1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 生きるのがラクになる自己表現..
2025-04-10 27:19

生きるのがラクになる自己表現講座(仮)

表現するっていうとなにか、すごい芸術家じゃないとできない感じがするかもしれませんが、そういうことじゃなくて。


自分はこんなことが好きなこんな人だよ、これからこういうことをしていきたいと思っているよ、ということが、スラスラッと話せたら、いろんなことがものすごくスムーズになるっていう意味です。


なんでもやりたいと思ったことをやっていく、これが起業のいろはのい、なんですが、そもそも、自分を制限し続けた結果、やりたいことが分からず、当然、何をやりたいか聞かれても話せない。


こんな人、とても多いですよね。


ご本人たちがそこに問題意識を感じてるかどうかは分かりませんが、私はとても問題だと感じています。


なので新しい講座を考えています。

サマリー

このポッドキャストでは、エリクソン催眠と自己表現について語り、無意識の力の重要性を探求しています。自己アピールが苦手な人々のために、新しい講座のアイデアが紹介されています。新しい自己表現の講座が開講され、参加者は自分のストーリーを作り発表することで、話すことに対する自信を高めることが強調されています。身体性を取り入れた表現方法が紹介され、緊張やブロックを解消することの重要性についても検討されています。

エリクソン催眠の復活
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
4月10日木曜日の午前9時51分になりました。
さっきまで多少晴れてたんですけど、今急に暗くなってきて、
雨が降るかもって感じですね。
洗濯物を外に干してしまったので、この収録が終わったら取り込みに行きたいと思います。
前回の配信で、何話したっけ?
上手下手という評価軸が一元的だから、いろんな判断の基準をたくさん持った方が立体的になるよね、みたいな話をしたかなと思うんですけれども。
今日は3つぐらい話せるトピックがあるんですけど、何から話したらいいか、さっきから悩み中。
1個目は昨日の夜、5年ぶりにエリクソン催眠の自主練に出ました。
そもそも自主練自体があまりやられてなかったんじゃないかと。
自分自身が5年間ぐらいリタイア状態だったんで、よく知らないんですけど、
誰もやってる様子がないなって思ってたんですけど、最近またやり始めようという動きがあるみたいで、
急に自主練をやりますっていうのがLINEグループに流れてきたんですね。
昨日、私も参加してきましたが、知らない人ばっかりでした。
主催する人の名前は前から見てるんですけど、
でもあったことないかもしれない。昨日Zoomで見たら。
多分昨日のZoomに10人ぐらい入ってたんですけど、出たり入ったり。
その中で多分この人知ってるかなっていうのが1人しかいなかったです。
それは良いんですけど、内容については私たちが習ったセミナーで教えてもらったことの技術的なことを繰り返し練習しましょうみたいな回で、真面目な回だったんですね。
全然良かったですけど、特に自分これからもやるつもりもないので必要なのかと思いつつ、
でもね、やっぱりこういうのって時々思い出して、そういえばこういうやり方あったんだなぁみたいに。
知識とかをリフレッシュしておくのは必要だなって思ったので出てみました。
エリクソンサイミンってサイミン術をかけて相手を思い通りにするっていうよりは、サイミン術を含むもっと幅広い考えとしてトランス誘導っていう言葉があるんですけど、
トランスってクラブで大音量で音楽がかかってて、ゆらゆらしてるとぼーっとしてくるじゃないですか、気持ちよく。
あれがすでにトランスって言われて、日常生活の中でもぼーっとして無意識にいる時間ってかなり長いはずで、
いつも慣れた道を車で通勤する、会社までの道行く、途中で何があったかあんまり見てない、なんか着いちゃったみたいな、ぼーっとしてるんですよね。
ああいう状態がすでにトランス入ってる状態だ。
そういう時、人間無防備になっていて、すごく意識が小さくなって、その分だけ無意識が活性化してて、
この無意識がいろんなことを解決したりする力があるっていう前提なんですね。
そういう解釈というか。
