1. ともに奏でるラジオ
  2. #43 ゲスト回第20弾 田村志帆..
2025-05-02 54:06

#43 ゲスト回第20弾 田村志帆さん(前編):ともに奏でるラジオ

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ともに奏でるラジオは、「誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる」をVISIONとかかげる株式会社ジャムセッションズが、即興演奏から生まれる「協奏」をテーマに、チームメンバーや様々なゲストとともに対話を繰り広げる、そんなポッドキャストです。

京都を中心にジャムセッション的に活動(協奏)しているゲストをお招きしてお届けしている「ともに奏でるラジオ」。今回のゲストは、滋賀県高島市で琵琶湖漁師として活動している田村志帆さん。

大学卒業後すぐに琵琶湖の漁師として就職し、昨年秋に独立された志帆さん。幼い頃から魚図鑑を持ち歩くほどの"魚好き"だった彼女が、神奈川県の内陸育ちから琵琶湖の漁師になるまでの道のりを伺いました。

「えり漁」や「刺し網漁」など琵琶湖に伝わる伝統的な漁法の解説や、湖と海の漁業の違い、70代の漁師さんたちと共に働く20代の若手漁師としての日常など、知らないことばかりで、質問が尽きませんでした😄

1000年以上の歴史を持つ琵琶湖の伝統漁法と、それを受け継ぐ若手漁師の姿を通して、人と自然の関わり方、食文化の多様性について考えさせられる内容になっているので、ぜひお聴きください!
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ともに奏でるラジオは、毎週金曜日に更新しています。
次回の更新を、どうぞお楽しみに✨
◈株式会社ジャムセッションズ(Jam Sessionz)
VISION:誰もが有機的につながり、協奏が生まれ続ける世界をつくる
https://jam-sessionz.com/

サマリー

今回のエピソードでは、田村秀穂さんをゲストに迎え、滋賀県の美芽湖での漁業や、大学時代の経験について語ります。また、魚への愛情が彼女の進路選択にどのように影響したのかも探ります。志穂さんは滋賀の漁業や淡水漁に対する情熱を語り、琵琶湖や漁師の生活についての体験をシェアします。彼女の独立した漁師としての挑戦や、漁業の現状についても触れられています。さらに、志穂さんは漁師としてのキャリアと琵琶湖の伝統的な漁法について詳しく語ります。特に、えりりょうやオイサデ漁などの漁法に焦点を当て、地域の食文化や漁業の多様性についての理解を深めます。最後に、志穂さんは琵琶湖の漁業と日本の食文化の変化について語り、魚の多様性や漁師の仕事、淡水魚を食べることの重要性に焦点を当てています。

春の訪れとゲスト紹介
みなさん、こんにちは。JAM SESSIONSのりょうこです。
けいたです。
共に奏でるラジオ、この番組は、歌舞伎式会社JAM SESSIONSが即興演奏から生まれる協奏をテーマに、チームメンバーや様々なゲストと共に対話を繰り広げる、そんな番組です。
はい、ということで、もうけいたさん、はや4月になりましたね。
なりましたね。もうね、春ですね。
もう春ですね。なんかびっくり。
なんか桜もだいぶ咲いた感じでね、お好みとか行きました。
ね、今日ぐらい満開。
満開。
そうそう、あのー、引っ越して鴨川が近くになったので、
はい、うらやましい。
満開の桜が目の前にあります。
あ、じゃあお散歩したんですか。
はい、お散歩しました。
わー、いいですね。
鴨川はほんと平和、平和ですね。
平和ですね。
ね、ずっといても飽きない。
ね、なんかもう私はね、なんか2月3月が忙しすぎて、
なんか気づいたら4月で、気づいたら桜が咲いててみたいな感じで。
いろいろ飛び回ってましたもんね。
そうなんですよ。
はい、なんかちょっと時空をね、なんかワープしたんじゃないかと思ってる。
はい、今日この頃です。
はい、そんなのラジオなので、新年度2かな、になると思うんですけど、
今日はなんかそういうフレッシュな春に、
私なんかふさわしいゲストだなと思ってね。
はい、なのでもう早速お呼びしちゃおうと思います。
自己紹介ちょっと後ほどしてもらうので、
今回はですね、このラジオに過去にご参加くださった西浅さんの小玉社長から実は
推薦をしていただいた田村秀穂さんというですね、
20代の女性をお招きしております。
田村秀穂さんの経歴
秀穂さんこんにちは。
こんにちは。
ようこそ。
はい、こんにちは。
田村秀穂と申します。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。
あの、秀穂さんとは、去年の10月末ぐらい。
10月、そうですね。
10月末だね、あれはね。
さっきちょっと確認したんだけど、
イベントでJam Sessionz主催の、それこそ小玉社長も、
と一緒に共催したイベントに来てくださって以来ですね、私はね。
はい、来てもらいました。
なのでお久しぶりですね。
ね、久しぶりです。
久しぶりです。
はい、まずあの、
今日のリスナーの皆さんにですね、
簡単に自己紹介していただいて、
そこからお話ししていこうかなと思うので、
自己紹介をお願いします。
はい。
初めまして、田村秀穂と申します。
今は滋賀美芽湖漁協を海津支所というところに所属してまして、
普段、滋賀県高島市牧野町というところに暮らしながら、
美芽湖で漁業を営んでおります。
去年の春に大学生を卒業したので、
ちょうど今時期で1年が経ったということになります。
そうですね、確かにちょうど1年だ。
新卒で漁師になられたっていうね、
そういうご経歴ですよね。
なので滋賀出身というわけでもなく、関東の方でしたよね。
生まれ育ちは神奈川県の相模原市という山の日和の内陸の方です。
内陸の方で生まれ育ち、今は滋賀に。
滋賀も住み始めて、2年目とかですか?
