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IKUKO Labo ワンダーランド
こんにちは、IKUKO Laboの金田一子です。
えーと、1月16日木曜日の午前9時18分に収録をしています。
えーと、お天気良くなってきてですね、まあ寒いのは寒いんですけれども、えーと、1月ですからね。
1月にしては寒さもほどほどなんじゃないですかね、よく分かんないけど。
で、ちょっと鼻風邪をひいて、喉が痛いというか鼻が詰まっているというか、そんな感じにはなっています。
が、昨日無事にYouTubeライブをすることができました。
えーと、マーケティングに関するミニ講座をですね、ライブで配信するということをしました。
でも無事っていうか、開始10分くらい全然つなげなくて、しくはっくするというドタバタでしたけれども、
なんか、なぜか途中からつながってできたんで、まあまあやりました、そのまま。
で、これってだけどYouTubeで上げるのはいいけど、ライブでやる必要ある?って自分でもうっすら思いながら、
でもまあやってみたらできたんで、そのままライブでやりましたけれども、
本当のところきちんと自分で録画してきれいに編集して出した方がきっと聞く人にとっては聞きやすいんじゃないかなって思っています。
ただちょっとライブがやってみたかったっていう、ワクビズとして直接YouTubeライブという一般人も見れるところで公開で、公開状態でなんかするっていうのをしてみたかったですね。
ワクビズはいつもZoomでしてるんですけれども、部外者は入らない。
メンバーさんだけでいろいろと話をしたりしてますので、濃い時間ではあるんですけれど、皆さんにそれを垣間にさせてあげる機会っていうのがまあまあないなと思って、ちょっとライブやってみたっていう感じですね。
インスタライブだとやったことないんですけど、昨日みたいな場合はスライドを使いたかったので、横長の画面でやりたいなっていうところでYouTubeでやってみました。
今もアーカイブが残っているので、見方としてはワクビズのチャンネルで行ってもらって、その中でショートとか動画とかタブなのかな、なんかあると思うんですけど、選ぶとこが。
その中にあれがあるんですよ、ライブって書いてあるところが。
そのライブ見てもらうと、昨日の録画がそこにあって見ることができます。
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内容的にはマーケティングの本当に処方の処方っていうか、そういうものなので、よかったら見てください。
YouTubeライブを今後も時々は定期的にやっていきたいなって思ったのと、
あの話に実は続きがあるので、もっともっと喋りたいなって思ったけれども、自分で録画して公開することになるとは思いますけれども、
これ一般に公開する必要があるのかな、みたいなところで、
たぶんメンバーさん限定、ワクビズサークル制っていうのがいるんですけど、サークルに入っている人だけに見れる限定公開にするかな、どうするかなって今考えているところです。
やっぱりできれば、ただ情報が、マーケティングのことが知りたくて見てるっていう人じゃなくて、ワクビズって何?って、私も企業とか興味あるんだけどっていう人に見ていただきたいっていうのが、
そのためのこのミニ講座っていうのもあるので、ちょっとどういうふうに公開するかっていうのは考えたいなと思います。
それともう一つ、YouTubeでライブをする意味は、YouTube的に、ただただ作った動画を上げていてもいいんだけど、ライブやってくれた方がもっと嬉しいと。
今だとショート動画を上げてくれたらもっと好きってYouTubeが思ってる気がするんですよね。
特にショート動画って絶対今めちゃくちゃ推してますよね。
だってYouTubeの開いた時の画面を見ると、今ショート動画っていうカテゴリーが出てきてません?
普通の動画の途中に横スクロールできる、ショート動画だけが並んでるところありません?
