1. 手なり馬なり声日記
  2. AKIKOさんへのご回答の回
2026-03-06 21:22

AKIKOさんへのご回答の回

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的外れだとすまぬ⋯

その時は、あほの戯言と忘れてつかあさい

↓お呼びですか?

#声日記

サマリー

もりっしぃさんは、AKIKOさんの「組織内の分断を埋められない」という悩みに答える形で、自身の考えを述べた。まず、塩沼良淳大阿闍梨の過酷な修行と、彼でさえ人間関係の克服に苦労した話を引き合いに出し、人間関係の難しさを認め、自分を許すことの重要性を説いた。次に、分断の原因は「お互いの不知」にあるとし、ホモサピエンスが持つ区別や排除の傾向にも触れつつ、「知る」ことの必要性を強調。自身の子供たちが多様な環境で育ち、相手をよく知ることで区別しない姿勢を学んだ例を挙げた。最後に、漫画『ワンピース』のジンベエの言葉「失ったものを数えるな、今あるものを数えろ」を引用し、現状を把握し、お互いの「あるもの」を確認し合うことが、相手を知る第一歩となると提案。AKIKOさんの葛藤に共感し、「勇者」と称して締めくくった。

AKIKOさんのお悩みと問いかけ
3月6日の声日記をアップしようと思います。
今日はですね、ドラクエの話でもなく、AKIKOさんがね、
もりっしぃさんありがとうという名の声日記をあげていただいておりましてですね、
何かというと、ちょっと心配ですというふうなことを言っただけなんですけどもね、逆にね、ごめんなさいね、
今そんな気分じゃなかったのにっていうところがね、あったのにねっていうのもね、ちょっと思ったんでね、どうかなと思ったんですけど、
ちょっと申し訳ないなというふうに思っておりますということで、逆にごめんなさいというふうに思ってます。
そうなんですよ、今日ね、それと、こういうね、どうしたらいいんでしょうね、もりっしぃさんっていうね、
名指しでテーマをいただいてたというか、すごいこれ難しいんよな、ごめんなさい。
で、ちょっと遅くなっちゃって、これすごく今日1日気になってたんですけどもね、
三河屋のサブちゃん、まあまあ忙しくアクセクしておりますので。
で、とは言いながらこう、余儀ってたんで、どういう言葉がいいのか、言葉というか、どういうことなんだろうか、どうしたらいいんだろうかって考えてたんですけど、
まずその秋子さんのね、公演日記の一節を、今日はその元気がないと、その理由はっていうことなんですけど、
今日要するにミーティングで嫌なことがありましたっていうことだけではなくて、その断絶を私も埋めることが役割なはずなのに全然できませんと、
もうお手上げですと、できませんということでね。
自分の団体の中でさえそうなのにっていうことで、世界で今起こっていることも一緒じゃないですかというね、
そういう役割が果たせてないっていうことをね、元気がないですということで、どうしたらいいんでしょうかと。
難しいね。本当に。ちょっといろいろ考えたっていうかね、私なりにっていうふうにお話をさせていただけたらと思うんですが、
塩沼良淳大阿闍梨の修行と人間関係の難しさ
まず一つ目にね、このエピソードは過去にも公演日記で話したことがあったので、
今回のお悩みに直接って言われたわけではないんですが、まずは聞いていただきたいなっていうのが、
私が実際に公演を聞きに行ったことがあるんですけども、
仙台の住職お坊さんなんですけども、自厳寺っていうお寺の住職の塩沼良淳大麻里という方がいらっしゃいまして、
塩沼良淳大麻里はとんでもない修行を積んだ方で、
仙日開放行というね、仙日がいわゆるトレイルランって言うとすごくスポーティーになるんですけども、
修行道を奈良のね、二つあるんですけど、比叡山縁略寺の方と、
それから奈良の金浦仙寺っていうところがありまして、
奈良の吉野の山奥の金浦仙寺の仙日開放行というのは、
これすごい修行なんですよね。
比叡山の方もすごいんですけども、
大体何十キロやったかな、1日5、60キロぐらいかな、