はい。学生の頃から実家に行ったり来たりはしてたんですけど、
去年の春に人生で初めて住民票を写して、
順滋賀県民から滋賀県民になりました。
そうかそうか、通ってた時期があったんだよね、学生時代のね。
結構長いこと。
ね、結構長い、遠いですよね。
はい、そうですね。
大学4年生の時に通ってたっていう形になるんですかね。
1年生の時まではコロナの前で学校に東京の大学通ってたんですけども、
2年の頭からコロナになってしまって、
2年がコロナだったのか。
はい、その頃で休学1年間してたので、
休学期間を含めて4年間ほどオンラインで、
いろんな漁村を回ったりとかしながら、滋賀にも行つつ漁業のお手伝いをしてました。
なんかもうね、漁業とか漁村に通うっていうキーワードがもうずっと出てますけど、
大学の時は、その勉強としても漁業を学んだりしていたわけではないですか。
大学自体も水産系の大学で、
そうかそうか。
はい、もう専攻が人と魚の関わりとか、
大学からそうだったのか。
はい、そうです。
なるほどなるほど。
じゃあもう、リサーチも兼ねてみたいな感じで漁村は回ってたのかな。
そうですね、きっかけは大学の実習だったんですけど、
そこで漁業にハマってしまって、
その後は一人で漁師さんに突撃して漁業の手伝いさせてもらったりとか。
なるほど、そっかそっか、そういう流れだったんですね。
さっき給食っていう話が出たのは、その期間の中で漁港を回ったっていうイメージですか。
そうですね、ちょっと順番が逆なんですけど、
休学期間に市が割と市がにがっつりいて、
漁港の漁業を始めたら、
漁業との出会い
休学を経て4年生の段階で海の方、全国。
いろんな。
はい、いろんなところに行ってました。
その辺の編成もなんか面白いですね。
聞きたくなる、いろいろ。
そうなんですよ。
私、本当に志穂さんと出会うまで、
やっぱり漁業って言ったら海での漁っていうイメージしかなかったので、
美和湖、確かに美和湖の湖での漁業もそうか、あるよねって思って、
海と湖の違いとかね、その辺も聞きたいなと思ってるんですけど、
でもまずは、大学からじゃあもう人と魚の関係性みたいなことを勉強されてたっていうことなので、
志穂さんが人生で魚とか漁業とかに関心を持ったのはもう、
じゃあ高校生ぐらいの時からっていう、
遡るといつぐらいからになります?