あれ昔なかったですよね。突然ある日できてきたんだけど、それぐらいショート動画をいっぱい見てほしいんですね、YouTubeは。
そういう時ってショート動画をいっぱい上げてる人を優遇するので、優遇するという意味は関連動画に上げやすくしてくれたり、
トップページのおすすめのところに出やすくしてくれたりっていう風に優遇するアルゴリズムっていうのがあって、
こういうことしてる人がいい人みたいにしてポイントつけて優遇するんですよね。
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そうやってると思いますので今は間違いなく。
本来であればショート動画をいっぱい上げるっていうのが正しいんですけれども、
その次に推奨されてるのが多分ライブ配信をする人だと思うので、
それも結局は視聴者とコミュニケーションをとってほしいっていう、そういう感じだと思うんですよ、YouTube側の意図として。
ライブってまさにそういうものだし、ショート動画もみんなが喜んで見るっていう意味で、
視聴者が喜ぶ、そういうものをたくさん作ってくれっていう、そういうメッセージがYouTubeから来てると思ってるんですが、
とはいえ別にエンタメでいろんな面白いことができるわけじゃないので、
普通に上げてもいい、進むようなミニ講座をあえてライブでやってみるっていうことで、
昨日はライブでやりました。
これがいつもやってるズームだったら、私が何か言ったらリアクションをね、だって顔が見えるからお互い同士もやってるんですけど、
さすがにYouTubeライブだとコメントは読めるんですけど、みんなの顔は見えないし、一人喋りをずっとするみたいに。
この今喋ってるこれを不特定多数の人が聞いてるかもしれないっていう状況ですね。
ちょっと恐ろしい。誰聞いてるんだろうって。
ちょっと緊張しますが、でも現実には知ってる人しか来ないんで、いいんですけど。
ちょっと自分的にはスリリングでしたっていう話。
やっぱり、人間こういうスリリングなこと、緊張すること、ドキドキしちゃうこと、ヒヤヒヤすることっていうのを経験すると私細胞が若返るって思ってるんですよ。
なんか細胞に刺激になって若返りが起きると思ってるので、
いつもハラハラドキドキ、アドレナリン出るとかそういう感じ。
たまにカツを入れてあげるのはいいことだと思ってます。
そして、もう一点話したいことはですね。
何から話そうかな。
やっぱり、わくび図をやっている理由でもあるんですけれども。
じゃあ50代60代になって私はもう年だからっていう人が許せないんですよね。
自分も60、今4なので、ギリギリそのおばあちゃんと呼ばれる年ギリギリぐらいの感じで。
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早い人は60前から孫がいたりとかするので、事実上おばあちゃんなんですけど、そういう意味じゃなくて、見た目とか雰囲気で年寄りの人。
っていうふうになるかならないかの入り口みたいなところの年代にいるんですけれども。
私の仮説としては、心は何歳になっても自由でいることができると思っているんですね。
で、自由というか若いってどういうことって言ったら柔軟だ柔らかいっていうことが若いっていうことだと思っていて。
お肌でもそうじゃないですか。
若い時のお肌ってつるつるで柔らかくてもちもちだけど、歳をとるに従ってゴワゴワになっているでしょ。
歳をとるってそういうことで、その逆柔らかいっていうのは若い。
で、心もそうだとすると、いつまでも柔らかい心で、いろんなことが起きても柔軟に対応ができる。
新しいことが起きてきても、それに柔らかく対応していけるのが若いっていうことだと思っていて。
特にこの50、60っていうのは、人生の途中でインターネットができてきた。
だから生まれた時からインターネットがあったわけじゃなくて、最初の若い頃をアナログで過ごしてるんですね。
ソロ版とかやっちゃったりとか、お習字教室に通って字を練習したりとか、すべてアナログで生きてきた経験がある人なんですよね。
少なくともそういうのを見た記憶はある。
途中からワープロができてきて、働いた時にはすでにパソコンがあったかもしれないですけど、
なんならそういう機器に、電子機器、一切触れることなく生きてこれちゃったかもしれない世代なんです。
だからスマホができて、さすがにみんなスマホは持つんですけど、スマホで初めてインターネットを使ったよぐらい。
という感じだと、はっきり言って時代から取り残されてるわけなんですよ。
この30年間にどんなことが起きていたかを全く知らずに生きてきちゃった。
時代遅れになっちゃってるんですけど、実際問題。
