1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. ギアチェンジ!
2025-04-14 30:06

ギアチェンジ!

魂って何かというと、肉体じゃない部分。

死んだら脳も含めて肉体は消滅してしまうけど、本体は残って天に戻っていく、というふうに、なぜか分からないけど小さい頃から思ってます。


どっちかっていうとその、本体のほうが、本来の自分なので、この人生においては、思ったことはすべてやり尽くすくらいの勢いで、やっていかないといけないなーと思います。


と言いつつ、だらだらのんびりするのが好きすぎる。

ギアチェンジをして、がんばるタイミングが来ている気がします。

サマリー

今回のエピソードでは、金田イク子が自身の日常や活動について語り、ハウスダンスのイベント中止や新しい楽筆コースへの取り組みを共有しています。また、若水の運営に向けたアイデアやカリキュラムの構築に関する進展にも触れています。少人数制の学びや動画受講など、今後の教育方法についての考えが述べられ、特に人生における選択肢の重要性や、自身の経験から得られる感性の大切さが強調されます。さらに、人生の意味やその経験の価値についての深い考察が行われます。ギアチェンジのエピソードでは、人生を最大限に活用し、自分の価値観に基づいて行動することの重要性について語られています。また、物販ビジネスと教育産業の違いについて考察し、自身に合った働き方を見つける過程が描かれています。