人間には意識する部分と無意識の部分があるよっていうことをまず前提としていて、
無意識の方が大きいし力が強いよって。
これ右脳・左脳と例えてもいいと思うんですけど、意識・無意識はまた違うかな、それとは。
左脳が意識でとかそういう細かいことではないような気がする。
どっちか言ったら右脳的な体に関するようなことが無意識領域って言われてはいますけれども、
とりあえず意識できてることは意識、それ以外が全部無意識、みたいな感じです。
エリクソン・サイミンっていうのはその無意識、トランスに入れることで無意識を解放して、
っていうことですので、特にサイミン術今からかけます、えいってやらなくても、
普段の会話の中に織り込めるんじゃないかっていうのが私たちが習った先生の意見なんですね。
本当に織り込めるかどうかはちょっと分からないんですけど、
できれば日常会話のようにサイミン誘導できるようになりたいねっていうのは共通意識でやってると思います。
昨日ちょっと久しぶりにいろんな練習をしたりして、
お話をどんどんどんどん続けていくっていうことも大事で、
自己アピールの必要性
私が喋ってて5秒間何も言わないと、何か作業の手を止めてあれ?って思うじゃないですか。
あれ?どうしたこの人。何か機械の故障かとか。
そういう風にずっと続いてきた声が途切れるっていうのもそれだけで、
ぼーっとしていた意識をはっと覚ます効果があるんですよね。
覚ましたらダメなのがサイミンなので、
ずっと何事かを特に意味のないようなことでも話し続けるっていうテクニックがあって、
そんな練習をしてましたけど、ずっとぼーっと話し続けると言えば、
このポッドキャストがそうですし、他の人のやっている他のポッドキャストもそうですよね。
ずっと喋り続けているその音とかが気持ちいいって言って、
だから音声コンテンツにはそのサイミンというかトランス誘導の効果が絶対あるよなとかって思いながら
日の字不練をしておりました。
ただ誘導と違うのは、サイミンにおいては目的があって、
こういうことのためにこれをしているというのがあるんですけど、
日常会話とかポッドキャストには特にそういうのはないですね。
ただ喋りたいから喋って回すみたいな。
だからそれはトランスに入れることはできても、
サイミン誘導にはならないというか、誘導しようとしないという。
サイミン誘導って何かって言ったら、
トランスに入った状態であなたは眠くなってきましたとかって誘導をしないといけない。
ちょっと引っ張るっていうか、そうじゃないところにちょっと強引に連れていくっていうの?
押し込むっていうの?
そういうのをやった時にサイミン誘導って言いますよね。
これを日常生活の中で使えるのかって言ったらちょっとよくわかんないです。私も。
でも多分ですけど、できる営業マンなんかは無意識的にやってるんじゃないかって言われてますよね。
この車こんな風でこんな風でこんな風で、ちょっとお値段は高いけどでもその分こうでみたいにしていいと思いませんかって。
最後に絶対なんか誘導しようとしてくるはずなんです。
今ご要約頂ければ割引がありますよ。
どうですかって言わなかったとしてもアツかけてありますよ。
アツかけるとしか言いようがないかな。
決めてくださいみたいな波動を出してくるはずなんですよね。
そうしないとクロージングしないので。
そこのクロージング、いわゆるクロージングっていうのがセットになった時、
サイミン誘導なのかなって思ったりもしますけど、
本当に世の中サイミン誘導だらけなんですよ。
本当に限られた人しかやってないってことは全然ないし、営業マンは全員やるし、
営業マンじゃない人も無意識にやってる人いっぱいいます。
やっぱり自分のことを分かってもらいたいとか、知ってほしいとか、
自分がお勧めしているものをその人も使ってほしいとか、
自分のことをいい人って思ってほしいとか、
何かしらの意図があるじゃないですか、人間って。
誰かに会った時に。
そしたらそういう風になってもらうように喋ったり行動したりするでしょ。
相手に影響を与えたいんですね。自分の有利になるように。
この気持ちにまつわることは全てサイミン誘導だと。
成功するしないかは別として、サイミン誘導をしようとしている。
ということだと思うので、もう全てがそうであるはずです。
みんな気づいてないから、私はそんなことしてないって言うけど、してますよ。
