集客の難しさ
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
3月21日金曜日の午前10時37分に収録をしております。
ちょっと久しぶりですかね。
3月18日に、あ、全然久しぶりじゃないですね。
18日ってことは火曜日に配信をしていて、今日が金曜日ってことですので、この間配信したばっかりじゃん、ということでした。
えっと、とはいえですね、前回は、私ちょっと仕事っていうか、なんていうのかな、私の軸足みたいなのを
私、マーケティング、ウェブマーケティングの方に移しちゃおう、みたいなことを話していたと思います。
で、軸足を移すってかさ、私自分がそれが得意だから、上手だから、知識がいっぱいあるから、それをやろう、みたいな。
一番おいしいと思うから取るっていうね、お寿司で言えばさ、大トロからいっちゃう、みたいな。
そういうことでは全然なくて、トロが好きな人、えびが好きな人、イカが好きな人、卵が好きな人、みたいな。
みんながいろいろ好きなやつがあって、なんか最後に残るやつあるんだよね、みたいな。
この場合、何ですか、最後に残っているの。ネタがちょっと思いつかないんですけど、
そうだな、いくらかな、私実はいくらが食べれなくはないですけど、積極的には好きじゃないんですよ、なんかプチプチするじゃないですか。
おいしさもちょっとよくわかんないんですよ。いくらが選べるのであれば食べずに誰かにあげる、みたいな。そんな感じなんですよ。
なんですけど、最近というかもうこの何年かどころかずっと、ずっと何をしようとしても結局一番ネックになっているのがいくらで、みんなが取らないからいくらだけ残るっていう。
それを私も欲しくないから遠ざけていたんですけど、日も幸もいかないじゃんって。
このいくらが何かっていうと、ウェブで集客する。お客さんを集めるっていうところですね。
何ならその集客したらちゃんと、集客っていうのは集まったお客さんを集めることだから、宣伝とは違うのか。
集客って言えば全部を含むわけね、やることをね。
ウェブ集客ができれば、できればっていうか、できないとせっかく作ったセミナーとかも販売できない、売れないじゃないですか。
お客さんがいないところでお店開いている状態になるので。絶対必須だと思うんですよ、集客ってね。
ところが、めちゃめちゃ分かりにくいんですよ。ざっくり言うと、インスタやったら集客できるよみたいに言うじゃん。
初めの頃ならともかく今時、インスタやったらやるって何を?っていう感じですよね。
いろいろあるじゃん。投稿とかリールとかストーリーとか、フォロワーを集めるとか、広告とか。
中身もペン差番別じゃん。別に写真だけ撮ってあげてもいいし、動画撮ってあげてもいいけど、自分が顔出しで喋ってもいいし。
何から何までできるじゃん。今やスマホ一台で何でも作れるし。
じゃあインスタやるの中身。インスタで何をどのようにどれくらいの量をやったらいいんですかっていう。
そういう感じじゃないです。
本当にインスタやれば売れるよってものすごい出発地点と到着地点を言ってるんですよね。
名古屋を出発したら東京に着くよって言うけど本当ですかって。
名古屋出発したけど大阪に着く人いませんかっていうような感じなんですよ。何言ってるんだろうっていう。
それは名古屋から新幹線に乗ったら東京に着くよって。着くこともあるけど着かないこともあるよね。
博多に着いちゃったりもするじゃん。乗る電車大事。どの向きの電車に乗るかみたいな。
その辺をすっ飛ばして名古屋を出発したら東京に着くよみたいなのがインスタやったらものが売れるようですよ。
それで売れるなら誰も苦労しませんっていう感じで。
みんなそこ深掘りするのを避けて、意図的に避ける人もいるけどそもそも気づいてない。
そもそも気づいてなくてインスタに例えばなんとか教室やりますってあげて、申し込み者が少ないとかだと、
インスタグラムでの販売戦略
ああ私ってダメなんだわみたいになるわけ。ちょっと待ってって。
名古屋を出発したら、なんだろうな名古屋を出発したら、
床舐に着いちゃったと。床舐ってセントレアっていう飛行場があるところなんですけど、
全然新幹線に乗ってないので、在来線のローカルな線に乗っちゃうので関係ないとこ行っちゃうわけですよね。
誰もいませんみたいな。そりゃそうだよっていう。
東京に行きたいなら、どの電車に乗ってどこで降りてみたいにちゃんとしなきゃいかないじゃんみたいなのを、
そういうことがあるってこと自体をみんな知らなくて、インスタやったら成功できるみたいになってるんですよね。
そこのじゃあどうしたらって言って、それって人によって全然違うじゃない。
ダンサーの人があげるべき動画と、なんだろうな、お料理研究家の人があげるべき動画と違わない?
