ダンスレッスンの挑戦
IKUKO Labo ワンダーランド
はい、こんにちは。IKUKO Laboの金田 イクコです。
3月24日月曜日の午前9時23分に収録をしています。
えーと、花粉ですね。皆さん、花粉大丈夫ですか?
私も杉とヒノキがあるんですが、ちょっと汚いという感じです。
でも、めちゃくちゃひどいというわけでもなくですね。
とはいえ、今週中には地美科に行って、いつもの薬をもらってきておいた方がいいかな?どうしようかな?みたいな感じです。
で、そういうわけで、ちょっとお聞き苦しいかもしれませんが、進めていきたいと思います。
まず、先週ですね。なんか前回の配信以降、すごいいろんなことがあったような気がする。
だいたい週って、週末?金土2時くらいにパタパタといろんなことがある気がしますよね。どうですかね?
まず、この期間で一番自分の中で大きかったのが、オンラインのダンスレッスンの課題として、
3ヶ月間で習ってきた振付を1曲、自分で撮影して、インスタにアップするというインスタチャレンジがあるんですね。
それが、火曜のサイズ値オンラインレッスンの特徴というか、インスタチャレンジがあるよっていうのが火曜日のレッスンなんですね。
もう一つ金曜日にもレッスンがあるんですけど、こちらは基礎重視で、いろんなステップを細かく習うんですけど、
一応ルーティンもあるんですけど、かといって1曲、最初から最後まで全部仕上げてということは目標とせず、
淡々と基礎を積み重ねるみたいなのに対して火曜日は1回1回区切りがあるというか、やっぱり振付があってね、
イントロから最後のところまで1曲完成させるってことができるので、それがやっぱり楽しいなと思って、
私は今年の1月から火曜日に復帰したんですね。
どうですかね、1年ぐらい火曜日やってなかった、そうそう、丸1年前の1月に火曜日やめて金曜だけにしたんです。
火曜と金曜両方やってたんですけど、それまでは負担が大きすぎて両方とも全然マスターできなかったんで、
一旦基礎を追ってことで金曜日に1年間、去年1年間いましたと。
で、はっきり言って飽きましたと。地味なので、基礎の練習って。
で、やっぱり楽しみがないと続かないなと思って、今年1月から火曜日にチェンジさせてもらって、
で、一個一個基礎の動きを本当に細かく練習しながら伸ばしていくんですけど、
それを撮影したのが金曜日の晩かな、土曜じゃない、金曜日の夜に多分撮影して、
その日のうちに編集して翌土曜日の朝にインスタにアップして、これにて作業終了って感じですね。
3ヶ月やったことの成果をアップして、一仕事終えたみたいな感じ。
慶子マイさんのレクチャー
これが先週の金曜と金曜の夜中に作業してたっていうことです。
なんだろう、この3ヶ月は斎藤レッスンももちろんですけど、それ以外に慶子マイさんというパリ帰りの、
慶子マイさんのレッスンは2月からかな、3月からかな、3、4、5か、そうだね、3月から始まったんでまだ1ヶ月終わってないぐらいですけど、
慶子マイさんからのサポートも、この振りをどうしましょうじゃなくて、なんだろう、
基本の考え方みたいなやつ、音を聞いて音を感じて踊るんだよみたいなことを再三教えてもらってるんですけど、
その考え方みたいな部分、体の動きではなくて考え方みたいな部分をすごいたくさんレクチャーを受けたことで、
やっぱり何かが変わっていて、身体能力自体はそんなに変わらないじゃないですか、そんな1、2ヶ月で、
だけど何をすればいいんだみたいなところ、何をやってもいいんだっていうか、
そういう新しい自由さみたいなものを、そういう考え方を手に入れたので、
結果、自分の金曜の夜に撮影したダンスが、すごい変わっていったのを自分で見てびっくりしました。
やっぱりこういうことって言葉で言うのがなかなか難しいんですけど、いろんな要因があって、
例えば、今回外で、うちの工房の近くに公園があって、わりかし綺麗なちっちゃい公園なんですけど、
夜だとほんと誰もいない街灯だけがついて部分的に明るくなってるっていう、めっちゃいい感じのような綺麗な感じで、
ここ撮影にぴったりじゃんと思ってこの間見つけたんですね。
で、金曜日の晩は、わくび図のズームがあったんで、終わったのが10時ですね。
それから帰りがけにその公園の横を通って、寒いしなって、夜だしな、動くのやだなとか思ったんですけど、
