こんにちは。明治大学で生涯学習講座の講師をしています、遠藤美保です。この番組では、社会人や学生向けの生涯学習講座を10年以上行ってきた私が、日常生活でも活かせる心理学を、ポッドキャストでお伝えしていきます。
今回のテーマは、こちら。『人生のプログラム=脚本。道を聞く人、聞かれる人。』
今回は、「人生のプログラム=脚本。道を聞く人、聞かれる人。」のお話です。
お伝えしている心理学ですが、皆様にとっての日常的で身近な話題とも、自然とつながっています。
その見方、活かし方をご紹介します。
今回は、「人生のプログラム=脚本。道を聞く人、聞かれる人。」について。
子どもの頃に書き、大人になっても従っていると言われている、人生のプログラム=脚本。
道を聞く、聞かれる。そこにも、脚本がありそう。
そのポイントを知ることで、どんな意味があるのか、何が起きているのか、気づくヒントが得られます。
第1回目「承認欲求は誰もが持っている原点」
第2回目「心の仕組みは、世界共通。誰もが持つ、親・成人・子ども。」
第3回目「子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本」とも、リンクするお話です。
皆さまは、道を聞く人ですか?聞かれる人ですか?それとも、聞いたり聞かれたり、その時々違うのが当たり前。だったり。
そもそも最近は、スマホのナビ機能もありますから、そんな機会もめっきり減ったでしょうか。
スマホの普及前、20代のある時期、私は道を聞かれる人でした。
1ヶ月に何回も。
人通りの多いところもあれば、人通りが少ない、私くらいしか通っていないところもある。
あちらでもこちらでも、不思議な場面、タイミングでも。
例えば、ある時などは、こんな具合。
取引先とのお約束に遅れそう、かなり焦っていました。
ターミナル駅に向かって、ダッシュ、見るからに急いで、必死。人通りも多い道。
「あぁ、早く早く。」
小走りに近い、早歩き。
その時、年配の女性がのんびりした口調で、
「あのー」。とっさに目を向けると、地図を出しながら、「ここに行きたいんですが…」。どうやら道を聞きたいらしい。
でも、それどころじゃありません。
「見れば、わかるのに。」他にいくらでも人はいる。緊急性も感じられない。
「すみません。急いでますので。」
振り切るように目的地へと向かい、なんとかギリギリ、お約束には間に合って、ホッ。
それにしても、普通に歩いている時ならまだしも、なぜ?
こんなに急いでいる人間に、私なら聞かないのに。
ある時などは、こんな具合。
太陽の日差しも眩しい、海外旅行先。
ウキウキしながら、カメラをたすき掛けにして、あちこちをワクワク。見渡しては、興味津々。軽やかな足取り。
アジア圏ではないエリア。
どこからどう見ても観光客、異邦人。
そこへ、2人連れの外国の方々。現地の方?
いや、ただ、「エクスキューズミー?」
定番の声掛けから地図を出し、私に道を聞いている。
どうやら、観光客。
「えっ、な、なぜ?何かのドッキリ?」
そう思いかけましたが、特にそんな仕掛けも見当たらない。
確か英語で、「私は観光客です。ごめんなさい、わかりません。」
そんな答えをして、笑顔でお別れ。
それにしても、せめてアジア圏ならまだしも、なぜ?
こんなコテコテの観光客に、私なら聞かないのに。
世界共通の、道を教えてくれる人の標識でもあって、私の顔がその標識にそっくりなの?
と疑いたくなるくらい、どうにも不思議な出来事でした。
このお話、人生のプログラム=脚本から考えてみます。
改めて、人生のプログラム=脚本とは。
承認欲求を満たす刺激=ストロークを得るため、
私たちが小さな子どもの頃、自分で書き、大人になったら、その存在すら覚えていないのに、そのまま今も従っている、
始まりがあって、終わりがある。無意識に書かれた物語、人生のプログラム、とも言えるもの。
自分はこんな人、周りはこんな人、登場人物の役割設定もあったりする。
その上で起きているあれこれを、この脚本に当てはめて、再定義。
これが現実、そう思い込み、脚本通り自動的に、進んだり、考えたり、感じたり。
合理的ではない、行動・思考・感情をしている時、この脚本が関係している可能性が高い。
それほど、私たちの土台になっているものです。
今回、例としてあげた、道を聞かれるお話。
どう考えても、聞かれた私は、道を聞く相手としてふさわしくなかったはず。
周りに誰もいないわけでもない。他に聞ける相手はいくらでもいる中、選ぶ必要もない。それなのに。
自分で言うのもなんですが、外見はごく一般的。
普段着の時もあれば、スーツの時もある。
はっと目を引くほど親切そうかといえば、そんなこともない。
思い当たるとすれば、目的地に向かってまっすぐ。
新幹線の指定席を取っていたとしても、できれば列の先頭に並び、さっさと座りたい。
仮に目的地がなくても、のんびりぶらぶら歩きというよりも、何かに向かっているような歩き方。それが、自信を持って進んでいる。ように見える。
道を聞ける相手に見えるのかも。
それに、実はこの時期、よく言えば面倒見が良い。
違う言い方をすれば、かなりおせっかいな、世話焼きモードだった時期。
自分では無意識、気づかないうちに発信している何かがあったのかも。
人とのやりとりは、言語だけではない。
非言語の表情や仕草、歩き方などからも、与える印象やメッセージがある。
そして、脚本に沿って受け取り、考え、感じる人がいる。
それも、とっさに、自動的に。
相手も自分も、周りの人も。
非言語の情報は、言葉の通じない同士でも発信できる、受け取れる情報。
うまくいっているなら、そのままでOK。
ただ、うまくいっていないなら、違和感や不一致な何かがあるなら、見直してみるのも、アリ。
今回、道を聞かれても答えられない状況の時まで、道を聞かれていました。
これは、しっくりこない。
違和感や不一致な何かが、ある。
人生のプログラム=脚本が、関係していそう。
もしかしたら、自分のことよりも、他の人のことを優先。
そんな脚本があり、その脚本に共鳴する人とのやりとり続き。
いつの間にか許容量を超えていたのに、気づかない。
そんな状態だったのかも。
脚本は、誰もが心の中に持つ、「親・成人・子ども」の内、「子ども」が書き、「親」が強化している世界。
気づくことは、<今、ここ>の現実にいる「成人」が働くこと。
「成人」に舵取りをしてもらうことで、事実と脚本が切り分けられる。
脚本を見直し、現実的に書き直すことも、可能です。
いったん、心の中の「成人」で、違和感や不一致な何かを整理整頓、意識してみてはいかがでしょうか。
心の中の「子ども」と「親」が、一休み。
それだけでも、「子ども」と「親」の協力体制で自動的に進められていた、人生のプログラム=脚本から距離を置くことになる。
もしかしたら、自ら望む、違う現実や選択肢、可能性につながる。
そんな脚本の見直し、書き直しのきっかけになるかもしれません。
では、今回、覚えていただきたいポイントは、
「人生のプログラム=脚本。道を聞く人、聞かれる人。」
今、違和感や不一致な何かは、ありますか?
それは、人生のプログラム=脚本が、表われているのかも。
まずは、気づくこと。そして、いつもと違う変化を味わってみませんか?
ここまで聞いていただき、ありがとうございます。
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お相手はら遠藤美保でした。ありがとうございました。