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TACR ハイライト Day 7  チェックポイント踏み忘れを踏みに行く
2026-08-16 33:41

TACR ハイライト Day 7 チェックポイント踏み忘れを踏みに行く

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2026/8/16

きのうまでの話で、大切なチェックポイントを踏み忘れていたのに気づいたのでふみに行きました。

ライブ配信は、ぼちぼちやるかもしれないが、ひとまずは、佳境にはいっているTJARライブをみましょう!

https://www.youtube.com/live/Ep4pDuF9QHs?si=Vkz7NbFJITagG8BV

 

#声日記

 

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サマリー

TACRデイセブンとなる最終日、語り手はこれまでのキャリアレビューで重要なチェックポイントを見落としていたことに気づきます。それは、2015年のキャリア転換の真の理由であり、当初語られた「出世による現場離れ」という表面的な理由の裏に隠された、より深い個人的な葛藤でした。 開発コンサルタントとして活躍後、社内の部署間対立やバックオフィス部門のスタッフへの不当な扱いを目の当たりにし、自らその部署の管理職に異動。組織の風通しを改善し、皆が生き生きと働ける環境を目指し、コーチングや組織開発を学び実践しますが、目立った成果は得られず、自身のストレスレベルも高まっていきました。結果、メンタルヘルスクリニックを受診し「適応障害」と診断され、この診断書が会社を辞める大きな後押しとなります。 この経験は、現在の職場での課題とも重なり、組織を活性化させるというテーマが自身の人生の課題ではないかと深く考察するきっかけとなりました。また、同じ診断書は10年間の結婚生活を解消し、海外移住を決断する際にも用いられ、2015年のキャリア転換が人生における「大きなリセットスイッチ」であったことを明かします。語り手は、これらの決断が周囲を犠牲にしたかもしれないと認めつつも、後悔はないと語り、見落とされたチェックポイントを振り返ることの重要性を強調します。