実はそのわくび図のズームの前に1時間ちょっと、同じ工房の中で、室内でかなり撮影をしていて、
撮影してうまくいったとこだけ編集でつなぎ合わせて、1本にしてもいいなと思って、だいぶ何回も撮ったんですよね。
そうですね。回数でいうとよくわかんない。30回とか。部分的にだったり、いろいろなんですけど。
撮った後だったんで、さっき撮ったやつすなげもなんとかなるんじゃないかなっていう考えもありつつ、
でも帰りがけに通ったらまさに誰もいなくて、天気もそれなりに良くて、ちょっと1回だけ撮ってみようかなって思って、
靴履き替えて、上着も着て寒いので、前下見しておいた場所にカメラ立てて、
外でやるときって音をあんまり出せないので、イヤホンで音を聞きながら、前方に置いたiPhoneに向かって踊ってて、
この感じっていうのが今まで多分体験したことがなくて、夜なんで周りが暗いんで、家がバーッと建ってるんですけど、見えないんですよね基本的には。
ものすごく外部と隔てられた感覚の中で、音だけは耳元で、頭の中で鳴るみたいなイヤホンですのでね。
音だけが鳴っていて、周りが真っ黒で何も見えない。だけど前方に置いたiPhoneだけが光ってるんですよね。
iPhoneのちっちゃい四角の枠から外れると切れちゃうので、見切れちゃうから、この枠に入ってるかどうかだけはじーっと見てたんですね。
前に動いたり横に動いたりしながらも、ちゃんとはみ出てないかなっていうのだけ気にしながらやってたから、
視線はiPhoneに集中しながら、耳はイヤホンから出てくる音に集中して、それ以外がないっていう。
しかも風が冷たくて、それでいて開放感があるっていう。不思議な空間になってて、
その中で音かけました、始めましたって言ったら、ついさっきまで部屋の中で何回も何回もやったのと全く違う感じだったんですね。
何が違うかって言ったらよくわかんないんですけど、すごくいい気持ちだったんです。
まず、そこにいること自体が。で、一曲踊っていく中の感覚も全く違くって、さっきまでやってたことと全然違う感じだったんですね。
当然こう踊ってる最中は自分の動きを再現してみれないので、どうなってるかわかんないけど、もうそんなことどうでもいいやって、
はー楽しいみたいな気持ちいいみたいな感じで。で、一曲踊って、一回目は途中で止まっちゃったとこ間違えて止まっちゃったとこがあったんですね。
さすがにこれはと思ってもう一回だけやろうって言って2回。で、2回目は何とか止まらずに間違えたとこありつつも最後までできたんで、
この2本があれば編集どうにかあるだろうと思って撮影切り上げたんですけど、そして家に帰って見てみたら、まあ今までで最高ですね。
いろんな要因があります本当に。ライトが逆光で、あのライトが私の頭の後ろ辺にあるんですよ。で、顔がね見えない。逆光になってて。
で、体のシルエットだけがこう、五光が射してみたいな感じっていうのかな。で、それも良くて細かいとこが見えないので、荒が目立たない。
しかも上着まで着ちゃってるんで、本当にこれ、いつもの室内だったらばっちり何もかも映っちゃってて、下手くそな部分も丸見えなんですけど、
それが上着をいっぱい着てるのと、それから逆光になっててあたりが暗い、全体的に暗いっていうので、あんまり目立たないんですね、荒が。
で、楽しんでる感だけは伝わってくるんですよ。素晴らしいなと思って。多分私が今まで撮影した動画の中で最高だと思いますよ。
自分じゃないみたいな感じ。で、自分でびっくりしたという。うわーって思った。
という出来事がありました。金曜日の晩ですね。それでまあ、なんだろう、そういうことが一回あると、自分自身に対する認識もかなり変わる。
あれ、私ってもしかしてできるんじゃね?みたいな。今までは自分の自己評価がすごい低くて、何やってもできないし、動きはどんくさいし、ギクシャクしてるし、みたいなことだったんですけど、
まあ、本当にその慶子舞さんのレクチャーを受けるようになってから、特に急速に自分がこう解放されて、できないと思っていた動きも、自分なりのやり方だったらできるし、
自分のダンスなんだからそれでいい、みたいな、すごい自己需要っていうか、ダンスに対しての考え方もものすごい変わっちゃって、今までは先生がこれって言った振りをそのまま正確にやらないといけないって思っていたので、
