1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 上手下手という評価軸は一元的..
2025-04-07 29:34

上手下手という評価軸は一元的だから薄っぺらいのだ

featという詩の朗読のイベントに参加してきました。詩人としてではなくダンサーとして。ダンサーとして何かに参加するなど、ついぞないことだし、こういう自由な形で詩を読む人たちを見る経験も初めてでした。


朗読教室の生徒さんたちの朗読会とは違うことでした。


結局のところ、上手下手という、一元的な評価軸を捨てて、もっと多元的な評価軸でものを見ない限り、見えてこないものがあるんだなーと、思った次第です。


詩でもダンスでもアートでも起業でも、結局、自分はどうしたいのか、なにをしたいのかを「表現」できてこそ、何かが起きてくるわけで、


私は、岩のようにカチコチになってハマった枠から一歩も出ない人をなくしたい。


みんなが新しいことに自由に出会っていける人になってくれることが、社会の風通しを良くするし、それがこれからの時代に必要なスキルなんだと思います。


サマリー

金田一子さんが参加したフィートイベントでは、詩とダンスの即興パフォーマンスを通じて新たな経験が描かれています。彼女は自己表現や集中力について考え、ダンス表現の決まりごとの重要性にも言及しています。このエピソードでは、行動を起こさないことが最大の失敗であることや、上手下手という評価軸が人々の新しい挑戦を妨げていることが述べられています。また、アートや表現活動における認知の重要性にも焦点が当てられています。自己評価が一元的で薄っぺらいことが取り上げられ、他者に教えることで自己が進化する重要性についても語られています。アミの本を通して現在の自分を表現することの尊さやその難しさについても掘り下げられています。

フィートイベントの参加
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったアレコレを気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聴きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田一子です。
4月7日月曜日、午前10時17分に録音をしています。
今日はめっちゃ天気がいいし、あったかいし、春が来たっていう感じです。
桜の方はどうですかね。
昨日、車に乗って走っていたんですけど、
ところどころでは本当に満開ですね。
でも終わっちゃってるところもあれば、
これからって感じの木もありましたが、
桜だらけな感じです。
でもなんかね、外に出て花見するとかちょっとありえなくて、
なんでそんな花粉まみれになりながらって。
車の窓から眺めるくらいでも十分かなっていう感じです。
で、まあとにかくですよ。
一昨日土曜日ですね。
フィートという名古屋の今池の小さなスタジオっていうか、
ライブハウスみたいなところで行われたフィートっていうイベントに参加してきました。
このフィートはなんだかよくわからずに言ったんですけど、
要するにこの詩を読む人たち、自作の詩を朗読するっていう、
そういう感じの人たちが集まってやっているイベントだそうで、
今回が4回目っていうことだったそうです。
割と最近始まったイベントなんだなって。
その中で今回だけの企画として、
詩人が詩を読む横でダンサーが踊るっていうのをやろうって、
主催者の一人の人が提案して、
みんなは?っていう感じで、
でも結構いろんな人が集まって開催されたんで、
その中に私もなんか混ざってて、
やりたいとか言って、やらせてくださいとか言って、
主催者の人にインスタでDMを送ったんですけど、
詩を読む人の、なんていうんですか、
自作の詩を読む人っていうのもあんまり見たことがないし、
その詩に合わせて踊るって言っても、どんな詩ですかってわかんないんですよ。
でも主催者からのあれとしては、あんまり打ち合わせをせずに、
ぶっつけ本番で行きましょうよっていう話になってたんで、
これ幸いと、だって準備のしようもないんですね。
知らない人だし、どんな詩だかも知らないし、
当日会って、こんにちは、初めましてって言って、
ちょっとお話しして仲良くなって、
大体のこんなテーマの詩だけ聞いて、
私ももらったんですけど、印刷したやつを。
でもどんなふうに読まれるかってわかんないじゃないですか。
だから本当にぶっつけ本番で、だけど、
最初はこう座ってるとこから始めようとか、
途中でダンサー二人いたんで、初対面の方で、
絡めるとこあったら絡もうみたいな、それぐらいかな、決めは。
で、こんな言葉になったら終わるからって、それも聞いといて、
よくわかんなかったけど、やり始めて、
なんか私これってさ、踊れるの?って実は思ってたんです。
音がないのに踊れるの?って思ってたんですけど、
実際始まってみると、音楽はないけど音はあって、
その詩人さんの読んでる声、最初の一小節っていうか、
最初のフレーズ聞いただけで、
なんか声の抑揚とかリズムとかで、
ふわっと体が動く感じがあったんですね。
いけるかもって思って、あとはもうなんか体に委ねてっていうか、
その声の抑揚に合わせて強くなれば強く、小さくなれば小さく。
あんまり一定の場所にいてもあれなんで、時々移動したりとかしながら、
時々海とか光とか聞き取れる単語が聞こえてきたら、
海だったら波みたいに、光だったらシュワーみたいな感じで、
その動きを入れて、でも結構最初から最後までやりたい放題?