導入と見落とされたチェックポイント
おはようございます。 8月16日、朝の6時15分です。
はい、朝の散歩です。 TACR デイセブンです。
今日は、最終日なんですけど、 そして、日本の午後に
ライブ配信します、なんて、 昨日の声日記の中で、昨日のDay6の中で、勢いで言ったんですけど、
私ね、結構これ、やっぱり、 トランスアキコキャリアレビュー、TACR は、自分のために、
結構役立っていて、 えーと、自分でね、
はい、最終日を迎えるにあたって、 自分で全部聞き直したんですよ。
Day1から。 それで、
気づいたこと、はい、1個、 チェックポイント1個、飛ばしてきちゃいました。
重要な話を1つ、回避して、
来たなっていうことに気づいて、これをレビューせずして、 キャリアレビューと言えないだろうと。
はい、やっぱりね、ちょっと駆け足をしましたのでね、 昨日、おととい、駆け足をしたときに、
あと、やっぱりちょっと話しにくいところなんでしょうね。 自分の中でちょっと解決がついてない。
過去の話になってない。ゆえに、 少し、
まあ、傷がある、 言ってしまえば。
ので、 うん、なんか、上手いことを避けて通っちゃうんでしょうね、そこを。
でも、 それにチャレンジしようと思います。
はい、グランドフィナーレ、迎えられないので、 そこをね、避けては。
開発コンサルタント時代のキャリアと組織の歪み
そうですね、 どういう順番で話しますかね。
えっと、 2015年、
キャリア転換をしましたって、 何度も言っている、
この話ですね。 開発コンサル企業を辞めて、1年お休みをして、
そこで、シリア難民支援に関わろうと決めて、 2016年からNGOの、
シリア難民支援の仕事につきました。 この辺もね、年代とかをね、
少し間違って言っていることに、 いろいろ聞き直して気づきましたので、
若干修正をします。 2015年に開発コンサル企業を辞めて、
2016年から、 ヨルダンのザアタリ難民キャンプで働き始めました。
さて、その前、 開発コンサルタント企業を辞めた理由のところですね、
そこのキャリア転換の理由を一つ、 まるっと飛ばしたなっていうことに気づきました。
まず、開発コンサルタントの中で、 まあね、都合のいいように話しましたよね。
まあ、出世したと。で、偉くなっちゃったから、 現場に出れなくなったから、
それで、 それが本当にやりたかったことと違うから、
辞めたって言いましたけど、 はい、すいません、カッコつけました。
まず、そうですね、初めの8年間ぐらいは、
その結構ね、年間6ヶ月、7ヶ月、8ヶ月ぐらいまで、
出張があるという仕事の仕方をしていました。
いや、違う、初めの2、3年、 2004年ぐらいに、その開発コンサルタント企業で働き始めて、
初めは東京のオフィスで、 遠隔教育に関するお仕事をしていました。
ビデオ会議の、 プロデューサーというお仕事でね、
その時プロデューサー業をやったっていうのが、 結構ね、面白かったと思っていて、
今後もプロデューサー業をやりたいと思っている 理由の一つなんですけれども、
まあ、その企画とかをするんですね。 遠隔でセミナーをしたり、
遠隔で技術協力プロジェクトの指導をしたり、 まあ、もしくはただのテレビ会議、オンライン会議をしたり、
当時はだから、今みたいにズームとかが 一般的じゃなかったから、
JICAの本部の中に専用回線を引いた部屋があって、 そこでわざわざやったりとかっていう、
ちょっと今考えると、 もう今はない仕事ですけど、
当時その遠隔技術協力プロデューサーという業務を 会社が受託していましたので、
それを2、3年東京でやって、
その後海外のプロジェクトに関わる仕事になって、 東京をベースにしながらも、
年間合計で8ヶ月ぐらい海外出張するという生活をして、
1回の出張は1ヶ月半から3ヶ月の間ぐらいみたいな感じですね。
長期の出張を年に4、5回する。
2つぐらいのプロジェクトを掛け持ちしているので、 今回はバングラデシュに行って、
帰ってきたら次ボスニアヘルセゴビナに行って、 それで戻ったら2週間したらまた、
バングラデシュに行きます、みたいな生活です。
開発コンサルタントという仕事も結構大変ですよ。
そんな生活をして、でも楽しかったんです。
プロジェクトの現地に出張するコンサルの仕事は。
当初、私が入ったその会社、私が入った時は確か社員30人、
せいぜい3、40人の会社だったんですけれども、
会社はどんどん大きくなって事業を拡大して、 100人規模の会社になりました。