って言うぐらい、世の中って、人生って。
サイミン誘導のやりやっこで。
言葉がね、サイミン誘導ってちょっと怪しい感じなんですけど、
影響を与えたい。自分に都合がいいように影響を与えたい。
だとすると、影響力の行使のしやっこ。
で、全ての人間関係の力学が説明つくんじゃないかなって私は思ってます。
よく観察してみると、どの人間関係もそういう力学が働いていて、
この人はこの人にこういう風にして欲しくてこうしている。
この人はこの人にこういう風に思われたくてこういう風にしているとか、
全部無意識的なことなんですけど、全て。
何がしかの力学のようなものが働いているのが目に見えるなって思う時あります。
それでいけないんじゃなくて、それが人間関係ってものだから、
誰にも何も期待していない。いてもいなくてもどうでもいいって思うんだったら、
仲間も友達も家族も必要ないじゃないですか。
SNSでたくさんフォロワーを集めるとかも必要ないじゃないですか。
そしたら何のために生きているのって感じになっちゃうじゃん。
生きているってことは、すなわち人に評価されたいっていう。
あるいは人に影響を及ぼしたい。
新しい講座のアイデア
これで一言で言い切れるって。
どれだけ人に影響を及ぼしたかっていうことで、その人の価値が決まると思って生きている。
本当は決まらないんだけど、人の価値ってもう既に生まれた時からあるし、
全員一緒だと思うし、価値はね。
ただ、たくさん人に影響を与えた人の方が、
価値だって思っている人の方が多いかなって。
それは思いますね。
やっぱり人に影響を与えられるよりも、与えている方が楽しいし、
自己肯定感も上がるし、自己効力感も上がるし、
気分がいいじゃないですか。
自分の言っていることが、自分の言っている意見が通った時って。
人間ってそういうふうにできているんじゃないかなと思うので、
思う存分そういうことをしたらいい。
自分がしようとしなかったら、逆側に行くだけなんで、
人に影響を与えられる人、
人の影響力についていくだけの人にしかならないので、
100%それで、人の後ろについていって、
人の言うことに、そうだねって言って、一生を終えるっていう人もいてもいい。
世の中にはね、やっぱり、
なんだろう、
羊と羊飼いしかいないとか、
羊飼いばっかりいてもさ、後ろについてきてくれる羊がいなかったらさ、
羊飼いとして成立しないじゃないですか。
なので、ただただついていくだけの人っていうのも、
たくさんいないといけないんだろうなとは思うけれども、
でもそう、私は羊飼い同士で仲良くしようよみたいに思うので、
チーム組んでもっと面白いことしようよって思ってるんで、
あんまりたくさん羊さんはどっちでもいいかなって思ってて、
だからビジネスは大きくならないんですよね。
もっとたくさん羊を集めて、自分の頭で考えなくてただついてくるっていう人をたくさん集めて、
その人たちからお金をいただき続けるっていうビジネスモデルが成功する。
成功している塾とか、そういうのじゃないかなと思うんですよね。
オンラインサロンとか。
わかんないけど。
それはめんどくさがるっていう私は、
やっぱりビジネスパーソンとしてはあんまり向いてないなっていう。
それは確かにあるかなって思います。
これがエリクソン・サイミンの辞書連に出てみたよって話で、
もう一個は、あと実は二つあるんですけど、
もう一個だけ喋ります。
新しい講座を作ろうって考えてて、
今まではね、わくび図だったり楽筆だったり、
楽筆はほら、私が作ったんじゃなくて、ツトムの筆文字の講座じゃないですか。
わくび図はわくび図で、なおちゃんとまきちゃんっていう三人でやってるプロジェクトなんですね。
私一人で、私のオリジナルの講座っていうものをずっと作ってないっていうか、
以前作ったのは教材は作ったけど、
教材をユーデミーっていうところで売ってたりとかってことはあるけど、
別に私の生徒さんに教えたとかそういう感じじゃ全然ないんで、
めんどくさかったんで、当時まだ腰も痛かったし、
教材だけ作っておいておくみたいな。
でもね、教材作りは基本的には好きで、またやりたいなと思ってるんですけど、
過去にやろうとしていた講座は、だいたいはホームページの作り方関係。
で、ワードプレスでホームページを作る方法とかいうのを、
講座を作ったのが一昨年の年末か去年の年始ぐらいに作って、
