1. #inajob の試しに録音してみた
  2. talk106: 3か月のサバティカル..
2025-06-30 36:51

talk106: 3か月のサバティカル休暇を終えて

spotify apple_podcasts

サマリー

このエピソードでは、いなじょぶが3か月のサバティカル休暇を経て復帰に向けた心境や経験を共有しています。家庭と仕事の両立や休暇中の活動について振り返り、生活と仕事の意義を考察しています。趣味と仕事のバランスを見直す内容であり、休暇中の趣味がもたらす精神的な充実感と、それに伴う冷めた思いについて掘り下げています。3か月のサバティカル休暇を終え、自己内省を行いながら新たな楽しさを探求する姿勢について語られています。また、全録音生活を通じて得た経験や知識が今後の充実した日々へと繋がることが紹介されています。サバティカル休暇を経ての人生の楽しみ方と自己表現の手段について語られ、特に書き出しや録音生活の価値が強調されています。

サバティカル休暇の終わり
始まりました。いなじょぶの試しに録音してみた。略して、ため録、talk106。
このポッドキャストは、30代後半、ものづくりが好きで、こそらて中のエンジニアであるいなじょぶのなんでもない雑談をとろけするポッドキャストとなっています。
それでは、今日も始めていきたいと思います。
さてですね、健康の前に、今日は6月30日に私は録音しております。
いつもね、火曜日に録音しているので、6月30日の次だから、7月1日に録音しようかなと思っていたんですが、
7月ということはですね、私の長かったような短かったような3か月のサバティカル休暇が終わってですね、
たぶんね、7月1日バタバタしているんですよ。
会社に行ってね、対応、パソコンを取ってきたりとか、いろいろ設定したりとかしないといけないんで、
いつも昼休みに録音していたんですけれども、ちょっとその時間取れないかもしれないなと思って、
というのと、バタバタ始まっちゃうとね、また頭で考えることも変わってくると思っていて、
この3か月のサバティカル休暇の最終日に、今の気持ちを録音しておくということは結構大事なことなんじゃないかなと思って、録音を始めています。
ちょっとわかんない、今日、この月曜日に公開するか、明日の火曜日に公開するかは、ちょっと私の空き時間次第ではあるんですけど、
とにかく録音を今しておこうと思って、マイクの電源を入れています。そんな言い方で録音を始めています。
で、恒例の健康のコーナーですが、睡眠がダメですね。
生活に支障が出るほどではないんですけれども、朝型生活を始めていたんですが、
これが暖かく、暑くなってくるにしたがって、どんどん崩れているというのは毎週報告しているとおりなんですけれども、
引き続き崩れておりまして、夜、娘と一緒に寝るんだけど、9時とか10時に寝るんだけど、
一回夜中に起きてきてちょっと作業をして、結局朝は6時とかに起きて、朝の準備をするみたいな感じかな。
日曜日はどうしようもなく眠くて、一回昼寝させてもらったりしていて、これが平日に現れると嫌だなと思っているところなんですが、
仕事をするにあたって、そういうところの無理やり寝るみたいな技術も必要になってくるなと思っているところですが、
まだ体調に変化、悪いことは出てきていないんで、引き続きうまいことやっていこうかなと思っているという感じです。
さて、今日話したかったのはこの3ヶ月のサバティカル休暇がそろそろ終わるという話なんですね。
サバティカル休暇中に何度かこのサバティカル休暇は私にとって何なんだろうっていうのをまとめたメモを書くんだけど、
書くたびに違うトピックにずれていったりとかして、そういうふうに内省が促されるのはいいことなんだけど、
結局何だったんだろうっていうところは、自分の中でもまだこうだという言語化はうまくできていなくて、
このポッドキャストの出力もそういったものの一つになると思っていて、
だからちゃんと記事を書いて、トピックを分けてこうでしたっていうことをやればいいんですけど、
まだちょっとそれをするには早かろうというのと、止まらんのじゃないかっていうところがあって、
いろんなメモを書き散らかした状態で今話をし始めていますと。
ちょっと目についたところから読んでいこうかな。私は以前9ヶ月の育休を取っていたんですね。
そのときは結局やることが多いというか、妻も結構アップアップだったんで、
私も一緒になって初めての育児っていうところをキャッチアップしたり、
新しく発生する課題をどうにか解決したり、調べ物をするとか、安心させるとか、
やっていたので、何かやることは常にあったし、仕事を休んでいるというよりは、