魚がもともと好きで、それはもうきっかけとかがなくて、
気づいたらというか、物心ついたから、魚とか持ってたよって親には言われてました。
小さい頃からってことね。
はい、小さい頃から好きで。
魚そのものがずっと好きで、
水族館に行ったりとか、
ハワイや湖に行って魚獲ったりとかっていうのをずっと高校生までしてきてたんですけど、
高校2年生の時に、
ちょうど築地市場が豊洲に移転するとかいう。
ありましたね。
せっかく近くにあるし、歴史的なところだから行ってみようと思って、
行ったんです。
築地に行って、そこで働く人たちの仕事に対するプライドとか、
威勢の良さとか、向き合い方みたいなのがすごいかっこいいなって思って、
そこから水産業にも、魚類とから離れて水産業の世界にも興味を持つようになりました。
なるほどね。
もう純粋に魚好きで、
釣りとかもしてたってことかな、高校生の時お魚と共に過ごす高校生だったのか、
築地市で初めて働く、仕事としての魚との関わり方をしてる人を目の当たりにして、
そこから意識された時ですね、仕事としての漁業っていうの。
どんなところがかっこいいって思ったのかなっていうところを聞きたいですね。
どんなところがかっこいいか。
築地に行って、いろんな人が働いてる様子を見たと思うんだけど、
どういう場面で、どんな時にそれを感じたかとか、もしあれば。
とにかく忙しなく動き回ってて、声の発声とかも、はきはき大きく喋って、
普段から発声をしていないと出せない声の仕方だなとか思ったりとか、
これがもう素でいつもの状態で、こういう姿勢で日々仕事に臨んでるんだっていう、
その境地を感じられたのが、すごい自分には衝撃でした。
私も恥ずかしながら、テレビでぐらいしかね、魚市場って見たことないんですけど、
確かに世話しないというか、すごい動きもあって声もあって。
でも働いてる姿そのものもそうなんだろうけど、
ヤシホさんの普段の姿勢が、普段からしてないと、そういう声だったりとか、
そういうやりとりにはならないよなっていう、そこを見たっていうのがすごいなと思いました。
姿勢みたいなのをね、そこに惚れたみたいなことですよね。
その場の緊張というか、一瞬一瞬が勝負な感じ。
だからちょっと職人チックな感じとかも。
そうですよね、職人の世界っていう感じですよね。
そこでもう、卒業後の進路というか、迷わず漁業やろうっていうのは、
何かいつぐらいに、それは何かきっかけとかあったんですかね、やっぱりやろうみたいなので。
大学入学時は、水産業には興味があったんですけど、まだ漁業の世界には触れてなくて、
入学時の時は生き物系の出版社に行きたいなって思って。
なるほどね、そういう選択肢も。
魚のね。
魚と本がすごく好きで、その未熟で。
そっかそっか、本も好きなんだね。
だったんですけど、大学の実習で三重県の南瀬町という、まだ漁業で有名な場所があるんですけど、
そこに行って、漁師さんの生き方とか、その土地のフードとか、食べ物とか、暮らしの方にもすごいカルチャーショックを受けて、
漁師さんがすっごいかっこいいなって、あとそこで。
別の角度だ。
研修ってことは、一定期間いたんですか、南瀬の方には。
そうですね、当初は実習で2泊3日ぐらいの予定だったんですけど、
その後に予定してた魚を獲るサークルの合宿が、この影響で潰れちゃって、
そのサークルで行く期間中も南瀬に引き続き滞在することになって、
より長い期間漁業に触れる体験になりました。
あ、そうなったのね。サークルにも入ってたけど、
コロナで活動の継続が難しくなっちゃった。
そうですね、合宿に行けなくなっちゃって。
そうだよね、全部講義もオンラインになって。
でも、逆にサークルがなくなったという機会を、
もしほさんは、じゃあもう自分でそこに長くいようって変換されたんですね。
先生も他の生徒さんも帰っちゃって。
そのまま残ったって感じだったの?
そのまま残りました。
すごいな、200人かなって。
もうちょっと聞いてみたいですね、暮らし先のカルチャーショックみたいなところ。
さっきは築地で、仕事の姿勢みたいなところだったと思うんですけど、
実際行ってみて、漁師の暮らしに触れてみて、
どの部分がカルチャーショックで、みたいなのって、
もうちょっと詳しく聞きたい。
聞きたいですね。
冒頭でもお話ししたように、生まれ育ちが神奈川県の相模原市という、
東京のベッドタウンのようなところで、
おばあちゃんおじいちゃんも同じ市内に住んでたので、
今まで規制というものを体験したことがなかったんです。
全国の特徴的な、いろんな面白い地方にも行ったことがなかったので、
そういうのもあって、実習先の、本当に自然の中にある暮らし。
食べ物も身近な海から取ってきたものであったりとか、
育てた野菜であったりとかを食べてる。
その土地に根付いた人たちに触れたりとか、
働き方に触れたりしたっていうのが結構大きかったですね。
なるほどね。
具体的に、どんなことを南伊勢に滞在中は、
お手伝いみたいな感じの作業をしてたのか、
どんな期間だったんですか?暮らしも含めて。
割と、がっつり仕事に同行していた感じで。
漁業仕事ってことだよね。
そうですね。
タイの出荷のお手伝いをしてから、
個人中はタイの餌やりをずっと上でやって、
午後は養殖以外も定置網っていう、
魚を生きたまま取る漁をされてたので、
定置網を一緒に揚げに行ったりとか、
漁師の豊かな暮らし
そんな感じの漁模様でした。
じゃあ、本当に漁師さんの1日のサイクルに合わせてというか、
同じサイクルで、その時できるサポートをされてたってことですね。
夜とかは、分けてもらったお魚を取り立てで調理して。
わー、美味しそう。
めっちゃ豊かな、美味しいやつだね。
取り立てのってことですね。
漁師町のご飯、めっちゃ美味しいですもんね。
いや、美味しい。
よく釣って、その場で船の上で調理して、
食べてらっしゃるのとかも見たりしますけど、
断然美味しいんだろうなと思いますね。
私たちがスーパーで食してるお魚以上に。
それが日常にあるっていうのはすごい豊かに。
そうですね、まさに豊かな暮らしだなと思いました。
美輪子との出会い
いいな。
そういう見習いみたいな感じで、漁師さんに住み込みってことだよね。
住み込みみたいな形で働かせてもらえるっていうのは、よくあることなんですか?
