1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 良い生き方ってもの自体がすで..
2025-04-22 26:45

良い生き方ってもの自体がすでに変わっちゃってる

なんでもありな世界が広がり始めてます。それってだけど、良いことだよね?

サマリー

このエピソードでは、詩の朗読やコンテンポラリーダンスを通じて自己表現への理解が深まっている様子が描かれています。ヒップホップのクラスでの経験を通じて、表現の楽しさや探求心について語っています。価値観が劇的に変化しており、特に60代以降の人生に対する見方が見直されています。誰もが自分のやりたいことを追求できる時代が訪れ、他人の意見に縛られずに生きることが重要だと述べています。

詩の朗読の出会い
IKUKO Labo ワンダーランド
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを気ままにおしゃべりしています。
よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
4月22日火曜日の午前10時13分になりました。
火曜日ということで、昨日に続けて2日連続の配信になるんですけれども、
別段何か特別なことがあったわけではもちろんありませんが、
昨日の午後は予定通り、先日の詩の朗読でダンスを踊った、
あの会で出会った、詩を読んでいた人が、うちの工房まで来てくださって、
その方が岡崎にある小さなFMラジオ局で市民レポーターをしているということで、
そのレポートとしてうちの楽室工房から楽室の取材をしてくれるということになりました。
昨日そんな話でお会いしたんですけど、話した内容は全然詩のこととか、
ダンスのこととか、そんなようなことばかりばーっと喋ってて、面白かったです。
詩の朗読はポエトリーリーディングっていう、そういうジャンルっていうか、そういうものなんでして、
全国でいろんなのが行われてて、だんだん人口が増えてきてるそうです。
その会で独自ルールがあるので色々なんだけど、いわゆる詩の朗読だけじゃなくて、
ラップだったり歌ったり、あるいは紙芝居みたいなのをしたりとか、いろんなものが、
あと漫談みたいなやつとか、何でもいいらしいんですね。
ただその大会によっては、小道具は使用禁止とか音楽ダメとか言ってるのもあるので、
それは主催者次第なんですけど、全体的にはいろいろ何でもありな感じで、
で、やるそうです。
で、なんか、りくさんもできますよとかって、
この間のフィードの時もみんなにそう言ってもらったんですけど、
昨日もそう言ってもらって、別にこれって一緒にやろうよって誘われたわけじゃないんですけど、
みんながそう言って言うっていうのも、何かしら何かだよなと思って、
で、自分の中に全然イメージが湧かないんですよね。
朗読をするはまだしも、自作の詩ってどういうことって、全然よくわかんない。
で、私のこのポッドキャストも、何だろう、特にお話っていうんじゃなくって、
思ったことをそのまま言うだけだし、落ちとかないですし、始まりもなければ終わりもないって感じで、
突然時間が来たら終わるって感じでやってますし、
これ3分とか5分とかしか持ち時間がないとしたら、何も話さず終わってしまうって感じですよね。
で、いこさん朗読のYouTubeやってるじゃないですか、あれは他人の書いた本をただ読み上げているだけで、
あれ普通の朗読っていうジャンルから言うと、朗読に多分入らなく、音読してるだけだよねってなります。
そう、私は音読のつもりでやってるんで、BGMとか仕事の後ろに流しておくやつとか、
人の声がボソボソ喋ってると落ち着くっていう局面ってあると思うんですよ。
だからラジオとかつけっぱなしで作業してる会社ありますよね。
その系統を狙っていて、だからあえて抑揚がないような平坦な漢字の読み方、つまり普段の喋り方ですね。
それそのままでいこうってこと、それだけは決めて読んでるんですけど、
全然自分の作品っていう漢字は一切しないです。
ただ読んでますっていうことしか思わず、伝わったとしたらそれはその本を書いた人のお話が伝わってるだけで、