自分がこういうのやりたいなって感じたままにやることができて、
めっちゃ面白い体験でした。
即興パフォーマンスの体験
でね、その私がやっている様子がどのように見えていたかは全然わかんないんですよね。
もうそんな考えてもないし、
とにかく声が続いている間は、その声だけに集中して、
そのために来ているわけだから。
で、本当に全力集中みたいな感じになって、
人からどう見られているだろうとか、どのように映っているだろうとか、
全然何も考えない、何分くらいあったんだろう、3分くらいかな。
まずさ、いろんなこと何も計算しない。
ここでこういう動きで決めポーズとか、それないわけなんで、
次に何するとかも計画がないじゃん。
で、それから人からどう見られているかも気にならない。
なぜかわかんないけど気にならなくて、集中しちゃってるからだと思うんですけど。
そんな中でいるっていうこと自体が、まあまあレアなことですし、
それがステージ上でできるってこういう何?みたいなことでした。
何て言ったらいいか、言葉でちょっとうまいこと説明ができないんですけど、
少なくとも初めての感覚だったし、
別に人に褒められるとか、そんな目的全然なくて、
ただただその舞台上にいる3人で何かやりとりが楽しいみたいな感じの。
作品作り上げようとかそういう意識さえない。
意図が全然ない。
ただただそこに集中して音と一緒に、音って声なんですけど、
その主人の言いたいことを私が表現してあげようでもないんですよ。
だって知らないからね。
その詩の内容とか何が言いたいか。
ただただ声と時々聞こえてくる言葉を捉えて何かパフォーマンスするみたいな。
こんな経験って皆さんあります?
私はないですし、ここ以外のどんなところでもない、なかったですね。
何回か出たサイファーでも、またサイファーはサイファーで別の音楽が絶対あるので、
その音楽と遊ぶっていうか、そういう遊び相手が違うって感じですね。
とにかく他に比べるこれと似てたとかそういうことがあんまりない初めての経験をさせてもらって、
結果的にはなんかめっちゃ良かったです。
また会ったら行きたいかって言うとよくわかんないです。
やっぱり一期一会な感じなんで、初めて会う人、初めて聞く詩、初めての空間で得られた初めての体験だったのかなと思うんで。
2回目行くと多分ちょっと予定ができるじゃないですか。
ビジネスとの関連
こんな感じでって。
その時点でまたちょっと変わってくるかなって。
何かしらの予定を自分でしちゃうような気がするんですよね。
こんなことやってやろうって。
わかんないけど。
でもダンスとしては多少の決め事があった方が踊りやすいよねっていうのは確かにあって、
同じような動きばっかりになってちゃうんで最終的に。
やっぱりダンス表現としては多少決め事があった振付っていうかね、
あった方がやりやすいし見てる方も多分見やすいかもしれないなっていうのはちょっと思いましたし、
次に何かするんだったら少しそういう決め事があるものの方がやりたいかなって思ったけど。
とにかく今までのこの習いに行ってるクラスでイベントに出る。
別のクラスで別のイベントに出るみたいな。
習いに行ってるところの一員としてどこか出るっていうのと違う個人として純粋にダンサーとして紹介してもらったりっていうのは初めてですし。
でも考えてみれば去年のサイズチーワークショップってオンラインのね。
そのイベント、秋のイベントに出るときに先生からアーシャを出せって言われて、アーティスト写真ですね。
なんかポーズ撮った写真を出せって言われて、何ですかそれって思いながら撮ったりとか。
あとなんかダンサーネームっていうのもそもそもサイズチーワークショップに入った時にダンサーネーム何ですかって聞かれるっていう。
ダンサーネームって何ですかっていう感じで、ダンサーっていう風に呼ばれるみたいなプチ経験をしながらアーシャも撮ってあったんでそれを今回も出しましたし。