育児をすごいやっているという感じがあったんで、あまり休暇が終わるところに関しても、
ここから上手く仕事との両立していかなきゃいけないなみたいな気持ちがあったんですけど、
今は、今回の3ヶ月のサバティカル休暇は、娘も幼稚園に毎日行きますし、
仕事している時間は丸々自由な時間。家事なんかは巻き取るみたいなのはさせてもらいましたけど、
それでも余っている時間は自分の好きにさせてもらっていたので、
この自由な時間がなくなる。本当に手放しで自由な時間というのがなくなって、
仕事というのをそこに入れていかないといけないなというふうになってきて、
いわゆる働きたくないみたいな気持ちがないかというと、嘘になるかなという感じで、
若干気持ちは下がり気味かなと思っているところもあります。
もちろん、ここからどんな仕事ができるんだとか、今の私のスキルとか経験を使って、
個人だけではできない調整をさせてもらえる場だとも思っているので、
そういうところはワクワク、ドキドキというようなところもあるっちゃあるんだけど、
手放しに楽しみだ、すごいやるぞという感じではないよねという感じかなと思っています。
そんな中で、今、うちの娘は幼稚園の年中なので、うちの会社の制度上は、
小学校6年生までは時短勤務というのができるので、もちろんサバティカル開けてすぐからバリバリ働くのは、
骨折しそうなので、風邪引きそうなので、時短勤務を使ってやっていきたいんだけど、
今の心持ちとしては、なるべくこの時短勤務を生かして、
自分の時間や育児の時間を確保して、余裕を持った上で仕事をするほうが、
結果として楽しい人生にもなるし、仕事をしていく上でも、
無理やりきつきつで隙間に仕事をはめ込んでというのが、
いい成果に当たるかというと、それはちょっと、
かえってうまく仕事できないんじゃないかという感じもするので、
今後の仕事への挑戦
この時短を使ってやっていくっていうのをやっていきたいなと、今は思っています。
また働き始めると気持ちが変わってきて、
この時短の部分で30分でも働けば、いくら給与がもらえるんだよなみたいな、
そういう下世話の話というか、目先の利益にとらわれて、
無理に仕事を詰め込むってことが安易に予想されるんだけれども、
今の気持ちとしては、詰め込みすぎてもいいことはないぞと思っています。
今回のサバティカル休暇は、結構余暇があったんだけど、
この余暇があると私は何をするんだろうなというのを、
改めて振り返ってみると、何かかつてからやりたかったトック、
あれとあれを組み寄せればこれできるんじゃね、みたいなやつを
実際にやってみて、ほらできた、みたいなのをやったりとか、
あと生活の改善、家事の仕組み化だったりとか、
部屋のレイヤードを変えて、課題を解決するみたいなことを
ちまちまやったりとか、大きめの旅行にも2つ行きましたね、
みたいな感じのをやっていて、さほど驚くこともない
自分らしい生活ができたかなとは思っていて、
別に後悔はないというか、そうだよね、
そういうことができてよかったねと思うんだけど、
とはいえずっとこんな期間が続くといいかって思うか、
サバティカル休暇がよかったらもっと欲しいなって思うかというと、
やっぱり何かね、何にもならないことをしているなという
後ろめたさというか、不安みたいなのがだんだん出てくるなという感じがしていて、
というのも私のやっている趣味の活動なんてのは、
世のため、人のためになっているわけではないし、
直接お金がもらえるようなものではないような気がしていて、
そんなことばっかりしていると、
バチが当たるとかそういうことじゃなくて、
生活が持続可能でないよねっていうところに気持ち悪さを感じているような気がしているのと、
あとは外からの刺激が少なくなってしまうので、
もちろんインターネットからいろんな刺激は得てはいるんですけど、
やっぱり同じ場所で堂々巡りをしている感覚にだんだんなってきて、
やっぱりそういう強制的にでも外から刺激があり、
かつどうやったらお金儲けできるかみたいなところを、
互然立てられているサラリーマンという仕事は、
非常に強制的に人生を充実させるものだったのだなと思っていて、
それの中毒になっているんだろうという自覚も、
なきにしもあらずなんですけど、
ただ何も儲けずに人生を生きていくわけにはいかないので、
そういうセーフティーネット的な意味合いでのサラリーマンだったり、
っていうところの良さみたいなのも感じることがあったなと思うし、
どっかで話しましたけど、
自分のやっている趣味を仕事だと捉えて、
1日の進捗を考えると土として進んでないんですよ。
