ってもあそこは許されるっていう。
日焼けして半田のおじさんが寝そべってても、あ、鴨川だよねみたいな。
そうですよね。
確かにね。
京都のどういう要素が、その既人変人を置き入れているのかっていうところは、なんかね、もうちょっと深掘りしたいし、追求していきたい気がしますけどね。
うん。
なんかでもやっぱりそれはいろんな複合要因だとは、一つはやっぱりその学生の街っていうところとか、
芸術系の大学が多かったりするっていうところもあるんでしょうけど、きっと風土的なところもあると思いますし、
やっぱりその歴史っていうところで見たときに、やっぱり軸が長いんだと思うんですよね。
だからパッと見、あんなことしてこの人10年後どうなってんだろうみたいな感覚になるときあるじゃないですか。
でも、10年、20年、30年っていう軸がものすごく長い目で見れるから、その人が今ちょっと意味不明なことしてても、もしかしたらその人が残すものがものすごいその後後々意味が出るかもみたいな。
だから時間軸はやっぱり長く捉えられるっていうのは京都の、それは精神性だったりするのかもなって今思いました。
確かにですね。
長期的な視点だってことですかね。
そうですね。
確かに。でもさっきの宇野さんの話も、学生のときにそういう生活をしてたけど今そういう活躍されてるっていうのを時間軸で見たときにね、
そのときに生活をただされてたら、今の宇野さんがいなかったとも取れますしね。
確かに。その辺の間隔がちょっと他の地域よりも長い、だいぶ長いっていうのはあるかもしれないですね。
僕、一つ2話の話の中で、これちょっと皆さん読んでるところかわかんないんだけど、
ジャムセッションズの役割とも近いなって思うような表現があって、ここを皆さんと共有したいなって思うんですけど、
293ページにアグリゲーターっていう言葉が出てくるんですよ。
これコンサルタントの柴沼さんっていう人が言っていることなんですけど、
アグリゲーターの仕事っていうのが短期間に社内外の多様な能力を集めて掛け合わせて、
徹底的に差別化した商品とかサービスの市場に負けないスピードで作り上げるみたいなこととして提起されてて、
まさに一つの組織っていう枠の中じゃなくて、
越境していろんな人たちとかいろんな人材とかいろんな考え方を組み合わせて、
そこで最適なサービスとか商品を作るみたいなことをアグリゲーターに呼んでるみたいなんですけど、
これってまさにジャムセッションズが、一応会社という手を取ってるんだけど、
従業員がいるわけではなく、外の協奏パートナー、いろんな協奏パートナーの人たちを巻き込んでいって、
プロジェクトみたいなのを作って、そこにいるスキルだったりとか経験みたいなのを掛け合わせて、
サービスだったりとか、ビジネスをしていくみたいなところが、
まさにジャムセッションズがやりたいなって思ってるところとすごい近いなって。
うのさんがなんでこれを取り上げたかっていうと、
今って世界が分断されてて、
アニウエアの人々とサムウエアの人々に分かれちゃって、
アニウエアの人っていうのは本当に1%くらいぐらいグローバルでどこでも活躍できる人、
それ以外のサムウエアはここでしかいられない、ここでしか暮らせない、
この仕事しかできないっていう人たちだっていうふうに定義してるんですけど、
アグリゲーターみたいな役割だったらサムウエアの人たちにでも、
自分の働き方として取り入れられるっていうふうに言ってるんですね。
だから別に特別な才能がある人じゃなくても、
一つの組織に属するんじゃなくて、いろんな組織に属しながら、
自分のできることっていうのを提供することによって、
いろんなところで価値提供ができて、いろんなところから収入が得られる、
みたいなことは本当はアニウエアの人しかできないんだけど、
サムウエアの人でも生き生きとして働く、働き方だったり生き方だっていうふうに、
宇野さんが書いてるんですよね。
だからこれからの我々の働き方とか生き方でもあるし、
そういうのを提供できるのがJam Sessionzの役割なのかなと思って、
ここら辺は宇野さんが言ってることとJam Sessionzとの感覚が結構一致してるかなっていうふうに思ったんですね。
だからここら辺は自分でも掘り下げていきたいなと思いましたね。
サムウェアの人々への価値提供
なんか当日のまっつーさんと、やっぱりまっつーさんもその現場で自分たちがやってることを肯定されてるような気がしたと言ってね、
僕も嬉しかったんですけど、今の話とか聞いてどうでした?