あとそこで物を売りたいのか、ただ見てくれてファンになってくれればいいのかによっても違わない?
じゃああなたが何をしたいのかによって、じゃあこういうものをインスタにあげないといけないよねみたいなのが逆算で決まってくる以外には、
そのルートの立てようがなくなり、名古屋を出て東京に行きたいんですって、でご予算はって話で、
新幹線に乗るご予算がないんだったらさ、何ですか在来線で行くとか、あとバスですね、高速バスだったら安いかなみたいな、
変わるっちゃうご予算とかね、あと何時間ぐらいで着きたいんですかとか、着いてあとどこのホテルに泊まりますかとか、
そういうことも言い始めるともうキリがなくて、結局あなたは何のためにいつまでに東京に行かなきゃいけないんですかっていう、
そこ決めてもらわないと、そもそも始まりませんよね、感じです。
例えでしか話せないんですけど、ざっくり言うと、何が何だか分かんないよねって、
みんな何言ってるのか全然分かんないって、私が思うのはそういうことです。
だから人の困りごとに対応するのはやめて、自分が今販売しているもの、ワクビズのセミナーの受講生を今募集しています。
それから落筆も常時いろんなコースがあるので、受講生を募集しています。
最低でもこの2つのウェブマーケティング、ウェブセールスは私がやろうって思ったよって。
なぜならそれが売れたら私に収入が入るじゃないですか。
あえてその訳の分からない第三者の知らない人のウェブマーケティングを私がやってあげるなんて、まあまあありえないですよね。
私がやってさ、こうやってやったらできたよっていうのができたらさ、セオリーみたいなやつ。
そうしたらそれを教えてあげないでもないですけど、そんなのさ、すでに世の中にごまんと出回っている情報が。
で、私が取って私が成功した方法が、あなたの持っているそういうやりたいことに合うかどうかやってみないと分からないの。
で、話がまた堂々巡りで最初に戻ってきて、だから私がお手伝いできることは何もないなみたいな。
そんな感じでいます。
でも面倒くさいのでお手伝いするとか助けてあげるとか、そういうのも一切やめて、ただただ自分の持っている商品をどうやって販売しようか。
見込み客の方たちにね、お届けしようかということだけを、余計なことを考えるのはやめて、本質的に絶対これはやるべきということだけに。
2本にですね、絞り込もうっていうのが今回決めた軸足をマーケティングに移すっていうことの意味です。
だから人の世話をやめましたみたいな、もともとしてないんですけど、このやり方をみんなに伝えてあげようみたいなことを一旦放棄して、誰にも教えない。
ただ自分だけしくしくとやるという期間を何年か設けないと、このまま苦手だからそれやりたくないとか言っていると、物事が一歩も動かない。
経験値と成功
そんな感じになっているという話です。
ワクビズを私たちやっているわけなんですけど、本当にやってみないとわかんないなって。
やり始める前は小さな行動ね、ちょっとやってみるっていうことを強制的にやってもらえば体験ができて、こうやってやればいいのかって言って進んでいけるはずだっていう風に仮説を立ててたんですよ。
これで3期やってきて、3ヶ月、6ヶ月、9ヶ月が終わろうとしているんですけど、相当限らないなっていうことがわかりました。
私昨日わかったんですけど、一人で勝手に。
引き出しっていうものがありますよね。
いろんなことの中に、引き出しを持っておくって。
ダンスで時々言うんですけど、フリースタイルでバトルとかね、即興で踊るみたいな時にポンポンといろんなステップが飛び出してくる、振り出せる、曲に合うような動きをできるっていう人っているんですけど、
あれをどうやったらできるようになりますかって言ったら、あらかじめいろんなところで練習したいろんな動きをマスターしておく。
別々に練習して、それがいつでも取り出せる状態にする。取り出せるっていうのは体がそういうふうに動くってことですけど、