やっぱり大企業での仕事っていうのはすごく過度に効率化されていて、
私の得意なことだけをやっていれば、
うまく回るように座組ができていて、
そこで私がちょっと能力を発揮するだけで、
ある程度のお金がもらえるっていうのは、
過剰にもらえているという気持ちも若干無きにもあらずですが、
うまい仕組みができていて、
そこの上に乗っかって働くと、
ちゃんと価値が発揮できていたなということも一方で感じていて、
そういうバランス、
働くっていうことは人生においてどういう意味合いなのかみたいなところも、
何か振り返るきっかけになったかなと思っています。
ここから仕事が始まりますと、
多分バタバタ忙しくなるんだけど、
この後私はどういうふうに仕事に取り組めばいいのかな、
別に転職とかそういう話は些細な話なので、
一旦は引き続き今までの仕事をするつもりなんだけど、
私は結構プログラミングとか電子工作とかが趣味として好きなんですね。
だからこういうスキルっていうのは、
ある種仕事と重ねやすい、
同じワークとライフを分離して考えずに、
混ぜた領域みたいな部分が結構あるような気がするので、
その辺りを追求していくってわけじゃないんですけど、
重なったら儲けもんだねと思いながら、
いろんな挑戦を引き続きやっていけたらいいかなと思っています。
実際に私のブログ、
作ってみたブログの記事なんていうのは、
一時期スポンサーで、
中国の基盤製造会社にスポンサーしてもらったこともありますし、
何かクラウドファンディング、
インスタコードのクラウドファンディングとかの際にも、
何かちょっと自分でちょちょっと物作りをしたら、
すごく作者の方に喜んでもらえて、
ちょっとした報酬というか、
あの時は活音の叩きを現物至急でいただきましたけど、
そういうところでいいんですよ。
そういう別に持続可能とか、
それだけで生きていけるってわけじゃなくていいので、
ちょいちょい自分と社会の接点、
誰かに金銭的な形で利益を提供でき、
そしてその報酬として金銭的な見返りがもらえるような、
ちょっとした会社ごっこみたいなことを、
引き続きやっていくのがいいんじゃないかな。
その中でもう少し大きくなりそうなものだったり、
本業の方でも何か使えそうなものが出てきたら、
そちらはそちらではワークの方に移していって、
ライフの方ではメイン大きなライフから動かせないものとしては、
子育てだったりとか妻との生活みたいなところを充実させつつ、
ワークとライフがどっちじゃなくて、
ワークもライフも楽しめるような、
そういう部品を集め続けていきたいな、
なんて思っています。
最初にプログラミング電子工作が好きとは言ったんですけど、
私が好きなものは、そういうことというよりは、
自分の思い描いたものを形にするという、
この一例の流れが好きだと思っているので、
別に手段にはこだわらず、
仕事と趣味のバランス
仕事の中でもなるべく与えられたお仕事を自分ごとにして、
こうやったらこうできるんじゃないってことを自分の頭で考えて、
それを実際に提案したり実装したりして、
仕事の納品物として収めることができたら、
全然それは私が趣味で楽しんでいるものと同じ、
快感を得られるというか、ものだと思うので、
あえて趣味ができないから、
フラストレーションがたまるみたいな感じではなくて、
こういう構造のことをすると私は満足するのだというところが、
いろいろな活動を通して分かってきているので、
その枠組みを仕事にも当てはめることで、
楽しく仕事ができるんじゃないかな、
充実して仕事ができるんじゃないかなと、
今は思っていますよ。
趣味への向き合い方
仕事始まるといろいろ人と人とのあれで、いろいろあるんで、
そんな手放しに面白い面白いばっかり言ってらんないとは思うんだけれど、
メタに状況を見て、
学びがあったみたいなことを言って楽しむこともできると思うし、
うまいことやっていければいいかなと思ったりしていますよ。
これ別にまとめて話してるんじゃないかな、
繰り返し同じことを別の角度から喋っているような話が続きますよ。
この間、昔働いていた友達と、
懇親会、飲み会をすることがあって、
そのときに口をついて出た言葉で、
別にまとめてなくても、
口で考えるみたいなことが私はよく起きるなと思っていて、
口から出てきた言葉なんだけど、
私がこの3ヶ月の間は趣味に没頭しているというか、
空いた時間に趣味をしているんだけど、
これは直接利益につながるものではない。
こういう利益につながらないものばっかりやっていると、
だんだんこんなことばっかりやってて何になるのかなと、
冷静になる自分がいて、
これがひどくこういう状況が続くと、