そうですね。
ゲストハウスだったりとか、漁業体験をされてる漁師さんだと、
学生さんの経営とかされてるケースありますけど、
よくは家族経営でやられてたりとか、会社でやられてたりというスタイル。
いろんなスタイルで。
そのお嬢さんが教えていただいた漁師さんは、もうOKって感じで受け入れてくださった?
そうですね。たくさんの学生さんだったり、受け入れて。
そっかそっか。割と受け入れてらっしゃる漁師さんだったというところにね。
なるほどなるほど。じゃあ本当に築地でかっこいいなと思ったところから、
一本も二本も踏み込んで実際に働いてみるっていう挑戦をされたわけですけど、
そこから美輪子との出会いはどんな経緯になるんでしょう?
もともと日本の漁業が好きで、
日本の漁業が好き?
これは多分、内陸育ちで川とか湖がより身近にあったことが理由だと思う。
そうなんだね。
高校生の時に美輪子の魚を採りに、採集しに来たことがあって、
それは漁業関係なくだったんですけど、
美輪子は広いな、こんなに魚いるんだっていうので、
その時は楽しい記憶として。
体験としてね。
その実習で南伊勢に行って、漁師という職業に触れて憧れを持ったことで、
漁業いいな、自分もやってみたいなって思った時に、
自分は淡水漁が好きだ、自分も好きだから、美輪子でやりたいなって。
淡水漁という選択肢と組み合わせた時に、美輪子が浮上したっていう感じ。
日本で淡水漁業というか、
確かに聞きたいですね。
本当に全然知らないからね、私たちも。
たしかに。
いっぱい教えてもらいたいんだけど、
美輪子以外だとあったりするんですか?
そうですね、2番目に大きい、霞ヶ浦。
霞ヶ浦。
はい、霞ヶ浦でもうなぎ漁だったりとか、若さぎ漁だったりをされてるんですけど、
商業的にというか、経験を漁業で成り立たせるっていう意味で言うと、
美輪子がやっぱり規模的には大きいと思います。
なるほどね。
漁業の現状と独立
他の湖だと、新地湖とか浜名湖とか、
岸水が混じる。
はいはい、海と川が混じっちゃう。
なるほど。
純淡水という面で言うと、やっぱ美輪子は特徴的ですね。
なるほどね、そうなんだね。
ごめんなさい。
純淡水と規制とかでまた、魚種類とかも変わってくるっていうイメージなんですか。
やっぱその、しょうちゃんが好きなのは、やっぱその淡水のこのなんていうの。
が好きっていうところ。
そうですね。
もちろん岸水の魚も海の魚も好きなんですけど、
私は淡水が好きです。
淡水。純淡水。
ちなみにどういう違いがあるとかってあったりするんですか。
淡水魚と岸水に住んでる魚と、あと海水で、なんかこう特徴的な違いとかってあったりするんですか。
あの、自分が好きなポイントとしては、淡水魚の方が地味で、地味なのが好きです。
地味なのがいいんだ。
えー、そうだね、地味なんや。
地味なんだけど、ある季節、繁殖の季節とかになると色がすごい鮮やかに出たりして、
そういうところが好き。
その地味っていうのは見た目、見た目としての地味?
はい、見た目としての地味。
へー、知らんかった。
へー。
いやもう本当、知らなさすぎて恥ずかしくなるぐらいなんだけど、
一般にこう、川魚みたいな呼ばれ方をしてることもあると思うんだけど、
川魚と淡水魚は一緒ですか?
そうですね、川魚は淡水魚で、
淡水魚だね。
この魚も湖魚、湖に魚とかいて湖魚と呼ばれたりするんですけど、
湖魚も淡水魚です。
あ、よかった。
初歩的すぎてもう恥ずかしいけどね。
確かに、僕もなんかめっちゃ初歩的な。
ね。
鯉とか、ということだよね、船とか、
そっかそっか、鯉とか船は。
うなぎもそうだよね。
え、うなぎもそうなんすか?海じゃない?
うなぎは違うのかな?