コンサル会社で100人いると大企業って呼ぶらしいですね。
中小企業という枠ではないぐらいまで、会社が大きくなりました。
で、
そのように会社が大きくなってくるとね、部署間の、 まあまずね、そっか、じゃあ自分の部の中で、
部長がいて、次長になったんですね。
部っていうのが、 経済社会開発部っていう部ですけど、
約30人コンサルが所属していて、その部の次長になって、
まあ部長の右腕みたいなことですけれども、
他のコンサルタントをその仕事にアサインするとか、
チームアップを調整するとか、
そういう仕事もするようになって、
ちょっとそういう内側の仕事が増えてきました。
そういう現場に行って、お客さんと現地の人々と仕事をするというよりは、
社内の調整っていうのが増えてきて、
あとね、開発コンサルタントあるあるかもしれませんけど、
バックアップオフィス、
社内に経理とか総務とか、
もしくは業務管理部というふうに呼びますけど、一般的にも、
そのプロジェクトの裏方管理、
デスクワークで東京のオフィスにいて、
一番大きい仕事はあれですね、
ODAを使ったお仕事なので、精算報告書というものがあって、
すべての使ったお金について、レシートを台紙に貼って、それを台帳につけて、
それをJICAに報告するというお仕事が、結構なウエイトを占めており、
そういったお金をどのように使ったかということの管理ですね、
管理と報告に関する仕事をする部署が社内にありまして、
その部署は、コンサルタントに比べれば割と若手で、
他の会社は知らないけど、私の会社は明らかに女性が多く、
8、9割女性たちで、中には将来コンサルタントになりたいんだけど、
まずは経験が足りないから、業務管理部で経験を積んで、
将来はコンサルタントになりたいですという人もいたり、
という部署、その部署の人たちが非常に不満を抱えていました。
バックオフィス管理職への異動と組織課題
というのは、コンサルタントがわがままを言ったり、雑用を押し付けたりするからです。
開発コンサルタントの中にも結構年配の人もいたりすると、
他の会社、もっと土建系というか、建設企業みたいな感じの、
マッチョな男性社会の会社から来た人とかも増えてきましてね、
そういう方が、例えばですけど、朝あるミーティングに遅刻してきましたと、
ミーティングに遅刻した時に、
俺はいいんだと、お金を稼いでいるコンサルタントなんだから、
自分はミーティングに遅刻しても文句言うな、みたいなことを言ったりする人がいたりね。
明らかにこう、男尊女卑でもあるし、
ちょっと天狗になっている人たち、
バックアップオフィスをやってくれている人たちへの感謝が足りない。
あとそのね、だから領収書を取り付けるなんてことは、
コンサルタントにとってはとても大切な仕事なんですけど、
全員ね、バックアップオフィスの人じゃなくても、
領収書を取り付けることの大切さを理解してなきゃならないんですけど、
そういうことが、もう全部雑用は誰かに任せましょう、みたいな態度の人が結構いたりするわけですよ。
それはだから、シニアな人だけじゃなくて、結構若手でもそういう人がいたりする。
すごい優秀であったりして、国際開発とかを海外の大学院で学びました、みたいな人が、
またこれもカルチュアギャップなんですよね。
自分がイメージしていた仕事は、戦略を練って、バリバリ提案をして、みたいなイメージをしていたのに、
実は地道な仕事が結構ありますと。
その地道な仕事の中には、領収書を取り付けますとか、
社内の他の部署ともよく調整をして、
他の部署の人たちのことにも配慮をして、
お互いに気持ちよく働けるようにしましょうということが、
誰にとっても大切な仕事なはずなんですけど、
そういうことを理解できない人が、若手にもシニアにも、
結構な割合で増えてしまった時期があったのかな。
もしくは数名の人かもしれない。
けど、数名の人がそういう態度を取ることで、
バックアップオフィスの人たちがストレスで体を壊したり、
業務を押し付けられて仕事が回らなくなったり、
歪みが明らかにそっちに行ってるなって見えてくる状況がありました。
その中で、私ね、自分で、これが2013年ぐらいだったかな。
自分で手を挙げて、そちらの部署、
ちょうど管理職が足りないみたいな状況もあったりしたので、
そこの部署が明らかに会社の中で苦しんでいる部署みたいになってたので、
いろんな意味で、社長に提案をして、部長と社長に、
私、あちらの部署の管理職に移動しましょうかと。
その方が会社全体にとってはいいかもしれませんね。