結構精神的につらくなることが観測されていて、
この3ヶ月ぐらいでは起きませんけど、
結婚する前ぐらいにそういう時期があったんですよ。
そんな超病んでいるとかではないんですけど、
仕事もだいたい分かってきたし、
隙間時間に趣味を取り組むことも分かってきたんだけど、
このままぐるぐるやっていくのか、
この趣味みたいなのの出口も分からないし、
仕事も言うてそんなに材料があるわけでもないし、
みたいな塞がった感じっていうのが一時期あって、
やりたいことの一覧と、
今手をつけているものの一覧のバランスが崩れてしまって、
やりたいことがそんなにやる気ないよねみたいな風に、
だんだんモチベーションも下がってきて、
やりたいことがそこまでこれもやりたくないな、
みたいなものばっかりになった時があって、
そうするとすごく私は精神的に落ち込むというか、
ときめかなくなってですね、
あまり精神的によろしくない状況っていうのがあったことがあって、
今はお育てや趣味や仕事でバタバタしていて、
それはすごくいいことで、
そのおかげで充実した日々だし、
そういう風に冷静にならないというか、
冷めた目にならない感じがあったんですけど、
サバティカル休暇の間は、
その冷めた目の自分がチラチラ出てきているなという感じがしていて、
それにそういう自分を無視して、
悪せく頑張ることがいいことなのかわからない、
そういう自分とちゃんと向き合って、
だからこういうことをやってるんだよ、
それは意味のあることなんだよと、
自分を説得した方がいいような気もするし、
そういう気持ちはあまり向き合わない方がいいタイプの気持ちなのかもしれないし、
よくわからないんですが、
ただ自転車を初めて乗り始めた時のように、
趣味だけで人生回そうとすると、
やっぱりまだ倒れちゃうような気がするし、
そもそも倒れちゃうんですよ、
経済的にもやっていけないしね、
無理なんですよ、
だからやっぱり本業としてサラリーマンの仕事を持っているっていうことが、
自転車の例のまま行くと補助輪になっていて、
本業としてのサラリーマンがあるからこそ趣味を楽しめる、
手放しで利益にならない趣味を楽しめてたなっていう感じなことがあって、
大人だから引いてみちゃうんだよね、
こんな楽しいことばっかりしてても、
それで利益が出てるんだったらいいんだけど、
持続可能じゃないぞと、
誰のため、君は楽しいかもしれないけど、
何のためにもなってないし、
ということは利益にもなってないし、
あなたは家庭もあるのだし、
ちゃんと将来を見据えてキャリアを積んでいかないとまずいだろうと、
自分が言って、そいつを黙らせないといけないんですよね。
そのためにはやっぱりサラリーマンを続けるっていうことには、
ある種価値があるなと思っていて、
これは最初のほうに話した、
一種サラリーマン中毒のようなものなのかもしれない。
社畜とか言われたりしますけども、
そういうカリフメの安定感なのかもしれない。
そういうものに乗っかってしまっていて、
本当に安定しているか知りませんよ。
ただ、それに1回乗っちゃったもんだから、
そこから離れられなくなっているっていうところもあるのかもしれないけど、
だとしても、乗っからないと、私は今やっていけないっていう自覚があるんで、
補助輪を外すにしても、ゆっくり外していきたいんで、
引き続き仕事をやって、そこで安心感を得て、
それを使って趣味も仕事も両輪として進めていくっていうのが、
今できるというか、私の今見えている人生の形が、
そういう形をしているんですよね。
だから、突然自転車を飛行機に変えることはできないし、
ただ、どこかでもしかしたら形を変えることができるのかな。
でも、その時もパッとすべてを投げ打って、
突然、俺は明日から飛行機に行くぜっていうのは無理だから、
徐々に変形させていくんでしょうね。
補助輪が徐々に引っ込んでいくとか、
タイヤが徐々に増えていって四輪車になるとか、
分かんないけど、ずっと車の例えていってるな。
そんな感じで、形状を変えるにしても、
グラデーション的に変えていかないといけないから、
まずは一旦、今、趣味っていう、分かんないけど、
補助輪なしの状態で3ヶ月進んできたけど、
これでは精神的にも持たないし、経済的にも持たないので、
やっぱりサラリーマンの仕事っていう補助輪だか分かんないけど、
今までのいつもの形に一旦戻して、
そこからまたどういう変形ができるの。
もしかしてこの自転車に翼を這い合わせれば飛べるのとか、
そういう話はそこからまたやっていけばいいかなと思っているんですね。
充実感の追求
全然切らずにどんどん話してますよ。