そんな時にやっぱり柔軟性の差が出るなと思って。
それでも、例えば80歳で初めてスマホを持って、それでLINEをやったり、いろんなことできちゃう人っているんですよね。
に対して50代でも私はもうできないからって言って、やらずに済まそうっていう人もいて、
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時代に遅れるかついていくかを自分で選ぶわけですね、その時点でね。
気がついた時点で。
80だって使えるんだから、50歳絶対使えるんですけど、
そのセルフイメージですね、私は新しいことはやれないって思ってる人はやらずにそのままいくから、何もできない80代になっていくわけ。
に対して、いや、できるかもって、教えてもらったらできるかもぐらいに思っている人は、
そっから教えてもらったら、ちょっと教えてもらったら、1回でもやったらできるんで、
できる人になっていくっていう。その違い、ほんの違い、能力の差ではないんですね、明らかに。
まあまあ目が見えて、日本語が読めたら、あと指でトントンタップとかしないといけないんで、
そうしたら、できるはず。
目が見えて、日本語が読めて、指で画面を押せたら、
そうしたら、すべてのことが私と同じ程度にできるはずなんです。ほんとそうなんですよ。
なのに、いや難しいからできないって言って、難しいかどうか知らないのに難しいからできないって言ってる人が、
そのまま、なんか本当にティラノサウルスみたいに恐竜みたいに変わらずにずっといくっていう。
この差を私はね不思議だなと思っていて、
いや難しいからできない、私にはそんな難しいことはできないっていう人って、なんで難しいって知ってるのっていうとこなんですね。
多分漠然とした印象ですよね。
なんかそういう機械を使うのは苦手とか、
まあ女性通りのは、そういうパソコンとか難しいことは男の人がやるものっていうふうに分類しちゃってる場合。
そういうものに首を突っ込む女は可愛くない的なことがあるんじゃないかなと思うんですけど、
そこは自分にふさわしいのはもっと美しいものをめでたり、女らしいことをするのが自分の領域であって、
インターネットとかはその領域の外側にあるっていうふうに多分認識してるんでしょうね。
だからそういうのは男の人がやるもの、あるいは若い人がやるものっていうふうに自分の中でセグメントをはっきりとつけてしまっていて、それから1本も出たくないというセルフイメージですね。
自分は女らしく生きていて、男の人に愛されてみたいな。
それが強い人ほど、なんか全然チャレンジしないのかなって私は今仮説ですけど、本当にそうかどうか知りませんが思ってます。
それが一番私に理解しやすいんですよね。
男女の差っていうところを自分の中で色濃く持っていて、それが障害となって、
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いや別にさ、スマホでなんかするぐらいさ、例えばズームするとか、こんなデジタルでもなんでもなくないですか。
LINEで送られてきたそのなんか青くなってるものをプチってすると勝手にズームが立ち上がって、こんにちはとか言ってもう画面映ってるわけじゃん。
どこにデジタルな要素がありましたかぐらいに。
それは難しい。
えー、プチってだから、一回LINEで送られてきたものを読んで、
押してもらわないといけない。タップしてくれないといけないから人差し指がちゃんと動かせないとダメですよ。
あとLINEで送られてきているものに気づかないといけないから日本語も読めないと厳しいですよ。
でもそれさえできたらズーム使えるじゃないですか。何が恐ろしいんでしょうか。
壊れちゃったらどうしようって。壊れません。今時のものは。
じゃあ何が怖いんですかって言ったら、要するにしてはいけないことをしてるような感じがするんでしょう。
多分、みたいなこと。
うーん、恐ろしいって植え付けられている何か。
そんなことしたら死ぬぞぐらいに思ってる。
だけど別に感電してビリビリって死ぬってそういうんじゃないさそうだから何がそんなに怖いのかっていうのも、ただ一つ、女らしくしていないと男の人から嫌われるよ。
これじゃないかなと思うんですよね。
それ以外になんか、デジタルのものに手を出さない理由ってありますかね。
ちょっと分かんないんで、もし分かったら教えてください。
あまりにも不思議なんで、私が興味を持ってしまって、いつまでもこだわって、あーでもない、こうでもない、ぐちゃぐちゃ言ってるんですけど。
まあまあそんなこと言ったって、人が何にこだわろうか、その人の勝手なんでいいです。