会社の風通しとか、全体の雰囲気が良くなるために、
あちらに移動しましょうかって自分で提案をしたんです。
その提案を今、良かったと思っているか、後悔しているかわからないですね。
わかんないって言ったけど、だからもう運命っていう感じですよね。
あの時私、ただ海外出張が年間7、8ヶ月あるコンサルタントを続けていたら、
多分あの会社にまだいます。
いい会社でしたから、好きな会社でしたから、
あの会社にまだいるでしょう。
ただ、その部署移動、国内バックアップオフィス業務の管理職に移動しました。
そちらも25人ぐらいかな、部のメンバー。
で、まず出張がありません。海外出張がありません。
で、それだけの部下というかメンバーがいて、みんな不満を抱えていると。
で、会社の中でも部署間の風通しが悪いという、以上でしたね。
いがみ合っているみたいな。
部署間の紛争が勃発しそうだったと言ってもいいだろう。
大きい企業になっちゃったんでね、急に大きくなったんで。
本当に最初は雰囲気のいい家族みたいな感じの会社でしたよ。
でもそれが急に大企業みたいな雰囲気になって。
はい、それがね、それが私のチャレンジです。
今も超えられていないチャレンジです。
で、たくさんの不満を抱えている若い女性。
その人たちと一緒に私はその人たちを励ましながらも。
でもね、会社がどんどんイケイケゴーゴー大きくなっている時だったんで。
なんかその成果を上げる、売上を立てるとか利益を出すという意味での成果を上げるための業務管理も。
会社のトップからは求められて。
なかなかにチャレンジングでした。
チャレンジング。
で、しかもなんか本当にチャレンジをできたかどうかもちょっとよくわからない。
私はそこの部署に入った時に、これはコーチングを学ぶ必要がある。
コーチングを勉強して、その部のメンバーの話をしっかり聞けるように。
いろいろな傾聴の手法とか、コーチングの勉強をして。
コーチングだけではなくて、チームコーチング、ORSCというものなんですけど、
オーガニゼーショナルリレーションシップシステムコーチングかな。
つまり組織が成果を上げるためにグループに対してコーチングをするみたいな手法も学んだりして。
そうですね、コーチング、人材開発、組織開発のいろいろなセミナーや勉強会に出て学んだわけです。
学び自体は本当に楽しかったし、学んだことは今でも役に立っていると思うんだけど、
それを職場で実践することは全然できなかったです。全然ですね。
全然、私が目指したように風通しが良くなったり、不満を抱えている人たちが前向きな姿勢になったり、
全然何の成果も分からなかったです。
という印象です。私としてはね。2年ぐらいやりましたけど。
適応障害とキャリア・人生の大きな転換
それで、そんなことを知っている間に自分もコーチングのコースに出ますので、
コーチングを受けたりする機会も増える中で、同時に自分のキャリアのことを考えたり、
自分が本当にやりたいことって何だろう。自分が喜びを感じる仕事っていうのは何なんだろう。
ということを考えたりする機会が増えて、それで、そうですね。
そんなことをしているうちに、コーチングのコースの中では、
コーチングの倫理として学ぶ一つに、
医療としての支援が必要な人に対してコーチングをしてはいけません。
という倫理がありますね。そこは見定めなければならない。
心理療法士とかの資格を持っているわけではないので、
コーチング、コーチは民間の資格なので、
コーチがやってもいい、コーチングをしてもいい対象の人なのか、
それとも、もっとちゃんと医師とか心理療法士の資格を持った人に
お任せするべき事例なのかを、ちゃんと見極めましょうということを勉強するんですね。
そんなことをしているときに、ちょうど私は、
私の今の状況って、その会社の中で結構苦しんでいたので、
ストレスレベルが結構上がっていたので、
私は無理をしているし、これはコーチングという手法で、
私の今の状況を対応するのは良くないんじゃないかって思ったんですよね。
これは私は一度、メンタルヘルスクリニックにかかった方がいいんじゃないかなって思ったんです。
で、行きました。
私は一回目行って、ストレスをチェックみたいなものを受けて、
先生はいい先生でしたよ。あの時出会った先生がすごくいい先生だったんだと思う。
話をしっかり聞いてくれて、ストレスチェックをしてくれて、
あなたの今の状況は、病名という形で言うのであれば、適応障害というふうに言われました。
それが私はすごくしっくりきたんですよね。
そうだよ、適応障害だよ私はと。