日常の出来事
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イク子です。
7月14日月曜日の午前10時6分に収録をしています。
月曜日ということで、毎週定例のポッドキャストなんですけれども、
今日お天気めちゃくちゃ良くて、めちゃくちゃ晴れてるんですけど、
なんか寒くて、朝起きたら気温が低くて、それからずっと、
でもね、今、お天気アプリで見ると16度あるんですよ。
今ね、それなのになんかめちゃくちゃ寒くて、
小さな電気ストーブを近くでつけてたんですけど、
それで全然温まらなくて、エアコンもつけたっていう感じですけど、
どう過ごしていいかよくわからない、今日この頃です。
先週ぐらいまでは、まだ陶油のファンヒーターがあったので、
それをつけてて暖かかったんですよね。
ただ、もう4月だし、陶油を使い切らねばということで、
先週中に使い切っちゃったんで、
それがなくなるとやっぱり寒いよねっていう感じです。
とはいえ、今週から暖かくなってくるのかなっていう感じなので、
あと少しの我慢かなと思います。
実は昨日の日曜日は、本来新城というところに行ってね、
新城って愛知県の豊橋からずっと山の方に入ったところなんですけど、
新城で行われるイベントで、
ハウスダンスのクラスからそこに出演する予定だったんですが、
大雨で昨日、風も強くて全然ダメって感じで、
イベント全体が中止になりまして、
なくなりました。せっかく練習したのに。
衣装もTシャツもお揃いで買ったし、
って感じで行ったんですけどね、なくなりまして、
しかもなくなっただけじゃなくて、どうやら延期になる可能性があるみたいで、
5月の末の方に延期のかもしれないっていう風に。
だから、なくなったんだったら覚えた振付そのまま忘れていいけど、
1ヶ月後にまたやるんだったら、まだ覚えとかなきゃっていう。
忘れちゃダメだみたいな。
そんな感じで辛いってなってます。
でもハウスダンスね、練習してもっとかっこよく踊れるようになりたいので、
楽筆コースの進展
どんどん練習しないとなと思ってはおります。
そんなわけで昨日ちょっとがっかりしちゃって、
書くみたいな。さあ行くぞと思ってたのが、
前の日の土曜日までめっちゃ晴れでしたからね。
行くぞと思ってたのが、あ、ダメだった。書くってなって、
昨日はタラタラ過ごしていたんですけど、
そんなこんなで、
枠別のセッションもありましたしね、昨日は。
その前の前の日、金曜日には、
新しい楽筆のベーシックコースっていうコースの中に、
今までは実技だけだったんですけど、
プラスしてワークをいくつか入れることにして、
そのうちの一つに右脳活性化ワークってやつがあって、
具体的には宝の地図を書こうっていうのをやるんですけど、
あとお金のワークっていうのもちらっとやるんですけど、
これを練習しないといけないということで、
楽筆の講師の方に声かけて希望された方に、
実験台にして金曜日にやらせていただいたところ、
まあまあいい感じ。
手順とか段取りは改善の余地ありでしたけど、
やってみた感想なんかを聞くと、
なんか今までやったことがない、
未来の望みをね、こんな風になったらいいなって思うことはあっても、
書いたことはなかったし、また色を使ったりイラストを書いたりして、
そういうものに仕上げるっていうことは一切なかったので、
良かったですとか言ってもらえて、
よしって感じです。
今日もまた午後からですけど、別の方に練習させてもらうので、
また違う人だと違う反応だと思うので楽しみです。
これから新しくベーシックを受講される方には、
全員にこのUNOワークと、
ストムが担当するワークも2、3あるので、
それをやってもらうプラス、
左脳教科って言って、
左脳で学ぶ落筆ってどんなものなのとか、
どういういいことがあるのとか、
そういうのを動画を作って聞いてもらうっていうワークも、
もう抱き合わせで全部やってもらって卒業ということにしました。
負担が増えるわけですけど、
見方によってはやることが増えるから、
負担が増えて嫌だなって思う人もいるかもしれないけど、
一方で同じ値段でこれだけ増えるので、
いやラッキーって思う人もいるかもしれないです。
どう思われるかっていうことよりも、
やっぱり落筆のベーシックっていうのは、
講師を要請するコースで、
その卒業した後に教えていただきたい、
または今年からトレーナー講師といって、
講師さんを育てる、育成する資格も同時についてくるので、
そのためにというか、
やっぱり育成しようという以上は、
落筆がどんなものかを知らずして説明もできないじゃないですか。
だから最低限、落筆の成り立ちとか、
どんな効果があったかとか、
そういうことをまずお伝えしておかないと。
お伝えした上で、
その方がやるかやらないかは自由なんですけれども、
必要な情報を伝えずして、
さあこれを広げてくださいって言ったって、
それは無理な話だよねってなったので、
情報提供として、
作能強化ワークという名前で、
お話をさせていただくと。
若水の運営計画
毎回するのは本当に大変なので、
動画にとってこれは見ていただくことにしよう。
ただ、有能ワークだけは、
やっぱり宝の地図を書こうとか、
そういう実技系なので、
やっぱり一緒にやらないとダメだし、
私も毎回ね、
受講される方に一度は、
Zoomで会ってお話しして顔を見て、
知り合っておくっていうことが、
今後考えても大事だなと思うので、