それから、この間、休みの日にもこれだから、
本当に休暇のあるサラリーマンのやりがちなことだと思うんだけど、
この間、ちょっと時間があったんで、
ぶらりと秋葉原の街を散策してきたんですよ。
2時間、もっとかな、2、3時間うろうろしてましたよ。
私、秋葉原を街ぶらするのはすごい学生の頃から好きだったんだけど、
ここ10年ぐらいはしてなかったかな、ぶらぶらね。
久しぶりにぶらぶらして、どうかなと思ったんですが、
ふらりとジャンク屋に入って、こんなのあるんだ、こんな部品あるんだねとか、
今、この部品はこのぐらいの値段で売ってんだねとか、
うろうろしてたんですけど、
かつてのときめきやドキドキみたいなのが得られなくなってて、
秋葉原ぶらぶらで期待されていた良いもの、精神的に良いものは、
なんかね、ノスタルジー的なものに変わってしまっていて、
なんか変わっちまったなって思いましてですね。
今、私がときめいてやってる趣味なんていうのも、
数年後、数十年後にもう一回やったとて、
同じ感じの快感は得られないんだろうなと、
なんかね、やっぱり冷めてみちゃうなと思いました。
何でかというと、いろいろあってね、もちろん発見が少なくなっている。
私の自身に知識がたまっていて、こんなの売ってんだみたいなのがなくなって、
これはこんなもんだよねとかっていうのに変わっちゃったりとか、
あとは買えない何かを見て、これ自分で作ってみようかなみたいなのを考え、
まあ買えるよなみたいな。そんな高いものじゃないですよ、秋葉原で見かけた良いものなんてのは。
買えるなみたいな。作るほどでもないし、
でも買ったとこでそんなに活用もできないことをもう私は知っているしなみたいな感じで、
これは以前話したお金をかけることと楽しいことは独立しているみたいなところで言語化はしているんだけれど、
時間をかけることやお金をかけることやその体験をして得られる楽しさみたいなことが全てバラバラのパラメーターになっていて、
お金をかけると楽しいだろうということも幻想だし、時間をかければ楽しいということも幻想だろうし、
楽しいということ自体も時を経れば感じ方も変わってしまうみたいな、
もう全てがあやふやな豆腐の上に立っているみたいな気持ちになりながら、
そんなにひどい精神状態ではないんだけど、感傷に浸るというかという感じでうろうろしていました。
もちろん得るものはあったんだけど、下が越えるとかいろいろメモしてますけどね。
下が越えたなとか知識を得て違う場所まで来てしまったので、
そこから見える風景っていうのはかつて見えていた風景と違うよねみたいな話とかがあったりとかして、
なんかね、しんみりしてしまいましたし、だからこそ今自分がすごくやりたいということは今やらないとダメだし、
かといってずっとこの場所に居続けて10年、仮にね、何かうまくバランスが取れて10年何かできたとしても、
それだとおそらく10年後には今みたいなドキドキとはまた違った、いいものになってればいいんだけど、
その限りではなく悪い気持ちというか充実が得られなくなってしまう。
このブロックを叩くとすごい気持ちよかったのに、10年叩き続けるともうその気持ち良さはないみたいな、
そういう状況に受注白になるだろうと思っていて、そうならないためにはやっぱり違うことにどんどん手を出していって、
自分のドキドキを探り続けないと同じことをやって同じドキドキが得られることはないだろうな。
こんだけ人生を歩んできて、やっぱりそういうことってすごく少ないし、メタなメタなメタなぐらいの構造だとあるかもしれないんだけど、
ある事象、具体的な事象Aをやり続けることで得られる快感はやっぱりどんどん減衰していくので、
状況をメタに捉えて、こういう枠組みのことは俺が好きなんだ、みたいな。
っていう枠組みのことが好きなんだ、という枠組みのことが好きなんだぐらいのレベルまで上げた上で、
自分の活動をどんどんピボットさせて、ドキドキワクワクを追い求めていかないと、つまらない。
つまらないというか、この年になるとつまらないなんていう言葉じゃなくて、支えを失う感じがするので、
その支えを失わないように、次の一歩を水の上を走るように、水の上にゴザを引いて、
対岸まで渡る遊びがありますけど、そのような心持ちというのかな。
サバティカル休暇の振り返り
楽しいことをやっているうちに次の楽しいことを見つけ、反対の楽しいことの足がつまらなくなる前に次の一歩を出して、みたいな。
なんかそういう行動をしないといけない。そこまで精一杯詰まってはないんだけど、
モデルとしてはそういう感じかな。同じ場所にずっと立っていくと、どんどんつまらなくなっていくから、
