休学を経て4年生の段階で海の方、全国。
いろんな。
はい、いろんなところに行ってました。
その辺の編成もなんか面白いですね。
聞きたくなる、いろいろ。
そうなんですよ。
私、本当に志穂さんと出会うまで、
やっぱり漁業って言ったら海での漁っていうイメージしかなかったので、
美和湖、確かに美和湖の湖での漁業もそうか、あるよねって思って、
海と湖の違いとかね、その辺も聞きたいなと思ってるんですけど、
でもまずは、大学からじゃあもう人と魚の関係性みたいなことを勉強されてたっていうことなので、
志穂さんが人生で魚とか漁業とかに関心を持ったのはもう、
じゃあ高校生ぐらいの時からっていう、
遡るといつぐらいからになります?
魚がもともと好きで、それはもうきっかけとかがなくて、
気づいたらというか、物心ついたから、魚とか持ってたよって親には言われてました。
小さい頃からってことね。
はい、小さい頃から好きで。
魚そのものがずっと好きで、
水族館に行ったりとか、
ハワイや湖に行って魚獲ったりとかっていうのをずっと高校生までしてきてたんですけど、
高校2年生の時に、
ちょうど築地市場が豊洲に移転するとかいう。
ありましたね。
せっかく近くにあるし、歴史的なところだから行ってみようと思って、
行ったんです。
築地に行って、そこで働く人たちの仕事に対するプライドとか、
威勢の良さとか、向き合い方みたいなのがすごいかっこいいなって思って、
そこから水産業にも、魚類とから離れて水産業の世界にも興味を持つようになりました。
なるほどね。
もう純粋に魚好きで、
釣りとかもしてたってことかな、高校生の時お魚と共に過ごす高校生だったのか、
築地市で初めて働く、仕事としての魚との関わり方をしてる人を目の当たりにして、
そこから意識された時ですね、仕事としての漁業っていうの。
どんなところがかっこいいって思ったのかなっていうところを聞きたいですね。
どんなところがかっこいいか。
築地に行って、いろんな人が働いてる様子を見たと思うんだけど、
どういう場面で、どんな時にそれを感じたかとか、もしあれば。
とにかく忙しなく動き回ってて、声の発声とかも、はきはき大きく喋って、
普段から発声をしていないと出せない声の仕方だなとか思ったりとか、
これがもう素でいつもの状態で、こういう姿勢で日々仕事に臨んでるんだっていう、
その境地を感じられたのが、すごい自分には衝撃でした。
私も恥ずかしながら、テレビでぐらいしかね、魚市場って見たことないんですけど、
確かに世話しないというか、すごい動きもあって声もあって。
でも働いてる姿そのものもそうなんだろうけど、
ヤシホさんの普段の姿勢が、普段からしてないと、そういう声だったりとか、
そういうやりとりにはならないよなっていう、そこを見たっていうのがすごいなと思いました。
姿勢みたいなのをね、そこに惚れたみたいなことですよね。
その場の緊張というか、一瞬一瞬が勝負な感じ。
だからちょっと職人チックな感じとかも。
そうですよね、職人の世界っていう感じですよね。
そこでもう、卒業後の進路というか、迷わず漁業やろうっていうのは、
何かいつぐらいに、それは何かきっかけとかあったんですかね、やっぱりやろうみたいなので。
大学入学時は、水産業には興味があったんですけど、まだ漁業の世界には触れてなくて、
入学時の時は生き物系の出版社に行きたいなって思って。
なるほどね、そういう選択肢も。
魚のね。
魚と本がすごく好きで、その未熟で。
そっかそっか、本も好きなんだね。
だったんですけど、大学の実習で三重県の南瀬町という、まだ漁業で有名な場所があるんですけど、
そこに行って、漁師さんの生き方とか、その土地のフードとか、食べ物とか、暮らしの方にもすごいカルチャーショックを受けて、
漁師さんがすっごいかっこいいなって、あとそこで。
別の角度だ。
研修ってことは、一定期間いたんですか、南瀬の方には。
そうですね、当初は実習で2泊3日ぐらいの予定だったんですけど、
その後に予定してた魚を獲るサークルの合宿が、この影響で潰れちゃって、
そのサークルで行く期間中も南瀬に引き続き滞在することになって、
より長い期間漁業に触れる体験になりました。
あ、そうなったのね。サークルにも入ってたけど、
コロナで活動の継続が難しくなっちゃった。
そうですね、合宿に行けなくなっちゃって。
そうだよね、全部講義もオンラインになって。
でも、逆にサークルがなくなったという機会を、
もしほさんは、じゃあもう自分でそこに長くいようって変換されたんですね。
先生も他の生徒さんも帰っちゃって。
そのまま残ったって感じだったの?