誰も見なかったっていうことがあったんですけど、
この1年でいろいろホームページもそんな苦労して作る時代でもないよなって思ったし、
そもそもホームページが必要となる人っていうのも限られた人だし、
それよりも、やっぱりわくび図をやって、あるいは落筆の講師さんたちを見ていて気づくのは、
みんな本当に、なんていうかな、自己アピールがめっちゃ下手。
アピールなんてしちゃいけないぐらいに思っている。
自分のことを宣伝するなんてとんでもなく汚いことだと思ってるんじゃないかなぐらいな。
恥ずかしいっていうのもあるし、なんかズルズルしい人って思われたくないとか、
なんかわかんないけど、とにかく自己アピールが下手すぎて、
そもそもない、自己開示とか自己アピールとかいうのがなさすぎて、
自己表現の重要性
この人どんな人なんだろうってわかんないっていう状態で何かしようとしている人が多いなって思うんですね。
ひっこさんいいね、そんなに、どうやったらそんなに喋れるようになるんですか?
喋り方を教えてくださいとか、ちょくちょく言われるように最近になったんですけど、
これは技術ではなくて、何が喋りたいんですかっていう内容の問題だと私は思うんです。
みんな自分に蓋をして何十年も暮らしてきたせいで、
自分が今何を感じているかもよくわからないし、
ましてや自分がこれからこういうことをしようと思ってますみたいなことも、
要するに思ってないんです。自分の思いに気づけてないから喋りたいことがないんですよ。
だから何か喋り始めてもしどろもどろになっちゃうんです。
喋りたいことがないのに上手に喋れる人なんてこの世の中にいませんよ。
喋りが上手な人は必ず今日はこれを伝えたいってことがはっきりあって、
それが理論整然と頭の中にあるから順番に喋れるんで、
そもそも喋りたいことが全然ないのに、
さあ今から喋ってくださいって言われてそれは喋れませんよって。
上手に喋れるようになりたいんだったらまず自分が何を喋りたいのかに気づかないと。
気づかないと。作るんじゃなくて、
じゃあ私今から自分の喋りたいことを作りますとかっておかしくないですか。
今何か喋りたいことがあるんですかって。
ないんだったら喋れないですよっていうことですよ。
だから多分技術の問題だと勘違いをしてるけど心の問題だと私は思っていて、
そこで誰でも絶対このことだったら喋れるっていう自分史、自分ストーリーですね。
私はこんな人でみたいな。
それならとりあえず誰にでもネタがある。
何もしてこなかった人でも必ず人生が60年あるんだったら60年分の思い出が断片的にでもあるはずだから、
それを繋いでストーリーを作ることができるよね。
それは嘘ではなくて本当の自分の話じゃん。
多分共通してみんなが絶対持ってるお話っていうのはそれ一つかなと。
で、いろんな活動をする人はそれぞれの活動について同じように話せるんですね。
実は私は昔花屋をやっていてとか、お花屋さんにはこんな人が来てって、
こうでこうでこうなってって花屋の話。
自分が花屋さんをやっていた話とかもできるんですけど、
何にも活動してない人って子供の話ぐらいかな。
でもこれも子供が本当に普通に育っちゃってるとあんまり話すことがなくて、
幸いにも不登校とかあった人は不登校話ができますね。
こんな風でこんな風で、でもこの人のこういうのに出会っていけるようになってとか。
こういう話はできるかもしれない。
したいかどうかは別としてですが、何かしらの何かが自分の今までの人生を振り返る。
ということであれば話したいことが見つけられるので、
唯一そこを突破法としてお話しする練習っていうのはできるかなって思っておりまして。
要するに話すって何って言ったら自己表現なんですよね。
自分の思っていることを外に出す、アウトプットする。
アウトプット言葉が難しいですよね。
何か全てが自己表現だし、何も表現せずにじっと固まっているのも一つの表現だし、
表現しないことを表現しているというわけだし、
全てが表現の中で必要とされている話をちゃんと言葉で伝えるとか。
言葉を使った表現っていうものですよね。
どうしても喋れない人は絵とかで絵を描いて自分の感じている感情を表現することもできるかもしれない。
ダンスでもできるかもしれない。音楽でもできるかもしれない。
あるいは詩を書いて論理的な話はできなくても、詩、ポエムだったらできるっていう人もいるかもしれないし、