なんですけど、その若さを保つっていった面で、そうやって自分の中に強固にある何らかの自分はこういう人っていう思い込みが強すぎると新しいことができなくないですかっていう、そこはちょっと危機意識を持ちます。
今朝起きて見た動画で、模擬健一郎さんのイマジン大学っていうチャンネルがあるんですけど、そこの中に女の脳科学、脳の研究者の方が出てきて喋ってるのがあったんですね。
これがね衝撃的で、人間の脳って赤ちゃんから育ってきてだんだん大人になっていく途中の思春期の頃に、ものすごく芋虫が蝶になる途中でさなぎになる。さなぎになった時、さなぎの中ってドロドロに溶けてて形がないらしいんですけど、あんな感じでまさにドロドロに溶けたかのようにものすごい大変なことが起きてる。
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脳の中でね。思春期の。だからそれまでできていた、当たり前にできていたことが突然できなくなったりとか、ということが起きるんですって。だからめちゃくちゃ突然不安になったり、めちゃくちゃ突然腹が立ったりとか、今までできていたことをそのままできなくなるっていうのが思春期の脳なんですね。
思春期ってホルモンバランスとかそういうことかなと思ってて。まさか脳が変化を起こしているとは私は思ってなかったんで。
脳が変わる問題だったらこれは本人の努力とか周りの努力では克服できないなと思って。そりゃしょうがないと思ったんですけど、同時にそれがさなぎの状態だとしたら、ある期間が過ぎたら蝶々になっちゃうわけだから。
人間の脳も20歳超えてくるとだんだん安定してきて、普通にちゃんと何でもできる脳に作り変えられているはずなんですけど、でも記憶の中では結構思春期のままってことないですか。
思春期っていろんなことが突然できなくなっているので、例えばそういう時に人前でしゃべろうとしてうまくしゃべれなくてみんなに笑われたとか、ネガティブな出来事がいっぱい起きるんですよね。
それを胸の中にずっと持ったまま60歳になっても、私は人前でしゃべることは苦手だからって思ってるっていう人って多くないですか。何にもなかったらみんなそうしてませんかっていうことが、私が今日しゃべりたいことで、
セルフイメージって恐ろしいなと思うんですけど、強烈であるがゆえに思春期に起きたことを大概引きずるんだなと思って。
人前でしゃべれない事件については、この私自身が実は30歳ぐらいになるまで本当に人前でしゃべれない人で、原稿を読むとかだったら私も自分の言いたいことを人に言うっていうのが苦手どころか一切できなかったんです。誰にも、親にも友達にも、ましてや他人には。
だから自分はしゃべれない、しゃべる回路がないんだって思ってて、だけど書くことは得意だったんで文章を。文章を書くことで何とかしようって思ってたりしたんですね。これが覆ったのは明らかに41歳の時で、その時突然夫が引きこもって、私が一家の家計を担ってくれとか言われたんですね。専業主婦だったのにですよ。
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その時には何か自分の中でプチッと音がして、本当に何かが切れたんでしょうね。プッツンしたっていうそういう状態になったんです。そしたら言いたいことが胸の中からどんどん湧いてきて、言葉になってどんどんどんどん出るっていう状態になったんです。
もうこれは相手が誰であれっていうか、そんな大変な状況なので、会う人会う人にそれを話すしかないんですね。でも会う人会う人に話して、どんどん言葉が出るんです。それで自分でびっくりしてましたね。
それまでは嫌なことがあっても人に言えないのでうまく伝わらないから、自分一人で泣いてたりしたんです。ところがそこまでのひどい目に会うと、泣いてる場合でもなくて涙も出ないんですよね。逆に怒りが出てきて腹が立って腹が立ってしょうがなくて、その怒りと同時に一緒に言葉が出てきて、以来私は喋れる人になって元には戻らないんですよね。
怒りとかはそのうち収まるっていうか消えるんですけど、この獲得した喋れるっていう能力は元には戻らず、一回できたことって人間できるんで、自転車と一緒で一回乗れた自転車に乗れなくなるっていうことはまあまあないのでね。
っていうことを考えると私もその思春期とかに転校生だったんでそれが原因かなと思ってたんですけどそうじゃなくて多分脳が組み替え時期に入って喋れないっていうことが起きてたかもしれないでしょ。
で、それのイメージを、今の大人になった脳は多分そういうことができる脳みそになってるんだけど自分でそのことに気づかない。なぜなら苦手だからって言ってやらないのでなんかできないんですけど本当はできる。何か突破するきっかけがあれば本当。