うなぎは、海対両方ですね。
両方か。
両方なんですけど、
琵琶湖は放流して淡水、純淡水なんですけど、
うなぎも。
うなぎも捕れると。
はい、捕れる。
知らんこといっぱいありますね。
いやもうほんとよ。
ね。
やっぱり、魚好きから始まってる初歩ちゃんだから、
もうね、
数あるお魚の中からやっぱり淡水魚やなってことで、
たどり着いてる琵琶湖っていう場所なんだなっていうのがね、
すごい繋がってるなって思いましたけど、
じゃあもうほんと漁師としても、
なんていうかな、働き始めとしても、
私もやっぱり滋賀で暮らし始めて、
どうですか、仕事ももちろんなんだけど、
滋賀の暮らしってのは初めてなわけだと思うんですけど、
特に滋賀っていくつかエリアがあるじゃないですか、
大津の方とこっちの方とちょっと違ったりして、
その中で高島にね、
高島にしたっていうのも何かこう、
きっかけとか理由とかってあったりしたんでしたっけ。
もともと一番最初に、琵琶湖の漁業を手伝いさせてもらったところは、
大津の北の方。
大学時代だね、大学。
そうですね、大学時代で、
その後、人の紹介で、
今のところではないところにまたちょっとお世話になって、
その後、今いる高島島紀之町の海津漁港というところに流れ着いて、
そのまま卒業後もいさせてもらっているという形です。
そうなんだね。いくつかじゃあ、滋賀の中でも、
ここに3カ所回って、
面白いね、自分のお魚の辺に流れ着いたっていう表現を。
うまいこと言いましたね。
流れ着いたんだね、高島にね。
それは漁港だったり漁業組合、
漁業組合は滋賀で一個なのかな。
それとも高島と大津は違ったりするのかな。
そうですね、もともと県内に30くらいがあったんです。
滋賀県内に?
あまりにもバラバラだったので、
去年その一つにまとめようという動きがあって、
去年?
はい、参加されるところと合併に参加するところとしないところがあったんですけど、
私の今所属しているところは参加したので、
師匠という扱いで。
あ、あれで師匠ってついてるんですね。
すごい、もう最近の動きなんですね。
合併してみたいなことっていうのは。
やっぱり漁師さんも公平化になったりとか、
もうその漁師の数が減ってるって中で、
それぞれが霊災に動いてたりしてたので、
一つにまとまっているというかたちで。
街と同じ感じですね。市町村合併みたいな。
でもそこでも大きな市に合併されるのか、
大変でも独立したまま選ぶのかって市町村でも分かれますけど、
漁業も行動としては同じような問題があるんですね。
なるほどね。本当にそうですよね。
一般的にも漁業だったり農業もそうかもしれないんですけど、
社会的にも高齢化って言われてる中でね、
若い作り手さんたちっていうのは本当に貴重な問題だと思うんですけど、
市町村の周りではどんな感じなんですか?
同じ世代の人たちがいるのかとか。
確かに同じ学校の人とかもね、漁業になる人が多いのかとか、
同じように漁業やる人が多いのか、
水産って多分広いと思うので、別のことされる人が多いのかとか、
その辺も僕らはあまり分からないので、もし聞かせてもらえると嬉しいです。
今、現状としては、同じご師匠を見てると70代ぐらいの漁師さんが多いです。
私がここの海津市所に来るきっかけとなったお師さんは40歳ぐらいの方です。
40歳でも若手。
私は今同じ学校を卒業したパートナーと一緒にいるので、私たちが一番若いです。
今はもう独立されたんでしたっけ?
そうですね。
春に卒業した後、半年間の担い手授業、担い手を育成するための研修を受けまして、
去年の10月頭から独立というか。
そうだよね。
事前にフェイスブックで投稿されていたノートを見まして、
それでもう独立してたと思ってね。
それは結構早いサイクルなのかなと思ったんですけど、
一般的にもそれぐらいで独立するんですか?それともやっぱり早いんですかね?
私が受けたのは中期研修という半年授業で、
一つ長期研修になると3年間の月々お金をいただきながら、給料をいただきながら漁業に従事するという形があったんですけど、
ちょっと制約もいろいろ大きかったので、私は半年を、学生次第はもう何年かやらせてもらって。
経験でいうと、長いというかね、ちゃんと積んでることになるのか。
それで半年でも必要な技術とかは一通りもらえて。
まだまだなんですけど。
でも本当ね、これからもやりながらっていうところもあると思うけど。
独立ってちょっと分かってないんですけど、漁師さんの独立になると、例えば船を買ったりリースとかをして、自分の船を持って、
自分のペースで漁に出て、組合を経由して売るみたいな、そんな感じになるんですか?
そうですね、おっしゃる通りで。研修期間中は親方について漁業の技術を学ぶ期間で、
独立になると、自分で船を用意して、自分で魚をとって、自分で売るっていう。
かっこいい、かっこいい。
じゃあ、船も手に入れてっていうことですよね、独立したってことはね。
はい、船は。
すごい。
また新しい船が来る予定です。
そうなの?
そうなんですね、すごい。
それは購入みたいな形で買うんですか、船を。
はい。
すごい。
すごいね。
もちろん免許みたいなのも取って、
船舶免許も取って、船を買って、漁に出て。
新しいのが来るってことは、2台体制になるっていうこと?
そうですね、役割を分けて使うみたいな。
船の役割を分けて使う?