これからこの有能ワークを担当していこうと思っております。
そんなわけで、
有能ワークに使うスライドをね、
さっきまでまた作って修正したりしてたんですけれど、
この後、サノーワークのスライドも作って、
それを見ながら動画を撮るっていうのをしないといけません。
で、また今週はですね、
今週というか、ワクビスの方が今、
第4期に入りまして、
4期の方はね、2人なんですけど、
めっちゃ面白い感じで、
やる気がみなぎっていてですね、
これは一体どうなるんだって感じなんですけど、
この4期を最後に、
次の期からは大幅に受講料をアップしますので、
その分、内容をきちんと、
内容のレベルっていうか、
ここまでのことは提供するっていうのをきちんと詰めておきたいんですね。
ナーナーでやって、ナーナーで終わるっていうことがないように、
きちんとしておきたいと思って、
ようやくですね、毎回のレッスンの内容を、
学校の授業みたいな感じで、
毎時毎時、こういう目的でこういう内容をやるみたいなものを作ろうと思い、
昨日から作り始めました。
カリキュラムっていうか、そういうものです。
そうですね、これをレッスンと呼んでしまった方がいいかもしれないですね。
ミーティングって今まで言ってて、
あんまり平らな感じでやりたいという意味でミーティングと呼んでたんですけど、
やっぱり運営側、提供側は一つのレッスンを提供するんだということで、
心構えをして臨まないと、
みんなと同じレベルでいて、思ったことを言っているだけでは、
やっぱり俗人性というか、
誰がやるかによって全然内容が変わっちゃうということでは困るので、
私がずっと一生これをやり続けなきゃいけないということになっちゃうんで、
ある程度誰でもできるように、
最低限ここまでは誰がやる人が変わっても、
必ずできるよっていう風にしていかないといけないと思っておりまして、
それを今週ですね、
ミーティングがあるので、運営のミーティングがあるので、
そこで検討し始めて、
この3ヶ月間で仕上げて、
で、
いきたいと思っていて、
まだ一人もいないんですけど、
若水をね、運営するっていうかその提供側になりたい、
若水のコーチになりたい、
いうような方がいらっしゃったら、
その方にはそれを提供して、
ある程度説明したりとか、
教育というか、
研修というか、
そういうのをしてもらわないといけないということですね。
そういうわけで、若水もいよいよですね、
こういうことをし始めているのは何かというと、
いよいよ本気で稼働させようという段階に来ているということなんです。
メンバーが違う人でもできるようにするっていうことによって、
ようやくスケールするんですよね。
たくさんの人に提供することができる。
もう今だと、
一応定員10人とは言ってますけど、
10人来たらパンクしてしまって、
全然進行できないので、
2人だったらめっちゃ十分できるんですけど、
これが3人、4人、
教育方法の未来
4人ぐらいでもはや1人あたりの持ち時間が半分になるじゃないですか、今の。
そうすると今の感じだと質が落ちるだろうなって、
内容のそんな感じがしているので、
これは何とかしていかないといけない問題だなと思っておりまして、
少人数制でやっていこうと思ったら、
それなりの工夫がないと続かないよねっていうことです。
もちろん今は対面、リアルしかやってないんですけれども、
将来的にはこれを動画受講みたいな形で、
自分でやる、自習型でやるっていう、
そういうやり方のコースも考えられると思うし、
ある程度自宅で動画見てワークをやってみて提出してみたいな、
そして添削を受けてみたいなね、
通信教育みたいな、そういう形、
これだともっと働きながらの人とかも受けやすくなる。
なかなかそのみんなの集う時間に参加できないって思う人とかは、
そういうのは手軽だし、
みたいなこの構造というか、どういうコースの展開で、
どういう組み合わせでやっていけるんだろうってことを、
これからようやく考えられるようになったというか、そんな感じです。
経験の重要性
私、学室においてはずっと10年間こういうことを考え続けていて、
いろんなコースを作ってみたり、やめてみたり、
あるいは組み合わせて新しいのを作ってみたりみたいなことを、
何度も何度も繰り返して、今の形に一応整理されているんですけれども、
やっぱりその都度その都度いろいろ試してみないとわからないし、
一番みんなに喜ばれるのはどの辺のものなのかっていうことも、
やっぱりやっていくうちにだんだんわかってくるってことですので、
試行錯誤は絶対しないといけないです。
昨日の枠ビズはまだ2回目なので、第4期の人は昨日が2回目なので、
まだ枠ビズ的な考えはあんまり知らずにいろいろ発言されるんですけど、
やっぱりみんな、これってあってますかって、
私が言っていることはあってますかってよく聞かれるんですよ。
やっぱり学校みたいな感じで正解を先生が知っていて、
それを当てたら正しいみたいな、いろいろ言ってみて、
これ当たってるかなどうかなって見てるっていう、
そういうことが言葉の橋がしに現れて面白いなと思ったんですけど、
実は先生に当たる私たちも正解は知らなくて、
その人が何をどんなふうにしたら幸せになれるかっていう話ですから、
当然知らないじゃないですか。
どんな事業、例えばその人が美容院をやりたいですって言われても、
私たち美容院のやり方なんか知らないし、
ほぼほぼその人がやりたいことのなり方を知らないですよね。