まさにそうやなっていう思いと、
あとJam Sessionzに仕事というか相談を持ちかけてくれる人も結構最近もいらっしゃって、
そういう人たちのことも今話聞いて思い出した。
なんかできそうって思ってくれてる人がいるんだなっていう、
普通のいわゆる株式会社とかそういう事業会社には相談できないような、
なんかよくわからんことみたいなふわっとした状態で持ってきてくれるっていう。
それから提供する価値っていうのも、
協奏パートナーがいろいろ多様な人がいたりとか、
だからこそそういう話が来るのかなっていう、
両面があるのかなっていうふうに聞いてて思いました。
なんかやっぱりすごいそれ大事で、
さっきのサムウェアな人たちっていうのが、
でも絶対サムウェアな人たちにもそれぞれ自分たちの持ち味みたいなのがあって、
それを必要としてる人がいたりして、
それがうまく必要としてる人に対して、
自分が持ってるものを活かせるっていうのは、
そういう関係性をうまく作ったりするのが、
ジャムセッションズみたいな存在なのかなって今聞いてて思ったりして。
それってこれからの時代、やっぱり分断っていうのを生ませたくないっていうのは、
自分の結構これからの生き方の第一根底にあったりするんですけど、
それを無くしていくためにはやっぱりサムウェアな人たちって言われてるような人たちが、
いかに自分を肯定しながら、
誰かの力になれるとか、
誰かのために能力が自然と発揮されるような環境をどう作るかって、
とっても大事ですよね。
我々ジャムセッションズの創業のメンバーもそうなんですけど、
一人だったら会社立ち上げて、一人でビジネス始めるタイプの人ではないけど、
誰かと一緒にだったらとか、
一人だとちょっと勇気出ないけど、ジャムセッションズっていう会社がステージを用意してて、
ここで自由にやりたいことやったらいいじゃんっていうところを提供することで、
発揮されるスキルとか経験ってあると思ってて、
そういう風に使ってほしいがためにジャムセッションズを作ったっていうところがあると思うんで、
まさにサムウェアな人たち、我々もサムウェアだと思うんですけど、
サムウェアの人たちが自分のスキル経験をちょっとずつ出し合って、
いい感じにそれが協奏をまさに共に重ねることによって、
何か価値になるっていうことができたら、
すごい特別なクリエイティブクラスの才能がなくても、
生き生きとして暮らしていけるし、
必要最低限の収入だったりとか、
報酬みたいなものが得られるんだろうなっていうふうに思ってるんで、
そういうことをちょっとずつ、
ジャムセッションズに頼んだら何か出てくるかもって、
思ってくれ始めているのかなっていうのは、
ちょっとずつではありますけど、感じる頃々ではありますね。
そうですね。
なんかちょっと言語化できるか自信がないんですけど、
一つ話題をちょっと話し飛ぶ感じなんですけど、
してもいいですか。
お願いします。
はい。
なんか最近、集合地っていう言葉にものすごく今、
注目をしていて、
なんかそのホモサピエンスって元々、
メアンデルダル…言えない。
メアンデルダル人でしたっけ。
メアンデルタル。
ホモサピエンスと集合知
メアンデルタルの方が、この能力では優れていたんですけど、
ホモサピエンスの方が結果としては生き残ったっていう話じゃないですか。
それなんでかって言うたら、
ごめんなさい言えない話なんで、僕は言うのもあれなんですけど、
結局集団で能力を発揮するのは、
ホモサピエンスの方がその方が長けていたからっていうことだったらしいので、
結局その集合地みたいなものが発揮できる特性がホモサピエンスにあるんであれば、
その集合地をどう発揮するのかっていうところが、
今までは会社一つの目的に向かってみんなが一体感を持って、
ワンチームとしてそれに向けて突き進むみたいなところがあったのかなと思うんですけど、
京都はそうじゃなくて、むしろ最初の本の話に戻ってきますけど、
結構みんなそれぞれがそれぞれの価値観を持っていて、
ある意味ではそれぞれバラバラな行動を取っている部分もあったりするんだけど、
それがうまく組み合わさって、全体の集合体としては、