ひたすら歩き続けるという修行なんですね。
これが歩くって言ったって山ですからね、
修行道をずっと歩き続けるというもので、
最後その仙日歩き切ったら、その後お堂にこもって、
あれは何日間やったかな、10日間やったかな、
飲まず、食わず、眠らずの修行を積んで、
それをクリアした人がダイアジャリを名乗ることができるわけなんです。
称号を与えられるんですが、
金浦仙寺というお寺、開拓おそらく1500、600年ぐらい経ってるんですよね、
の歴史の中で、
達成できなかったら何が怖いかというと、
懐に担当を入れてまして、
1日でも千日開放が途切れると、
1日でも途切れた場合は自害しないといけないというとんでもん修行なんですけども、
これを1500、600年間ぐらいある金浦仙寺の歴史の中で成し遂げた人は、
確か縁の行者やったかなと、
それから塩沼領順ダイアジャリのたった2人しかいないという、
とんでもん修行をクリアした方なんですけども、
その方が修行の間でどんどんとレベルアップしていくわけなんですよ。
いろんなことを捨てていけると。
何かというとクリアしていくのは物欲とか、
あと食欲もそうですね。
あと色欲とかね。
いろんな欲があるものを全部捨てることができて、
要するに修行によって自分の弱いところを全部克服していきましたと。
ただその千日間奉行を終えた後でも、
クリアできなかったものがありますというふうにおっしゃっていて、
それは何かというと、
人間関係ですというふうに、
嫌いな人を好きになるということができなかったというふうにおっしゃっていました。
ただその後、修行によって僕は克服しましたということであったのですごいんですけど、
その話を聞いたときに、
確かに人間関係とか人との関わりという部分ですごく悩んだりとか思ったんですけど、
その話を聞いて、無理だと。
逆に気が楽になったというか、
そんなとんでもない修行を積んだ得の高いお坊さんでも、
そう簡単には人の関係とかこういうものを克服していくということが難しいんだから、
花から難しいということなんで、
なんでこんなことを言ったのかというと、
それほど難しいことなんだというふうに思えれば、
役割果たせないとか比べることじゃないのかもしれないんですけど、
そんな簡単なことじゃないんですよ。
だから無理でいいじゃないと。
今できてなくてもいいじゃないというふうに思っていたら、
ちょっと楽にならへんかなと。
自分を許してあげてもいいんじゃないかなというふうに思ったということで、
このエピソードをまずお話をしたかったなというのが一つ。
分断の原因としての「不知」とホモサピエンスの傾向
あとは本当にというところなんですけど、
この分断とか断絶というところに焦点を当てたときに、
これはもう間違いなくというか、
お互いの不知なんですよね。
お互いというか知らないということが断絶。
相手のことをよく知らないということがやっぱり断絶とか分断というのを生むという、
これは多分そうなんだろうなというふうに思います。
自分がそんなによくできているというわけじゃないんですよ。
そこで相手のことをよく知るってどういうことなのというところなんですけど、
ここを考えるところもまた難しいなと思ってね。
まず知ろうとしないといけないし、
組織の世界でいくと嫌な話があって、
現場のことよく分からない。
僕は三河屋のサブチャンなんで、現場の人間なんです。
分かりますよ、いわゆるご本部様そういったところは、
あいつら分かんねえとかなるんですけども、
一方で経営層というかいわゆる本部の考えることも、
一方で久坂さんとかそういうのを通じてよく分かるんで、
そっちの側の理解というか考えも一方でよく分かるんですよね。
すごく教わります。
これって結構利益相反することも多くて、
何だったらば、本当は現場の気持ちとか現場のやってることというのを
分かった方がいいに決まってるんだけども、
分かるとそれに寄り添わないといけないので、
分かりたくないとかという不都合な真実というところも多かれ少なかれあったり、
