1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 無理にがんばらないで成功する..
2025-02-10 26:12

無理にがんばらないで成功する。誰か言語化して!

自分でたてた計画を無理矢理実現させようと死ぬほどがんばる以外に、流れを読みながら無理なく楽しく自然体で結果を出す方法がある、と思ってるんだけど、立証はできません(笑)


でも、死ぬほどがんばったら成功するかと言ったら、それはそれで確証はないので、自分の感覚を頼りに自然にやっていきたい。です。

サマリー

このエピソードでは、無理をせずに成功するための考え方や、今後の起業やビジネスの進め方について話されています。特に、資本主義における変化や、自分の生活スタイルを守りながらの拡大方法に焦点が当てられています。成功には無理をしないことが重要であり、自分自身が本当に好きなことを見つけるプロセスが語られています。また、新しい挑戦を通じて自分の成長と理解を深めることが人生の本質であると強調されています。

日常の変化と自己再構築
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
2月10日月曜日のお昼の12時32分に収録をしております。
雪はですね、この間、昨日かな、その前かな、ちらっと積もって、一瞬積もって、そして一瞬で消えるということでしたけど、
皆さんの住まいの地方では積もったりとかしているんじゃないでしょうか。さすがに寒いですよね。
で、うちの方、今日は降ってないんですが、だんだん曇ってきておりまして、嫌な予感というやつですね。
そんなこんなで、先週もいろいろなことがありました。
先週っていつ配信したんだっけ。なんか途中で1回収録はしたけど、配信をやめたやつがあったりしてて、
前回は2月4日なので、先週の火曜日ですね。先週月下と配信して、それでまあ1週間が経ったって感じですね。
で、先週何があったかというと、普通にこう枠別が進行していっているっていうことが一つと、そうですね、枠別関係で1,2,3、
私たちの運営の打ち合わせも含めて3回ズームをしたし、その間、その終わりぐらいに雪が降ってみたいな感じですかね。
昨日は昨日で出かけてて、何かしらバタバタしている間に、時間が過ぎているんですけれども、
何だろう、自分の中でやっぱりこう2025年ね、物事の優先順位を変えようと、変えよう、変えなくては、なんて思ったのが年初のお正月の頃でしたけど、
実際こう、とはいえ日常の中でいろいろな出来事が日々刻々と変化していくじゃないですか、
そうすると、じゃあ次はこういう風にしたらいいよなって思いついたりとか、
それが必ずうまくいくってわけじゃないけど、こういうやり方ができる余地があるよねと思いついたりとかはするんですけれども、
これが私が10年前だったら、10年前でも54だからそんな若くないな、もうちょっと前まで下がるかな、
50歳ぐらいの時だったら、思いついた次の瞬間にはやろうとし始めて、やるよとか言って、
でも周りに誰もいなければ自分で取り掛かって、思いついたことは100%やろうとしていたのが、今までの私の、
えーと、私の、なんていうの、引退前の状態っていうか、別に今も引退してないんですけど、
でもやっぱり60歳っていうところを境目として、それ以前とそれ以後とっていう風に自分の中でやっぱりちょっと時代区分が変わっていて、
きっかけは60歳の時に腰痛でっていう話で、一旦全部をストップしたんですよね。
そこから再構築し始めて今があるんですけど、それ以前にやってたことの中で、一旦終わりになっちゃったことも多かったり、実はしていて、
そんな中で、やっぱり枠水っていうのは、その引退後に新しく始めようとした唯一のというか、最初のビジネス的なものでありまして、
なので次はどうなるかっていう予測がわりかしついていて、最初は手探りですけど、ダメ元でいいじゃん、やってみようよって始まるんですけど、
だんだん進行するにしたがって、ダメ元じゃダメだよねって、ちゃんとやらなきゃねっていうフェーズが絶対来て、今もそこに来ていると思うんですけども、
ここで本当にじゃあどうしようかっていうことになっていくはずなんですね。本気でやるのかそれともと。
それともできる範囲でそこそこでいいやってしていくのかっていう選択肢が、実はもう今すでに目の前にあるような気がしてて、
枠水でもそんなに起業起業って言ってないし、絶対会社作らなきゃとか思ってないし、何なら何人も仕事ビジネスしなくても、その人がその人らしく、
ちゃんと自分を主張できて、ちゃんと相手の意見を聞けて、自立した生き方ができてくればいいんじゃないのって、本当のところは思っているんですけれども、
それが意外と難しいって話で。そんなことをしていく枠水も、やっぱり継続、ずっとずっとずっとずっと続けていくって思った瞬間に、
それなりの仕組みを回さないといけなくなるわけで、これはある意味宿命というか、この世の中高く投げたボールもそのうち落ちてくるじゃないですか、重力があるから。