そのまま残りました。
すごいな、200人かなって。
もうちょっと聞いてみたいですね、暮らし先のカルチャーショックみたいなところ。
さっきは築地で、仕事の姿勢みたいなところだったと思うんですけど、
実際行ってみて、漁師の暮らしに触れてみて、
どの部分がカルチャーショックで、みたいなのって、
もうちょっと詳しく聞きたい。
聞きたいですね。
冒頭でもお話ししたように、生まれ育ちが神奈川県の相模原市という、
東京のベッドタウンのようなところで、
おばあちゃんおじいちゃんも同じ市内に住んでたので、
今まで規制というものを体験したことがなかったんです。
全国の特徴的な、いろんな面白い地方にも行ったことがなかったので、
そういうのもあって、実習先の、本当に自然の中にある暮らし。
食べ物も身近な海から取ってきたものであったりとか、
育てた野菜であったりとかを食べてる。
その土地に根付いた人たちに触れたりとか、
働き方に触れたりしたっていうのが結構大きかったですね。
なるほどね。
具体的に、どんなことを南伊勢に滞在中は、
お手伝いみたいな感じの作業をしてたのか、
どんな期間だったんですか?暮らしも含めて。
割と、がっつり仕事に同行していた感じで。
漁業仕事ってことだよね。
そうですね。
タイの出荷のお手伝いをしてから、
個人中はタイの餌やりをずっと上でやって、
午後は養殖以外も定置網っていう、
魚を生きたまま取る漁をされてたので、
定置網を一緒に揚げに行ったりとか、
他の湖だと、新地湖とか浜名湖とか、
岸水が混じる。
はいはい、海と川が混じっちゃう。
なるほど。
純淡水という面で言うと、やっぱ美輪子は特徴的ですね。
なるほどね、そうなんだね。
ごめんなさい。
純淡水と規制とかでまた、魚種類とかも変わってくるっていうイメージなんですか。
やっぱその、しょうちゃんが好きなのは、やっぱその淡水のこのなんていうの。
が好きっていうところ。
そうですね。
もちろん岸水の魚も海の魚も好きなんですけど、
私は淡水が好きです。
淡水。純淡水。
ちなみにどういう違いがあるとかってあったりするんですか。
淡水魚と岸水に住んでる魚と、あと海水で、なんかこう特徴的な違いとかってあったりするんですか。
あの、自分が好きなポイントとしては、淡水魚の方が地味で、地味なのが好きです。
地味なのがいいんだ。
えー、そうだね、地味なんや。
地味なんだけど、ある季節、繁殖の季節とかになると色がすごい鮮やかに出たりして、
そういうところが好き。
その地味っていうのは見た目、見た目としての地味?
はい、見た目としての地味。
へー、知らんかった。
へー。
いやもう本当、知らなさすぎて恥ずかしくなるぐらいなんだけど、
一般にこう、川魚みたいな呼ばれ方をしてることもあると思うんだけど、
川魚と淡水魚は一緒ですか?
そうですね、川魚は淡水魚で、
淡水魚だね。
この魚も湖魚、湖に魚とかいて湖魚と呼ばれたりするんですけど、
湖魚も淡水魚です。
あ、よかった。
初歩的すぎてもう恥ずかしいけどね。
確かに、僕もなんかめっちゃ初歩的な。
ね。
鯉とか、ということだよね、船とか、
そっかそっか、鯉とか船は。
うなぎもそうだよね。
え、うなぎもそうなんすか?海じゃない?
うなぎは違うのかな?
