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IKUKO Labo ワンダーランド
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
2月4日火曜日のお昼の12時47分に収録をしています。
うーんと、今日からなんか寒波が来るという話なんですけど、
今のところまだそれほどは、当地はですね、比較的温暖な太平洋側にありますので、
まだ雪降ったりはしてないし、晴れてますけれども、
今日の晩ぐらいから冷えてくるのかな、みたいな感じです。
さて、それで、まあいくつかの、えー、このところずっと喋ってるかもしれないんですけど、
まあ、あの、いや、終わったことはやめて、始まってくることをやるって、まあ当たり前ですけど、
とにかく今までやってきたから、そのまま続けていくっていうことじゃないよねっていうのが2025年かなと思っていて、
で、まあそれぞれのジャンルについて、去年やったことをまあ総括して、
今年はこういうふうにやっていこうであるとか、逆にまあ今年はこのことはやめていこう、
手放していこう、みたいにちょっとね、それぞれのことを自分の中で厳選していきます。
で、厳選するって言っても難しいんですよね。やめるのはね、何でも簡単ですけど、
新しいことって手を出してみて、で、うまくいくとか、まあ自分の思ってるようじゃなかったとか、いろいろあるじゃないですか。
それをね、どこまで我慢して、で、どこでやめようって選挙するかっていう、ここの問題ってめっちゃ難しいよねって思ったりします。
でもとりあえず、何だろう、頭でこう計算すると全部打算が入っちゃって、
まあ本当は嫌だけど、でもやっていったらいいことあるかもしれないから、みたいになった先に幸せが来たことがないので、
やっぱり感覚的に楽しいと思ってやってることは、楽しいと思ってる間はやればいいけど、楽しいと思ってやってたからといって、
それを何年も続けて惰性になっちゃっても、すでにあんまり楽しくない、この間と一緒だよねって思ってるのに、楽しいふりをしてやっていくってことはまあ意味がないなと思いました。
特にお金が入ってこないことに関しては、まあね、やっぱり多少でもね、お金をもらっていたらさ、多少辛くてもそれは我慢するよねっていう、そういう常識は私の中にもあるんですけれども、
さりとて、そこまでのすごい莫大なお金をもらっているわけでもないことがほとんどなので、
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であるならば、私の意欲というか、それを優先して、全然いいなって思います。
そこで誰かが機嫌を損ねようが、私の人生に関係はありますかっていう話ですよね。
本当はね、まあいつもの話の例で言うと、ダンスに関して特にね、私64歳になるんですけど、なんか年取ってるのに偉いですね、頑張ってとかって言われる。
お前になんか年のこと言われる筋合いはねえんだよっていう、ぶっちゃけそういう話じゃない?
で、例えば10歳だってすごい頑張ってたら偉いねって、子供なのにそんなにって。
じゃあすごい頑張ってて、それが普通っていう年代って何歳ですかっていうことですよね。
で、まあみんなの中にその60歳過ぎた人はおばあさんだから、おばあさんがダンスをするっていうことは、その人の常識の中ではイコールじゃないから、
すごいレアなケースだからそうやって言ってるんだろうってことは想像がつきますけれども、
それはお前の頭の中が古いだけであって、64歳でダンスしてる人なんていっぱいいますよっていう話。
で、そもそもあなたに私の年のことを言われる筋合いは一個もないし、
あなただってその年になった日にそうやって言われたら何のこっちゃって、俺の勝手だろって思うでしょっていう、そういうことですよ。
その自分の意思で何ともならないことに関して偉いもクソもありますかって。
本当に生まれつき片足がなかったらね、片足がないのに生きてて偉いですねとかそういう感じですよ。
しょうがないじゃないですか、そうなんだから。
それよりもそのダンスの中身についてね、なんか好評してくれるのはありだと思いますよ。
ここをこうした方がもっといいとかさ、こういうところがいいとかさ。