移動に移動を重ねて、次の楽しいところ、次の楽しいところに行かないといけないし、そこで楽しさを効率化していきたい。
早く遠くに行こうみたいなことをしている人もいるんだけど、私はそうじゃなくて、なるべくそこが沈まないようにしたいのかな。
この人生を濃くするなんていうのがまさにそうだと思うんだけど、今得ている楽しいという気持ちをなるべく持続させつつ、
じわじわと他のところに行きたいと。早くその楽しさを消費しちゃうと、早く次のところに行かないといけなくなっちゃうじゃないですか。
手やっていくと、どんどんやることが少なくなっていくのか、分かんないけど、という不安もあるし、
せっかく楽しいんだったら、スルメを食べてるんだったら、しっかり噛んで、美味しさを噛みしめた上で次に行きたいなって気持ちもあるので、
自分の内なる楽しさ、なんで楽しいんだろう、ここはどういう楽しみがあるんだろう、みたいなところをしっかり噛みしめつつ、
その減衰をちゃんと粒さんに察知して、楽しくなくなる前に次に行く、みたいな。
そういう感じでやっていくと、やっていってるな、自分はと思ってる。
そして、さらにそれを引いてみたときに、それは楽しいことなのかという感じがするんだけどね。
今はそういうことをしているし、それが充実していると思っているからやってるんだけど、
手放しに楽しい技術面白いってやっていた頃からすると、随分現実的な目線になってしまったなとは思うんだけど、
でもそれが楽しくて、今はやっているということなんで、いいと思うんだけどね。
なんてことを、久しぶりに秋葉原を街ぶらして1万6千歩ぐらい歩いて、得たものがこれですよ。
全然ワクワクドキドキしなかったとか、インスピレーションを得られなかったとか、そんなことはなくて、
やっぱり今自分が趣味で作っているようなものの中には、買って得られないものとかがあるなということに気づいて、
それは私だけが欲しいんじゃなくて、インターネット上見ていると、みんなそういうことしたがっているなということもあって、
そういう万人とはいかないけど、ある種の人には刺さるものづくりみたいなのを自分はできているなということが再確認できたりもしましたけど、
あれが欲しいとか、新しくこういうガジェットあんだなみたいなことはめっきり減りましたなと思って、
たまには昔やったことと同じことをしてみてもいいんだけど、同じドキドキワクワクが得られるかというとそんなこともないななんていうことを感じながら、
帰ってきましたという、そんな感じですね。
何の話だっけ、そんなサバティカル休暇楽しく過ごしましたけど、ちょっと今回は勤めて真面目なトーンでというか、
少し反省、内省を込めて語ってみたんだけど、これは自分に向かって、ここから多分数ヶ月後、
忙しくしている自分が、こいつこの時こんなこと思ってたんだなっていうためにスナップショット的にしゃべっていることなんで、
何だろうな、同じようなことを違う側面で、この話自体を何度もしてるわ、話してるだけなんで何のオチもないんですが、
今はこんなふうなことを考えていて、サラリーマンに復帰して、来月以降うまくやっていきたいなと思っているというお話でした。
それだけだとちょっとあれなんで、全録音生活の話しましょうか。
全録音生活の実践
イメージキャストにゲストで招いていただいた全録音生活ネタですが、いろんなところで、ディスコードサーバー稲城部側とか、
エコセンスプロジェクト井戸端とかで私こんなことやってんだよっていうと、割とポジティブな反応が得られたりとか、
製品としてプラウドAIみたいな話をしましたけど、それ以外にもリミットレスとかっていう海外の会社の全録音端末みたいなのも出てきているようで、
そういうのを買って、実際に私と似たようなことをやってらっしゃる人もいて、
ただ、やっぱり会議の録音みたいな実用的な面以外でいうと、どんな活用法があるのかっていうのはまだみんな模索している最中なんだなと思って見ていますので、
これ先々週ぐらいかな、大体私全録音生活1ヶ月ちょっとしたんですよ。
大体まとめ方とかも、どういう音声処理を通したらいいかとか、どんなプロンプトでLLMに食わせるといいのかみたいなところが、
一旦は固まってきてきましたので、ちょっとバーっとね、私今日記を書いてるんですけど、主にこのPodcastで話すための日記っていうところもあるんだけど、
あとは作業の記録、ウィキで生活するなんてことを言ってましたけども、メモしながら人生生きてるもんですから、
そこに翌日の朝ぐらいに全録音生活で得た文字起こしから得た知識だったりトピックを見ながら日記にちょっと書き足すっていうのをしてるんですよね。