少しずつ仕込みがされつつ今回の繋がったかなと思うので、やっぱり物事って突然ポンって始まるんじゃなくて、
少しずつ準備のためじゃないんですけど、その時その時で必要になったことを一個ずつクリアしていくと、
一個クリアするとその先が見えてくるって感じで、別の話が舞い込む。
舞い込むっていうか自分で見つけれる、出会うようになってくるんだなっていうことを今回もすごく思います。
ワクビスっていう企業塾をやってるんですけど、みんな先の先まで全部計画を立てなくちゃと思ってるし、計画が立てれるって思ってるんですけど、
今いる何もしていない時点から、ビジネスが立ち上がってる状態っていうのは計画できないんですよ。
やり方がわかってないんですよ。見えてない。それから必要な人との出会いも起きてないんですね。
それは準備をして自分なりにできることを一歩一歩やっていって、やっていく中で出会うんですよね。
次のフェーズに移るためのヒントとか、そういうことを一緒にできる人とか、
でもそこまでの自分でできることを一歩一歩やってない人には現れない人たち、現れないチャンスなんじゃないかなと思ってて、
でも人は失敗とか怖いから最初から、じゃあ何ヶ月後に助けてくれる人が現れるんですか?みたいな。
そういう計画の立て方をしようとするんですけど、それはわかりませんよ。
だって今のあなただったら出会えない人だからですね。
今のあなたがいろいろやり始めて、なんか行動してるから、行動っていうのもおかしいけど、
何事かをしてる人だからそれを見た別の人が、あ、ここにこんな人がいるのねって言って出会いが出てくるんで、
自分から何か開示しないと、行動してやるよって言って、やらないと言うだけじゃなくて、
実際にそこ行ってパフォーマンスをするっていうか、ダンスでも企業でも一緒だと思うんですけど、
行動の重要性
なんかやりたいことがあるんだったらマルセに出展してみるとかね、自分家でなんか開いてみるとか、
行動、みんなにまずここに私がいるよってことを認知させなければ出会いは起こらないんで、
この当たり前だと思うんですけど、ここわかんない人がすごい多いなって思いますね。
だってやって失敗しちゃったら怖いからとか言ってるんですけど、一番の失敗って誰も来ないことが失敗だし、
誰も来なきゃ新しいこと始まらないから、究極はやらないことが一番失敗だと思うんでしょう。
だってあなたがそれをやらなかったら、そこにお客さんも来れないわけじゃないから。
だから開いてあげないって、期待してはいたかもしれないのに、
それをあなたがやってあげないっていうことが一番の失敗で、それ以上の失敗ってないと思うんですよね。
何をもって失敗って言ってるかっていうことが私にはわからないんですけど、
多分やったことがないことだから怖いって言ってるんだろうなって思うんですね。
要するにやったことないことをやる以外に新しいことを始める方法がないっていう。
これ論理的に考えて当たり前じゃないですかね。
やったことがあることだったらやってるわけだから、やればいいって話で。
そういうわけでビジネスであれ、ダンスであれ、他の何かであれ、全く一緒で、
とにかく飛び込んでやってみる。
やったことがないことしかやらないんだったら、現状から一歩も外には出れない。
当たり前ですよね。
今行ってる教室にしか行かない、ここでやらないことはやらないって言ってるんだったら、
その教室の生徒でずっといるっていうことで、
先生が踊っている振付以外のものは踊らないっていうことじゃん。
それじゃないことをしたいんだったら、その教室から一歩出て別の教室に行ってみるとか、
別の人と出会うっていうことをする以外には、
今やってる以外のことっていうのはできないわけなんだけど、
他の教室に行くの知らない人がいるから怖いしみたいな感じでいて。
今私が言った例と、今回のFITというイベントに参加するプロセスって全く同じで、