はい。
へえ、すごい。
やっぱり1台だけ、1艘だけだと、何かトラブルを見て故障したときに。
そっかそっか、もうね、食べられなくなってしまう。
何もできなくなってしまう。
ほんまやね。
そうだよね。
ほんまや。そっか、じゃあ大体は独立したら2台、複数台持つんですか、船は。
その人数の量産が多いですね。
多いですか。へえ。
いやー、全然知らんことだらけや。
いや、もうほんとそうだね。
漁師としてのキャリア
先ほどの桐太さんの質問なんですけど、同じ大学出ても漁師になる人はほぼいない。
ほぼいない、そっか。
食品メーカーに勤めるとか、水産庁とか県の水産家とか、公務員になられる方が多いです。
へえ。
そうなんだね、ほぼいないんだね。
そっか。
そんな中、漁業をやろうっていうのは、迷いなくという感じで、漁業を選んだんですか、卒業後の進路としては。
そうですね、大学のわりと2年生、3年生ぐらいで漁師に憧れを持って、そのまま来ちゃいましたね。
へえ。いや、いいな、思いましたね。
迷うことなくね。
迷うことがないっていうのも、ほんとに素晴らしいことだし、すごいことだよね。
いやー、いいですね。
ちょっとね、話しとれちゃいますけど、この若い子たちで魚好きな子たちと会う機会が最近多くて、しょうちゃんもそうだし、あとはちょくちょく名前も、いつかこのラジオにも出てもらったかなと思うんですけど、
この間まで高校生だった奥保空君っていう、空君も両島町いろんなところで回ってて。
空君知ってます。
ねえ、知ってます?
はい。
スタミナ町に住み着くらしいんですけど。
スタミナ町にも私行きました。
行きました。
行きました。
そうなんですね。
そうなんよ、僕も去年の秋に空君と一緒に行って、空君が主催したツアーに参加して、ご一緒させてもらって、
福井県の方で自宅を民宿にしながら漁師をしてる大学生の子が、その間のクエションに行ってて、
だからその若い子たちの漁師業界にたどり着いている子たちと複数会って、すごい興味深いです。
ねえ、啓太さんの周りだったり、確かに京都ではそういう一時産業の方と接点を持てるイベントとかもね、やっぱり多いほうなのかな。
多いほうなのですかね、確かにね。
面白い。
全体的にはほとんどない。進路としてはね、選ばれないっていう中で。
中でね。
いやでも、実際はね、きついこととかやっぱりあるんじゃないかなと思うんですけど。
仕事のイメージもありますもんね。
朝早かったりとか。
その辺はどうなんですか。
本当に学生の頃とかは、その漁業をやる、漁業で世紀を立てていくっていうことのしんどさを知らなくて、
本当に無知ゆえに飛び込めたっていうところがあったんですけど、
いざ自分がやってみるってなると。
やっぱり魚、琵琶湖の資源に依存しているので、天候、環境変動とか天候によって魚の浮きとかがあったりして、
やっぱり不安定ではあるなっていう、そういう面でもいうのはありますね。
そうだよね、やっぱり実習とかそのね、
修行中で関わるその漁業と、本当にもうなりわいとして、
これで立っていくっていう時のね、漁業のその現実の重みっていうのはね、やっぱり変わってきますよね。
あとそういう体力面で言うと、体が慣れるまでは、
もうしんどくって、急にこう熱が出たりとか、
やっぱり船運転してたりすると気がずっと張ってる状態。
何時間も船の上にいることもあるので、
伝統的な漁法の紹介
体調崩すとかはやってましたけど、
今はだいぶ慣れたんだね。
お魚の捕り方もなんかいろいろあるじゃないですか。
さっきも定地網とか養殖とかって、今先話してたと思うんですけど、
今しほちゃんがやってる魚の捕り方は何になるんですか。
私はえりりょうという、
えりりょう?
はい、宮古の伝統的な定地網、定地網の一種です。
定地網の一種でえりりょうがあるんですか。
はい。
ちょっともうちょっと詳しく。
けいたさん今日は知らないことばっかりだね。
ほんまに何も知らない。めっちゃ面白い。
えりりょうというのは、
宮古の底に直接FRP製のポールを手に突き刺して、
魚を誘導する仕組みを形作るんですね。
魚を誘導するんですね。
泳いできた魚の通り道をポールを立てて、
そのところに網を敷くことで通り道が遮断されて、
魚を取るところまで誘導する形の漁法があるんですけど。
今なんか僕検索でちょっと画像検索してみたんですけど。
私も今見てます。
ポールが1本じゃなくてないんだね。
1本じゃなくてたくさん立ってて、
その間が網になってるってこと?