ところどころやっぱり正確にできないところってあるんですよね。筋力不足とかそういう要因で。覚えていたとしても動作自体がやりづらい。ちょっと体幹が弱すぎてできないとか、そういうやつ。そこがクリアできないと、全体が完成しないと思ってたから。
自己受容と個性の価値
ところが、自分の体の特性に合わせた自然な動きが一番美しい。というふうに慶子舞さんからは教えてもらって、フランス人なんかみんなそうだよって、みんな体型が違うし出身の国も人種も違うんで、それを生かした、その人らしい、その人にしかできない動きっていうことの方が価値があるっていう、そういう考え方なんですって。
そこで、へーへーへーみたいに思って、日本人である私としてもですね、できないものはできないでしょうがないよねっていう開き直り。今できる100%を出す以外にできることなんかないじゃん。できない動きは今日はできないんで、もちろんそれを日々練習してできるようにしていくってことはありだとしても、どうしても日程的に今日撮影しなきゃいけないってなってるんだったら、
できることのベストを尽くす以外に、それ以上のことっていうのは出てこないはずなので、じゃあできる範囲でいいやってなったときに、なんか初めて予定しなかったものが出てくるっていうか、雰囲気、こういうふうにやるんだとか思ってたら出てこないような、ある種の雰囲気みたいなものが出てて、
動画の中で見てね、出てて、うわーこれかーみたいに思ったっていうことです。私が思ってたダンスを習うっていうことと全然違う何かが本当はあるんだなって、本当はあってそっちの方が価値があるんだなって、先生がやってる振り付けをそのまま真似したらOKっていう世界はもう戻れないって思いました。
そう、やっぱり人それぞれの個性っていうのは、人との違いを無理やり作り出そうってことじゃなくて、自己需要をしたとき、私の動きはこんなふうに歪んでいて、体が固くてここまでしか手が上がりませんだったとしても、そんな動きを他の人真似できないんだったら、それで個性なんだって、そういう考え方ですよね。
他のものすごくうまくできる人のように私を変えないといけない。そういう方に自分をはめにいかないといけないって思ってるところからは、想像性とかオリジナリティとか全然出てこないどころか、必要以上に下手に見えるっていうことしか起きないんだなーって、ようやく私にもうっすらと感じ取れるようになってきたので、でもこの違いが本当にやっぱり決定的に大きくて、
今まで思ってたことの真逆なんですよね。先生の動きに近いのが正しくて、先生の動きに似てないのは下手みたいな感じ。上手い下手の基準が誰かに似てるかどうかだったのが、これからは上手い下手の基準がその人らしいかどうかっていう、変わった動きかどうかだっていうふうに変わっちゃうわけで、
もうその、善悪とか上手い下手とかの評価の軸自体がずれるっていう、そういうことなんだなーって思いました。思ったっていうか、体感できた瞬間でした。
で、どっちがいいかなんですけど、何も考えずに人に言われるままついていく方が楽っていう人もいるかもしれないなとは思うんですけれど、一度でもその自分らしさでOKってなった経験があれば、そっちの方が100倍も1000倍も楽だし楽しいし、
なんなら自分自身が持ってるって気づかないような能力さえ開花していく。だったら絶対後者の方がいいじゃんって。一回でも経験したらそういうふうに思えると思う。
私は時代的に、もう本当にあちこちで言われているように、21世紀始まって25年経っちゃった、4分の1が経ったところで、やっぱり時代が変わってきたよねって、古い価値観が崩壊して、初めてのことに本当にみんな直面している世界中の人が、
日本だって少子高齢化っていうことが歴史上初めてなんですよね。こういう人口構成になっちゃうっていうことが。60で退職して65ぐらいで死んでいくっていう昭和の人生モデルが崩壊してて、
65、私今年65ですけど、まだ30年あるどうしようみたいな。それを言うと、よくテレビなんかで言われるのは、その間の生活費をどうしようっていう話だって、年金がって話だって言うけど、そうじゃなくて、何をして生きたらいいんだろうっていうことですよね。