私も今までいろんなことをしてて、何か違う体験がしたいって思ったんですよ。
そこにFITの話を見たので、飛び込んでやってみたっていう。
ただそれだけなんですけど、
要するにそのやり方をあまりみんなやってなさすぎてみんなできないんだなって多分思ってて、
だって失敗したら恥ずかしいじゃないとか言ってるんですよね。
お仕事的に、別に一般の人はそれでも全然いいとは思うんですけれども、
それでも何かしたいって言って、私のところに来る人たち、あるいは落室を習ってくれている人たちについては、
やりたいけどできないんですじゃダメでしょっていうことを言いたい。とても言いたい。
あなたがやってくれたら、その先に新しい人が現れて、出会いがあって、
そして落室がまた一人に広まる。
枠別だったら、あなたが少し行動したら、あなたのことを知っている人が一人増えて、
世界が倍になるんですよね。
だって自分がやりたいことを知っているのは今一人しかね、自分しかいないのが、
他の誰かが知ってくれたらこれで2になるじゃん。1が2になって倍になってるわけですよ。
そのことを全然分かんない人が多いなって思います。
あなたがやってあげなかったら、その一人も知らないままだから、
ずっと1のままで自分だけやりたいけどなー、でもなーって言ってて終わるっていうわけですので、
その恥ずかしさって何だろう。下手だねって言われて下手ですけどっていう話かな。
上手下手の評価軸
だってしょうがないじゃない、下手なんだから。
下手なのに突然上手になって、本番ができるってことはありえなくて、
要するにね、上手い下手で物事を見るから、そういう分類になっちゃうんじゃないかなと思うわけ。
自分はまだ下手だから。上手になったら発表しますとか。
ただ、発表しないと上手にならないっていう、そういう法則が実はあって、
だからできる人はどんどんできていき、できない人はずーっとできない生徒のままでいるっていう構図ですね。
私、別に先生になることが生徒でいることより偉いとは思わないんですけど、
だけど先生になっている人ってみんな上手じゃん、ダンスとか何でも、絵でも。
あれっていうのはやっぱり教える責任があるから、
この人にどうやって伝えようって、この描き方を。
こうやって研究しちゃうんですよね、つい。
それで自分の絵が向上しちゃうんで、自分のダンスが上手くなっちゃうんじゃないかなって思ってて、
その意味でやっぱり人に伝えるっていうのはめっちゃ大事なことだなと思っているので、
練習としてただでもいいから教えさせてくださいっていうレベルの、
やらなきゃいけないことじゃないかなと思ってて、
ここまでくると私、ここのとこずーっと同じことを言ってて、
あんまりお話ししてないけど楽室、アートの方の中でも同じことずーっと、
ランディングページとかに書き続けていて、
枠別始まったらやっぱり枠別でも同じことを感じて、
極みつきにそういういろんなこととは別の、ただ楽しくてやってたダンスでさえ、
同じことを感じるんで、やばいと。
みんなも同じことだったって。
表現活動って言ってググると全部アートだったっていうことなんですけど、
そういう気持ちがあって、
自分がやりたいことを表現するわけだから、
お客さんに届けようとするわけですけど、やっぱりアートっちゃアートですよね。
こういう考え方を広めないといけないなって思いました。
さっき偶然たまたまなんかYouTubeを見てたら、
突然ムランカ見たから、
喋ってる動画が流れてて、
アートってなんだと思う?って。
認知。
認知を広げるだったかな。認知を変えるだったかな。
それがアートなんだよって言って、
切り取り方が変わるっていうか、
今までこれが当たり前と思ってたものの、
ちょっと見え方を変えると、えーってびっくりするみたいな。
それが現代アートでやってることっていうのは、