なので私にとって詩の朗読って近いように見えて、実はめっちゃ遠いなっていう。
詩で語りたいことなんかない詩ぐらいの勢いで。
とは言いつつこうやって、できないできないって言いながら、
どこかで裏で、無意識の中できっと何かが用意されるんだろうなって思ったり期待したりしながら、
まあわかんないけど、来年あたりにポエトリーリーディングの会に行ったら、
あれ、一子さんって、この人って前さあそこでダンス踊ってたんじゃなかったっけみたいな人が、
今日は詩を読んでるねみたいになる。
なんかポエトリーリーディングってそういう風になりがちなんですって。
コンテンポラリーダンスとの関わり
裏方でいたはずの人がね、気がついたらマイクの前にいるみたいになりがちなんですって。
そんな話をしながら、へーって。
今まで想像もしたことがない世界っていうのが、まずあるもんだなっていうのもびっくりするし、
そこに自分が入っていけるっていうのもびっくりするなって。
そう、それを言うなら、コンテンポラリーダンスっていうのはもう昔からあって、
私20代の頃に、同じ学校の先輩が昔ダンスをやっていた人で、
その関係でチケットが手に入るからって言って、もう毎年のようにそういう発表会に行ってたんですね。
そこで踊られてるのはほとんどコンテンポラリーで、
時々は音楽なしで踊っちゃう人もいて、何してるんだろうって感じだったんですよね。
美しいかどうか、美しくなくはないけど、私はもうちょっとわかりやすい、
ブロードウェイのダンスとかの方がかっこいいと思うわとか思ってたんです。
だからそういうのは自分と関係ない世界にあるものって、
あるいは遠くのステージの上でやってるものって感じだったんですけど、
この間のFITのイベントなんかだと小さいライブハウスみたいなところで、
本当に2メートル向こうでやってますみたいな感じで、目の前で展開されるし、
自分が出演者として行ってたので、
順番来たら自分が今度はそっちの側に行ってなんかするみたいな、
終わったらすぐ降りて観客に戻るって感じで、
ステージ上と観客が全然差がないみたいな、
そんな感じの空間でこうやって表現している人を見るっていうことが、
まあまあ珍しいし、
あれ、じゃあ自分も行けるのかな、そっち側に行って、
まあまあ思うよね、普通に。
そのこと自体が私にとってはカルチャーショック、本当に。
表現する人っていうのは表現する人で、劇団に入っている人とか、
わかんないけど、
そういうダンスをずっとやっている人とかっていう風にカテゴライズして、
レッテル貼って、
だから自分とは違うジャンルの人って思ってた。
自分はダンスは習っているけど、ただ習っているだけだから、
表現とかはできないんです、しないんですって、
なんかめっちゃ分けてたんですけど、
でも最近はけいこまいさんのフェチャルマとかにも参加してて、
いやいや、とはいえダンスはダンスだし、表現は表現だし、
生きて歩いて空気吸っているだけでも表現なんだし、
その延長線上にダンスがあるっていうことだから、
どんな生徒として習いに行っている時であれ、ステージに出ている時であれ、
何であれ、自分一人で公演で踊って撮影している時であれ、
全然違いなんかなくて、
ちょっとこの集中度の違いはあるかもしれないけど、
教室に行って習っているだけだから、
私は表現はしなくていいんです、みたいなのっておかしいでしょって、
おかしいおかしいって、
むしろその考え方の方が違和感があるっていう風に、
私の中でもかなり感覚、観念がものすごい変わったなっていうのは感じておりまして、
変わったんですけど、体がついていかないっていうか、
癖がついていかないっていうか、
どう振る舞っていいか本当に困っちゃうっていう感じですね。
昨日月曜だったんで、
広瀬先生のヒップホップのクラスなんですけど、
そこは初めて行き始めたヒップホップクラスで、
ヒップホップの探求
ここが発端となっていろんなことが、
もっと極めたいって思ったりとか、
起きているんですけど、
ずっと一貫して変わらず同じような感じでレッスンしてて、
昨日も新しい振り付けをやったんですけど、
なんていうのかな、