そういうことじゃなくて、年代でビシッと分けて、年よりイコール下手なはずなのに頑張ってるとかっていう、そういう発想自体がおかしいし、
意味がないっていう、それ言われた私にとって何のメリットもない、学びもない、気づきもないので、反応する価値もないフィードバックだなっていうことですよね。
世の中の大体のことってそうだなって最近思ってて、本当に人って意味のない言葉を掛け合ってるし、なんでかなって思ったら、触れ合いたいんだなっていうことですね。
今お話ししたかもしれないけど、本当に同じ話をずっと繰り返すうちの母とか、うちのおばあとかも92歳ですけど、同じ話を何回もしますね。
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昔はねって、私が女学生の頃はねとか、本当にそういう、それってっていうぐらいの昔の話を、しかも私は知らない話ですよね。
彼女の脳内で再生されている自分の古いフィルムの話なんですけど、そこに出てくる人物全員死んでますし、私に一切何の関係もないんですけど、延々としゃべるんですね。
私にこれは拷問なのって、苦痛を与えたくてそういうこと言うわけって、2人で会ってたなら、最近どうしてるのって聞いてくれるとかさ、私の最近近況を聞いてくれるとかっていうこともありつつも、向こうも自分の話したい話をするならまだしも一方的にばーっとしゃべって、
なんかね、何ですかこの会話はって思う。こういうことがまあまあ見る限り、ほとんどの人は8割ぐらいこういう会話をしてるなって最近気がついたんです。何しゃべってんだろうこの人たちって思ったときに、会話っていうことで自分の話に注目を引きたい、注目を引いてふんふんって聞いてくれるときにエネルギーがもらえるっていうか、
エネルギーチャージみたいな、触れ合いによる生命力をもらってるっていうことなんだろうなって。人間ってこうやって意味のない会話をお互いにしながらお互いにエネルギー交換をしてるんだろうなって、そういう感じですよ。
それは何にも話す相手がいなくてさ、一人でポツンとしてたらそれはつらい。だから言ってみれば私のポッドキャストもこの話、このポッドキャストの話を丸ごと聞いてくれるリアルな人間関係がないから、だからこう、
呼吸に向かってこれ喋ってるんですけど、空気に向かって喋ってる。後で誰が聞くかわかんないわけですので、喋ってる時点では空間に向かって喋ってるわけですけど、それぐらい私が寂しい人間だっていうことなんですが、それで良くないですかっていうことですよね。
少なくともそういう意味のない会話を私に向かって繰り広げることで、私の時間を奪うのはやめてくれみたいな、そんな感じです。
そう、私と触れ合って何かしたいんだったら、もっと建設的な提案がしてほしいんですよね。一緒に何かやろうとか、ダンスを頑張ろうとか、ダンスが練習するのがつらいよねとか、私たち歳だからできなくてもしょうがないよねっていう話をするんだったら、それって何の役に立つのっていう。
私の明日に向かっていく時の。慰めにも何にもなんないし、しょうがないよね、終わるのって何の慰めなんですかね、ちょっと私理解できなくて。すいません、人間社会のことは全く理解できない。
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何かダンスの話してくるんだったら、今度何かの会やるから一緒に行かない?とかさ、そういう話だったら私も、だいたい話いらなくない。別にダンスのことについて。勝手にやってるんだし。
一緒に踊るチームとしてやるときは、それはでもさ、踊ればさ、ダンスってさ、隣にいて同じように動いてるわけだから、会話とかいらないんですよ。分かるから、お互いがどんな感じの人かとか、どれくらいのことができて、どれができない、どれくらいのことができないのかとかも一瞬で分かるんで。
その人なりにでも頑張ってこういうふうにしていくみたいなところを合わせていくのが、発表会とかイベントとかの準備じゃん。そうじゃないときは個々人が勝手に好きなように練習したらいいわけじゃん。そこに何の会話とかいらない。
あればあったでもちろんいいですけど、わがた持てて。でも本当になんかそういう低い方に合わせてみんなで安心しようみたいなんて、本当に昔から理解ができてなくて私。何喋ってるんだろうこの子たちって。本当にどうだろう。中学校ぐらいの時からすでにそんな感じでしたよね。