そのことによって流れてきた曲に合わせて、瞬間的に自分の持っている引き出しの中から最適な一番合うだろうっていうような動きを出すことができるっていうことは、
何が大事ですかって、引き出しの中にあらかじめ経験を入れておく必要があるってことですね。
私みたいにぼーっと練習している人は、何か習って覚えてもすぐ忘れて、次になったらまたできませんみたいに忘れちゃっていくので、
全然体に習慣化していないから、引き出しはあっても引き出し開けても何も入っていませんみたいな。
常に常に空っぽなんですよね。そうすると曲が流れてきても全然そういう動きが出せない。ぼーっと立っちゃうみたいな。
そんな感じ。
昨日、ダンスのレッスンをオンラインで受けていて、そういう話に毎回なるんですけど、日頃からの訓練、小さな簡単な動きでいいから、
ちゃんとそれを言語化して、2ステップとかわかんないけど、そういうのを一個一個、この動きの名前はこれで、こうやってやるみたいなことを一個一個、
頭でも覚え、体もパッと動くように、その言葉を思い出したら体がパッと動くみたいな訓練をしておく必要があるっていう話を昨日聞きまして、
なるほどなって思いました。
で、振り返って枠水に戻るんですけど、なんか人によってやっぱり差が激しくて、あ、そうかーってやることが見つかったらパーっとやってっちゃう人もいるし、
そもそもやることが見つけられなくて真っ白になっちゃう、私のフリースタイルのダンスみたいなね、真っ白になっちゃう人もいて、
なんで違うんだろうと思ったらね、結局はね、経験の差なんですね。
経験?体験?今までの人生で直面してきたいろんなこと、解決してきたいろんな、乗り越えてきたいろんなことの量が、絶対量が全然違うっていう。
何かいろいろしてきたっていうのは、お友達とお茶したとかさ、そういうのじゃないんですよ。何か課題に直面してそれを乗り越えた経験なんです。
必ずそうなんですよね。何か大変な、私にはそれできないっていうようなことが起きたときに、そのまま逃げる人と、それでもやらなくちゃって歯を食いしばってしばらくそれで耐える人、できないままでぐっと耐えてやり続ける人が分かれると思います。
で、逃げ癖がついてる人って、たぶん子供の頃からずっとそうで、ちょっと苦手な人が来たとか、ちょっと嫌な感じのものが押し付けられそうって言ったら、ものすごい逃げ足が早くて、サッといなくなったりするんですよね。
それで楽な人生を歩まれていると思うんですけれども、本来そこで踏みとどまって、立ち向かいたいわけじゃなかったとしても、結果的に何とか自分の力で、必死に耐えるとか、何か創意工夫でいろいろ工夫するとか、
分かんないけど、とにかくその問題を自分で何とか何とかって言いながら、解決しちゃったっていう経験、自分の力で、それがあるかないかっていうことがもう壊滅的に大きいなっていうことかなって思います。
結論を出しちゃうのが嫌で、ずっとそんなことはない、誰にだって可能性はあるってずっと言い聞かせてきてるんですよ、実は。いつぐらいから言い聞かせているかというと、20代で中学校の先生をしていたときから、全然勉強できないとか、全然学校大嫌いできたくないとかっていう子ももちろんいるんだけど、
いや、全員平等だって、みんな同じ人間として生まれてるし、まあまあほら14歳15歳ぐらいじゃん中学生って、そんなにこの子はできないとか絶対ないって思い込んでて必死に。自分がそう思ったってより、学校の先生とそういう職業なんですよ。
まあこいつはできんからいいなーみたいに、積み残せないんですね。義務教育の学校ですからね。高校なんかだと、もう学校行く奴は退学って言って、ものすごい退学させたりできていいなーって思ってましたけど、一人もそうやって切り捨ててはいけないっていう、そういう法律ですので、義務教育ですからね。
なので、もうとことんそれは本当に骨の髄まで叩き込まれるというか、毎回職員会議のたびにそういう話が出るんですよね。あの子、このなんとか組のなんとか君は全然来てないけどこれどうなってますかみたいに担任が詰められるっていうね。