格好良く自分らしくっていうのと違うな。
前は何とかその日が過ごせればいいっていう、
何とか覚えて、その日その瞬間が何とかなればいいみたいな感じだったんですけど、
今では動画見て家に帰ってから、
研究しちゃうんですよね、ついね。
なんでここのノリが違うんだろうとか、
ここの円でダウン入れてないからだとか、
そういうノリがおかしいみたいなところがすごい気になったりとか、
あと足の踏み方がそうかここがーみたいな、
ここのステップがー、ここでもう一歩16ビートが踏めてたらーみたいな、
細かく一個一個気になって気になってしょうがなくて、
研究しちゃう、まず直さ直さない以前に、
研究気になっちゃうんですよね。
この気になり方の感じっていうのが、
もう最初の方の頃の自分かっこいいかなーみたいなんと全然違くって、
見つけてやるーみたいな感じですかね。
なんか違うなんか違うなんだ見つけてやるーみたいな、
そんな感じで見てて、
これも今年に入ってインスタに練習記録としてアップしようと思って、
そうしないと練習したことも忘れてしまうので、
練習風景をインスタのストーリーに上げ始めた時から、
なんかその傾向が加速してるんですけど、
ストーリーに上げようと思って動画見るとそういうこと気になるんでしょう。
おかしいなこの動きーみたいに。
で、んーって思って、
先生や他の人と見比べたりすると、
あーってここじゃーんとか思ったりすると、
やばいこれ練習したいみたいになってきて、
結構細かいところから詰めていくみたいになってますね最近は。
だから昨日の動画をいただいたんでざっと見たんですけど、
自分の感覚の中では全然できてないって、
なんか分かんなかったんですよね順番がやってることも。
だからもう先生を見ながらその場で動くみたいな感じだったんですけど、
全体的にはなんとなくはふんわりとは、
ちゃんと先生の動きを追えてて、
思ったよりは動けてたんですけど、
当然これ分かってないので、
なんかおかしいとこもいっぱいあって、
でそこをなんかじーっと見ちゃって拡大とかして、
拡大バージョンの動画作っちゃって、
でじーっと見ちゃって、
ここかもしれない、ここちょっともう一回練習したい、
みたいになってるんですよね。
ハマってるって言ったらいいんでしょうかねこれって。
ただ踊ることが楽しいとかいう感じとは程遠くって、
あとみんなで踊ると楽しいねとか、
そういうのとも違くって、
なんかこう、
なんか、
研究というかね、
なんかその違いが面白くて、
間違い見つけたいみたいな感じで、
いや分かったぞこれだーみたいな、
なんか研究対象みたいに、
してそういう意味での探究する面白さみたいなのにちょっとハマっているかな。
でもそういう細かいところを詰めていくと結果として、
なんかシルエットが良くなったりとか、
シルエット先に整えようと思ってたときは全然できないんですよね。
どうしてそんな角度にできるって、
全体できないって思うようなことが、
その細かいところを詰めていくと、
つまりお腹から動かせているかどうかとか、
ここで、
エンカウントでちゃんとダウンとってから動いているかどうかとかっていう、
細かいことを詰めた結果として、
ちゃんと先生と同じようなシルエットになるっていうことが起きるって気づいちゃったので、
順番が逆なんだな、原因と結果が逆なんだな、
シルエットだけ直すっていうのは無理なんだなって。
やっぱり体って中心の方から動いていくので、
基本の動きのところで力が抜けちゃったりしていると、
どうしてもそれを補おうと思って肩に力が入ったりして、
無理な動きをしようとするので、
結果シルエットがおかしかったりってなるんだな。
結局基本のところの動きを、
自分で掴まないと思うような動きができないんだなっていうところに至っていて、
なんかこれってヒップホップあるあるかもしれないんですけど、
ヒップホップ界隈の人ってすごいやっぱり体の使い方を研究するじゃないですか、
なんか研究してうんちく語る人多いなっていうイメージで。
昔はなんでこうやってヒップホップの人ってこうなのかなと思ってたけど、
気が付くと自分もそうなっているっていうことで、