まったく同じで、始めるよポーンって始めたことも何もしなければそのまままた落ちてくるんですよね。
それはもうこの重力のある3次元の世界で生きている以上、絶対の間違いない物理現象みたいなものなので、
この落ちてきたボールをもう一回投げ上げるっていうサイクルを回していくっていう必要があって、
ビジネスの持続可能な成長
それが資本主義のっていうかね、大きく言うと資本を投下して回収する、また投資して回収するを延々繰り返すっていう、そういう仕組みが資本主義だと理解していて、
それがうまくいったからこそこの1世紀2世紀の繁栄があったんだというふうに私は理解しているので、
資本っていうのはお金に限らずに時間とか労働力とか気力とかアイディアとか知恵とかそういうのを全部含めてそれを使って新しいものを作りました。
その作りましたのサイクルをずっとずっと回転し続けさせないといけないので、
その時に何が一番、何を燃料として企業会社が回っているかって言ったらもちろんお給料、報酬ですよね。
働き続ければ報酬が絶対入るっていう、そういう報酬のインセンティブで会社の経営っていうのは続いていけているわけで、
お給料も払わずに社員を働かせ続けるってできないじゃないですか。
法律上もできなければ、人間の心理的にもそんなことするわけないじゃんってみんな言いなくなるってやつですよね。
なので何らかの何かが必要なわけですから、枠別としてもそれをどのようにどの程度やっていくのかなっていうのがこれからの課題っていうよりもそういうフェーズに入ったんだと
思っております。そんな中で私がもしも今60歳より若くて50ぐらいだったら、今頭の中に思い浮かぶ方法を全部やろうとして、
こうしなきゃダメだって言って走ったと思うんですけど、これはね不思議なことに最近、そういうのが一応見えてはいるけれどもちょっと流れに任せてみようというか、
そんな感じで、めちゃくちゃ私一人が前伸びになって、一人でじたばた走り回り続けるっていうそういうパターンにならない、
なりたくない、なれない、なろうとしてもなれない自分がいるなっていうのに気がついて、ちょっと方法とか思ってます。
40代半ばぐらいからいろんな勉強会を始めてどうのこうのみたいなやつをやり始めてて感じていたのは、私が動かなかったら誰も動いてくれない。
だから私が引っ張らなくちゃって思っていたし、引っ張るっていうよりも私は道筋をとにかくつけて、
みんなが歩けるようにっていうのをひたすら考えて、ひたすら実行しようとしてやってきていたんですね。
いくつかはうまくいったけど、うまく全然うまくいかなかったっていうか途中で消えちゃったやつもいっぱいあったんですよ。
自分でもそういうの消えちゃうから忘れていっちゃうんですけど、よくよく考えると、そういえばあの時こういうことしようとしてたよなみたいなのがいっぱいあったりもします。
その消えていったやつっていうのは何かっていうと、要するに波が来てなかったってやつ、大きく言うと。
関わってた人たちも波が来てる間は動いてたけど、波が去るとともにいなくなっちゃったよねっていう、そういう感じなんですね。
その一人一人の人の問題じゃなくて、たぶんですけど私のやり方の問題でもなくて、単にブームが去ったとか、そんな感じ。
もちろん報酬のインセンティブが作れなかったっていうのもある。
最終的に残っているっていうのは、例えば落筆協会とかは、報酬のインセンティブがあるので関わっている私と務むには。
だから停滞することがあったとしても消えたりはしないですね。
そういうものしか残っていかないので、いかにここから稼ぎ続けられるかっていうことがこれから問題になってくるっていうところなんですけど、これに関しては微妙な感じ。
もし私がスタートアップで投資する人たちがいてさ、お金もらっているとするじゃないですか。
新しいマーケティングの探求
もうこんな話をする余地もない、お金を稼ぐに決まっている。
決まって、その投資先に還元しないといけないじゃないですか。
企業を買収してもらうとか、上場するとかって言って、彼らに買ってもらっている株の価値を最大限上げないといけないってことは、お金を稼ぐしかない。
大きくする、規模を大きくするしかないわけなんで、最初からそういう前提でやり始めているんだし。
薄蔽とはちょっと成り立ちが、そもそものスタート地点が違うっていうことが一つあって。
だからこそ、スタートアップのように、本当に馬車馬のようにっていうか、仕事に人生を支配されてみたいな。
動きまくるっていうことまでする必要があるのかなみたいなところですね。
どうやったらそういうふうに、仕事に自分を支配されずに、でもその仕事を緩やかでもいいから広めていく。
この炎を消さずに、小さい、ろうそくの火みたいなやつですけど、ろうそくの火のままでいいから、ずっと消さずにいくためには。
だからスタートアップとかは、ろうそくの火をつけた途端に、もうなんか焚き火にして、焚き火をなんか火力発電所みたいにしてみたいな、そういうイメージでいるんですね。