これこれ家庭法もしたんですけど、えっとーとか言ってると、我々一丸となってそういう子を救わないといけないみたいな。救うってのは学校にこうさせて卒業させるってことですけど、そういう話を何年も何年も延々と延々と繰り返すと、なんかもうこの子はできないからって諦めたら悪いような罪悪のような犯罪のような気がしてくるわけでしょ。
で、私も学校の先生じゃないし義務教育じゃないから誰を積み残したって全然いいのに、なぜかいけないような気がしちゃうってやつね。
人生経験の差
誰でもいいよ来てとか言っちゃうわけなんですけど、はたと考えた時にやっぱり人には差があるし、ダンスに例えたらフリースタイルが踊りたいですって来ても、もともと全然何のステップも一つも知らなかったらそれ無理じゃないですか。まずはステップを覚えましょうねってことになるじゃん。
だからみんなよりうんとすごく遅い出発っていうかね、遅れを取った状態じゃんそれって。で、人生も同じ50歳っていう年齢の人が集まったとしても、本当に物事を自分の力で乗り越えてきた人と一つも乗り越えてない人といますね。
私この年になって初めてこれ認めますけど、全然何も解決してこなかった人っていうのは幸せか不幸かって言ったら幸せかもしれないんですけど、でも人生経験を積んでないっていうこれ事実として明らかです。やったことがないんだものしょうがない。
ね。だから今じゃあ枠水のようなところに来て起業とかね新しいこと始めようってしてきましたよって時に何を材料として新しいことっていうのをスタートしますかってやっぱりそれって作るものですから今ない何かを始めるわけだから誰かが作らなきゃいけないじゃん。誰が作るのって言ったら本人が作るんですけど。
今までの人生でいろんなものを作ってきた経験がある人って、枠水の中で何をしようかなが決まりさえしたらあとはポーンと行っちゃうんですね。もう枠水に来なくなるぐらいの勢いですよ。自分のことが面白すぎて。
それが正しい方法なんですけど。逆に今までの引き出しが全然ない人何もチャレンジしてこなかった人たちがまあやっぱり滞るよねって。周りの見てる私たちはいろんな方法が見えるわけですよ。これってこうしてこうしたらいいんじゃないみたいに。
ただ、お本人の中では今までに一回もやったことがないことなので、なんか本当に呆然としちゃうんですよね。これが20代と50代の違いだと思うんですけど。20代だったらやったことがないことだらけじゃん。人生って。だから初めてのことでもポーンとやっちゃうんですよね。
ところが50ぐらいになるとそうではない。何もしてこなかった30年とかがあると何も新しいことに手を出さないっていうのがデフォルトの状態だし、とにかくないものは出てこないっていう経験がこれはこれはどうしようみたいな感じですよ。
なので、それでもやっぱりわくびずの刺激でこんな世界があるんだみたいに思ったら、これから自分の生活の中で少しずついろんなことを試して経験を積んでいくことになるんだと思いますけど、まずは材料集めから始めましょうって感じですかね。
すでに50歳でいろんな材料を引き出しには入ってるけど、とっちらかっちゃって何が何だかみたいになってる人は、方針さえ決まったらそのもともと持ってる材料で新しいプロジェクトを組み立てることができて、ポンポンポンってスタートするんだなって。
そういうことを私は学びました。つまり、人間50歳の人が何人かいるって言っても、これは平等ではないなっていうことです。経験値の差が、もう本当に10代の時とは運命の差。
10代、中学生、同じ年齢の子たちが一斉にいますっていう状態を見るところから私の人生は始まってるんですけど、確かに差はあります。能力の差とか、興味関心の向いてる先が全然違うとかありますけど、
その当時の差より50歳60歳になった時の同年代と比べた時の差の方が、もう1万倍ぐらい違うと思う。これって元に戻って取り返せるんだろうかぐらいの勢い。取り返す必要もないと思うんですけど、必要ないことはやらなくていいからね。