やっぱ面白さがあるんですよね、探求する面白さっていうか。
でもそこまで来ると、もう誰々に勝ってやるとか、
他の人と比較してっていうのもなくはないけど、
それよりは自分自身の中のマイナス要因を潰していくっていうことに夢中になっちゃって、
そうやってエンドレスなんでどんどん楽しく、
どんどん夢中になってのめり込むっていうことになっていくなと思っていて、
探求の楽しさ
ここまで来ると私も一発のこのヒップホップダンサーみたいな領域に
踊れるか踊れないかではなくてマインドセットのところで探求したいみたいに、
あの動きどうやってやってるんだろうみたいになってるっていう感じになってます。
で何の話だっけ、ポエトリーリーディングからそんな話になってるのか。
とにかくね、そうやってね探求し始めるの楽しいなってなってくと、
もうなんか何て言うんだろう楽しいんですよ人生が。
なんか新しい趣味できたみたいな感じで。
で当分これで楽しめるって思うし、
本当に新しい世界見つけた嬉しいみたいな感じなんです。
だからってどこに向かってるってそんなになくて、
思うのは無理にここのこの時のステージでかっこいい自分見せたいとか、
バトルで勝ちたいとか、そういうところを必ずしもゴールにしなくても、
なんかやってくるような気もする。
イベントはねちょくちょくはありますしそういう習いに行ってれば。
で、自分で作ろうと思えば作れるかもしれないし、
そんなことよりも日々のそういうコツコツやっていく努力を積み重ねるのが楽しいって思えてることの方が、
なんか貴重な気がする価値があるっていうか。
去年までは全然そういうんじゃなくて、とにかく本番が迫ってくる。
次々と迫ってくる。
これは終わったら次、次は終わったらその次って次々と本番が来るので、
それまでにこの振りを完成させなくちゃ覚えなくちゃ。
できないところ多いからできるようにしなきゃ。
そうしないと本番でこけちゃう。
本番で踊れなくて、失敗したりとかなっちゃうといけないからっていう、
そういう意識で必死だったんで、なんか辛かったですし、練習が。
いつも一人で練習するのも、何がいけないとかじゃなくてひたすら練習するみたいな。
ひたすら何回も踊って、とにかく順番を覚えるとかいう感じで、面白くなかったんですけど。
だから辛いからそれを記録にしてたみたいなところがあったんですが、
今年もそれでこういう辛い練習をしたならば、年末ぐらいに全部振り返って、
こんなに私練習したんだって、感無量だってなろうと思ってストーリー上げ始めたんですけど、
さっきも言ったようにだんだんそういうことじゃなくなってきて、
その研究する自体が面白いってなってきたっていうところで、
同じようなダンスしてるって言っても、なんか全然違うフェーズに入ったような気がする。
さらに面白いのは、今ダンスの話をしてるんですけど、
なんかこれが仕事にも楽筆とかにも反映されてて、
すごいいろんな新しい関わり方とかを思いつくし、なんかやりたくなってくるし、
前は仕事は仕事、ダンスはダンスって、仕事はなるべくしない方が楽でいいみたいに。
楽筆はとにかく私の筆文字じゃないんで、
人の仕事を活性化させるために私が働くなんて損だ、みたいな感じがあったんです。
損得とか、お金さえ入ってくれればいい、みたいな。
最近その境目が溶けてきて、
誰の仕事であっても、私がやりたいことを、私がやりたい部分だけを私がやるのは自由だし、
楽しいことを思いついちゃったからそこだけやりたいっていう風で、
やれていくのが一番理想だなって思ったりするようになったら、
これは楽筆だからとか、これは枠筆だからとか、
これは誰々の何々だからっていうこととちょっと関係なくて、
私としてはこのプロジェクトのここにこういうことを提案できるし、
こういう活動だったらサポートできるなって思って、
じゃあそこだけやろうみたいに。
すごい考え方が自由になったんですよね。
そうしたら楽しいし、仕事はつらい、仕事はつまらない、
趣味は楽しいとかそういう分け方では全然なくなってきて、
仕事かどうかなんて関係ない。
私がダンスを一生懸命楽しんでるのと同じように、
仕事と思ってたジャンルでも同じように楽しんでいいんだって思えるようになって、