はい。網がカーテンみたいに沈まる。
カーテンみたいになって。
はい。
で、魚が。
行き止まってこう。
はい。
沖の方に逃げる習性があるので。
なるほど。
魚に誘導していって、最後私たち漁師が網を上げるところ、
溜まりまで誘導する。
これなんか今私も調べながら聞いてますけど、
10年以上前から続いてるって書いてある。
これなんかあれですね。
漁もそうだし、伝統工芸ではないけど、
伝統産業的なのをちゃんと残すっていう意味も生まれてる。
そうですね。
しかもなんか水産庁の未来に残したい歴史文化財産100選に選ばれてるらしいですよ。
このえり漁自体が。
地域の食文化と多様性
今啓太さん言ったように、
それ自体が伝統的な文化としての価値があるってことやね。
そうですね。
本質とか作り方だったりは、
時代によって変遷はあるんですけど、
待ち、魚を待つっていうスタンスは変わらず、
今にもないている。
魚を待つっていうスタンスなんだ、
取るぞーみたいなことじゃなくてってこと?
ね、確かに。
最後壺網って呼ばれるところ、
魚が入ってくるのを待つしかないんですよ。
この丸くなってるとこ、画像の。
へー、なるほどー。
面白い。
全然わかってないんですけど、
このいろんなポールがあって、
網がすごい広いじゃないですか、
これは漁師さんで1網になるんですか?
それとも何組かの漁師で1個のでかい網を共有するのかというとどっちなんですか?
私のところは4人でやってます。
4人で?
4人の漁師さんでこの大きい網をみんなで?
はい。
って感じなんですか?
そうです。
所有は組合なんですけど、
網の所有は組合なんですけど、
実際に漁業をしているのが今4人で、
その4人で網の掃除だったりとか、
実際に網の入れ替えをしたりとか、
創業したりとかをしてます。
へー。
で、取れた量はその4人で分配になるんですか?
そうですね。
はい。
山脇に。
分配なるんだ。
へー。
面白い形。
へー。
面白くて、
結構、都漁業って農業と漁業を兼業されている方が多くて、
4人でやっているうちの2人は70代の漁師さんなんですけども、
春時期になると田んぼが忙しくなってきて、
だんだんフェードアウトしていくんです。
へー。
何それ。
最終的に私とパートナーの2人になって、
2層で船分かれていって、
2人で網上げしてます。
へー。
じゃあその4人のうちの2人が、
しょうちゃんとパートナーのお2人だと。
はい。
そこに70代の2人が4人チームで。
へー。
分かってたもんね。
今の桜の時期ぐらいからいなくなっちゃって。
そうか、もうそうだよね。
今ちょうどね、
そうね、食べるほうがね。
春野菜のシーズンですもんね。
忙しくなっちゃって、農業が。
へー。
こうやってらっしゃることに。
本当に初めてすることばっかりだね。
ね。
面白い。
エビ漁の他にも、夏になるとビアマスっていう、
ビア子にしかいないマスを。
はいはい、聞いたことある。
サシアミ漁っていう。
サシアミ漁。
はい。
また新しいの。
はい、またちょっと。
これもカーテンみたいな感じですね。
はい、そうですね。
固定、固定に固定して、
引っかかる、引っかかるってこと?
はい。
網が見えなくて、魚が。
そうか、網に。
網の中には網があるんだよね。
網でもう絡まるって感じだね。
はい。
へー。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
へー。
へー、おもしろいな。
あー、なるほどね。
やっぱそれはなんかその、魚の修正とか、
あのー、によってどういう捕り方をするみたいなのはもう決まってるって感じなんですか?
そうですね。
もう、一つの漁種に複数の漁法で捕るっていう場合もあって。
あるんだ。
はい。
先ほど紹介したエリは、アユも捕れるんですけども、
アユは結構他にもいろんな捕り方があって、
差し編み漁で。
あー、これもあると。
これもある。
はい。
だりとか、またこの桜の時期に、
オイサデ漁という漁が。
オイ?
オイサデ。
オイサデ?
はい。
へー。
これも伝統漁法で。
オイサデ漁。
これも琵琶湖の伝統漁法?