昔のおばあちゃんはさ、孫の世話ぐらいしかしてなかったから、ところが今孫も同居とかしてないじゃない。家の中にやることっていうのが、旦那さんの世話って言ったって旦那も退職しててさ、どうしてそんなに介外宿世話をしなきゃいけないのみたいに、ご飯は自分で食べといてねみたいになってる。女の人の人生が30年ぽっかりと空白になってるって感じなんですよね。
だから、これが母親やおばあちゃんの教えでは、そこどうやって生きたらいいか全然答えがないんです。だって彼女たちそういう時代、生きてなかったっていうか、そんなこと誰かのまま学んでないから、それはそうですよ。そういうビジネス人生モデルが描けなかったんだもん。今までは。平均寿命が若すぎて。
だから、今までに人類が経験したことのない新しい感じになっちゃって、どうやって生きていったらいいんだろうっていう不安の前例がないことに、特に日本人は不安なので、こうなんかオロオロしちゃうんですよね。どうしたらいいんだろうって。
自己発見と自立
それでスピリチュアルにはまってみたり、いろんなついていきたい、強いリーダー、この人についていけばきっとみたいなところについていこうとする感じになってるのかなって私の目には最近は見えておりまして、いいですけど強いリーダーについていけば安心だし、ただそれだけでそのリーダーだっていつか死ぬし、あなたを残して死んじゃうんだし、
自分で自分のリーダーになれる。他の人をどうこうせいとは言いませんけど、自分がこうやって生きていこう、こうやって生きていったら大丈夫だって思えるものを自分自身で発見しない限り、これからの残された30年間がずっと不安なんだろうと思います。
で、じゃあどうやったら自分の正解を見つけられるかって言ったら、自分自身を信頼できるようになるしかなくて、自分から出てくるアイデアとか、こうしたらいいんじゃないかという直感とかをそのまま信じて、安心してそういうふうに行動していけるようになるっていう以外に、たぶん救いはないんだろうなと。
改めてそういうふうに思いました。今までね、楽筆とか枠筆とかいろんなプロジェクトをやっていく中で、なんかみんな迷っているなっていうのは感じても、だからといって私についてらっしゃいって言えないなって。楽筆さえやってもらったらあなたの人生明るくなりますよって言えないなって。
責任取れないなと思っていたんですけれども、そうじゃないと。楽筆をやったからあなたは幸せなんじゃなくて、楽筆をやってそういう自分の持っている創造性、アーティスト性に気づいたら、そうしたら自分の人生を自分でエンジョイできるようになっていくっていう、自立していけるっていう、そういう機能まで含めるんだったら、だったらそれは全く完全に価値があるなと。
楽筆もそうですよ。ずっと楽筆にいて、私たちがあなたの面倒を見ますよなんていうことは失敗でしかない。楽筆を卒業したら、自分で自分の課題を見つけ、自分のやりたいことを見つけ、そのためにどうしていったらいいんだろうという行動計画が立てられて、それを粛々とやりながら改善していって、
いつかその欲しかった状況を手に入れるっていうのを粛々とやるっていう、そういうビジネスマインドみたいなやつを得得したら、1回得得したら消えないんですよね、そういうのって。
考え方っていうか、物の考え方のフレームワーク、基本的な考え方がそういうふうなのを知って、一度知ると二度とただぼんやりぼーっとしてる。ああいうふうにできたらいいなーみたいな。でも私には無理だなーとか、やってみもせずにそうやって頭の中だけで堂々巡り、考えが堂々巡りして、一個も何にも行動しない。
こういう罠からは抜け出すことができるはず。そういう抜け出せるんだったら、ワクビズには価値がある。抜け出せるようにならないんだったら、ワクビズは失敗していると、私はそういうふうに思うし。
で、楽筆で自分のアーティスト性に気づいて、自分を才能開花させていけるようになるっていうのと、ワクビズでそういうビジネスマインドを手に入れて、自分で自分の目標設定をして、自分でそれを手に入れにいけるようになるといって、ジャンルが向いてるジャンルがアートに向いてるかビジネスに向いてるかの違いであって、全く同じことだと思うんですよね。
自分の人生を自分でより良くしていけるっていう意味だから。で、みんな人のことを言い過ぎだし、人と自分は比較しすぎだし、あの人はできるけど私にはできないって言い過ぎだし、そういう態度が非常に良くない。周り、その人がいる周りの人にも感染していくんですよね。