っていう風でだとすると若さって何ですかって言った時に、その思春期の脳でいることが若いんですかっていう問題。だけど日々進化して人間ってできないことができるようになっていく生き物だと思うんで、それをね、たかが10代のほんのちょっとの
貧しい経験っていうんですかね。経験の量として、あと周りも同年代のやつらばっかりじゃないですか。レベル低いじゃないですか。だいたい。ちょっとしたことでなんか林立てたり、人のことを貶めたりっていうレベル低い連中が多いでしょ。
中学生の頃って。そういう連中に馬鹿にされたとかいうことを自分の人生の礎としてそこからスタートして自分は馬鹿にされる人間なんだみたいに。60になっても思ってるとしたら本当に多大なる損失だし。
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そういうところから出発して、そうじゃない素敵な私に変わっていくんだっていうのがあるべき人間の姿だと私は本当に思うので、またそうあってほしいとも思うし、若さって何ですかって言ったら単に美容にお金をかけてお肌がツルツルっていうんじゃなくて柔軟に変わっていくことができる柔らかい心。
心が柔らかいっていうことが若さにとって何より必要で、じゃないと外側の外見だけを若く見せてもやっぱり内側がカチンコチンっていうのってわかるし、でちょっと喋ったらこの人はそういう形にとらわれてカチンコチンの人だなってわかるわけですよ。
でも外見が多少年をとって見えたとしてもちょっと喋ったらいやこの人めっちゃ生き生きしてるわって。
次々といろんなことに自分の頭で考えて自分で思いついたことをやっていくっていう本当に若者みたいな若い人みたいな感性を持っている人だと言ったらそっちの方が素敵だったりするんですね。
60を超えてくるとどんなに外見に磨きをかけてもまあまあしれてるので20代に戻るわけじゃないからね。
だったら内面の素敵さっていう方の方が光るし、また私はそういう人たちと一緒にいた方が自分も刺激を受けてもうちょっと頑張ろうとか思えるし楽しいなって思ってます。
そんな新しいこと何もせずにただ化粧品買ってお肌を磨いてるっていう人たちがいるとしたらそういう人たちといても何も面白いことが起きてこないから
そういう人たちとも付き合わせるのやめちゃおうみたいに今思ってるってことですし、若さっていうのは何なのかといったときに柔軟性、柔らかい。
それはお肌が柔らかいっていうこともあるかもしれないけど心も柔らかい。
頭も柔らかい。
考え方が柔らかいっていうか。
あれはこれはこうって決めつけてなくって今まではこれはできないできると分けてたけどできないと思ったこともできるかもしれないみたいに認知を。
世界に対するこれはこうって自分の張ってるレッテルを自分で組み替えていけるっていうことが脳の柔らかさ、脳みその柔らかさ、頭の柔らかさだと思うし。
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そういうふうに昔は何かが苦手だった自分がいるけどそういう自分を受け止めて大丈夫だよって自分で自分を励まして。
新しいことをもっと幸せな自分っていうものを作っていこうと思える心の豊かさ。
そういうものが本当の若さなんじゃないかなと思うし追い求める価値のある若さでそういうことじゃないかなと思います。
なんで多いっていう何か多いっていうよりも人を年寄りと決めつけて何か物を言うっていう習慣は若い人の中にもありますけれども、例えば60なのにヒップホップ踊っててすごいねってよく言われるんですけど、もうそのその感性自体が非常に。
硬着してるというか固くて60の人イコール老人だからヒップホップはやらないみたいなのが固まってるレッテルを張ってるわけでしょ。その人の中で、だけど現実は私その人からレッテルを張られる言われなんて全然ないから。
自分では自分のできることを一歩一歩やっていってるだけで、人から年寄りとか言われる筋合いは全然ないし言うのも思うのも自由ですけど、私は自分のことをそういうふうには思ってない。
だから新しいことにチャレンジできている。だって自分で自分のことを年寄りだと思ってヒップホップは無理だと思ったらそもそも習いに行かない、行けないじゃないですか。でも私にはそういう枠がなかったから、だから一歩踏み出して60歳でヒップホップレッスンに通い始めてるんですね。
それで何が悪いの?誰に迷惑かけてますか?っていう話なんですよ。だけど世の中のほとんどの人は自分で自分にレッテル張って、もう年だからできないとか言ってるのを見ると悲しい気持ちになりますので、一人でもそういう人をこの世の中から減らしていきたいっていうのが私のミッションだって思ったりする。
本日は以上です。