その方がものすごい面白い価値を生んでいくみたいなことができるべきなんかなと思っていて、
そういう環境を作った方が、京都はそういう環境を作りやすいんだろうし、
そういう環境を残す意味で、サムウェアな人たちが自分たちの居場所と出番みたいなところを
持っているように、そういう環境を作る組織体みたいなものがいくつも点在している状態っていうのが、
集合チームにつながっていくのかなと思ったりしてたんです。
Jam Sessionzの必要性
ごめんなさい、ちょっとうまくつなげられるか分からなかったんですけど、
何が言いたいかって言ったら、やっぱりJam Sessionzみたいな動きっていうのは、
これからの時代に必要で、そういったところに対して、
今はそれをどうマネタイズしていくのかみたいな、
これからはそこに価値が向いていく、そういう環境がある方が都市生活を送りやすいし、
そういう環境自体を街全体で支えていくべきだよね。
それはビジネスパーソンとしても、そういう環境をみんな投資していった方がいいよねっていうような、
その方がいい人材が育っていって、自分たちの会社にも還元されるよねみたいな環境になるといいのかなって
つながってますか?
つながってると思ってますね。
集合池って、流行りの言葉か分からないけど、コレクティブインパクトみたいな言葉とかがあったりするんですけど、
多分今までって、同じ属性の人たちが一つの目標に向かって進むっていう、
いわゆる一般的な組織の在り方ってよかったんだけど、それがセクターを超えて多様な考え方の人たちが緩くつながって、
そこでインパクトを出すっていうことがコレクティブインパクトなんだろうなと思うんですけど、
そういう、まさに今日のキーワードにもあるんですけど、余白みたいなものがある状態だったりとか、
つながりすぎてないみたいなところだったりとか、そっちの方が新しい価値が生み出されたりとか、
それをイノベーションって言葉を使っていいか分からないんだけど、出てくるんだろうな、
かつそれが多分これからの社会に必要なんだろうなっていう意味で言うと、
あえて緩くしとくとか、あえて余白を残したつながりみたいなものっていうのは、
Java Sessionsのような組織体とか考え方の方がやりやすいんだろうなっていう気はしますね。
京都のコミュニケーションスタイル
なんか一つの会社で、一つの人格で生活をするっていうのはなかなか成り立たないし、
本質的かどうかで言うとちょっとこう、実は緩やかな。
一人の人の中でも人格とかっていろいろあれじゃないですか。
例えば家族といるときも違うし、会社でいるときも違うし、コミュニティでいるときも違うし、
みたいなのって複数いっぱいあるはずなのに、一つの会社の中で同じ人格の中でやり続けるとか、
あとその会社の評価という枠組みの中で自分の人格を塗り替えるとか、
多分そういう時代ではなくなってきてるのかなと思ってて。
まずは自分のありのままという状態があって、
その中にあっている会社なりコミュニティなり、その他のサードプレスなり、
いろんな場所の中で自分という人間を構成する。
家族もそのうちの一つでみたいな。
そっちの方にどんどん寄っていってるのかなというふうに思ってまして。
京都はよりそれがやりやすいし、それを体現してる人が多いのかなっていうのは、
僕は3年前ぐらい京都に来て、より感じてるところはありますね。
一つの組織とか一つのコミュニティにしか属してないとかなると、
例えばだけど、すごい関係性が良かったらそれでもいいかもしれないですけど、
なんかちょっとそのコミュニティの中で関係性が悪くなっちゃったりとか、
嫌なことがあったりとかがしたときに、
そこにしか属してないことの精神的なストレスというかがあって、
すごい大きいような気がしてて。
でもいくつかの組織とかコミュニティに属してたら、
なんかこの組織ではちょっと嫌なことあったんだけど、
こっちのコミュニティがすごい安定してるから、
トータルとしては安定してるみたいな感じのこととかもできると思うんですよね。
だから人格も一貫性みたいなものをあんまり追求しなくても、
良かったりとかするのかなって思ってると、
健全なのはいろんなコミュニティに属したりとか、