で、みんなそんな風にもう私たちはできなくてもいいよねみたいな。で、悲願で。で、できる人を見るとなんかやっかむみたいな結果になる。意識してないけどそういう風になってるんですよ。それ遠くから見るとすぐ分かるから。
あなたたちのそういう人に対する、自分に対する人に対するそういう態度っていうのは自分たちは本当に意識無意識で無意識で気づいてないんだけど、その人たちが喋ってるところを外から見るともう明らかに分かるんですよ。
ああそういう人たちだなって。だからできる人は敬遠してる可能性がある。ああちょっとあそこのグループには入りたくないなって。でも敬遠されてる側は敬遠されたことに気づかないのでそれでいいと思っている。
自分を開放する装置の重要性
見てほしいのは、去年と違う自分、一昨年と違う新しい自分が今ここにいるかってことですよね。この1年で、この2年で、この3年で新しいチャレンジをどれだけしましたかって本当にただそこに、ただそれだけのことなんですけど、自分で自分のアーティスト性に気づいてたり自分で自分のビジネスの構築ができる考え方のフレームワークを持ってたりしないと新しいことってできない。
何もなくて新しいことをポンとするっていうのは本当に恐怖でしかないだろうと思うし。
だからこそそういうところに取り込まれちゃって、本当はなんかあるはずなのにあれみたいになってる昔の私みたいな人を見つけたら、それはぜひその開放する、開放できるようになるための装置、機械みたいなもんですね。
そこの装置に入れたらポンと開放された自分が出てくるみたいな、そういう装置として首痛だったり落し痛だったり、そういうものに入っていただく必要はあるなと思ったし、私がこれからの30年でお仕事としてやっていくとしたらそういうこと、それ以外にやらなきゃいけないことってないような気がするんです。
人が自分のことを自分で開放できるようになるための装置を作る。そんだけ。装置は装置だからいろんな装置が作れると思うので、今は落湿と湧水だけですけど、それ以外にも何かあったら作っていくかもしれないですけれど、やりたいことは常に一つですね。
自分で自分の人生を開放していける人を育てる。育てるんじゃなくて、そういう気づきができる装置を提供する。それだけだなと思いました。
昔から多分私そう思ってるんだけど、自分にそんなことをする資格があるんだろうかっていうことを迷っていたんです。ずっと。若い頃、40代50代みたいな時。多分同じことを考えてたと思うんですけど、とはいえ世の中には私よりできる人がいっぱいいると思ってたから、そういう人がやるのはいいけど、私はまだ未熟みたいに思ってたんですけど。
60過ぎてからですね、やっぱり周りにいると思っていたもっとできる人っていうのが全然見当たらなくなっちゃって、できると思ってるっていう人の話を聞いても、いや別にって感じだよねみたいな感じ。その人が特別すごいこと言ってるっていうふうに思えなくなってきたんですね。
ってことはやっぱり私も年を取ったのかなと思いますけれど、これ以上待っても、これ以上自分が経験を積んでも、なんかしょうがないなみたいな。でもこれ以上自分を開放して経験を積むとしたら、さっき言ったダンスみたいに、自分にはできないと思ってたことができるみたいな、そういう個人的な喜びですよこれって。別にそのことを人に教えるつもりもないしみたいな。
学びたい人は稽古前さんのところに行ってって。そんなことより私は自分の新しく得得したこの体感、感覚が嬉しくて、これもっともっとやってみたいってただ思ってるんで、そっちの方が楽しいわっていうぐらい。
もう昔みたいな本当に何か技術や知識を提供してお金をいただきますみたいなことはダッサイですね。そんな時代じゃなくなってますね。と私は今日思っております。
そういうわけで今週は色々と作業を粛々と、作らなきゃいけないホームページも一つあるし、楽室のホームページもリニューアルっていうか、ベーシックコースの説明のページをリニューアルするときに、さっき喋ってたようなもうちょっと精神性というかね、アーティスト性に目覚めるとかそういうことまで織り込んだ内容にして作り直そうと思っているので、
今週はちゃんとパソコンの前にいて粛々と作業をするという時間を増やしたいと思っております。はい本日は以上です。