このちょっと書き足したネタ、主に娘ですね、5歳の娘に頑張って説明した、私が説明したことが日記には書き漏れてるんだけど、
それを全録音生活で拾えたなっていう話があってですね、どんなことが日記に追記されたかっていうのをバーっと説明していきますよ、まず旬ですね、
これは食べ物には旬があるという話を娘にしました、それから次、こんにゃくの香のこんにゃくには食物繊維があってねとかね、
それから神様の話をしたようですね、なんでそんな話したんだろう、日本における神とは何かみたいな話をどうやらしていたっぽいですよ、
あと5歳の娘、顔洗いができます、朝眠い時は顔洗いをしていますね、それから人工甘味料を子供に与えるのを気にするっていう、
私の友達に会って、私は全然気にしてなかったなみたいな話、今年は梅雨が消えたのでは、やっぱりありましたけどね、一瞬梅雨前線消えてましたね、
水不足になるかとか、そういえば昔四国で水不足なことあったよな、うどんはそれで作れたんだっけみたいな話をしたり、
しょっぱいと酸っぱいっていう言葉を使い分けている妻がいたんだけど、私の中ではしょっぱいと酸っぱいはどちらも塩辛いみたいな時に使っているような気もするみたいな話、
それから絵画におけるリアリズムの追求の話をしていたとか、最近は夜寝る前に娘は素敵なお絵かきを始めてですね、めっちゃ褒めると調子に乗って描いていますが、
特に妻が褒めるのが上手いので調子に乗って描いていますよって話とか、カメムシが出てきましたね、この季節だったねとか、冷凍弁当今ナッシュを使っているんだけど、
三ッ星ファームというのもいいんじゃないか、ちょっと高いなみたいな話とか、それから貸し借りにおける独占欲の話をなぜか結びにしていましたね、
友達と物の取り合いになることがね、最近は減ったんだけどちょいちょいあってですね、その時に飽きた頃に取り返せばいいじゃんみたいな話をしてましたね、
それから千代紙を買った、それから3Dプリンターのフィラメント交換を娘と一緒にやったりとか、
頭をぶつかって性格が入れ替わっちゃうみたいな話があるよねって話をなぜか娘にしてましたね、
私のアルバイトのなんでやったのかとか、どんなアルバイトしたかみたいな話を娘にしてたりとか、
あと、字力の説明を娘にしようとしたんだけどすごく難しくて、これは私の課題ですね、何か絵本か何かを借りてきて、
字力の説明に必要な知識を与えなければと今思ってますね、それから太陽の光が強いので最近きれいに日焼けしてるんですが娘がね、
ある場所から先は茶色くなって、ある場所から上が白いみたいになっていて、娘がこれをちくわみたいに表現していて、よく物事を観察していますねっていう話、
それからコーンか、三角コーンとアイスクリームのコーンとトウモロコシのコーンと似てるし、あれは形状から来ているのか、
それとも何かすべてトウモロコシに由来するものだったのか、これ調べてないな、あと泥棒が来た時どうするかって話を娘にしたりとか、
困った訪問者が来た時、困った郵便物が来た時、困ったメールが来た時、困った電話が来た時などにどのように対応すればいいかって話を、
なぜか娘とずっと夜の間話していたっていう記録が残っていたりとかね、あと日焼けの症状は人それぞれだなみたいな話をしたりとか、
こんなメモが日記に増えました。これは全録音生活のおかげです。
わかんない、これを得たことで何かいいことがあったのかは知りません。
ただ、私はこれによって、私の日記は充実ですし、おそらく1年後とかに、私は同月同日の日記を毎日振り返るような生活をしているので、
来年の今頃、このネタを拾うことができるようになっていて、わかんない、なんかそれがインスピレーションになるかもしれないなと楽しみにしています。
みたいな感じで、少なくともこのような成果が得られますよ、全録音生活はと思っています。
充実した日々の追求
これは、いわゆる製品ではなくて、適当に買ってきた、中国から買ってきた録音デバイスと、無料で使える範囲の、
私は今、Geminiを使っていますが、GoogleのGeminiを使って、Whisperを使って文字起こしをしている。
だから、録音と電気代以外は、録音のためのデバイスと電気代以外は、無料の範囲でここまでの振り返りができますと。
ちょっとまだ、今日中にやりたいな、この全録音生活をバーッと処理するスクリプトを書けば、
うまいことやると、夜にUSBディスクをパソコンにピュッと差し込むと、あとはうまいことをやってくれて、朝にはこの情報が、
私は今やっている感じだと、100個ぐらいのトピックがバーッと出るので、そこから3個ぐらい、これはってやつを日記に移す。