全然女子のグループに話してる意味っていうか、分からない。どうしてそういう会話が成立するんだろうって。分からなかったので、高校卒業できたときに本当にほっとしたっていう。これでもうこういう退屈な人たちと鶴魔女に済むわって思ったのを今思い出しました。それでよくないですかって。
じゃあそんな寂しいって言ったって。でもさ、実際にさ、死ぬときになったらさ、一緒にじゃあ誰々ちゃん仲良しだから一緒に死のうねってわけにいかないじゃないですか。絶対裏切るじゃん。そんな私が死ぬって言っても一緒に死んでくれるわけないし、そもそも一緒に死んだからって言って、その同じ経験ができるわけじゃないんですよね。
そう思いませんか。やっぱり人間って一人で生まれてきて、一人でギャーって生まれてきて、一人で死んでいくわけですから、その途中でいろんな人と触れ合って楽しかったねっていうことはあるかもしれないけど、意味の分からない会話で触れ合う必要がどこにあるというふうに思ったりしますね。
で、まあ心配しているのは本当にこんなに、なんていうか、こう、なんか独説っていうんじゃないですか、でも私本当にこう思ってるって、こんな、あの、どういう言葉が当てはまる?人、人好きの市内っていうか、そういう暮らし、そういうことを言ってて、
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で、本当にこれ以上を刺激的な、私にとって学びになる、面白い、学びっていうよりも、いやーこの人面白いとか、この人というとどんどん物事が進んでいくねとか、
それから全部任せたらやってくれるねでもいいけど、私が行きたい方向に対してすごい力になってくれる人と巡り合いたいと、もうすでにもうもはや、もはやそういうふうに思っているわけで、その人の行きたい方向に向かって私が手助けしてあげるみたいな、そういう生き方を今までしてきてたと思うんですけど、なんか何でって最近思っちゃうんですよね。
それすればするほど、私が私の行きたい方向に行く時期が遅れるじゃんって、遅くなるじゃんって思って、で、私が行きたい方向っていうのは、もう常に常に新しい面白いことを始めたい。
このリアルな現実の中で実際にそういうことを起こしていきたいだったりとか。
そういう本当にファンタジーからすべてが始まるって信じてるので、私がファンタジーだなって思えることじゃなかったら、やっちゃいけないぐらいにもはや思ってて。
で、そういうことが一緒にできる人材っていうかメンバーっていうか、そういう人としかもうこれから知り合いたくないぐらいの感じになってるわけ。
で、こんな私を見て、いっこさん、例えば何だろう、ポッドキャスト今撮ってるから、ポッドキャストやってるんだね、いっこさん、私がポッドキャストやり方を教えてとか言ってくる人と縁切りたいなって思うぐらい。
だって、ググったら出てくるじゃん。私だってググって、あるいは何だろう、YouTubeとかで探して、それでやり方を調べて今に至ってるわけなんで。
その私の多大なる調べた時間とかをポーンと持ってこうとするんですよね、その上積みのとこだけね、最終的なとこだけ。
おいしいとこだけポーンと持ってこうとするんですよ。いくら払ったら教えてくれますかって言われたら、教えねえよっていう話で。
だから私、そこをそういう教育産業には向いてない。無理。人間的なそういう器の大きさがないから、絶対無理。教えてって言われた人には何が何でも教えないぐらいの、もうそんな感じ。
それよりも、自分で調べてそういうやり方は知ってるよって、そういう既に実力のある人と組んで始めなかったら、私の今の現状以上のことってできないじゃないですか。当然ですけど。
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それを今思ってるってことです。2025年、私を上回る、技術力というか経験家、経験値、私を上回る発想力、私を上回るこの人間的な器の大きさみたいなものを持ってる人と組んで、
そして今までにやったこともないような、すごい面白いことをやりたいなって思ってるっていうことです。