本当に、そこの部署に適応できていなかったんです、2年間。
手を変え、品を変え、やっても。
その頃は既に、もうだいぶチャレンジがしんどかったし、
本当に私がやりたかったことじゃないよなっていう思いも強くなっていたんで、
会社辞めようかなって、もう責任もあるし、私が辞めたらどうなるんだとか、
ちょっと辞めるなんてとってもじゃないけど言い出せない。
自分から手を挙げて部署移動までしたのに、
途中で何の成果もあげずに辞めるなんて、そんなことはできないって思ってたんですけど、
その頃はもう先生に会社を辞めたいんですっていう話もしたかもしれません。
診断書を書きましょうか、適応障害っていう診断書を書きましょうか、
って言ってくれたんです。
その先生がね、私がそれがないと会社に辞めるって言い出せないっていうこともね、
分かってくれたんですよね。
では、ぜひお願いします。
診断書をもらいまして、もう多分翌日ぐらいに上司に話をしました。
私はもうこの会社を辞めさせてくださいっていう話をしました。
だから2015年のことですかね。
はい、なので昨日かっこつけて話した話は、こういう話です。
本当はね、組織の中で人がみんな生き生きと自分らしさを発揮して、
それで他の人のことも気遣って協力をして、
それでちゃんとね、成果も上げていくような会社になれると思ったんですよね、あの会社。
社長が本当にいい人で、創業者の社長がとても素敵な人で、
今でもお元気ですけれども、元社長に対してお礼の気持ち、
私なんかね、他の人はみんなすごい、ハーバード大学修士とかっていう人、
社長だって、MITマサチューセッツ工科大学航空工学修士とか、
すごい学歴もそうそうたる優秀な人たち、
集まっている会社に私は修士号さえも持ってないのに拾っていただいて、
生意気を言う人でしたけど、若い頃から本当に上司にも臆さずに、
生意気を全部面白がって聞いてくださって、どんどん責任を任せてくださって、
私を育ててたくさんの経験をさせてくださった会社に感謝していたから、
部署移動を申し出た時も、この会社のために私ができることがあったら貢献したいって思って申し出たんですけど、
結局何も実現できずに白旗を挙げて、もう逃げますとなって、
それは本当に残念でしたね。今でも悔しいですし、
あの時どういうふうにできていたらよかったのかなってことを今でもよく考えます。
何が足りなくて、あの時どういうふうにできていたらよかったのかなって考えます。
そして、この話はね、実は今、
現在の課題とJ.近藤さんへの共感
私の去年の秋頃から今年の春頃の声日記を聞いていただいていた方は、
ちょっとお気づきかと思いますけど、
社内の人間関係に苦しんでいる声日記がいくつかありますけど、
それも結構共通する部分はあるんですよ。
だから、今いる組織でもそういう感じがあって、
部署間の風通しが悪い。とにかく部署間で話をしない。
本当に良い組織なんですけど、愛すべき良い組織なんですけど、
なんだか部署間の風通しがとにかく悪いと。
今の組織でもこういう状況に巡り合った時に、
ああ、神様これかと。
あの時私が解決せずに、ちゃんと向き合わずに途中で逃げ出したから、
またこの課題を私に与えてくるんですかって。
これが私の人生をかけて迎え合うべき課題なんですか?
組織が生き生きとすること。
組織の中の個人と組織がそれぞれ、両方生き生きとして、
人が楽しみながらも組織が成果をあげること。
それが私の課題なんですかって思ったんですよね。
今最近ちょっと状況が良くなったんで、
もう辞めることを決めましたし、
あんまりそこについて悩むことは最近全然なくなりましたけど、
今の組織の中でも半年ぐらい前はすごいそこ悩んでました。
今回はただ我慢してたら周りの状況が変わって、
私のストレスと悩みは自然に消えていったという形でした。
個人としてやりたいことをやるという話と、
組織がこのようにあってほしいと、それに貢献したいという話と、
どう重なり合うのか、ちょっとわからないです私はまだ。
だって組織が生き生きするということをやるには、
それなりの規模の組織で働かなきゃならない。
個人が生き生きする、私自身のやりたいこと、
広い地平線を見ながら誰も行ったことのないところに行きたいなんていう、
私自身の希望に関しては、
一人でやるのがいいかもしれない。組織に所属したりせずに。
自分一人で自由にやっていくのがいいかもしれない。
だからその両方が重なるイメージが今は持てないんですよね。
今のところ持てないです。
自分がやるイメージ持てない。
それでOND社を見て私はすごく親しみを感じているのは、