うなぎは、海対両方ですね。
両方か。
両方なんですけど、
琵琶湖は放流して淡水、純淡水なんですけど、
うなぎも。
うなぎも捕れると。
はい、捕れる。
知らんこといっぱいありますね。
いやもうほんとよ。
ね。
やっぱり、魚好きから始まってる初歩ちゃんだから、
もうね、
数あるお魚の中からやっぱり淡水魚やなってことで、
たどり着いてる琵琶湖っていう場所なんだなっていうのがね、
すごい繋がってるなって思いましたけど、
じゃあもうほんと漁師としても、
なんていうかな、働き始めとしても、
私もやっぱり滋賀で暮らし始めて、
どうですか、仕事ももちろんなんだけど、
滋賀の暮らしってのは初めてなわけだと思うんですけど、
特に滋賀っていくつかエリアがあるじゃないですか、
大津の方とこっちの方とちょっと違ったりして、
その中で高島にね、
高島にしたっていうのも何かこう、
きっかけとか理由とかってあったりしたんでしたっけ。
もともと一番最初に、琵琶湖の漁業を手伝いさせてもらったところは、
大津の北の方。
大学時代だね、大学。
そうですね、大学時代で、
その後、人の紹介で、
今のところではないところにまたちょっとお世話になって、
その後、今いる高島島紀之町の海津漁港というところに流れ着いて、
そのまま卒業後もいさせてもらっているという形です。
そうなんだね。いくつかじゃあ、滋賀の中でも、
ここに3カ所回って、
面白いね、自分のお魚の辺に流れ着いたっていう表現を。
うまいこと言いましたね。
流れ着いたんだね、高島にね。
それは漁港だったり漁業組合、
漁業組合は滋賀で一個なのかな。
それとも高島と大津は違ったりするのかな。
そうですね、もともと県内に30くらいがあったんです。
滋賀県内に?
あまりにもバラバラだったので、
去年その一つにまとめようという動きがあって、
去年?
はい、参加されるところと合併に参加するところとしないところがあったんですけど、
私の今所属しているところは参加したので、
師匠という扱いで。
あ、あれで師匠ってついてるんですね。
すごい、もう最近の動きなんですね。
合併してみたいなことっていうのは。
やっぱり漁師さんも公平化になったりとか、
もうその漁師の数が減ってるって中で、
それぞれが霊災に動いてたりしてたので、
一つにまとまっているというかたちで。
街と同じ感じですね。市町村合併みたいな。
でもそこでも大きな市に合併されるのか、
大変でも独立したまま選ぶのかって市町村でも分かれますけど、
漁業も行動としては同じような問題があるんですね。
なるほどね。本当にそうですよね。
一般的にも漁業だったり農業もそうかもしれないんですけど、
社会的にも高齢化って言われてる中でね、
若い作り手さんたちっていうのは本当に貴重な問題だと思うんですけど、
市町村の周りではどんな感じなんですか?
同じ世代の人たちがいるのかとか。
確かに同じ学校の人とかもね、漁業になる人が多いのかとか、
同じように漁業やる人が多いのか、
水産って多分広いと思うので、別のことされる人が多いのかとか、
その辺も僕らはあまり分からないので、もし聞かせてもらえると嬉しいです。
今、現状としては、同じご師匠を見てると70代ぐらいの漁師さんが多いです。
私がここの海津市所に来るきっかけとなったお師さんは40歳ぐらいの方です。
40歳でも若手。
私は今同じ学校を卒業したパートナーと一緒にいるので、私たちが一番若いです。
今はもう独立されたんでしたっけ?
そうですね。
春に卒業した後、半年間の担い手授業、担い手を育成するための研修を受けまして、
去年の10月頭から独立というか。
そうだよね。
事前にフェイスブックで投稿されていたノートを見まして、
それでもう独立してたと思ってね。
それは結構早いサイクルなのかなと思ったんですけど、
一般的にもそれぐらいで独立するんですか?それともやっぱり早いんですかね?
私が受けたのは中期研修という半年授業で、
一つ長期研修になると3年間の月々お金をいただきながら、給料をいただきながら漁業に従事するという形があったんですけど、
ちょっと制約もいろいろ大きかったので、私は半年を、学生次第はもう何年かやらせてもらって。
経験でいうと、長いというかね、ちゃんと積んでることになるのか。
それで半年でも必要な技術とかは一通りもらえて。
まだまだなんですけど。
でも本当ね、これからもやりながらっていうところもあると思うけど。
独立ってちょっと分かってないんですけど、漁師さんの独立になると、例えば船を買ったりリースとかをして、自分の船を持って、
自分のペースで漁に出て、組合を経由して売るみたいな、そんな感じになるんですか?
そうですね、おっしゃる通りで。研修期間中は親方について漁業の技術を学ぶ期間で、
独立になると、自分で船を用意して、自分で魚をとって、自分で売るっていう。
かっこいい、かっこいい。
じゃあ、船も手に入れてっていうことですよね、独立したってことはね。
はい、船は。
すごい。
また新しい船が来る予定です。
そうなの?