ろうそくの火なんて意味がないっていうか、最初の着火の役割しかないから、そんなものじゃダメだと。
少なくとも焚き火ぐらいにはしろという感じで、燃え盛らせることしか頭にないわけなんですけど、
わくびつとかって、小さな火が、火が分かれて、ろうそくの火がね、今1個しかないのが、2個に増え3個に増え、全国的にあちこちでたくさんのろうそくの火が灯っていれば、それでも成功と言えるんじゃないかなみたいな、そんなイメージもあって、
そうするとこういうふうに広げていくマーケティングっていうのはどういうものかっていうのはよくわかんないっていうことですね。あんまりそういう話をしている人に会ったことがないというか、でも世の中には絶対すでにそういうことをしている人がいるはずだし、そうやって広まっているビジネスもあるはずだというふうに思っていて、
ただおおっぴらにそういう話をひけらかさないから知られてないとか、あとは全体的にやっぱり規模がね、そんな何兆の売上とかになってないから取るに足らないって思われて、取材も一つも入ってないとか、そういう可能性はありますね。
で、いいんです、どっちでも。私にはすでにそんなところで有名になろうなんていう野望は一個もないし、だけどようやく火がついた、そのロウソクの火を消したくないっていう、それはあるので、消したくないために消えないように大きな火にするっていう、大きく燃え盛らせるっていうのが普通のベンチャー企業の発想ですけど、
小さいままでも守り育てたらずっと灯し続けられるんじゃないのって思うのが私の今考えている感じです。
なんかこういうね、小規模な、そして自分の人生を破壊せずに、そこそこの規模で、だけど継続して広がっていく、拡大っていうのは規模の拡大っていうよりも面で、日本各地にとか、そんな感じで広がっていくっていう、
そういう、そこをゴールにした時のマーケティングのやり方とか、そういうのって語っている人にあったことがないですよ。
そういうやり方ってどうなんですかね。普通のマーケティングでもそういうふうになるんですかね。ちょっとよくわかんないところです。
なので先週は結構自分の中ではそういうことを考えたりもしていましたけれども、結論として無理矢理、とにかく形ありきで無理矢理大きくしていくとかっていうことは多分違うんだろうなって思ったっていうことが一つあります。
で、昨日は昨日でね、うちのすぐ近所の町民会館っていうところで、結構何百人か入るホールなんですけど、そこでなんか超主催のイベントをやってて、これがダンスイベントで、有名な人が結構来てて、私の見たいなと思ったのは、
フィッシュボーイさんっていうポップをやる人ですね。フィッシュボーイさんが来るって書いてあって、え、本人が来るの?と思って。それで、チケット代も1000円なんですよ。町がね、やってるあれだから、1000円でって言いながらもちろん行くでしょと思ってチケット速攻取って、
無理をしない成功法則
昨日行ってきました。で、見てきたんですけれども、フィッシュボーイさん以外にもいろんなこの地域のね、名古屋とか愛知を中心に活動するいろんなダンサーさんとかが何組も来てました。
そういうのを見て、で、最後エグザイルのメンバーの、なんていう人だったっけ、えっと、エグザイルメンバーのテツヤさん、これもご本人が来て、私パフォーマンスで来てるのかと思いきやお話、トークショーで来てて、最後一曲子供たちと一緒に踊ってくれたんですけど、
まあそんなのに行ってきました。で、まあいろんな人も見てて、本当は前半午前中はキッズが、このエリアのいろんなダンススクールの子供たちが踊るっていうのがあったらしいんですけど、ちょっと午前中は別の用事があって行けなかったので、午後のそのゲストが来るとこだけ見たんですけど、
なんだろう、自分的にはこういろんなタイプのいろんなジャンルのダンサーさんが出てくる中で、やっぱり自分的には、いやこの人かっこいいよなって思う人と、なんかすごいけど取り立てて魅力は感じないとか、こういうのやってみたいわけではないっていうようなジャンルもあったし、
ジャンルっていうよりも、ダンサーさん個人個人で、いやーこの人かっこいいわーみたいなのもありつつ、上手だけどうんっていう人もいればみたいな感じで、自分の中でこの魅力を感じるダンスとそうでもないダンスっていうのが分かれてきたなっていうのがはっきりしてきたなっていうのを感じました。
つまり今まであんまり分かってなかったってことでしょ、どれ見てもすげーと思ってたし、インスタとかでいろんなダンサーさんをフォローしてるからもうダンス動画ばっかり流れてくるんですけど、それも全部すごいって思って、すごいと思うからフォローするわけで、この人のダンスもっと見たいと思って次々フォローしていった結果が今の私のタイムラインなんですけど、見ててもいやそうでもないなっていうのも結構、
出てきてて、そうかと。これをフォローし始めたのが1年前、2年前ぐらいだとすると、その時は本当によく分かってなかったんで、なんかすごいものはかっこいいとか、かっこいいものはすごいとか、なんかすごく単純に思ってたんだなということを感じました。