だからさ、去年までの私の言ってたことと全く違ったり、実はしていて、去年までっていうかちょっと前まで、数日前までは、今私が持ってる能力とかを生かして、面白いことをしていこうって思ってたんですけど、
そうするとそういう便乗組がいっぱい来るんだなっていうことを感じて、便乗組を乗せてあげれるほどの大きな船じゃないんですよね。本当に一匹狼の、そういう架空のストーリーを描きたいクリエイターみたいな人間なので、
無理だなって、もうすでに本当にいろんなことを維持していくとか、事業を拡大していくとか、本当に絶対無理だなって。でもその無理なことは諦めて、その分、諦めた分のエネルギーを全力投入で、新しいこととか、自分がこれと思ったことに時間も労力も全て注ぎ込むっていうことで、
本当に一匹狼としての生き方を全うしたいなっていうふうに思っているっていうところです。そうしていくと、ざっくり言うと人付き合いが悪くなるっていう結果になると思うんですね、たぶん。
なので、今年はいろんな人とつるんでなんかするっていうことが、事態がそもそも減っていくだろうし、お誘いいただいたことで、未経験のことには一応顔は出すつもりなんですね。そこに何があるかわかんないか。何かの原石が眠っているかもしれないし、アイディアとかが。
一応やるんですけど、ちょっとやったからって言って、必ずそこのチームの人になるとか、そういうことではやっぱりないよねって。無理なものは無理だよね。そこで人付き合いが悪かろうが、義理が果たせなかろうが、しょうがないじゃないですか。
私の貴重な人生時間は、もう刻一刻と1秒1秒減少して、今この瞬間も減り続けているわけだから、悪いけど人の都合に合わせている暇はないんですっていう、そういう感じ。
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たとえその余った時間を私がゴロゴロして、YouTubeをのんべんだらりと見ていたとしてもですよ。そっちの方が楽しいんだったら、それをしたいじゃないですか。そんなの私の勝手でしょっていう話。
私なんか本当に優等生として、早く中学・高校をやり過ごしたすぎて、優等生しているのが一番楽じゃんと思っていたので、先生と関わりたくもなかったし。優等生的に生きていたおかげで、何でもやってくれるみたいな、何でもちゃんとやって当たり前みたいになってますけど、冗談じゃないよってことですよ。
いつまで、何歳まで私は優等生を続ければいいのかと。もうここいらで、60歳ぐらいですでにもう優等生成分を使い果たしていて、もう無理ってなってんで、正直もうこっから別キャラの私として、バカ野郎って言いながら生きていきたいなって思ってます。
そういうわけで、今日はもうバカ野郎宣言をするぞっていうエピソードの回になっておりますけれども、このポッドキャストは私の音声日記なんですね。
以前は日記を書いてました。ずっと前はノートに書いてたし、めんどくさくなって、最近はパソコンでなんかそういうね、日記を書くやつに書いてたり。
それが60何歳の時だろう、61歳か。腰痛で、肉離れでね、足とか腰とか痛くて、座れない、椅子に座れない時期の時に、立ったままでも日記だけ書ける、音声録音したらできるじゃんって気がついて、スマホのなんか録音するやつあるじゃん。
あれに向かって喋り始めたところからこれになってるんですね。半年ぐらい自分一人で本当に喋ってたんですよ。だけど誰も聞かないし、自分だって再生しないんです、そんなもの。
何月何日に何喋ったかも、音声だとパッと見てわかんないので、無駄だなと思い、だったらこれをブログの代わりに配信しちゃえばいいんだって思って調べたら、ポッドキャストっていうのがあるんだって言って、どうやってやるんだろうって調べて、これでやり方を調べて、そのやり方もどんどん変わっていったんですけど、
今のところ、スポティファイフォー、違うな、クリエイターズというのを使って、とりあえずやっておりますけれども、でも内容はとにかく私の日記ですので、私が今日、今思っていることをただダラダラ喋る、以上終わりです。
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これが皆さんの役に立つかどうかなんて全然知らないし、そもそも自分の日記をさ、人に役立てるとかって意味わかんなくないですか。