いろんな顔を持ってるっていうことの重要性って、
効率的ではないかもしれないけど、
なんか重要なんだろうなって僕は思ったりとかしますね。
なんか進化の話を今聞いてて思い出しました。
やっぱりそういう方が生き延びれるっていう話ですよね。
一つの会社がダメになっても、
他に事務とかあるいは環境がなくなったとしても、
他の環境があればやっぱり生きていけるっていう、
そういう話に近いなって聞いてて思いました。
それ僕京都に来てすごい感じてるのが、
こういうイベントとかに参加したときの関係性なんですよ。
何かっていうと、
僕東京長かったんで20年ぐらい住んでたので、
その中で仕事とか、
京都と同じようにいろんなイベントあるんですね。
やっぱり自己紹介が、
どこの会社の何とかという役職の誰々ですっていうのは、
もう基本なんですよね。
だから結局利害関係が基本中心になるので、
私たちが持っている武器はこれで、
あんたたちが欲しているのがこれで、
ここが合わさったらウィンウィンだからやりましょうみたいな、
そういうコミュニケーションがやっぱりイベントの中の中心、
それが全てだとは言わないんですけど、
ほとんどがやっぱりそういう、
自己紹介とか関係性のスタートなんですよね。
京都に出て、
京都もいろんなイベントもちろんあるんですけど、
やっぱり比較的どこの誰々ですというよりは、
まず人というか、
自分の好きなこととかそういう話をした後に、
あれそういう方どこで働いてるんでしたっけみたいな、
順番逆なんですよね。
逆の方が多いんですよね。
その辺の最初の自己紹介みたいなところでも、
少し今の話ともつながってるのかなっていうのは、
めっちゃ感じますね。
そもそも会社で自己紹介できないじゃないですか、
もう僕とかしょうちゃんとか特に。
会社で会社の紹介をしてもよくわからないから、
よく伝わらないから、
結局何してるのかっていうのを
いまいちわからないまま終わることが多いんですけど、
だから関係性が深くなってから、
なるほどそういうことをもうしてたんだねとか、
そういうことしたんですねみたいな感じになるっていうのは、
よくあるんですけど、
それでいいんじゃないっていう感じですよね。
すぐに利害関係一致してビジネスしたいから、
そのイベント行ってるわけでもないから、
将来的にそういうこともできるんだったら
ちょっとこれお願いしようかなっていう風になったら、
それでいいじゃないですかね。
っていうぐらいの長期的な視点で
コミュニケーションを取りたいですねっていう感じですよね。
京都的なコミュニケーションなのかもしれない。
めっちゃ肌落ちします。
いや、まさに視点が長いから。
ありがとうございます。
言いたいこと全部言えました?皆さん。
まだちょっとこれ言っときたいみたいなのがあったら
ちょっと言ってもらって、
終わりに向かっていきたいなと思うんですけど、
このイベントでこの話ちょっと出してみたいな、
もしあったら。
ちなみに私は終わった後の交流会にはいけなかったんですけど、
交流会どんな感じだったのかとか、
交流会で生まれた何か新しいつながりとか、
そんなのがあったらぜひ聞きたいなと私は思います。
何かあります?
ちょっと交流会からは外れるんですけど、
山崎三次郎さんが大好きになりました。
一緒一緒。僕も。
めっちゃ面白いなと思って。
キャラね。
キャラとか。
キャラはね、よかったですね。
思ってることも素直に。
あの場でかっこつけちゃったりとかするじゃないですか。
僕だと絶対するんですよ、かっこいいことを。
やっちゃおうって頑張るみたいな。
でもそうじゃなくて分かんないことは分かんない。
分かるわ。
今僕に振りますみたいなことを。
でもちゃんと本質的なことは考えられてて、
あと取り組みとかもね、
カフェの文化を残す取り組みとかも一生懸命されてて、
すごい魅力的な人だなっていうのを。
思いましたよね。
僕は本人にファンになりましたって言いましたもんね。
あ、言いました。
交流会で、そっか。
そうそう、交流会で。
言えなかった。
すごい素敵な方やなって。
みなさん素敵でしたけど。
なんか、より。
はやまさんはちなみに前からご存知だったんですか?