そこかもしれないですよ。
なんとなく、なんだか知らないけど、
jkondoさんを応援しているのは、
多分この人も同じような二つの矛盾する思いを両方とも実現しようとなさっている人。
自分が一人で興味を持って本当に面白いと思ってやりたいということを追求したいし、
そっちも諦めたくないし、
組織やそこにいるメンバーたちがみんなが生き生きして、
みんなで力を合わせて成果を上げるということもやっていきたいし、
その二つを追求なさっているというのはこういうことなんだな。
私にとっては全然まだその二つが重なるイメージが自分の中にはないので、
OND社を見せていただいて、
その二つが重なるとこういうふうになっていくのか、
というのを垣間見させていただいておりますよ。
これが、いぶきステーションのヘビーリスナーであり、
jkondoさん推し活をしている大きな理由ですね。
こういうふうに着地するんだな、今日の話は。
いぶきステーションのヘビーリスナーになった動機という話をする予定はなかったんだが、
なんかとても大切なことらしい。
TACR、飛ばしたチェックポイントは、
いぶきステーションのヘビーリスナーになった動機ということだったのか、
面白いなと思います。
診断書がもたらしたもう一つの決断
そしてもう一つ、その診断書、
そのお医者さんがくださった診断書をもう一つ使いました。
これもキャリアレビューをする中で今まで飛ばしてしまった部分ですね。
別にこれはそんなに解決していない問題とかではなくて、
なんとなく飛ばしただけで、
やっぱりお相手がいるからという理由で飛ばしたところですかね、この話は。
私は2005年くらいに結婚をしておりました。
結婚しながらも年間8ヶ月出張という開発コンサルタントの仕事をして、
そんな時は離れて過ごす時間が長いから、ある意味うまくいってたんだが、
その後国内部署の仕事になりまして、約2年東京でほとんど出張なしでずっと暮らすようになって、
なんかだんだんすれ違うことが多くなり、
そしてコーチングとかを受ける中でも、私は結婚をしているからっていう理由で、
国内ベースで、出張ベースの海外での仕事をできるけど、
もう自分がずっと長期で海外に住むっていうことはできないって思ってたんですけど、
その制約っていうのも本当なのかと思うことがあってね、
出張だけではなくて長期で海外で暮らしたかったんですよね。
で、その適応障害の診断書をいただいて、
会社にそれを出して会社を辞めさせてくださいと、
そして元夫にもそれを見せて離婚をしてくださいと申し出て、
私はもう拠点を海外に移したいので別れましょう、別れてくださいと、
私たちうまくいっているとは言えないし、別れましょうという話をしましてね、
別れました。なので2015年の方向転換って言っているときは本当に大きなリセットスイッチですよ。
10年間かな、結婚していて、子供はいませんでしたけど、
約10年間の結婚生活でしたがそれを解消し、
そしてやはり約10年間以上勤めていた会社を辞めて、
そのお医者さんがくださった診断書を使ってね、
その助けを得てその大きな2つの決断をしました。
まあこれもひどい薄情な話ですよね。
今話を聞いている人の中には、この人ひどいな薄情だなと思うと思いますよ。
実際そうだと思います。
でもね、それぐらいの力を借りて、それぐらいの周りの人を犠牲にしてまで、
でもやりたかった方向転換だし、
それを今全然ね、後悔してないです。
良かったです。あの時思い切って方向転換できて本当に良かったと思ってます。
はい、なので今日のお話は、
昨日までに飛ばしてきてしまったチェックポイントをね、
ゴールの前に気づいたので、
ちょっと戻ってチェックポイントを踏みに行きましょうと。
そうしないと、せっかく今日ね、グランドフィナーレって言って、
TACRゴールをしても、後で自分で聞いた時に、
ん?なんか中途半端に大切なところを飛ばしてるなって思いますから、
チェックポイントを取り直しに行きました。
はい、では以上にします。聞いていただいてありがとうございました。
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コメント

ライブ配信聴けなんだ😭 七日お疲れ様でした、 そしてありがとうございました🙇‍♀️ 私が出来なかったことと共感できる事、 心にしみました。 改めてコメントさせて下さいね。

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