今回のケースがそうだというわけじゃなくて、
素人というモチベーションというのはなかなか分からないという部分があったりするんですよね。
あとそもそも人というのが、
はじめさん、最近ちょっと上がってらっしゃるんですけど、
はじめさんがよくおっしゃってた、
ホモサピエンスという生き物がそもそも区別というか、
もともと集団生活がホモサピエンスの前提。
集団を守るためにという一方でその力も非常に強く働く、
そのためにその排除するとか異物を排除する的なね、
いうもともとのDNA的なところもあったりするし、
だから争いが絶えない一員なんだろうねというふうにも思いますし、
なんていうのかな、そうなんですよね。
だから僕もそういうとこありますもんね。
同じ三河屋の中でも部門差別じゃないんですけど、
ちょっとでも上に立ちたがるっていうところって、
やっぱり人ってどうしても区別したがるっていうところ。
身分制度も多分そうだし、
それで自分の精神を安定させたりとかいうことを聞かせるっていうのは、
そのポジションにいるんだからということで、
上の方から言うことを聞かせたりとか、何が言いたいかというと、
もともと区別とか差別するっていうのは、
ホモサピエンスっていうのは好きなんだっていうことの大前提でね、
物事を見ていかないといけないのかなって、
制約説的な感じになるんやけども、
それを、
なんて言うんだろう、
それをね、
その壁を取り壊す、分断とかを取り壊すのは、
やっぱりさっき言った通り、やっぱり知るっていうことなんだと思います。
子供たちから学ぶ「知る」ことの重要性
だからちょっと手前味噌なんですけど、
自分の子供なんか見てるとね、すげえなって思ったこと、
過去の小典劇でも言ったことあるんですけど、
例えば、うちはね、もう一切、なんて言うんでしょう、
進学運動って言ったことないし、
ずっと公立、公立、公立っていうふうに来ましたけども、
だから、
裕福な家庭の子が固まってたりとか、
受験勉強を勝ち抜いた子だけが集まってたりみたいなね、
幼少期は一切過ごしてないわけなんですよ。
たまたま小学校なんかも行ってた市内の、
障害者を特に集めたりとかって、
多分学校運営の都合だと思うんですけども、
割に障害者の子供たちも多かったりするんですけどね。
そうするとね、子供の頃から障害者に対してね、
ものすごい対等というかね、
結構衝撃、ちっちゃい時に娘とかが言ってましたけど、
あいつ障害者やからって調子に乗ってんねんっていうことを言うわけですよ。
一見して聞くと結構きつい言い方のように聞こえるんですけど、
そうじゃないんですよね。
対等に見てるから、
障害者っていうことを武器に甘えたり、
そういうところっていうのが許せないっていうことを言ってると。
これってね、なかなか一緒に生活しないとできない発言やな。
要するに区別とかないんですよね。
なんでかって言うと、よく知ってるからなんでしょうね。
障害者のクラスメイトのことを。
その後も、もっと年重ねていっても、
不良みたいな子とかね、いろんな子とかいましたけども、
それでも仲良くやってたりするわけ。
なんでかって言うと、相手の家庭環境とかもね、
よく知ってるから、お互いにね、っていうような話。
だからそこに対して、近寄らんようにしようとか、うんうんとかっていうふうにはなくてね、
もともと誰にいたのか、そういう性格の良さもあったかもしれないんですけど、
ただすごく学ぶところ、あれは真似できなかったな。
でも、要するに、よく知ってるから、区別。
学校の成績とか、家庭環境とかで区別しなかったっていうところをね、
子供を見てちょっと思ったなーなんていうふうに、ちょっと今思い出したりしてます。
それで、何を思ったか、それぐらいどうなるのか分かりませんけど、
何かの役に立ちたいとか、海外で、いわゆる在家的な仕事をしてみたいとかね、
そういうことを口に出したりとか、それに向けて進学していったりとかしてくれてるんで、
要するに、よく知ろうとしてるっていうところなんだろうなー、