なんでもね、詳しくなっていけばいくほどに違いが見えるようになって、違いが見えると、じゃあ自分はどっちが好きなのかっていうことが決めれるようになるんですけど、ものすごい遠くに引いて見てれば見てるほど、例えばテレビの中だけでタレントさんを見てたら、あの人は上手ねとか、この人はまだまだねとか、っていうざっくりした公表で終わっちゃうんですけど、
自分もそれをやってみるとかって言って、だんだんそのダンスとかに近づいていくと、このことって見た目は簡単そうだけど意外と難しいんだなって思ったりとか、逆に難しいけどやってて別に楽しくないなとか、すごい細かい一つ一つに自分なりの意見や感想が持てるようになるわけですね。
そうしていくと、よりその相手のやってることの意味とか凄さとかがちょっとずつわかるようになってきて、どうせやるんだったらこういうことがやりたいなみたいな風に細かく選ぶことができるようになっていくのかなって思いまして、
すでに何というか、人間ってやっぱり未来に向かって進むというか、過去には戻れないものなんだなと前から思ってましたけど、
要するに人生って一方向にしか進んでいなくて、昔やっていたことだからそれをもう一回やろうとかっていう風になかなかにならない、昔やってたことっていうのはその時初めてだったのでワクワクしながらやっていたんだけれども、
それをもうやり尽くして後でもう一回戻るってなったらすでに退屈でしかなかったり、だから自分そこのレベルをもう超えて次の段階に行きたい、行ってるのにまた戻るっていうことはもう苦痛でしかないし、やる意味もないし、
そうやって経験っていうのは過ぎ去ってどんどん過去になっていくし、過去を懐かしむ気持ちは分からないではないんですけれども、だからといって昔一緒にやってたんだから今も一緒にやろうよみたいなことはやっぱり無理なんだなと思いました。
冒頭で話していたそのブームが去ったから人も消えていった話ね、それと全く一緒で初めての時は興味があってやりたいねって言って一緒にやってたんだけれども、しばらく経ってそのことの前容が分かってくるとああそういうことかって分かったからもういいやみたいになって人は消えていくしブームも終わっていくと。
人生の探求心
そのビジネスで起きている話とダンスに関して起きている話も全く一緒だし、ってことは人間の心理のメカニズムに過ぎないっていうことじゃないでしょうか。
っていうことは、じゃあ人間なんで生きているんだって、なんで生きているか分かりませんけれども、とにかく新しいことにチャレンジして、自分が理解してなかったようなことをより理解できるように解像度が高くなって、要するに近づいてみるから細かいことも見えるようになって、
自分はこうじゃなくてこういうことが好きなんだっていうふうに再発見して、じゃあそれで何ができるかなっていうふうに本当の自分の人間像みたいなものに向かって一歩ずつ歩みを進めていくっていうことが人生だと思うので、
だから同じようなことであってもビジネスだったら価値があるけど、お金をもらうわけではない、ダンスにおいては価値がないとかそういうこととは全く次元が違うことで、お金の話はお金の話で大事だけれども、
やり、やってみて、何かをつかんで、そして次の段階に行くと進んでいくっていうことがすなわち成長っていうことだし、成長しなくなるイコールおいていく、死んでいくっていうことじゃん。
死ぬまではほら成長していればさ、人ってさ若いままじゃんね、外見はともかく、でももういいやって新しいことはもう結構ですってなってくるっていうのは年老いた証拠だし、どっちが先かわかんないですけど、
年老いちゃったから新しいことがもうできなくなるっていうこともあると思うし、何でも新しいことはちょっとって、昔やったことがあることはやりたいけど、やったことがないことは怖いからやらないみたいな感じだと、
要するに何に新しいことにチャレンジをしない人みたいな風になったときそれを老化してるっていう分じゃないでしょうか。外見はともかく、人としてのあり方が全くベクトルが違うというか、まだ何かあると好奇心を持って世の中を探求して自分らしさの幅を広げていこうとしている人と、
いやもう私は年だからどうせできないしって言っている人と、同じ60歳でも同じであるわけがないですよね。少なくともそこから先の10年20年30年の過ごし方は全く変わってくるはずだし、私としては自分の人生一回しかないと思うなら、
もっともっと変わっていこうとする探求心を持って生活したいし、周りもそういう人だらけにしたいと思っていて、それがワクビズをやろうと思った理由でもあるし、ワクビズの小さな炎を消さずにずっとそういうものが灯っている状態で自分も人生を生きていきたいなと思っている理由だったりします。
本日は以上です。
26:12

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