だからこれはいつまで待ってても、
私たちから幸せになる方法を教えてもらえるっていうことは起きないわけなんですよ。
だけど人生ってそういうもんじゃないですか。
もう大人なんだから、というか学校を卒業して以来、
この方ずっとどうやったら幸せになれるでしょうかっていう問いに、
誰も答えてくれてないはず。
じゃあどうやって生きてきたのかっていうと、
小さい頃に教わった通りに、親から言われていた通りに、
女の子はね、おとなしくしておくのよって。
旦那さんの言うことをよく聞いて、旦那さんに嫌われないようにするのよって。
そしたらあなたは、旦那さんがちゃんと働けるようにサポートしておくのよ。
そしたらあなたは死ぬまで安心して生きていかれるからねって教わってるんですよ。
それを一生懸命守った人が、そのように生きていらっしゃるんですけれど、
それ以外の選択肢が実はあるのに、
昔教えられたその一つの方法しか知らないので、別の選択肢を選んだことがなく、
60年とか70年とか生きちゃってきたら、もはやその年になって初めて挑戦しますとか、
無理でしょって話になってるんですよね。
やっぱり人生の正解っていうのは、自分でやってみた結果見つかるし、
自分でいろいろやっていくと、結局のところ自分の中のその感が働く。
これは違うなとか、これはいい感じだなとかを、自分の感性でわかるようになってくるんですね。
直感っていうか。
それはね、どっかから高いところからメッセージが降ってくるとか、そういう話じゃなくて、
もはや体でわかるんですよ。この方向は正しいとか、これは違うとか。
でも選択肢を探さずに、というか試さずに、小っちゃい時の初期設定のままでずっといると、
正しいかなどうかなって、自分に問いかけることさえせずに、6、70年生きますから、
そしてその本来はあったはずのセンサーが、もはや抹滅して死んでいるっていうことですね。
自分の言ってることが正しいかどうか、先生に聞かないとわからないっていう、そんな状態になってるんです。
本当に。おかしな話でしょ。生き方の話ですよ。何をして生きていこうか。
別に人生すべてかけていったわけじゃなくて、この空いてる時間と、それから余裕を使って、何か新しいことをしてみようかなって思ったとき、
何をしたらいいですかって人に聞くっていう結果になってるってことなんです。
別に知らんしって、みんな思う。勝手に何でもやりゃいいんじゃないのって、全員が答えるでしょう。
それで、何で自分でわかんないかって言ったら、それまでいろんな選択肢を検討してやってみて、試したことがないからですね。
まあ恐ろしいことだなって思うんですけど、わくびずは50代以上の女性に乗って、ターゲットを絞っちゃっている以上、
必ずそういう人たちが来るので、ほとんどその人たちはそういう感じだっていうことで、
心してかかっていかないといけないなって思ってるんですけど、本当に何でも小さくやってみて、自分の力を試す。
自分はどこまでできるんだろう。どんなことが得意なんだろう。今ある力でどこまでのことができるんだろう。
試してみてきた人ほど強い人はいなくて、その人たちは次に何かやろうとしたときに、
もう過去にこれはできてこれはできなかったから、このできることを使ってやっていこうみたいに工夫ができるんですよね。
本当に挑戦したことがあるかないかの差ってめちゃくちゃ大きいな。
いろいろやってきた経験がある人でないと、もはや年をとってから新しいことをチャレンジするが恐ろしくてできない。
人生の価値と魂の重み
その気持ちがわかっちゃいますね。
わかるだけに残念なことだなって。もっと早く気がついていろいろやってたらよかったのにって。
一回しかないこの人生を豊かに過ごすために、いろんなことにトライしたよ。
いろんなことをやろうとしてみたよ。頑張ったよって。
で、うまくいったこともうまくいかなかったことも、もしかしたらうまくいかなかったことの方が多いかもしれないけど、
それでも頑張ったよって言って、で、あの世に帰っていけるかどうかっていうことだと思うんです。
もうこの世に生まれました。親とかみんなに先生とかに言われた通りに正しく生きました。
新しいことは何もしませんでした。
で、年金ももらってつつがなく死にましたって。
お土産を持たずにあの世に帰るような感じがするんですね。何もしてなかったですって。
ただただ家族の世話をして、自分の家族の幸せだけを願って。
自分の家族以外の人のことなんか全く知らないって。関係ないって。
身もせずに。何かしてあげようともせずに。
ただ自分の家族さえよければいいって。
小さいんですよね。その善悪って言うんじゃなくて、見えてる範囲がめっちゃ小さいんです。
で、その隣の人をとか、その社会をとか。
っていうことはどっかの人がやればいいって。
本当にそんな感じで、結局やることの種類がとても少なくて、とても量も、量が少なくて種類も少ないっていう。
薄っぺらーい感じで生きて、それでもね、一生の価値っていうのは一緒だから、たくさん詰め込んだ人も、全然詰め込まずにぺらーっとして生きた人も、
命の重みとしては一緒だと思うんですけれど、私は魂の重みは違うなと思う。
あの世に持ち帰ることができるその経験、喜びとか苦しかったこととか、
そういうものの総量が違うくって、苦労とかいろいろした人ほど魂が磨かれて、あの世に帰れるんだって、私は思ってますね。
別にその宗教の話じゃないんですけど、私が思ってる、ちっちゃい時から思ってる感覚で言うと、あの世から来てると思ってたんで、ちっちゃい時から。