だから手間ミスなんですけどね。
それを子供通じて教えてもらえるとこかなーっていうふうに思った次第なんですけど。
『ワンピース』に学ぶ「今あるもの」の確認
じゃあ、ごめんなさい、グダグダと言ったんですけど、
知るってどういうことなんかなーっていうふうな、
これもまた難しいなと思ったんですけど、
こんなんどうかなーと思うのは、
前にもね、リスンのイベントで、漫画の会のときにね、
言ったんですけども、ワンピースの話でね、
僕は最近お気に入りですということで、海峡の陣兵衛が言ったことね、
麦わらのルフィが兄のエースを亡くして暴れまくったときにね、
ルフィに賞金に戻させるためにね、言った言葉ね、
失ったものを数えるな、ないものはないんだっていうふうにね、
今あるものはなんやっていうね、この一言なんですけども、
どうでしょうか、あれができない、これをしてくれないとかっていうのはね、
難しい、それを言うと不平不満になるんですね、なんでできないとかね、
こういうことを言うと、これがだから分かってないとか、
あの人には分からんとかっていうような形になるとっていう話なんですけど、
まずね、これは僕もいつもそうするようにしてるんですけどね、
ないものを数えても仕方がないので、まずはあるものの確認っていうんかな、
自分に今あるものって一体なんだろう、自分たちにあるものはなんだろうって、
多分そうするとどうだろうかね、分かんないんですけど、
秋子さんの周辺のところでもね、現場の方にあるものは何なんだろうね、
こういうことが得意な人材がいますとか、こういうことがありますというような現状、
ウェブの向こうのヨーロッパのホームには一体何があるんだろうかっていうような話ですかね、
あるものが分かればないものも分かるんですよ、
そうするとないものをねだっても仕方ないし、あるんだったらそのあるもので力貸してくださいみたいなとか、
それがあるんだったらこんな形で役立ってくださいみたいな形になるんじゃないかなっていうことなんでどうなんでしょうね、
まずそれがそれは分からないんですよね、それが知らないっていうことなんじゃないかなっていう気がするので、
まずはどうなんでしょう、あるものを数えていって、お互いにこれはありますよっていうところから、
お互いにあるものを確認する、その橋渡しとかということから、
それはできるんじゃないかななんていうふうに思ったりしました。
そうしたらもうちょっとこうなんて言うんですかね、相手を知るきっかけになるんじゃないかなっていうふうにね、
すいません、生意気言いましたが私なりにね、今日ちょっと考えてみたことでございますというような言葉ででした。
AKIKOさんへの共感とエール
こんなんでいかがでしょうかというかね、ごめんなさい、なんかね、
おっさんが愚痴というか、説教たれたみたいになっちゃったんでね、悪いなと思うけども、今思っていることの、
今、そうですね、お答えとしてちょっと真面目に答えてみましたっていうような話です。
でもね、でもねというか、直近ね、ドラクエね、話し方戻っちゃうけどドラクエやってましたけどね、
この9文章、文章というか、このね、秋子さんの話をちょっと引用したい。
ここに書いて個人的な葛藤というところのね、センテンスになってますけど、AIくんが分けてくれてますけど、
この一節ちょっと読ませていただきたいとね。
はい、あの、ここね、こうやって戦争って始まって分断が深まっていくんだなということを学ぶ機会がある場所にいることは
選んでそれをやっているとはいえ結構辛いです。それは辛いんですと。
かといって、日本に帰って、安全に行って、自分はストレスなくのんびりゆったり暮らせるかというと、
一度足を踏み入れた者としてはそういうふうにもなれないんですよねっていうね。
いやー、まいった。これはすごいね。
いやー、本当に、あの、秋子さん、いや、あんたが勇者だよ。
ということで今日はこの辺で、それではまた。
21:22

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