はい、伝統漁法です。
へー。
なんか響きからほんと伝統な感じがするよね。
そうですね。
へー。
中心に寄ってきたアユを。
すごい写真が。
ほんまや。
かっこいい。
ほんとだ。
こう撮れなかったね。
雰囲気でしたね。
これはだいぶもう陸に近い感じのところでやるんですね。
はい。
カラスの羽がついた竹竿を持つ漁師さんが2人いて、
その漁師さんがカラスの羽でアユの群れを操るんです。
ほんまや。
ほんまや。
すごい。
操った先に網を受けてる人がいて、そこへ入ったら、
はい、あげてって言ってビチビチビチってアユをあげる。
へー、面白い。
でもやっぱこれも文化なんとか遺産になってますね。
なってました。
一緒に。
すごい。
こういう大いさ漁業をやってるところはどんどんなくなってきていて。
どんどんいなくなってんだね。
私たちの海図ではかろうじてまだその技術を持った漁師さんがいらっしゃるので、
グループでやってます。
なるほどな。
なんかね、だってやっぱり滋賀のそのやっぱり、
なんていうかな、
自然、資源、生かした食文化だったりっていうのがあるわけじゃない。
船寿司とかね、やっぱりお魚とお米が取れるとこだから船寿司ができたりっていう、
そういうやっぱり地域のね、きっと、
しほさんも言ってたように、地域ごとにそういうのがあるってことですよね。
残っているところはまだ。
滋賀は割と残っている地域ってことを理解でいいんですか。
そういう結構割と伝統的なやり方とかのほうが大事にされている地域ってことなのかな。
そうですね、多様ではあるかな。
多様ではある。
海は結構、例えばイセエビ漁師とかマグロ漁師とか、単一の漁種を狙う漁師さんがあったりするんですけど、
琵琶湖は季節によって取る魚も違ってきたりとか魚本も違ってくる。
あと、働き方も漁業専業じゃない働き方もあるので、そういう組み合わせが多様で。
なるほどね。海と湖と違いでもあるし、地域の特徴が出てたりする。
琵琶湖の漁業について
その組み合わせで多様性が割と多い。
なんで兼業が多くなるっていうあれがあるんですか。
特徴、理由みたいなのがあったりするんですか。
やっぱり漁業が大規模ではなくて。
そうかそうか、湖の範囲の中でみんなでやるかなってことか。
そうかそうか、船の大きさとかもやっぱり海と比べたら小さくなったりとか。
だいぶ小さいですね。
そっかそっか、なるほど。
養殖とかでしたら単一の漁種、例えばタイとかを大量に生産して規模を大きくして売るっていうやり方があると思うんですけど、
琵琶湖は漁船漁業といって取る漁業なので、不安定、何がどれくらい取れるかっていうのが読めない部分があったりとかして、
その分、売る主体の規模も大きくはない。
ちょっとコンパクトに、海と比べるとコンパクトになるんですね。
本当に、これだけ何十年と魚を食べていながらね、
魚の種類によってとか地域によってとか、漁師さんの働き方とか、いろんな組み合わせがあるとかね、取り方が違うってことを知らずに生きてきたんだなって。
何とも言えない気持ちになってます。
野菜とかはね、ちょっとイメージが。
野菜とかだったら比較的こうね、自分でも作ろうっていうチャンスは多いんですけど、
実際ね、ジャムフェッションズでもアーバンファームやったりしてますが、魚ってなるとやっぱりね、なかなか。
そうですよね。
漁師町に旅行行って、先に言ったような食べたりとかっていう、なんかグルメ旅とかはよくやったりしますけど、
漁師の仕事の様子を見るっていうのはもう一歩踏み込んで暮らしに入らないと見れないんですよね。時間帯も全然違う。
やっぱりそんな志穂さんがね、今の、だんだんやっぱり日本の食文化も変わっていったりしてるじゃないですか。
なかなか魚よりもお肉が多くなってたりとか、あと和食よりも洋食が多くなったりとか、
若者になればなるほど分かんないけど多分あんまり食べないとか。
志穂さんの目から見て感じてる、気になる、何て言うんですかね、気になる課題みたいなのって見えてたりしますか。
やっぱり漁職離れは進んでるなっていうのを感じていて、そんな気持ちをすごくよくわかるんですよね。
魚、やっぱり匂いも出るし、捌くのも、捌き方がそもそもわからなかったりとかする中で、
スーパーとか見てみると、やっぱり置かれてる漁種の数も固定的で少ないなっていうのが。
そういうこと思うと、淡水魚を食べるっていうのが、
いかにハードルが高いかというか、そもそも縁がないだろうなっていうのは。
淡水魚、魚を食べるっていうことももちろんしていただきたいんですけど、
背景の、なんか琵琶湖の歴史とか、琵琶湖の環境とか、琵琶湖の生き物がどう暮らしているのかまで知って、
食べていただけると、食べる人にとってもいい経験として残るのかなっていうのは感じてますね。
ちょっとその部分をもうちょっと膨らませて聞いていきたいなと思うんですけど、
すいません、私たちがあまりにも、お魚のことを最初にいっぱい聞きすぎてね、
あっという間に今もう前半の結構1時間ぐらいを経ってしまっているので、
一旦ラジオとしては構成をここで区切ってですね、
後半、今お話しくださった、私たちともっと魚との関係を、
どういう状態が望ましいのかっていうところらへんを後半で深掘りしていきたいなと思います。
日本の食文化の変化
まずは本島さん、いろんな魚の捕り方、暮らしとか教えてくれてありがとうございます。
引き続きちょっと後半もお付き合いいただければと思います。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
54:06

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