そういうことだったのかと思いました。私は50代だったら50代で全員等しく自分の人生の中でいろんな経験を積んでいるという前提に立ってこの企画を考えたんですけど、前提に間違いがあったっていう、勘違いがあったっていうことをすごい反省っていうかね、気づきっていうか、ああそうなんだって学びました。
そういうわけで、これは私が個人的に思っていることなんで別にわくび図をどう変えるってことはないですけれども、個人の面白さ的に言ったら引き出しの中にいろんな経験が入ってて、ポンポンポンポンいろんなものが出てきた方が面白いじゃないですか。一緒にいても。だからそういう出会いが増えるといいなというふうには思っています。
これがちょっと今日気がついたなと思うことの一つ目なんですけど、全体で言うと3つあったんですけど、2つ目と3つ目を今喋ったんだ。引き出し、人生の経験っていうことも、経験のいろんなやつが引き出しに入っているってことが大事だなっていうのと、
どれくらい引き出しの中にそういう経験が入っているかっていう違い、量の違い、質の違いが存在するなって。レベルの差っていうことがすごく私嫌いなんですけど、とはいえやっぱりレベルの差があるなって。
これを認めないともう次に進めないなっていうぐらい、人間にはレベルっていうものが厳然と存在するんだって。経験のレベルね。思いましたって話。もう一個は論理構造って話なんですけど、これはいいや。個人的なことなんでね。
そんな感じ。ちょっとね自分でびっくりして、どうなんですか。当たり前ですかね。人はこんなに違うんだっていうこと。年齢とか見た目とかが割とね、同じだったとしても、中身、今までにやってきたことの質と量、質と量、量と質がものすごく違うっていう、経験の差っていうかね。
経験っていうのは苦労、若い頃の苦労は勝手でもしろっていう格言がありますけど、あれ本当だったなって。別に若い頃じゃなくても、20代ぐらいはみんないろいろあると思うんですけど、30代40代、この中年って言われてるような、この時期をどう過ごしたかによって、やっぱりその後の65とか75とか、
それぐらいの時に、その30、40代でいろんな経験したことが花開くっていう感じかなと思いますね。30、40代はやっぱり言っちゃうけど、無駄に過ごすっていうか、あまり何もせずに、新しいチャレンジもせずに、
レベル感の重要性
家族優先で、旦那さんやご両親や子どもたちが主役で、その隙間で皆さんがうまくいくように動いていたっていう、隙間人生を生きてきた人っていうのは、もちろんその隙間に価値はあるんですよ。
私はそう思います。その隙間みたいな価値を使ってお片付けでね、世界制覇したコンマリさんとかいますけど、まずその広げていくっていうその活動自体が、まずそれだけでもすごい能力なので、誰にでもできるってわけではないよなって思ったりして。
で、まあ差があるなって思いました。でも現実そうですよね。陸上競技だってさ、よう挑んで走ってさ、本当にアスリート、オリンピック目指すような人って一握りだし、あるいは市民ランナーでマラソン走ってますっていう人は数は多いけど、そもそも走れない人の方が多くない?そんなマラソンとかって。
で、そのマラソンとか全然走れない人がいきなりオリンピック目指しましょうみたいな。そういう発想は無理なんで、やっぱりその人のレベルにあったフォローをしていく。全然走れない人は1キロ走ろうかとか、3キロ走ろうかとか、そこからしかできないじゃないですか。
ワクビスとか新規事業とか企業とかいうこともやっぱりそうだったんだなって。私ね、結構誰でも走れるって思っちゃった時があって、それは間違ってた。何も走ってない人がいきなりフルマラソンが無理なんだなって。
早々に1キロぐらいで離脱して、肉離れとかして、それで地震喪失でなるんだなって思ったんで、分かんない。ワクビスはどういう、でもやっぱり企業、せめて市民マラソンには出ようよみたいな、その辺のレベルじゃないと面白みがないので、その辺のレベル感でやりたいなと。
個人的には思っております。本日は以上です。