逆にポエムは書けないけど、論理構造の論文みたいな説明だったら上手にできるっていう人もいるかもしれない。
それぞれの一番得意なやり方でやってもらえばいいんですけど、
そもそもそういう訓練を昭和育ちの人はしていないんですね。
平成以降の子どもたちは、小学校とかでディベートの練習とか、前に出て発表する機会がすごく多かったんです。
うちの子どもたちも。何かというと前に出て発表してましたから。
多分そういうユトリー教育の中で、そういうことがフューチャーされていたんだと思うんです。
なんで、今の若い子ってそれほど抵抗感なくプレゼンテーションとかできるんじゃないかと思うんですけど、
50代、60代、70代以上は、人前に出て話したらいけないぐらいなの。
偉い人しかそういうことはしちゃいけないぐらいに、意見は言ってはいけないみたいな。
そういう教育をされているので、そりゃ無理でしょ。
身体性と表現の訓練
無理でしょ。
だから、欠落している表現することに関する授業を、誰かがやってあげないといけないんだろうなと思って、
あるならば私がやりましょうと考えたのが新しい講座です。
多分自己表現講座みたいなこと。
もうちょっとネーミングは柔らかくしたいですけど、楽に生きる方法を学ぶ講座みたいな感じになるかな。
だって自己表現できると楽なんですよ、本当に。
いちいち人に忖度しなくてよくなるし、みんなが忖度してくれるようになったりするし、本当に楽になるんです。
で、中心的な私ができることとしては、自分ストーリーを作るみたいな。
作って発表する、練習する、は私でもできるかな。
それ以外のことは、最近出会っているいろんな方たちの協力を得て、
それぞれのジャンルで表現するということを体験してもらうみたいなことを3つか4つ入れて、
全体で5個か6個の体験をしてもらうカリキュラムで新講座をやりたいな。
キーワードはやっぱり身体制、体だと思うんですね。
頭の中ではみんな話はできるんですね。
だけど、言おうとしたら言葉が口から出てこない。
これはやっぱり喉とかのブロックがあって、
昔何か話そうとして笑われたとか、そういう経験が人前に立って恥ずかしい思いをしたとかってあると、
緊張してきて喉がギュってしまったり、
あるいは呼吸が浅くなっちゃって声が出にくかったり、響く声が出せなかったり、
胸とか、感情のブロックって胸にあるって言われてるんですけど、
胸、喉ら辺が固まってしまうっていうことがあって、
そうすると、もともと喋るのが苦手なのに、ますます喋れなくなる。
ということで、やっぱり身体性なんですね。
これ、たくさん喋ることでだんだん慣れてきて、そういう緊張が溶けていくんですけど、
同じように体を動かすダンスとか、
手を動かして、あと匂いとか色とかをたくさん取り入れて、五感を刺激する落筆アートとかですね、
聴覚と言葉を使うポエム詩の朗読ですよね。
そういう体を使うということを組み合わせてやらない限り、絶対クリアできない。
喋れるようになるっていうことは起きないと思うんですよ。
そうでなかったら、話し方の本を読んだら全員が話せるようになるはずじゃないですか。
本を読んでもダメなんです。やってみないと。
だからやってみれる講座を作りたいというふうに思っています。
新しい講座の提案
これに関しては、まず私が自分の担当講座だけを一コマやってみてというところに、
だんだん付け足すような形でやっていく。
あれですね、月一の講座みたいにしてもいいかもしれないですね。
ちょっと今やり方まだ決めてないんですけど、近々新しい講座を立ち上げますということで、
テーマが自己表現、楽に生きれるようになるための自己表現講座という感じになる。
内容は、体を使って何かを表現するということをちょっとずつ体験するという、
そういう講座になるはずで、最終的には自分史ストーリー、自分の自己紹介ぐらいは、
どこで、どんな場面に出くわしても普通にできるようになるというのを目指しています。
という感じのことを考えていて、今二つ話したの。
エリクソン・サイミンやったよというのと、新しい講座作るよというのを二つお話ししたんですけど、
三つ目はダンスの話だったんですけど、これ話すとまた長くなるので、
次回以降時間があるときに話したいと思います。
本日は以上です。
27:19

コメント

スクロール