でもこの世が終わったら、あの世に帰ると。もちろん来たところに帰るじゃないですか。
何が帰るんですかって言ったら、明らかに身体じゃないから、身体じゃない部分の私は帰るって言ってるわけで、
それをいわゆる魂とかって呼ぶんじゃないのかなって思うんですけど、
それは幾個、金田幾個っていう人とは違うかもしれないね、キャラクター的に。
でもとにかく何かの経験をするためにこの世に出てきたというか、この世の人生というチャンスを与えられてきた以上、
これはやってみ、やれるかもみたいな、なんか誘われたしとか、なんかやるチャンスが目の前に来てるし、
ということから逃げ続けて何もせずに終わっちゃったって言ったら、せっかくもらったこの人生が、
なんかこの利用度が薄いまま、あんまり使わずに返却するみたいな感じがするんですよ。
人生の使い方
せっかくいただいた命だったら、もう使い倒して、あらゆることをやり尽くして、
でももうなんか残りが全然ないぐらいに、使い果たして死んだ方がいいんじゃないかなと思ってます。
どうでもいい話だけど、私にとって意外とここ重要で、何でそんなにいろいろするのって言った時に、
やっぱりここを突き詰めるとこういう感覚に戻ってきて、それが誰に評価されるとかも関係ないですよね、ここまで来るとね。
私が未来の私に対して頑張ってきたよって言って、ありがとうねって言って、この命をお返しできるようにみたいな感じなんで、
もはや他人とか全然もう存在しないっていう、そういう感覚に最近はなっていて、
だから残りの人生でできるところまで走り切りたいから、頑張って走らなきゃって一応思ってるっていうことですけど、
でもまあ、他人と比較するなって言いつつ、でも一般的なビジネスマンみたいな人たちだったら、恐ろしいたくさんの仕事量をこなしてますから、
私がここでごたくを並べているようなことを100倍ぐらいのスピードでガンガン実行しているのが普通のビジネスパーソンじゃないかなと思うんです。
私たちはやっぱりこうやって動きが遅いし、やる量が少ないです。間違いなく。
私の昔10年ぐらい前にネットショップを専業でやっていたときに、それは痛感したんですけど、
私が必死にやって頑張っても、商品点数を200点ぐらいまで増やすのが精一杯だったんですけど、
うちが製造販売団で、製造から知らないときに企画するところから始めるとはいえ、額しか作ってないのに、
200点の商品の商品登録をするのでヘトヘトだったんですけど、
ネットショップをやっている人って、大体は1万点とかいう点数がそんなに珍しくない、個人ではね。
もちろんやり方をいろいろ工夫するんですけど、1万点も出す人って、既にある写真を抜いてきて使ったりね。
とはいえ、やっぱり1万は1万ですよ。1万点ってみたいな。
1万点が登録されているAmazonの管理画面とか、もうゾッとしますよね。
ぎっしりって感じですよね。自分の商品も検索しないと見つけれないっていう感じ絶対になるんですけど、
まあまあ、そういう機動力ってものに自分が本当に欠けてるなってその時思ったし、
こういう人たち相手では立ち打ちできないなっていうのは本当に実のことを言うと思ったんですよね。
もうちょっとこう、そういう物量で勝負っていうんじゃないところで勝負しないと大変すぎるって思いましたし、
1万点も扱いたいと思うような商品がないし、
女の人一般にそうだと思うんだけど、興味のないこと、興味のない商品とかを売らなきゃいけない理由がよくわかんないんですよね。
男の人って興味がなくても売り上げが上がると思えばそれが楽しくて、その喜びだけで頑張れちゃうんですよね。
そういう性質の違いをすごい感じた。1万点もの商品を扱ってたくさん売れたらその分出品作業とか、
発送作業とかわかんないけど、いろいろ諸々の仕事が発生するじゃないですか。
1日中はその仕事に振り回されることになるって思ったら、むしろ嫌でしたもんね、そうなるのが。
だから売り上げを上げたい気持ちはあるけど、それと引き換えに提供できる自分の労働力は天秤かけたし、
自分の労働力というか人生時間の使い方の方を優先したいと思いました。
そんな1日中パソコンとにらめっこでガシガシガシガシ作業するような、そんな人生は嫌だって思ってました。
それでそういう物販を辞めて、今10年くらい前から楽筆協会っていうところでコースをね、教育産業みたいなところに行って、
ようやくすごいのんびりしたっていうか、ゆったり。
塾を買ってくれた人に教えていくっていう風で、時間の流れが全然違うんですよね。
商品はもう、注文されたら即発送して即就勤でパンパンパンパンやっていかないといけないんですけど、
そういうのと時間の流れが違う感じがして、こっちの方がいいなって。
こういう教会っていうか、いろんなことを教えるというか、そういう業態の方が自分は好きだなって思いました。
その流れで今ワクビー図とかもなってるわけですけれども、
何の話でこうなったんだっけ、とにかく物量の話ですね。
ビジネスの変化
とはいえ、もっとエンジンかけて作業をガガガガガッと進めないと間に合わないし、
勢いにポンと乗るために今が勝負だみたいな時あるじゃないですか。
流水はちょっとギリギリ、でも根気で形を変えてバーンといかないと失速するような気がするんで、
ここをちょっと勝負の掛け時だなみたいな感じがしてます。
はい、本日は以上です。
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