だけど、人の役に立たなかったとしても、私にも人間一人分の思いはあるわけですよ。いろんな思いがね。思うように行くこと、行かないこと、これからこうしていこうとか、こうしていこうと思ったけどできなかったとか、いろんな葛藤とか、悩みとか。
わかんないけど、こうした方がいいと思うのにどうしてみんなわかってくれないんだとか、いろいろありますけど、そういうことを私が喋って公開していけないっていう法律もないんですよね、実は。それは私の表現の自由ってやつで、それこそ憲法で保障されている権利で、この今の時代に生きてるからこそこんなことができるし、
誰にも後ろ指さされることなく、指すのは自由ですけど、止めることができないっていうことですね、権利ですから私の。それは利用しない手はないし、どうせ近い将来のいつかこの人生が終わるんだとしたら、言いたいことは100%言い切って死にたいっていう、それだけは間違いないですね。
こんなこと全部我慢して溜め込んでいったって別に生きていけるけど、何になるんですか的な。どっちでも変わらないんだったら言って死んだ方が良くないって思っている感じです。
で、真面目な話でいくと、ワクビズのYouTubeチャンネルを活性化しようということで、十何本ショート動画を撮ったんですけど、本当のこと言うと、5本ぐらいショート動画をスマホを立てておいてね、それで録画して、なんかバーッと喋ったんです、喋りたいこと。
で、それが5分ぐらいのやつが5本ぐらいあったかな。それを後で1分ぐらいに縮めて何本もショート動画を作ったんです。それで今ワクビズのYouTubeの方でショートで配信している。1日1本ってことでスケジュール予約して配信をしているんですけど、
自分の喋りたい思ったことをそのまま喋っているので、間違いではないけれども本当のことだし、間違いではないけどすごい偏っているなっていうことは感じるんです。
要するに、ワクビズって起業サークルなんで、起業してほしいよって、起業できない人ってこうだよとか、起業するのはいいことだみたいな感じで、そういう前提で喋るとああいうことになるっていうこと、顔出しで喋ってます。
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ただね、もうちょっと広く視点を上げて言うと、いや別に起業してもしなくても、そんな人の勝手じゃんって思ってます。私が逆に誰かに起業した方がいいだろう、しない方がいいだろう、仕事のやり方がどうだろうって言われたとて、できることならやってるし、やってないってことはできないんだし、あるいはやる気がないんだし、もうほっとけよって思うんですよね。
そういうことを自分が人に向かって言ってるわけなんで、まあいらぬおせっかいだよねって思いつつ、でもどこかで誰かの役に立つ可能性があると思って配信をしています。
っていうのは、自分も今までいろんな本を読んだり、いろんな人の動画を見て励まされて、いろんな仕事のやり方も全部そういうところで学んで、使ってやってみて今に至るわけで、最初から今みたいだったわけじゃないんです。プロセスがありますよね。
そのプロセスにおいては、いろんな人のいろんな意見をすごい参考にしてこうなっているので、いろんな人のいろんな意見、すなわち無駄っていうわけではない。必要としている人にとっては必要なんですよね。それは多分、段階による、学びたいっていう段階にいる人にとってはそういう情報はすごい役に立つ、ありがたい、だから価値があるわけですけど、
そのやりたいと思ってない人にとっては何の価値もないどころか邪魔でしかないっていう、そういうことなんで、でもビジネスってそういう自分が持っている情報を必要としている人のところに届けて対価を得るっていうのがビジネスですよね。
だったら、私にとってはもうこの情報はいらないなって思っても、それでもやっぱりコンテンツにして配信してあげるっていうのは無駄ではない。世の中にとって無駄ではないなと思ったりします。何が無駄って言って、このポッドキャストの無駄率の方が何百倍も無駄だなと、世の中に役に立つかどうかっていう意味で言えばね。
ただ、私、配信している私の幸せにとってどっちが役立ってますかって言ったらもう、それはこのポッドキャストの方が100倍役に立ってますっていう、そんな話ですね。はい、本日は以上です。