実はその人の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
自分の人生の中で、
実はその人の認知を変える、
影響を与えることをやってるんだよって。
別に漫画を描くとか、
アニメ風の少女を上手に作るとか、
そういうことじゃないんだけどねって。
みんなそれ分かって、それをお互いにいろんなの、
いろんな技を繰り出して、
これでどうだとかっていうゲームをやっているんだけど、
なんか一般の人は全然それが分かんないから、
なんだ村上なんて、変な漫画みたいなやつ描き上がって、
って言ってるんだよねっていうことを言ってました。
で、ほー、なるほどだなって思ったんですけど、
結局認知が変わるってことですよね。
ダンスについても、
先生と同じように踊る人が上手な人って、
そうじゃない人は下手な人っていう、上手下手っていうのは、
評価軸が2個しかないから、
上手から下手の間に全員を一列に並べようとするじゃない。
だから薄いんだと思うんですね。
で、自分のその評価が自分の足枷になって、
私はまだ下手だから上手の方に行かなきゃいけないって言ってて、
永遠に行けずに終わるっていうことなんですけど、
一昨日のフィートの死の朗読なんかも、
結局観客がジャッジするんですけどね、どっちが良かったかって。
ジャッジなんかしようがないんですよ。
違いすぎてやってることが。
片方の人は自分の内面の話をし、
片方の人は面白いSF小説みたいなやつを喋ってて、
どういう評価軸わかんないみたいな。
違いすぎてわかんないんですけど。
でも現実はそういうふうにみんなやってるゲームが違うわけ。
だから一列に下手から上手までピーッと一直線に並んでないんですけど、
多分学校教育の影響とかで、
テストしたら1位から40位までバーッと出るじゃん、当然。
用意どんで走ったら1位からビリまでバーッと分かれるじゃん。
そういうふうに評価軸1個だと思わされていっちゃうんですね。
それでそのまま社会に出てるから、
だんだん生きづらくなってくるのは当たり前ですよね。
アートと認知の変化
自分には自分の色があると。
人に比較されようが何しようがそれが私の色であると。
いうことを堂々と言えない限り、
特に企業なんかは人に物を売ろうっていうわけですから、
自分に自信がなくて、
私まだ未熟なんですけどでも、みたいなこと言ってたら、
何かかか売れやしないわけで。
やっぱり今の未熟かもしれない、
自分の100%、120%を提供するっていうことで初めて、
それ聞きたいです、欲しいですっていう人が現れると思うんです。
今、朗読のチャンネルの方で、
宇宙人のアミっていう三部作があるんですけど、
それの2冊目を今読んでるんです。
その中でアミが、
アミって宇宙人なんで、
宇宙から派遣されて地球人を覚醒させるみたいな、
そういうお仕事をしてるっていう設定なんですね。
で、宇宙のマスターで、
もう何もかも知り尽くしてる偉い人がいて、
偉い宇宙人ね。
で、
その人に教えてもらいたいんだけど、
アミはもっと下のレベルっていう、
自己進化の重要性
レベルが低い宇宙人、別の異星人っていう設定なんで、
アミじゃなくてもっと上の人に習いたいって、
登場人物の子供が言うんですね。
そしたらね、アミが、
あまりにもレベルが違いすぎると、
あの人が言ってることはあなたたちはわかんないでしょって。
でも、僕は君たちの進化の度合いに近いから、
君たちがわかるような話をしてあげることができるんだよって。
で、教えるっていうことは、
1段階上の人の言ってることぐらいしかわからないんだよって。
100段階上の人が言ってることって、
全然わかんないんだよって。
で、逆に、
あなたが何かわかったんだったら、
1段階下の人っていうのがいるわけ。
昨日までの自分みたいな。
その人たちに教えれるのは、あなたたちしかいないんだよって。
そういう、