これは人間がやりますけど、という感じの生活が、引き続きできるんじゃないかなと思っていて、
これはね、たまたま得られましたけど、今私がポッドキャストをやっている、このポッドキャストを始めた理由である、
人生を濃くしたいという目的と、非常にの手段として非常に良いものが得られたなと思っていて、
これからマイナーチェンジしていくことになると思うんだけど、私とは違う第三者が、私の生活、私の声を聞いていて、
君、今日はこんなことがありましたよって、毎日、翌日になったら、昨日こんなことがあったよねって教えてくれるような仕組みができました。
なので、これをポッドキャストで話すでもいいし、話さないでもいいんだけど、日記として書いていく中で、
この時のあれとあの時のこれ繋がるじゃんとか、具体的なことを抽象的なレベルで繋げたりして文字を書いたりするということによって、
より充実した日々を過ごせるようになるし、さっきの話で言うと、今いる場所が沈む速度を遅めることになるんじゃないかな。
本当かな。さっき話した川を渡る話しましたけど、やっぱり今楽しいと思っていることは、だんだん楽しくなくなっていくんですよ。
だから、早く次の楽しいことを見つけて、そっちに足を踏み出さないといけないんだけど、
どんどん次の楽しいことに手をつけていきたいというよりは、今楽しいことをしっかり噛みしめつつ、
沈む速度を遅めつつ、次の楽しいことをしっかりと探して、次の一歩を踏み出していきたいみたいな意味で、
だから多分、人生を振り返って濃くしたい。濃くしたいというのは、今いる場所が楽しくなくなるスピードを遅くするということなんじゃないかなと思っていて、
しっかり楽しむ。しっかり鋭みを噛むということがしたいんだなと思っていて、
そういう上で、この全録音生活というのは非常に良いツールだなと思っているので、良いものを得たなという気持ちです。
サバティカル休暇と自己表現
だから、もしかして忙しくなってポッドキャストをすることが難しくなっても、私には今二つ手段がある。
この人生を濃くする手段として、ポッドキャストをすることと、全録音生活をすること。
もう一つ言えば、人生を記録している。毎日日記を書いて、日々こんなことがあったね、そしてこんなことはそういえば過去にもあったな、
これと繋がるなという日々記録をして、それを抽象化して、メタに捉えてという、
この活動自体が人生を濃くする楽しみを掘り起こす手段になっていると思うので、
その三本柱ぐらいで今は人生を楽しめているなという感覚があるので、
これから時間的制約とか厳しくなっていく中、いろいろあるんですが、この三本柱。
書き出す、しゃべる、第三者からの目線での情報を再度取り込むみたいな、
この視点で人生を捉えていければ、ここしばらくは楽しくいけるんじゃないかな、
そしてこの楽しみが薄れているということにも早めに気づけて、次の一歩に踏み出せるんじゃないかなと思って、
いい発見、いいポック、いい実験が得られたなと思っていて、
私はこれすごくいいと思っているんだけど、その良さというのをなんとかポッドキャストを聞いている皆さんにも伝えればいいなと思ってしゃべってみました。
そんな全録音生活の現状、1ヶ月ぐらいしたかな、1ヶ月半ぐらいかな、今の景色というのをお話ししました。
さてお届けしてきました、いなじょぶのためしに録音してみたらくして止め録、遠く、106、そろそろおしまいの時間になってきました。
今回はスペシャル回っぽい話題は2つありましたけど、主にはサバティカル休暇の終わる最後の日に録音しているというところがすごく重大な違いというか特別ゆえの内容かなと思っています。
これはもうまさに30代後半の生存戦略といいますか、人生をどうモデル化してどう楽しく生きていくかみたいなところについて、
現状をまとめてない、まとめてない、ただダラダラとしゃべったという感じの回になっておりまして、ここから40代どうやっていこうかなと何も結論は出ていませんが、
別に結論を出したいというよりは、こういうショットショットで自分が不快と思っていることをダラダラ喋ったりすることで不快からは遠ざかりたいし、
快の方に進みたいという、そういう活動になっているんじゃないかなと思っていますよ、というところで今日はこのぐらいにしようと思います。
よく分からないしり滅裂な会議になってしまいましたけど、引き続き聞いてほしいので、こういう話を聞きたい方はぜひ購読してほしいですし、
こういう話を積極的に私と交流したい方はディスコールサーバーいなじょぶ側に来ていただければと思います。
それでは今日はこのぐらいにしようと思います。お聞きいただきありがとうございました。
36:51

コメント

スクロール