それで最近楽筆でも新しいセミナーを始めてるんですけど、
それも全然楽しいし、だって私がやりたいことだ、思いついたことだし、
ってなってて、
だからダンスから始まった話なのか、それとも、
そうじゃなくて全体的に何かが変わったのかわかんないんですけど、
でも一つ間違いなく時代が変わってる。
私一人じゃなくて、私の周りの空気感も、空気感が変わって、
私もそれに影響されて変わって、みたいな。
自分一人の努力とか根性とかで変わったとは到底思えないぐらい、
何かが大きく変わったなーって。
価値観の逆転
変わったら元に戻らないなーって。
もうこれから前みたいに、そういうふうにカチコチな考え方に戻る気配は全然ないし、
戻れないかなって感じで思っているので、
これ多くの人が言いますけど、本当に今時代が変わっている。
表面的な技術が進んだとかそういう話じゃなくて、
そういう話ももちろんあるんでしょうけど、
それと同時に空気感とか価値観とか、
何が正しくて何が間違っているとか、
どういうものに価値があってどういうものに価値がないかっていう、
価値のありどころが逆転している感じがすごいします。
まだ要旨がはっきりわからないけど、
昭和の時代だったら、無駄なことは何もせず、
おとなしく言われた通りに生きるのが良いことだっていう、
それが正しい生き方だっていう価値観が間違いなくあったと思うんですけど、
今、令和に来て、何もせずおとなしく言われた通りにっていう、
言われた通りが消滅していると思うんですよね。
誰も何も言ってくれない。
特に60代以降の人生っていうのは、
以前は存在しなかった30年間なので、
その時期をどういうふうに生きるのが正しいよっていう、
そういう見本が、お手本がないんですよね。
だから誰も何もそこに対して言ってくれない。
放置してる。
それだけど、心の中は、
みんなに言われるようにしなきゃいけないって思ってるから、
結果何もできずにぼーっとしてる間に30年を何もせずに過ごして、
どんどん衰えて、ぼけて、
自己決定の重要性
徳洋に入ってみたいにしていくことに結果的になる。
でもそれを見てしまった私たち60代っていうのは、
それはないんじゃないのって。
ちょっと待ってって、まだ10年は頑張れるしって思うじゃん。
昨日来てくれた、ポエトリーディーディングやってるサーチーさんも、
やっぱり同じようにちょっと待って、
ちょっと私まだその前にやりたいことがあるから、
そういうラジオのパーソナリティーとかそういうのやりたくて、
若い頃、だけど諦めたものだから、
ちょっと悪いけどもう一回やるわって言って、
そういうのに応募して仕事始められてるんですって。
ここまで来ると仕事ってお金のためにとかじゃないもんね。
今やらなくちゃって。
人が何か言うとか言ってる場合じゃないもんって。
おっしゃってましたけど、まさに私も同じ気持ちですよ。
だから価値観が変わってて、
今までそれが正しいと思って一生懸命それをやってきたのに、
それ自体が大きな間違いだよって言われちゃうっていう。
そうじゃないんだよ。
自分の人生は自分で決めて、
自分がやりたいと思ったことを自分でやっていくんだよ。
それに対して誰かが何かを言うとか、
どう思うとか関係ないよって。
でも気が付くとみんなそうしてるんだよみたいなことを
突然言われちゃうっていうことになるのかなと思って、
お気の毒様なんですが、
それでも、それでも、それでも、それでも、
そういう昭和な考えの人たちがどんなに抵抗を示そうと、
もうすでに世の中は変わってしまったと。
この30年ぐらいかけて、
変わらないかな、変わらないかなと思ってたはずが、
いつの間にかあれ、変わってるみたいに私も思う。
私自身も、やばい、変わっちゃってると思って焦るっていう。
それぐらい急激に変わってると思います。
世の中がというか、生き方が、
どう生きるのが正しいっていう価値観自体が、
ものすごい由来出るっていう。
それは間違いないなと思います。
なんかすごい観念的な話をずっとしてる気がしますけれども、
とりあえず今日そういうことを考えたので話してみました。
以上です。
26:45

コメント

スクロール