全部わかったマスターになってからしか人に教えちゃいけないっていう、
この思い込みですね。
これが、やっぱり自分を縛るし、
結局そんな風にならないし、
人に教えてあげることで、1段1段ステップを上がっていくわけだから、
マスターになってから、しもじものものを教えよう。
で、この発想自体がまず間違ってますよっていう話を、
アミ。
の、戻ってきたアミっていうね、2冊目の本の中で、
アミが言ってました。
で、それを読みながら、そうだよねって。
私が今言おうとしていることと一緒だわって思いながら、
読んでたりするんですけど、まあそういうことで、
今ある自分の実力が、
世間から見て、
そうだな、5%ぐらいなかったと、しかなかったとしても、
1万人の中で下から5番目だったとしてもですよ。
それでも、
それでもその自分がだってさ、一生懸命やってそうなんだから、
現時点ではそう、しょうがないじゃん。
これから頑張って努力して、これから上がっていくっていうことなんですけど、
でも今できることもあるじゃん。
今のこの5%しか実力がない私を、
表現してどうしていけないのって、
ことですよね。
表現っていうのはそういうことで、今の自分のベスト、
できることをやるっていうこと以外で、それ以外何もなくって、
何か教えようって言うと本当にね、
お金が必要だからやるのねと、かわいそうねって言われることもあるし、
私はお金に困ってないから仕事はしないわっていう人もいるし、
そういうことじゃなくて、
それもありですよ。
それもありだけど、
今の自分、等身大の自分を表現するっていうことほど、
尊いことはないと思っているので、
お金がいらないんだったらただでいいからやればいいじゃんって、
いう話です。
結局私はお金に困ってないからお仕事はいいんですっていう、
隠れ身のみたいにしてそれを、
自分を表現することから逃げているっていう見方もできるでしょ。
私、世の中の、
その人はそれでいいのかもしれないけど、
社会全体の風通しとか、
あと、
人、
全体の意識、
意識が、
向上するっていうか、進化するためには、
やっぱりそういう人はダメだと思う。
何にもすごいことしろなんて言ってないし、
私自体はそんなすごくないけど、
今いる自分を、
もっと表現しない限り、
このまま岩みたいに、
岩の中に塗り込められた人みたいにして、
ピトッと環境に閉じ込められて、
新しいこと一個もできないんですって言ってて、
だったら本当に岩みたいに何も感じずにそこにいるんだったらいいけど、
でもやっぱり内心はなんかいろんなことしてみたいなって、
人間ですから好奇心っていうのがあるから、
新しいもの見たら何かなって、
見に行きたいなとかあるじゃないですか、
そういうの全部押し殺している間に、
本当に感じなくなっていっちゃうんですよね。
私はそういうのはしないって言って、
望むことすらしなくなる。
で、だんだんカチコチになっていく。
これを年を追い、年を取るっていう、老化するってことじゃない?
カチコチになるって。
年齢を重ねたから年を取るっていう、
肉体的にはそれはそうだけど、精神においては、
絶対自分で自分を閉じ込めているから、
早く老けていくんだと思う。
こんな話をこのポッドキャストでずっとしてるわけなんですけど、
ポッドキャストで喋ってるだけじゃなくて、
ちゃんとセミナーとかやって喋らないとダメだなって最近思っちゃってて、
現実の仕事への適用
それで今計画中でもあるんですけど、
少なくとも学筆のメインのコースであるベーシックの中では、
こういう話までは行かないけど、
自分を解放するってどういうこととか、
そういう話ができる場所を、
現実のお仕事の中にも作っていきたいなって思ってます。
本日は以上です。
ご視聴ありがとうございました。
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