そうですね。
一度とあるトークセッションに出られてるのを知って、
マガザン京都っていう会社あるじゃないですか。
あそこの岩崎さんと仲良しで山崎さんが。
すごい会談が好きとか謎情報もあったりとかしてて、
すごいインパクトがあったんですけど。
山崎さんでも306にM&Aされて、
毎月役員会読まれて何か言い切られてるみたいなこと言ってますけど。
言ってましたね。
多分あれでも愛されてると思うんですよ。
そうですね。
僕もなんとなく想像もできるんですけど。
でもそれって逆に言い風吹かしてるのかもなと思ったんですよね。
309側に。
もう全然想像でしかないんですけどね。
だって309今度京都に移転してくるじゃないですか、本社を。
そうなんですね。
それって山崎さんの影響もあるんじゃない?
交流会の振り返りと京都の魅力
勝手に妄想してましたけど。
すごいですね。
309を京都に呼んできた男って感じですか?
そうですね。
数字じゃない世界に309が寄ってくるんですよね。
それすごい素敵な傾向ですよね。
ね。
あと一つ嬉しかったのは、
宇野さんが絶対交流会みたいな場好きじゃないって公言してるのに、
結構最後の方までいてくれた。
それ嬉しいですね。
嬉しいですね。
いろんな人と結構コミュニケーション積極的に。
もう帰りますって言うてからも結構残ってあって。
それって通常ああいう場って、
僕もたまにああいう場本当にしんどい時あるんですけど、
でもそれでも誰かと会うことにすごく意味を持ってくれてたのかなと思ったのは嬉しかったです。
やっぱり京都で何年間か過ごされたっていうところもあるでしょうけど、
やっぱり何かこうね、
いつもの東京でやる交流会とは違う何かを感じてくれた。
で、宇野さん、
僕オファー出す時もかなり大丈夫かなと思ってオファー出したんですけど、
京都の仕事は基本断らないっていう。
京都で何かをやっぱりやりたいっていう感覚すごい。
なんか自分でも言ってありますけど、京都での生活が一番居心地よかったって言ってあったんですよね。
そういうことを感じてもらえる人は他にも多分いるんだろうけど、
それをやっぱり京都は大事にすべきですよね。
京都ラバーを大事にして、
単にその人たちと何かをやってみるっていうような環境を作れるといいな。
宇野さん、ぜひ何かしら僕はこの後何かで接点を持ち続けて、
京都で何かを作りたいなっていうふうに思ってますけどね。
楽しみですね。
我々もぜひそういうところにご一緒にしていただきたいと思います。
何か考えましょう。
ぜひ次の企みをしていけたらなというふうに思います。
ありがとうございます。
いい感じの時間で後半も終われそうになってきましたので、
今回は京都市というか京都イノベーションスタジオの企画のイベントでしたけど、
ちょうどJam SessionzもJam Sessionz Nightという筋書きのないイベントを開催をしておりまして、
多分この後編が流れるのが7月25日だと思うんですけど、
まさにその7月25日夕方18時半から、
先ほど話題にも出ましたけど、
梅子寺にある梅子寺アクアで、
イベントJam Sessionz Nightをやりたいなというふうに思ってますので、
これを聞いていきたいと思った方は、
夕方から参加していただければ全然大丈夫なので、
お待ちしておりますという宣伝をしておきたいなというふうに思います。
URLも貼っておきますので、
ぜひこれを聞いていこうと思った方は、
ぜひ夕方の分に参加いただければなというふうに思います。
ということで、今回は葉山さんにゲストに来ていただいて、
イベントの振り返り会ということでしたけど、
またさっきの話もありますけど、
一緒に面白い企みをしていければなと思いますので、
引き続きよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
一緒にカルチャーを作っていきましょう。
ありがとうございます。
ということで、
今日の放送はこれで終わりにしたいと思います。
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
また次回お会いしましょう。
さよなら。
45:26

コメント

スクロール