そうなんですね、すごい。
それは購入みたいな形で買うんですか、船を。
はい。
すごい。
すごいね。
もちろん免許みたいなのも取って、
船舶免許も取って、船を買って、漁に出て。
新しいのが来るってことは、2台体制になるっていうこと?
そうですね、役割を分けて使うみたいな。
船の役割を分けて使う?
はい。
へえ、すごい。
やっぱり1台だけ、1艘だけだと、何かトラブルを見て故障したときに。
そっかそっか、もうね、食べられなくなってしまう。
何もできなくなってしまう。
ほんまやね。
そうだよね。
ほんまや。そっか、じゃあ大体は独立したら2台、複数台持つんですか、船は。
その人数の量産が多いですね。
多いですか。へえ。
いやー、全然知らんことだらけや。
いや、もうほんとそうだね。
その組み合わせで多様性が割と多い。
なんで兼業が多くなるっていうあれがあるんですか。
特徴、理由みたいなのがあったりするんですか。
やっぱり漁業が大規模ではなくて。
そうかそうか、湖の範囲の中でみんなでやるかなってことか。
そうかそうか、船の大きさとかもやっぱり海と比べたら小さくなったりとか。
だいぶ小さいですね。
そっかそっか、なるほど。
養殖とかでしたら単一の漁種、例えばタイとかを大量に生産して規模を大きくして売るっていうやり方があると思うんですけど、
琵琶湖は漁船漁業といって取る漁業なので、不安定、何がどれくらい取れるかっていうのが読めない部分があったりとかして、
その分、売る主体の規模も大きくはない。
ちょっとコンパクトに、海と比べるとコンパクトになるんですね。
本当に、これだけ何十年と魚を食べていながらね、
魚の種類によってとか地域によってとか、漁師さんの働き方とか、いろんな組み合わせがあるとかね、取り方が違うってことを知らずに生きてきたんだなって。
何とも言えない気持ちになってます。
野菜とかはね、ちょっとイメージが。
野菜とかだったら比較的こうね、自分でも作ろうっていうチャンスは多いんですけど、
実際ね、ジャムフェッションズでもアーバンファームやったりしてますが、魚ってなるとやっぱりね、なかなか。
そうですよね。
漁師町に旅行行って、先に言ったような食べたりとかっていう、なんかグルメ旅とかはよくやったりしますけど、
漁師の仕事の様子を見るっていうのはもう一歩踏み込んで暮らしに入らないと見れないんですよね。時間帯も全然違う。
やっぱりそんな志穂さんがね、今の、だんだんやっぱり日本の食文化も変わっていったりしてるじゃないですか。
なかなか魚よりもお肉が多くなってたりとか、あと和食よりも洋食が多くなったりとか、
若者になればなるほど分かんないけど多分あんまり食べないとか。
志穂さんの目から見て感じてる、気になる、何て言うんですかね、気になる課題みたいなのって見えてたりしますか。
やっぱり漁職離れは進んでるなっていうのを感じていて、そんな気持ちをすごくよくわかるんですよね。
魚、やっぱり匂いも出るし、捌くのも、捌き方がそもそもわからなかったりとかする中で、
スーパーとか見てみると、やっぱり置かれてる漁種の数も固定的で少ないなっていうのが。
そういうこと思うと、淡水魚を食べるっていうのが、
いかにハードルが高いかというか、そもそも縁がないだろうなっていうのは。
淡水魚、魚を食べるっていうことももちろんしていただきたいんですけど、
背景の、なんか琵琶湖の歴史とか、琵琶湖の環境とか、琵琶湖の生き物がどう暮らしているのかまで知って、
食べていただけると、食べる人にとってもいい経験として残るのかなっていうのは感じてますね。
ちょっとその部分をもうちょっと膨らませて聞いていきたいなと思うんですけど、
すいません、私たちがあまりにも、お魚のことを最初にいっぱい聞きすぎてね、
あっという間に今もう前半の結構1時間ぐらいを経ってしまっているので、
一旦ラジオとしては構成をここで区切ってですね、
後半、今お話しくださった、私たちともっと魚との関係を、
どういう状態が望ましいのかっていうところらへんを後半で深掘りしていきたいなと思います。